初同人誌『グラインドハウス』に収録した作品。在庫もなくなってしばらく経つのでこちらで公開。pixivに投稿したもの(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=12315741)と同一内容です。
まだデレマスをよく把握してない時に書いたのもあって粗も多いのですが、自分でもこの頃の文章が一番楽しく書けていましたね。
〈一日目〉
ある番組の企画で今日から一ヶ月、飴を食べないことになった。完遂すれば、賞金一億円。
一億円。
節度を弁えれば向こう数十年は一切働く必要のなくなる金額が手に入る。これから一ヶ月、この口に飴を一粒でも入れさえしなければ。
前回の企画で「一ヶ月魚尽くし生活」に挑んだみくが三日でギブアップしたにあたり、次に挑戦するのは誰かということで、私に白羽の矢が立ったのである。だがこの企画が持ち上がった時、プロデューサーからは猛反対を受けた。
私が一ヶ月もの間、飴を食べずにいられるわけがないと。
ともすれば死ぬとも、あるいは発狂しかねないとも。
いったい私をなんだと思っているのだろうか。
そりゃ私とて飴が好物なのは認めるが、だからと言って依存症とか中毒症状を抱えてるような見方をされるつもりはない。ましてや死とか発狂を危惧されるなど大袈裟にもほどがあるというものだろう。
一応ここに、その企画で定められているレギュレーションを整理しておく。
・一か月間、一切の飴を口にしてはならない。
・ガムやグミ、ソフトキャンディーなどは特に制限しない。
・挑戦期間中も仕事などのスケジュールは平常通り。
・挑戦中は事務所に用意された個室で寝泊まりすること。隠れて飴を食べることがないよう、部屋に持ち込む荷物は検閲される。
飴が食べられないことさえ除けば、今までと概ね変わりない生活を送るのである。なんのことはない。
それを一ヶ月繰り返すだけで、一億円。挑戦完遂と同時に引退宣言というのもオツな話ではないだろうか。
そういうことで、私はこの企画への挑戦を快諾することにした。プロデューサーは最後まで「辛くなったら無理するな」なんて言ってたけれど。なにをそこまで心配しているのやら。
ひとつ言うなら、企画の経過報告ということでこの日記を書かされているのが面倒極まるところではある。まあそこは仕事というか、一億円のためなら些細な労力と言うことで許容しよう。
それにしても札束の山を抱えて事務所を去っていく自分の姿を想像すると、来る一か月後が楽しみだ。
〈二日目〉
挑戦二日目。この日はレッスンのほかは特に仕事もない。智絵里ちゃん・かな子ちゃんとのダンスの合わせを終えた後は、今回の企画のためにあつらえられた部屋でのんびりゲームなり、昼寝なり、好きに過ごす。
挑戦中の一ヶ月は自宅で暮らせないわけだが、行き帰りの手間が省けるのでむしろこの方が楽でさえある。必要な荷物はあらかじめ運び込んであるのだし。
しかし習慣というのは恐ろしいもので、ふとプロデューサーに会った時、考えるよりも早く「飴ちょうだい」と口走ってしまった。今までの飴をもらう生活に慣れきってしまった弊害というところか。
プロデューサーはきょとんとしつつも「欲しいならやるけど」なんてポケットの中をまさぐっていたけど、私もすぐ挑戦のことを思い出して、それを制した。
いきなりこんな凡ミスで一億円を逃してなるものか。
〈三日目〉
プロデューサーの心配が過剰すぎることには違いないけれど、一方でこれまでの習慣に反する行動を取らねばならなくなったあたりから、ある程度の障害も出てきたらしい。
というのもこの日は番組の撮影があったのだけれども、収録中司会者の人に「なんか今日は落ち着きないね」などと言われたのである。
自分ではまったくそんなつもりはなかったのだが、ふと思って収録後、一緒にいた智絵里ちゃんに聞いてみると、確かにいつもより言動が忙しないというか、多動に見えたという。
無意識に表れていたこの落ち着きのなさというのは、これまで日常としてきた「飴を食べる」という行為を封印したことによる生活リズムの乱れからくるものだと推察している。
大袈裟なようだが、しかしそういう些細な事柄の欠落が、自分でも気づかぬところで影響を及ぼしている可能性は否定しきれないはずだ。
実際人間というもの、日課にしていることを突然取りやめるよう言われたら、それからの生活に少なからず違和感を覚えることもあるだろう。例えるなら運動を日課にしている人が、ある日ダンスもランニングもするなと言われたら、みたいな。
私の場合、その日課というのが「飴を食べる」という習慣であるに過ぎない。ちょっと情けない気もするけれど。
だが逆に言うなら、その「日課」を封印された現在の生活に慣れさえすれば、なにも問題はなくなる。狂った体内時計の誤差を修正するようなものだ。
それも所詮飴一粒程度の口寂しさ、ほかにいくらでも埋めようはある。ものの一週間で生活リズムくらい修正してみせよう。
それにしても傍目からわかるほど異変が表に出ていたとは、どうにも気恥ずかしい。
〈四日目〉
情けない話ながら、実際これまでの自分が少なからず飴に依存した生活を送っていたことに気づく。
事務所でプロデューサーを見かけるや、頭ではわかっているはずなのに、喉元まで「飴ちょうだい」のフレーズが出かかる。きらりやかな子ちゃんの姿を見ても、飴を持ってきていないかという考えが脳裏によぎる。
そんな気を紛らわそうと別の話題をもって話しかけたりするのだが、その中でふと、明らかに饒舌・多動となっている自分がいることに気づいて辟易した。
そんな醜態を晒すくらいに、実際私は飴が大好物である。
それのどこが好きかと問われれば、あの味、あの食感、あの香り、飴がもたらすものその全て。口の中を満たす甘露の幸福、いつしかそれがほのかな余韻を引いて立ち消えるところには、ある種の儚さ、風情のようなものすら感じる。
いかん、書いてたら余計に口寂しさが増してきた。
ともあれレギュレーションに沿えばあくまで飴以外の食べ物は制限されないので、代替品としてガムやらグミやらを舌で転がし、気を紛らわす。
正直かなり物足りないが、これもじき慣れることだろう。
〈五日目〉
ガムは噛むのが面倒臭い。グミは食感が柔らかすぎる。ソフトキャンディはすぐに溶けてなくなってしまう。到底物足りない。
なにかしら口の中に入れて舌を動かすと、必ず付きまとう違和感。違う、飴玉を転がす時の感覚はこうじゃない。次第に違和感が不快感へと変わっていくのに気づいて、私はそれらを口にするのもやめた。
ここまで所詮飴程度と書いてきたが、訂正する。好物を絶たれれば誰だってフラストレーションのたまるものだ。それも単なる趣味嗜好にとどまらない、その肉体を構成する重大な要素のひとつであるとすればなおさらである。
よりメジャーな例えをするならお酒とか、タバコとか、麻薬とか。
いや違う、麻薬は違う。言い過ぎた。そこまでじゃない。
いけない、まだ始まって一週間と経っていないのに飴のことばかり考えている。今からこんな調子では仕方ない。
全ては一億円のため。その前にはたかが一ヶ月の艱難辛苦などなにするものか。
〈六日目〉
切なさにも似た口寂しさが続く以外、取り立てて書くこともない。この日あった出来事といってもレッスンとラジオの収録ぐらい。
〈七日目〉
挑戦開始から一週間が経った。結局のところ、まだ飴抜きの生活には適応できていない。
そればかりか言いようのない焦りと苛立ちに付きまとわれているようで、ここ数日落ち着きというのを失って久しいように思う。
実際ちょっとしたことで怒りやすくなっているきらいがあるようで、今日もプロデューサーにしつこく体調を心配されては、ついうるさいと声を荒げてしまった。
そうしたらプロデューサー、私が目に見えて不機嫌そうな顔をしている、そんなままで仕事には行かせられないだの、とやかく食い下がってくる。私も大人気ないもので、それに余計なお世話だ、仕事は仕事だから関係ないと反論してしまった。
ふと後で鏡を見てみれば、そこにはこの世の全てに不平を垂れているような顔を貼りつけた私が佇んでいる。
それもやはり、自分ではそんな仏頂面を浮かべているつもりなどなかったのだ。すでに無意識下の表情や立ち振る舞いすら思い通りにならないことにさらなる苛立ちを重ねてしまう。
いや、まだ諦めるには早い。辛いけど、まだ大丈夫。
〈八日目〉
寝起きから憂鬱。口寂しさが明確に不快感へと変わりつつある。空気と唾液だけが占めるこの空虚感が、苛立たしくて仕方がない。
眠っている間だけはそれを忘れることができたので、レッスンや仕事の合間など、少しでも時間があるなら貪るように眠りについた。問題は起きていなければならない時にどう耐え凌ぐかであるが。
〈九日目〉
仕事もレッスンもなかったのでずっと寝ていた。だいたい起きていたところでなんのメリットもない。これが一番楽でいい。
〈十日目〉
朝から頭が痛い。めまいもする。まあ我慢できなくはない程度だったので、周りには黙っておくことにした。痛みよりも耐えかねるのは口いっぱいの不快感とかやるせなさの方。むしろどこか痛んでくれるなら気が紛れるというもの。
今日は智絵里ちゃんと雑誌のグラビア撮影だった。気を抜いていると誰の目からも仏頂面に映るだろうことは明白だったので、精一杯の作り笑顔でやり過ごす。声も三倍増しで媚を売るくらいのつもりで。
それでもカメラマンから表情が硬いと言われてリテイクを食らった時は、そのどてっぱらにローリングソバットをぶちかましたくなった。我慢したけど。
けど撮影が終わった後、プロデューサーからいつもより作り笑顔が気持ち悪いと言われた時には、考えるより早くその脳天にネリチャギを叩き込んでいた。それでも苛立たしさは露ほども晴れない。
〈十一日目〉
今日限りで、この日記に「飴」という文字を使うのをやめたいと思う。正直あれを連想させる文章を見ることさえ辛い。
以降どうしてもその存在を語らねばならない時は「アレ」と表記する。できればその話題にすら触れないようにできるのが一番であるけど。
それと事務所のみんなには、私の目の届くところでアレを食べるなと伝えた。うっかり目に入ろうものなら自分を抑えられる自信がない。
〈十二日目〉
頭痛・めまいに加えて吐き気を催す。朝起きて鏡に向かってみれば目が血走っていた。目薬を洗面器いっぱいに張って顔を突っ込む。目どころか口や鼻にまで流れ込んで悶絶したが、おかげで少し気が紛れた。
いよいよプロデューサーがきつめの口調でギブアップを勧めてきたが、アイドルたるもの受けた仕事は最後までやり抜くべきだとこちらも強く反論して引き下がらせた。日頃の私だったら絶対言わない台詞だなと苦笑する。
正直満身創痍というところだが、一億円のためとなればこの程度という具合であるだろう。
一億あればアレの海で泳いで暮らせるのだ。
〈十三日目〉
うかつに人の話に耳を立てることすらままならなくなる。
ある時テレビの天気予報を見ていた卯月ちゃんの呟き。
「明日は『アメ』になりそうですねぇ」
私の前で天気の話はしないでとお願いした。
またある時ゲームをしている紗南と、話しかける光の姿が目に留まって、何気なく耳を傾けた。
「これどこの国のゲーム?」
「『アメ』リカの会社が作ったやつだよ」
私の前では米国ないし合衆国と呼べと頼んだ。
またまたある時カードゲームで遊んでいた麗奈と美玲の会話を小耳に挟む。
「レ『アメ』タル・ソルジャーとレ『アメ』タル・レディを融合ッ! レ『アメ』タル・ナイトを召喚ッ!」
今時そんなカード使うなと叱った。
もはや「アレ」を意味する文字・言葉でなくとも、同じ発音を聞くだけで凄まじい悪寒を覚える自分がいることに気づかされてしまう。
その二文字の発音は確実に私の耳から脳髄を、神経を、精神を蝕みにくる。下手をすればこれから会話する相手すら選ばなければならなくなってしまうだろう。
一番いいのはやはり眠って、そうした言葉を聞くこともないようにすることだった。
〈十四日目〉
二週間が経った。正直地獄の何丁目まで来たのか定かでないくらいには、深い苦痛と絶望の中にいる。
同時に、悟る。実際私は好物を絶たれたことによる禁断症状に苛まされていること、そしてこの苦悶の日々は挑戦を完遂するか、途中で楽な道を選ぶかしない限り、決して終わることがないとも。
この生活に慣れる日も来ないことだろう。
それでも、一億円。このままアイドルを続けたとして、そこまで稼ぐのにどれだけの年月がかかることか。それを一ヶ月この地獄に耐えることで確実に、手にすることができる。
所詮世の中、そううまい話などあるはずがないのだ。大金を手にするには、相応の苦難が待ち受けている。挑戦直後の自分の見通しの甘さを痛感した。だがそれとて、乗り越えてしまえばよいだけのこと。
一億円を手にしてからの、その後の生活に思いを馳せて、とにかく寝る。
〈十五日目〉
寝つきが悪く、眠りが浅くなる。今までは目を閉じればすぐ眠りにつけたものが、今や口内を支配するようになった不快感に阻まれてそれすら叶わなくなる。
テレビをつけると、よその事務所のアイドルがインタビューを受けていた。「ミキは目を閉じればどこでも寝れるんだよ」なんてのたまっていたけど、お前だって好物のおにぎりを絶たれればこうなるんだと悪態をついてしまった。
時間があっても、眠れない。よもやこんな経験をする日が来ようとは夢にも思わなかった。来ないでほしかった。
〈十六日目〉
体がだるい。頭が重い。けれど意識ははっきりしており、苦痛は鮮明に感じられる。
眼球が干からびたように痛む。血走った目が治らない。寝不足らしかった。とにかく睡眠の世界へ逃げようと、部屋の電気を消し、窓も光の差し込む隙間がないよう家具や荷物で塞ぎ、布団を頭までかぶって、目を閉じる。
眠りに落ちるまでの間、付きまとい続ける不快感に何度か唸り声を上げたり、髪をかきむしったり、壁に頭を打ち付けたりする。そうして体力の限界が来たのか、ようやく一時間ほど眠ることができた。
それとこの頃プロデューサーとは極力顔を合わせないようにしている。私の現状を見たらとやかく言ってくるに決まっているし、無理やりにでも企画を中止させかねない。スマホにも幾度となく連絡が入っていたが、全て無視した。部屋まで訪ねてきても追い返すつもりだ。
挑戦もようやく折り返し、ここに来てあいつの独断で全てをふいにされてなるものか。
〈十八日目〉
日付が一日飛んでいるが、昨日は色々と騒ぎがあって日記どころではなかった。今日の分でまとめて記述する。
まず、昨日。私の言いつけが伝わっていなかったのか、それとも忘れていたのか、私の目の届くところで幸子がアレを食べていた。
ご丁寧に、包み紙を剥がして口に放り込むところから、見せつけるようにして。
智絵里ちゃんの悲鳴で気が付くと、私は幸子を窓から紐なしバンジーさせようとしているところだった。そんな状況になってなお、幸子は口に入れたアレを吐き出すことなく、頬を膨らませ舌足らずな声でなにか喚いている。
思わずその腹に掌底を叩き込みたくなったが、弾みで口からアレが吐き出されるのを目にしようものなら、もはや自分を制しきれないのは明白だった。代わりに幸子を窓から突き落として、部屋に駆け戻る。遠ざかる幸子の断末魔が背中に刺さったが、心は痛まなかった。
部屋に戻った私はドアに鍵をかけ、さらに机や椅子でバリケードを組んでそこを封鎖した。このままではプロデューサーが間違いなく押し入ろうとしてくるのと、私自身がこれ以上うかつに外を出歩くこともままならなくなったからである。
相手が幸子でなくとも、いつなんの弾みで誰に襲いかかるかもわからない。そんな危険をほかのみんなにまでかけるわけにはいかなかった。
それから案の定、部屋の外からプロデューサーがここを開けろと言ってきた。当初それに私は無視を決め込んでいたが、ふと気にかかって幸子はどうしたと尋ねた。こっちへ来て確かめろと返ってきたので、お前のことなんか信用しないと言って頭から布団をかぶった。
ここまでが昨日起きた事柄のおおよそ。そして今日も、部屋の外でプロデューサーや、智絵里ちゃん、かな子ちゃんが私にドアを開けるよう言ってきている。
やれ無理するなだの、迷惑をかけるなだの、心配させるなだの。
開けたところで取り押さえられ、口にアレをねじ込まれるのは目に見えていたので、応じるつもりなど毛頭なかった。
こと私は小柄なので、力勝負になると逃げきれる見込みはない。きらりにでも立ちはだかられようものなら抵抗の余地すらなく嬲られる。
そういうわけで挑戦完遂までの残り二週間を、私はこの部屋から一歩も出ることなく過ごすつもりだ。幸い食料は備蓄してあるので餓死の危険はない。もっと言うとこの頃は食欲自体減退しているのだけれど。
問題は排泄と入浴だが、前者はこんなこともあろうかと携帯用トイレを用意してあったので、それでなんとかできなくなくなくなくなくなくもない。お風呂は……まあ二週間ぐらいなら入らなくてもいいだろう。
とにかく、後は耐えるのみ。
〈十九日目〉
昨日一昨日とごたごたしていたおかげでいくらか気が紛れていたが、しかしこれから一人で禁断症状に向き合うにあたって、いよいよ壮絶な苦悶が私を襲いくる。
残り十二日間、いかに苦痛を和らげるかに私の生死がかかっている。思いつく限り、やれることはなんでもやった。
ガムやグミを隙間なく口の中へ詰め込む。ヘッドホンをして大音量で音楽をかける。激しくダンスでもしてみる。ファンに見られでもしたら今後のアイドル生命が潰える光景だったに違いない。
それだけやって実際のところ、どこまで効果があったかというと定かでない。気持ちの問題というか、プラシーボ効果みたいなところがせいぜいかもしれない。
重要なのはじっと苦痛に耐えることよりも、なにかをして少しでも思考を別のところへ向けることにあった。
〈二十日目〉
特に書くことはない。やることは昨日と同じ。とにかくやれることをやって、時が流れるのを待つ。
〈二十一日目〉
ふと、なんのためにこれほどの苦痛に苛まされているのかわからなくなる。賞金のためと思い返すと、この苦悶を乗り越えてまで一億という額は手にする価値があるのかと自問してくる思考が生まれていることに気づいた。
自分に負けてはダメだ。自分に勝て、杏。
〈二十二日目〉
まゆちゃんを思い浮かべただけでサクマ式ドロップスを食べたい衝動が生まれる。
〈二十三日目〉
今まで書いてはいなかったが、あれから毎日プロデューサーは部屋の前で私を説得しようとしてくる。だが向こうとて私がもはや話し合いに応じるつもりのないことは承知しているらしく、色々と小細工を企んでいるらしい。
というのもこの日は部屋の外からプロデューサーが誰か……恐らくちひろさんと相談しているのを小耳に挟んだ。かすかな声ではあったが確かにその内容は聞き取ることができた。
「杏ちゃんに、企画は中止になったと伝えては」
「部屋の前にアレをぶちまければ飛び出してくるかも」
ふざけるなと私はそれに吠えかかった。そのように言ったつもりだが、激昂のあまり言葉にならない叫びを喚き散らしているだけに聞こえたかもしれない。二人は慌てて部屋の前から離れていったらしかった。
向こうは私を部屋から出すためなら手段を厭わない気だ。たとえなにを持ちかけてこようがここを開けるわけにはいかない。
〈二十四日目〉
辛い。苦しい。ひたすらに。
〈二十五日目〉
いよいよ残り一週間を切った。気を紛らわすためのダンスもできなくなるくらいには疲弊し、一日の大半を横になって過ごすようになったが、かろうじて息はつないでいる。
そういえば閉じこもってよりレッスンも仕事もまるまるすっぽかしていることを思い出したが、まあここにきて気にかけたところでどうしようもないことと振り払った。
〈二十六日目〉
相変わらずのプロデューサーのしつこい説得。布団にもぐって無視を決め込んでいると、やがてそれは聞こえなくなった。
それから少しして、今度は智絵里ちゃんが部屋の前にやってきた。弱々しいノックの後、私に語りかけてくる。
曰く、外に出そうというつもりはないから、せめて中で話をさせてくれないかとのこと。
プロデューサーの差し金に違いないとそれも無視しようとする私だったが、やがて智絵里ちゃんのすすり泣く声がドア越しに聞こえてきて、やむなく返事だけはすることにした。
「その……プロデューサーさんに言われてじゃなくて……自分の意思で、会いに来たの……」
智絵里ちゃんはそう言う。日頃からして、彼女がそう嘘をつく人間とは思えない。それでも状況が状況なのだから、プロデューサーの差し金であろうとなかろうと、その後ろにきらりを従えている可能性とて否定しきれない。
だがもし、彼女の涙声が演技などでなく、本気で私を心配しているものだとして。それをむげにすることは、たとえ挑戦を完遂した後も、私と彼女の間に埋めがたい溝を作ることとなる。幸か不幸か、賞金のためにとそれを見過ごせるほど、私は冷徹にできていないらしかった。
「もし嘘をついたら、智絵里ちゃんのこと許さないよ」
私もそう念を押す。嘘をつくことの呵責に悩むような間はなく、智絵里ちゃんは頷く声を返した。
バリケードをどけ、鍵を外し、そっとドアを開ける。そこにいたのは確かに智絵里ちゃん一人だった。
会うなり智絵里ちゃんは私の姿に声を詰まらせる。無理からぬ、自分でも鏡など見る気も起きないが、もはやアイドルとしての面影などない風体を晒していることだろう。
彼女を部屋に入れて、またドアには鍵をかける。念のためバリケードも作り直してから、やっと智絵里ちゃんに用件はなにかと尋ねた。
「ど、どうしてるかなって、思って……」
「どうしてるもなにも、この通りだけど」
言ってから、意地悪な返しだったかと少し反省する。向こうも紡ぐ言葉に困っているような顔を浮かべていた。
「幸子はどうしてる?」
ふと思い出して先日窓から突き落とした幸子のことを聞く。私から話しかけられると思ってなかったかのようにはっとする智絵里ちゃんだったが、偶然下を通りかかった雫の胸がクッションになって無傷で済んだらしい、と教えてくれた。少しだけ、ほっとする。
それから智絵里ちゃんは「あの、その……あのね……」といつものおどおどした調子でなにかを切り出そうとする。まあここに来てなにを言いたいかの察しはつくので、私は手でそれを制して、先に告げた。
「挑戦をやめる気はないし、ここから出る気もないよ」
そんな、と消沈した声で抗議する智絵里ちゃん。目的が説得なら時間の無駄だとも続けると、泣きそうな顔でうなだれる。少し心は痛むが、しかしここに来て感情に流され全てを水泡に帰すほどのつもりはない。
もう一つ、気にかかることがあって尋ねた。
「それと、企画の方は中止になったりしてないよね? こないだプロデューサーたちがそう嘘をついて私をおびき出そうとしてたから」
智絵里ちゃんの目に、迷いの色が浮かぶのが見えた。事実を話すか、嘘をつくかの逡巡だろう。けれど彼女はやはり相手を裏切る選択をしかねたらしく、少しして小さく頷いた。
もっとも、なんであれここで中止になったと聞かされようが、私にそれを確かめる術も、それに従おうというつもりもなかったのではあるが。
「じゃあ、この話はもうおしまい。悪いけど、そろそろ出ていってくれる? それこそプロデューサーがまた来たりすると面倒だからさ」
そう言って、私は智絵里ちゃんを帰そうとドアの前のバリケードをどかしにかかる。
「もう、やめようよ……!」
けれど背中にはっきりと、智絵里ちゃんの確かな抗議の声を受けて、手を止めた。振り向けば彼女の顔は抑えようもない涙の氾濫にまみれている。
「私も、かな子ちゃんも、プロデューサーさんも……みんな、杏ちゃんのこんな姿、もう見たくない……!」
「じゃあ見なきゃいいじゃん。現に私、こうして閉じこもってるわけだし」
あんまりな返しかもしれないが、私とてここまで命をかけてきている。譲るわけにはいかなかった。
そうしてまたバリケードの撤去に戻りかけた私を制したのは、不意に智絵里ちゃんがポケットからいくつかの包み紙を出したことによる。
手の平に転がる、包み紙。まだ開けられていない。中身はまだある。その中身は。その中身は。その中身は。
すぐに、それをしまうように言った。
「ううん……しまわない。ごめんね、騙す形になっちゃったけど、持ってこずにはいられなかったから……」
もう一度、今度は怒鳴るように、しまえと言った。
「しまわない。見て、杏ちゃん。これを食べて……もう楽になろうよ……!」
智絵里ちゃんがひとつの包み紙を開けにかかる。ぱりぱりと音を立てて、中から甘露の塊が覗こうとしている。
その全貌を目にしてしまえば終わりだと思って、私は智絵里ちゃんに駆け寄るや、その手に乗せられたアレをはたき落とした。智絵里ちゃんが短く叫んで手を引っ込める。アレは床に散らばった。
そして結局、彼女は私を騙しにきたのである。小動物然としていて、人に嘘をつくことの呵責に潰されそうに見えるほどのか細いこの少女が、その実は腹の内に私を陥れることを抱えていたのだ。
もはや彼女をここに置いておく道理はない。乱雑にバリケードを取っ払い、すぐに出て行かせようと鍵に手をかけた瞬間だった。
「杏、智絵里がそこにいるのか!? なにをしてるんだ!?」
ドア一枚を隔てたすぐそこから、忌々しいあのプロデューサーの声。どこから彼女のことを嗅ぎつけたのか、それともやはり示し合わせていたのか。まあ、ここまで来れば事を穿鑿したところで得るものがあるわけでもない。ともすれば、どうでもよいこと。
ただ一つ言えることは、今や智絵里ちゃんを外に出すために、鍵を開けることは叶わなくなったのである。
〈二十七日目〉
あれからプロデューサーやかな子ちゃん、きらりのほかにも、色んな人がドアを開けるよう、智絵里ちゃんを解放するよう要求してくる。
その智絵里ちゃんはこの部屋でなにをするでもなく、ただ泣きそうな顔をして隅に座っている。当初は彼女も反抗するようなことを言ってきたが、私を騙したことを責めると押し黙った。
別にそれだけで、暴力を振るうとかの危害を加えたことはない。しかし外のプロデューサーたちの抗議を聞くに、どうも状況は私が彼女を人質に取っているものと見なされているらしかった。
人質にしてどうすると思われているのか。
しかし問題なのは私が実際にどうこうすることではなく、向こうがどうこうするだろうと勝手に想像した挙句、智絵里ちゃんを救出しようと押し入ってくる可能性のあることだった。
それを防ぐためには、こちらも相手に交渉なり、時間稼ぎを試みる必要があるだろう。とにかくこの日は策を練りつつ、ドアの向こうのプロデューサーたちには、智絵里ちゃんに乱暴はしていない、食事もちゃんと与えていると説明したが、果たしてどこまで信用してくれることやら。
〈二十九日目〉
また日付が一日飛んだ。今この日記をどこかの森の中で書いている。逃げて逃げて逃げた果て、場所など皆目見当もつかない。
まず昨日の明け方、外からなにかを激しく打ち付けるような音で叩き起こされる。なにかと思えばドアがみしみしと音を立てて歪みつつあり、外から「きらりん☆ちゃーじ!」などと叫ぶ声が聞こえる。交渉の余地などなかった。
ドアとバリケードが破られるのも時間の問題となると、私に残された道は二つ。本当に智絵里ちゃんを人質にとってやり過ごすか、窓から外へ脱出するか。
同じくきらりがドアを破ろうとする音に飛び起きたらしい智絵里ちゃん。泣きそうな、しかしどこか安堵しているような、けれどこちらを憐れむようにも見える、複雑な面持ちを私に向けていた。
そんな彼女をどうするか。だが少なくとも前者の道を選ぶことは、私に対する彼女の信用を一生涯喪失させることにつながっただろう。先日はひどいことも言ったけれど、それでも私は彼女と友達でいたかった。
窓を開け、外に乗り出す。ここは建物の六階、遥か下には無情さをたたえるような一面のアスファルト。智絵里ちゃんが悲鳴のような声で制止してくるが、なりふり構う余裕などなかった。
その時はもう捕まるまいと無我夢中で、建物のへりや窓枠を伝ってひたすら下を目指した。二階ぐらいの高さまで来たところで、手を離し飛び降りる。着地、できた。
すぐにきらりやらプロデューサーやらが追いかけてきたので、私は逃げた。街中を、人混みを、とにかく逃げた。いつしか木々に紛れ込み、深緑をかき分けて進むうち、西も東ももわからなくなり、今に至る。
今日は追っ手を警戒しつつ、この森の中で隠れて過ごしていた。結局人影らしいものは見えなかったが、しかし常に追われているというこの緊張感、肉体的・精神的疲労が、アレを口にできないことの禁断症状すら忘れさせてくれる。これなら残り二日も恐れるに足らないというもの。
ふと、こうなってはアレを食べたところで気付かれようもないのではという考えが頭をよぎったが、ここまで来てそんな不正を働くほど私とて性根は腐っていない。
こうなればあくまで正々堂々、禁断症状に打ち勝った姿をもって凱旋を果たそうではないか。そして札束の山を抱え、悠然と事務所を去るのだ。
あと、二日。
体の震えが止まらないのは、きっと武者震い。
〈三十日目〉
あめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめなめたいあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめなんでもいいけどあめなめたいあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめあめ
*
重い瞼を開ける。視界に最初に映ったのは見慣れぬ天井。次いで自分がベッドに寝かされていることに気づく。上体を起こそうとするが、力が入らない。かろうじて首だけを動かすと、どうやらここは病院らしかった。
ベッドの脇には、プロデューサー。その表情は安堵に緩んでいる。ごつごつとした、しかし優しい手つきが私の頭を撫でた。
「……気がついたか?」
私に降伏を勧告していた時のようなきつさはなく、柔らかな声でそう労わってきた。
不思議と、私もそれに鬱陶しさを覚えることはなく、むしろ心安らぐところさえ覚える。
「……ほら、飴だ。食べな」
ふともう片方の手のひらに、一粒の飴玉が乗せられていた。それにはっと挑戦のことを思い出したが、しかし目の前のプロデューサーを殴り飛ばそうという気は起きない。不思議だが、もしやこれが無我の境地とか、明鏡止水みたいなものだろうか。
「……いいよ、食べない。挑戦があるもん」
その穏やかさのままやんわりと断ると、ふとプロデューサーがその顔に浮かべたのは憐憫の色だった。
「杏、もういい。挑戦はもう終わったんだ」
「終わったって、そんな……また騙そうとしたって」
「杏、もういい、もういいんだ。覚えてないのか?」
プロデューサーは、挑戦はもう終わった、と言う。どうしてそんなことを? 私は賞金を手にするまで飴を口にしてはならないというのに。
待てよ、あれから私はどうした。森に逃げ込んで、あと二日というところまで来て、それから……。
「お前は森の中で倒れてるところを救助されたんだよ。息も絶え絶えのところに飴を食べさせて、なんとか命をつないだんだ」
食べた? 食べさせた? 私に? 飴を?
そうか、もう飴を食べているのなら、今は中毒症状は抑えられ、こうして飴を前にしても暴れることもない。だからこそ、こんなに落ち着いていられる。
待てよ。なにがあった。あの日の私に、なにが。
奥底に沈んでいる、記憶の糸を手繰り寄せていく。
*
果てしない深緑と、わずかばかりの木漏れ日に照らされて、私は地に伏せっていた。体の震えが止まらない。立つことすらままならない。
いつの間にか、口になにかを入れて、ひたすらに舌を動かしていた。けれども充足感は得られない。むしろひたすらの虚無感が、私の肉体を内から崩壊させていく。
「いました! 双葉さんを発見しました!」
誰かの声がする。そういえば周りが騒がしい。なにやらたくさんの人に囲まれているようだ。そのうちの一人が私の体を抱きかかえ、揺り起こそうとしてくる。
「杏、おい杏! しっかりしろ!」
ああ、この声はプロデューサーか。いつになく必死そうな、悲鳴にも似た声を上げている。どんな顔をしているのか見ようと首を動かそうとしたけれど、力が入らなかった。
「あ、杏……お前なに食べて……」
プロデューサーが私の口に入っている異物の存在に気づいたらしい。聞かれたところで私にもわからない。
彼の指が口の中に入ってきて、その異物をつまみ出そうとしてくる。舌に触れた指からは薄く塩の味がした。
「杏、それドロップやない! おはじきや!」
震える声で、どこかで聞いたことのあるような台詞を言うプロデューサー。はて、いつどこでおはじきなんて手に入れたっけ、私。
ふと視界の端に、プロデューサーの指につままれたなにかが映った。木漏れ日に貫かれきらめくそれは空虚が支配する私の口内めがけて迫りくる。なんであれ、もう抵抗する余力は残されていなかった。
なにかが舌の上に落ちる。途端、激烈な甘露の快感が口中を、さらに全身を駆け巡る。それは電流のような衝撃をもって私の脳髄を打ち震わし、とうとう意識を遠のかせた。けれどもその先には、どこか懐かしさのような安堵が待っていて、私はそこに身をゆだねることに躊躇がなかった。
*
「……そうか、私……プロデューサーに、飴……食べさせられて……」
全てを、思い出した。
「ああ、そうだ……だからもう、頑張ることなんてないんだ。我慢しないで飴、食べていいから……」
プロデューサーは泣きそうな顔をしている。どんな感情がそこにあるのか。どんな思いで、ここまで私に付き添ってくれたのか。
いや待て、待てよ。泣きたいのは私の方じゃないか。こんなことになって、こんな結末を迎えて。
つまりだよ、つまりそれじゃあ……。
「それじゃあ、私の、一億円は……?」
「杏、ごめんな……俺がもっと、早くやめさせてれば、こんな辛い思いは、こんな……ごめんな……」
プロデューサーは私に抱きかかっておいおいと泣き出す。いや、だから、そうじゃなくて。
「ねえ、プロデューサー。私の一億円は? まさかあれだけ頑張って挑戦失敗なんてわけないよね? 私一か月間飴食べないでいられたんだよね? だから一億円だよね? ね? プロデューサー?」
「ごめんな……ごめんな……」
「ちょっと無視しないでよ! 杏が味わったあの地獄はなんだったの!? 一ヶ月あったらいくつ飴が食べれたと思ってるのさ! ねえ答えてよプロデューサー!」
「ごめんな、ごめ」
愛と怒りと悲しみの全てを拳に握りしめて、私は泣きついてくるその顔に全霊の一撃を叩き込んだ。
鮮やかな七回転半を決めながら、プロデューサーは部屋のドアを吹き飛ばして退出していく。それと入れ替わりで、袋いっぱいの飴を携えた智絵里ちゃんとかな子ちゃんがお見舞いに来てくれた。
なにも言わず、微笑みかけてくれる智絵里ちゃん。手のひらに一粒の飴を乗せて、私に差し出してきた。
彼方へと消えた一億に捨てきれぬ思いを馳せながらしばし私はそれを見つめていたが、やがて食欲が勝って受け取り、口の中へと放り込んむ。
苺の豊かな甘みの中に、塩味が混ざって感じた。
〈了〉