"個性"ゴキブリ 作:ゴッキー
それはそうと、内通者関係の教訓で、オリジナル設定等はかなり慎重になってる。
尾白にしてよかった
ーーー
公安が富沢と接触した翌日、アマメはとある貸し倉庫に来ていた。コンテナのような見た目の倉庫がいくつもあり、それぞれ鍵が閉まっている。アマメはそのうちの一つに鍵を開けて中に入った。
中にはキャンプ用品やら、楽器やら、アニメグッズなど様々なものが出鱈目に仕舞われている。これらは彼女が買ったものではなく、公安が用意したものだ。多趣味で飽き性、そんな設定は非合法なものを隠しておくには丁度いい。
そんな収納スペースに取り立てて手に取りやすい場所にギターケースが置いてある。これだけは彼女の私物であり、初任給で買ったものだ。
ケースからアコースティックギターを取り出す。弾き方は知っている。むかし、大切な友達から教えてもらったから。
(………私は。)
ギターを構える。
あの学校で教えてもらったことを思い出す。
出会った人たちを思い出す。
あそこでの出来事は全て覚えている。ヒーローを目指した日々、友達と笑い合った時間。どれもが、今のでは遠い日々だ。
(………これから……。)
ギターの弦に触れる。
あの家から連れ出してくれた人を思い出した。もし、彼女の言った通り、ヒーローを目指さなかったら?そんな事を思う。もし、自分の歪みと別の形で向き合っていたら、別の結果になっていたのだろう。
彼女の言う通り夢を追うことが全てでは無いのだろう。追わない方が幸せになれる事もあるのだろう。今ならそう思える。
(………………これから)
血のつながらない姉を思い出す。
きっと今でも自分の事を探しているのだろう。見つかるたびに引っ越しているが、不思議と嫌ではない。
泣き出して全てを放り出してしまいたい。全てを知る彼女なら、きっと、何も言わずに受け入れてくれるだろう。泣きついても、優しく抱きしめてくれるだろう。だけど、だからこそ、彼女の元へは行ってはいけない。
なぜなら、
(………人を殺す。)
そして、それに対して何の罪悪感も持っていない。ただ、人を殺した時に走る快感を思い出してしまうだけだ。悪人を殺す。彼女にとってそれは性的な絶頂に近く、我慢できるものではない。
そして、最近、思うのは大嫌いな
彼女の根幹は既にヒーローでは無く
だから、忘れるわけにはいかない。
かつて、目指していた夢を忘れてはいけない。
もう、届かないと分かっていても、その場所へ手を伸ばし続けなくてはならない。もし、それを辞めてしまったら、この心は 奥底に潜む悪意に呑まれてしまう。
「……大丈夫。我慢できる。」
ギターを仕舞う。
悪意と自分の出発点を再確認できた。心の均衡は保たれている。溢れそうな悪意は、まだ、武器として機能する。意識で心を支配する。
深く深呼吸をした後、倉庫の奥にある鉄製の箱を取り出す。ポケットから鍵を取り出して開けると中には彼女のヒーロースーツが入っている。その真っ黒いジャンプスーツを慣れた手つきで着る。腰につけた2本の包丁印象的だ。腰の両サイドにはウェストポーチがついている。
「あとはコレか」
鉄の箱の奥底から1丁のリボルバー式のピストルを取り出した。これも慣れた手つきで残弾の確認をする。今の超常社会、ヒーローの"個性"にばかり目がいきがちだが、ピストルのような武器も普通に有用である。
「準備完了」
タートルネックを鼻先まで覆い、ピストルをウェストポーチにしまう。そして、貸し倉庫から出た。壁を這い、屋根から屋根を移動して人に見られないように街中を移動していく。
たまに空を飛ぶヒーローに出会うが、立場上、彼女もヒーローだ。さらに、
(アレか)
繁華街に
つまるところ、ごく普通のありふれた心優しい女性である。
(今回の任務は、あの人を監視しているヤクザの抹殺)
正しくは、富沢の家族をヤクザから奪取し公安の保護下に持っていく事である。この任務は公安が秘密裏に富沢と交わした契約、言って仕舞えば一種の司法取引に基づいている。
富沢曰く、彼が公安に
公安としてはその言葉を鵜呑みにしているわけでは無いが、事実、彼の家族は家に帰らず、ヤクザが用意したと思われる別々のアパートでそれぞれ楽しそうに暮らしている。
この行動は妻だけや、妻と娘が同じアパートで暮らしているのなら、ただの家族間の不仲による家出とも思える。しかし、娘はまだ小学生、それも低学年だ。1人で暮らしを楽しげにするのは不自然だ。
「こちら、BB、準備完了しました。」
耳に付けたインカムを起動し、離れた位置にいるもう1人に連絡を取る。この作戦はタイミングが肝心である。妻と娘、その両方を同時に救出しなくてはならない。
どちらかが遅れれば、もう1人が人質になり救出できなくなる。公安としては、最悪、どちらかを救出出来れば富沢の協力を得られるだろうと、考えているが、それでも両方救出できた方が良いことには違いがない。
『こちらホークス。こちらも準備完了している。俺が合わせるから合図を出してくれ』
娘の救出にあたっているホークスから連絡が来る。繰り返すがタイミングが命だ。そのため、彼が指示を出すよりも、アマメの指示に自分が合わせた方が、スムーズに進めると判断したのだ。
「……了解。カウントダウンに入ります。10、9」
行動のタイミングを測る。
が、その時、
『———-ない———電波—』
「ホークス? ホークス!」
ノイズが流れ、ホークスと連絡が取れなくなった。慌ててスマホを取り出す。最悪コレがあれば連絡は取れる。しかし、電波状況は圏外である。
(………圏外、初めて見た。住むなら圏外にならない
小さくため息をついた、思考を切り替える。さっきまでは
確かにヤクザと戦い、殺す必要があるだろうが、しかし、それでもヤバくなってもホークスが来れば丸く収まる。そういう立ち位置だった。
(けど、状況が変わった。…………作戦はバレてた!)
遠距離からの攻撃を探知した。
マシントラブルという可能性もあるが、切り捨てる。
右に飛び退くと、一本の矢が彼女がいた場所に刺さる。それを確認すると同時に次々と矢が迫るのを探知した。一瞬の思考ののち、矢が飛んでくる方向と逆側へ走りビルから飛び降りる。
(まずはホークスに連絡を取らないと?いや、任務はバレてる。2人の救出はこれがラストチャンスかも。あの人を助けないと!)
地面に着地。
周囲を見渡す。ここは繁華街だ、人が多い。一般人を巻き込むことは避けなければならない。
(けど、まずは逃げる!)
まずは逃げて立て直す。そして、敵を探して背後から殺る。もしくは敵に気づかれずに、保護対象と共に逃げる。選択肢は2つだ。だが、アマメがそう考えることは敵も予想がついている。
「お姉ちゃん!お姉ちゃん!ヒーローのお姉ちゃん!」
「大変だよ!お姉ちゃん!お願いがあるんだ!」
「うんうん!ちょっと待って!」
小学生低学年程度、それくらいと子どもが3人、アマメに近づいてきた。服装は3人とも少しブカブカのコートを着ている。季節感からズレているが、この超常社会ではままある事だ。
アマメは無視して逃げるという選択肢が脳裏に過る。しかし、この慌てようから、
「ど、どうしたの?」
アマメは足を止めて少年たちの方を見る。すると、子どもは満面の笑み浮かべて、着ていたコートの中を見せた。
「「「死んで!」」」
爆弾だ。
子ども達の身体に爆弾が巻かれている。そう認識した時、2つの思いがぶつかりあった。
——-助けなきゃ!
——-逃げなきゃ!
相反する2つの感情がぶつかることで、思考が停止する。刹那にも満たない停止時間。しかし、このスキに爆弾は爆発していた。熱と暴風がアマメに迫る。
(ッ! 間に合わない。)
慌てて外骨格による硬化する。爆発の衝撃と熱が襲い、吹き飛ばされてしまう。爆発により一時的に探知機能が死に、近くのマンションの壁に叩きつられる。
(………ッ、まだ、平気だ。)
周りを探知する。
無意識のうちに仕事で何度か嗅いだ事ある人間の焼ける臭いを拾う。幸せそうに笑っていた子ども達を思い出す。理由も状況も理解できていないが、気分のいい話ではない。
(っまた!)
迫る矢を感知、慌てて回避する。しかし、次々と矢が放たれアマメを襲う。幸いなことに矢には追尾機能は無い、しかし、連続して放たれる矢は息つく暇もなく彼女を襲い続ける。
(っ!)
突如、火の玉が飛んでくる。アマメはそれを回避する。しかし、避けた先には矢があり、背中に刺さってしまう。
「はははは!ははははは!」
男の笑い声が響く。両手が燃えているサラリーマン風の男性が、近くの民家から現れたのだ。
(……それだけじゃない。)
「死ね死ね死ね!」
「ラブ様のご命令だ!」
次々と、主婦、サラリーマン、老人、学生、年齢も立場も異なる人達が現れた。それら全員がアマメを襲いはじめた。しかし、その攻撃には連携も技術もない。ただ、考え無しに突撃してくるだけだ。
まるで素人だ。中には厄介そうな"個性"も混じっているが本来なら問題はない、はずなのだ。
(厄介なのは矢……)
しかし、遠くか放たれる矢は的確に嫌な場所をついている。逃げ道を塞ぎ、攻撃を止める。この矢が素人の攻撃を穴を埋めて、アマメを追い込んでいた。明らかに格上だ。
(……殺せれば……。)
さらに、最悪なことにここは街中だ。そんな場所でヒーローが殺人なんて犯してはいけない。
「クソ」
矢が頬を掠める。しかし、そのまま女学生の鳩尾を殴を気絶させる。その直後、主婦が放つ触手を迫るのを探知、回避に移ろうとするが矢が回避先に迫っている。
仕方がない、と、外骨格で触手の攻撃を防ぐ。主婦のパワーは低い、そのため、大したダメージにはならないと踏んでいた。
だが、
主婦が爆発した。
回避は間に合わない。そのまま外骨格で爆風を防ぐ。しかし、爆発は2度目だ。今度は冷静に慌てて後ろに飛び退き、爆風の衝撃を軽減させる。
直後、矢を回避する。移動した先には女子高生が気絶している。
(くそ!)
女子高生は爆発する。
大量に迫る市民達の攻撃、そして、爆弾、遠距離からの矢、それらの組み合わせは着実にアマメにダメージを与えていた。
その光景を2人の女性が眺めていた。
1人は緑のマントをつけた金髪の女性だ。一見は普通の人だが、左手の親指と小指が異様に長く、爪は繋がってしまっている。ようは小指と親指が弓となり爪が弦となっている。
もう1人は紫色のドレスを着た女性だ。顔は黒色のベネチアンマスクをつけている。まるで仮面武道会にいる貴族のようである。
「ロビン? まだ、仕留められないのかしら?」
ドレスの女性は冷たい声が響く。その声にロビンと呼ばれた女性はブルリと肩を震わせた。
「す、すいません。思いの外、つ、強く……。ああ、ごめんなさい!ごめんなさい!許して!」
ロビンは涙を流してしながら、弁明しはじめ、泣き始め、しまいには子どものように泣き崩れてしまった。そんなロビンに、ドレスの女性は優しく微笑みを浮かべた。
「謝る必要はないわ。私は貴女の実力も全力なのも分かっています。ならば、怒るわけがありません。」
そう言い、ロビンの頭を優しく撫でた。すると、ロビンは泣き止んだ。
「嫌いになりませんか?」
「ええ、嫌いになんてなりません。ですから、私のために働いてくれますか?狩人ヒーロー?」
「……はい。ヒーローの名にかけて、貴女の望みを叶えます。」
ロビンはそう言うと泣き止み、ドレスの女性は口角を上げた。
「貴女が根回しをしたとしても、さすがにそろそろヒーローが来ますわよね?」
「………ええ。流石に、誤魔化しきれないかと」
「じゃあ、足止めをしなさい。そうね。貴女ならばヒーローや警察を1人で相手でも数分は稼げるでしょ?もし、捕まったら盛大に自爆でもすれば、更に稼げるはずよ。」
冷たく言い放つ。その言葉にロビンの目から涙が流れる。しかし、それは悲しみのものではない。
「はい!この命!貴女のために!」
最も愛する相手のために死ねる事への喜びからくる涙なのだ。
◆
(弓矢が止まった?)
唐突に矢が止まった。アマメには都合が良いが、その突然の変化になんとなく恐怖を覚えた。嵐の前の静さ、これから何か良くないことが起こりそうな気がしてならなかった。
(……逃げる? いや……。)
保護対象である富沢の妻、夏子のことを考える。既に、何処にいるのか分からなくなっているため探すしかない。ひとまず、この厄介な、襲ってくる素人達から離れて、集中して探知出来る場所を確保する。
(誰か来る?)
そう考えた時、歩いて近づいてくる気配を2人分探知した。そのうち1人は明らかに動きが周りの素人とは異なり、優雅で、そしてゆっくりとしている。アマメはそちらを見ると、紫のドレスを着た女性が富沢の妻、夏子の後ろに立ち、首筋に刃物を当てていた。
(くそ!最悪だ)
夏子が人質に取られた。
つまり、任務は失敗に近い。未だにホークスがこちらに来ていないため、下手をすると娘の方の救出も失敗に終わる可能性も出てきた。
「皆さん、ありがとうございます。帰って良いですよ。」
女性の声が響く。それと同時に、素人達は攻撃を辞めて三々五々何処かへ行ってしまった。
「………お強いですわね。まさかロビンの矢を凌ぐなんて……。アレでもトップクラスのヒーローなんですけどね。」
女性は楽しげに言う。アマメは女性を見て必死に思考を巡らせる。完全に自分のミスだ。保護対象から離されて見失ってしまった。あの矢の攻撃は確かに厄介だったが、ダメージ覚悟でもっと前に出るべきだった。
「無視ですか?
女性はそう言うとペチペチと夏子の首筋に刃物の峰で叩く?夏子は顔を伏せており表情は見えないが、明らかな脅しだ。言うことを訊かなければ首を切り裂くぞ、と、言っているのだ。
(今は言う事を聞くしかない)
「……そうそう、もっと近くに。」
距離が1メートルを切る。
近寄りながらアマメは思考を巡らす。
——-コイツの目的はなんだ?
人質を取った
(探りを入れるか?)
「何が目的?」
アマメの問いに女性は薄く笑った。
「そんなものは無いわ。貴女と仲良くなりたいだけよ。和解しましょう。」
そう言って、手を差し出した。しかし、そんなものに応じる訳がない。
人質を取られた時、相手の指示に従うのは最終手段だ。特に今は超常社会、何が相手の"個性"のトリガーになるか分からないのだ。
だから、ベストな行動は一つ。
——
ふと、とあるヒーローの教えを思い出した。人質を取られている時点で違うが、アマメの活動指針としては同じだ。
そして、声にならない掛け声と共にアマメは回し蹴りを放った。狙いは女性の胴体、最短最速の一撃だ。それは見事に命中して女性を数メートル吹き飛ばした。
いや、この場合は吹き飛ばして
「——ご、ごめんなさい!!」
アマメは咄嗟に暴力を振るった事を謝った。人質の富沢の妻はその場にペタリと座り込んで顔を真っ赤にしている。しかし、アマメは彼女のことなんて眼中になく女性へと駆けよった。
(何故、謝る必要がある?相手は
思考がよぎる。
そうだ、何を慌てている。目の前にいるのは、
「……違う!……。私に、何をした?」
思考の違和感。
目の前の相手を正しく認識できない。どうしても相手に対して、今まで感じたことがないほど、親愛を感じてしまう。大好きな相手だと思ってしまう。
相手を見るだけで、心が温まり幸せになる。何もかも全て捧げたくてたまらなくなってしまう。
(これがこの人の"個性"?)
アマメは奥歯を噛み締める。
「……痛ッ。このドレス、結構な防御力なんだけど……。顔をやられたら不味かったわね。けど、触れれば勝ち。」
女性は立ち上がる。そして、満面の笑みで言葉を続けた。
「……何をしたもなにも、仲良くなろうとしただけよ?ねぇ。
女性のそのセリフは、アマメにとって、とても嬉しいものだった。それは
そう、彼女と友達になって、そして、いつかはそれ以上の関係に、そんな夢がアマメの脳裏に過ぎる。
「はい!是非!」
アマメは咄嗟に答えた。
辞めろ、と、理性が叫ぶ。
殺せ、と、ドス黒い悪意が溢れる。
しかし、それ以上に愛、目の前の人への想いが、アマメの全てを包んで洗い流した。
「……ふふ、ねぇ、その顔を見せて。」
女性はアマメを抱き寄せた。一瞬、不快感が全身を過るが、それ以上の喜びが包み隠す。思考は既にピンクに染まっており、大好きな相手に全てを任せてしまいたい。そんな思考で満たされた。
「辞めろ! 今すぐ殺せ!」
久しぶりに聴いた誰かの偽物が脳内に響く。
しかし、どういう訳か、彼女に触れられるほど、もっと大好きになってしまう。
ポカポカと心は温まり、近くにいるだけでドキドキして、抱きしめられている今はまるで天国だ。反抗できるほどの自由が心には無い。
「はい」
頭は顔の半分を覆っていたタートルネックを下ろし、素顔が顕になる。
「!」
女性の顔が一瞬、強張った。それを見て、アマメは何か不快なことをさせてしまったのではないか?と、不安になった。
大好きな人に嫌われたくない。離れたくない。そんな偽りの想いに囚われてしまう。。そんな様子が顔に出ていたのか、女性はすぐに笑顔になった。
「ええ、何でもないわ。貴女とは運命なのかもって思っただけ……。」
女性は微笑み、アマメの頭を撫でた。それがアマメにはとても心地良かった。今まで感じたことが無いほどの幸せな気持ちだ。思えば、彼女が誰かをこれほどまでに愛したことなんて無かった。
(ああ、私はなんて幸せものなんだろう。)
アマメは無意識のうちに腰の包丁へと手が伸びた。
「ねぇ、アマメちゃん。」
その時、女性が彼女の名前を呼んで、咄嗟に手を止めた。
「え?なんで、私の名前を?」
女性がアマメの名前を知っているのはおかしい。今日はじめて出会った相手なのだ。しかし、それ以上に自分の事を知っていてくれたことが嬉しくて堪らなかった。
—-きっと、私はこの人に全てを捧げる為に産まれてきたのだろう。
そんな事を思った。
「もちろん、貴女のことは知っているわ。私と貴女は運命で繋がっているのだもの。」
そう笑顔で言う女性の言葉にアマメは少し悲しくなった。確かに、今の彼女の名前は五木アマメである。しかし、それは本当の名前では無い。もう捨ててしまった手に入らない本当の名前が存在する。その名前で呼んでくれるのはたった1人の家族だけなのだが、彼女にはそれで充分だし、それが絆だと思っていた。
しかし、家族なんてどうでもよく、世界で1番愛している相手にその名前で呼んでほしい。そう思ってしまった。
「すいません、それは、本当の名前じゃ、無いんです。」
アマメはそう言った。
心拍数が激しくなる。
脳内が桃色から、真っ白に変わる。
「………。そう、本当の名前はなんて言うの?」
——やめろ!
心の中で警笛が鳴る。
「お前!本当にまずいぞ!アイツまで裏切るつもりか!」
誰かが真横で叫んでいる気がした。
「私は……。」
口が乾く。
自分がやろうとしている事は明白だ。やってはいけない事だ。その名前は義姉と共有している秘密だ。それを口にする事は彼女への裏切りだ。
それに、
「私の名前は……。」
——-たすけて、才ねぇ
僅かに残った心が悲鳴を上げた。しかし、既に自分で自分の愛を制御出来ない。
「沖かぶり、です。」
その名前を口にしたした瞬間。今まで感じたことの無い解放感と多幸感に包まれた。遠くで誰かが爆発した音が聞こえるが、2人には関係ない話である。