---レオナ視点---
──今日も1人、いなくなった。
もうすぐ成人を迎え、この孤児院から出ていくはずだった男の子だった。
お腹を空かせている子がいるとこっそりパンを半分くれるような、優しい人柄をしていた。
ここ最近、毎日のように誰かがいなくなる。
昨日は同室の女の子がいなくなった。
自分と唯一の同い年。
なにかに怯えるように回りの大人の顔色を伺ってばかりいる子だった。
一昨日は年下の少年。
5歳の誕生日を迎えた翌日にいなくなった。
同年代の子どもたちを率先して遊びに誘うリーダー的存在だった。
次は私だ。
今朝、神父さまが誰かと話している声が漏れ聞こえた。
『儀式』『供物』『素質』『魔術』
嫌な単語ばかりが耳に入ってくる。
この孤児院で魔術が使えるのは私しかいない。
他に魔術が使える年長者は、1週間前にいなくなった。
今日いなくなった少年と同い年。
一緒に冒険者になろうと小指を交えていた少女だった。
どうして。
1年前までこんなことはなかったのに。
最近、神父さまが怖い。
目がギラギラと飢えた獣のように光っている。
ニコニコ笑って魔術を教えてくれた優しい姿は、大きく様変わりしてしまった。
怖い。
誰か助けて。
死にたくない。
頭から毛布を被って目を瞑る。
気のせいだ。気のせいに違いない。
あるいは、これは悪い夢なんだ。
目が覚めれば、きっと皆がニコニコ笑って食卓を囲むにぎやかな朝が戻ってくるはず。
ギシッ……
ベッドが軋む音がする。
掴んでいた毛布が無理やり剥がされる。
自分の上に乗る神父さまを見た。
「どうせ捧げてしまうなら、味見くらい……」
何を言ってるの。
何をしようとしてるの。
興奮した男を見てレオナは恐怖する。
目が血走り、鼻息は荒い。
押さえ付けられた手首が痛みに悲鳴をあげている。
神父さまのゴツゴツした手がレオナの太ももを撫で──
恐怖心からとっさに放った『火球弾』が、神父の顔面を襲った。
「あ゛あ゛あ゛あ゛! あづいぃぃぃぃぃぃぃ!!」
顔を掻き毟り仰け反る神父の腹を蹴り飛ばす。
机の上に置いてあった魔術の杖を手に取って走り出す。
「待て! このクソガキィ!!」
後ろから聞こえる罵声。
追いかけてくる足音。
レオナは振り返らない。
ただ必死で駆ける。
教会を飛び出し、夜の街を抜け、森へ入る。
襲いかかってくる魔物。産まれて初めて見る異形のモンスターを杖と魔術で必死に打ち払い。
走る。
ただ走る。
魔物よりも恐ろしい者から必死で逃げ続ける。
三日三晩。
無我夢中で駆け続けたレオナはやがて、見知らぬ街へと辿り着いた。
後ろから追いかけて来ていた声と足音は、いつのまにか消えていた。
なんとか逃げ切れたという安堵感。
緊張が解けると、今度は猛烈な空腹感と疲労感が襲ってきた。
何か食事はないか。ゆっくり休めるところは。
花の蜜に吸い寄せられる虫のように、良い香りをさせる屋台に近付いていく。
「銅貨3枚だよ」
レオナはお金を持っていなかった。
---
飢えをしのぐために路地裏で残飯を漁る。
自分と同じようにズタボロの服を着ている連中と何度もすれ違った。
そうした浮浪者の中に時折、ギラギラした目つきの男がいる。
あの夜、神父の目に宿っていたものとそっくりの輝きに、レオナは激しく怯えた。
杖を握りしめ、汚れにまみれ人目に付かない場所で眠れない夜を過ごす日々。
金の稼ぎ方を知らない孤児の少女は、この世界の最底辺にいた。
ある日の夕暮れ時。
残飯を漁るために街を彷徨う。
そんな時、灯りのついた一軒の家から楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてきた。
「――10歳おめでとう!」
窓からこっそり顔を覗かせれば、たくさんの贈り物を両手に抱えて嬉しそうに笑う少女と、その両親と思われる大人の男女がいた。
幸せそうに笑う3人を見て、レオナは自分の5歳の誕生日を思い出した。
たくさんの仲間に囲まれて、いつもは出てこない肉料理に頬を緩ませた幸せな瞬間を。
教会は貧しく、その反対に孤児は多い。
神父さまはいつも難しい顔をして帳簿と睨めっこしていた。
それでも、子どもたちに囲まれている時は本当に幸せそうに笑っていた。
教会の裏で始めた家庭菜園。
実った野菜を茹でただけの質素な食事。
でも、誰も嫌そうな顔はしなかった。
そうだ。あの時は毎日が楽しかった。
出ていった兄や姉は時折、教会に顔を出しては食事や玩具の差し入れをしてくれた。
外の世界がどうなっているのか話してくれた。
「大きくなったらオレのところに来い」
C級冒険者になったという兄は、剣術の稽古をつけてくれた。
レオナには向いていなかったが。そうしたら剣の避け方を教えてくれた。
その兄がどこにいるのか。
ここがどこなのか。
レオナには皆目、見当もつかない。
少しでも神父さまの助けになりたくて魔術を覚えた。
いずれは自分も神の洗礼を受けて、神父さまの隣で働いて支えたいと思っていた。
大切な『家族』と、いつまでも一緒にいられる。
そう、信じていたのに。
いつからだろう。
食卓に肉料理が並ぶのが当たり前になったのは。
食事が豪勢になる度に、家族の誰かがいなくなるようになったのは。
美味しいご飯を食べているはずなのに、誰も笑わなかった。
神父さまもご飯を食べているはずなのに、何かに憑りつかれたようにやつれていった。
今となっては、何もかもが懐かしい。
貧しくても良かった。
ご飯が不味くたって。肉が食べられなくたって。
みんなが笑っていてくれれば良かった。
それだけで幸せだったのに。
「っ…………ふっ、うぅ…………」
レオナの頬を涙が伝う。
窓の向こう、暖かい灯火に包まれた室内にある光景は、孤児の少女が何よりも欲しかった幸せだった。
ああ、神様。
本当に神様がいるのなら。
どうか、私にも幸せを。
裕福じゃなくてもいい。
ただ家族で笑い合って楽しく暮らせる、そんな幸福を。
もう一度、ひとりぼっちの私にも。
もう二度と、この手からこぼれ落ちていかない愛情を。
そんなありふれた幸せをください。
路地裏でうずくまる少女はただ願う。
傭兵稼業を生業とする冒険者にレオナが拾われたのは、その翌日のことだ。
---ジャスティン視点---
ジャスティンは悩んでいた。
「おとーさま?」
「っ、ああゴメンゴメン」
膝の上で本を読んでいた娘が不思議そうに顔を見上げてくる。
愛娘の頭を優しく撫でながら考える。
最近、レオナが一緒に寝てくれない。
いや、寝てはいる。同じベッドで。手を繋いで。
しかし違う。ジャスティンが求めているモノとは少し違う。
ジャスティンはまだ25歳になったばかりである。
まだ若い。男としては1番脂が乗っている時期。
だからこそ、今の状況は生殺しに近い。
愛する家族と半年という長い間別れなくても良くなったのだ。
ならばもっとイチャイチャしたい。
欲望に忠実なジャスティンは、不満のため息を漏らした。
「元気ないの?」
「あぁ、うん……」
幼い娘に心配までかけさせる始末だ。
レオナもこの屋敷に来る前後から妙に元気がないし。
ソフィアのドレス姿を見てから少し調子を取り戻したと思ったが、また最近、塞ぎこんでいる。
こんなことでは父として、夫として失格だ。
「おかーさまも、最近は元気ない……」
ソフィアの漏らした声にハッとする。
そうだ。自分のことで頭がいっぱいになっていたが、ソフィアだって母の落ち込んでいる姿は見たくないだろう。
ソフィアは聡明な子だ。父と母の元気がないのを敏感に感じ取ってしまっている。
心なしか、ソフィアの元気も最近はない気がしてきた。
これではいけない。
ここは妻のためにも。娘のためにも。
一家の長である自分が頑張らねば。
また元気な妻と娘に戻ってもらい、明るく楽しい日常を取り戻すのだ。
そうとなれば、善は急げ。
ジャスティンは立ち上がり、たしか母『オリビア』と一緒にいるはずのレオナに会いに走り出す――
「ソフィア! ダーリン!!」
ドアを開けると、満面の笑みのレオナが抱きついてきた。
「おかーさま!!」
「ソフィアー!!」
キャイキャイとはしゃぐ妻と娘。
ポカンとする自分。
…………あれ? 全然、元気じゃん。
「もう、何ボケッとしてるのダーリン!」
「行こう、おとーさま!」
「えっ。はい?」
手を引かれて、状況が整理できぬまま歩き出す。
いったいどこに向かうのか。
なぜレオナが急に元気になったのか。
疑問は山ほどある。
だが、なんにせよ。
妻に笑顔が戻って良かった。
かつて魔術の研究で荒み切っていた自分に愛を教えてくれた女性の、幸せそうな笑顔を見て。
ジャスティンはホッと胸を撫で下ろしたのだった。
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