ラインハルト様が皇女殿下二人とイチャイチャする話 作:川崎忍ノ介
長かった婚前旅行も終わりを迎え、ラインハルト一行はいよいよ帰還ということになった。
出発前の雑事も終わり、あとは当人たちが乗り込むばかりである。
「世話になったな、ヤン提督。卿と卿の部下たちのもてなしは素晴らしいものだった。―――今回築かれた絆が、今回一時のものではなく、できる限り長く続くことを期待している」
ラインハルトは形式ではなく、心からの謝意を込めてヤンと両手で握手を交わした。
「至らぬ点も多かったかと存じますが、気に入って頂けたのであれば幸いです。こちらこそ、我々の友情が長く続くよう願っております」
応えるヤンの声も嘘偽りのない本心であった。
ヤンの後ろには彼の幕僚たちが顔を並べている。彼らの顔は八割がたようやく接待から解放されるという安堵に満ちていた。もっとも、二割は寂寥を感じているのだ、と思えば十分すぎる成果ではあったが。
さらに彼らの後ろでは、ラインハルト一行の女性陣と同盟の御婦人方が何やら談笑していた。ラインハルトは確かに紹介された覚えがあった。あれは確か、キャゼルヌ少将の御夫人、オルタンスとその令嬢二人、そしてヤンの副官フレデリカ・グリーンヒルだったはずだ。
エリザベートとサビーネがフレデリカと少女二人に熱心に何かを説いているようであった。雰囲気から察するに、どうやら碌でもないことを教えているに違いなかった。
ラインハルトは気を取り直して再びヤンの方に向きなおる。
「さて、ヤン提督。本来ならばこのような場で口にすべきではないことなのかもしれんが、一応お約束として聞いておこう。―――私に、仕える気はないか?卿がこの提案を是とするのであれば、卿とその部下たちを、私は厚く遇するであろう。特にヤン提督、卿には格別の待遇を用意した」
「いえ、非常にありがたいお話ですが―――」
条件を聞いた後で断ってしまっては条件を釣り上げていると思われてしまう。そう考えたヤンは即座に断ろうとした。
「銀河帝国宰相直属、ゴールデンバウム皇家歴史編纂委員」
なんとも蠱惑的な響きを持つ肩書だった。思わずヤンは拒絶の言葉を忘れてラインハルトを見つめる。
「私が新無憂宮を制圧した時、歴代の皇帝にまつわる、彼らが歴史の闇に封じようとしたさまざまな極秘文書を押収したことを知っているかな?銀河帝国広しといえども、閲覧どころか手を触れることすら限られたほんの数名にしか許されぬ秘中の秘。いや、私も主だった部分をいくらか読んでみたが実に興味深い内容でな、寝食を忘れて見入ってしまった」
ヤンは、揺れていた。理性では断るべきだと理解している。だが、本能が断りの文句を口にすることを許してくれないのだ。
そもそも、自分の夢はなんであったか。歴史の勉強がしたくて、研究がしたくて、一生のうちに一冊でも本が出せれば、などと考えて、今は亡き父を説き伏せたのではなかったか。大して厚遇してくれるわけでもない同盟に操を立てたとして、喜ぶのは安全な場所から主戦論を唱える政治屋どもばかりではないのか―――。
長い、沈黙。ヤンのそばに控える幕僚たちも息を吞んで彼の返答を待っていた。
沈黙を破ったのは、ラインハルトであった。
「すまない、ヤン提督。卿を困らせるつもりはなかった。明確に否と言われたわけではない。今日のところはその程度で満足しておこう。―――ではな、次に会う時まで壮健であってくれよ」
そう言うとラインハルトは身を翻し、宇宙船に乗り込んでいった。他の随行員たちも次々と後を追っていく。
そうして、すべての準備を終えたラインハルト一行はイゼルローンを出港した。
指令室のスクリーン上に映し出されたラインハルト一行の船。だんだん小さくなっていく。視界から消えるのもそう先ではあるまい。
その様子を、ヤンは身じろぎもせず見つめていた。
「良かったのか、ヤン。何も言わずに帰して」
「先輩……」
キャゼルヌが、ブランデーグラスを両手にヤンの隣に歩み寄っていた。片手のグラスを、ヤンに差し出した。
黙って受け取ったヤンはグラスを回し、立ち上る香気を胸に吸い込んだ。
「ローエングラム公と行動を共にしていて思ったんですよ。もしかすると彼は、同盟領を征服することに、さほど価値を見出していないんじゃないか、とね」
キャゼルヌにとってはにわかには信じがたい話だった。だが、あの戦争の天才が戦を前に敵と馴合うことはするまい。そう考えると頷ける話ではあった。
「平和が訪れるなら、自分が帝国へ身を寄せたとてそう大勢に影響はあるまい―――と?」
「むしろ、『狡兎死して走狗烹らる』ようなことにもなりかねない。なら、そうなる前に高値で買ってくれるところに売りつけた方がまし―――いや、後付けの言い訳だな、こいつは。歴史編纂委員という地位は、少なくとも元帥杖だの司令長官だのという御大層な肩書よりもよほど魅力的だったんですよ、私にとってはね」
同盟の誰もかれもが自分を不敗の名将だの魔術師だのと崇める。自分が好きでこんなことをしているわけでもないと知らずに。そんな地位だの名誉だの、知ったことかと言って放り出してやれば、彼らはどんな顔をするだろうか。そんな暗い喜びを感じたのも確かなのだ。
「こいつは、俺の女房がローエングラム公の婚約者から聞き出した話なんだが……あの、エリザベート嬢とサビーネ嬢は、新設された内国安全保障局という諜報機関のトップだそうだ」
思わずヤンは苦笑した。自分のことをよく調べている。いっそ感心するほどだ。経歴に関しては隠しているわけではないから調べ上げるのはそう難しいことではない。だが、そこから自分が実は歴史家志望だ、などとどうやったら結び付けられるというのか。おそらく、同盟首脳部はそんなことを聞かされたら鼻で笑うだろう。
「そういえば、彼女たちは門閥貴族を早々に見限ってローエングラム公に身を寄せたのでしたね。―――大した情報収集と分析能力だ」
天才同士が引き合うかのように次々とローエングラム公の周囲を固めていく。そしてその後ろには優秀な実戦指揮官たちが十分な数と装備を揃えて背後を守っている。もはや、現時点での勝算はゼロに近いのではないか。
「イゼルローンに籠っていれば少なくとも負けはない。けど、そんな戦術的な勝利に何の意味があるのか……」
ローエングラム公の領土的な野心が満たされている、というのはまさに僥倖というべきだった。首脳部から地球教の影が排除されれば少なくとも戦争以外の道を模索するだけの分別は得られるだろう。
「決心がつきましたよ、先輩」
グラスのブランデーを一息に飲み干し、ヤンはキャゼルヌに向き直った。
「同盟と帝国との間に和平、もしくは不可侵条約を締結させる。それが実現すれば私はお役御免です。大手を振ってローエングラム公のもとに身を寄せて、極秘文書の閲覧に精を出しますよ」
そのためにはこの宇宙から地球教を一掃しなければならない。気の遠くなるような作業だが、少なくともこの件に関してはローエングラム公とルビンスキー自治領主の二人が味方なのだ。最も敵に回したくない天才と異才が味方にいる。そのことはヤンの心をいくらか軽くしてくれたのだった。
おまけ
「ラインハルト様」
エリザベートが何やら深刻な顔をしてラインハルトのもとに歩み寄ってきた。傍らにはサビーネとヒルダも従っている。二人も、同じく深刻な顔。
「な、なんだエリザベート。何やら不穏な空気を感じるのだが」
ラインハルトは明らかに怯んでいた。帝国軍諸将が見れば目を疑うような光景だった。
「―――私は、あの事を知っていますよ」
エリザベートが、ラインハルトの目を真っ直ぐに見て、そう言い放った。
瞬間、ラインハルトの全身に鳥肌が立った。
なんだ、なんだというのだ。いつ?いや、そもそも何のことを言っている?そもそも三人に対して後ろ暗い、何を自分はやらかしたのだろうか?
迂闊なことは言えない。答えが間違っていれば自分は奈落へと落ちることになる。
戦場で数万隻の艦艇に囲まれてもそこまでは、という圧倒的な速度でラインハルトは脳を全速で働かせていた。
「―――と、そう言えば大抵の男は黙ります、とキャゼルヌ夫人より教えて頂いたのですけれど……効果がありすぎて、怖いくらいですね」
いえーい、と作戦の成功をハイタッチで祝福する婚約者三人であった。
ラインハルトは、もはや怒鳴りつける気力も湧かず、その場にがっくりと膝をつくのであった。
終われ