先に動いたのはオールマイトだった。
何も特別なことは必要ない。
ただ、血影の顔面へと拳を振るう。
それだけでいいのだ。
血影の個性については事前に聞いていた。
それでも、オールマイトにとっては殴って気絶させればいいだけの話。
先手必勝。
血影が見せた身体能力以外の力。
どれくらいの規模のものなのかまるで分からない。
情報が少ないため、早めに決着をつけなければ被害が拡大してしまう可能性がある。
(もうこれ以上……誰の命も奪わせはしないッ!!)
オールマイトの脳裏にエッジショットの顔が過ぎる。
怒りに歯が軋み、拳に自然と力が入った。
(デケェ……)
オールマイトの巨大な拳が眼前に迫りながら、血影はそんなことを思う。
何十年ぶりに人一人分の血を吸い、かつてないほどに強化された力。
今の血影にとってその拳は───あまりにも遅い。
(手加減しすぎだ……No.1ヒーロー。俺を舐めてんのか? 俺の命を奪わないことはもちろん、機動隊なんかの周りの人間にも気を遣い、建物の破壊も最小限にしようってのかよォ……ちと欲張りすぎだろボケが)
個性『吸血鬼』は、時を経るごとに力をましていく。
加えて、血を吸えば吸うほどより強力な力を得るのだ。
ゆえに───足りない。
ヒーローとして、決して命を奪わないという覚悟をもったオールマイトの拳はあまりに足りなかった。
あの宿敵に振るうような拳を、血影にもぶつけなればならなかったのである。
血影は横目でシンリンカムイを見た。
(……次はお前だ)
悪意が溢れ、血影は裂けたような笑みを浮かべる。
───『霧化』
自身と、自身が身につけているものを完全に霧状にしてしまうという能力。
本当に久しぶりに使う力だった。
極めて体力の消費が大きく、使い勝手の悪い能力であるため血影は好きではないのだ。
こんな能力を使わなくとも、大抵の事はその身体能力だけでなんとかなってしまう。
それは今回だって例外ではない。
あのオールマイトの拳とはいえ、手加減しているのであれば今の血影にとって避けることなどそう難しいことではなかった。
ただ、血影は意表をつきたかった。
『霧化』を使った意図はたったそれだけだ。
血影の姿が完全に霧散し、それが当たり前かのごとく、オールマイトの拳は空を切った。
「んッ!?」
「なッ!!」
一部始終を見ていたシンリンカムイ、機動隊、果てにはヴィラン連合の面々までもが思わず声を上げた。
血影の新たなる能力。
理解が追いつかないのも仕方がない。
だが、状況は待ってくれはしない。
「───ッ!?!?」
突如現れた血影によって、シンリンカムイは声を出す間もなく顔面を鷲掴みにされた。
シンリンカムイは右手をぶら下がるために、左手をヴィランの拘束に使っているため血影に対応することができない。
そう、詰みなのである。
「シンリンカムイッ!!!」
未知の能力により血影の姿を見失ってしまったがゆえに、オールマイトの反応が僅かに遅れてしまった。
意表を突かれてしまったのである。
(オールマイト、お前はあの瞬間俺を殺すという選択をできなかった。しょうがないよな。お前はヒーローなんだから。平和の象徴なんだから。でも……だからまた失うんだぜ?)
無慈悲に、血影はシンリンカムイの顔面を掴んでいる右手に力を込めた。
「グァァアアアアッ!!!」
シンリンカムイの絶叫が響き渡る。
苦虫を噛み潰したような表情をしつつ、オールマイトも救出するために行動を始めていたが───間に合うはずもなかった。
───グチャリ。
弾けるような耳障りな音とともに、辺り一面に様々なものが飛び散った。
至る所が赤に染まる。
シンリンカムイだったものが、ゴトリと鈍い音を立てながら地面に落ちた。
一瞬の静寂。
そして、
「ぬああああああッ!!!!!」
オールマイトの怒りの咆哮が地を揺らした。
「動ける奴は動け」
オールマイトの怒りの眼差しを受けながらも、血影は平然と答える。
だが、ヴィラン連合の面々はあまりの出来事に未だ放心したままだ。
「ブラッド……もう、後戻りできないぞ」
怒りに身を震わせながら、オールマイトが血影に小さくそう口にする。
それに血影は笑みをもって応えた。
「戻る気なんてねェよ」
冷たくて、暗くて、もうどうしようもない。
誰が悪いでもない。
こうなる他なかったのだ。
───初めから決まっていた運命。
血影とオールマイトは決して交わることのない、正義と悪なのだから。
「動くなッ!!」
意外にも、真っ先に行動をおこしたのはオールマイトでもなく、ヴィラン連合の面々でもなく───機動隊だった。
冷たい銃口を向けた。
オールマイトは目を見開いた。
聞いていないことだったからだ。
「オールマイト、これ以上は看過できない」
「───ッ!!」
それがどういう意味なのか、理解できないオールマイトではなかった。
「え、撃つの!? 私たち撃たれちゃうの!?」
「チッ!! おい起きろ黒霧!!」
自由を取り戻した矢先にこの事態。
ヴィラン連合の面々が取り乱すのも無理はない。
(十中八九……銀の弾丸だろうな)
血影は静かにそんなことを考えた。
できれば生かしたまま捕らえたいはずであり、トップヒーローのオールマイトがいるのにも関わらず銃を向ける。
それが何を意味するのか。
(───なるほど)
血影にはすぐに分かった。
命は等価値ではないことなんて身にしみて理解している。
正義は───“立場”と“都合”で決まる。
その考えはやはり正しいと血影は思った。
「最後の警告だヴィラン連合。投降しろ」
向けられた無数の銃口。
空気が張り詰める。
こうなってしまっては、オールマイトでさえも止める手段はない。
そんな一触即発の場面で口を開いたのは、やはりと言うべきか、血影であった。
「───八百万」
「……っ」
日常からあまりにもかけ離れた出来事の連続。
ヒーローを志しているとはいえ、まだまだ子供である八百万が受け入れるには無理があるというもの。
ただ恐怖に身を震わせるしかないのも仕方がない。
血影に名前を呼ばれ心臓がドクンと跳ねる。
「嫌なもんばっか見せてごめんな。でも───目を背けるなよ」
「……え」
だが、血影の言葉は穏やかだった。
優しささえ感じてしまうほどに。
それだけを言うと、血影は視線を八百万から機動隊へと移した。
「八百万の命は大切だよなァ?」
「───ッ!!」
血影の言葉に機動隊は思わず声が出そうになる。
「なんでお前らがそんなに焦ってるか当ててやろうか?」
冷たく嘲り笑う。
その目には一縷の光もない。
どこまでいっても、深く純粋な闇のみ。
「八百万だろ? 大財閥の令嬢の命を万が一にでも失うようなことがあれば、お前ら警察にとって“都合”が悪いもんなァ?」
困惑を隠せない八百万。
揺れる心。
それでも血影の言葉は続く。
「なァ、オールマイトがいるのにも関わらずヒーロー2人の命が失われた。だから焦ったんだろ? 違うか?」
機動隊の面々は何も答えない。
ただ静かに、銃口を向ける。
そのマスクの裏で冷や汗を垂らしながら。
「なんでこちらが悪いみたいに言っているんだ」
静寂を破ったのはオールマイトだった。
「雄英を襲い、生徒を攫い、そして将来有望な2人のヒーローの命を奪った。───悪いのは君だろブラッド!!!」
隠しきれない怒り。
オールマイトにもはや笑みはなかった。
「お前もだよ、オールマイト」
だが、オールマイトの迫力に血影はまるで怯まない。
「お前みたいな奴はどの時代にもいた。実際に力が伴ってる奴を見たのは初めてだけどな」
淡々と、ただ淡々と。
「お前みたいに何でもかんでも救おうとする馬鹿がいるから、人は弱くなるんだ。大半の人間はお前に甘えるんだよ。終いには自分で考えることもしなくなる。結果として、俺みたいな奴が生まれちまう。ほとんどの人間はお前みたいにはなれねぇ。できもしねぇのに、全てを救おうとなんてするんじゃねぇよ」
抑揚の無い声。
だが、その言葉には確かな怒りと憎悪が宿っている。
血影の脳裏には、自分を見殺しにした全ての人間たちが鮮明に蘇った。
その全てが───正義の味方とされる人々だった。
「はっ、お前らが『夜』に奇襲してきたのがいい証拠じゃねぇか。オールマイトがいるから大丈夫とでも思ったんだろ? それでこのザマさ。───テメェが弱くした結果だよ」
「違うッ!! どう理屈をつけようが、命を奪った者が悪いに決まってるだろッ!!」
オールマイトが地を蹴る。
機動隊の静止の声を聞かず、凄まじい速度で血影へと迫り、拳を振りかぶった。
「そりゃテメェはそう言うよなッ!!! オールマイトッ!!!」
血影もそれを拳で迎えうった。
オールマイトの一発目は空を切った。
だがついに───ぶつかった。
凄まじいほどの“パワー”が血影を襲う。
───デトロイトスマッシュッ!!!
「ザッけんなよクソがッ!!!」
血影も渾身の力をぶつけた。
何かが爆発したかのような爆音。
凄まじい衝撃と共に、オールマイトと血影は2人とも吹き飛んだ。
いくつもの建物を突き破り、なお吹き飛び続けた。
そして、ようやく止まる。
「イテェなァ……」
土煙が舞う。
情報としては知っていたが、オールマイトの力がこれ程だとは思いもしなかった。
久しぶりに多くの血を吸ったせいで酔っていたかもしれない、と血影は自分自身に呆れた。
「相打ち……とは言えねェな」
血影の右腕は───完全に消し飛んでいた。
大量の血を得たことにより、腕は即座に再生される。
受けた傷もほとんどが一瞬で癒える。
そう、夜の吸血鬼はまさしく不死身なのである。
「百年以上の時を経て、人一人分の血を吸い、さらには腕を一本犠牲にしてようやく互角。しかもこれで衰えてるだァ? ふざけんなよ……ハァ」
正面からの肉弾戦をするにはさらに血を吸う必要があるな、などと血影が思っていると、
「ぼえッ」
ゴポっと、口から黒い液体が溢れた。
お読みいただきありがとうございました。