乙女ゲー世界はモブの中のモブにこそ、非常に厳しい世界です 作:N2
リオンが留学、方やエーリッヒが公務で王国を去って数週間が過ぎた。
新入生達や在校生達が若干の問題を起こす中、二年生となったアンジェリカが学園中の秩序を守るべく奔走している。
今の学園でアンジェリカに身分は劣るとはいえ、数百年閣僚を務める伝統の家柄を誇り、学園を統率するに異論が起こらない最上級生のクラリス・フィア・アトリー伯爵令嬢は、自身の懐胎を機に表立って学園での活動を控えていた。
クラリスは
訪問者
茶の香と味を嗜み一息付いた折、学園内の茶会用の一室に訪れた人物は己が目的を斬り込んだ。
「エルンスト殿の婚姻に関する相手の状況、どうなっていまして?」
訪問者の直接的過ぎる問いにアンジェリカは眉を曇らすが、クラリスは眉目を優雅に細めながらも訪問者を射貫くように観察する。
給仕が落ち着いたマルティーナは、それほど関心が湧かないのか、自身が淹れたお茶を堪能し、香と味を満足するかのように笑みを深めていた。
「ディアドリー、ローズブレイドは色気を出し過ぎではないのか?」
「あら? 何の事かしら?」
釘を刺すように威嚇めいた言葉を放つアンジェリカに対して、年の功とでも言うようにディアドリーと呼ばれた女性は受け流す。
ディアドリー・フォウ・ローズブレイド。
ホルファート王国を構成する浮島群中間層内寄りに位置する強大な伯爵家の次女である。
領主貴族としては、近年嫡子が廃嫡して王宮内への影響力を失いつつある、ホルファート始祖五家のセバーグ伯爵家より武力は少々後塵を拝するとはいえ、現況では如実に影響力を増している貴族家であった。
そして水面下でローズブレイド家の長女の嫁ぎ先の候補としてリオンの実家、バルトファルト男爵領の次代を担うニックスが挙がっているという事実を、アンジェリカは実家経由で知り得ていた。
だからこそアンジェリカはディアドリー、ローズブレイド伯爵家を警戒している。
実際はアンジェリカの予想よりも早くその根回しが行われてはいるが、レッドグレイブ家自体がその実態を知り得ていない。
三月で卒業したディアドリーではあるが、長女同様に未だに婚約を結べてはいない。
ローズブレイドの家格では異様ではあるが、だからこそ爵位が同格となり、ラーシェルにファンオースというこの二年で起こった戦争で、現に頭角を現しつつあるヘルツォーク伯爵家の嫡子が関連する次代への繋がりに注視しているのだろう。
まぁ、長女のドロテアも20歳、今年で21歳になるというのに婚姻に至らないのは、この二人に何かしらの理由があると貴族社会では見られている……
というよりも、王都の学園で時を共にした上級クラスの男子諸君等は、彼女等に対して公然の秘密という名の許、この姉妹には特殊な性癖があると知り得ている状況でもあった。だからこそ両姉妹には、未だ婚約者が存在しない状況でもある。
「ディアドリー先輩、現状は公的には存在しませんよ――」
「ふ~ん、なるほど」
クラリスの言葉を遮って口角を上げるディアドリー。
だがクラリスは気を悪くせず、柑橘系のハーブティーを含み香りを楽しんだ後に言葉を続けた。
「ヘルツォークは独特よ。独自性を貫いたヘルツォークは、いざとなれば王国を考慮しなくとも存続可能な領地運営が可能…… 未だ非公式とはいえ、長年苦楽を共にした寄子の同学年の娘は切れないわ。さて、ディアドリー先輩の意見を聞きたいわね」
クラリスは泰然とした物腰で言い放つ。
「ヘルツォークの状況は理解しているつもりよ。その上で彼は英雄…… バルトファルト卿やエーリッヒ卿には及ばずとも風雲急を要する中に於いて、齢十五歳で赫々たる戦果を成し遂げた騎士! あぁ、あぁっ!! そのような強者にこそ、
処女の癖に性癖を拗らせているディアドリーに対して、ドン引きするのが通常だと思われるが――
「うふ、うふふふふ。ディアドリー先輩も存外にお可愛いのですね」
エルンストに対して、何だかんだと言いながら常に注意を含めた叱りをするマルティーナではあるが、その弟を認められて高揚したのか、ディアドリー嬢を卑下し且つ見下ろすように艶やかな笑みを浮かべた。
ディアドリーもマルティーナへ反応を示すが――
「ディアドリー先輩、気にしないでいいですよ。素面では威容を誇るティナさんですけど、ベットでは最弱ですから」
二人に割って入ったクラリスが発したマルティーナへの物言いが酷い。
「なっ、なぁぁぁあああ!? ふんっ! でもお兄様と
文字通り、学園入学前や冬休みのヘルツォークで重ねる、要は単純に合わせただけだ。実際の所を知るクラリスからしてみれば、マルティーナの言葉は滑稽に過ぎない。
「んふ、じゃぁ、奥に…… そう奥を執拗に堪能し―― んっうん…… リック君にさせられたのは私が一番ね。うふふふふふ」
ディアドリーを蚊帳の外にクラリスとマルティーナのマウント合戦が始まる。
アンジェリカは頭痛を堪えている。そしてディアドリーは、二人のマウント合戦を割り切って楽しそうに眺めている。
「……ヘルツォークに関する婚姻はお父様、それに嫡子ともなれば十二家会議での決定に左右されます。ディアドリー先輩の意向…… ローズブレイド伯爵家と言えども
ひとしきりクラリスとマウント合戦をしたマルティーナは、紅茶を含んで落ち着いた後にディアドリーへ、突き放すように見えるが、アドバイスとも取れる言葉を提示した。
「ふ~ん…… 勿論ローズブレイドもヘルツォーク内部における意志決定機関を蔑ろには致しませんわ。加えて…… エーリッヒ卿の意見がその内政に多大な影響を及ぼすのでしょう?」
そのディアドリーの言葉を聞くや否や、分かり易く嬉しそうに微笑むマルティーナとピクリと眉尻を動かすその動きは決して容易に察しえないクラリスの温度差が、刹那を切り取る心情描写として対照的であった。
「ふふふふふ、そこに気づいたディアドリー先輩に助言をして差し上げます。口さがない者共が何と言おうと、お兄様がヘルツォークなのです! お父様が最終決定とはいえ、お兄様が認めないことをお父様が認める事は絶対に無いと言えるでしょう。うふふふふ、あはははははは」
チョロイン筆頭の妹様が、兄? 義兄? 夫という未だに不明瞭のような三位一体の男を認められた嬉しさで以て、女という物をこれでもか発奮しだしていた。
そのマルティーナの姿にクラリスは、額に手を当て息を吐きだし、アンジェリカはドン引きしている。
「なるほど、エーリッヒ卿を味方に付ければということね」
ディアドリーは内的領地運営のヘルツォークに対するアプローチ方法を察することが出来た。
「うふ、じゃぁ、アンジェリカもディアドリー先輩も義妹になるのね。さぁ、私をお義姉様と呼びなさい。便宜は図るわよ。うふふふふふふ」
クラリスの威圧に屈しそうになるアンジェリカとディアドリーであった。
☆
ルクシオンから、アルゼル共和国の学院で問題が発生したとの報告を受けたリオンは、アルゼル共和国を統治する大貴族六家内筆頭の議長の娘であるルイーゼ・サラ・ラウルトを振り切り急ぎ学院に向かった。
そしてリオンは――
「ちょ、おいあんた…… 関わらないほうが良い」
リオン達留学生が、学院内で困らないようにガイド役を任されている女性のノエルと男性のジャンという二人の内、ジャンが痛ましい暴行を受けた姿で、学院の隅にある木に惨たらしく吊り下げられている姿を目にした。
悲壮染みた表情を浮かべている多数の野次馬が、無遠慮にジャンに近寄ろうとするリオンに声を掛けるが、リオンにその声は届いていない。
「しっかりしろ、ジャン! 誰にやられた!」
周囲がリオンを抑えようとする中、慌てて掛け急いだルイーゼが周囲を制する。
「……ノエル、ごめん。君…… の、世話……」
呻きながら言葉を発するジャンであったが、周囲の声に搔き消されるようにか細く霧散するようにリオンには思えた。
「あいつらだ」
「あぁ、目を付けられたな」
「二年生、フェーベル!?」
「最悪じゃないっ!」
野次馬から発せられる口ぶりは、まるで犯人を知り得ているようだった。
「おい、あんたら。ジャンをやったのは誰だ?」
リオンの剣幕に周囲は凍り付く。
所詮、聖樹の恩恵を受けて微温湯に浸かった学院生、アルゼルの貴族だろうが平民だろうが、ホルファート出身からしてみれば、アルゼルの大人共をホルファート貴族で比較すると、精々が十二歳未満程度の力量、雑魚以外の何者でもない。
「フェ、フェーベルのピエールさんだよ。あの人たちは気に入らない奴がいれば、甚振った後にこの木に吊るして見せしめにするんだよ。あんまり嗅ぎまわるとあんたが吊るされるぞ」
リオンに対して小声で教えてくれた学生に感謝しつつも、一睨みをしてしまったリオンは己を自制する。
「すまん。教えてくれてありがとう」
リオンは腰を地面についてしまった学生に手を差し伸べて引き起こす。
「暴力…… 力と己の立場が許すなら、殺しをも肯定、寧ろ賛美される…… リックの考えに万歳三唱しそうだよ」
苦虫を噛み締めるようにリオンは吐き捨てた。
『マスター、仕返しを考えていますね。ですがおや? マスターの方針からすればお薦めは出来ません。何故ならピエールは、乙女ゲーとやらのイベントに必要な人物なのでしょう? 彼を潰せば、アルゼルでのシナリオに大きな狂いが生じますが?』
ルクシオンからすれば、リオンが葛藤を抱くぐらいであるならば、さっさとアルゼル共和国を滅ぼしてしまいたいのが本音だからこそ、投げかける言葉が辛辣でもあった。
「あぁ、そうだよ糞が…… 素晴らしいな。苛々して直ぐにでも殴りたくなる…… 俺自身をだ!」
乙女ゲーの正常な進行のためにも、ジャンを放置しようとする自分に対してリオンは情けなさと憤りを覚えてしまった。
「何があったのリオン君?」
リオンが憤る中、息を切らしながら追ってきたルイーゼが何事かとリオンに問うが――
「……いえ、何も」
走ったために頬を染め豊かな胸を上下するルイーゼをちらりと見たリオンだが、直ぐ様ルイーゼに背を向け去っていくのであった。
リオンはジャンの医療費を病院に対して工面した後、ジャンの居住地であるアパートから飼い犬のノエルを引き取り、領事館から用意された自身の屋敷に戻った。
『もう…… 長くはありませんが、罪滅ぼしですか?』
ジャンが飼育している犬のノエルは高齢だが、だからこそリオンは放ってはおけなかった。
「そうだよ。世界の危機回避のために、ジャンの仕返しは止めたからな。まぁ、そんなに親しい仲でもないが、色々と世話になったのも事実だ」
リオンが言うようにジャンと乙女ゲー二作目が舞台となるアルゼル共和国における主人公格のノエルが、リオンとユリウス達おバカファイブにマリエとカーラ、そしてエーリッヒに半ば押し付けられたエヴァとアンナ、十人もの留学生の学院内での面倒を見ていた。
『フェーベル家次男のピエール…… 六大貴族というのは、共和国内では随分と強い権力を持っていますね。エーリッヒからの報告以上に感じます。当人はホルファート基準で言うと雑魚。ややもすれば少年以下という笑える実力ではありますが』
ルクシオンの物言いをリオンも納得する。
「ほら、入国時にアインホルンを検閲した豚大尉。あいつもホルファート内では雑魚中の雑魚だからな。あれでアルゼルでの貴族だというから笑えるよ」
悪い貴族…… いや、悪い人間というのは時代や地域環境、世界を違えようとも等しく存在するものだ。
ただ厄介なのが、今の時代で悪だろうが、後の世で悪と言われようが過去を含めた時々によって、それらは正義足り得るという性質が厄介だという事をリオンも教育上では知っている。
ただし、己が内で吟味する経験と力量に能わないリオンは、自分の好悪だけという浅い論理で決めつけてしまうのが、若さゆえとはいえ悪癖だと気付くのは当分先の話だ。
それらを冷たくも如実に理解しているのは、ルクシオンと恐らくエーリッヒだけである。
『滅ぼせ。あの
聖樹を滅ぼせば、アルゼル共和国の問題の根幹を解決してルクシオン、そして
だが俺は――
「それをさせるつもりなら、最初から留学なんてするかよ。それに俺がその方法を選ばないっていい加減に理解したらどうだ?」
『……まぁ、そうですね』
「ん? 理解が早いじゃないか」
ルクシオンの言葉にリオンは面食らってしまうが、自身の思考と嗜好を理解してくれたのならば言うことは無いと思うが――
⦅ですが結局の所、気に食わなければ大どんでん返しを行うのがマスター。そうエーリッヒも想定しています。であれば、マスターの意向を違わず、最終的に新人類を間引きできればいいでしょう。その点、エーリッヒもヘルツォークが安泰であれば
「なぁ、ノエルちゃんの世話ってどうすればいいんだ?」
『年齢を加味した食事含めて、私の方で用意しますよ。マスターは安心してください』
リオンはジャンが完治するまで、老犬のノエルを世話しようと心に決めるのであった。