私は守矢の神社の近くまで来ていた。
迂闊に境内に入れば、私が半人半妖だとバレてしまい即座に風祝やら巫女に退治されるだろうから、入る気はさらさら無いのだが。
まぁ、そんな危険な事をしてまでここに来る必要性は、恐らくあるとは思う。
じゃあ何の用でここに来たかと言うと、特には無いのだが、
因縁の、私と詩菜が出会い。
そして『彩目』という妖怪の始まりを見てみよう。という気になったからだった。
守矢の神社の裏側から一本の獣道を辿る。
詩菜が切り刻んだ木々は全て切り株になり、歳月が破壊の跡を変えてしまったようだ。
草花は自前の再生力で以前のままのようだが、何百年と成長する樹はそんな簡単に復活しない。
鎌鼬の、爪痕…だな。
広場に出た。
私はここで、倒され刺され貫かれ犯され弄られ斬られ刻まれ、そして妖怪と変化した。
今でも嫌な思い出だし、事細かに思い出そうとすれば顔から火が出そうだ。
…あの時、私は詩菜に吹っ飛ばされて空を飛んでいた。
肉体が常軌を逸した速度で回復するのを見て、奴が私にした事を理解して、私は私自身に恐怖した。自分自身が恐ろしかった。
しかし既にアイツの血肉によって強制契約された私は、食べたくもない奴の左腕を更に喰い続けていたのだ。
漸く着地した時には既に左腕は喰いきっていて、私の腕は完全にくっついていた。
半人半妖『彩目』が誕生してしまったのだ。
その着地も身体を巧く使い、受身を取って傷もなく着地したという事も、私にとっては恐ろしい事だった。
だってそうだろう? 普通、人は三階から飛び降りただけでも足が曲がるというのに、私に至っては山の頂上から勢い良く飛び下りて、それでなおかつ『着地成功』したようなものなのだから。
身体から湧き出てくる赤黒い妖力。今まで白かった筈の霊力は、黒が混ざり濁った白色になった。
今まで重い動きをしていた肉体は、恐ろしいまでの力と柔軟性を持っていた。
妖力を持っている人間など、人間ではない。
濁った霊力を持った人は、人間じゃあない。
忌まれ疎まれ憎まれ…人々は私をとことん、迫害した。
そりゃあ自分とは違う存在だ。怖くもなる。
初めは、即座に自殺しようと思った。
人間らしく、妖怪退治屋らしく、妖怪に殺されようと思った。
だが、死ねなかった。
理由は死ぬ勇気がなかっただとか、死ぬような機会がなかっただとか、そんなちゃちな物では無かった。
アイツが、私が死ぬのを、『命令』で止めていたのだ。
死ねなかった私は、今度は復讐を考えた。当然目標は『詩菜』だった。
妖怪のような私は、一つの場所に長期間居る事が出来ず、私は各地を転々とした。
詩菜の噂は、簡単に手に入った。
アイツ自身が目立つ事をしていたのだ。妖怪人助け屋などと。
じゃあ私はなんなのだ?
奴に襲われ、怪異に身を変えられた私は、一体何なのだ。
私は奴の数知れない玩具なのか? 遊び道具か?
噂を聞けば聞く程、恨みは増していく。
成長が止まった私がたどり着いた平安京は、まだ優しい世界であった。
実力者だけが勝ち進んでいく陰陽師の世界は、異形の私を見ず退魔師の私を見てくれた。実力だけだ。
それでも妖力混じりの人間など、あまり好まれもせずに私を上辺だけで見ているような感覚がしたが。
まぁ、その頃には幾分か妖力を操る事が出来たし、隠す事も出来た。
そうやって国々を巡り巡って、ようやく詩菜に会えたというのに。
詩菜は反省し正気に戻っており、
私はアイツを見た途端に殺す気が雲散霧消する。
とんだ茶番である。
「…ハハハハ。私を退治しに来たんですか? 守矢の神様」
どうやら随分と酷くボーッとしてしまったようだ。神様がこんなに近くに来るまで気付かないなんて。
振り向けば金色の髪を持つ少女がいた。
見た目は子供だが、間違いない。かなり高密度の神力を持っている。守矢の神様だ。
周囲の木々は全てが途中で切れており、一本だけ残った木の傍にその神様が立っている。
私は不謹慎だが、臨戦態勢をとる。私は妖怪だ。退治されて然るべき存在なのだから。
だが、相手から聞こえてきた声の内容は、予想を遥かに越えていた。
「……いや、友人の気配がしたから来たんだけど…あれ? 違ったかな?」
「…私から、ですか?」
「ん~? うん」
私と気配が似ている存在というのは、詩菜しかいない筈だ。
だが、アイツは妖怪。神々と仲良く出来る筈がない。のだが……?
「もしかして…その友人というのは……詩菜、では?」
「あれ? もしかして知り合い? ……ははーん、って事は何処かに隠れているな!?」
こ…この御方は、本当に守矢の神様なのか…!?
何故そんな子供みたいな真似を……いや、確かにアイツならしそうではあるが…。
幾ら何でも神様相手にそんな事をする馬鹿ではないだろう……多分。
「いや、アイツは今、都に居ますが…?」
「都か。ああ、そんな噂も……ん? あれ、もしかしてキミは……あの時の、彼女?」
「……あの時の。というのは、詩菜が人間を妖怪とさせた時の事ですか?」
「そう! って、本当に…キミなの?」
……はて、私はどう答えれば良いのだろうか?
肯定するにしても、なんだか詩菜を認めているようで癪なのだが……。
…とか考えている間に、向こうは結論に達したらしい。
「生きてたんだ! 良かった~…あ! もしかして詩菜の気配もキミ?」
「…まぁ、恐らく」
「……あ~、もしかして……ゴメン、謝る」
「い、いえ! そんな謝られましても…!」
神様から謝られるなど、私は何もしていないぞ!?
そんな恐れ多い事なんて全くしていない……そもそも退治されて然るべき存在の私が…。
「一応、その…本人曰く仲直りと言いますか…しましたけれど……」
「そっか。良かった」
…にっこり笑いかけられても、私にそんな資格は………。
「ねね! 詩菜は都でどんな感じ? って、訊いても良いかな?」
「あ! え、ええ…まぁ……良いと思いますけど…」
「それなら立ち話もあれだし、神社においで」
「よろしいのですか…!?」
こんな、妖怪を……!?
「ふふ、それこそ彼女はこう言うんじゃない? 『どうでもいい』って?」
「ッ!」
「行こっ♪ ねっ!」
確かにアイツなら、そう言うだろう。
……神様と友人って、どういう事だアイツは!?
そんな理解不能な事が頭の中を回りつつ、私はこの小さな神様に引っ張られて神社に連れていかれてしまった。
「私は諏訪子。洩矢諏訪子だよ♪」
「私は八坂神奈子だ」
「わ、私は、彩目と申します…」
何故だ?
何故私は守矢の神々の目の前で、自己紹介をしているのだ?
「……やっぱ詩菜みたいに喋ってくれないか~」
「当たり前だろ。や、すまないね。いきなり連れてきちゃって」
「い、いえ…」
だから…神様がそんなに簡単に謝って良いのか?
そんな同等の立場のように話しかけても良いのか? 半妖の私に?
「ん? ああ、そんな事気にしなくていいさ」
「そうだよ~? まぁ、詩菜も初めは堅かったけどねぇ。とある事から気楽に喋ってくれたよ」
「…まぁ、予想はつきますが……」
アイツの事だ。色々と重なってはっちゃけたに違いない。
もしかしたら神様の面目を丸潰れにし、じゃあもう良いや……という事も、ありえそうだ。
「…ま、キミの事件があってからは彼女を追い出したんだけどね」
「え……?」
「それまで詩菜と私らは一緒に暮らしていたのさ」
「神と…妖怪がですか!?」
そんな事が…あって良いのか……!?
だからどうしてアイツはそう常識の斜め上をいくのだ!?
「……まぁね。私らも色々と言われたよ」
「でも、初めに気に入ったのは神奈子だよねぇ♪」
「バッ、バカ! 何を…ッ!」
「倒した時、あんなにニヤニヤしてた癖にぃ~?」
「あっ、あれは……その…」
漫才を繰り広げる神々を前にして、私はかなりの衝撃を受けていた。
私は詩菜・志鳴徒を憎んできた。
でも、アイツに好意を持って接している奴の前で陰口を言える程、優しくない奴にはなれない。
そしてこんな心暖まる話を聞いたら、
もう、憎めないじゃないか。
「ちょっ、どうしたの!? いきなり!?」
「え?」
二柱に顔を覗き込まれる。
と、同時に頬を流れる熱い何かを感じる。
……ああ、そういえば、何十年も昔の私は泣き虫だったなぁ。
涙を流したのは、妖怪になってから初めてかな…?
「……詩菜が言っていたんですよ」
「…何を?」
「…妖怪も神様も人間も変わらない。って」
私の看病しに来ていた時に話した言葉だ。
私はアイツの話をただ聞いているだけだったし、その意味もよく考えていなかった。
そういう意味なのだろうな。
「私、ここに来て良かったです」
「…私達は何もしてないさ」
「そうだよ。したとすればキミと詩菜なんだから」
「…ありがとうございました。もう一度、詩菜に逢いに行こうかと思います」
吹っ切れた。
ちゃんと話し合ってみよう。話をしてみよう。
「そうか。なら詩菜にたまには来い。って伝えときな」
「滅多に来ないんだもんね」
「いや、そりゃ誓約があるからねえ…」
「はい。ちゃんと連れてきます!」
「おっ! 元気になったね?」
「頑張ってね~!!」
「ありがとうございましたッ!」
やってやろう。
まずは能力使って詩菜とトコトン喧嘩でもしてみよう。
私の気が済んだら、アイツの話もちゃんと聞いて、
アイツの娘として、半人半妖として、生きてみよう。