さて、まずは旧世界――――地球における日本の立ち位置を確認しておこう。
日本は古来から神々に近しい、島国特有の宗教観を持ち神代から続く皇室を有する世界唯一の国家である。
それ故に、こと神秘において極めて繊細な土地柄であり、神話――――つまり歴史を正しく編纂することでこれに対処する組織が古くから存在する。
これが正史編纂委員会である。
この組織が『民』と呼ばれる廃藩置県以前の土地由来の術者一族達といざこざを起こしつつも、しかし災害多き島国故に有事の際には一丸となって様々な神秘の問題にあたってきたのだ。
だがそれも明治までの話。
その頃から魔法世界の干渉が始まっていた。
神木、世界樹を神祖が2000年以上前に確保した名残を魔法世界の権力者たちは利用し、戦争の隙を縫って少しずつ侵略し、遂には二次大戦後の復興を足掛かりに関東魔法協会を創り上げたのだ。
その時、海外との魔術的通信ラインはズタズタにされた。
大戦というだけで既に問題だったのが、この侵略が致命となり鎖国に近い状況に逆戻りしてしまったのだ。
無論、昨今の秘匿が極めて困難になるほどの情報化社会。個々人のやり取りは当然行われているし末端同士のやり取りは絶えている訳では無い。
だが、少なくともヨーロッパの各魔術結社の上役達は、日本の上層部に連絡を取ろうとすること自体、思い浮かべることができない弊害が戦後半世紀で生まれてしまったのである。
故に弁護という訳では無いのだが。
少なくとも、王の執事と呼ばれる者にとっては長が代替わりした正史編纂委員会の上役への伝手など、持っている筈が無かったのである。
第三十八話 魔王不在にて
「わぁ……!」
ネギは麻帆等学園を象徴するような巨大な神樹のお膝元、世界樹広場に足を運んでいた。
理由はそこまで複雑な物ではなく、単純に学園側から呼び出されたと言うだけのもの。
彼の感嘆の声は、勿論世界樹の巨大さもあるだろうが、何より広場に集まっていた面々である。
「やぁネギ君、此方だよ」
タカミチが手招きをした場所には、数十の魔法使いが集まっていた。
学園の魔法先生と魔法生徒の、一部例外を除いた全員集結である。
魔法先生との訓練から、タカミチは勿論ガンドルフィーニや神多羅木など幾人とは顔見知りだ。
しかし、それ以外の魔法生徒となれば話は別。
10歳のネギが最年少なのは変わらないが、幾分歳が近くなれば感覚もまた変わる。
魔法先生は『教
「さて、君達は彼との顔合わせは初めてだろう。現在麻帆良に修行として来日しているネギ・スプリングフィールド君だ。仲良くね」
好奇を主に様々な視線がネギを貫くが、元よりネギは英雄の息子。視線には慣れている。
(アカリの視線に比べれば─────)
彼に、無意識に他者とアカリを比較してしまっている自覚はない。
無意識の比較とそれによる安堵を抱くが、学園長こと近右衛門の咳払いと共に視線は翁に奪われる。
「さて、今回集まってもらったのは他でもない。近日に控える麻帆良学園全域のシステムメンテナンス、それに伴う大停電のことじゃ」
その言葉に全員の空気が引き締まり、その様子に眼を輝かせる。
それは、実戦経験を備えた戦える魔法使いの姿だったからだ。
英雄と讃えられるような程の力があるわけでは無いのだろう。
しかし、戦場に立たんとする彼等は、紛れもなく勇者なのだから。
そんな感動から、ネギはハッと顔を振って懐から先日渡された資料を取り出す。
(大規模防衛……!)
高位の魔物さえ弱体化を余儀無くされる、学園都市全域に設置されている大結界。
電力で発生させているため術者や魔力が必要が無いという凄まじいメリットと引き換えに、その一時的解除により起こる侵攻。
ネギが求めた『実戦』である。
緊張も不安もあるが、少しでも父に近付くチャンスの到来に胸を躍らせていた。
「去年の防衛では彼らに頼りっぱなしであったからの。今年は我々の役割を全うするのじゃ」
「彼ら……?」
『……』
近右衛門の言葉に、去年の出来事を唯一知らないネギが、疑問符を浮かべる。
その反応に、ざわり、という程ではないが、少し周囲が揺れた。
「ふむ。ネギ君、瑞葉―――皐月君から話や自己紹介は聞いていないのかい?」
「皐月さんですか? 色々お世話になっているけど、今関係があるの? タカミチ」
「あー、なるほど」
困ったように後頭部を掻いたタカミチは、少し間を置いてからこう答えた。
「――――――魔王、という言葉をどう思う?」
◇
防衛の際の陣形やメンバーなどの再確認の後に、ネギはチームメンバーと会話していた。
「改めて挨拶しますわ。私は麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校2年、高音・D・グッドマンです。この子は麻帆良学園本校女子中等学校2-D、佐倉愛衣ですわ」
「よ、宜しくお願いします!」
「よろしくお願いします!」
「こちらこそ、かの英雄の息子とチームを組めること、誠に光栄ですわ」
緊張しながらも、ネギは父が褒められていることに嬉しくなる。
最近は学園長やアルビレオにボロクソ言われていたので少し落ち込んでいったが、憧れの父が誰もに尊敬される『
「皆、元気だね」
そこに、タカミチが加わった。
この四名がネギの属するチームメンバーである。
無論、理由はある。
高音は闇系の、特に操影術を得意とし束ねることで使い魔や装甲としても転用できる。
これを他者に施せば、それは障壁とは別の鎧となるだろう。
そして高音のバディでもある愛衣の能力も、若輩ながら非常に高い。
その実力は、アメリカのジョンソン魔法学校に留学中に魔法演習でオールAを取った程の秀才である
ダメ押しにタカミチが居れば、中位精霊でも勝機を見出だせるだろう(というかタカミチ一人で十分なのだが)。
他のバランスを考えつつ大事な、加えて実戦が初めてのネギを任せるには十分な選考であった。
「しかし高畑先生、先生と同チームなのは嬉しいのですけど、戦力に偏りが発生してしまうのでは?」
「そうなの?」
麻帆良学園の魔法先生の中では学園長などの例外を除くと最強であり、
そんな愛衣とネギの疑問に、しかしタカミチは和やかに笑いながら離れた処へ顔を向ける。
彼の視線の先には、学園長と話す金髪の美女――――雪姫がいた。
実力経験共にタカミチを遥かに超える、魔王である皐月を除けば麻帆良学園最強の魔法使いである。
「今回はエヴァ――――瑞葉雪姫先生がいるからね。火力という意味では僕じゃ遠く及ばない彼女が出てくれるんだ。戦力的な心配はないさ」
「成程……。今回は『彼女たち』は参戦しないと聞いていたので」
「明日菜君や皐月君は事前説明通り今回は参加しないさ。神獣が出たとかで京都に行っているからね」
「神獣……」
ネギは、先程聞かされた事を思い出す。
神殺しの魔王のまつわる神話の具現を。
魔法使いは基本的に神に対する宗教感は酷く薄い。
それは、本来魔術の本場である英国を故郷に持つネギも、育った環境がウェールズの魔法世界由来の魔法学校で育った以上変わらない。
「本当に、皐月さんがその……魔王というものなのですか?」
「ははは、確か君は皐月君と同じクラスだったね」
「「えッ!?」」
「でも、魔法関係者だって素振りは全然無かったよ?」
タカミチの言葉に盛大に反応した高音達を尻目に、ネギは普段の皐月を思い出す。
元々皐月はネギに対してある程度便宜を図っていたり、皐月への印象を良い方向に持っていこうとしていた一空の尽力もあってか、魔王などといった物騒なワードと結び付くことは無かった。
「彼は優しいから、自分が君に悪影響を与えたく無かったんじゃないかな? 今度話し掛けてごらんよ」
「う、うん……って、瑞葉?」
「?」
その名を、ネギはアルビレオから聞いていたことはなかったか。
「もしかして……アカリの?」
「……そうだね。その事も、後で話そうか」
震える声で呟くネギに、複雑そうに微笑んだタカミチは一旦話を切った。
今は談話の時ではなく、戦闘前なのだから。
「さて、作戦会議と行こうか」
「「「はいッ‼‼」」」
その威勢のいい返事に、歴戦の猛雄は優しく笑った。
◇
森の木々を縫うように、様々な妖魔がひた走る。
目標は学園都市の中でも特に二つ。
神木───莫大な魔力を宿らせる世界樹と、万を越える貴重な魔導書が納められている図書館島。
『gruuuuu……!』
『shiuuuuuu』
召喚され、使役された異形の彼等の役割は、それまでの道程を護る者達を『平ら』にすること。
存分に呑み、存分に喰らうだろう。
「──────
如何な魔法使いと言えど、数の暴力という法則には逆らえない。
年に一度の事の好機に、愚かしくも浅ましい侵入者が悍ましく唇を濡らす。
無論──────
その様な企みを挫くからこそ、正義とは存在するのだから。
「さぁ、開戦の号砲だ―――――
いくつもの魔法陣が絡み合い球体状となった術式は、学園から無音に放たれ目標に寸分違わず命中し、籠められた魔法を解放する。
籠められた魔法は『
どちらも雪姫―――――エヴァンジェリンが好んで使用した氷系極大呪文のコンボである。
それを、傍らで長い髭を撫でながら学園長が口を開いた。
「フォフォフォ。―――――何じゃあアレ」
「皐月の
炸裂した瞬間、着弾した範囲150フィート四方の空間が氷結の異世界へと変貌した。
空間をほぼ絶対零度にし、即座に凍らせた相手を氷柱に封印することができる完全凍結封印呪文。
またの名を『永久凍結』という。
もし組み込まれた魔法が封印術である『
正しく紅蓮地獄の具現であったろう。
「将来的に
「頼むから、地球上で使ってもらいたくないんじゃが」
双方への行き道に跋扈せんとする異形達を木々諸共一瞬の内に氷像に変えた号砲は、麻帆等の土地を確かに揺らし響かせた。
認識阻害の結界がなければ、生徒達の明日は寝不足で決定だったろう。
「では私は前線に行くぞジジイ」
「うむ、頼んだぞ」
今回、魔王一行は参加しない。そもそも麻帆良学園に存在さえしていない。
昨日から公休を貰い京都から報告のあった神獣退治の遠征である。しかし去年悲劇が起こったばかりの大規模防衛。
故に一行の中で例外である皐月を除けば実力があり、一番学園側に親しみがある雪姫が残ったという訳である。
偏に、魔王不在という状況下で在りながら麻帆等学園を護れる存在であるという、雪姫への信頼であった。
「フン」
照れ隠しのように呟かれたそれを合図にしたように、麻帆等学園の防衛戦は始まった。
◇
「行きなさい!」
聖ウルスラ女学園所属の制服を身に纏った高音は、影魔法で造り上げた人形に命ずる。
悪魔と形容できる異形――――三メートルを超えるトロール三体に対して、華奢な少年少女の三人でしかない彼女達に出来ない壁役である。
「ラス・テル、マ・スキル、マギステル!
「メイプル・ネイプル・アラモード!
前衛が役割を果たす事。
それは魔法使いの型に嵌まったことを意味していた。
呪文の詠唱により、精霊を術式に組み込み装填する。
愛衣はアーティファクトたる箒杖を、ネギは唯一父親との繋がりである長杖を掲げ、放つ。
「『
「『
炎と光の魔弾、総数22発の弾幕がその異形を貫き、燃やし尽くす。
契約に従い、霧散しながら元の世界に送還される魔族達に、しかしネギ達は満足に見送ることも出来ない。
『───eriiiaaaaaaa!』
「ッ!」
大規模防衛の名は伊達や酔狂では決してない。
本来麻帆等大結界に阻まれて送り込めない大量の、何より強力な魔物を送り込めるのだから。
五メートルを超える巨体の
しかし、その歩みを一瞬遅らせる。
『―――――――ッ!?』
「ッ、
下顎を突如飛来した不可視の抜拳でカチ上げられ、一歩止まったのだ。
そしてそれは彼等にとって、十分すぎる隙である。
即座に詠唱に入ったネギと入れ替わるように前に出た愛衣が掌を
「『
『gyahiiッ!?』
無詠唱で発動した愛衣の障壁魔法がその大斧を弾き、煽りを受けたその巨体へ跳びかかったネギの魔法が叩き込まれる
「────『
『gyaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』
発動の早い、雷系の
たまたまではあるが、優れた剛皮に純粋破壊の光系ではなく感電性質の雷系であったことも好相性と言えたのだろう。
「はぁっ……はぁっ……ありがとう、タカミチ」
「いやいや、ボクは大したことはしていないさ。君達の力だよ」
膂力魔力ともに優れた怪物は、しかし若き才能と歴戦者のアシストによって倒されたのだ。
「でも驚いたよ。さっきの呪文もそうだけど、ネギくんがあそこまで動けたなんて」
「そ、そうです!その歳であれほどの……!」
タカミチの言葉に、ネギ程では無いにしろ息絶え絶えの愛衣が身を乗り出す様に話に割り込む。
周囲警戒をしている高音も気になっているのか、使い魔を操作しながらチラチラと会話を窺っている。
「師匠のお蔭だよ。正直、この数ヵ月の師匠の修行が無かったら、とてもじゃないけど動けては……」
「師か……良い師に巡り会えたんだね」
「うん!」
そんな会話の中、先程から周囲に気を配っていた高音が口を開く。
「高畑先生、術者を見付けました。ですが……」
彼女の言葉に緊張が走るも、その言葉尻が小さくなった事に頭を傾げる。
タカミチを先頭に、ネギ達が遅延魔法や強化などの対策を固めながら進んで行った先には、先程の魔物を召喚したであろう術者は確かに居た。
「────あぁ、済まない。知り合いだったら御免よ」
大量の召喚されたであろう魔物が粒子となって送還されていきながら、その中心で斬り伏せられ、血溜まりに沈むローブを着た───恐らく侵入してきた術者を尻目に。
人懐っこい笑みを浮かべた、ハンサムを絵に描いたような金髪碧眼の青年が微笑む。
『―――――――――ッ』
愛衣が悲鳴を挙げなかったのは完全に偶然である。
あるいは、タカミチが即座に一歩前に出たからであろうか。
しかし高音共々、冷や汗を隠せてはいなかった。
その顔を知る者は、しかしてこの場に三人ほど。
魔王の存在を今日知ったネギ以外の、去年彼らに渡された魔王に関する資料にはその顔写真がしっかりと記載されていたのだから。
「人を探しているんだけと、少しいいかな?」
現存する七人の神殺しの羅刹王。
存在を隠している皐月の次に誕生した、貴き銀腕の神王を斬り伏せた最新の魔王。
而して今、この麻帆等学園に炎の王は居ない。