なわたし、魔法さえあればこんなもの。もしかしなくても僕だって。#イデア版ワンドロワンライ 参加。お題:「未発見元素」。いつもとは別軸。「オルト・シュラウド」がイデアの
から取り出された存在である世界線。※それは未発見核種であって元素じゃないという指摘はごもっともですが目を瞑ってください※ワン(デイ)ライティング※ツイステ受動喫煙
イデア・シュラウドはその夜、三階建ての家ほども高い魔導特殊電子顕微鏡の前に座っていた。マニピュレータ制御席の寮長の他、五人ものイグニハイド寮生が四つのコンピュータを前にしている。彼らは(それが専門か単にロマンを擽られて一時的に参加したのかはともかく)、この「魔法でなければ叶わない」原子核生成実験の参加者である。
吹き抜けの地下研究室は寮生であれば誰でも利用できる物だ。けれどそれに限っては、その高すぎるほどの性能に比べ利用したがる生徒は多くない。もっと取り回しのいい電子顕微鏡が二基もあるというのも大きな理由だ。
魔法導線の通ったマニピュレータ、寮併設の中型魔導エネルギー炉から得られる膨大な魔導エネルギーがなければ到底起動できないほど超強力な電子銃、それだけでハーツラビュルの五人部屋が二つは入りそうな分光装置群。はっきり言えば、魔法士育成校はおろか下手な総合大学でさえ大仰に過ぎる代物だった。魔導エネルギーを用いた粒子ビーム加速・収束法によって必要エネルギーや施設サイズが大幅に削減されたとは言え、その方式は世界で一、二カ所建設が終わるかどうか。実験が動き出すにはまだ二年ほども必要だろう。
その中でなぜ一介の魔法士育成校にこんなものがあるのかと言えば、魔法と学内人員で大幅に建設作業の手間と費用を減らした上で、当時入学半年も経たなかった件の粒子加速法の考案者が建設指揮を執った(取らされた)からだった。それでもかなりの額が飛んでいったことは想像に難くないが、どこぞの異端の天才が卒業後も含めた最優先使用権と引き替えに大半の費用を出したとか出さなかったとか。なお建設指揮の方も嫌がったことが容易に想像されるが、そちらは技術的に可能な範囲で機能を全部盛りにしていいと言われて引き受けたともっぱらの噂である。閑話休題。
真空蒸着によって製作された鉛の薄膜は、基盤を外枠のみ残して超高真空の中浮かんでいる。
「最終確認」
深い隈と青に縁取られた黄金を正面から逸らさないまま問うた長の声に、すかさず五人の少年が応える。
「真空度よし、Λ生成用ビーム設定よし」
「時間停滞の魔導回路オッケーです」
「SI誘導用魔導回路第一、起動設定正常です」
「第二同じく。固定化術式も問題なし」
「分光器設定大丈夫です」
青い炎髪の男はその声の一つ一つに頷きを返すと、自身の担当するメインコンピュータから、本実験の最初の過程、電子ビームの生成を開始させた。
大型粒子加速器並みの電子ビーム強度を実現するには、いかに発魔所規模のエネルギーを好きにできるとはいえそれなりの時間を要する。収束・加速・単色化・位相同一化の精度と進捗を確認している担当者はともかく、他の寮生たちは邪魔にならない程度に互いに質問を飛ばし始めた。──「分光器担当なんで全くわからんのだけど時間停滞、方式は?」「座標固定で疑似速度付与。エネルギー喰い虫だけど干渉対象が空間じゃないから分光器に飛んでく粒子に影響しないのがでかい」──「強い力の誘導って実際どうなん」「そもそも基礎物理学って魔法現象絡まないのが大前提だからなあ。寮長式のビーム加速もギリよ。それ理由に採用見送ったとこもあるし」「誘導は成功してる、はず。少なくとも観測上は」──「魔法絡んだ時点で参考レベルにしかならんのが……。その所為で先行研究もほぼないし」「ゆうてこれ結果次第で素粒子系の学会持ってくんでしょ」「許されるんならな」
「おい、ビーム強度85%まで来たぞ」
「了解」
必要とされるエネルギーの莫大さに比べ、この手の実験は驚くほど静かだ。1GeV近くまで加速され、可能な限りに細く絞られた電子ビームも、イデアたちが直接目にすることはない。目標エネルギーに対応する速度で規定距離を通り抜けた電子が辿り着いたはずの時刻に合わせて、次のステップは自動的に始まる。
光速近くまで加速された電子は魔導エネルギーとイデアの魔力を吸い出して起動した強い相互作用反応固定魔導式の影響下で鉛原子核中の中性子を一つ選び出す。負電荷第一世代クォークが負電荷第二世代クォークに変われば、n → Λ置換鉛の生成が完了。
「K+中間子検出確認、時間停滞術式起動済みです」
実のところ、その言葉が発された時には全て終わっていた。
ピコ秒単位の寿命の間に全段階を詰め込み、また検出結果を分離することは、魔法士界の異端児たちの技術をもってしても難しい。イデアたちはその代わりに、その寿命を自分たちの視点でだけ引き延ばすことにした。
それでも辛うじてミリ秒の単位に届く程度でしかないが、素粒子・核物理の領域でそれは永遠にも等しい。再びイデアの魔力を吸い出した魔導の産物は、精霊銀合金の導線を伝って真空中の試料まで届く。
208ΛPbのΛ粒子、時間を数千倍以上まで引き延ばされたフェムトメートル以下の存在の、そのまた更に内部に魔法という名の侵略者が迫る。第一世代クォークの、ダウンをアップに。ころりと放り出されたπ-とアップ、アップ、ストレンジ。それから82の陽子と125の中性子。魔法現象なしには生まれない、シグマ・ハイパーな鉛原子核──至極不安定なそれを、さらなる魔法が留め置く。「状態を固定する」それだけの魔法。この学校の生徒なら一年生でも使えるような、単純明快で直感的で──いっそ暴力的なまでの、物理を侵食する子供の妄想。
人が認識するには短すぎるが、機械が判別するには十分すぎるだけの時間がすぎて、全ての魔法が解かれる。途端に崩れるΣ粒子の残照まで確実に、取りこぼしなく測定器は飲み込んだ。整列した鉛原子の群れにたった一つだけ、いつか気紛れのように崩壊するのだろう208ビスマス原子核を残して、測定は終了した。
「お疲れ様。拙者部屋戻るんで解析する子は好きにしてね」
───***───
逃げ帰るようにして弟が眠る部屋に戻ったイデア・シュラウドは、別段その夜に終わらせるべき何かがあったわけではない。眠らなければならないわけでもない。ただイデアは──それを聞いたものの大多数は驚愕を露わにするのだったが──理学の徒であると称されるのを嫌っていた。ただ世界の真実の姿を明らかにするためだけの試みが、不可能であることの証明を可能であることの証明と同じくらいに重んじる行為が、人の可能性を殺していくようにも思えて、苦手だった。その実現し得ない全てを想像力を具現化する術が叶えてしまえると、神威を継ぐものたる彼は知っているから。
イデア・シュラウドは工学者であって、ハイパー核探索なんてのは間違っても専門じゃない。努力家の後輩の方がよっぽど詳しいか知れない。ロマンがあるのはそりゃ認めるところだけども、イデアの手は巷で言われるほど長くはないのだ。宇宙の真理なんて、弟の実在に比べたら部屋の埃みたいなものだった。
果てない星の海、始まりの極点、そういうものは誰か他の、十年でも二十年でもプロジェクトに関われるような人間がやればいい。二つの白色矮星が本当に中性子星になるのかだとか、重力にしか囚われない不毛なニュートリノの実在性だとか、そういうことは誰か別の、地下より宇宙に近い存在が確かめればいい。夜の暗がりに英雄の明るさを見いだせる誰かにこそ、自然のヴェールを上げる栄光は相応しい。
「それとも、」
こんな自分さえ、魔法は変えてしまえるのだろうか。変えてしまえるのだろう。陰を陽に、奇怪さを愛嬌にさえ変じて、美と真を互いに善と同一視することすら──それを、ただ誰かが信じられさえすれば。思い描けさえすれば人の心でさえ、金と鉛の矢で貫いてしまえるのが、魔法というものだった。
この現実世界が、信仰に好き勝手されるものなのだと、イデアたちはたっぷり四年も掛けて教わる。だから慎重になる必要がある──なるほど。だから正しい扱い方を習得する必要がある──一理ある。だから魔法士には国際資格が定められた──当然ですな。それで、「そうしていい」理由は?「そうしなければいけない」理由は?拙者が「この学校に来ない」という選択肢を与えられなかったことについてどうお思いで?──そんなことを言いながら「魔法なんてないほうがいい」と言い切れないことに、一番腹が立つ。
魔法がなかったらイデアはきっと、弟を諦めることができた。彼が不可逆に失われたことに、きっと納得してしまった。そうして今よりももう少しだけ、陽の光に近いところで生きていたと思う。他愛のないおまじないのような人肌の幸福を、「仕方がない」と受容したのだろう。それを「乗り越えた」の呼ぶのなら、けれどイデアは永遠にこの奈落の淵を彷徨うので構わなかった。
オルト・シュラウドの永遠を、他の誰かが定義するくらいなら地下と夜の狭間から逃げ続ける方を。イデア・シュラウドの幸福が、弟抜きで成立することを認めるくらいなら悲嘆と苦悩の河に沈む方を。
ここに、この部屋に、自分が今たった一人なのだと認めるくらいならイデアは、天と地の外に漕ぎ出して二人で3ケルビンの暗黒の中凍ることを、選ぶ。