奏耶は勉強も運動も苦手で、休日は友達と外で遊ぶよりも一人携帯ゲーム機で遊んでいる方が好きだった。友達と遊びに行かないということではないが、一度ゲームにハマるとそのゲームを遊びつくして飽きが来るまで友達付き合いがなくなるほどのゲーム好きなのだ。
そのゲーム好きは後一ヶ月で中学三年生になって高校受験のために勉強しなければいけないときでも遺憾なく発揮されていて、さすがに両親を困らせてしまう。
いつもはおっとりとして優しい母親は娘の将来ができるだけ幸せになるように願って、心を鬼にして娘を叱りつけて無理矢理勉強させた。
奏耶は母親から勉強勉強と耳に胼胝ができるほどに言われ続け、最初の内は嫌で嫌で仕方がなかったが、三年になって志望校の受験を終えて家に帰ってきた時は言葉には表せないほどの感謝をした。
受験が終わって結果も出て合格が告げられると、奏耶はこれまでのようにゲーム三昧の生活を送りはじめた。
その時はまっていたゲームはブレスオブファイアⅢだった。
ブレスオブファイアⅢはブレスオブファイアシリーズの三番目の作品で携帯ゲーム機に移植されるほどに人気があったゲームだった。
奏耶はこのゲームに見事にはまって何百時間もやり続けた。ストーリーを何度もやり直してクリアをして、とにかくプレイしまくった。それだけじゃ飽き足らず、中古ショップへと足を運びメモリアルブックを探し出して熟読する始末。もうどはまりだった。
だからなのでしょう。私は事故に巻き込まれて気がついたらブレスオブファイアⅢの世界へとトリップしていました。
やった。嬉しい。大好きな世界だ。
そんなことを考えたことはありませんでした。
正しく言うなら、ブレスオブファイアⅢの世界にトリップしたことに気がつかなかったので考えるということすらできませんでした。
記憶喪失になっていたんです。事故に巻き込まれた時に頭を強く打ったのでしょう。自分が何者でどうしてここにいるのか、と考えることすら忘れてしまっていました。
分からないまま世界に現れて、分からないまま生きてきました。
分からないことだらけで、それを疑問に思うまですごく時間がかかってしまいました。分からないことすらを分かっていない。疑問に思う知識までもが欠落していましたから、まさしく大きな赤ちゃんみたいなものでした。
知能のない人間など使いやすいものでして、私は異世界トリップをしてすぐに人買いに捕まってしまいました。それから先は人買いに色々とこき使われましたが、いつだったか、一人の男によって一緒に捕まっていた少年と共に救出してもらいました。
そうして私はようやく人並みとまではいきませんが、奴隷の身分からは解放されて少年と男と一緒に気ままに生きてきました。
一年くらいですか。二年くらいでしょうか。とにかくそれから数年はとても楽しかったです。もう一人小さな少年が暮らしに加わって、四人で仲良く暮らしました。それはもう家族と言っても過言じゃありませんでした。記憶を取り戻した時でさえ、本当の家族は霞みきって見えなくなるほどでした。
それが今、家族だと思っていた少年が、立派に成長した青年が、胸を押さえて蹲っていました。胸から夥しいほどの血液が溢れて地面に流れていってます。
ティーポ。私と一緒に助けられた少年の名前で、行方知れずになってしまい、ようやく再会できた青年は血の気の失せた顔で泣いていました。
ティーポの目の前には、もう一人の家族であるリュウがいました。背中しか見えませんが肩がカタカタ震えています。
「……ゆかいだね。神様って奴はこうも残酷なことをするのかよ」
隣で辛そうな声がしました。
隣を見ると
私も目頭が熱くなって段々と視界ばぐらぐらしてきました。泣いてはいけないと必死に我慢しました。見ていることしかできなかった私よりも直接戦ったレイた止めを刺したリュウの方が何百倍も辛いんですから。私が泣いてはいけません。
「兄……ちゃん。ゴメ、ン」
苦しそうな声を出すティーポ。浅い呼吸が聞こえてきて、彼が助からないことを嫌でも知らしめている気にさせます。
レイはティーポから目を背けるだけで返事を返しませんでした。兄貴分としてティーポを救えなかったことがレイの心を苛み、声を出すことを邪魔しているようでした。
私はレイの背中に手を添えて力を込めて前に押し出しました。非力な女の力では頭一つ分以上も背の高い彼を動かすことはできませんが、それでも背中を押すのをやめません。
だってティーポが兄貴分を求めているのですから。
レイだってこのままじゃ後悔してしまいます。
だからレイの妹として、ティーポの姉として行動しなければなりません。二人ともを後悔させたくありませんから。
「俺、竜族の力なんて欲しくなかったよ」
ティーポが必死に手を伸ばす。もう身体を満足に動かせないほどの状態なのに。
ティーポの手が段々と下がっていきます。既に力を入れることはできないのでしょう。
私は急いで近づいて、地面に落ちようとした手を支えました。驚くほど冷たい手。腕に血が巡っていません。これじゃあティーポが死んでしまいます。
両手で手のひらを包み込んで必死に擦ります。無駄なことは分かっています。擦ったところでもう体温は戻ってきませんし、死の運命から脱却もできません。
「姉ちゃん。もう無理だよ」
「分かっています」
分かっていますが分かりたくありません。だって家族が目の前で死んじゃうかもしれないんですよ。そんなの理解なんてしたくありませんよ。
「……ティーポ」
リュウが私の手のひらを自分の手のひらで包み込むようにしてティーポの手を支えます。
「くそ。なんでなんだよ」
リュウの手のひらの上にレイの黄色い手のひらが重ねられました。
「なんで俺の弟分どもはこうも厄介ものを持っているんだよ」
「分かんないよ兄ちゃん。俺も、竜の力なんて欲しくなかったよ」
浅い呼吸の中に悲しみが紛れていた。私は耐え切れなくなって涙を流した。
どうしてリュウもレイもティーポも残酷な運命を背負わされなくちゃいけないの?
分からない。こんな酷い物語なんて分かりたくありません。
「ねえ、姉ちゃん」
「なぁに、ティーポ」
気丈に振る舞おうとしましたが涙が止まりません。
「俺、また姉ちゃんのアップルパイが食べたいんだ」
「すぐに、作ってあげますよ。だからもうちょっとだけ待ってて」
「早くして……くれよ。俺、もうお腹……すいちゃったよ」
ごめんね。本当にごめんね。お腹空いていたの気がついてあげられなくて。今すぐ作ってあげますからね。だから本当にもうちょっとだけ待っててね。
ほら、自分で言ったんだから眠っちゃだめですよ。
起きてね、起きてよ。
みんながティーポのことを心配しているんですよ。ほら、目を開けて。そうすればレイの顔が見えますよ。いつもは飄々としていますけど、今はティーポのことが心配で心配そうな顔をしているんですよ。
ねぇ、目を開けてくださいよ。リュウが泣いていますよ。昔から泣き虫だったリュウが泣いているんですよ。ティーポは兄貴分なんですから、目を開けてリュウを安心してあげてください。ティーポが引っ張ってあげなきゃいけないんですよ。
駄目ですよ。もう一度だけ目を開けてください。声を聴かせてください。姉ちゃんと呼んでください。昔みたいにおいしそうな顔してアップルパイを食べてください。わざとらしく悪ぶってレイに怒られてリュウに心配されて、私のところに愚痴を言いに来てください。
起きて、起きてよ、ティーポ。
私は自分の家族よりも大切なものを、私たちは血は繋がらないけど大事な、とても大事な家族を失いました。