"個性"ゴキブリ 作:ゴッキー
これは忘れていた記憶。
忘れていたかった記憶だ。
場所もいつの事なのかもかぶりには分からない。けれど、誰も助けてくれない恐怖だけは鮮明に覚えていた。
「た、助けて! お父さん! あ、お母さん!た、たすけて! だれか!」
まだ、幼いかぶりは泣くことしか出来なかった。
何が起きたのか分からない。その日は父と母と3人で何処かへ出かけていた筈だった。しかし、どう言う訳かこの場所に連れてこられてしまった。
瞬く間に父は殺された。父は目を瞑っている間だけ思考速度を上げる事ができた。しかし、あの男の前では意味はなかった。筋繊維に包まれた大木のような腕で放たれた一撃により、父は水風船のように砕け散った。
「はっ!」
男は笑っていた。
残された母親は娘を守る為にたった1人で男に立ち向かった。彼女の"個性"は娘と同じゴキブリだ。主婦業にかまけて完全に運動不足な身体でも生命力はある。
いや、"個性"なんて関係なく、
「ハハハハハ、すげぇ! 無限に立ち上がる!永遠に殴れるんじゃねぇか!?」
男は楽しそうに笑っていた。母の身体はみるみるうちに
恐怖に囚われ、丸まって、泣きながら誰かの助けを叫ぶことしか出来ない。それも仕方がない事だ。彼女はまだ小学生にもなっていない。幼児に親を助けろなんて誰が求められるだろうか?
「頭が取れてもうごくのか! 面白れぇ!」
ついに母親の頭は取れてしまった。まるで、パチンコ玉のように綺麗に吹き飛び壁に跳ね返って、かぶりの横へ落ちた。
「あ、ああ……。お母さん!やだ、やだよ! やだぁぁあああ!」
かぶりには泣くことしか出来なかった。
全てが崩れ去っていくのを見ている事しか出来なかった。
そんな出来事を思い出した。
思い出してしまった。
「…………殺してやる。」
あふれ出す悪意。
心は既に黒く染まり、殺すこと以外考えられなくなっていた。しかし、思考は冷静に回っている。
心は熱く思考は冷たく、精神面は不思議なことに最高のコンディションだ。連日の"個性"伸ばしにより体力は回復しきれていないが、それでも、動かないことはない。
「————っ!」
体操服を脱ぎ捨てタンクトップだけとなる。
駆け出そうと、かぶりは四肢に力を入れたが、不意に右腕を引かれた。そこには、涙を流している洸汰がいた。彼は必死に首を振り両手でかぶりの腕を強く握っている。
「だ、だめだよ。行ったらダメだ。」
その表情にかぶりは一瞬だけ、黒い感情が弱くなったが、しかし、またすぐに戻る。両親を殺し、自分から全てを奪ったアイツが、今、生きている事が我慢できなかった。
「っ!」
洸汰の手を振り払い地面を蹴る。
叫び声は無い。
呼吸を止めて、歯を食いしばる。
アイツを苦しめたいという気持ちはある。しかし、目指すは一撃必殺だ。苦しみよりも、アイツの命が欲しい。
今すぐ、死んで欲しかった。
無音の一撃が男の後頭部目掛けて放たれる。洞窟を出て攻撃を放つまで、およそ1秒。しかし、その間に男はかぶりの存在に気がつき右腕を盾のようにして受け止めた。
彼がかぶりの攻撃に気がついたのは必然だった。位置関係的に、男の横顔をかぶり達は見えて居る。つまり、動かなければ、気が付かれなかったかもしれないが、大きく動けば見つかるのは道理だ。
「ハッ! 遅せぇ!」
男は右腕を振るい、かぶりを吹き飛ばした。かぶりは、空中で1回転した後に四つ足で着地した。月明かりにかぶりの顔が照らされる。それを見て男は頭をかいた。
「お前は、リストにあったな。殺せるなら殺せってお達しだ。名前は……、なんだったか、忘れちまった。まぁ、そんなことより!せっかく
男はマントを脱ぎ捨てる。そして、四肢は筋繊維に覆われ、同時にかぶりめがけて飛び上がった。
"個性"を発動させてから攻撃に移るまで、1秒もかかっていない。A組のだれよりも早く、並のプロヒーローをも超えている。
(来ッ)
わかっていても反応できない速度だった。あの、飯田天哉のレシプロバーストをも超える加速だ。それはそのまま、力に上乗せされ、掬い上げるように拳を振るった。
かぶりは訳の分からないまま、ボールのように吹き飛ばされ、壁に打ち付けられた。
「ああ、そうだった。爆豪ってガキどこにいる?」
男はかぶりに、そう聞いたが、かぶりは返事をする余裕がない。
今はクラスメイトなんかよりも、コイツを殺す事が優先だ。
(ここは平地。それに狭い。このままだと殺される。どうする? 有利になる場所。見た感じ、短気っぽい。下は森。)
かぶりは血反吐を吐きながら両手両足を壁へとくっつける。
思考はいつも以上に回っている。集中力もあり得ないほど研ぎ澄まされている。
「知らないって事で良いんだなぁ! じゃあ! 楽しもうぜ!」
男はそう言うと今まで以上に右腕を筋肉で覆い、殴りかかる。
これが、この男の"個性"、筋力増強だ。肌に収まり切れないほどの筋力で身体を覆う"個性"だ。増強型の"個性"の中で類を見ないほどの強さを誇る。
だが、幸いにして筋繊維に覆われたその腕は空気をよく振わせ、探知しやすい。それゆえに、かぶりは攻撃が放たれるより早く、回避に移れる。さらに、集中力が極限にまで上がった今のかぶりならば、更に精度は上がる。
迫る拳を潜るようにかわす。完璧だ。そして、そのままカウンターを放つ。
しかし、気がついた時にはかぶりは、地面へと潰れるように叩きつけられていた。
(何が………)
何が起きたのか理解が出来ない。攻撃はギリギリであるが回避できたはずだ。事実、彼女は迫る拳を下に潜るように回避できていた。なのに、かぶりは、まるで押し寄せる見えない壁のようなもので地面へと叩きつけられた。
本来なら訳がわからない出来事だが、すぐにその理由は思い浮かんだ。
(……風圧っ)
体育祭での轟と出久の試合を思い出した。彼はデコピンの風圧を空気砲のように放ち氷結を相殺していた。それと同じだ。
この男の場合は意図していないただのパンチの余波だが、その圧倒的なまでのパワーで空気を弾いたのだ。そんな事が可能ならば今のかぶりの回避は意味がない。たとえ避けたところで風圧がダメージとなるのだ。
「——-さすがはエリート校ってか!」
男は笑いながらかぶりを蹴り飛ばした。かぶりは数回地面をバウンドした後、崖から落ちるギリギリのところで止まった。
既に身体のあちこちにガタが来ている。全身痣だらけで、下手したら骨すら折れている。しかし、かぶりは止まらない。ゆっくりと立ち上がり、四肢で地面を踏ん張る。
その様子を見て男は目を細めた。
「……お前、何処かで会ったことあるか?」
男はそう言ったが、すぐにどうでもいい事だと思い直した。彼にとって暴力をふるえればそれでよく、自分の快楽が全てである。相手が何処の誰だとかは彼にとってどうでも良いことなのだ。
腕に残った古い筋肉を引きちぎり、新しい筋肉で包む。この動作こそ彼の弱点の一つだ。しかし、露見した所で彼に勝てる者なんてそうは居ない。
(どうする?避けても意味がない。)
無理だ。勝ち目がない。
攻撃をまともに喰らえば、生命力なんて話にならないほどぐちゃぐちゃとなる。しかし、回避した所で風圧で潰される。
無茶苦茶だ。
全て上を行く脳筋の極み。単純な増強系の極地だ。
「次はもっと強く行く。その次はそれより強く、そして次も……。どこまで耐えれるかなぁ!」
男は楽しそうに叫びながら右腕を掲げた。それに合わせて上半身がひと回り以上も大きくなるほど筋繊維に覆われる。
その姿は、まるで悪魔のようだ。人の命を喰らう化け物だ。
「———っ」
かぶりは恐怖心から一歩、後ろに下がってしまった。しかし、すぐ後ろが崖でこれ以上、下がれない。必然的にここで踏ん張るしかなくなった。
その姿に男の嗜虐心はくすぐられて、さらに笑みを浮かべた。
「ははは!」
男は笑い、拳を振るう。
かぶりもかわすが、その風圧によりダメージを受け動きを止めてしまう。
そこからはじまるのは無限に続くかのような暴力だ。
まず初めに崖から逃げないように壁の方へと投げられた。受け身を取り回避に移ろうとするが、それすらままならない速度で殴られる。
それでも這い出そうとするが、殴られる。
連続で放たれる男の拳は、まるで雨のようで、息を吐く暇もなくかぶりを殴り続けた。さらに、有言実行というべきか、その拳の威力はどんどんと底上げされていった。
そんな攻撃をかぶりはただ受け続けるしか無かった。
(あぁ、こんなんでも死なないのか)
痛みも麻痺した頭で、呑気にそんなことを思っていた。既に彼女の身体はぐちゃぐちゃだ。内臓も骨もめちゃくちゃに潰れているだろう。
手足も出ない。もう勝ち目がない。
しかし、悪意も殺意も無くなりはしなかった。
(ああ、お母さん……。)
ようやく思い出した両親が脳裏を過ぎる。
母は優しかった。大好きだった。
寒い冬なんて母の布団に潜り込んで抱きついて眠るのが好きだった。そんなかぶりを母は笑って許してくれた。彼女のお腹にしがみつくのが好きだった。
父はかっこよかった。大好きだった。
大学の先生で、難しい本をいつも読んでいた。かぶりの悪戯にいつも頭を悩ませていたが、それでも怒鳴ることはせずに優しく笑っていた。
彼の背中にへばりつくのが好きだった。
両親がいない悲しみ。
そして、それらを奪った
だれも助けてくれなかった絶望。
それら全てへの憎しみ、悪意が無限に彼女の奥底から溢れ出てくる。この感情は彼女の元からあったものだ。1人の少女では持て余してしまうそれは、トラウマと一緒に心の奥底に封じ込められていたのだ。
違う。正しくは、この感情を封印する為に、トラウマも大好きな両親の記憶も封印したのだ。こんなものを持っていては生きていけないから。
幼い少女が生き抜くには
大好きだった両親のことを忘れ、
心の奥底に眠る悪意を無意識に感じ取り別のものへと置き換えて、
ミルコへの想いを憧れ以外は見ないフリをした。
いつ崩れるかわからない感情を抱える。そんな、綱渡りみたいな暮らしはしたく無かった。だったらあのまま、助からない方が良かった。
(けど、今は、コイツを殺したい。)
血塗れになりながらも男を睨む。手足が出なくても、彼女の悪意は止めどなく溢れ続ける。
そんなおり、不意に男の攻撃は止まった。
「すげぇじゃねぇか!まだ、生きてるとか! ホントに人間かよ!」
男は笑う。
しかし、この行動は無意味なものではない。彼の"個性"は長期行動には向かない。筋繊維は限界が来ると割けてしまうのだ。そのため、再度増幅するか、限界が来る前に張り替える必要がある。
かぶり相手ならば限界まで全て使い切っても問題ないが、ここにはプロヒーローが複数人いる。いくら自身の力に絶対の自信がある彼でも、筋繊維を限界まで使用して完全無防備になる瞬間は作りたくない。
笑う男を見ながら、かぶりは起き上がる。
「はっは。殺す。絶対に殺す。お前だけは許さない。絶対だ。」
折れた骨、潰れた内臓。呼吸するたびに激痛が走り、目もほぼ見えていない。しかし、身体の奥底から力が漲っていた。
(はは、そうか。殺せって事なんだ。そうなんだね。お母さん)
この絶妙なタイミングにかぶりは不思議と笑みを浮かべてしまう。しかし、そんな状態で男は追撃をしないどころかよそ見をしていた。
「ウォーターフォース……!パパとママも!そんなふうに!」
しかし、今は
「………ふぅ、」
息を吐いて、四つん這いとなる。四肢に力を入れる。準備は既に整った。
かぶり本人の予想では明日あたりだと思っていたが、それが今だった。本当に運命的で、『アイツを殺せ』と両親から背中を押されているような気がしてならない。
その時、男はかぶりに完全に背を向けて
「————クソ」
舌打ちをして、かぶりは激痛しか感じない身体を無理やり動かして男の後頭部へと踵落としを放つ。当然のように男もそれに気がついて防御の体制に入る。
しかし、かぶりは空中で折れかけている羽を広げてタイミングをずらし、攻撃をやめてそのまま地面に着地する。
(小賢しいっ!)
その唐突な動きの変更、かぶりが初めて見せる"個性"の使い方に流石の男も反応が遅れてしまう。
その隙にかぶりは地面を蹴る。その瞬間、すぐ真後ろに拳が放たれた。それにより生まれた風圧に乗り、かぶりは一気に洸汰の元へと駆け寄る。しかし、彼を慮っている暇はない。
一刻も早く彼を遠ざけなければならない。洸汰の腹を蹴り近くの洞窟へと突き飛ばした。
その瞬間、かぶりの顔面に拳が叩き込まれ、土煙があたりに広がった。
「あ?」
男はその時、確かに殴った感覚を掴んでいた。かわされた覚えもない。目の前にいた少女の顔面を間違いなく捉えたのだ。
しかし、彼の勘がまだ終わっていないと告げていた。今まで様々な人を蹂躙し、ヒーローとも戦ってきた。その、歴戦の直感が、まだ、終わっていないと告げていた。
(どこにいる?)
周囲を見渡す。
直後、視界を塞ぐ土煙が割れ、彼の目の前に剥き出しの膝が現れた。
(膝蹴り!)
土煙で視界も悪く、さらに、義眼で視力のない右側を狙って放たれたその一撃を寸前でかわした。
その後、すぐに土煙が晴れた。そして、現れたのは1人の白髪の少女だ。服は着ていないため、スタイルが良いとはお世辞にも言えないが、それでも、女性的と言える傷一つない身体が剥き出しとなっている。
そんな彼女は地面を跳び、壁へと移った。160センチ程度の身長を丸めて近くの壁に張り付き、男を見下ろしている。
特徴的なその白髪は少しずつ黒く変色している。
(コイツ、いや……。)
横目で先程殴ったかぶりを見た。そこにあったのは抜け殻のようなモノと破けた服だけだ。
男はすぐに、目の前の少女が先ほどまでいた少女だとアタリがついた。見れば、顔つきは大人びたが、まだ面影は残っている
(急成長……。いや、脱皮……。虫の"個性"か!)
歴戦の
相手の能力をいかに早く見抜く、ヒーロー、
「面白れぇ!」
男は叫び、"個性"を発動させて飛翔し、拳を握り振るう。力任せに放たれるそれは大砲のようだ。
だが、
(この距離なら!)
かぶりは壁を這うように駆け、攻撃を避けた。あの攻撃速度は避けるのは至難の技だ。しかし、今回は距離があった。それならば、回避可能だ。
しかし、その直後、男は腕を崖に突き刺してバランスをとり、かぶりに向けて連続で拳を放った。だが、ここはほぼ垂直の壁だ。それならば逃げに徹したかぶりの方が有利である。
そもそも、男の"個性"で増強された筋肉は空気をよく振るわせ探知しやすい。つまり、先読みしやすい。
そして、何よりも、
「ははは! 遅い遅い!バーカバーカ!」
かぶりの身体は今までにないくらいに軽かった。
"個性"とは身体能力である。鍛えれば強くなるのである。相澤先生は今までの授業ではほとんど"個性"は鍛えられていないと語ったが、例外はある。
その最もな例がかぶりだ。
彼女の"個性"は基本的に身体能力に直結している。走る、跳ぶという通常の動作が"個性"伸ばしに繋がるのだ。
さらに、雄英の授業で常に肉体、精神ともに難関に挑み続けてきた。常に追い詰められているこの環境は今までの暮らしとは大きく異なる。だから、彼女の"個性"はそんな過酷な環境に適応しようとした。それが、今回の脱皮である。
「こっちだよー!ノロマめー、ミセキンやろー!」
「くそっ!」
壁を跳び回り、這い回り、男を煽る。
男の拳は逃げ回るかぶりに届くことがない。彼の"個性"では垂直の壁を登れても、かぶりほど早く動けない。
その様は、高い天井にいるゴキブリを殺そうとしているかのようだ。
(でも、どうして……。)
かぶりはふと、疑問に感じた。先ほどまで風圧にも耐えられなかったが、今では拳をかわしても足場が
理由はゴキブリの外骨格である。入学以来、度々外傷でズタボロになっていた。その環境へと適応するため、単純な皮膚の硬さが防御力となって目覚めたのだ。
流石に切島ほどの防御力は無いが、防御力が低かった彼女にとって大きな武器だろう。
(まぁ良い。コータくんから離れられた。)
洸汰から距離を置くために、慣れない挑発をしていたのだ。これから、この男を殺すのだから、
風の振動を感じる。パワーローダー先生との期末試験で地面からの振動を探知するコツは身につけた。その応用だ。
(そろそろかな? それに、この身体にも慣れてきた)
脱皮により急成長した身体はどうしても初めは慣れない。けれど、男の攻撃を避けるという、命のやり取りをして思っていたよりも早く慣れた。
「当たらないね。ほらここだよ!ここ!」
男の攻撃をかわして1番脆くなっている地面に着地しては必死に煽る。だが、心の中では恐怖で震えていた。先ほどまでは壁を張り付いて移動していた。そのため、相手の男にとっては移動しづらく、かぶりにとっては有利なフィールドだった。しかし、今、山道に降り、かぶりにとって有利だった状況を捨てたのだ。少しでもタイミングを間違えれば死んでしまう。
「はっ!」
男はかぶりが何かを考えていることは分かっていた。彼は今まで戦ってきていた相手が権謀術数を巡らせていることが多くあった。しかし、その悉くをその圧倒的なパワーで跳ね返してきたのだ。確かに片目を失うなど取り返しのつかない怪我をした事もあったが、それでも、彼にとって暴力を振るう事の方が優先したい。
(かわさなきゃ、死ぬ。けど!)
気がつけばかぶりは死への恐怖よりも、男を殺す事への高揚感が心を支配していた。
男の動き、筋肉の振動の一つまで逃すまいと集中して探知する。動体視力が追いつかないため、邪魔にしかならない目を瞑る。
(今ッ)
攻撃に合わせて横に跳ぶ。振われた拳により身体が軋むほどの暴風が吹き荒れるが、今の彼女なら耐えることができる。
その直後、山道に蜘蛛の巣のようなヒビが広がる。そして、今までの男の攻撃により生まれたヒビと繋がっていく。そして、一度広がったヒビは連鎖して次々と繋がる。
「はぁぁあ!」
トドメとばかりに、かぶりは地面に全力の蹴りを放った。
しかし、その蹴りの威力は以前と比べものにならないほど跳ね上がっていた。必要以上の威力で放たれたその一撃にかぶりは内心驚いたが、特に問題はない。やりたい事は出来た。
かぶりの一撃が起点となり、崖が崩れ始めた。当たり前だ。男の攻撃はかなり強力である。それを何発も耐えられるほどここの崖が頑丈な訳がない。
必死に男を洸汰から離していたのも、この崖崩れに彼を巻き込まないためである。
「そーいうことかよ!」
崩れる地面の中、男は叫んだ。落ちる瓦礫を蹴り、崩れていない壁へと手を伸ばした。負ける気などさらさらないが、わざわざかぶりの思惑通りに下に落ちていくつもりはない。
だが、その手はかぶりの蹴りによって払われる。
「クソッ」
筋肉で覆われた腕をかぶりに振るう。しかし、空中では思うように威力も速度も出ておらず、当然、かぶりに当たるわけがない。この2人はどちらも空中戦が得意ではない。だが、羽で滑空できるかぶりの方が何倍もマシなのである。
男の拳を滑空する事でかわす。そして、かぶりはそのまま、大きめの瓦礫をジャンプ台がわりにして男の目の前へと跳ぶ。
「この技! 初めてなんだ!」
技名は決して叫ばないし、考えないようにする。
男の頭を太腿で挟む。男は筋肉を鎧の様に纏っていくが、既に遅い。かぶりにとってこの技でダメージを与えるつもりはない。ただ、落ちるまでの間、崖に捕まるのを阻止できればそれで良いのだ。故に、技の威力を犠牲にして攻撃のタメは極端に短くなっている。
羽を広げて身体を捻る。そして、バク宙するかのように回転して男を地面へと投げ飛ばした。
本来は
けれど、かぶりはただ動画を見て真似しているだけのため威力もそこまで出ない。しかし、それと同時に手加減も出来ないため、危険すぎるとロボット相手にしか練習してこなかったが、今は存分に放つことが出来る。
男はそのまま落下していったが、強靭な筋肉の鎧によりほぼ無傷で森に着地した。
(あの女はどこだ?)
森の中は月明かりすら届いていない。かろうじて青い炎の明かりが届いているが、ほぼ意味をなしていない。そのため、木々による見晴らしの悪さも加わり、視界は極端に悪い。
その時、周囲を何かが動く気配がした。ガサガサと草木が揺れる音もなる。その音がかぶりの居場所なのだろうが、移動速度は速くまるで森全体から聴こえているような錯覚に陥る。
「!」
突如、かぶりが男の背後に現れ、迷いなく後頭部に向けて踵落としを放つ。だが、その攻撃を筋肉に覆われた腕で防いだ。すると、かぶりはニヤリと笑って森の中へと消えていく。
そして、またもや男を中心として森の中へと潜伏する。
「クソッ、ちょこまかと逃げやガッ!」
すぐさま追撃が来る。それを防ぐと先ほどと同じように森の中へと消える。そこからは、それが繰り返された。
潜伏、攻撃、逃亡。その繰り返しは、いつ攻撃が来るか分からないというプレッシャーを男に与えつづけた。
本来ならば、かぶりの攻撃程度ならば彼の纏う筋肉の鎧の前には意味をなさない。しかし、彼の"個性"の都合上、常に筋肉の鎧を纏い続けることはできない。時間が経ったり使用した筋肉を張り替えるというスキが生まれてしまう。かぶりはその隙を的確についた。そのため、男は新たに筋繊維を思うように纏うことが出来なくなってしまった。
それ以外にも片目が無くなり広くなった死覚や、人体の構造上反撃に遅れが出る場所など、男のありとあらゆるスキを突き、ダメージではなく筋肉の鎧を剥ぎ落とすことを目的として絶え間なく攻撃を繰り返した。
(アイツの筋肉は鎧にもなるし、大怪我前提の緑谷くん並みのパワーもある。でも、ここなら!)
動きを観察しつつ、森の中を隠れ這いまわり、木々の間を跳び回り、攻撃を繰り返す。
彼女にとってこの場所は凄く戦いやすい場所であった。視界の悪さは相手にとってマイナスに働くが、空気の振動を探知して周囲を把握している彼女にとって気にはならない。障害物の多さは壁を駆けまれる彼女にとって足場が増えるだけだ。
家にいるイメージが強いが、森の中こそゴキブリにとってのホームグラウンドなのである。
対して男にとってはこの場所はひどく戦いにくい。ただでさえ片目が機能していないのに、ここまで視界が悪い場所では状況を把握するのも一苦労である。さらに、彼の"個性"の性質上、強い力を出すにはより多くの筋繊維を纏う必要がある。木々に囲まれた狭い場所では動き回るのも難しい。
さらに、彼の纏う筋肉はよく空気を振るわせる。それは、かぶりに対して
これだけ並べると、かぶりが優勢のように感じるかもしれないが、実際には綱渡りをしているようなものだ。
攻撃の手を少しでも緩めれば反撃のスキを作ってしまう。攻撃のタイミングや角度を少しでも間違えればカウンターを喰らい、
その他にも、崖から落ちた際に筋肉の鎧が削ぎ落ちた事など幾つもの奇跡があったからこそ生まれた状態である。
(急がなきゃ)
さらに、かぶりは長期戦にする訳にはいかなかった。
救助が来てしまえばコイツを殺せなくなってしまう。
さらに、男が動くほど木々は倒れてしまっている。時間が経てば経つほど、かぶりの有利な森というフィールドは壊れていく、この辺りが更地になるのは時間の問題だ。
そのため、この綱渡りを護り慎重にスキをつく、そんな選択肢はない。何か、なんでも良い。1秒でも早くこの拮抗を覆すしかない。
(どうする?)
攻撃しながら、かぶりは状況を整理する。
男の増強にはタイムリミット、張り直しという弱点が存在する。しかし、それをついても、いつ負けてもおかしくない。
というよりも、スキを突いて張り直しを邪魔しつつもその威力はかなり強力だ。一撃でも喰らったら終わりなレベルだ。中途半端な増強でも必殺の威力だ。
(どうする?)
彼の防御力も強力だ。下手な攻撃は意味を成さない。筋繊維を壊す事には繋がるが、本体へとダメージは通らない。そんなんじゃ、張り直して終わり。森が壊れ無いための時間稼ぎにはなるが、倒せない。
(どうする?)
彼は片目が見えていない。どういう訳か、義眼である。それゆえに死角が多い。仮に両目ともに健在だったら、既に負けていた可能性が高い。
(でも、それって……)
ある事に気がついた。それでも、かぶりは攻撃を辞めない。
男が投げた大木をかわし、そのまま一気に近寄る。男はそれを読んでいたのか左手が真っ直ぐにかぶりを狙う。だが、そんなこと既に分かっている。彼の筋肉は凄く読みやすい。
一瞬のうちにUターンして森の中へと隠れる。
(これしかない……。)
森の中を隠れながら、長めの木の枝を手に持った。かぶりは男が筋肉で覆わない
例えば、目や耳の感覚器官だ。彼の"個性"を詳しくは知らないがそこを覆えば戦闘どころか日常生活ですら支障が出るだろう。
他にも口や鼻などの呼吸器官も全て覆うことは出来ない。そこならば筋肉の防御を突破できる。きっと、あの義眼もその弱点を突かれたのだろうと、かぶりは勝手に想像した。
その時、
「ぁああ! くそ、うぜぇ!!」
男が叫んだ。
元々、彼は駆け引きというものを好まない。作戦なんて立てるのも嫌いだ。好むのは力の限りの蹂躙である。そのため、今の状況はストレスでしかなかった。そして、限界に達したのだ。それが、運悪く木の枝を拾う、という一瞬のロスと重なってしまった。
男は全身に筋肉を纏い始める。かぶりは慌てて男に向けて跳び、後頭部に向けて踵落としを放つ。しかし、男は筋肉を薄く纏うだけだった。
今までは、腕で防御をするか、それなりの厚さの筋肉を纏い防いでいた。だが、今回、男は防御を捨てた。当然、意識が飛びそうになるし、相当なダメージを受ける。だが、それを男は気合で耐えた。
「はは、これで終わりだぁ!楽しめたぜ!」
脳へのダメージでふらつく足を踏ん張り男は口角を上げた。
(あ、まずい)
かぶりは筋肉から放たれる空気の振動を探知し、何が起きるか分かった。だが、分かったところで意味がない。回避なんて概念が存在しない超広範囲攻撃だ。
全身の筋肉を使い、1回転。たったそれだけの動作で生まれた、そのパワーは今まで見て来た男のどの攻撃よりも凄まじく、周囲の木々を薙ぎ倒すほどの竜巻を起こした。無論、かぶりも問答無用で吹き飛ばされ、崖崩れにより落ちて来ていた大岩に打ち付けられた。
たったそれだけの攻撃で、かぶりは満身創痍となってしまった。見れば右腕は変な方向を向いているし、左脚は普通じゃあり得ないほど腫れ上がっている。それでもなんとか起き上がると、平衡感覚が掴めず転びそうになってしまう。
(ああ、ここまでか……。)
使用した筋肉を剥ぎ取り、新たな筋繊維を纏い始めている男を見てかぶりはため息をついた。平衡感覚が掴めないので立っているのがやっとだし、右手と左足へのダメージが酷く、走れそうにない。
あんな化け物に勝てるわけが無いのだ。
「お母さん……。」
だが、
諦めなかった母の背中を思い出した。
首が取れても、身体の半分以上が壊れても彼女はかぶりを護り抜いたのだ。ならば、こんなところで諦める訳にはいかない。
「10年前に殺した家族を覚えてる?」
その問いに男は困ったような表情をした。この男は会話ができないわけではない。殺す相手でも、いや、殺す相手だからこそ会話に応じるし聞かれれば答える。
「あ? そんな昔のこと覚えてねぇよ。てか、どの家族だよ。」
「……まぁ、そうだよね」
この男にとって、かぶりの両親は数いる犠牲者の1人でしかなかった。この男の快楽のために殺されたのに、覚えてすらいない。そう思うと不思議と心が冷たくなっていった。
左手で木の枝を握りなおす。
「もう、どーでも良いんだけど」
折れた右腕を揺らしながら男に向けて2足で走った。左足が痛く今までのような速度は出ない。その様子の彼女を見て、男は笑いながら拳を振るった。探知は生きている。それでも、こんな怪我でこの男の攻撃を避けれるわけがない。
直撃を喰らう。
上から放たれた拳により、かぶりは地面に潰されるように倒れた。声にならない悲鳴を上げるが、それでも当たり前だが攻撃は止まらない。
雨のように放たれるラッシュは一撃一撃が必殺だ。血肉が飛ぶ、グチャリと水々しい音が鳴る。はじめは逃げようともがいていたが、暫くすると
「ははは。中々楽しめたぜ。」
男は血だらけのかぶりを見て満足げに笑った。"個性"を解いて、崖の上を見る。洸汰の被っていた帽子がかっこよかった事を思い出した。
「取りに行くか」
そう呟いてかぶりに背を向け、歩き出した。
その時、
かぶりはゆっくりと起き上がった。
死んだふりだ。単純な策だがかなり効果的であった。完全に警戒を解いた男の背中を見る。ゆらりと身体を動かして飛び掛かった。その直後、男もかぶりの動きに気がついて振り返った。
だがもう遅い。
既にかぶりは、自分の身体よりも大切に守っていた木の枝を左手に構えている。
(はっは、良かった。気がついてくれた。)
彼女の動きは男が気がついて振り返ってくれる前提のものだった。仮に男が気が付かなければ、後頭部に切り傷ができるだけで済んだ。しかし、彼は気が付いてしまい振り返った。
そして、防御も間に合わず、唯一残された右目に木の枝が突き刺さった。
「が、ぁぁああああ!」
男はあまりの出来事に叫び、暴れ回った。だが、両目の光を失った相手の出鱈目な動きをかわす事は今のかぶりでも容易だった。なにせ、相手はかぶりの位置なんて分かってないのだ。
慎重に近寄って攻撃する。
頭を蹴り落とす。
目に刺さった木の枝を更に奥に押し込む。
義眼にも枝を刺す。
石で頭を殴りつける。
ついに、"個性"の制御がおざなりになり筋肉が剥がれはじめた。その光景に、かぶりは不快感と不思議な快感が押し寄せていた。
「はっは!」
楽しい。愉しい。
呻き声をあげて倒れる男を見て、嗤いが止まらなかった。
「はっは、そうだったんだね。」
納得したような表情で、石を拾い上げて、倒れた男を殴りつける。自分にあった大きすぎる復讐心が、今までさまざまな人から貰ってきた
「はっは!はっははは!」
笑いながら男を殴り続ける。
地獄のような刹那的な幸福感が心を支配する。しかし、それと同時にヒーローを目指してきた暮らしを思い出していた。
あの叔父夫婦との暮らし、薫との暮らし、響香や三奈、出久など雄英での暮らし、それらが男を殴るたびに遠ざかっていく。でも、止められない。
ミルコへの憧れを思い出す。
悪意もなく、純粋で自由な姿が綺麗だと思ったのだ。そんな生き方に憧れて、あの姿に少しでも近づきたいと思った。だから、ヒーローを目指したいと思ったのだ。
彼女みたいになりたいと思ったのだ。
「ははははははははは!」
既に原型をとどめていない顔を殴る。憧れが遠ざかっていき、それと同時に、度し難い苛立ちが生まれる。
彼女の復讐心は大き過ぎた。たとえ忘れていたとしても、この強烈な感情は常に心を蝕んでいた。必死に見ないようにしていても、常に彼女の根幹に存在していた。
そんな状態で今まで暮らしてきたのだと、漸く気が付いた。気が付いて初めて、今まで苦しかったのだと理解できた。
そして、悪意が溢れかえった今、この破滅的な感情に今まで積み重ねてきた全てを壊されてしまった。
自分の感情が、身勝手に暴れ出している。抑えようにも自分のものでは無いかのように膨れ上がる。まるで自分が自分でなくなるようだ。こんなのは地獄すぎる。
——助からなければ、こんな思いをしないで済んだのに。
その理不尽な怨みを思い出した。
助けられたく無かった。あの場で死んでいればこんな復讐心を背負う必要なんて無かった。ミルコが無責任に私を助けなければこうはならなかった。
しかし、この感情は逆恨みだと、頭では分かっている。
それに、逆の立場ならかぶりも助けてしまうかもしれない。無責任に助けられる辛さも知っているが、助けが来ない絶望も知るかぶりに見捨てるなんて選択は難しい。
ああ、イライラする。
——それも、これも、全部お前たちのせいだ。
ヒーローも憎い。
10年間溜め込んだ悪意が彼女の全てを支配する。
「そうだ。私は……。」
自分は
もし、もっと時間があれば心は少しずつ別のもので埋まって、固まって、心の奥底の悪意とも折り合いがついただろう。
少し、別の選択をしていれば踏みとどまれていたかもしれない。
錯覚は本物になっていたのかもしれない。
しかし、もう遅い。
悪意のタガは外れてしまった。
もう、止まれない。止まれる訳がない。
「ははは!」
森に彼女の笑い声が響いた。
◆
出久は肝試しを峰田と2人で回っていた。クラスの席も近く、USJ事件を共に乗り越えた事もあり、2人の仲は良かった。
女子生徒と周りたかった、と、峰田は欲望がダダ漏れだったが、それはそれ、出久はそれなりに楽しんで肝試しを回っていた。しかし、そんな折に事件が起きた。
峰田と2人で直ぐにマンダレイ達と合流できたが、かぶりや洸汰が居ないことに気がついた。出久はかぶりが洸汰と共にいる事を伝えると、マンダレイは少し安心した様子だったがそれでも心配だ。
峰田の制止を振り切りかぶりの元へと向かう事にした。その道すがら、勝己や轟らと合流し、暴走した常闇を止めたりとしたが、その過程から
出久は勝己を他のメンバーに任せて、1人でかぶりの元へと向かった。1人である理由は、
(けど、それは1人の時の場合だ)
洸汰という足手まといがいる状況でどうなるか分からない。皆から離れた直後、崖が崩れたことも気になる。かぶりに対して信頼はある。だが、心配は心配である。
そんな状態で、彼が向かったのは崩れた崖の下だった。かぶりの性格からして、まずは自分の得意なフィールドに移動すると考えたからだ。
しかし、全身を強化するフルカウルを使っても、森の中では視界が悪く移動に思ったよりも時間がかかった。
(え?)
出久は言葉を失った。
崖下に辿り着くと、そこは木々が倒れ、爆心地のようになっていた。そして、その中心には1人の少女が笑っていた。
「ははは!ははぁは!」
服は着ていない。そして、傷が無い場所を探す方が難しいほどグチャグチャだ。だが、それ以上に壊れたように笑う彼女の表情が印象的だった。その表情が本当に楽しそうで、怪我なんかしていないかのようだ。
しかし、不思議とその表情に、出久は今すぐ
「……おき、さん?」
変わり果てたその姿に、出久は一瞬、誰だかわからなかった。けれど、何日か前にかぶりが、自慢げに脱皮による『脱・ロリ宣言』をしていた事を思い出した。それにより、彼女だと分かった。
「はっは、ああ、緑谷くん。……1人?」
かぶりは出久に気がつくと、左手に握っていた血だらけの石を捨てた。彼女は
「え、ひ、1人だけど……。早く戻ろう。
雲が流れて月明かりがあたりを照らした。暗くてよく見えなかったかぶりの下にあるモノに気がついた。
それは人だ。頭は輪郭が分からないほど潰され、両目に棒が突き刺さり中身を抉られている。が、間違いなく人である。人だったモノだ。
それを見て出久は言葉を失った。いや、理解したくなかった。
その行為を行ったのは状況から見て目の前の少女であることは間違いない。しかし、共に夢を追っていた少女がそんな事をしたなんて思いたくなかった。
「あそこ、コータくんの秘密基地。あの洞窟に、まだ、コータくんがいるからお願い。思いっきりお腹蹴っちゃったから、結構な怪我してるかも」
「え?」
その言葉に出久はかぶりの指差す洸汰の秘密基地の方を見てしまった。だが、その一瞬が、かぶりにとって大きかった。
「ごめんね……。緑谷くん。」
そんな消えそうな声に振り返ると、そこにはもう誰もいなかった。