「ねぇねぇブラッド様! 私も吸血鬼にしてよ!」
「……は?」
俺は言葉を失った。
その表現以外ありえないほどにそれは突拍子もない出来事だった。
とりあえず
俺の横を歩くヒミコがなんの脈絡もなくそう言い放った。
最初に思ったのは、なんで知っているのか、ということだった。
なんでコイツが俺の能力を知っている?
話した覚えはない。
話すつもりもなかった。
「誰に聞いたんだそのこと?」
「……っ」
少しだけ声に感情が入ってしまった。
ヒミコがビクリと身体を震わせる。
「……あの、ごめんなさい。嫌いにならないでください」
躊躇うことなく人にナイフを突き刺す猟奇的な一面を持つとはとても思えない、ただの怯える少女のような今にも消えそうな声でヒミコは言った。
その目は俺の機嫌を悪くしてしまったのではないかという不安が滲んでいる。
「あぁ、すまん。別に怒ってない。どこでそんなことを聞いたのか単純に気になったんだよ」
そう言ってもヒミコの目から不安の色は消えない。
未だに俺の表情を気にしている。
そこで気づいた。
……これは、コイツのクセなんだと。
恐らくヒミコは、こうなっちまう前は“普通”でいようとしていたんだろう。
周りを観察し、真似て、薄っぺらい表情を浮かべながら自分を隠す。
そうやって生きてきたんじゃないかと思った。
だからこんな風に───。
はぁ……最悪だ。
こういうことを知りたくないんだよ、俺は。
「えっと、このサイトに載ってました」
「……サイト?」
そしてヒミコは自分のスマホを俺に見せてきた。
そこには『伝承に基づく吸血鬼ブラッドの考察』と書かれている。
うわ、なんだこれキモッ。
そこには俺の個性がどんな能力を持っているのかについての考察が記載れていた。
やたらと作り込まれているあたりになんだか得体の知れない恐怖を感じ、背筋に震えるような悪寒が走る。
どこの誰とも知らない奴が、こんなにも俺に関心を寄せ、こんなにも俺のことを考えている。
気持ち悪くて鳥肌もんだわ。
そこにはかなりたくさんのことが書かれている。
怪力、変身能力、そして日光が苦手だろうということなど。
そしてその中の一つ───『眷属化』
俺には他者を自らの眷属である吸血鬼にすることのできる能力があると書かれている。
───それによって『不老不死』が得られる、なんてことまで書いてあるのだから最悪だ。
スマホをスクロールする。
ページの最下部にはコメント欄のようなものがあり、そこも妙に盛り上がっている。
つい5分前に書かれたものもあった。
やたらと多いコメントの中には、信者のように俺を崇拝する気色の悪いものも目立つ。
なんでこんな悪趣味なサイトをこれだけの人間が見ているのか理解できない。
……いや、わかるな。
俺の存在が久しぶりに明るみに出たこと、そして『不老不死』なんてものに魅力を感じる馬鹿がこんなにもたくさんいるわけだ。
救えねぇな。
しかもこれだけとは限らない。
もしかしたらこのサイト以外にも、俺についてのサイトは無数に存在する可能性すらあり───。
ゾワゾワとした不快感を味わいながら俺は大きなため息をつき、ヒミコを見る。
「───できるぞ、お前を吸血鬼にすることは」
俺は歩きながら素っ気なくそう答えた。
本当につまらんことだから。
「ほんとですか! なりたい! 私吸血鬼になりたいですブラッド様! 吸血鬼にしてよ!」
新しい玩具をもらって喜ぶ子供のように、ヒミコは目を輝かせながら俺に詰め寄ってきた。
予想通りすぎる返答に俺の気分はさらに暗いものとなるが、そのまま言葉を続ける。
「けど、ただの吸血鬼じゃない。俺の眷属だ。当然、俺の命令には絶対逆らえない。それも死ぬまで永遠に。───まさしく奴隷だ」
そこで足を止め、ヒミコの方を振り返り目を合わせ、
「それでもなりたいかよ?」
そう聞いたんだ。
すると───
「はい! なりたいです!」
即答。
清々しい程に迷いのないその返答に、俺は面食らってしまった。
「……は」
間抜けな声が漏れる。
「お前ちゃんと考えた? 本当に理解してる? 吸血鬼になったら永遠に俺の奴隷なの」
「でも一緒にいられるならそれでいいです。───本当に私が私のままでいられるのは、ブラッド様のそばだけだってわかったのです」
「…………」
疑う事を知らない無垢な子供。
そんな真に純粋な存在だけがするような真っ直ぐな瞳で見てくるヒミコに俺は言葉が詰まった。
そして、俺はこの無駄に優れた感覚のせいで嫌でも分かってしまう。
コイツの言葉に一欠片の嘘もないことを。
……はぁ。
若気の至り。
この言葉がこれ程ふさわしい状況ってのも珍しい。
コイツはまだ自分の小さな世界しか知らない。
この世の中には無数の選択肢があることに気づきもせず、気づこうともせず、ちょっと辺りを見渡せば他の選択肢がいくらでもあるというのに目の前にあるものにすぐ飛びつく。
コイツの過去なんて知らんし興味もない。
だけど、どういうわけかコイツには俺が暗闇に差した一筋の光のように見えてるんだろう。
だからその光がもう二度と消えないように必死なんだ。
光なんて、いくらでもあるってのに。
「……考えといてやるよ」
とりあえず今はそう言っておくことにした。
「やったー! 嬉しいなぁ、嬉しいなぁ!」
ぴょんぴょん飛び跳ねるヒミコを見ながら、俺はフードを深く被りなおした。
そして少しだけゆっくりと歩く。
思わず下を向いてしまうのはきっと、つまずいて転ぶのが誰よりも嫌いだからだ。
++++++++++
とある薄汚れたビル。
「光栄だな。こんなところで生ける伝説に会えるなんて」
そのビルの中へ入り、ゆったりと歩きながら荼毘は血影に向かってそう言った。
「そりゃ良かったな」
血影は荼毘を見もせず答えた。
それに不満などなかったが、荼毘は思わずにはいられなかった。
(……ほんとにコイツがブラッドなのか?)
年齢は二十代前半。
くすんだ銀色の髪。
その深紅の瞳には気力や活力といったものが微塵もなく、怠惰な色しか宿っていない。
白蠟じみた白さの肌はどこか病的で、脆くひ弱な印象を受ける。
目の下にうっすらと広がるクマがさらに弱々しさを引き立てている。
(
むしろ細身な血影の身体を、荼毘は怪訝な面持ちで静かに眺めていた。
「にしても驚いた。あのブラッドが
「ハハッ、そりゃ確かに。ちょいとここで待ってな。俺は話を通してくる」
荼毘の言葉に嫌味ったらしく同意したあと、義爛は扉の中へ入っていった。
「……興味なんてあるわけねぇだろ」
血影は心底めんどくさいと言わんばかりに言葉を吐き捨てた。
「俺もわからんよ。なんでこんなとこに来ちまったんだか……」
疲れたような目をしながら血影は呟いた。
その視線の先には、「わぁー! ここが敵連合のアジトですか!? ねぇねぇ、はやく行こうよブラッド様!」とはしゃぐ女の子がいた。
その時、扉がギィっと音をたてて開く。
「よう、入ってこいよ。挨拶しな」
そこから顔を出した義爛が扉の前で待たされていた者たちを招きいれる。
入りたくない、帰りたい、と思いつつ血影は重い足取りで中へと入っていった。
そして───
(……うわぁ)
中にいた2人の姿を見た途端、帰りたいという思いが何倍にも膨れ上がる。
身体の至る所に手を纏う男が血影の生理的嫌悪感を煽った。
(何あれ……手? 気色悪……)
「アンタがそうか。写真で見てたが、生で見ると気色悪いな」
期せずして、血影の内心を荼毘は完璧に口にした。
その事に対して僅かに、そして密かに血影は親近感を覚えた。
「あはっ! 手の人! ステ様の仲間なんだよねぇ! ねぇ! 私も入れてよ!
ヒミコも大はしゃぎだ。
そんななか血影は手を纏う男───死柄木弔の目の奥を見る。
本心を探るために。
だが、そんなことする必要はないとすぐに思い直した。
「なぁ」
そう声を上げ、ゆっくりと死柄木へと近づいた。
血影の突然の行動。
ただ歩いているだけなのに、死柄木は息苦しいほどの緊張感を味わった。
(……なんだ、コイツ)
身体は強ばり、まるで動かない。
次の瞬間には死んでいるのではないかという、自分でさえ理解できない恐怖。
だが、死柄木はその隔絶された雰囲気を知っていた。
(先生と……同じ……)
そう、その得体の知れない恐怖を纏う男をすでに知っていたのだ。
「お……あ……」
声が上手く出せない。
死柄木の心中など知らんとばかりに、血影はそのまま目の前まで歩いた。
黒霧もまた、恐怖に支配され動けなかった。
「お前じゃあ……無理だよなぁ?」
死柄木は言われた意味がまるで分からなかった。
だが、刹那、尋常ではない程の殺気が放たれる。
死ぬ。
死ぬ以外ありえない。
そう確信してしまうほどの殺気が。
死柄木はもちろん、この場にいる全ての者が硬直し、暑い訳でもないのにドバっと汗が吹き出た。
血影は目の前で震える子供をみる。
そして、落胆せざるを得ない。
(こんなガキに何が変えられるってんだ……)
帰ろう。
帰ってゲームしよう。
そう思い、踵を返したとき───
『僕の生徒をあまりイジメないでくれよ、血影』
その底冷えするような声を聞き、血影の足が止まった。
懐かしい声だ。
あまりに懐かしい声だった。
「おいおい、まだくたばってなかったのかよアンタ。随分と長生きじゃねぇか」
『久しぶりだね。君とこんなところで再会できるなんて、思ってもみなかったよ』
ヒミコは恐怖で身体が動かなかったが、確かに見た。
血影が、まるで別人かのような獰猛な笑みを浮かべている姿を。
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