キーボードのスペースキーを無意識で押すと激痛で「うひょぉあああああああ!!!!!」ってなります。
痛いのヤダ(´・ω・`)。
ソフィアお嬢様がスカートを履いてくれない。
そう言ってオリビアに泣きついてきたのは礼儀作法を教える先生とメイド長を兼任するグレースだった。
元々は長男ジェームズの乳母として雇われたグレースだったが、その生真面目さと礼儀正しさをオリビアが気に入り、ジェームズが乳離れした後も使用人として雇われ続けることになった過去がある。
外から先生を雇うくらいならグレースに任せてはどうか。
オリビアの提案をカイロスは快く承諾した。
30年近くサンドモール家に勤め続けたグレースは、それだけの信頼と実績を積み重ねていたのだ。
そんなグレースが弱音を吐く。
30年で初めての出来事に、オリビアは目を丸くした。
驚いたが、何はともあれ話を聞いてみる。
グレースは涙ぐみながらポツリポツリと説明する。
挨拶やお辞儀といった基本的な礼儀の授業は順調に進んでいる。
食事のマナーも、大口でバクバク音を立てながらよく噛まずに食べるという悪癖があるものの1年間しっかり練習したおかげで最近は淑女らしい食事姿が見られるようになった。
問題は歩き方やちょっとした仕草。いわゆる作法の部分にある。
女性らしくないのだ。
大股で早歩き。腕をしっかり振りながら歩くその姿はまるで男性そのもの。
カイロスの真似をしてしまっているのか。剣術の稽古をしているからゆっくり動くのが苦手なのか。
とにかく。
ただ女性らしく歩く。
そんな単純なことがいつまで経っても出来るようにならないソフィアを見て、グレースは考えた。
考えた末に出した結論が「ズボンを履いているから」だった。
母親のレオナもこの屋敷に来た時はズボン姿で、冒険者だったこともあってか歩き方もどこか貴族の女性とは異なっていた。
しかし貴族らしくスカートを履くようになってからは淑女らしく小さな歩幅で静かに歩くようになっている。
きっとソフィアお嬢様もスカートを履けばそうなるだろう。
そう思ってソフィアにドレスを着るようお願いしてみたところ、
「動きにくくなるからヤダ!」
身も蓋もないとはまさにこのことである。
しかしグレースも大人しく引き下がるわけにはいかない。
あの手この手を使ってソフィアにスカートを履かせようと試みた。
まずはソフィア付きになったアメリアに履くよう言ってもらった。
なんと言ってもアメリアには、マーカス坊ちゃまの誕生日パーティでソフィアお嬢様にドレスを着せた実績がある。
ソフィアお嬢様もアメリアには懐いているようで楽しくお喋りしているし、きっと言うことを聞いてくれるはず。
そんなグレースの狙いは見事的中。
ソフィアはその日、渋々といった様子で長いスカート丈のドレスを身に纏い――
盛大にすっ転んだ。
次の日から、ソフィアは絶対にスカートを履かなくなってしまった。
転ぶのが嫌なら短い丈のスカートなら大丈夫だろう。グレースはアメリアにお下がりを用意させた。
「そんな露出の多い格好はヤダ!」
言われてみれば、ソフィアが好んで履くのは長ズボン。半ズボンなどを履いている様子はなかった。
ならば肌が見えないように、とドロワーズを用意させた。
年頃の少女が気に入るように、カラフルなリボンやレースをあしらった可愛らしい一品を用意した。
ソフィアは逃亡した。
---
「もう無理です! 私にはお嬢様のことが理解できません!」
泣き崩れながらそう訴えるグレースに困り果ててしまうオリビア。
とても2人の娘を立派に育て上げた母親とは思えぬその姿に、なんと声をかけてよいか分からなかった。
周りに控える使用人たちも、初めて見る自分たちの上司が号泣する様子を見て驚いて顔を見合わせる。
「どうした! なぜグレースが泣いている?」
そこに騒ぎを聞きつけたのかカイロスがやってきた。
事情を聞いたカイロスは一計を案じる。
「では、ソフィアを外に出してみようではないか」
思えば、王都に来てからソフィアを屋敷の外で遊ばせてあげたことはほとんどなかった。
ソフィアと同年代の女の子はこの屋敷にいない。
唯一年の近いマーカスは男だし、そもそも7歳も離れている。
蝶よ花よと愛でて育てるのも良いが、狭い世界だけで暮らしていてはソフィアの人格形成にも悪影響だろう。
街に出て、同年代の少女がどんな服装をしているのか。何に興味を持っているのか。そういうのを見て学ばせてみよう。
思い立ったが吉日。
カイロスはさっそくソフィアを連れ出した。
ちょうど、馴染みの鍛冶師のところに新しい剣を取りに行く用事もあった。
鍛冶屋に向かう道すがら。あえて馬車ではなく徒歩でノンビリあっちこっちを見て歩く。
カイロスとしては、グレースのこともあるし同年代の女子に目を向けてほしかった。
しかしソフィアの興味を惹いたのは、道を歩く冒険者や魔術師の杖を取り扱う店舗。
そして店の前をホウキで掃いている店員だった。
なぜそんなものを、とカイロスは首を傾げる。そういえば屋敷に来たばかりの頃も、グレースたち使用人の掃除を手伝おうとしていたらしい。
まさか将来の夢は魔術師でも騎士でもなく使用人?
嫌な予感を振り払うように頭を振る。
ともかく、可愛い孫娘に掃除なんてさせられるか。
カイロスはソフィアの手を引いてその場を離れたのだった。
その後もソフィアが淑女らしい服に興味を惹かれることはなかった。
服飾店に連れて行っても「お母さまに似合いそう!」と言って母親にプレゼントするドレスを選び出す始末。
すまんグレース。ワシでは力不足だったようだ。
カイロスはがっくり肩を落とした。
いくら服装を自由にさせていても、可愛い孫のドレス姿を見たい気持ちは祖父も同じだったのだ。
---
鍛冶屋に着いて依頼していた剣を受け取る。
剣神流の中級として認められたマーカスに贈る用の剣だ。
ソフィアは物珍しそうに店内に飾られた剣を見て回っていた。
「お嬢ちゃんが見ても面白く無かろうに」
「そんなことはない。ソフィアはああ見えても剣の稽古をしている」
「あの細腕でねぇ……」
訝しそうにソフィアを見る職人に、後々ソフィアの剣も作ってもらおうと考える。
一度模擬戦を見せれば、いかに頑固なこやつだろうとソフィアの実力を認めざるを得まい。
その日が楽しみだ。目の前のしかめ面が驚く顔を思い浮かべてカイロスは高笑いした。
「剣はご自分で作ってるんですか?」
「ああ。すぐ裏の工房でな」
「火を使ってるんですか」
「そりゃ、使わなきゃ剣を打てねえだろう」
「そうですか。ありがとうございます」
ソフィアが何やら妙な質問をしていたが、機嫌の良いカイロスは大して気に留めなかった。
そして帰る道すがらでも宝石店や幼児向けの服飾店に寄り道する。
しかしそのいずれにも、ソフィアが興味を惹かれることはなかった。
落胆してしまったカイロスだが、ソフィアの様子を見て思い直す。
黙り込んで何かを考え、たまにブツブツと呟くソフィア。
孫は頭の良い子だ。こうして見て回ることで何かを感じ取ったに違いない。
ひょっとしたら、グレースの苦悩やカイロスの望んでいることまで読み取ってくれたかもしれない。
どちらにせよ、焦る必要はないのだ。
5歳の誕生日まではあと1年ある。
礼儀作法はゆっくり勉強していけばいい。
カイロスは未来を楽観的に考えながら屋敷に帰った。
その翌日、ソフィアが失踪した。
感想・評価ありがとうございます。
たいへん励みになります。
誤字報告、ありがとうございました。
P.S.
今日、可能なら2話投稿します。