風雲の如く   作:楠乃

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 何度でもやるけれど、
 身体の次は精神なのだから、逆説的に言えば、精神の次は肉体だろう?
 鬱の次は悪だ。









発狂のすゝめ

 

 

 

 遂に真冬が来た、というような季節。

 今日も今日とて、喫茶店もどきにて、紅茶を啜る。

 

 ミスティアと別れてから降り続いた雪は、今もまだ降り続いている。一週間ぐらいだけど。

 

 ……あれから彼女を見ていない。

 そもそも、行動範囲が彼女と被っていない、というのも原因ではあるとは思うけれど、それでも彼女の噂を聴くこともない、と言うのは、何やら不穏な気配を感じなくもない。探してないというのも事実ではあるのだけど。

 まぁ、例え何か事件があってもなくても、別に彼女のために何か行動しようとも特に思わない辺りが、今日の精神的コンディションを如実に表しているとは思う。

 

 

 

 おっちゃんに糖分の量でまたあーだこーだ言われ、会話が途絶え、店内に入ってくる客をなんとなくでじろじろ見て観察しては、店主に営業妨害はやめろと怒られ、それを見たお客がまた驚き、仕方がないので代わりにココアのおかわりを頼み、そしてまた糖分の量でグチグチ言われ……というの数回繰り返し、

 

 

 

 

 

 ────その女性は、私の所へと来た。

 

 

 

「……貴女が、詩菜?」

「ん?」

 

 店に入ってきて、まっすぐに私の元へと歩いてきた女性が、少しの躊躇いを乗り越えて声を掛けてきた。

 

 振り返って見てみれば……まぁ、普通の女性。

 少女と言うには少し年齢を重ねているような見た目、この人里で苦労を学んだのだろう少しガサついた手肌、きつく絞られた眼尻の深いシワ、極度の恐れと、それを大きく上回る、暗い重い衝撃。

 まだまだ若いと言えそうな風貌にも関わらず、その顔や感情の起伏は酷く、誰が見ても大きな問題を抱えているのだろう、と分かるような、女性だった。

 

 そこまで観察した所で、まぁ、大体は察せるものなのだけれど……それでも本当のそうなのか、というのが少し心配ではあった。

 

 何せ一年半も前に開業してから、ようやく、

 

「何か、私に用かな?」

「……何でも屋を、やっていると聞きました。

 貴女が、────『中立妖怪』さん?」

「────へぇ?」

 

 

 

 ようやくの、初めての、真面目に真面目なお客さんなのだから。

 

 

 

「よく見付けたね。まぁ、座りなよ」

 

 隣へ座らせて、防音の結界を女性と自分を包むように張る。

 おっちゃんがチラリとこちらを見てくるけれど、私の仕事なので彼にも聴かせる訳にもいかない。あとでもう一品注文して、事情を説明せねば。

 

 とかまぁ、そんな事を考えるよりも、優先しなければならない事がある。

 

「随分と懐かしい呼び名だね。誰から聴いたの?」

「……」

「んー、まぁ、言えないなら別にどうだって良いんだけどさ」

 

 そう言い切って、おっちゃんに声を掛けて緑茶を二人分頼む。

 費用は私持ちである。そして有無を言わせず先払い。

 

 ……まぁ、その女性も、ちらりと私の顔を見るだけで何の意見も言ってくれないので、完全な私の一人相撲となってしまったのは、どうでもいいとして。

 

 

 

「さて、お仕事の話をしようか。私に何を手伝って欲しい?」

「私の八つ当たりを……手伝ってほしいのです」

「ん〜……うん、詳細を訊こうか。手伝えるかどうかは、それから決める。良い?」

「……ひと月ほど、前の話です。────」

 

 

 

 女性はどうも、肯定否定を言わない性格らしく、詳細を急に話し始めた。

 

 別に話が早く進むから良いっちゃあ良いのだけど……どうにも無表情で先へ先へと進もうとするのだから、違和感が激しい。

 それでいて心の奥底では激情の嵐となっているのだからチグハグだ。

 躁の時の私なら、面白いとか考えちゃって振り回すんだろう、というぐらいには、見た目も性格も好みなのだから困る。

 ……そう判断できちゃっている時点で、若干躁に近付いているのは確かだろうけど。

 

 

 

 何はともあれ、そんな事を裏で考えている間にも女性は話し続けており、そうこうしている間に、ぽつりぽつりと、それでいて口が止まるような瞬間もほとんどなく、詳細を聞き終わった。

 

 

 

 要約すれば、夫を女妖怪に寝取られたと。

 

 女の勘で、その妖怪が彼の事をとても好いていて、決して悪いようにはしないと分かってしまっていても、それでもその女が憎い、と。

 数年前に結婚して、ずっと子供が居らず、そしてこれからも居ないであろう家庭だったけれど、それでも彼のことが好きで、未だに大好きで、そしてその夫がその寝取った女妖怪が好きになってしまったのも、自分以上に彼の好みであると分かってしまっていて、そしてそれも合わさって酷く辛くて苦しい、と。

 

 どうにかしたくて、どうにもならなくて、

 どうにでもしたくて、どうかしてしまいそうで、

 どうかしてしまった、と。

 

 

 

 彼女はようやく一息をついたとばかりに緑茶を飲み、少し溜飲を下げたようだ。

 内の衝撃も少し収まっているようだ……まぁ、全体的から見れば、それも数%って所なんだけど。

 

 まぁ、この様子から察するに、相談できそうな相手も居なかったらしい。

 ……って事は、私に辿り着く前に何処かの妖怪に喋っちゃったのかしらね。どうでもいいけど。

 

 

 

 音が周囲に聞こえないよう、透明の結界を張っていたにも関わらず、会話が終わったのだと判断したマスターが、ちょうどなくなった私の緑茶のおかわりとして、珈琲を淹れてくれた。

 次に何を頼もうかまだ言ってなかったのに当ててくるとは……まぁ、非常にありがたいけどさ。

 

 ふむ……さてさて、どうこの問題を調理してやろうかしら……? などと考えながら、珈琲に砂糖を次々とぶち込んでやる。

 おっちゃんがまた非常に複雑そうな目で見てくるけど、当然無視である。

 

 

 

「なるほど、大体話は分かった」

「……」

「で、それで、私に何をやって欲しい?」

「……」

 

 彼女の話を聴いている最中にも、能力はずっと展開していた。

 一ヶ月も前からこんな状態の女性が、人里で噂にならない訳がないし、人里程度の範囲なら、里の端に居ても反対側の端の独り言を拾うぐらいは出来る。

 

 本人の噂話も拾って、背後関係も調査済み。この女性は白。

 妖怪の話もぼんやりと拾った。恐らく私の力量と比較しても問題ない程度の実力と関係性。

 夫との関係も確認。彼女とは幼い頃からの幼馴染で、家の関係性のみが非常に悪く、駆け落ちに近い結婚だったらしい。人里の相談相手が居ないのもこれが原因らしく、特に夫の方は完全に絶縁状態らしく非常に歪な話し方が聴き取れた。

 そんな状態で、実家からそれなりに距離がある所に二人だけで住み始め、周囲の人々とも少しずつ仲良くなりつつある時に……っていう事らしい。

 

 状況だけを見れば、夫にあっさりと捨てられてしまったような状態なのか、とも思うけれど……関係が長い彼女が夫の様子に不自然な所を見つけられなかった辺り、誑かされたとか、何かの術に嵌ったという訳でもないらしく……何よりも彼女の動機が、夫を奪われてしまった自分への、『私の八つ当たり』であって、『夫への復讐』ではないと言っている辺りが、何ともなぁ……。

 何やら、感情面を切り捨てれば夫が全て悪いような気もするのだけれど、彼女の話し方がどうも全員が全員、少しずつ悪く、ズレていった、というような言い方なのよねぇ……。

 

 それでいて私に何をやって欲しいのか、明確な目標がないと言うんだから……んー、単純に、優柔不断なのかしら?

 まぁ、どっちでもいいし、そこはどうでもいいんだけどさ。

 

 

 

 

 

 

「ふむ、それじゃあ、私にできそうな事を、幾つか提案してみようか」

 

 

 

 さてさて……確かに『中立妖怪』は、中立だ。

 

 でも決して────中庸じゃあないんだよ? 多分。

 

 

 

「私にできること、その一。

 ────今一度、全員を集めて話し合わせてあげよう。

 

 ただし、全員が納得できるまで、暴力沙汰は禁止とする。私が制定者として、妖怪も人間も、持つのは言葉の暴力だけの場を作る。何度でも機会を作ってあげても良いけど、結果は君達全員での答えのみとする。邪魔は決して入れさせない」

 

 

 

「私にできること、その二。

 ────君の好きな人を、目の前に連れてきてあげよう。

 

 彼を決して誰かに渡されないようにしてあげる。君の腕の中で、最期まで彼を置いてあげる。 君の目的が達成されるまで、君自身の安全は完全に守ってあげよう。命令するなら、目の前で殺すし、目の前で君を殺して、彼の目に焼き付けてあげても良い。もし君が望むなら、君が満足し終えた後で、君も彼の元へ連れてってあげよう。その後は知らないけれど」

 

 

 

「私にできること、その三。

 ────君を今すぐこの場で殺して、救ってあげよう。

 

 一番手っ取り早くて一番簡単。ただし、あの世で何があっても、私は知らないし責任は取らない。死んでる奴の責任なんて生きた奴が持てる訳もないし、その逆も然り、だ。

 何も気にせず、死ね」

 

 

 

「私にできること、その四。

 ────その女妖怪を半殺しにして、君の目の前に連れてきてあげよう。

 

 その後は煮るなり焼くなり好きにすれば良い。殺しても、奪っても、取り返しても、逆に寝ても、私は知らない。勝手にすれば良い。その間、邪魔は入らないようにしてあげる。好きにすれば良い。女妖怪限定で、好きに出来るようにしてあげる」

 

 

 

「私にできること、その五。

 ────絶対の審判を下してあげる。死神と閻魔を呼ぼう。

 

 白と黒に分けてあげる。私が手伝うのは審判者を呼ぶだけ。その後は絶対の法に従って行動することになるだろうけど、そこまでは知らない。すべてを決めてあげる。決めるのは私じゃないけど」

 

 

 

「私にできること、その六。

 ────妖怪に対抗するだけの力を、君にあげよう。

 

 その女性の妖怪に勝てるかどうかは、君の才能や運によるけれど、それでも対抗できるぐらいの実力を君にあげよう。ただし、君の人間性という対価が必要だ。全てに勝って彼を手に入れても、君が自殺でもしない限り、居なくなるのは彼が先だろう」

 

 

 

「私にできること、その七。

 ────彼を嫌いにしてあげよう。忘れもできないほどに、憎ませてあげよう。

 

 彼への、その愛情を反転させてあげる。迷うこともない。ただただ憎み続ければ良い。追加で、彼に対しての復讐をしてあげても良い。その逆も、してあげても良い」

 

 

 

「私にできること、その八。

 ────彼から嫌われさせてあげよう。嫌いにさせて、いつまでも覚えさせてやろう。

 

 貴女もそうだろうけど、嫌なことは忘れにくいものだから。彼にも同じように、その思いを残してやろう。彼に嫌な記憶として覚えられるけれど、それはずっと、彼の人生において末永く残るものにしてあげる。決して忘れさせてあげない。忘れさせない罪を、彼に与えてあげよう」

 

 

 

「私にできること、その九。

 ────逆に、その辛さを反転させてあげよう。

 

 三人一緒に暮らせるように、手配してあげよう。全て私が操作してあげる。好きな人と好きな人で、皆一緒に居たいと思わせてあげよう。彼女の家で夫と、妻と、妻の三人だ。皆幸せだろうね」

 

 

 

「私にできること、その十。

 ────すべてを忘れさせてあげよう。君には、何もなかった。

 

 思い出なんてなく、物体と周囲の人々だけが、事実を覚えて残っているだけにしてあげる。思い出してしまったのなら、また忘れさせてあげる。君が望むなら、思い出の品とか言われている物を燃やす手伝いもしてあげよう。新しい人生を始めるお手伝いをしてあげる」

 

 

 

「私にできること、その十一。

 ────君を、本当に、どうにかさせてあげよう。

 

 狂ってしまえ。すべてを忘れて、心の赴くまでに、最後の最期まで、貴女は正気を取り戻さない。本能のままに行動を取り続けるようにしてあげる。貴女を縛る法や枷、恥ずかしさや外聞なんて、綺麗サッパリ取り除いてあげるから、好きにすれば良い。文字通り、好きにできるようにしてあげる。責任は全て自分、だけどね」

 

 

 

「────こんな所かな。私にできることは」

「……」

 

 

 

「さぁ、人間。

 『何』を、選ぶ?

 

 ────君の選ぶ道を、旅の神に教えておくれ?」

 

 

 

 

 

 

 あぁ………………今、私、悪の顔をしてるんだろうなぁ。

 ……まぁ、楽しく感じちゃうんだから、仕方ないよねぇ?

 

 

 


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