二月のある日、仕事場から仕事場へ歩く宮本フレデリカとプロデューサー。偶然見かけたコーヒースタンドに、あたたかいものを求めて立ち寄ると……。

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エクストラ・ワン

 朝は青いばかりだった空は、昼に近づくにつれ鈍い色の雲にふちから覆われていった。午後も二時を回ると太陽は取り囲んでいた雲にすっかり飲まれて、冷えた風が子供のはしゃぐ声といっしょに地上を走り回っている。

「午後は天気が崩れるなんて、まさかと思ったけど当たるもんだなぁ」

「すごいでしょ、プロデューサー?」

 撮影スタジオからテレビ局への道すがら、雨模様の空を見上げつぶやくスーツの男にフフンと鼻息をかけるのは、気象予報士でもニュースキャスターでもなく宮本フレデリカだ。いま一九歳の推定少女がオーバーに肘と胸を張れば、豊かな二つの丸みが起毛のコートを持ち上げ、真冬の風の飛びこむ隙間を広くする。ひるがえる裾と競うようにフレデリカが身体と声を震わせた。男がからかうように小さく笑うと、ひと懐こい猫のような笑顔をレモン色の髪の推定少女は返した。

「あったかいものでもなにか飲もうか」

 角に張り出したコーヒースタンドの看板を、ジャケットの腕が指した。カフェラテ、モカ、ホットチョコ、アップルティーにココアパウダー、シナモンジュース、抹茶のコーヒー、トッピングはマスカット。フレデリカの謎のメニューにスーツの男は困り笑いの首をかしげる。かしぐ首の角度の深さと彼の跳ねた髪の毛を、ひとによっては人間というよりもミミズクのように見るかもしれない。思いつく言葉を鼻歌にのせてフレデリカは、首の見えざる鈴を自慢して揺らす軽やかさで、スタンドのドアマットを踏んだ。香ばしさと甘さをたっぷり含んだ空気が、金色の子猫と砂色のミミズクを出迎える。

「ご注文おうかがいします」

「煮えたぎるバナナラテをダブルグランデでくださいなー」

「ねぇ~、店員さん困らせないでぇフレちゃん」

 ミミズクの注意に反して若い女性の店員は“本物のフレちゃんだあ……!”と感激しきりで困ったようすはない。フレデリカは無言のとぼけ顔で彼に返事をした。片眉を上げて虚勢の笑みを作るその横顔を、こんどは店員が打つ。

「サイズはグランデまでとさせていただいておりますが煮えたぎるのは可能となってございます!」

 目を点にするミミズクをよそにフレデリカはサイズ変更を諒解して、“あっそうだ”と追加の注文をつける。

「ストローは二本でお願いしまーす」

「煮えたぎってんだよねフレちゃん?」

「と、当店はプラのストローではなく、厚手の紙を使っておりますので、ととと溶けたりはしません! ご安心してお使いいいただけます!」

「紙だってもたないでしょ!」

「有料となってしまいますがアルミもございます!」

 変な店にはいってしまった。ミミズクが泳がせた視線を金髪の笑い猫がふさぐ。

「どうするのこれ」

「楽しくなってきたね」

 視線で会話していると、レジを打つ店員が手を止めた。

「あっ、でもストロー……って」

 二組の期待の視線が店員に向けられる。一組はやっと正気にもどったかと、もう一つはどこへ話が転がるのかと。

「お、お二人でシェアですか!? いいんですかそれ! どっ、どんなご関係ですか!?」

「ホンモノと影武者だよ~」

「ぜんぜん似てないっていうかかわいくも美人でもないですけど務まるんですか影武者!?」

「どうだろうねえ。修行中だからねえ」

 絶望感に値段がついたらラテの代金にお釣りをたんまりもらっていいくらいだ。かいのないことを考えながらミミズクが会計を済まる。バリスタが二人を呼ぶまで、そう時間はかからなかった。

「煮えたぎるバナナラテ、グランデのお客さま~」

「はあ~い」

 カウンターで渡されたのはたしかにグランデの容器で、黒いプラスチックの蓋からかすかにバナナの甘い香りとコーヒーのアロマがしている。ミミズクはストローがないことに安心し、カップの周囲五ミリの範囲で中身の熱さを主張する陽炎に口許をゆがめた。フレデリカはその逆である。

「ホントに煮えたぎれるんだね」

「その場のノリのてきとうな返事であってほしかったなあ」

「ああ、ふだんはしてないんですが、うちの店長がフレデリカさんの熱烈なファンなので……」

 フレデリカの言葉の多くが冗談なのだと、店長はわかっていてもアルバイトのバリスタには伝わっていなかった。眉根だけ寄せたミミズクがコートの細い肩をやさしくたたいた。

「もうちょいわかりやすい冗談をいおうねえ」

「うーん、がんばりま~す」

 顔の横に両手でピースサインをする姿は、なるほどわかりやすい冗談である。スリーブを二枚重ねようとするミミズクの手が止まったのは、それを叱るためではない。

「こちら店長からのサービスとなっております」

 赤と青のストローが一本ずつ、薄い弁を押しのけて飲み口に突き立てられたのだ。フレデリカもとっさのリアクションができていない。すぐさまストローのまわりの空気は駆け登ってきた熱でゆがむ。

「ど……どういうつもりだぇすか!?」

 声を荒げかけたミミズクの軌道修正はどうにか成功した。レジ打ちの店員がぐっと親指を立てるのが二人の目に映る。まさかあれが店長なのか。乗ってまずい冗談くらいわかっとけファンなら。ふたたび脱線しそうになるミミズクの口よりも、しかし、フレデリカのほうが早かった。

「どっちがフレちゃんのー?」

 白い手を大きく振っての質問に、店長らしき女は一秒ほど固まった。ボケを捻り出しているな、とミミズクの目が白む。

「早いもの勝ちです!!」

 

 ……雨模様の街を並んで歩く二人のあいだから、白い湯気がたなびく。プロデューサーの手にした巨大な紙カップから、甘い香りとともに立ち上っている。蓋がないのは、アルミストローの二本ともを占有したフレデリカが蓋ごとそれを引き抜いてしまったからだ。二人ともたがいの側にカップとストローを持ち上げ、反対の手にかばんを揺らして、飲める温度になるのを待つ。やがて湯気の、出るはしから冷えた風に飲まれて消えるほどになると、フレデリカが蓋とストローをカップにとりつけなおした。

「ん~、アツアツ」

「大丈夫、フレちゃん? 火傷しないでよ」

 返事の代わりにトマト色の舌を大きく出しながら、フレデリカはバナナラテのカップをスリーブのなかで回した。口紅のついた二本のストローを向けられたミミズクが唇を巻いて作り笑いをする。

「ストローで飲むのこれえ?」

「おやおや? プロデューサーさんは恥ずかしがり屋さんですかな?」

「猫舌なのぉ!」

 ありもせぬカイゼル髭を撫でるしぐさでフレデリカが下からミミズクのおどけて嫌がる顔をのぞいた。真冬の空気を三ミリほど歪めるストローに情けない顔をしながら一口吸い、飲みこむ。フレデリカは拍手をした。我がプロデューサーの勇気をたたえて……ではなく、鼻から白い息を吐き出したのが面白かったからだ。

「およっ」

 笑う金髪の子猫の鼻にひやりとしたものが触れた。ミミズクもおなじように天を仰ぎつぶやいて、かばんを肩にかけた。雨だ。片手と小指で折りたたみ傘の袋と紐を外したまではいいが、彼の手はそこで止まってしまった。

「フレちゃん、ラテ持って」

「傘開かないの?」

「残念ながらジャンプ傘じゃあないんだよねえ」

 手動で開く傘はとにかく軽い。かばんに折りたたみ傘をつねに忍ばせておくのが一般的な社会人ならば、開閉の手間を引き換えに負担の少ないものを選んだものだ。ただいまは片手がふさがり、その選択を少しだけ後悔するミミズクである。

「フレちゃんさ、ちょっとラテ持ってくれない?」

「はいはーい」

 フレデリカの白い手は彼の期待に反して、ラテのスリーブをつかむ手を上から握った。半端に骨の開いた傘を、ミミズクがフレデリカの顔の前で揺らす。雨粒は細やかだが冷たく、髪に水滴を作りはじめている。

「……傘開きたいの」

「フレちゃんにおまかせ~」

 明るく答えてフレデリカは折りたたみ傘の先をひっぱった。プロデューサーが慌てて、小さいハンドルを握りなおす。一本ずつ親骨を開いて固定する。

「バナナみたいだね」

「ここまで赤いのあったかなあ」

 ろくろをつまんで引き上げる。ルビーを溶いたような赤から落ち着きのある黒へグラデーションする傘地が円く広がった。

「ありがたいけどフレちゃん、いまきみ腕三本ない!?」

「働いたあとのコーヒーはおいし~」

 とくいげに、さっきのプロデューサーのまねをして、フレデリカは鼻から白い息を強く噴く。

「フレちゃん、こんどこそラテ持って。傘こっちの手で持たないときみがずぶ濡れになる」

「おーうプロデューサーやっさしーい。でもねー、ラテはプロデューサーが持ってて。フレちゃんは熱いの、口は平気だけど手はだめなんだ~」

「ほんとかよ」

 声ではなく顔でそう返事をするミミズクだったが、それはフレデリカには届かなかった。カップを掴む彼の手から細い指をするりとほどくと、大股に彼の前へ出たからだ。レモン色の頭を傘の親骨のもたれさせる。それが横へよけると歩みをゆるめて、ジャケットの胸に頭と背中をぶつけた。

「ジュウニヒトエ!」

「それは和服だよフレちゃん」

 前後に並べばそうそうは濡れない。呆れたような嬉しそうな低い声をつむじのあたりに聞いて、フレデリカは笑った。彼女が自分の傘をもはや愚問である。ハンドバッグは折りたたみ傘をいれられるほどのサイズではなく、持っていたとしても出さないほうがいまはきっと楽しいからだ。

「二人だからヒトエが二つ……ダブルヒトエ」

「目の話かな」

「一二人羽織」

「腕長くない? 四人目くらいから妖怪じゃあない?」

 雨がために空気はひときわ冷え、中身の減ったカップのラテは猫舌にも気にならないほどぬるくなっていた。背後に聞く二口目が長いことに危機を感じたか、フレデリカが自分も飲みたいと仰け反る。

「そのポーズで?」

 などと訊くと頷きそうに思い、プロデューサーはラテのカップを前へ差し出した。傘と、ラテと、フレデリカとプロデューサー。一列になって歩く道に靴音が明るくひびく。ラテの容器が空になっても、笑うフレデリカにつかまえられて四者一列はくずれなかった。

 

 

(了)




※pixivにも同じものを投稿してあります。

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