ミストルティン・獣刻・ドリュアスは早朝、チョコレートを作っていた。
自分の力で、しっかりとしたチョコレートを準備できるように。
自分らしいチョコレートとは何か、ミストルティンが考えるお話。
※ロストラグナロクのミストルティンを題材にしていますが、マスターを登場させていません。また、オリジナルの隊の設定となっています。その為、ロストラグナロクやインテグラルノア本編の奏官とも関係がないミストルティンとなっていますので、あらかじめご了承ください。
全て自分で作り上げてしまおう。
そう思って、私はバレンタインの日に行動することにした。
時刻は早朝。まだ日も出ていない時間だ。他の隊のみんなは眠っている。
用意したのは、魔力で成長させたカカオの木から収穫したカカオ豆に、砂糖。その他甘味に纏わる具材をいくつか。
カカオ豆を用意するのは簡単だった。商人から購入する必要もないし、うまく努力すればいいだけだから。ただ、その後の作業がいくつか時間がかかっていた。
「……若干、手間がかかりますね」
大切な人にあげるチョコレートという観点で言うなら、その工程も愛情になるなんて言えるかもしれない。けれども、私はそうした手間はなるべく他人に見せたくはなかった。
(わざわざ、こんなことして、なんて言われたくないですから)
この行動にどれほど意味があるかはわからない。
もっと手間がかからないやり方があるのもわかっている。
けれども、自分で原材料から用意できるなら、きっちりと一から作ってしまった方が想いが伝わるのではないかと思った。……うまくできたらの話ではあるけれども。
「作れない、なんてことはないはずです」
用意したカカオ豆をきっちり洗っていく。
繰り返し、繰り返し、洗っていく。
作業していることは間違っていないけれども、ひたすらに地味なことをしている。
他の隊のみんなは、市販のチョコレートを湯煎して作るなんて言っていたのに、私は目立たない作業をしている。
(……むしろ、安心するかもしれません)
作業している最中に話しかけられるのもそれなりにストレスがかかる。上手にできているチョコレートを見ると、劣等感に苛まれる。それらの事情を踏まえて、目立たない工程があるのはありがたいように思えた。
適度に準備が整ったのを確認し、次に移る。
熱を加えて、長時間焙煎するのだ。
移動して、目立たないように、使われていない調理場まで移動する。
現在時刻は早朝。まだ、起きている方は少ないのもあって、調理場に入る人影はいない。
調理器具をそれぞれ調べる。……大丈夫そうだ。火も問題なく通せる。
「しっかりと焦がしていかないといけませんね」
長時間、カカオ豆の加熱乾燥を行う。
これも時間がかかる。バレンタインらしい華やかさはないかもしれない。それでも、問題ない。私が作ったという事実が大切なのだから。
(私が作った、私だけのチョコレートなんて言い方はいやらしいかもしれませんが……)
事実として、そういうものを用意しておくと安心できると思ったのだ。
他のみんながしていないことをしたい、というわけではない。私だからできたものがあったという事実が欲しかったのだ。
自分でも少し呆れられるようなことをやっているという自覚はある。それでも、作りたかった。それだけだ。
繰り返し、じっくり時間を経過させる。
早期に動いているのもあって、悪目立ちしていないだけ幸運だと思う。
「……そろそろ大丈夫そうですね」
焙煎作業が終わったことを確認し、ボウルに移す……前に、再び地道な作業が待っている。
「殻など、しっかり取り除かないといけませんね」
カリカリになったカカオ豆をそれぞれ丁寧に剥がしていく。
当然、これも地道な作業だ。
華やかではないし、盛り上がることもない。
黙々と行っていくことだ。
静かに、丁寧に作業を進めていく。
香りはチョコレートらしさを感じさせるものの、まだその形になるまでは遠い。
何回も繰り返すことが大切だ。
チョコレートを売っている商人のことを尊敬しそうだ。こつこつとした作業を効率化できているというのは、成長しているということ。変化を感じさせる。
……全部のカカオ豆の殻などを取り除いたのち、ようやく次の作業に移れるようになる。
「……さて、頑張らないといけませんね」
手動で行う場合、この作業が辛いということが多くの文献に乗っていた。
カカオ豆を磨り潰していく。
すり鉢を使って、徹底的に、潰していく。
体力そのものについては問題はないものの、この工程もひたすら丁寧に行うことになっている。どんどん、チョコレートらしくなるように磨り潰す。
こつこつ、磨り潰していく。
……少し、気が遠くなっても気にせず、磨り潰す。
砂糖を加えるのも忘れずに、しっかりと磨り潰す。
「……大丈夫そうですね」
磨り潰されたカカオ豆の様子を見て、一安心する。
しっかりとチョコレートを溶かしたような形へと変貌している。
ようやくここまで来て、一般的なチョコレートの作り方に戻ってきたような気がした。
次の作業に移り、ようやく湯煎作業に移る。
適度な温度調整、テンパリングは通常のチョコレートと同じ感覚でできる。
……もう、失敗の余地はない。
お湯をチョコレートに交らせてしまうというミスはしないし、適度に味も作業を重ねながら調整できた。ここまできたらもう後はほぼ、流れ作業だ。
覚えている感覚で、ささっと終わらせていく。慣れないことはしていないから心配はいらない。
予め用意したチョコレート用の型に入れて冷やして固めるだけだ。
これで、私ができることは全部できた。
「……少し、後日に響かないように仮眠しておきましょうか」
チョコレート作りに集中しすぎて、日常が疎かになるのはよくない。
そう思い、寝室まで赴くことにした。
チョコレートは冷凍してある。片付けも終わっている。心配ない。
迷惑にならないように、移動し、私は一時的な睡眠をとることにした。
「……ミストルティン、もう朝だよ?」
「朝ですか……?」
「まぁ、朝って言ってもお昼に近いけどね」
「それは朝と言わない気がしますが……」
「そう~? 起きた瞬間はいつだって朝じゃない?」
私を目覚めさせた声は、ピサールだった。
普段は彼女の方が遅く起きるのもあって、珍しいと感じる。
上体を起こして、彼女の方に振り向く。怠惰な態度は相変わらずだと思うけれども、眠たげな様子ではなさそうだ。
「……昼あたりの時間ということは、そんなに眠っていたということになりますね」
「うん。わたしより熟睡してたかな~」
「……そうですか」
私生活が少し乱れたと思い、反省する。やはり無理をするのは良くないかもしれない。
「珍しいよね、ミストルティンが寝坊って」
「恥ずかしい限りです」
「特別なことでもしてたんじゃないの~?」
ぼんやりしている様子に見えて、ピサールはかなり察しがいい。
言ってもいないのに、なにかしていたことをわかっている。
「……何もしてませんよ」
「本当に?」
「……そうですね、他の方もするであろうことに近いことはしていた、とだけは言っておきます」
「まどろっこしい言い方するよね~」
「それで何か言われるのも面倒ですから」
「何も言わないって」
「……心配なだけです」
適度に眠気が取れたことを確認して、再び行動を再開する。
普段の服装に着替えて、これからやれることを頑張るだけだ。
「あっ、着替えるの?」
「その予定です」
「ここにいてもいい?」
「……なにか、見たいんですか?」
「う~ん、正直どうでもいいかも。ミストルティンの服ってわたしより暑そうだな~って思うくらいかな」
「……寒い時期にその言葉が出るのは変だという自覚はありませんか?」
「え? 思わないけど」
彼女と一緒にいると調子が変になりそうだ。
そう思いながら、私は身支度を整えていった。
「バレンタインデーのチョコレートは用意してあるの?」
「一応用意してあります。冷やしている段階まで終わらせてあります」
「流石ミストルティンっ、やれることはやってる~」
「……そういってピサールも用意しているんですよね」
「まぁね。適当に作るのならできるから」
「羨ましい限りです」
ピサールがお菓子作りできるというのはよく知っている。
基本的に動かない彼女でも、いざ動くとなったら美味しいものを作る。それは隊のみんなが知っていることだ。
「友チョコとか、本命チョコとか、なんだか意識してたりする?」
「……してませんよ」
「してるんだ」
「してませんからね」
「表情に出るからからかいやすいよね、ミストルティンって」
「馬鹿にしていますか?」
「ん~褒めてるかも」
ピサールと一緒にやってきたのはチョコレートを冷凍している場所。
彼女もどうやら取り出す段階だったらしい。
「こう、口移しとかでとろっとしたチョコレートを渡したりするのって面白そうだよね」
一瞬頭で想像して、固まる。
あまりにもそれは過激な気がする。
「……面白くないです」
「そう? 顔真っ赤だけど」
「はしたないだけです」
「ミストルティンは興味ないの?」
「……ないですっ」
自分からやってみようという気持ちには少なくともなれない。
もしもされたら……ということを考えると、不思議と心拍数があがってしまうけれど。
「素直だよね」
「……もっと素直な方がいると思いますが」
「意外と上位かも?」
「そうなんですか」
「まぁ、わたしの中ではだけどね」
お互いにチョコレートを取り出しあい、状態を確認する。
変なことは起きていない。大丈夫そうだ。
「その調子だとミストルティンも大丈夫そう?」
「ピサールも問題なさそうですね」
「まぁね~」
隊のみんなに配れるように、一定のチョコレートは用意出来ている。不足はない。
私が作ったチョコレートを味わう。
……普通のチョコレートより、苦みが強い。それでも、しっかりとした甘さも後からやってきている。誰もが食べれない、という味ではなさそうだから大丈夫だ。
「ねぇ、ミストルティン」
「なんですかピサール」
彼女の方に振り向いた瞬間、私の口に彼女の指が咥えられた。
「ふふっ、ハッピーバレンタイン~」
……いや、咥えられたのは、彼女のチョコレートだった。
急だったのもあって、完全に固まってしまった。
舌で触れるピサールのチョコレートの味は、甘かった。とても甘くて、わざとらしく蠱惑的に微笑む彼女の姿すら、甘く感じた。
「ピ、ピサールっ」
うまく言葉が思い浮かばず、いつもより声が上擦った。
そんな私を見て、彼女は悪戯っぽく笑っていた。
「……やっぱり、ミストルティンをからかうのって楽しいかも」
私の口に咥えさせた指を舌でそっと舐めながら、ピサールは相変わらずの調子で私を見つめていた。
「……私以外の方に、似たようなことをしたら少し軽蔑しますよ」
「それって、私だけ見て~みたいな?」
「違いますよ。ただ、単純に……そういうことを繰り返してるのを見たら……少し、残念な気持ちになるだけです」
もやもやするというのは言葉にするのは難しい。
ただ、なんとなく、私以外の相手にも同じことはしてほしくないとは思った。それだけだ。
「大丈夫だよ」
そういって、彼女は私の耳元に口を寄せる。
「ミストルティンだけの、特別だから」
くすぐったいことを言葉にして。
「……勘違いしてしまいますよ?」
繰り返される言葉に対して、踊らさせているような感覚に陥る。
なんていうか、いつも私は彼女に振り回されている気がする。
「まぁ、ミストルティンと一緒に居たら楽しいって言うのは間違いないから、勘違いじゃないと思うよ~」
そう微笑むピサールは普段通り、という様子。だけど、少しだけお酒を呑んでいる時のように顔が赤くなっているような気がした。
「……それなら、構いません」
「そうだ、チョコレート、ミストルティンのも貰っていい?」
「いいですよ」
そういって彼女は私のチョコレートも味わっていった。
「……苦いね」
「原材料から作りましたから」
「でも、ちょっと甘いかも」
「食べられない味ではありませんよね」
「うん、大丈夫。でも、このチョコレートのなんだか……」
「なんですか」
ピサールの言葉を待つ。
少しだけ緊張しながら、次の言葉を。
「なんだかミストルティンっぽい味かも」
「……どういうことですか?」
「真面目で、ちょっと苦い表情になったりするけど、打ち解けると甘い一面も見せてくれるみたいな~」
「つまり、私らしいと」
「そうなるかも」
のんびりとした様子で彼女はそう言った。
それを聞いて、私はほっとした。
「……安心しました」
「感想を言っただけだよ?」
「しっかりとしたものができたという事実が嬉しかったんです」
私だけのチョコレートを作ることができた。
それを味わってもらえた。
それだけでも、私は幸せだ。
しっかり作ってよかったと心から感じられる。
「……ピサールに最初に食べてもらえて、よかったかもしれません」
「どうして?」
「……なんだかんだで、私のことをよく見てくれますから」
「だったら、これからも一緒にいようかな~」
「……好きにしていいですよ」
「やった」
彼女と私の距離は独特かもしれない。
けれども、これでいいのだとも思う。
怠惰なピサールに、生真面目かもしれない私。不思議な関係性でも、うまく対話しあえている。これからも、平穏な日々が続けばいい。心からそう思う。
「じゃあ、配りにいく? チョコレート」
「そうしましょう」
今回のバレンタインデー。
少しだけ、自分の気持ちに素直になれたような気がしていた。