イン・ザ・ワールド
そう言えば、私は別にあの某作品のアロハな怪異の専門家を見習っていたりしている訳でもなんでもないのだけれど、見事に彼には別れの言葉・最後に交わす挨拶というモノをしなかった。
『さようなら』とか、『また逢おう』とか、そう言った挨拶を全く交わさなかった。
『気が向いたら逢うかもね』という曖昧な事を言って別れた訳であるが……まぁ、最後を暗示させるような台詞も、再会を約束するような台詞も言わなかったんだよね。
意図してそうした訳でもないのだけれど、改めて思い出すと、我ながら格好つけすぎかな? などと思ってみたりしている私。
まぁ、いいや。
彼との《素敵な思い出》も残せた事だし、ね♪
スキマに入り込み、現世から幻想へと向かう。
《現代社会》から《幻想郷》へ。
内と外は入れ替わり、《外の世界》から《箱庭》へと向かう。
……そう言えば、藍とか紫の姿が見えないな。
てっきりスキマに入った瞬間にお仕置きが来るかと思っていたんだけどな……?
まぁ、無ければ無いで良いんだけど。
痛いのは御免である。それは妖怪だろうと人間だろうと変わらない。
まだ右手は治ってないし、触れば激痛が走るけどね。
あ~、さっさと治したい。
自業自得だとしてもさっさと治したい。
根本的に治せるという事そのものが人間離れしているのだけれど、まぁ、そんな事はどうでもいい。
スキマを通り抜ければ、既にそこは別世界である。
……数百年ぶりの《幻想郷》だ。
はてさて、何が待っているかね? フフン♪
▼▼▼▼▼▼
『
最近天狗が報せる話や、買い出しの時に聴いた噂によると、『妖怪の山』で何らかの騒動が起きて、いつものように巫女と魔法使いが出動したとの話だが、彼女の住んでいる屋敷は冥界にある上に、神等には全く関係関心がないので、今回の(これらの騒動を異変と呼ぶかどうかは解らないが)異変には参加する気など、彼女にはなかった。
しかし鍛練は続けなければ、腕が鈍り刃は曇る。
そういった考えの元、彼女は外に出て素振りを続けていた。
彼女の住む屋敷はとてつもない程の面積を有する建物で、この広大な敷地には妖夢ともう一人、とある少女が住んでいた。
その少女は屋敷の主人でもあり、朝早くに友人の所へと出掛けていた。
「留守番よろしくね~」
と、いつものように何を考えているのか解らない微笑みで、主人『
本当は幽々子に着いて行きたかったのが妖夢の本音だが、彼女の友人の胡散臭い性格はどうも苦手であり、何より幽々子本人から留守番を頼まれたとなっては、無理を言って着いていくのも迷惑になるだろうと考え、今日は大人しく留守番をしていた。
幽々子とその友人は、今度は一体何を企てているのか?あの笑みは何かを考えている笑い方だ。
妖夢は今朝見送る時にそう直感していた。
しかし、そんな事を考えながら刀を振っていたのが悪かったのか、いつものようには剣筋が安定しない。
そんな剣先に『いけない……集中しなければ……』と考えるも、なんだか今日は巧く集中出来ない。
……これ以上素振りを続けていても、迷いが増えるだけだ。
そう考えて汗を拭い、刀を仕舞い身嗜みを整えて屋敷へと戻る。
その時、
「ありゃ? 違う所に出たかな?」
八雲一家しか使えない筈のスキマから、見た事のない少女が降りてきた。
カチャリ、とスキマから降り立つ少女の首に、背後から刃が添えられる。
何処の誰かは知らないけども、留守を頼まれた身分である妖夢の目の前で侵入してきたのである。
刃を突き出すのに、なんら躊躇いはなかった。
……スキマを操るという点では八雲家の関係者なのかもしれないが、どちらにせよ侵入者には変わりない。
「……屋敷に、何のご用でしょうか?」
「……要件をうかがっているにしては、随分と物騒だねぇ? 刀を突き付けるなんて」
「……」
刃を首にそっと滑らせて、現れた妖怪に対する返事をする。
『話を逸らすな』と。
ッ……と血が刃の先から漏れだし、侵入者の着物へ染みていく。
「……ふぅ……私はちょうど今、『幻想郷』へ来た妖怪です。適当に目指して来たから、意図せず人様の家に入り込んでしまいました。誠に申し訳御座いません。すみませんが、ここは『幻想郷』で合っているのでしょうか? そちらを教えて戴けないでしょうか?」
「……ここは『白玉楼』。幻想郷に間違いはありませんが、冥界にある屋敷です」
「……『冥界』……ねぇ……」
そう言って、辺りを見渡す『侵入者』
首に突き付けられた刀からの出血が、更に増えるのも気にせず。
痛みや、相手がそれに狼狽したのも、何一つ気にせずに辺りを見渡し始めた。
確かに、ここは冥界だと言われて周りを見てみれば、白くて半透明で足がない、所謂『幽霊』らしき物体があちらこちらに見えたりしている。
彼女達の周りには、木々が等間隔に並んでいる。
今は秋で、もし春であれば綺麗に咲いていたであろう桜の木々が並んでいた。
その木々の反対側には、巨大な屋敷が建っている。
侵入者はそれを見て、大分昔に逢った、そして自己紹介を二回もした亡霊姫を思い出した。
「……あぁ、成る程ね」
「……何か?」
「いいや……まぁ、お騒がせしたね。『幽々子』に挨拶したかったけど、キミには阻止されそうだし、素直に出ていって幻想郷に向かうとするよ」
「っ……そうですか」
「そう♪ ……だから、その首筋に当てている刀をいい加減に下ろしてくれないかな?」
「……いえ。その前にこちらからも質問があります。『何故、幻想郷に最近来たという貴女が、お嬢様の名前を知っているんですか』?」
「さぁ……何故でしょうね? ふふん」
『からかわれている』
そう感じた瞬間に、突き付けていた刀を勢いよく引く。
人の形をした妖怪ならば、人と同じ所に急所があるのは当然。
妖怪ならばこの傷で致命傷にはならないであろうが、行動不能になる程の出血量は出る。
だが、刀は触れていた筈の首を切り裂く事なく、何もない空を斬った。
「ッ!?」
「やれやれ……今の少女は凶暴だねぇ。躊躇いもなく刀で斬ってくるなんて」
声に反応し、背後へと振り返る。
数メートル離れた所に、侵入者は立っていた。
……目の前に居た筈の侵入者が、背後に。
「……何者ですか、貴女」
「むぅ……人の名前を訊く時は自分から。と、言いたい所だけども私は侵入した身分だし、正直に名乗ろうとしましょう。私は『詩菜』と申します。妖怪としての種族は『鎌鼬』、能力は『衝撃を操る程度の能力』でありんす。以後宜しく」
「……私は妖夢。『魂魄 妖夢』です」
シナ、という名前は何処かで訊いた事がある。
確か、幽々子様と祖父がいつぞや話していたような気がする。
そしてどうやら侵入者は、能力を持つ妖怪らしい。
衝撃を操る能力だと言っているが、どのような能力か分からない今、油断してはいけない。
しかし自己紹介をされたならば、こちらからも返さなくてはならない。
そう思い、妖夢が自身の名を名乗ると侵入者・詩菜はクスクスと笑い始めた。
この時、初めて妖夢は侵入者の全体像を見たように思った。
髪の毛は肩口で揃えられ、紺色の着物を着ている。帯は黒く、同じ色の紐で上から結ばれている。
左手には何も持っておらず、右手は袖口の中に引っ込められていて何かを隠していそうだ。
素足に一本歯の下駄を履いていて、何処と無くアンバランスな格好。
含み笑いを続けるその顔は年相応の可愛らしさがあるが、それでも暗く紅に光る眼は人外である事を証明しているかのようだ。
「……何が面白いんですか?」
「いやいや……ふふ、『妖忌』は元気?」
「ッ……祖父は悟りを開き、屋敷を出ていきました」
「ヘェ、悟りをねぇ……」
剣術で悟りを……って、そりゃどんな真理を得たの? ……と訊きたい詩菜ではあったが、当の本人はこの屋敷を出ていったとの話だった。
それじゃあ妖忌に逢ったりするのは難しいだろうなぁ……等と考えていると、妖夢が訊いてきた。
「……幽々子様と祖父を知っているんですか?」
「知り合いだよ? 妖忌には勝った事もあるし」
「師匠にですか!?」
「格闘なら負けない自信があるよ? ……誰にでも、ね?」
「ッッ!?」
まただ。
また、一瞬で間合いを完全に詰められた。
妖夢は決して詩菜から視線を外したりしていない。
にも拘らず、瞬きする間も無く一瞬にして、刃物の間合いの内部に侵入者がいる。
(もし、これが実際の戦闘だったならば、私は間違いなく、今の一瞬で殺られていた……)
妖夢の顔は青くなり、汗が滲み出てきている。
間合いの内で、そんな様子の妖夢を見て妖怪らしくフフフと笑う、侵入者。
「……ま、そんな気分でもないし、攻撃なんてしないけどね」
そう言って、これまた一瞬で遠く離れる侵入者。
あくまで、彼女は自分が幻想郷に移動したかを確認したかっただけで、攻撃したりする気等、まったくもって無い。
「それに……どうせ見てるでしょ? 紫」
「ッッ!?」
「……あら。バレちゃったわね」
スキマが開き、中から現れたのは『妖怪の大賢者』
妖夢が苦手としている人物であり、幽々子が逢いに行った友人である。
「やっぱり監視とかしてたのね」
「フフ、良いじゃない? 私と貴女の仲でしょう?」
「……紫。そういう言葉はもっと別の時に使うべきだと思うんだ……」
「それはそうと、」
「流したよこのヒト」
「傷は大丈夫なの? ……見た感じ、隠しているみたいだけど」
「ああ、怪我?」
そう言って、詩菜は右手を掲げて見せてきた。
右手は包帯に巻かれ、どう見ても手首から先は無いようにしか見えない。
「……」
「そんな簡単には治らないわよね、幾ら貴女でも」
「幾ら何でも、そんな異常な回復力なんて持ってないよ……」
「よく言えるわね……外の用事は?」
「終わった」
「そう……なら、『幻想郷へようこそ』詩菜。歓迎するわ」
……妖夢は困惑していた。
詩菜がスキマを通って白玉楼へと降り立った時、てっきり八雲の手によって入ってきたモノだと思っていたが、会話を聴く限り、そうでもないようだ。
あの『妖怪の大賢者』と普通に会話を交わし、紫の方もいつものような胡散臭い口調とは何処と無く違うような気がする。
『右手が無い』という事を単に『怪我』と言い切る事も、能力を簡単に明かす事も。
紫が呆れる程の回復力とは一体……?
……もしかしてこの詩菜という妖怪は、実は物凄い実力を持った大妖怪なのでは……?
「大妖怪よ?」
「っぅひゃあ!? 幽々子様!?」
「ただいま~♪」
いつの間にか背後には幽々子がいた。
気配に全く気付く事が出来なかったのは、スキマを通って幽々子が来たからか、それとも妖夢がまだ未熟だからか。
「ゆ、幽々子様。彼女が大妖怪って一体」
「妖夢、そんな事よりも……宴会開きましょう、宴会♪」
「宴会!? ……えっと、理由を訊いても……?」
「何言ってるのよ妖夢。詩菜ちゃんの歓迎会でしょ?」
「あぁ……やっぱり詩菜『ちゃん』なんだ……」
後ろで詩菜が何かを呟いていたが、妖夢にとってそれはどうでもよかった。
問題は、宴会となると造る料理の量はどれほど莫大な量になるか。という事だった。
しかも参加するのは四人とはいえ、幽々子が居るのである。
先程、詩菜に間合いの内側に取られた時よりも、自分の顔が青くなっているのが分かる。
しかしまぁ、これもまたある意味いつもの事。
屋敷で既に居間に座る幽々子と、紫に連れられ屋敷に入る詩菜。
そして気合いを入れて台所へ向かう妖夢。
詩菜・志鳴徒は《幻想入り》をした。