「むぎぎぎぃぃいいい……!!」
「小南先輩、噛みつかないでください。
負けたのは仕方ないでしょ」
玉狛支部にて。小南桐絵が鬼の形相をしながら、烏丸京介の頭に噛みつく。
彼女の機嫌は、史上、類を見ないほどに悪かった。
理由は至極単純で、玉狛第一のメンバー…迅悠一含む…は、アンサートーカーを発動した修の前に手も足も出なかったのだ。
これで最弱というのだから、小南のプライドはズタボロ。
彼女の顔面が鬼の面のようになっても、なんら不思議ではない。
「私たち、ボーダーの最強部隊よ!?
それが何!?たった1人に…しかも後輩に負けてるって何なのよ!!!」
「こなみ先輩、頭悪いな。
『ボーダーの最強部隊相手にどうやって勝つか』が分かるから、修はアンサートーカーなんだろ」
空閑が、修から聞いたデュフォーの真似をして、小南をからかってみる。
タイミングさえ良ければ、まだ戯れあいだけで済んだのだろう。
しかし、小南の不満は、その一言で爆発し、空閑に襲いかかった。
「むぎゃぁぁああああーーーーっっ!!
ゆーーーーまァアアーーーーっっっ!!!」
「こ、こなみ、先輩…。首、首っ…」
「今のは空閑が悪い」
万力のような力で、空閑の首を絞める小南。
その姿は、修が共に戦ったティオという魔物の子を彷彿とさせる。
首を絞められた影響か、空閑の首の構造が、形容し難いものになっていた。
「小南先輩、落ち着いてください。空閑が見たことない首の構造になってます」
「ふーーっ!!ふーーっ!!」
「今日の小南は随分と荒れてるな…」
「な、なんか、ごめんなさい…」
首絞め桐絵…語感がいいな、と思いつつ、修は頭を下げる。
玉狛専用トリガーを解禁した玉狛第一相手に勝てたのは、アンサートーカーあってこそである。
彼が普段、アンサートーカーを使わないのは、「ユーに胸を張れる大人になりたい」という想いがあるからである。
それは、アンサートーカーを乱用し、最適な道だけを進んだ人生ではない。
どれだけ転がろうと、何度も立ち上がりながら、大人になっていく。
今はまだ、転び続ける時期なのだ…と、修は子供ながらに思っていた。
流石に、これを「手加減」と見なす人間に「本気で来い」と言われれば解禁するが。
しかし、今回の場合は少し違った。
『メガネくん、アンサートーカーを使って、本気の俺たちと戦っておこう。
君がどれだけ出来るかが知りたい。
君のこれからに必要なことだ。頼むよ』
迅の言葉には、『未来視』という副作用…サイドエフェクトと呼ばれる超能力が備わっている。
トリオン器官の優れた人間が、トリオンによる影響で発揮する超能力。
迅のそれは、ボーダーにおいて、大きな役割を担うほどに強力なものだった。
流石に、アンサートーカーほど精密ではないが。
「……で、どうでした、迅さん?」
今日、迅が玉狛第一として戦いを挑んだのには、理由がある。
その理由を、修は薄々理解していた。
というより、アンサートーカーで無意識に結論を出していた。
「僕が死ぬ未来が見えたんですよね?」
「………ホント、肝が据わってるよね」
修にとって、死は身近な問題でもあった。
なにせ、パートナーは散々言っているように最弱候補。
修自身も幼く、更には前に出て戦うタイプだったために、死の危険性が常につきまとっていた。
今更ながら、戦いの中で死ぬと言われても、修が動揺することはない。
「どう考えても、メガネくんが死ぬ未来が訪れるとは思えないんだけど…。
うーん、参ったなぁ。メガネくんが死ぬ未来が消えない」
迅がぽりぽりと頭を掻きながら、自身が見えた未来を思い返す。
これ以上鍛えようがないのに、修が死んでしまう未来が、どうしても消えない。
断片的な情報しか見えないがために、迅はどうすべきかが分からなかった。
「というより、メガネくんの未来がすごく見え難いんだよ。
死ぬ…って言っても、俺は生身のメガネくんの胸に、『何か』が刺さりそうになってるくらいしか見えなかった。
それ以降は一切見えない。俺が知らない顔の人間が多く関わる…ってことだね」
迅はそれだけ言うと、「メガネくんの知り合いでもなさそうだ」と付け足し、両手を上げる。
お手上げ。迅が言いたいことは、その仕草だけで理解できた。
「…大丈夫だろ。オサムには、『約束』があるんだし」
「っ、空閑…、それは…」
空閑としては、修が死ぬことはないと皆を安心させようとしたのだろう。
しかし、修がユーのことをボーダーで語りたがらないことをうっかり忘れ、口を滑らせてしまった。
皆が修を見つめる中、修は渋々と言ったように口を開く。
「その、二度と会えないくらい、遠くに行ってしまった親友が居て…。
次に会う時は、互いに胸を張れる大人に…『素敵な大人』になってから、再会しようと約束してまして…」
気恥ずかしいのか、少し頬を赤らめて告白する修。
烏丸に「女か?」と問われ、即座に首を横に振ると、彼らは暫し沈黙する。
千佳はその友人に覚えがあるのか、口を開いた。
「もしかして、ユーくんのこと?」
修は「しまった」と冷や汗をかく。
ユーは魔物…魔界で生まれる知的生命体。
ざっくばらんに言えば、近界民に近い性質を持っている。
存在が露呈すれば、再会に余計な障害が増えてしまう。
そのため、修はボーダー内で魔物についての情報をおくびにも出さなかったのだ。
幸い、嘘を見抜ける空閑は味方。
ここは、適当に誤魔化すことにした。
「ある時を境に見なくなったって思ったけど、そっか。そうだったんだ」
「あ、ああ。ユーも、『チカにさよならでも言っといてくれ』って言ってたよ」
ユーと千佳は、姉弟のような関係だった。
妹という立場であり、年下の友人もいない千佳は、姉という立場に少なからず憧れを抱いていた。
そんな中、公園でよくわからない一人遊び…「ブラックバルカン300」というチョコ菓子の箱と割り箸を使って作った人形での人形遊び…をしていたユーと出会った。
千佳もその頃は、人形遊びが楽しいと思えた時期。
二人して、お菓子の箱で作った人形…バルカンで遊び回っていた。
バルカンの産みの親である清麿は、「あんな流行るとは思ってなかった」と語っている。
「ユーってのは、どんなやつなのよ?」
「えっと…、まんま空閑ですね。より子供っぽくしたくらいで」
小南の質問に、修は空閑へと目を向ける。
散々言って来たが、空閑とユーは非常に良く似ている。
それは外見だけではなく、仕草や言葉遣いに至るまで、瓜二つなのだ。
唯一違うことといえば…。
「もう、修くん。遊真くんは、採れたての生きた鮭を丸齧りしないでしょ」
「なんて?」
そう。ユーは鮭が大好物なのだ。
生きた鮭をクマのように獲り、そのまま丸齧りにしてしまうくらいには。
獲れる鮭が、揃いも揃って史上類を見ないレベルの大きさということもあり、修はよく冷や汗を流しながら、ユーに調理することの大切さを教えていた。
「鮭を生のままかぶりつくようなやつだったのか?血抜きもしないで?」
「…………はい」
「本当に人間か、そいつ…?」
人間じゃないです、魔物です。
そんなことを思いながら、修は苦笑を続けた。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「慶…!珍しいな。お前がマトモにレポートの課題をするとは」
太刀川隊の隊室にて。
パソコンと真剣に向き合い、文章ソフトやサイト、更には参考書を開き、レポート作成に勤しむ人影がいた。
その名は、太刀川慶。ボーダー隊員の中では頂点に立つ、頭の残念な男である。
その残念さは折り紙付きで、dangerという英単語を「ダンガー」、birthという単語を「ビルス」と読むド阿呆。
レポートの提出をとんでもなく遅らせるのは当たり前で、彼のGPAは目も当てられない。
そんな太刀川が、珍しくマトモにレポートに取り組む姿に、彼の師である忍田真史は愕然としていた。
「……最近、教授に『お目付役』をつけられまして…。
その、レポートを忘れると、魔王みたいな顔で詰め寄られて、レポートの最低文字数を増やされるんすよ…」
「お前にはいい薬だな」
「酷い!!」
そう。あまりに大学での学習にやる気を出さない太刀川に、大学側がついに動いたのだ。
太刀川の通う大学は、ボーダー推薦を採用しているとはいえ、かなりの偏差値を誇る。
海外の有名校とも親交があり、その伝手で、一人の大学生が太刀川のお目付役に選ばれた。
『太刀川…。お前、またレポート忘れたな?
最低文字数、五倍に増やすぞ……?』
その名は、高嶺清麿。
イギリスの最高峰の大学に首席で入学し、勉学に打ち込む天才青年である。
普段は人格者であり、気さくな人間――ガッシュと過ごしたことによる成長――と評判ではあるが、一度怒らせると、手がつけられない。
悲劇的なことに太刀川は、彼の尾を踏み抜くのが天才的に上手かった。
結果、清麿はリモートとはいえ、太刀川を恐怖させる数少ない人間として君臨していた。
「お目付役が、もうちょいしたら様子見に来るんすよ…。リモートで」
「ほう。私も挨拶をしておこう。
お前のようなどうしようもない阿呆が、レポートをするようになった礼を言わなければ」
「……忍田さん、俺のこと嫌いっすか?」
「弟子としては可愛がるが、勉学が絡むとゴキブリ以下の存在として認識している」
「ひっっっっっどっっっ!!!!」
冗談とも思えない言葉に、太刀川が大声をあげる。
それに対し、太刀川隊のオペレーターである国近柚宇が「うるさーい!」と声をあげた。
太刀川がパソコンと向き合う背後で、国近は同じく太刀川隊の射手…出水公平とゲームで争っていたのだ。
太刀川は「すまんすまん」と軽く謝り、参考資料を開き、頭から湯気を出す。
そんな折、パソコンの開いていたとあるサイトに、映像が映し出された。
『太刀川、見に来たぞ。五百文字進んでなかったら…分かってるな?』
忍田はその映像を見て、全身から冷や汗を吹き出した。
映るは、まさに大魔王。
恐怖の象徴がそのまま人の形を成した青年が、怒りの矛先を太刀川に向ける。
自身に向けられているわけではないのにもかかわらず、忍田は汗が止まらなかった。
「分かった!!分かってるから、もうこれ以上文字数を増やさないでくれ!!」
太刀川はそう叫ぶと、保存したデータを清麿に送信する。
清麿は通信を繋いだままそれを確認し、即座にその顔をより禍々しいものに変えた。
『おい、バカ。全部ひらがななのは、どういう了見だ…?』
「いいアイデアだろ!文字数稼ぎ!」
『殺すぞ』
「罵倒が直球過ぎねェ!?」
清麿の容赦ない罵倒に抗議するも、彼は禍々しい声色のまま続ける。
『文字数500追加だ。明日を期限にするから死ぬ気で書き直せ。
ひらがなだけとか、簡単な漢字しか使わんとか、そんな水増ししやがったらランク戦とやらも出来ないほどに増やすからな』
「…………もう、五千文字行ってる…」
「慶、それはお前が悪い」
補足しておくと、清麿は太刀川にかなりの猶予を設けた。
問題児の中の問題児。
大学側からそう聞かされていたがために、初めは清麿は褒めて伸ばそうとした。
しかし、太刀川はおべっかを真に受け、何を思ったのか「レポートしなくてもいいや」という結論に至ったのだ。
その後も度々、何かにつけては阿呆を露呈するかのようなレポートを書いたり、清麿にレポートの存在を秘匿したり、頻繁にトラブルを起こした。
結果。清麿は怒り狂った。
太刀川慶という名前を聞くだけで、烈火の如く怒るレベルで、太刀川のことを嫌いになった清麿。
それでも見捨てないあたり、成長はしているのだが、情け容赦は最低限となった。
要するに、全て太刀川の自業自得である。
「五千文字のレポート書けとか、絶対無理だって…。今、午後2時だぞ…?」
「お前の不真面目さが招いた結果だろう。
これに懲りて、しっかりと勉学に打ち込め」
忍田の正論に、太刀川は撃沈した。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「根付。『太刀川慶メディア展開計画』は順調かね?」
「ええ。稀代の天才であり、『大魔王』の異名を持つ『高嶺清麿』くんが見てくれていますからね」
ボーダー本部にある、上層部が集められる会議室にて。
メディア対策室長、根付栄蔵が、最高司令官たる城戸正宗の言葉に、珍しく自信満々に返答する。
実は、太刀川にお目付役がついたのには、理由がある。
「No.1という分かりやすい象徴が、メディアで使えない…という状態から脱却する時も、すぐそこまで来ているでしょう」
「……ならいい」
太刀川慶は、ボーダーの顔にできるほど実力があり、顔もいい。
しかし、メディアに出せないレベルで頭が悪かったのだ。
単純に頭が悪いだけなら、まだ良かったものの、太刀川はボーダー隊員の頂点。
学歴社会となっている現代社会において、トップの頭が悪いというのは、はっきり言って致命的であった。
考えてもみて欲しい。
いくら軍隊組織だと言っても、そのトップを飾る隊員がバカだったらどう思うだろうか。
答えは簡単。「組織全体が軽く見られる」である。
そのため、太刀川は広報で祭り上げられることはなかった。
そのかわり、成績優秀…いじられキャラとして売り出している佐鳥賢除く…で、見た目も良く、実力もある…加えて、あまり癖の強くない嵐山隊が広報代表に選ばれるのも、当然のことであった。
「嵐山隊はよくやってくれてますが、正直、『見飽きた』とか、『なんでたかだか5位の部隊が広報やってんの?』という声がちらほらと出てましてねぇ。
茶野隊では、やはりインパクトに欠ける。
B級低位というのも足を引っ張ります。
であれば、太刀川くんを起用する案をもう一度…と考えて正解でしたよ」
根付の言う通り、最近の広報活動も、マンネリ化が進んでしまっている。
このままでは、ボーダーへ入隊希望を出す人間が減少する恐れがある。
そのため、根付は一度は切り捨てた太刀川に目をつけた。
せめて人並みの頭脳に育てれば、メディア展開も夢ではないかもしれない。
しかし、太刀川の不真面目さは、根付の想像を遥かに超えていた。
早々に「自身ではどうしようも無い」と判断し、友人関係であるイギリスの考古学者に相談した所…。
『ならちょうどよかった。最近、暇があったら黄昏てる息子を紹介するよ。
息子は一度決めたら、テコでも動かない主義だからね。
引き受けたからには、やり遂げてくれると思うよ。礼は弾んでやってくれ』
と、紹介されたのが、高嶺清麿だった。
そう。太刀川のお目付役は、全て根付に仕組まれたことだったのだ。
無論、大学の教授も腹に据えかねていたのは本当で、今回の件を知ると、普段は谷のように深い眉間の皺をパッと失くし、笑顔になったという。
この計画こそが、大規模侵攻後のアフターケアを兼ね備えた広報計画。
その名も、『太刀川慶メディア展開計画』という、まんまなネーミングの計画だった。
「事実、太刀川くんの提出率、および全体的な学力は、かなりの向上を見せています。
最近はボーダー内でバカみたいな…失礼、耳を疑うような噂話も無いようですし」
「何にせよ、あのド阿呆がバカみたいな問題を起こさんようになるだけ儲け物だ」
開発室長、鬼怒田本吉が放った容赦のない一言に、全員が頷いた。
太刀川の扱いに、余程困っていたらしい。
彼らの預かり知らぬ所だが。
後日、ストレスが爆発――十割方、太刀川が原因――した清麿が帰国した。
その際、太刀川をリングのあるジムへ呼び出し、ドロップキック、ジャーマンスープレックスなどの格闘技で締めたらしい。
珍しく太刀川が半泣きで悲鳴をあげていたと、同伴した風間は震えながら語った。
♦︎♦︎♦︎♦︎
「よっ、ゼオンさま。ガッシュの様子見に来たのか?」
「…ユーか」
魔界のとある学校にて。
昼休みで皆が遊びまわっている最中、白い髪の少年は校舎を抜け出していた。
彼が話しかけたのは、木陰に隠れる銀髪をたなびかせ、マントを羽織った少年。
白い髪の少年はその隣に座り込んだ。
「そんな心配しなくてもいいだろ。
ガッシュは上手くやってると思うぞ?
王様としても、子供としても」
「………そういうお前は、やけに子供らしく無い振る舞いをするな」
銀髪の少年が言うと、白い髪の少年は笑みを浮かべた。
「オサムとの約束ですから」
「………約束。約束か。デュフォーのやつも、元気でいるだろうか」
「元気すぎて、皆に迷惑かけてんじゃない?
なんやかんや自由人だからね」
「……だな」
二人の脳裏には、各々の相棒が浮かぶ。
しばらく二人して笑い合うと、ため息をついて、互いに空を見上げた。
「…………人間界が恋しいですな」
「……ああ」
雲ひとつない空には、太陽だけが浮かんでいた。
太刀川さんはきっと清麿を怒らせるのが天才的に上手いと思うんだ。