目は鏡であり、鏡は神秘へと繋がる扉である。
ようやく自分に掛かっていた封印が完全に解けている事を確認したフランと共に、パチュリーが遂に突っ伏したテーブルに座った所で、二階のフロアから拍手が鳴り響いた。
「凄いじゃないか詩菜。完全体のパチェ相手に完封なんて」
「……まぁ、逃げ回るだけで良いならね」
フランと一緒に見上げれば、欄干に寄り掛かってこちらを見下ろしている、この屋敷の主が居た。
ワインでも片手に持ってそうな感じに上機嫌な彼女は、そのまま優雅に階段から降りてきて、そのままパチュリーの隣の席へと座った。
「パチェもお疲れ様。ここまで全力で動き続けたの、もしかして初めてじゃない?」
「はぁ……流石に初めてじゃないわよ……あの鎌鼬に追い付こうとした私が馬鹿だったわ」
「……なんだろう。寧ろ私がバカにされてる気がする……」
「してはいないよ……」
思わずそう呟いた私に反応してフランがそう返した所で、ようやく小悪魔が復活したのか慌てて水の入ったコップを持ってきた。
だから君は落ち着きなさいと。そんなのだからちょくちょく運ぶ荷物をコケて倒したりするんだろうに……。
少しハラハラしながら小悪魔がコップを運ぶのを眺めていたけれど、普通に運び終えてパチュリーに渡して、また彼女はワタワタと小急ぎで本棚の奥へと走っていった。
……弾幕ごっこの影響で何かが倒れたり汚れたりは、見ている感じでは無かったけれど、何をそんなに慌ててるんだろう……?
そんな事を考えながら彼女を追っていた視線を戻してみれば、レミリア、フラン、パチュリーの全員の視線がこちらへと向いていた。
姉は笑っているが目は冷徹なままで、
──魔女は研究対象でも見るような目で、
────妹だけ、は少し疑わしそうに、それぞれ私を見ている。
……何か、私したっけ?
「どしたの?」
「……そういえば、地底で大暴れしたそうじゃないか。また入院したんだって?」
あからさまに話題を変えられた。
まぁ……何が狙いなのかも分からないけど、一切私に『
「まぁね。大昔の友人に逢ってきてね、喧嘩別れしたのを再会してきた」
「喧嘩ってレベルじゃないわよ……アレは」
「……って、パチュリーが言ってるけど?」
「んー、まぁ、本人達的には、まだ喧嘩」
妖怪の山で昔に鬼と天狗が共同生活をし始めた時に比べりゃあ、そりゃ殺意も半分以下って感じでしょうよ。
その時は鬼も天狗も気に入らない奴は問答無用で殺そうとしてたし……まぁ、それを止めるのが大体は私の役目だった訳だけど。
年齢的にも、多分吸血鬼姉妹が生まれる前の話か……大体九百か千年程昔だから。
当時は酷く荒れてたからなぁ……私も何回か勢い余ったこともあったし……まぁ、それは、それこそ今はどうでもいいか。
昔の話は置いといて、今はやけに私を見ている、いや、視てきている眼の前の三人だろう。
「それで?」
「なに、珍しくパチェも褒めてたのさ。『結果も過程も馬鹿だけど、今まで見た事のない程の高効率化術式だった』ってね」
「……それ褒めてる?」
「褒めてない」
「って言ってるけど」
「はぁ……自身の構成分子すら消費しかける術式よ? 前提がそもそも論外よ」
「あ、やっぱり術式変換時にその部分を無効化してたのか。道理で消耗が遅いと思ってた」
「……あの鬼が怒るのも分かる気がしてきたわ……」
頭痛がするかのように眉間を抑え始めたパチュリー。
隣では妹が心底呆れた冷たい眼で私を見ている。姉は……まだ楽しげにこちらを見てるけど。
いや、言い訳をさせて欲しい。
そもそもあの『ビクシオマ』は私単体で撃てる様に作った唯一の弾幕だ。
そりゃあ性質上、体質上、撃てないのは諸々承知で、何とか作り上げた、たった一つの遠距離スペルだ。
足りないものは何処かから持ってくるしか無い。使えないものは何か他のモノで代用するしかない。
そもそも、魔女達の協力がなければ50発撃った所で気力も妖力も全て使い果たしてるだろう。大本の、それこそアトルムドラゴンの方ですら再現出来ないレベルの状態だったのだから。
それが彼女達の協力を得ても、暴走状態にならなければ術式の完了・終了すらも満足に出来ないのだから。未完成にも程があるし、私の実力がお粗末すぎる。
だからむしろ、パチュリーのお陰で寧ろ三週間の昏睡で済んだ、という所だと思う。
彼女が行った術式の一部
まぁ、今まではその大技を使うこともなかったし、それこそ死んでも良いような相手にだけ使う締めの技、だったんだけど……まぁ、私の代わりに制御してくれるヒトがいたからね。託しちゃっていっかな、って思った訳で。
……勇儀に話したように、誰かの手を借りて喧嘩なんて、今までしたこともなかっただろうさ。
それこそ一人で無茶をするか、あるいは一人で逃げていたかもしれない。
そう考えてみると……まぁ、昔の自分じゃあ、多分、しないようなこと、かな……。
そうぼんやり考えていると、紅茶が目の前に置かれた。
腕の先を見れば、少し汗をかいている小悪魔が、紅茶を運ぶワゴンを押しながら笑いかけてくる。
……まぁ、多分、悪意は無いんだろうけど。
「────これ、血が入ってるし、フランかレミリアのじゃない?」
「えっ!? あっ、す、すみません!」
「ん」
まぁ、あからさまに人間の血の匂いがする紅茶は、私のではないだろう。
それも、その匂いがするカップが二つしか無いとするなら、それでもう確定だ。
そのままソーサーを掴んでフランの席へと動かす。まぁ、無作法なのは承知だ。そもそも作法なんて一つも知らないけどさ。
謝り通す小悪魔に気にしてないよと手を振りながら、代わりの紅茶を受け取る。
────うん、紅魔館で飲む紅茶はやはり香りが格別だな。
最近行ってない人里のあのおっちゃんの所で飲むものも美味しいけど、あそこは品物のバリエーションが豊かなのと、ある一定のレベルのモノまでしか置いてないからねぇ……。
とは言え、比較的味音痴な私が具体的な味の評価が出来るわけでもなし、単に美味しく感じるのはどちらかと訊かれたら紅魔館の方、と答えるだけなんだけどさ。
という、まぁ、現実逃避は置いといて。
「「……」」
「……なんでこんな睨まれてるのか、訊いても良い?」
パチュリーだけはあの視線を止めて気だるそうにこちらを見て頬杖をついているけれど、レミリアは相も変わらずに眼が笑わずにこちらを見ているし、フランはフランでまじまじと私を見ている。
……本当に何か、私したっけなぁ……?
この前来た時、は、確か一月前とかだった筈だから……えーっと?
ミスティアに逢う前だから、それこそ別に何か起こしたりはしてないと思うんだけど……あ、アレかな? 私を『中立妖怪』として初めて認識してきた女性の件とかかな。
でもアレはアレで、領域としては妖怪の山近辺だし、あの女妖怪も古くから山に居る妖怪な訳だし、それこそ幻想郷に引っ越してきた吸血鬼とは縁が無さそうなんだけどなぁ……。
それ以外としたら、まぁ、人里の喫茶店にぐらいしか出かけてないし、文と話したか、彩目を『おまじない』問題で弄ったぐらいかなぁ……。
別にその間に魔術を使ったのも数回だし、それも天子が来た時ぐらいだし、ていうか寧ろ盛大に邪魔されたぐらいだし。
うーん……今回ばかしはどうやら私の直感も働いてくれないみたいだし、本当に思い当たる節がないんだよねぇ……。
レミリアだけが気付くような『何か』で、一部の事情の知っているパチュリーが見抜けない『何か』で、破壊し尽くす眼を持ったフランが見抜けない『何か』? ……うーむ?
まぁ、別に私がどうこう視られようと、その核心部分は紫ぐらいじゃないと見抜けはしないと思うんだけど……流石にここまで見られているのも居心地が悪い。
フランなんかは能力でも使っているのか、明らかに魔術でも妖術でもない、別次元を見る眼で私を見ているし。
レミリアは相も変わらずこちらを見ているけれど、机に肘を付いて組んだ手で口を隠して、いつぞやのように威圧でこちらを圧迫してきた。
まぁ、永遠亭で肉体そのものは完治したし、別に精神状態も……まぁ……妹紅の事を除けば特に問題なしだろう。多分。
隣に居る妹の発狂事件の後の時のような、放出された威圧感で自壊を始めてしまうほどダメージがあるつもりもない。
そういう意味で、前回は自分の傷にもぼんやりと対応してしまっていた訳だけど、今回は本当に睨まれる理由が分からない。
という訳で、結局の所、肩を竦めるしかできない。
やれやれだぜ。
「……そんな睨まれても、何をどうしろっていうのさ。何か面白い運命でも視えた?」
「……貴女も似たような権能を持った神でしょう? 人生の旅路の運を操る神様」
「おおぅ、レミリアからそんな事を言われるとは思わなかったよ。生憎と私の権能は私自身が対象外なんだよねぇ」
私以外、であって、『私』は、含まれるんだけどね。
まぁ、そんな事まではペラペラと喋るつもりはないけど。
それにしても、『運命を操る程度の能力』だったかね。
まぁ、詩菜の運命と、完全に隠しているつもりの志鳴徒の運命まで視えている能力なんだから、何かしら視えてるんだろう。多分。
そんな感じで、自分自身の権能に不満がある、というようなニュアンスの冗談を噛ましてみても、彼女からの反応は芳しくない。というか寧ろ反応がない。つまらん。
ちらりと横を見てみれば、既にフランの眼も元の状態に戻っていた。
視線を戻して、姉の隣にいる魔女を見れば、────こちらも変わらずにこちらを見ていた。
さっきまで飽きたかのように見てなかったパチュリーと視線が絡む。
けれど、その視線は先程よりもずっと強く、こちらに何か意志を伝えようとするかのように、眉を顰めて見てきている。
……ふぅん?
「まぁ、いいや。今日は訊きたい事も訊けたし、これぐらいで帰るとするよ。元は地底の事でパチュリーにお礼を言いに来ただけだしね」
そう言って、紅茶を飲みきって席を立つ。
知りたい事も、まぁ、そう誘ったとは言え、予想以上の収穫が手に入ったし、私は大満足だ。
吸血鬼姉妹は虚を突かれたように呆然としてるけど、まぁそこは無視無視〜♪
「あら、そう。本当に指の刻印は解除しなくて良いの?」
「いいよ、機会があれば適当にやっておくよ」
「……それ、テキトーじゃないでしょうね?」
「信頼ないなぁ……」
信用云々は当然でしょうに、とか魔女に言われつつ、手を振りながら図書室を出ていく。
あの姉妹がどういう意味で私を見てきていたのか、いまいちどういう理由があったのかは分からないけれど────まぁ、パチュリーが何か牽制してくれているって事は、多分以前話した私の根幹とも言える部分なんだろう。
だから、今回は彼女の言う通り、この場では、何も言わない。
魔女だけが私の離席に対応できた、という事が正解ということだろう。多分。
「じゃあ、またねー」
「……詩菜!」
そういう感じでさっさと帰ろうとした所で、レミリアに声を掛けられる。
図書館の扉をくぐる、その直前で振り返ってみれば、椅子を後ろに倒す勢いで立ち上がったレミリアがこちらを見ている。
「どうしたの?」
「……千四百年も生きてるんだもの、当然何か背負ってるんだろうと思うわ……
────でも、何か、私達にも、『それ』は手伝えない?」
……ああ、そういう?
こういう所で、カリスマで訴えかけて来ないから、レミリアは良いよね。
当主らしさとも違う、彼女らしさと言うべきか。
「大丈夫だよ」
「……本当に?」
「全くもって問題なし。というか、レミリアが見てる『何か』がどれなのかは分からないけど、多分指摘してるだろう『これ』は直らないし、直す気もないよ」
「……」
「というか、悪いけれど、荷を下ろすつもりはないし、誰かに渡す訳にもいかない」
寧ろ、奪い取ってくれるな。
そういう意味じゃあ、レミリアのその態度は、今回は間違いだろう。
天の邪鬼な私に、感情論で訴えかけた所で相反しちゃうだけなのだから。
絶望、とまではいかないけれど、何処と無く悔しそうな苦い表情の姉妹と、感情を表面に一切出さずに酷く動揺してる魔女達の感情と衝撃に、つい笑ってしまう。
こういう所が性格悪いんだって、自覚しているし、あまり出すべきでないのも分かっちゃいるけど………………いやぁ、つい面白くて笑っちゃうんだよねぇ……。
「ま、何かあったらまた頼るよ。じゃあねぇ」
「「「……」」」
あー、笑ってくれない。