魔理沙の家に詩菜が泊まった日から、約二週間が過ぎた。
たまたま霊夢と魔理沙が神社でのんびりと過ごしていた所に紫が来て、それでまた一悶着起きたりもしたが結局はお茶を飲んでのんびりするという結論になり、三人揃ってのんびりと過ごしていた。
そこで、魔理沙がこの前自分の家に詩菜が泊まった事を話し、霊夢があの子も意外な所があるものねと呟いた。
「……数回だけしか見た事がないわね。その鬱状態の詩菜は」
「うっそ、紫もなの?」
「……ふ〜ん。文が一番知ってるってのはどうやらホントみたいだな」
「それも詩菜が言っていた事?」
「ああ。しかし……今思ってみるとあの時の詩菜はなんでも訊けば教えてくれそうだな……」
「そんなに症状が酷かったの? ……前に逢った時からは想像出来ないわ」
「……まだ会話出来ただけでも軽い方よ? 私の時は会話どころか、死んでいるかのようだったもの。生きているのに死んでいるような、そんな状態よ」
「へぇ……余計に分かんなくなるわね、詩菜は」
そう霊夢は答えて、お茶を啜る。
表情は結構驚いているように見えるが、喋る内容はどうでも良さ気な雰囲気が出ている。
魔理沙は魔理沙で、意外なのはいつもの事なのかと詩菜の認識を少しばかり改め。うんうんと頷いている。
紫は紫で深く考えこむような顔をして、いきなり立ち上がるとスキマを横に広げ始めた。
「ちょっと、何してるのよ」
「ここまで来たら、その一番詳しい妖怪を呼び出さない?」
「って、文をか?」
「そう! 丁度来たようね」
と、呟いた瞬間、スキマの中から暴風と同時に文が降り立つ。
「あややや。一体何ですか、いきなり目の前にスキマなんか開いて……と、おや? 霊夢さんに魔理沙さんではないですか」
「ちょっと新聞記者の貴女に訊きたい事があるのよ?」
「ほう、私にですか! ようやく私の情報収集力を妖怪の大賢者も認めたと言う事ですね! ささ、何でもどうぞ!!」
そう文が言った瞬間、紫がニヤリと笑う。
それはまるで『これで言質は取ったわね』という笑み、それを見た瞬間に背中に冷や汗が出たのを感じる。
あ、ら? これはまずったかしら?
「今、詩菜がどうしているか分かる?」
「詩菜さんですか? 多分、自宅の居間でゴロゴロしてるんじゃないかと思いますけど……?」
そう文が言った途端に、紫が視線を動かした先に別のスキマが広げられる。
スキマの向こうには、だいぶ距離があるが確かに詩菜の自宅を映しだしており、縁側で日光浴をしている詩菜らしき姿が見えている。
詩菜は日光浴でウトウトしているのか、時たま頭が揺れている。どうやら彼女にバレないように紫はスキマで遠くから映したようだが、案外近くでも気付かれなかったのかもしれない。
「……当たってるわね」
「流石は当の本人、って感じだな」
「え、えっと、話の流れがよく読めないのですが……?」
「でしょうね」
霊夢が頷いているが、文にとっては何故自分がスキマを使ってまで呼ばれたのかが未だに良く分からない。
漫画的表現をするならば、彼女の頭上には疑問符が幾つも浮いているだろう。
「二週間前に詩菜が魔理沙の家に泊まった事は知ってるかしら?」
「え? ええ、自宅で一番初めに逢ったのが私ですから」
「「……」」
予想以上に彼女達が親密な関係だという事を知って、霊夢と魔理沙が顔を合わせる。
「(……家族ぐるみの関係?)」
「(千年以上も付き合ってるんだろ。それ以上じゃないか……?)」
こそこそ話している二人を置いて、紫が更に話を進める。
何気に紫は元々詩菜と文が昔から付き合いがあった事も知っていて、相棒なんて発言をしていたのを知っているのでそれほど驚いていないだけなのだが。
「じゃあ、その時に彼女はどんな事を言っていたかしら?」
「……そうですねぇ……久々に思い出したとか、鬱になったのは久し振りとか、原点に戻ったような気がするとか言っていたような……」
「原点?」
「さぁ……そこまで私も突っ込んだ話はしてないので分かりませんけど……」
そこまで言って、ようやく文も事情が飲み込めた。
どうやらこの三人、詩菜について調査しているようだ。
まぁ……どうして調査しているのかはまだ分からないが、天狗特有の素早い思考で推し量る事は可能である。
魔理沙宅に詩菜が泊まっていた事を知っているかと紫が訊いてきた。
そして『流石は当の本人』と魔理沙が言った事から、彼女の家で詩菜が私、文の事を話題に挙げたという事も推測出来るだろう。霊夢と魔理沙の密談も恐らくそれがあっている事を示す証拠となるだろう。
「魔理沙さんの家で何か起きたんですか? 恐らく私……いえ、詩菜さんについての話ですかね」
「そこまで推測したか……」
「天狗の思考能力は相変わらずねぇ」
「魔理沙が詩菜から聴いたのよ。『文が一番私に詳しいだろう』って」
「……はぁ」
なんだ、そんな事か。と考える文。
そんな詳しいかな? と疑問を持つが、確かに今までの生涯で一番親しい相手という事を訊かれて一番初めに出てくるのは詩菜であった。
そんな事を考えている内に、文が何も否定しない事から魔理沙が色々と考えだす。
「……逆に文が知らない詩菜っていうのも見てみたいな」
「そうね……でもアイツが滅多に見せない顔っていうのも、簡単には思い付かないけど……」
「式神の関係である私が知らない事を新聞記者が知っているのよ? それは彼女に訊いた方が早いんじゃないかしら?」
「それもそうね。ほら文。キリキリ喋んなさい」
「どうして拷問みたいな雰囲気になってるんですかね……はぁ」
どうやら逃がしてくれそうにない雰囲気だ。
そう思い。手に持っていた手帳を仕舞い、カメラを床に置いて畳へと座る。
「お? 話す気になったようだぜ」
「良いわよ、なんでも話すわよ。折角どこか取材に行こうかと思ったのに……で? 今までに私が見た事がない詩菜?」
「あら、呼び捨てなのね」
ますます疑惑の視線が強くなる霊夢と魔理沙。
それを避けるように身体を動かし、文も考えてみる。決して紫からの追及を避ける為ではない。
「ふむ……今まで見た事がない詩菜……」
「簡単に喜怒哀楽で考えるなら、喜と楽は簡単に想像が出来るわね」
「そうだな。それなら私も予想出来る。哀もなんとなく分かるぜ」
「そう? 私は分かんないけど……」
「霊夢は私の家に泊まった時の詩菜を見てないからな」
椅子に深く腰掛けて天井を見る詩菜はどう見ても疲れ果てている姿で、それは何かを悲しんでいるようにも見えた。
それを聴いて、紫もいつかの事を思い出す。
今は亡霊として天衣無縫としている幽々子が、まだ人間だった頃に詩菜と逢わせた事があった。
あの時は彼女に説明している内に感極まって泣いてしまったが、あの時慰めてくれた詩菜は、いや詩菜も一緒に悲しんでくれているようにも見えた。
「……そうなると、喜怒哀楽の怒、かしら?」
「そうねぇ。私も詩菜が誰かに怒っているのはあまり……ああ、弟子に怒ってるのは見た事あるかも」
「は? 弟子?」
「そう、三人の大天狗」
「……アイツ、そんな山での立場が高いのか?」
「幻想郷から出て行く前は、山の妖怪のほとんどを彼女が教育していたわよ? 今はもうやってないけど。未だにそれの話が出てくるって愚痴られた事があるし」
「……誰かに何かを教えられるような性格じゃないような気もするけど?」
「そう?」
彼女、わりと誰かに何かを教えるのは好きみたいよ? 本人は何も言わないけど、傍から見てると楽しそうだしね。
そう卓袱台に肘を付きつつ笑いながら言った所で、霊夢と魔理沙がじっとこちらを見ているのに気が付き、失敗したか。と考えた。
随分と親しいわね。相思相愛だな。そう密談している霊夢と魔理沙を見て、また変な誤解を受けそうと少し溜息を吐く。
「でも弟子に対して怒るって、そんな珍しい事でもないじゃないの」
「まぁね。でもあの時は酷かったわよ? 山が騒然となるほどの大喧嘩をしてたから」
「ケンカだぁ?」
「まぁ、詳細は知らないけどね。本人達は何も言わないから」
「ふぅん……?」
「ケンカで怒るってのも分かるが……逆に楽しんでケンカしてそうだから余計に詩菜だと分かんないぜ」
「それもそうね。楽しんでそう」
「はは……」
その言葉に文も、何も言えなくなる。確かに言われてみればそうかもと自分でも思ってしまったからだ。
改めて考え始める。詩菜が誰かに対して怒る事。怒る、怒ってしまった事。
「……自分に怒るっていうのはあるかも」
「そりゃあどんな時だ?」
「あ〜……昔の詩菜の話、知ってる?」
「?」
「人間も助けていたって話」
「あ、ああ。それなら聴いたぜ? 紫から」
一瞬、話す事を躊躇った文の顔と、詩菜の昔話だというからどんな話が出てくるのかと身構えてしまった魔理沙だが、文の言葉を聴いた途端に力が抜けたらしく、一気に肩が落ちる。
が、それも文の言葉の続きを聴いた途端に強張った。
「昔、ちょっと詩菜が居候していた妖怪の住処みたいな場所があったのよ。で、彼女が少しばかりその住処を離れた瞬間にそこは人間達に襲われて壊滅。残ったのはたった二人だけ。元々十人以上居たらしいんだけど、その殆どが殺されたか封印されたか」
「「「……」」」
「で、その時の詩菜が……まぁ、怒っていたというか、自分の不甲斐無さを嘆いていたのか……自分の拳を強く握りすぎて爪が手の甲を貫通していたのよ。人から言われて自分もようやくその事に気付く位に」
「……壮絶ね」
「……」
詩菜が何気に凄い妖怪なのでは無いかという予想をしていた魔理沙だったが、聴いた話はもっと上を行くような話だった。
紫はその話を聴き終わった瞬間、即座に有名だった『妖怪寺』を思い出した。
自分は結末しか聴いてなかったけれども、実はそんな最後だったのかと、顔には決して出さないが驚いていた。
文は当時の事を思い出していた。
あの時、彼女が一番何で驚いていたかというと、詩菜の表情だった。
血で滑る中、手をゆっくりと揉み解して開き、爪を抜いていく。
傍から見ていても痛々しいのに本人は全く痛そうにしなかった事と、そのすぐ後に心配した鼠の妖怪らしき人物が心配そうに声を掛けると、『大丈夫だよ』と
あの一瞬だけ、本当にこの妖怪は大丈夫なのかという不安に襲われた。
まぁ……今でもそう思う事はあるか。
そう考えると急に気が抜けるのだから、詩菜という妖怪は理解し難い。
「……」
「文、どうしたの? さっきまで深刻な表情をしていたけど、急に何とも言えない顔になっちゃって」
「……いえ、当時の事を思い出しただけよ」
「?」
「……じゃあ、彼女が『狂った』のを見た事あるかしら?」
「ああ……やけに感情が昂ぶり過ぎな状態の事? それも数回あるわ」
「狂った、って……?」
「……まさか吸血鬼の妹みたいなもの?」
「……そうね。概ねそんな感じね」
「おいおいマジかよ……あんなのが二人もいたらどうしようもないぜ?」
「まぁ、確かにあの時はかなり攻撃的になっていたわね」
「……紅魔館で詩菜が右手を失った時も、それが起きたのよ」
「は? え、私それは初めて聞くんだけど……詩菜は今右腕がないの?」
「あれ? 知らないのか?」
「ここ最近詩菜とは全く逢ってないもの。仕方無いじゃない」
実際に霊夢が詩菜と最後に逢ったのは冬に入る前、秋頃に逢ったのが最後だ。
紅魔館で詩菜が右手と左目を失ったのは真冬の時期。知らないのも当然である。
文が見た詩菜の狂気は、三船村での詩菜。勇儀との戦いなどがある。
三船村では紫が指す『狂った詩菜』とは程遠い狂気だが、あれも狂気の一端である事は間違いない。
攻撃的な狂気なら、勇儀と最後のケンカがそうだったかも。まぁ、あれは紫もいたし、共通認識といった感じで良いのかしら? とも考えた。
「……喜怒哀楽の怒……かしらね。見た事がないのは」
「ん? 例の詩菜が助けれなかった妖怪達の時に見たんじゃないのか? それと弟子に対して起こったっていう奴」
結局、文が出した結論は『怒る詩菜は見た事がない』というものだった。
「……あれは、自分に向けての怒りね。他者に向けられた怒りは見た事がない、って事よ。弟子の方は……まぁ、単なる喧嘩でしょうね。終わったら仲良くなっていたし」
「へぇ……」
「そうね。私も……本気で怒る姿を見た事がないわね」
「普通に怒るっていうのはあるのか? というか、普通に怒るってなんだ……?」
紫の脳裏に映る映像は、初めて詩菜と逢い、追い掛けっこをした時の詩菜。
あれは怒っているといえるのだろうか……それとも相手に対して理不尽な仕打ちは止めろという怒りだったのか。でも……、
「怒っているというかなんていうか……」
「……彼女の場合、怒っているというか『その状況すら楽しんでいる』かのような雰囲気があるのよね」
「そう! それよ!」
ようやく分かった違和感に、つい紫が叫んでしまう。
彼女は、行動の殆どで楽しんでいる。
自分が目の前で変化して驚いているのを見て楽しみ、
人間と妖怪が殺し合う場面に出遭ってしまえばどちらかを助けようと上から目線で楽しみ、
素早い移動で相手を撹乱して混乱している所を楽しみ、
自分が狂気に染まっている状況を楽しみ、
そして腕が吹き飛び眼が破裂している逆境を楽しんでいる。
異様。その一言に尽きる。
そして紫は、その結論に達してしまったが故に、その言葉を呟いてしまう。
「……詩菜が本気で怒るところを、見てみたいわね」
「……そうね。ある意味珍しいし見てみたいわ」
「……止めた方が良いと思うぜ……何だかやな予感がするぜ……?」
「私もそれには反対ね……危ないと思うわ」
霊夢も見てみたいと思い、魔理沙と文がそれは止めた方が良いと反対した。
魔理沙はあの鬱の状態の時の詩菜は、何かとんでもないものを抱えているような気がしたからだ。あれが爆発するとなるととんでもない事になると。
文は長年の付き合いで、彼女が暴走すればどんな被害が出るかもう予想が尽きかけていた。幻想郷は神風で荒れに荒れるだろうという予想が既に出ている。
だが、霊夢の勘はよく当たる。それこそ異常な程に。
その彼女がこう言っているのだ。
「そんな怒っても被害は出ないわよ。中級妖怪ぐらいしか妖力が無いのよ?」
「「……」」
それある意味禁句だから。と、文と魔理沙の心が一致した。
しかし被害は出ないと博麗の巫女が言っているのだ。本当にそうかも知れない。巫女の勘は良く当たるから。
そう言われて魔理沙が『……確かに見てみたいけどな』と思ってしまった心を文は見抜き、すぐさまここから離れる事にする。
「……はぁ……私は止めましたからね? どうなっても知りませんから! じゃ!!」
「え? あっ、ちょっと文!?」
一気にトップスピードで空へと羽ばたいて行ってしまった文。
その姿はまるで話に出てきた詩菜みたいだと、霊夢はぼんやりと考えていた。
「……行っちまったぜ。あれじゃあもう追い掛けられないだろうな。スキマも警戒してるだろうし……」
「良いでしょう。別に妖怪一人、怒らすのなんて簡単よ」
紫が新たにスキマを開く。
その先は無論、彼女の元へと続いている。繋がってしまっている。
「……んん〜? 何よ紫……いきなり目の前にスキマなんか開いて……って博麗神社?」