例えばこんなホロライブALT【hololive alternative-bibliography】 作:ちゃんどらー
黒、黒、黒が染め上げた。
ダメだと思っても抑えられなかった。
抱き込んだ尻尾の疼きが止められず、胸の内から溢れる感情の渦に蓋を出来ず、流れ込んでくるニンゲンの悪感情を否定できずに……。
鬼神の悲痛な表情を見ていられなくて、最後に口からこぼれ出た言の葉に彼女は何を想っただろうか。
真黒な世界。
抱きかかえた尻尾の柔らかさだけが確かなモノ。
わたしの心の寂しさを紛らわしてくれる唯一。
声が聞こえる。ニンゲン達の欲望の声が、羨望の声が、嫉妬の声が、利己主義の声が、憂鬱の声が。
きっとあれらは、大きな津波となってわたしの心に押し入って、わたしの心を壊すだろう。
ニンゲンの欲望はとどまることをしらない。
一人一人の欲望は些細なモノでえあったとしても……千年以上も繋がり、重ねられた欲望の渦であるならば、カミ一柱を呑み込むことなど容易い。
このミヤコはカミとヒトで創り上げてきた大切な宝物。オオカミとシラカミとヒトが紡ぎ合わせて出来た奇跡。
しかし積み上げてきたはずの
相互理解、というカミとヒトが共存しあう上で必要不可欠な工程を失くしてしまったのだった。
感じる。
こうして触れ合うことで初めて理解できるようになった多くの感情。
ヒトには扱えぬ大きさのイワレを使うカミへの羨望。
ヒトが必ず迎える死という運命さえ超越したカミへの嫉妬。
ヒトの身でありながらカミをその手に収め、己の思うがままにカクリヨを支配しようと画策する欲望と利己主義。
そして……ヒトの身では決してカミには届かぬという事実に打ちのめされて絶望し……憂鬱に沈む。
どろどろとしたタールのような悪感情の渦に対して、わたしに出来ることは何もない。
抗う術が分からない。跳ね除ける言霊を持ち得ていない。己を保つ芯を確信できない。
呑み込まれて、染め上げられて、堕とされるだろう。
違う、違う、違う、とニンゲン達に示せればいいのだろうか。
ああ、そうか。そういうことか。
信じていた、と言えば聞こえがいい。そうではない、わたしは……取るに足らないと思っていたからニンゲン達を観測などしてなかった。
これほどまでに膨大な量のケガレが蓄えられていたのはわたしの落ち度。
わたしたちにわざわざ謁見するような位の高いニンゲン達が、最近になって陰でこそこそしていたのは、この欲望のケガレを見せないようにしていたのだ。
観ようと思わず、調べもせず、無関心に過ごしてきたツケが回ってきた。
カミオトシはヒトの手で成るモノ。静かに、静かに積み重なってきたケガレの存在に気付いたニンゲン達は、いつからかわたしたちをその手に収めることを望んだのだろう。
きっとずっと前からこうなる事が決まっていたのだ。ニンゲンと共に暮らし、ニンゲンと共に生きていくならば……ニンゲン達が宿しているこの恐ろしい
本当は二人でこのマガツケガレの存在に気付き、祓わなければならなかったのに……わたしたちはニンゲンから向けられる無機質な
―――ごめん、ミオ。
呟くのはたった一人のトモダチの名。
もう目の前に迫っているマガツケガレの津波に、わたしの動かない身体はただ尻尾を抱きしめるしか出来ない。
自分はきっと壊れてしまう。壊されてしまう。
自分が自分じゃなくなるのが恐ろしくて、それでも何もできなくて。
覚悟を決めて、ゆっくりと瞼を閉じる寸前……尻尾の五芒星が昏く輝いたのが見えた。
大嫌いな翡翠の瞳が確率事象を映し出す。あったかもしれない未来は……堕ちたシラカミと滅びゆくミヤコの姿。
ならば今……“此処はその確率事象ではない”。
尻尾の五芒星に込められた想念に、わたしは千年も気づくことはなかったらしい。
認識疎外と封印の役割を果たすその術式は、わたしに未来を託した先代のモノ。シラカミの旧い術式が光り輝く。自分の知らない、先代だけが扱っていたであろう昏き輝きを放つ悍ましい術式が。
「―――ったく。世話の掛かる奴」
一緒の声なのに横暴で、でも底には確かに愛情があった。
押し寄せてくる津波は、大きく展開された五芒星へと吸い込まれていく。
吸い込み切った五芒星からずるりと這い出してきたその子は、黒に赤という、白に蒼のわたしとは正反対のイロをしていた。
合わさる瞳。ルビーのようなその瞳に吸い込まれそう。背も声も同じのその子は、わたしがしない獰猛な笑みを浮かべていた。
キィン、と耳鳴りのような音が頭に響き、翡翠の瞳が再び確率事象を映し出す。
過去視の役割も果たすその観測は……目の前の彼女の存在がどうやって生まれたかをわたしに叩きつける。
悍ましい、の一言しか出なかった。口にするのも憚られる程に罪深い行いをして……先代はこの子を生んだのだ。
彼女は呪いの受け皿。わたしという不完全なシラカミに降りかかる呪いを呑み込み切る為だけに創られた先代の子にしてわたしの妹……同時に、もう一人のわたし。
思わず口を開こうとして、すぐに彼女に唇の前に指を立てられて封じられた。
「黙れ、喋んな、同情すんな」
犬歯を剥きだしにして睨まれる。
唇に当てられていた指が、つっと、わたしの頬をつたって掌が添えられた。
細められた赤が突き刺さる。寄せられた身体、触れ合いそうな鼻先。
「ふん、ばーか」
嘲っているようでバカにしてなくて、怒っているようで泣きそうな、そんな感情が見え隠れする。
「今からのお前はただ……ゆっくりとあたしが勝つところを観測してりゃいいんだ」
一寸何を言っているのか分からずに出来た空白の隙間。彼女が指で切った五芒星にわたしの身体が囚われる。
「夢見心地で観覧してな。だから今はおやすみ、バカ姉」
言いつつ鳴らされた指の音を聞くと急な眠気に襲われた。
瞼が重い。頭がぼんやりする。
優しい優しい声音はわたしにだけ感情を向けていた。その瞳は無理に冷たくみせようとしてるくせに、優しい光を帯びている。
わたしの意識が落ちる寸前、彼女の寂しそうなつぶやきが耳に残った。
「ほんっと……ばーか」
▼▼▼
紅と赤の瞳が絡み合う。
同じようにニンゲンの負の想念を呑み込んだカミ同士の相対は、見下す視線の黒上と睨み上げるあやめという構図で幾重の沈黙に沈んでいた。
黒の少女が身に宿すケガレの大きさはあやめをして震えが走るほど悍ましく、改めてニンゲンという生物が持つ莫大な想念の可能性に驚かされる。
そも、黒上フブキの宿すケガレの質は繋いできた規模が違う。
片や、死んでいるニンゲンの想念が年月で煮詰まった鬼神の呪い。
片や、生きているニンゲンの想念が年月を於いて積み重なり熟成に熟成を重ねてきた二柱を堕とす為の呪い。
どちらも度し難いが、打ち止めになった鬼神の呪いの方がまだマシだろう。
(これがミオちゃんとシラカミの心を乱し続けた想念の正体。無機質に捧げられる信仰の裏側。
嫉妬、羨望、欲望、利己主義、憂鬱……カミをヒトのモノにしようなんて……)
なんともまぁ、救いようのないことだ。
あやめは内心で一人ごちて、小さく吐息をついてから口を開く。
「別人……って言ってたけど挨拶は必要か?」
すっと目を細めた黒上が呆れたように応えた。
「いらねぇ。お前の……百鬼あやめっていう異世界の鬼神のことはフブキと観測共鳴してたから理解してる」
「そ。語らう時間はくれたり――」
「ふん、少しならくれてやるよ。おおかたあたしがフブキとミオのヤツをどうするかってことだろうけどな」
聴きたいことを当てられて、あやめは眉を少し顰めた。
「心まで読めるの?」
「別に……お前みたいなお人よし、マガツガミのなりそこないの単純思考なんざ少し考えりゃ分かるってだけだ」
舌打ちが一つ。気怠そうに頭をかいた黒上は、後に口を引き裂いて嗤った。
「あたしはフブキの望みを叶える為に生まれたマガツガミなんでね……あいつが心の底に抱えてた本当の欲ってのを単純明快に叶えてやるだけなのさ。安心しろよ。ミオのやつはフブキのトモダチだから生かしてやる」
ゆるりと構えた紅い刀身の刀が鈍く輝く。
「ま、これから死ぬお前には関係ねぇ話だが」
「ふぅん……」
黒上の眼を覗くと、あやめに対して全くと言っていいほど感情を持っていないことが理解出来た。
好意の反対は嫌悪ではない。徹底的な無関心こそが、他者の存在を否定する一番の方法だと彼女は知っているのだ。
極論、黒上にとってはあやめの生死すらどうでもいいのだろう。
フブキの欲望を叶えるという目的の為に生まれたのだから、それに含まれるミオやフブキ本人にしか感情が向けられない。
「なら、もう一つ聞くけど……お前は人間様達とこのミヤコをどうするつもりだ?
人間様の悪感情を取り込んだ余やお前みたいな存在は、彼らの存在自体さえ貪り尽くさないと気が済まないはずだ」
それこそが自分達の度し難い業であると、悪神の本質をあやめは黒上に突きつける。
ヒトからの悪感情がカミに向けられていたとしても、それを取り込んだ彼女達は自壊することではなく、その感情を向けてきた存在を滅ぼして初めて安心と充足を得られる。
カミとして正常な状態に戻る為にヒトという呪いを放った原因を滅ぼさなければ、という本能とも言うべき欲望を抱えてしまうとあやめは言っている。
毒に苛まれたのならばその原因を断とうとするのが通常。だからこそ、ニンゲンのケガレによって生まれたマガツガミは、ニンゲンを害することを第一とする。
は……と小さな吐息が聴こえた。
「当然だ。あたしはこのミヤコを滅ぼす」
赤い瞳には動揺など欠片もない。
起こるべく事実として黒上は言う。
「ニンゲンもたくさん殺す。小汚い豚オヤジも、生き汚い爺や婆も、薄汚い守銭奴共も、口汚い醜女共も……フブキとミオにケガレを向けたゴミ共は全て一掃してやる」
とんとんと刀で肩を鳴らし続ける。
「時機が来たのさ。腐ったゴミや溜まった埃を綺麗に大掃除する時機がな。
一度キレイに滅ぼしちまえば楽だが、それだとフブキやミオが受けるべき信仰がなくなっちまう。だからこそ、お前が来たのはちょうどいい」
降り注ぐ桜の花びらを片手に乗せて、彼女は片目を細めた。
「ミヤコを滅ぼす悪神、鬼神。なんて都合のいい、倒されるべき存在だろうなぁ?」
黒上の指先に昏い輝きが宿る。
「方陣展開」
どさりと裂けた空間から落ちてきたのは一族の鬼の一人だった。
もやのようなケガレが纏わりついたソレは、虚ろな眼をしてまるで人形のように立ち上がる。
「こいつは気を失ってるだけの鬼だが、死体なら傀儡術式を使ってやりゃ感情があるように見せることも難しくないし、何よりお前みたいなニンゲンのケガレに馴染んだ鬼の死体ならあたし自身の魂魄の分け身を乗り移らせることだってできる。
変化でフブキに成りすませば、あとはご都合主義の物語さながらに神話の世界の再現してやりゃいい。再び現れたマガツケガレは、唐突に現れた鬼へと乗り移った。オオカミを倒したマガツケガレに怒れるシラカミ、そしてニンゲンとカミは再びマガツケガレと戦い、協力し、祓い、後世まで続く平穏なミヤコを再興しましたとさ」
なんてな、と舌を出して嘲る彼女は召還した鬼をまた虚数空間に放り込んであやめを見た。
語られた己を利用される自作自演の物語に嫌悪感を浮かべることなく、彼女の瞳は真っすぐに黒上を射抜いている。
「なるほど。確かにそれなら悪感情を持つ人間様達を排除した上で、今よりはいい世界になるんだろうね」
だが、と続ける。
「本当にそれでいいと思ってるなら、お前はやっぱりヒトという種族のことを……ううん、あの子やミオちゃんのことすら分かってないよ」
空気が凍る。幾分温度が下がった。
「羨ましいって、あの子は言ってた。ミオちゃんも多分、羨ましいって思ってた。なるほど確かにお前はあの子の中に居た存在で、あの子の心を読んできたんだろう。
でも余には、お前の言ってる案が最善とは思えない。鬼神が殺した人間様達の中には、余と友達になってくれてる人達だっているんだから……もしかしたらっていう可能性を否定するだけじゃ、きっとあの子達の世界はいつだって退屈で苦しくて寂しくて切ない寂寞と寂寥の繰り返しにしかなりえないんだ」
ひらりひらりと舞い踊るように彼女の周りの鬼火達が揺れだした。
す……と細まった黒上の瞳に剣呑な殺意が宿る。
「白上フブキが持つ不信の心を拾い上げて優しい繋がりを与え、欲望を叶えてあげようとするお前はあの子にとっては正しいのかも。それはきっと箱庭で育てられる綺麗な華達や、籠の中で愛でられる小鳥達が感じるような幸せだろう。でもさ……世界の悪戯かなんかで、“あの舞”が視えちゃったし、“あの歌”が聴いちゃったし、そうしたら思っちゃったんだよね」
小さくこぼれた吐息と共に、あやめの表情が緩く綻んだ。
「余は……二人とも、そしてもしかしたらお前とも、友達になれるって。何処かのセカイの余達はみんな仲良しで、人間様達から愛されてるんだ。なら“混ざって新しくなるこの世界”でも……そう在れかし」
それはただの願いだが、心優しい鬼の少女が観た世界の一端なのだろう。
たった一人の願いでも紡ぐことでカタチに出来るのならば、彼女が願う意味はあるのだろう。
同じくヒトの昏い感情を依代にするモノ同士であるのにどうしてこうも違うのか、と黒上は言わない。言ってやらない。興味など持とうとも思わなかった。
彼女が行うのは唯々、百鬼あやめという鬼神の在り方に対して、無関心という名の最上の拒絶を貫くことのみ。
「あっそ。ならそろそろ……死んであたしの役に立て、クソ鬼」
ドロリと大地からケガレが噴き出す。ちらつく花吹雪と共に昏いケガレの雪が舞い落ちてくる。
黒上の瞳と構えられた刀が朱く輝いた。
二刀を構えたあやめの瞳も紅に輝き、鬼火達が一斉に彼女へと集う。
「カクリヨに纏うは穢と業。染めよ、染めよと黒上は黒を希ひ……重ねよ、重ねよと黒上は白をも渇望す」
「想い捧げ、余の愛しき
互いの剣先が向かい合い、人間の呪いを呑み込んだ二柱のカミから莫大なチカラが溢れだす。
「虚数術式・裏―――“陰陽交叉・四季廻演”」
「百鬼流……鬼神術式。陸式・憑魄魂鬼―――
共に主張をぶつけても話し合いなどという余地を残していないのなら、力づくで押し通すしか術はない。
あやめは彼女を叩き伏せて二人の少女を掬う為。
黒上はフブキの欲望と望んだ世界を作り直す為。
あさきゆめみしと想い重なるこの世界で、誰彼の願いが泡沫の夢と消えるか……はたまた、咲き誇る花となるか。
ピクリ、と指先が動いた。
静かに瞼だけは開けられても、まだ身体は動かないらしい。
二人の暴虐的なチカラが荒れ狂うその場で、優しい鬼火の結界に守られている狼の少女は花びら舞い散る夜空を見上げながら静かに刻を待つ。
何が起こったかは理解していて、何が原因かも理解出来た。
自慢の大きな耳で彼女達の会話を聞き続けていたから。痛みに耐えて、ずっと全てを聞き続けていたから。
故に彼女―――大神ミオはまだ動かない。動けない。
イワレの多くを吸い取られた今の自分ではただの足手まといにしかならない。
一寸だけでいい。
一寸の隙を生み出せる分だけチカラを溜められれば、この戦いに終止符を打つことが出来るだろう。
己の破魔のイワレ全てが奪われたわけではなく、時間と共にこれは回復するものだ。
鬼が吸収したのはあくまでその一時の力だけで、ミオの持つ概念を奪い取ったわけではないのだ。
(ウチ達が欲しい平穏は……また、取り戻せる)
今、神木と大地に溢れるケガレは、ミオを一切穢すことはなく、あまつさえ鬼火の結界と共に彼女達の攻撃の余波から守護すらしている。
静かに、静かに彼女はイワレを集め始める。
ミオにケガレは集まらない。長い間取り入れてきたこの街のイワレだけが、彼女の元に集まっていく。
呼吸を繰り返しながら、傷が癒えるのを待ちながら、ミオが思い返すのは生まれてからこれまでの生の追憶。
自由に駆け回っていた狼の頃から、カミとしてヒトの生活を護ってきた時のことも。
その中で圧倒的に輝いている記憶は……泣いたり笑ったり怒ったり拗ねたり……表情豊かに、長い長い時を共に生きてきた、家族と呼んでもいいたった一人の女の子。
(ウチは……フブキと……ずっと……)
故に、だからこそ、と。
ミオは彼女の想いを、破魔の炎で燃やすことを決めた。
心の中に吹く風は、いつの間にか止んでいた。
自分達の寂寞と寂寥を理解してくれる存在が怒っているからかもしれないし。
自分達の哀愁や虚無を理解してくれる存在が手を差し伸べているからかもしれない。
また、歌が聴こえた気がした。
暁に交わした約束の歌は、まだ遠く。
読んでいただきありがとうございます。
私用優先の為、投稿が遅くなり申し訳ありません。