——1年の冬。
その期間が理子に恋というものを教えた。
1年の冬。それは、異能の力を失った天草空がEランクからもう一度Sランクへ舞い戻ろうと奮闘し、Aランクまで上がるも身体的・精神的共に限界を迎えた時期である。
極度の疲労によりソラが入院し、当時の1年生たちが皆、ソラをSランクまで昇らせようと結束した時期である。
ソラを2年生全員でサポートしていたとき、一番サポートしたのは誰か。
その当時からのパートナーであったレキを除くと、これはもう間違いなく理子であった。
理子は、限界という壁に行き詰まっているソラに対してイ・ウーで培った戦闘術を教え、ソラの身体を少しでも癒すために特にやったこともなかったマッサージを必死に学び実践していた。
なぜ、彼女が彼に対してそこまで入れ込んだのか。
それはきっと、限界を必死に乗り越えようとしている彼の姿に自分自身を重ねたからだろう。
理子にはどうしても越えられない壁があった。
理子にはどうしても拭い去ることのできない『無能』という烙印が押されていた。
理子にはどうしても解放されない鎖がつながれていた。
地を這いずる虫ケラ。
バケモノに支配されていた当時の理子は、自分自身のことをそう評していた。
だからこそ、地を這いずりながらも、血を吐きながらも、限界を迎えながらも、足掻くように前に突き進む彼の姿を
理子は答えが欲しかった。
『努力は才能を凌駕する』という答えが……
だから、理子はソラを懸命にサポートしていたのだ。
そして、彼は成し遂げた。
自分の限界を超えて、ついにSランクへと到達することができたのだ。
そんな彼を見て、理子の胸に湧き出てきた感情は2つ。
感動、そして——羨望。
理子はソラがSランクへと昇格したことを喜びながら、彼を羨んでいたのだ。
そして、とある事実に気付いてしまった。
——カレとワタシは違う存在なのだと……
同じ才能が持っていない同士。だが、そこには決定的に違うところがある。
彼はこの学校で必死に努力して、みんなからのサポートもあって限界を乗り越えた。
だけど、あたしはイ・ウーで必死に努力して『
彼には彼自身を支えてくれる仲間たちがいた。だけど、私には私自身を支えてくれる者は誰一人として居なかった。
どうして私には、私を支えてくれる人がいないの……?
理子はソラのことを羨んだ。
それは羨望というよりも、嫉妬であったのかもしれない。
だが、その気持ちを抑えることができなかった。
どうしようもなく膨れ上がっていく感情。彼のSランク昇格を喜ぶ度に暴発していく嫉妬の感情。
しかし、その感情を受け止めてくれる者がいた……
それは他でもない——天草空であった。
彼は気付いていたのだ。
理子が自分を羨んでいることを……理子が誰かに支えてほしいと思っていることを……
彼は、理子のことをわかっていた。
理子も自分と同じように、才能という壁にぶつかって足掻いていることを。
——その時から理子は『
『峰理子』をわかってくれる存在がある。
その存在は、彼女の頭を悩ませることも多々あったが、それ以上に、彼女に幸福を分け与えてくれた。
その存在は、どうしようもなく迷走し続けている彼女を『
彼自身も理子と一緒に迷い続けたのだ。
自由になるという目的地があって、倒すべき対象も分かっていたというのに、散々な回り道を繰り返してきた。
それでも今の理子は、その回り道を無駄だとは思わない。
辛いことも、苦しいことも、悲しいことも、色々なことがあったが、それでも理子は無駄だとは思わなかった。
それは全て、長い長い回り道を一緒に迷ってくれた彼の存在があったからだ。
彼はどんな時であっても、理子のことを見続けてきた。
バスジャックの時も、エアジャックの時も、飛行機を飛び降りた後の時でも……彼は、自分を犠牲にしてでも理子のことを想い続けた。
そして彼は——彼女を縛り続けていた者から理子を解き放ったのだ。
それも、理子自身の手で決着をつけさせるという最善の結果で。
理子は、自分を縛り続けてきた者を……痛みと苦しみと悲しみと絶望で塗り固められた凄惨な過去を、己の手で乗り越えたのだ。
理子は自由になった。
彼女を縛る者はもうどこにもいない。もし、現れたとしても彼女はもう『ひとり』じゃない。だから、きっと乗り越えることができるだろう。
理子が彼に抱いていた嫉妬の感情は、ずっと前に消えていた。
そして、その感情と入れ替わるように、新しい感情が芽生えていた。
その感情は、時には理子を冷静ではなくしてしまうかもしれない……時には理子の顔を真っ赤にさせるかもしれない。
だがその感情は、理子の心に温かさを与えてくれるのだ。
全ては……自分を救ってくれた彼が原因で。
その感情の名は——
*
1年の冬の出来事を思い返しながら、理子はとある場所を目指して歩いて行く。
理子は電気のついていない病院の中を歩いていた。
理子の脳裏に当時、初めてソラにマッサージをした時の出来事が思い返される。
まだ初めてで慣れていなくて、正直……下手くそであった時のこと。
下手くそであるのはわかっていたが、それでも自分なりに必死にやっていた。
『どうソーくん!? 理子のマッサージ気持ちいい!?』
実際に気持ち良いのかはソラにしかわからない。
だから、理子は彼の背中を押しながら聞いた。
『痛い』
ガーン!!
短くそう答えたソラの言葉に、理子の体が石のように固まった。
頭の中が電気ショックを浴びたかのように真っ白になる。
『——でも』
彼が言葉を続けた。
『心地よくは感じる。俺はひとりじゃないってことがよくわかるよ』
『——っ!』
『ありがとうな。理子』
後ろに顔をやりながらお礼を言うソラの表情は、優しい笑顔であった。
(ソーくんは昔っから天然タラシの部分があるよね。セクハラ大魔神のくせに)
当の本人が聞いたら、「おい」とツッコミを入れるであろうことを思いながら理子は、歩いて行く。
そして到着した。
そこはとある病室の一室。
ネーム表に『天草空』の名前が書かれている。
理子は病室の扉を開いた。
「——よう。待ちわびたぜ、理子」
中に待ち受けていたのは、体の様々なところに包帯やらガーゼが巻かれているソラであった。
彼はベッドの上に横になりながら、顔だけをこちらに向けている。
理子は扉を閉めて、彼の側に歩み寄っていった。
理子は、彼の傍に近づくたびに少し頬が緩んでいく感覚がしたが、今はダメ、と気を引き締める。
彼の側まで来た理子は、ベッドのすぐ隣にある椅子に腰掛けた。
「怪我で動けないの……?」
彼に会えて嬉しいという感情と、彼を傷つけて悲しいという感情が入り混じっている。
理子はそんな感情を抱えながら、すぐ傍にあるソラの顔を見ながら聞いた。
「いや、動けないわけじゃない。ただ、動かないだけだ」
「動かない……?」
一体どういうことだろう? と理子が首を傾げていると。
ソラは左手の人差し指を立てて——
「理子のデカおっぱいを下から見るのに、今は絶好の機会なんだよね。ナイスボディだ。さすが理子」
と言い放った。
とりあえず理子は、ソラの立てている人差し指を横にへし折った。
「アアアアアアアアアアアアアア!! ゆ、指ガアアアアア——ふもっ!?」
理子は、絶叫するソラの口を両手で押さえて閉じさせる。
「ここは病院なんだから、騒いじゃダメだよ?」
「いやっ、騒がせたのお前だろっ、人の指をへし折りやがって……!」
こっちは重傷者なんだぞ。と何故か威張っているソラに理子は、笑った。
彼がどうして今のセクハラ発言をしたのか。
それはきっと、理子がソラに対して罪悪感を抱いていたことをわかっていたからであろう。
おかげで今の理子には、ソラに対しての罪悪感は無くなり……その代わりに、感謝の気持ちが膨れ上がっていた。
「ソーくん」
「なんだ?」
自分だけがそう呼ぶあだ名。
そして、彼もしっかりと応えてくれる。
今までずっと同じことをやってきたハズなのに、まるで初めて呼んだかのように、新鮮に感じた。
それはきっと、理子が自由になったからであろう。
だから、理子は、ソラに感謝を伝える。
「ありがとう」
そう言って理子は、ソラの唇に自分の唇を重ね合わせた。
理子の瞳に、目を見開かせて驚いているソラの顔が映る。
——悠久の時。
ソラとキスをして、もう、何秒経っただろうか……
もしかして、まだ10秒くらいだろうか……
だが、理子には10分……1時間と、永遠に彼と重ね合わさっているような感覚がした。
まるで沸騰しているかのように頭がぼんやりとしてきた理子は、ソラの唇を離す。
2人は、息を切らしながらお互いの顔を見合う。
理子も、ソラも顔が赤くなっていた。
「ソーくん」
2人以外誰もいない空間で、理子はソラの名を呼ぶ。
そして——
「大好き」
……、
「あなたのことが大好きです」
告白。
「ソーくんのこと、愛しています」
愛の告白。
「ずっと前からソラのことが好きでした。愛していました。私を支えてくれて……包んでくれて……愛してくれたソラのことを愛していました」
理子の心からの言葉。
誰からも縛られていない自由な理子の本当の気持ち。
「まだ、いっぱい伝えたいことはあるけど、ソーくんにこれだけは言っておきたかった」
理子はソラに笑顔を向ける。
——救ってくれて、ありがとう。
そう言って理子は笑顔で告白を締めくくった。
「俺は、お前を救えたのか……」
どこか震えている、ソラの声。
もしや、彼は私を救えたという自信がないのだろうか……?
そう思った理子は、ソラの左手を両手で優しく包んだ。
続けて、彼の左手を自分の身体へと……そして、胸へと押し当てる。
「お、まえ……」
ソラは驚いて胸に当たっている自分の左手と理子の顔を繰り返し見るが、理子は、そんなソラに優しく微笑みながら胸に押し当てているソラの手をさらに深く押し入れた。
「ソーくん……理子の体温、感じる……?」
「あ、ああ……感じるよ」
ソラは相変わらず驚いた様子を見せているが、少しは冷静になったようだ。
その証拠に今は、胸に強く当たっている左手に夢中になっていた。
本当に胸が大好きだなぁ……と、理子は呆れ半分……そして、自分の身体に夢中になっていることへの、嬉しさ半分で感情を埋め尽くしていた。
「この体温は、ソーくんが救ってくれたから感じられるものだよ……? ソーくんが救ってくれたから、今ここに理子はいるんだよ……?」
「そうか……そうだな」
ソラはようやく納得できたかのように、大きく頷いた。
「温かいな」
「でしょ?」
「ああ、そして……柔らかい」
「自慢のボディだからね。もちのろんだよ」
そう言って理子はソラの手を胸から離し、ベッドの上に優しく置く。
そして、少し熱くなってきた身体を冷ますように、大きく深呼吸をした。
もう一度、彼の顔をよく見る。
ソラは満足気に微笑んでいた。
それは、理子を救えたという自信を得たからなのか……それとも、理子の豊満な胸を揉めたことを喜んでいるからなのか……
きっとどちらもだろう。と理子は思った。
そしてソラに、愛の告白とは違う……もう一つ言いたいことがあるため、彼の顔をしっかりと見据える。
「ソーくんは理子を救ってくれた……だから、もう一緒に迷わなくていいよ」
これは、自分と一緒に迷ってくれた彼へのお礼。そして……
理子は続ける。
「だから、次は理子がソーくんの力になりたい……ううん、ソーくんの力になる——絶対に」
強引だな。と言って小さく笑うソラに、理子は大きく微笑んだ。
理子のソラへの恩返し。
彼の言った通り少しばかり強引だが、彼の場合はこうでもしなければいけないだろう。
だって——
(ソーくんはいつも無茶ばかりをする大バカさんだし、いつも誰かのために戦う、最高のヒーローなんだから……)
彼と一緒に幸せになるために、彼と共に戦う。
それが理子の『愛』なのだ。
『吸血鬼』編 END
これは少し時間が経った後——
「ところで、理子のおっぱいどうだった?」
「どうだった……って、柔らかかったかな……ぐらいしかないだろ」
「えー、他にないのぉ? せっかく理子のおっぱいを初めて他の人に揉ませてあげたのにぃ!」
「…………ん? 他の人に初めて揉ませた……?」
「そうだけど……どうかした?」
「え、以前お前、キンジに体のサービスしたとか言ってなかったっけ……?」
「……あー、アレね。あれは、キーくんに少しだけアリアの姿をしてサービスしてあげただけだよ?」
「じゃあ、お前の胸を初めて揉んだのは……」
「そう! ソーくんになりまーすっ!」
「『女の子の初めてに近いうちに絡む』……ははは、本当に、白雪の占い通りになっちまったよ……」