"個性"ゴキブリ 作:ゴッキー
合宿2日目AM5:30
朝食もそこそこに眠い目を擦りながらA組の面々は屋外に集められた。
理由は"個性"を鍛えるためだ。雄英入学以降、様々な壁を超えてきた彼ら彼女らだが、それで身につけたのは経験と身体能力、技術だけだ。
"個性"そのものはそこまで鍛えられていない。
そのため、その"個性"を鍛える。いわば、個性伸ばしだ。
"個性"も身体機能である。筋肉同様に酷使すればその分鍛えることができる。
しかし、仮免取得など、2年以降のカリキュラムを前倒しにするためなのだが、本来は体の成長に合わせて行う訓練だ。無理矢理、前倒しすれば、地獄のような訓練という形でしわ寄せが生徒を襲うことになる。
例えばバッテリーから常に電気を送られ、頭皮から血が出てももぎもぎをむしり続け、糖分を摂取しつつパワーを出し続ける。
己の肉体の限界以上へと追い詰め続ける地獄の訓練だ。
無論、それはかぶりも行う事になる。
彼女の訓練は探知能力と運動能力の強化だ。彼女を取り囲むように設置された8台のピッチングマシーンが絶え間なく、かつランダムで放つ豪速球(変化球あり)をかわすというものだ。
その球速も球種も球数も凄まじく、いくらかぶりでも避けきる事は難しい。
だが、この地獄の訓練はそれだけでは無い。
ピッチングマシーンとは別に4台の巨大扇風機が四方から暴風を絶え間なく送っているのである。ピッチングマシーンの球が問題なくかぶりの元へと届く程度の風だが、それでも、彼女の探知を阻害するのには十分である。
「むりむりむりむりぃぃいいいいっ!」
かぶりの悲鳴が訓練場に響き渡る。しかし、ここはすでに阿鼻叫喚、特に違和感なくその声は周囲に溶け込んだ。
「ぁああ!」
放たれる無数の球と、吹き荒れる暴風。そんな中、かぶりは決められた範囲内を動き回る。かわしてかわして、かわしまくる。
上下左右、避けまくるが、ピッチングマシーンは不思議なことに照準を自動的にかぶりの方へと向ける。
もはや、ピッチングマシーンではない。自動照準機能が搭載した狙撃機だ。そんな文句を呑み込みながらかぶりは球をかわし続ける。
だが、
(……あ、フォーク)
球の軌道の下を潜り込むように避けた瞬間、軌道は急激に落下した。野球に詳しくないかぶりとて知っているメジャーな変化球の一つ。フォークボール。真っ直ぐに見せかけて、急激に落下する。
気がついた時には遅い。球はかぶりの背中へと直撃した。
その衝撃で動きが一瞬だけ止まってしまう。その隙をピッチングマシーンは自動的にかぶりを狙い、一斉に射撃した。
当然、かわせない……。
「ったぁああぁ!」
かぶりの悲鳴がこだました。
◆
PM4:00
A組一同はカレーを作る事になった。
飯田はなにやら理由を深掘りしているが、かぶりはそんな深い意味があるように思えなかった。
とはいえ、ふらふらで全身痛くてもご飯は作らなくてはならない。とはいえ、家で家事担当しているのはかぶりである。カレーくらい簡単に作れる。
「へぇ、沖って料理、上手いんだ。」
普通に手際のいいかぶりに響香はそう呟いた。その呟きにかぶりは少し照れながら答えた。
「か、家事は私の担当だからね。それなりの事はできるよ。めちゃくちゃ上手くは無いけど、家庭料理としてなら普通レベルだと思う。」
そのかぶりの自己評価はその通りである。才能マンの勝己などと比べたら、そこまで上手では無い。
というよりも彼女が身につけたのは料理では無くて家事だ。いかに調理を簡単に終わらせるかを考え、洗い物をしながら料理を進め、食材に火を通す時間に、他の家事を終わらせる。これが彼女のスキルだ。
そんな中、ふと、かぶりはこちらを睨む洸汰の存在に気がついた。
何かを話したい、
何かを伝えたい、
そんな想いが溢れ出すが、それが何かは未だに分からない。けれども、きっと、大勢の前で話せることでは無いだろう。
(1人になった時に……。)
そう思い、今はカレー作りに集中する事にした。
「うぉ! 店屋なら微妙だけど!状況的にうめぇ!」
切島の言葉通り、正直、状況を考え無ければカレーは微妙だった。
大きな問題点として焚き火をうまく調節できない事にあった。火が強すぎると近寄れず混ぜられないし、轟には任せられないし、弱まってからだと火力も焚き火も足りない。
それはそれとして、
(アレは、コータくん?)
かぶりは洸汰が夕飯を食べずに1人で森の中に入っていったことに気がついた。この森については自分らよりも彼の方が詳しいことは彼女も知っている。しかし、それでも、小さい子どもがこんな夜に森に入るのは危なすぎる。
それに、2人になれれば何か話せるかもしれない。
「ごめん、ちょっと出かけてくる。」
クラスメイトにそう言って2人分のカレーをそれぞれの手に乗せて(持ちにくいが吸着すればなんとかなる)、かぶりは駆け出した。
その光景をトイレから出てきた出久は見ていた。
(洸汰くんと、沖さん?)
彼もまた、洸汰を気にしていたため、2人を追いかけた。
洸汰が向かっていた先は山であった。山頂では無いがそれなりに高い場所で崖の近くに腰を下ろしていた。近くには洞窟があり、空気の振動からいってそこまで深い訳ではない。彼はお腹をすかせているのか、腹の虫が鳴っている。
「こ、コータくん。お腹、空いてるでしょ? カレー、食べなよ。」
かぶりはそう言いつつ洸汰に近づいた。いきなり話しかけられた洸汰はビクッと立ち上がり、慌てた様子で言い返した。
「て、テメェ、な、なんでここが分かった!」
「ご、ゴキブリだから?」
「意味わからねぇ!」
洸汰はそう叫んだ後に、舌打ちをして座り直した。
「いらないよ。言っただろ。つるむ気はない。俺の
秘密基地、その言葉にかぶりはなんだか懐かしかった。
だから、かぶりも1人になれるところを見つけ、いつのまにかそこから出る事がなくなった。もし押入れから出て打ち解ける努力を持っていれば、あそこまで酷いことにならなかったのかもしれない。と、かぶりは一瞬だけそう思った。
「秘密基地か、私は押し入れの中だったな。」
その返しに洸汰は少しイラっとしたのか、ギロリと睨みつけた。
「"個性"を伸ばすとか、張り切っちゃってさ、気味が悪い。そんなに力をひけらかしたいのか」
「ひけらかしたい、か。私は、誰かが傷ついてる。助けられない犠牲っていうのが嫌なだけなんだ。………………。私もね。
「……え?」
かぶりのその言葉に洸汰は言葉を詰まらせた。
ヒーローという気味の悪い存在を目指す、よく分からない人たちだと思っていた。しかし、それが突然、自分と同じような境遇だと語られた。
訳の分からない存在が、自分と同じだった。
そして、勝手に
そんな洸汰を他所に、というか、何を話すのか纏めるのに必死で洸汰の様子に気を配る余裕のない、かぶりは勝手に話を進めた。
「えっと、実はマンダレイから君のこと、少し聞いちゃったんだ。それで、気になっちゃって……。なんていうのかな? 君の気持ち、分かる、なんて言えないけど、知ってるんだ。両親がいない悲しさも、親戚の家………。他人の家で暮らす寂しさも……。家族になんて、簡単にはなれるわけがない、ってことも」
「…………。」
不思議なもので、一度話し始めると、纏まっていなかったはずの言葉がスラスラと出てくるようになった。すると、洸汰のことを気にする余裕も出てきた。
彼は下を向いており、何を考えているのか分からない。しかし、先程までの悪態はつくことはなく黙って聞いていた。そんな様子に、どうしたものかと考え、手に持っていたカレーを洸汰に差し出した。
「…………親近感湧いちゃって……。友だちって言ってもさ、みんな本当の両親がいて、温かな家庭があってさ………。気を使わせるから
「………勝手にしろ。」
洸汰はカレーを受けてると黙って食べ始めた。かぶりはそれに少し面食らうと、満足したかの表情をして洸汰のとなりに座った。
「………どう?あんまりでしょ。」
「冷めてる。」
「ははは……。けど、ここは良いね。広くてさ。私の秘密基地は押し入れだったから、どうしても周りの声は聞こえたから……。」
かぶりはそう言うと、洸汰は小さく笑った。その笑みの意味は分からないが、彼女にとってはそれだけで十分だった。
今は笑うことさえ出来ればそれでいい。根本的な解決にはなっていない。そもそも、解決できるなんて思っていない。
これは当人達の問題だ。手助けすることしか出来ない。
「けど、プッシーキャッツが訓練始めると、煩いし下手したら入れなくなるけどな。」
「あー、プロヒーローの本気の訓練すると流石に近づけないか……。」
「ああ、でも、それでもさ……。」
その先を洸汰は言わなかった。けれど、かぶりにはなんとなく理解できたのだ。
「うん、それでも1人でいたい。逃げたいんだよね。寂しいから」
「………。」
その言葉に俯いてしまう洸汰の頭をかぶりは撫でた。自分と同じだ。
きっと、経緯も想いも何もかも違う。だが、逃れられない孤独、疎外感は同じなのだ。
問答無用で信じられる存在。幼い子どもにとって両親とはそう言う存在で、かけがえのない世界の全てなのだ。
「…………私もそうだった。逃げて逃げて、全て、諦めて……。それで……。」
取り返しのつかないほど、家を崩壊させてしまった。とは、言えなかった。言ったほうがいいのかもしれないが、そんな残酷な未来を子どもに言うことは出来なかった。
(だから、せめて……。)
「…………けどね、信じたい、って思える人に出会えたんだ。その人に、出会えたから、前を向けるようになった。そしたら、友だちだって作れるようになれた。だから、きっと、コータくんも信じたいって思えるような人に出会えれば、進めるようになるよ。」
「…………信じたいって、そんな人……。どうやって……。」
「………………さぁ?」
「さぁって、そんな無責任すぎるだろ!」
「……そうだね。でも、ヒーローは
かぶりのその言葉に、洸汰も引っかかった。彼にとってヒーローは理解できない存在だ。しかし、人を助けるという行為そのものは
洸汰はヒーローを目指しているはずの彼女からそんな言葉が出るとは思わなかった。
けれども、かぶりは何でもないように話を続けた。
「私は薫お姉ちゃん……。その人から来てくれたから、見つけ方なんて分からないんだ。でも、コータくんもきっと見つかるよ。そういう人。ヒーローとか、"個性"とかそういうの差し置いても、信じたいって思える相手。………探してみるといいかもね。」
かぶりはそう言うと空になったカレー皿を洸汰の分も手に持って立ち上がった。そして、軽く伸びをした。
「私はそろそろ行くね。……。か、片付けサボったら怒られるから」
そう言うかぶりに洸汰は手を伸ばしそうになったが、すぐに辞めた。そっぽを向いて、小さく頷くだけだった。
「…………じゃ。おやすみ。コータくん」
かぶりは少し名残惜しかったが、洸汰にも1人でいる時間は大切だと思い離れる事にした。それに、
「………み、緑谷くん?だよね。」
洸汰から見えない位置までくると、かぶりは呟いた。すると、壁の影から少し暗い顔をした出久が出てきた。
「……い、いつから、気がついてたの?」
「えっと、最初から? トイレから出てきてそのまま追って来てたでしょ? ま、まだ、カレー、食べてないよね……。今から戻れば一杯くらいは食べられると思うよ。」
かぶりが洸汰との会話を早々に辞めたのは出久が離れなかったからだ。別段、秘密の会話とかでは無いし、出久なら言いふらすことも無いだろうから、いるならいるでも良かったが、夕飯を食べれなくなるのは(たとえかぶりの責任では無くても)申し訳なかった。
「……うん、」
それだけ話すと2人は山を降り始めた。その間は特に会話は無く、嫌な沈黙が流れた。
そんな中、出久は吃りがちに口を開いた。
「あの、沖さん。さっきの話……。なんだけど……。両親が、
「……うん。本当だよ。でも、心配しなくていいよ。両親のことは
かぶりはなんとも無いように言った。しかし、それでもその表情の裏に、出久は何かを見た気がした。どこか、
「……ごめん。けど、ヒーローが無責任って……。」
出久はヒーローが好きだし、憧れている。そんなヒーローのトップであるオールマイトは、まさしく神のような存在だ。そんな彼からすれば、かぶりの発言は聞き捨てならない暴言に近い。
それでも、出久は怒らない。どうしてそう思ったのかを聴くだけに留めているのは彼の人柄ゆえだろう。
「無責任? だって、ホントのことでしょ? 誰かが傷ついてからやってきて、
足を止めてそう言うかぶりに、出久は何も言えなかった。最近になって頻繁に感じる『いろんな考えを持つ人がいる』という思いが再び浮き上がった。しかし、彼女の言葉は
「でも、それなら、どうして、ヒーローに?」
その言葉にかぶりは数秒停止した。
ヒーローを目指す理由は、憧れていたから目指した、なりたかったから夢見た。言ってしまえばそれだけだ。
しかし、今はそれだけじゃない。
もっと別の理由が出来た。
「……ど、どうしてなのかな?はじめは
———ハハハ!すげぇ!まだ起き上がるのか!無限サンドバックだ!
思い出すのは筋繊維を纏った男の笑い声。そして、身体のあちこちが欠損しているのに立ち上がる女性。
そして、全身を支配する恐怖と絶望。あそこは地獄だった。
「今は、ミルコへの憧れ以上に、悲しむ人が、傷つく人を減らしたいって思ってるんだ。……誰も助けてくれないのって、本当に怖いから。」
少しずつ思い出してきたあの事件。忘れたかったあの過去。
それが頭によぎるたびに痛感する、ヒーローの脆弱さ。守り切れない人達の存在。そして……。
彼ら彼女らを少しでも減らしたい。
それが、かぶりの思いだ。
「………そう、なんだ。」
このままこの話を終わらせてはならない。そんな直感が出久の脳裏を警笛のように鳴り響く。しかし、自分の考えとかけ離れた想いにかける言葉が見つからなかったのだ。
(……そうか、私が憧れたのはヒーローじゃなくてミルコだったんだ。)
対してかぶりは出久と話しながら、ふと、そんなことを思ってしまった。それもそのはずなのだ。
「……緑谷くん。それより、早く戻らないと飯田くんに怒られるよ?」
この後、2人は特に会話無くキャンプ地へと戻った。
合宿3日目
"個性"伸ばしの2日目だ。
既に生徒達は死にかけており、今にも倒れそうな人が多い。そんな中、相澤先生は口を開いた。
「何をするにも、常に原点を意識しておけ。何のために汗をかき、何のためにグチグチ言われているのか頭に入れておけ」
その言葉はクラスの全員に響いた。無論、かぶりにもだ。
(原点……。)
思い浮かぶは、出久の背中。ヘドロ事件の時に動けなかった身体。
助けたかったのに動けなかった。
—— 目指したいなら目指せば良い。
薫によって言われた言葉。
なりたいならなればいい。たとえ、ヒーローに相応しく無くても、助けに動けなくても目指していいと。
今のかぶりがいるのはこれらのことがあったからだ。
助けにいけない自分の弱さ、そして、ヒーローとして相応しく無くても目指しても良いと言われた言葉。
きっと、かぶりの原点はここにある。
——ハハハ!まだ起き上がるのか!
男の笑いが脳裏に響く。
「あ」
とはいえ、今は訓練中だ。かぶりを狙うピッチングマシーンは相澤先生の言葉なんて気にもしないで淡々と稼働している。少しでも気を抜けば無数の球の餌食になる。
「なぁぁああああ!」
少女の悲鳴が、合宿所に響き渡った。
◆
そして、夜、かぶりはまたもや洸汰の秘密基地を訪れていた。
「で、いいのかよ。肝試しをやるんだろ?」
洸汰は本当に疑問だったためかぶりに聞いた。合宿参加者が数少ないイベントを楽しみにしていることは嫌でも伝わってきていた。そのため、彼女もその1人で、食べ終われば昨日のように下に戻っていくと思っていた。
「まぁ、ね。確かに、参加してみたいけど。私、ああいうの苦手なんだよね。」
「怖いのか?」
「その逆。"個性"の関係上、どうしても何処に何があるか分かっちゃうから全く怖くないんだ。幽霊役を逆に脅かすのもやってみたかったけど……。それよりも、今はコータくんと話したかったんだ。」
「はぁ!?ふざけてんのか!」
その返しに洸汰は少し顔を赤らめた。彼もまだ幼いが男の子である。『話がしたかった』なんて言われれば意識してしまうのは仕方がない事だ。
「………ふざけてないよ。孤児談議?って言うのかな、そう言う話ってみんな気を使っちゃうから話せないんだ。耳郎さ……。友達もどこかで気を使ってるんだ。お金のこととか家族のこととか。そーゆーのを考えないで話せるのって初めて………で………。」
普段、かぶりは自分の感じた事を素直に口にすると変に気を使わせてしまうことが多い。しかし、洸汰とは境遇が近く、幼いため別の部分で気を遣わないといけないことも多いが、それでも、同世代の友人よりもかなり本音を口に出来た。
だから、今までにないくらいに気楽に会話ができていた。
しかし、そんな時間はすぐに終わってしまう。
「………何アレ」
突如、眼下に広がる森の一部が青く燃え上がった。他の場所では白い煙のようなものが渦を描くように漂っている。
何かが起きている。その事が確かだが、あまりの事態に2人は理解が追いつかないでいた。
『皆!!!
マンダレイのテレパスが2人の頭に響いた。洸汰は何が起きているのか分からない様子だが、かぶりは混乱していた思考が一気に纏まった。
USJ事件や、授業、職場体験と、今までの経験から、彼女も成長してきている。
「———!
合宿施設への最短ルートは崖を飛び降りる事だ。しかし、空中での戦闘能力が低いかぶりにとって、見つかって仕舞えば、ただの標的に成り下がる。
それならば、時間がかかっても道を使った方がいい。
その時、空気の振動を感知した。
(誰か来る! 大きい人!)
大柄な誰かが近づいてくる。ブラド先生よりも大柄だ。こんな人物、この合宿所には居なかった。
つまりは、
「————-
小声で、そう言い洸汰の手を引いて近くの洞窟へと入った。その洞窟は入って数メートルで行き止まりになってしまう。とはいえ、隠れるには十分な広さだ。もしかしたら、洸汰の言う秘密基地の本殿はこの洞窟なのかもしれない。
(………隠れないで、崖から飛び降りた方がいいの?)
さっき捨てた崖から飛び降りるという選択肢が生まれた。
対して、この洞窟に隠れるにしても
(どっちが良い? 時間が無い。)
他にも幾つもの選択肢が瞬間的に思いついた。しかし、どれがベストなのか分からないし、精査している時間が無い。もう、
「っ!」
迷っている暇はない、と、洞窟の中に隠れる。
その直後、大男が登ってきた。全身を覆い隠すマントをつけており、深く被ったフードと、仮面により顔は分からない。けれども、そのマントでは隠し切れないほどの大柄で、おそらく2メートル以上の身長がある。小柄なかぶりや幼い洸汰からしたら巨人のようだ。
不思議とそこにいるだけで圧を放っており、かぶりに根源的な恐怖を与えた。
(………っ!はやく、早くどっか行って!……。コータくん?)
かぶりは隣で震えている洸汰の手を握り、ただ、祈る事しか出来ない。相手の"個性"が分からない。強さも、目的も不明だ。
不意打ちで一撃で倒せるとも限らないし、そもそも、戦闘行為は禁止されている。洸汰を守るためには隠れて祈ることしか出来ない。
「くそ」
男は悪態をつくとフードを外して仮面を外した。
月明かりにその素顔が晒される。左目の周辺に大きな傷跡があり、特殊な瞳孔は左目が義眼である事を物語っている。
二十代半ばといったその素顔は、仮面を睨みつけたあと懐にしまった。
「え?」
「——あっ」
その顔に2人は固まった。
『沖さん!洸汰と一緒なの?! なら! 洸汰をお願い! 洸汰!今すぐ戻って!ごめんなさい!どこにいるか分からないの!お願い!沖さん!ヒーローとして、大人として情け無いけど、洸汰をお願い!』
マンダレイのテレパスが2人の頭に響く。しかし、その声は2人には届かない。いや、響かない。今、そんな声を気にしているほどの余裕なんてあるわけがない。
「……あいつ……。」
洸汰はその顔を覚えていた。直接的な面識はなくても、ニュースで嫌と言うほど見た、親の仇だ。
世界の全てだった両親を殺した、全ての元凶だ。
「あ、アア」
嗚咽が漏れる。
かぶりもその顔を知っていた。思い出した。
10年前のことだ。男の顔立ちも変わっているし、記憶も磨耗している。だが、見間違えるはずがない。
————ハハハ! 頭が取れてもうごくのか! 面白れぇ!
男の笑い声が脳裏に響く。
————ハハハハははは
笑い声、飛び散る血飛沫。
男と出会ってすぐに動かなくなった父。身体のあちこちが欠損した母親。
(あいつは!)
忘れるわけがない。
沖かぶりという少女の運命を歪めた存在。
全ての元凶で、始まり。
「あ、あああ。な、なんで……。」
根源的な恐怖。
本能に染み付いた絶対存在。
それを見て忘れていた。忘れたかった、あの惨状を思い出した。思い出してしまった。
「お父さん……。お母さん……。」
トラウマを閉じ込める為に一緒に無くした大切な思い出達が一気に溢れ出した。力強く手を握ってくれた父の手。優しく撫でてくれた母の手。
温かな暮らしだ。
誰もが享受すべき平和だ。
楽しかった日々。
壊された日常。
「ああああっ!」
もう、取り戻せない日常だ。だから苦しいし痛いのだ。
優しかった、大切な家族はもういない。
忘れていた。
忘れていたかった。
忘れたつもりでいたかった。
「なんで、なんで……。」
今まで、心の奥底に封じていたドス黒い感情が溢れかえる。
優しかった両親。叔父夫婦。
それらが、今ままで得てきた全てを塗り潰す。
「そうか、そういうことか……。」
かぶりにとって、殺人というのが理解できなかった。
どうして人を傷つけようと思えるのか、全く理解できなかったし、したいとも思えなかった。
だが、ようやく理解できてしまった。
「………殺してやる。」
そこにあるのは純粋な悪意だ。