乙女ゲー世界はモブの中のモブにこそ、非常に厳しい世界です 作:N2
ヘルツォーク子爵領にクラリス先輩を連れてきた。名目は慰安も兼ねた視察旅行だ。
視察旅行っていうのが、偉い人っぽい。
先ず驚いたのが、屋敷に電気が引かれていた。
学園でリオンやダニエル、レイモンドの実家も母屋には電気があったと聞いたときは、マルティーナの胸を借りて号泣しそうになった。
さあ、と腕を広げて迎え入れようとしている妹には、ちょっと愕然として急いで取り繕った。
さぁ、私に甘えにきたまえ、をリアルにやりやがった! そのうち鎧に乗り出すんじゃないだろうか?
本日は屋敷で休んで頂いて、明日から視察…… デートみたいと思ったのはちょっと内緒だ。結局、弟妹達や女中がいるから、2人きりにはなりはしなかった。
「ち、父上、兄上が!? 婚約者を連れてお戻りになりましたっ!!」
庭先で出迎えた弟のエルンストが驚いている。
あれっ? 事前に連絡を入れておいた筈なんだが。
「おい、エト……」
「初めまして、私はクラリス・フィア・アトリーと申します。暫くの間、お世話になりますわ」
おぉ、完璧に洗練されたカーテシー、一つ一つの動きが繊細で滑らかだ。それなりに厳しく教育されている妹達よりもワンランク上の上品さ。
アンジェリカさんを見ても思うが、やはり育ちの質が違う気がするな。
マルティーナが悔しそうな目をしてる。
もうちょっと表情を取り繕って! アトリー家の女中の方々もいるからっ! おいっ、今隠れて舌打ちしなかったか!? お兄ちゃん割りとお前の事見てるからね。
視線に気付いて、うふっ、と微笑む我が妹。可愛い。
見逃してくれ…○ 甘い私を。
「し、失礼しました!? エルンスト・フォウ・ヘルツォークと申します。ヘルツォーク子爵家のじ、いえ嫡男になります」
年上の清廉な笑みからの挨拶に緊張して、しどろもどろに次男と言おうとして訂正した弟、俺の立場としては嬉しいし、年上の綺麗な女性を前にしてその気持ちはわかる。
しかし、先程のエトの言葉を否定してない…… クラリス先輩も実は緊張していたのか。
自分が知らない土地、それに経験したことのない田舎だからな。クラリス先輩も可愛いところがあるじゃないか。
エトも忘れているようだし、教えてあげなければな。
「エト、こちらの方は、うちもお世話になっているバーナード大臣のご息女。大貴族のご令嬢だよ。失礼な事を言ってはいけない。来年はお前の先輩にもあたるお人だよ」
アトリー家の女中達が見てるしね。大臣の耳に入るかも知れないしね。怖いね。
「そういえば!? 兄上からの手紙で聞いておりました。お似合いに見えたものでつい、学園からでしたし勘違いしました。申し訳ございません、案内します。どうぞこちらに」
「いえ、お気遣いに感謝を…… あら」
痛っ! クラリス先輩に足を踏まれた!?
「あらあら、私とした事が、
「はは、大丈夫ですよ」
謝罪後に口元に手を当てながら、うふふと微笑むクラリス先輩にドキリとしてしまった。
「さぁ、玄関先でお父様もお待ちです。参りましょう」
少し笑みを浮かべる妹が印象的だが、一歩踏み出したその時…… 脳天から脊髄にかけて雷が走り落ちた。
前もあったような……
伯爵令嬢、伯爵、ヘルツォークは子爵だ……
あれっ! エルンストのお嫁さん候補じゃね!?
し、しかしそれでも余りにも爵位以上に格が…… さすがに今回の閃きは無理があるかと悩んでいると――
「言葉には表しにくいのですが、今のお兄様の考えは、良いもののような気が……」
「ほう、わかるか?」
「何となくですが……」
呼び方が家の敷地に入ったせいなのか、取り繕う余裕がなかったのか、お兄様呼びに変わってはいるが、ふむ、マルティーナのお墨付きが出たか。
ティナは賢いな…… 私を導いてくれ。
☆
親父が涙ぐんでいる。執事のセバスチャンも同様だ。それと同時に誇らしさも表している。
「本当に素晴らしい! テーブルに椅子、ソファーも100年以上前のものよ。絨毯や茶器はそれ以上も前…… どれも王都では人気の製作者です。綺羅びやかさではなく、落ち着きと趣深さの品々。派手なだけの王国本土の貴族に、本当に良い品々とは、こういう物だと叱りつけてやりたいですわ」
クラリス先輩が、上機嫌にリビングで親父達と歓談している。アトリー家の女中の方々も、たまに驚いたような表情で茶器や壺に視線が移っていた。
「当家は先々代の頃の物を大事に磨き、そして修繕をしながら使っていました。ただそれだけなのです…… 当家の今までの状況はご存知でしょう。それに愛着も生まれたのです。本来ならこのような古めかしい屋敷には、貴女のようなご令嬢を迎える事すら憚れますが……」
俺個人としては、この使い込まれたアンティーク家具が凄く好きだ。シックで何より使用されてきている温かみが堪らない。
しかし王都や学園を見ると味はあるけど、やっぱりうちは地味だなと思ってしまってた。先々代ごめんね。
あれは…… いいものだ。
「ここからの景色、大きな山に麓の町、豊かな木々に平原、そしてまた町があり、遠くには浮島眼下の海も見える。この景色に勝る物を見つける事のほうが難しい」
クラリス先輩の言葉に直立不動で涙するセバスチャン、異様な迫力があるな。リンダさんも在りし日の先々代と先代を思い出したのか、遠い目をしながらクラリス先輩と同じように景色に顔を向ける。
屋敷は高台にあり、山、鉱山のことだが鉱山街や景色を楽しめるよう、大きなガラス張りの開き戸、その先はバルコニーとなっているため、朝焼けに夕焼け、日の入りと夜空が楽しめる。
曾祖父が余程芸術的センスの高い人だったのだろう。
ロッキングチェアに身体を委ね、フットレストに足を投げ出し、景色を眺めながら考え事をするのは最高だ。
「まさかあのアトリー家のご令嬢にお褒め頂けるとは…… このセバス感涙を禁じ得ません」
「セバスとリンダが念入りに手入れを欠かさなかったからね」
俺はセバスとリンダの功績だと伝える。100年以上の物とはいえ、時に修繕のため削り補強し、茶器も色を技でもって重ねるなどしてきている。
絨毯の繕いや干すのも大変だろう。
「大事にするあまり、色々と手を加えたため本来の輝きとは異なりますが、味のある趣きの光は湛えております」
リンダが、俺がこの屋敷全体に感じた印象を端的に表してくれた。俺自身も少し涙腺が緩むさ。
「なるほど、素晴らしいですね。これはヘルツォークの誇りの輝きという事ですか。その高潔さにアトリーとして敬意を」
クラリス先輩は、律儀に親父というよりも屋敷全体に向けるような雰囲気で黙礼してくれた。
これは亡き父祖達へという事か。
「高潔では…… ないのです。ただ耐えて…… いた、だけ……」
親父は言葉を述べる事すら出来ない。まだ無邪気で元気なエトですら感動して泣いている。セバスは無言で号泣…… 怖いよ。
ベルタ義母様や妹達は、感涙を見せないように黙って下がってしまった。
アトリー家の女中達ですら、啜り泣きの声を漏らしている。
メイドのリンダは憑き物が落ちた表情で、紅茶を皆の分を継ぎ足した。
「リック君まで」
クラリス先輩がハンカチを優しく目元に当ててくれる。何だ俺は泣いていたのか。そうか、そうだよな。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…… 実際にやるほうは堪ったもんじゃない。
何故やった…… 前世の祖父や父達と同じ事をやった? 意識したわけじゃない。しかしやれたのだろうか…… 何を?
「貴方もヘルツォークの誇りと未来を守っていたのよ」
クラリス先輩は答えまで教えてくれた。
☆
一夜明け、気恥ずかしさを覚えながらも、クラリス先輩を港湾軍事施設と化した浮島に兄妹皆で案内する。
「うふふ、ねぇ、私今自分の足で浮島から浮島に渡ったわ! こんな経験したことのある人が王国本土にどれだけいるのかしら! 凄いわ」
「クラリス先輩はしゃぎすぎです。お召し物が汚れたらどうするんですか!? もう」
昨日の女神から一転して、童心に帰ったかのようにはしゃいでる。マルティーナは慌てて追いかけるが、美女同士の戯れは素晴らしいな。マルティーナがクラリス先輩に壁があるような接し方なので、2人であんなに笑ったり困ったりするようなやり取りは、中々お目にかかれない。
「よく見ておきなさい、エルンスト。学園の女子は酷い。この光景を焼き付けて乗り切るんだ」
「いや、でも兄上、来年はティナ姉様もクラリス様も学園にいらっしゃいますよ。何度も見れるじゃないですか?」
そうか? 学年違うし、それにお茶会で必死だから難しいぞ。弟のエトはまだ学園に対して楽観的だな。
一度本来の学園の女子を王都に連れて行って見せるか? いや、エトが食べられて終わりそうだ。
何だそれは、羨ましいな。
「おにぃは戦争でヒーロー、手紙では婚活大変って言ってたけど、実際は?」
下の妹のマルガリータが俺の婚活事情を聞いてくる。マルガリータも再来年は学園生だし気になるのかな?
まだ13歳の妹に自身の婚活事情を語る…… 罰ゲームだな。
それにヒーローは期間限定でね…… 学園に入る頃にはヒーローにはなれなかったんだ。
これでは道化だよ!
「メグ、お兄ちゃんは愛人にピッタリだそうだ」
「モテモテだね。よしよし」
145cm程度の妹に撫でられる、身長30cm以上差がある俺、つい立ち膝になる。かなり癒されてしまった。
「だいぶご苦労を…… くっ、お労しい」
学園に入ってから皆には心配をかけてばかりだ。学園って勉強する所じゃないの? 意味不明。
「ほら、エーリッヒ様達も早くっ!」
マルティーナがクラリス先輩と手を繋ぎながら、空いた片方の手を振って呼んできた。
ヘルツォーク領本島の浮島と港湾軍事施設用浮島は、高度を合わせてぶつけ合わせている。
エルンストや妹達も最初は、今のクラリス先輩のように浮島を跨ぐ度にはしゃいでいた。
接岸面を増すために鎧で砕いたり、爆破させたりした。その時に出た多量の土砂や石は、工場建設や住居や畑に利用したりと無駄にしないように処理をした。
親父主導でもあったので、俺自身はかなり楽ではあった。
「あぁ、今行く」
「あら、お疲れが顔に出ていますよ。大丈夫ですか?」
マルティーナは心配してきたが、先程のメグやエトとのやり取りで学園を思い出してしまい、俺はげんなりとしていた。
それはさて置き、昨日のクラリス先輩のおかげで心は晴れやかだ。理由はお教えてもらった。
「ちょっとね。まぁ、でも、気づいたよ。僕の役目はもう終わりかもしれないね」
「どういう事でしょうか?」
マルティーナが聞いてくる。俺の表情から真面目な話なのだろうと真剣な顔をしている。
空気が変わった事に気づいたのだろう。
エルンストにマルガリータ、クラリス先輩もこちらに注目してくる。
わざわざテーブルを囲む必要はない。青空の下で十分だ。晴れやかな気分にも丁度いい。
「僕はね。ヘルツォーク領の鬱屈とした停滞を動かしたかった。他の貴族から蔑ろにされる状況を改善したかった。そして改善されたこの領の後継ぎをエルンストにしたかった」
知っているだろう、と聞くと妹弟は頷き、クラリス先輩は真剣な目で見てくる。続きを、と語っているようだ。
「王国本土間の取引、例の実子証明。それに戦場に身を置いてまぁ、功績も立てた…… 僕個人も少しずつ認められ始めた。そして、ヘルツォーク家の誇りまでもアトリーという王宮の大家にまで認められる事となった」
クラリス先輩を見ると、頷きを以て肯定してくれた。
「もう過去のような衰退に至る事は、余程の事がない限りは大丈夫だろう。開発や発展はまだまだこれからだ。後は、父上とエルンストに任せよう」
「ま、まだ兄上がいないと駄目です。父上だって今や、兄上に確認しようと仰るんですよ!」
俺は自然といい笑みが浮かべられていると自覚しつつ弟に話すが、その笑みが弟を不安にさせるのか、引き止めようと懸命だ。
「バトンタッチだ、エルンスト。お前が学園に入る頃には、兄と呼ぶのを卒業しないといけないな」
手をかざすが、弟はまだ応えてくれない。
「無理です…… 何でですか? まだいいじゃないですか……」
これ以上は、依存が過ぎるようになるからな。
「安心しろ。お前がこの領を継ぐのは5年は先だ。父上も相談役として力になってくれる。それに……」
昨日からエルンストは泣いてばかりだな。マルティーナもマルガリータも涙を浮かべている。何だ、うちの家族は涙腺が脆いんじゃないか。
「俺はお前の寄子だぞ。最初は父上のになるがな。何、カバン持ちは得意なつもりだ」
「僕のほうが、兄上のためにカバンを持つのが…… 上手くなれます!!」
ははは、つい声が漏れでてしまうじゃないか。
「嬉しいが、お前の立場でそれは駄目だろう。いきなりお前にやらせるわけじゃない。入学前にこの兄から卒業し、学園では先輩として教えるさ。学園在学中に王都の商会や、本土での仕事を教えて引き継いでいく。泣いている暇はない、お前の学園生活は他の学園生よりも忙しいぞ。父上を早く引退させてやれ…… あの人は若いときから苦労し過ぎている」
40半ばで老け込みが増している。安堵が張り詰めた糸を切り、ここ数年で歳を少し加速させたな。後悔はないが原因は俺か。
「エルンスト、お兄様の意を汲みなさい。お兄様のおかげで、我が領は一代進めて頂けたようなもの。ヘルツォークとして男を見せなさい」
学園女子に言われたら拳を叩き込みたくなるが、さすがは我が偉大な妹様、堂に入る姿だな。
「エト兄様、リック兄様がバックアップ体制は万全と言ってる。割りとイージーモード」
台無しだよ、マルガリータ。
クラリス先輩がいるせいかメグは外向き呼びだが、家族に話しかけるマルティーナはお兄様呼びか。
ほら、悩むんじゃない。
「はい! まだ時間はかかりますが、不甲斐ない僕が卒業するまで、お願い致します!!」
「お前が不甲斐ないわけがないだろう。今の段階で、実戦なら学園の1年生の3位だよ。学園全体でも10位以内だ」
1位はリオンで2位は俺だな。三年生を入れようが変わらないさ。文字通りの経験が違いすぎるだろう。
そして、兄と弟が手を叩き合わせる、力強い音が鳴り響くのだった。
☆
「前々から話していた件、エルンストには話しておきましたよ。決闘騒ぎの件もどうなるかわかりませんからね。心構えはさせておいたほうがいいでしょう」
港湾軍事施設用浮島では、想像以上にクラリス先輩とマルガリータが興奮していたのが印象深い。クラリス先輩はあのような場所は初めてだったようで、頻りに質問してきたのが年相応で可愛いらしく、それにしたり顔で答えるマルティーナのドヤ顔も面白かった。
マルガリータが、ふらふらと勝手に動くのをエルンストが捕まえに走ってたな。
今は、父上とマルティーナ、ベルタ義母様と俺の4人で、エルンストに話した内容を伝えながらワインを呑んでいる。
「それにしても…… 早いものだな」
「父上も早めに引退して、のんびりエルンストの相談にのってやって下さい」
隠居か、と呟きながらワインを口に含む父上の表情が、嬉しさと寂しさがない交ぜとなった複雑なものを表している。感慨深いという事か。
「わたくしも兄を卒業します。エーリッヒ様も妹から卒業してください」
「ずいぶん寂しい事を言う。ティナはまだ妹だ」
「何でですか!?」
無条件で可愛がる事が出来るからだよ。少し笑うと、ぷくっと頬を膨らませてジト目で見てくる妹、メグみたいで可愛い。
「いいじゃないですかあなた。エーリッヒが支えてくれる期間も有って、エルンストにはあなたもまだまだ健在。他から羨ましく思われる状況よ」
「思えばここまでくる事が出来たという事か……」
ベルタ義母様は、父上の苦労を一番知っている。今のヘルツォーク領のこの状態もまだ上向き、余程の下手を打たなければ問題ない。
数年後にはまた転換期がくるかもしれないが、それまでにエルンストに経験を積ましつつ、フォローすればいいのだ。一応は俺もいる。
エルンストの母としては、過去をその身で知る者として、これ以上は無いことを承知しているという事だろう。
承継のタイミングは、エルンストの学園卒業時でもいいぐらいだ。
「ティナもまだ時間はあるわ。あなたは焦らないように」
そう、ベルタ義母様が言うように、結婚相手が選べるマルティーナは焦らないほうがいいかもしれないな。
さすがは母親、急いては事を仕損じるという事か。
「今、お兄様は絶対アホな事を考えてます……」
ベルタ義母様は苦笑いし、父上は肩を竦めている。
ワインが回った我が妹様は、ちょっと幼い感じの拗ねた上目遣いでこちらを非難してくる。エロカワ!
いい女になるのだな。
粗方の施設をクラリス先輩が視察した後、リオンから手紙が来たので、クラリス先輩とその女中、弟妹を連れて遊びに行った。
そして、ヘルツォーク子爵領に戻り数日後、アトリー家の飛行船が王宮官吏と共に、王宮からの書状とバーナード大臣からの手紙を携えて、ヘルツォーク子爵領にやって来たのだった。
ヘルツォーク家がクラリス教の狂信者になった!?
リオン浮島編はまた別話で書きます。
幕間みたいな扱いを検討しています。