例えばこんなホロライブALT【hololive alternative-bibliography】   作:ちゃんどらー

9 / 15
百花繚乱花吹雪  9

 

 昔々の話。

 さわさわ、さわさわと新緑が揺れる。頬を撫でる風が心地よく、木漏れ日の暖かさに満たされる。

 遠い遠い記憶の中、思い出されるのは緑が揺れていた穏やかな時間。

 古ぼけた社の縁側に座っていることが多かった。自分の特等席のようなその場所で過ごすのが日常だった。

 まだその時の自分はヒトのカタチをしてはいなかった。

 のんびりと、のんびりと、いつだって穏やかに過ごしていたんだ。

 

 特異点、と昔から呼ばれる自分達が暮らす社は、誰が作ったのか、何時出来たのかも分からない場所だった。

 不思議なことだ。その社は確かにあるのに、自分達はその成り立ちを認識できず、いつの間にか此処に在ったという事実しか残っていない。

 ただ、其処は居心地がよかった。

 自分達の暮らす森には野生の生物しかいないのに、ニンゲンが作ったであろうその社に自分達は安らぎを感じていたのだ。

 

 不思議なことはもう一つある。

 森に実りを齎す能力を以って暮らしてきた自分達は、社にたまに落ちてくる特殊な物質から知識や活力を得ていた。

 

 それは書物であったり、食物であったり、飲み物であったり、絵札であったり、機械であったり、魔法物であったり……本当に様々なモノ達だった。

 

 多種多様の知識や物体は、たいていがニンゲンの作り出したモノであるのだということも識った。

 しかし、数多の知識を蓄えた自分達は、それでも森の生活を崩すことはしなかった。変化することに興味がなかったのだ。ただただ、今を過ごすことに満足していたから。

 

 特異点である社で緩やかに過ごす日常が全てでよかった。

 この大地に豊穣を齎して安穏と過ごせればよかった。

 森を守ってくれる“オオカミ”の一族と共に過ごせればよかった。

 

 長い長い年月をそうして過ごしてきた。

 そんな中で、“オオカミ”がニンゲンの暮らしを許したという。

 森に深入りしないのならば傍で暮らすことを許そう、と。

 自分達には関係ない。

 ニンゲンから澱みが起こっても“オオカミ”が祓ってくれる。

 此処まで来ないのならば、自分達に害がないのならば、好きにすればいい。

 

 自分は先代の“シラカミ”との時間が好きだった。

 穏やかな森の中で過ごし、木漏れ日と共に昼寝をして、夕焼けが藍に暮れていくのを見送って、月を迎えながら過ごすこの時間が。

 いつまでも続けばいいと思っていた。

 この穏やかな日々が、いつまでも続けばいいと思っていた。

 

 

 そんな時だ。

 先代の“シラカミ”に異変が起きた。

 

“嗚呼……そうか。そういうこと”

 

 ただの一言。

 社の屋根で月を見上げていた彼女が呟いた一言を、縁側でのんびりと月を見ていた自分は聞いてしまった。

 何を理解したのだろうか。好奇心から自分は屋根の上へとひらりと身を乗せて……後悔することとなる。

 

“フブキか……まだ早いとは思ったが……カクリヨが斯くあれと望むが故……許せ”

 

 翡翠の眼は真っすぐに自分を射抜いていた。その口元は微笑みを携えて、纏う空気は穏やかに。

 ただ、その翡翠の奥は……絶望が奈落として渦巻いていた。

 

―――白く、白く、真白く在れ。新雪のような我らは無垢なる赤子のよう。識ることのない我らならば、理に触れずに生きることも出来たであろうに。それでも、ナニカに染められるを待つしかない我らが白さに……。

 

 祝詞のような言の葉を美しく思った。

 呆けたままだった自分は、先代の翡翠を直接覗いてしまい……そのイワレを預かることとなった。

 

―――現世の理よ、色づく想いよ、刹那を愛せ。

 

 瞬間。

 この世界の成り立ちを知る。

 知識の共有化と呼ぶべきそれは、この世界がカクリヨと呼ばれる世界であることと、それに伴った知識を自分に授けた。

 

 その情報の津波に、自分の脳髄は悲鳴を上げた。

 昏睡し、発熱した自分は先代に連れられて社へと放り込まれる。

 其処から三日三晩、自分は魘され続けたのだという。

 

 起きた時、自分はしばらく呆けていた。

 その後……叫んだ。

 絶叫は森の奥深くだけで閉じられた。

 張られた結果によって誰にも聞かれることはなかったのだろう。

 

 わたしはこの世界の成り立ちを知って、この世界の儚さを知って、この世界の哀しさを知って、この世界の……愛おしさを知って。

 

 この世界の多くの知識を手に入れた自分は今後、アヤカシを超える存在へと昇華するしか道がないと悟ってしまった。

 人化の術は、きっともう使える。

 受け取ったイワレはもう自分を、周りの眷属のようなただの狐でいさせてはくれない。

 ただの狐であったフブキは終わり。わたしはシラカミを継ぐしかないのだ。

 

 先代は起きた自分に対して哀しそうに呟いた。

 

“大地に豊穣を与える天狐の力とは別に、我らシラカミはカクリヨの理に触れた時、この翡翠に固有の能力を持つ。我の力は選択肢を伴う未来視であったが……どうやら特異点がそれを嫌ったようだ。お前はきっと、我より酷いモノを与えられたのだろう”

 

 言葉は聞こえていたし理解していた。

 いや……“知っていた”。

 知っていたんだ。

 そう言われることを。

 そして……他の言葉を言われることがあったことも。

 

 震える身体。漏れる嗚咽。零れる涙。

 

 自分がどうすればいいか、知っている。分かっている。

 この現在を、経験しているかの如く。

 だから自分は……指で窓を作った。

 

 四角く切り取るのは世界。

 

 自分だけしか視えないセカイ。他者が知ることのないセカイ。

 

 未来視、ではない。

 そんな生易しいモノではない。

 これは可能性だ。

 確率によって結果の変わる世界そのもの。確率の事象だ。

 

 たった一つの選択で分岐する数多の可能性。いくつも、いくつも自分の脳内に映し出される映像。

 

 セカイはどれだけ繰り返した?

 世界はどれだけ終焉を迎えた?

 せかいはどれだけ……わたしを拒んだ?

 

 おかしくなる。

“わたし”はおかしくなる。

 こんなモノを見せつけられて、“わたし”はどうすればいいというのだ。

 

―――あったかもしれない可能性などと……この現実は一つしかないというのに!

 

 語らずとも先代は理解したようだった。

 自分に宿ったチカラが、ろくでもないモノだということを。

 

“未来視よりもひどいモノなのだ……観測者に連なったか。いや、それこそがシラカミの本質。この社はきっと……ウツシヨに居るシラカミとの……”

 

 ビシリ、と自分の頭に痛みが走った。

 理解するべきではないと告げているようだ。

 その言葉の続きは自分が識ってしまうべきではない。

 自分が自分でなくなるような、自分自身が乖離してしまうような。

 

 きっと、その時に理解していたら、壊れてしまっていただろう。

 ぽつりと彼女は自分に言葉を流した。

 

 

“決まった未来など……誰かが望んだだけの、既知の未来などつまらないものだよ……フブキ”

 

 優しく、慈しみの溢れるその声と共に、自分の身体は温もりに包まれる。

 

“大丈夫、大丈夫だ……。シラカミの残酷な運命をお前に背負わせはしないよ。観測者の能力を完全に消すことは出来んが……もう二度と、我らと同じ想いを繰り返させることはしない”

 

 呆然と、思考に空白が生まれた。

 ふわふわの毛並みに包まれたまま彼女の話に耳を傾ける。

 

“天狐となる前から我らシラカミは、その知識と能力を引き継ぎ、受け継いでこのチカラを護ってきたのだよ。それこそ、始まりのシラカミの人格に引きずられるままに”

 

 目を見開く。

 それはあまりにも衝撃的な話だった。

 身体が震える。これはあまりにも……あまりにも恐ろしい話なのだから。

 

“ああ、お前が恐怖する通りだ。本来は引き継がれて初めて自分で認識できる事柄なのだがな、引き継がれる前の人格を食いつぶして、我らはずっと生きながらえてきたのだ。本来はお前も我らの依代となっていたはずなのさ”

 

 合わせた翡翠の瞳に哀しみが渦巻く。

 

“しかし―――さすがに疲れた”

 

 ぽつりと零された感情。寂しそうな声にウソは含まれていない。

 

“長い長い旅路だ。数千年も前にニンゲンを誑かして悍ましい戦をけしかけたこともあったし、大陸の一国を焦土と化したこともあった。このヤマトを滅ぼそうと来た時にアヤカシとニンゲンが手を取り合って我は滅ぼされ、千年近く石となって復活を待つことになった。やっとチカラを取り戻した時、このクニの美しさに魅入られてしまってな……復讐心や傲慢な心など欠片も思い浮かばんかったよ。だから贖罪というのは些か自分勝手だと思うが、存在を昇華させ、天狐となり、大地に実りを齎す存在となり、この地に居座ることにしたのだ”

 

 自分は其処で初めて問いかけた。

 なら何が貴女を生に縋りつかせてるの、何が貴女を此処まで生かしたの、と。

 

“今となっては思い出せぬ。転生を繰り返す内に我らの記憶は風化していく。大きな出来事は覚えていても、生きながらえようと思った始まりの動機はもう……思い出せぬ”

 

 ただ、と続けられる。

 

“何に対してかは分からないが……一つだけ感情が渦巻いているな”

 

―――寂しい。

 

 哀しい微笑みと共に零された言葉に、自分はその想いの大きさを受け止めることが出来なかった。

 

“誰と居たかったのか、誰と過ごしたかったのか、誰と笑い合いたかったのか……”

 

 誰と、誰とと繰り返しながら、彼女の声は震えていた。

 

“振り払いたかったのだろうな。この想いを消してしまいたかった。その為に生きてきた。眷属の狐の若い身体を奪い取ってまで、誰かを求めていた。この気持ちを亡くしたいとどれだけ願ったことか。しかし終ぞ、我らがこの想いを振り払うことは出来なんだ。だからこそ……我らはもう、疲れたのだろう”

 

 哀しい哀しい独白に自分の心さえ凍えそうで。

 慈しみの眼差しは変わらない。彼女の哀しさを知れただけでも、彼女にとっては救いだったのかもしれない。

 

“フブキよ。我らはもう、お前を依代として転生することはない。お前にシラカミの歴史(イワレ)を伝えようとも、我らが引き継いできた魂までは継がせぬ”

 

 哀しいことに、と続く。

 

“観測者となってしまったが故、我らの過去を追想してしまったやもしれぬだろうが、人格も意識もお前はお前だ。シラカミの運命に食いつぶさせはせんと約束しよう”

 

 もう一つ、と続いた。

 

“我らが未来視によって知った凄惨なる未来を回避する為に、一つだけ対抗策を仕掛けておくことにする。これはオオカミにも内密に事を進めることとなる。すまんが……ソレをお前が意識することは出来ないだろう。願わくば、この事象でお前が幸福に包まれることを望む。許せ……お前の為に我らは呪いを―――”

 

 もう二度と会えないと告げる別れのようなその言葉の続きは、自分の記憶から抜け落ちていた。

 わたしはその時、彼女に一言呟いたのだ。

 

 行かないで、と。

 

 

 

 

 

 長いこと眠っていたと、起きた時に聞かされた。

 

 ニンゲンとの大きな争いがあったことと、それによってこの地がケガレに支配されそうになったこと、そして先代が身籠っていたはずなのに忽然と消えたことを、自分を護っていたオオカミの一族から聞いた。

 

 観測者としての力は、観たいと思っても見れないよう封印されていた。観えるのは少しだけ。他者の歴史(イワレ)から分岐するはずだった可能性を少しだけ。未来視のようなそうでないようなおぼろげな事象の姿。

 

 きっと先代が何かしたのだろう。わたしの為に。

 

 きっと先代が残したナニカが……生きた意味がコレにあるのだろうと思う。

 

 

 

―――わたしがシラカミの眷属の中で唯一……無垢な白だけではなく、少しだけ黒で濁っていたことに意味があったのだろうか。

 

 

 

 震えながら、前まではなかった五芒星が刻まれた己の尻尾を抱きしめた。

 

 先代が残した匂いが、温もりが、想いがあった。

 

 もう温もりは受けられないのだと思うと涙が出た。

 

 穏やかな日常には戻れないと思うと切なくなった。

 

 変えられない現実に、あったはずの確率事象が絶望を突きつける。

 

 救えなかったと、心が悲鳴を上げる。

 

 オオカミの後継者と出会ったのはそんな時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▽▽▽

 

 

 

 

 

 見下ろした大地は春であるというのに雪が降り積もり、深々と未だにちらつく白雪が朱く染まった大地を隠してくれる。

 ミヤコに攻めてきた鬼族を返り討ちにする役目となったのは自分だ。ミオが鬼神を迎えると自分から言ってきた時は驚いたが、どちらが行こうと結果は変わらないだろう。

 

 大地に突き刺さった大きなつららに腰かけて月を見上げた。

 見下ろしても動くものはいない。

 

 鬼達は全て自分のイワレを受けて凍り付いてしまった。

 

「……」

 

 言葉を発することさえ疎ましかった。

 イライラするんだ。むかむかする。

 このミヤコに攻めてきたモノ達に、心が拒絶を示してる。

 

 自分でも分からない。ミオに言われて初めて自覚したこの違和感。

 いつもの自分ならきっと突然現れた異種族に興味を示して友好を築こうとしていたはずなんだ。

 彼らの生活に、生き方に、思考に、感情に、歴史に……それらを知って手を繋ごうとしていたはずなんだ。

 しかして胸に沸いてくるのは関わりたくないという感情。

 

 指で作った“狐の窓”で彼らのことも見てみたが、彼らが辿ったであろう確率事象はノイズが掛かったように見ることが出来ない。成り立ちが分かれば自分の気持ちにも折り合いが付けれるのでは、と思ってシラカミのチカラを使おうとも変わらない。

 

 ただ、その事実は自分に驚愕と共に一つの感情を沸き立たせた。

 

 自分が観ることの出来ない事象がある。

 

 それは未知だ。

 それは喜楽だ。

 それは愉悦だ。

 

 延々と続くであろう漫然とした毎日は、元来引きこもり体質の自分には悪くない穏やかさではあったが、停滞と共に心を壊死させる灰色に成りえていたのも事実。

 現にミオは千年を超えるカミとしての停滞によって、そしてニンゲンが捧げる無機質な信仰によって心がマヒしてきていたのだから。

 

 長い付き合いだし、この鬱陶しい眼のチカラもあって彼女のことはよくわかる。

 ずるをしているようで大嫌いなこの眼。先代のおかげで能力制限が掛かったとはいえ、一つ二つは確率事象を観測してしまうから、自分はミオの心を見抜けてしまう。

 そうなった可能性で、そうである確率が高いというだけではあっても、ある程度はその通りなのだから救えない。

 

 閑話休題。

 この未知に対する感情はなんと言ったのだったか。

 そうだ……期待だ。

 数多の確率の上に成り立つ自分のセカイで未知が出来るというのはいつ以来だろうか。

 諦観に支配されていた自分の生にようやく現れた変化。やっとこの……繰り返しの牢獄から抜け出せる。

 

 ニンゲンは好きだ。

 彼らの心に触れるのは好きだ。

 ただし……最近はもう、子供のような無垢なモノにしか触れたくなくなってしまった。

 

 人の営みが好きだ。

 彼らの生み出す様々な感情が好きだ。

 ただし……欲望によって心を引き裂き合う様は見るに堪えなかった。

 

 このミヤコが好きだ。

 ニンゲンが創り上げた自分達を信仰する街。

 ただ……美しさに見惚れる景色も……彼らに汚されているような気がして……。

 

 

 子供達のように皆が純粋であればいいのに。

 崇めなくていい。讃えなくていい。畏まらなくていい。

 

 

―――“わたし”はただ、ミオと自分に笑いかけてほしいんだ。

 

 

 思考がずれた。

 今は、いい。

 ニンゲンのことに想いを馳せるのはカミとしての性か、それとも彼らの信仰によって暮らしている自分達がソレに引っ張られているのか。

 それよりも今は……

 

 

 鬼達の中で、ひと際大きなチカラを持っていた個体がいた。

 鎧を着たその個体は、氷漬けにしたというのにまだこちらに目を光らせていた。

 

 違和感はあったのだ。

 放出されるイワレがおかしい。

 一体としての身体をしているというのに、上半身と下半身に分かれているような。

 

 じっと、そいつを見ていた。

 念には念を入れて強めの氷で縛っていたからか、奴は動かない、動けない。深々と降り積もる雪がじきに埋めてくれるだろう。

 戦った感じ、彼らはこの程度では死ぬことはないと分かる。ただし自分が氷結させたため、再び暴れることもできない。

 

 そう思っていると……鎧を着た一体が光を帯びだした。

 眉を顰める。じっと見ても何も変わらない。別に何かしてきてもこちらとの実力差から何も喰らいはしないだろうが……念の為に刀を構えておく。

 

 数瞬の後。

 ふっと、奴の気配が消えた。

 鎧は氷の中にあるというのに、先ほどまでこちらを睨んでいたモノがいない。まるで中身が抜き取られたような。

 

「……ああ、式か」

 

 なるほど。状況的にはそうだと思い浮かぶ。

 あの鎧は鬼の一族ではなく、鬼神自身が使役していた式なのだ。

 それなら実力が違うのも納得する。

 式は主のチカラに反映されるのだから、あれ一体で鬼一族の半分は補えるだろう。そう考えると鬼神の途方もないチカラに笑みがこぼれる。

 神木の援護がある自分達とは違い、彼女は自分自身に蓄えられたイワレだけで戦わなければならないというのに、まさか鬼族の為とこちらに対して式を寄越すとは……しかし……

 

「こっちに回してた式を召還したってことはミオが鬼神を追い詰めてるってこと。じゃあそろそろ終わりかな?」

 

 下ろしていた腰を上げて伸びを一つ。

 今日は月がよく見える。ミオのチカラも十分に発揮できるだろう。

 ついた頃には終わってるだろうし、交渉の材料として鬼の一族の安全をしっかりと確保しておこうか。

 

――シラカミが切り張るはカクリヨの隙間。囲え、囲えと命じ示しせむ――

 

 祝詞はイワレにカタチを持たせて使う為のおまじない。

 紡がなくとも術を使うことは出来るが、言霊に乗せることでより強固な結果を残せる。

 指と指を合わせて作った四角は、観測の為に使うモノとは違う“狐の窓”。

 

「虚数方陣・狐離夢中(コリムチュウ)

 

 一つ、二つと空間に穴が開く。

 確率を観測して暴くでなく、カクリヨの隙間へと彼らを一時的に放り込む為のモノ。

 翡翠に移した鬼達の姿、目を閉じる度に、彼らは虚空へと消えていく。

 

 此処に放置していてはニンゲンに見つかると面倒だ。

 間違って壊されでもしたら鬼神との交渉に不備を齎すかもしれない。

 だから、目に見えない虚数の空間へと一時的に彼らの存在を“ずらす”。

 彼らはこれで此処にいるのに此処にいない存在となった。ウツシヨではなんていったっけ……ああ、シュレディンガーの猫、だっけか。

 

 最後の一つを放り込んでほっと一息。

 間違っても死ぬことはないだろう。一応、虚数空間にイワレを送るバイパスを通しておく。傷付けた鬼も確かにいたし、魔界という場所でどうやってアヤカシ達が回復しているかは分からないが、一応自分の式も置いておこうか。

 

 懐から札を一つ。ぽつぽつと唱えれば、自分の眷属であるキュウビが煙と共に現れた。

 鬼族が死なないように調整せよと命じれば、キュウビは虚数空間へと溶けていった。

 

「よいしょー。これでよし、と。じゃあミオのところに向かうかぁ」

 

 また一つ、祝詞を呟いて風を纏う。

 冷たい夜の風が心地よい。飛んで向かえばミヤコまではすぐだ。

 この騒動もこれで終わりだと思うと、先ほどまでのイライラやもやもやが消えていた。

 

 やはり余所者が攻めてきたことに対してイラついていたのだろう。

 ほら、元通りだ。これでいつも通りの日常が帰ってくる。

 違うのは自分がまだ鬼族との騒動この確率事象を確認できないことくらい。もしかしたらこれは発現率が低い事象などではない新しく生まれた確率で、イレギュラーな事象なのかもしれない。

 きっとそうだ。だから自分が読み取れないんだ。

 まあ、騒動が終わって未知がなくなるのは寂しいが……いや、もしかしたら鬼神と交渉次第では未知は続くかもしれない。

 

 そう思うと、少しだけ胸が高鳴った。

 

 同時に。

 ジジジ、と視界にノイズが走る。

 唐突に翡翠が映した確率に頭を押さえた。

 世界の異変があってから何度目かになるこのノイズは、三人の少女を常に映している。

 

 一人は自分で。

 一人は愛おしい家族で。

 もう一人は……可愛らしい鬼の子。

 

 ああそうか、とノイズを見て納得した。

 

 カミとして日々忙しく暮らしていた二人は街中でとある噂を耳にして、それを解決すべくオオエヤマへと足を運んで、一人の少女と出会った。

 お互いの勘違いから始まった戦闘は一昼夜続くこととなり。

 終わってみれば笑い話にしかならなかった。

 

 そんな、平和な物語。

 そんな、素敵な代替世界。

 鬼の子と自分達の世界が元から繋がっていた確率で、此処とは違う何処かの話。

 

「……でもここの白上は違うから」

 

 世界自体が違うことは珍しい。

 自分や世界が辿りうる可能性を観るのではなく、そういった世界があるのだと認識出来たのは初めてのことだった。

 

 ジクリ、と胸の内にもやが沸く。

 なぜだろう。どうしてだろうか。

 これは鬼の一族に対して沸いた苛立ちやもやもやと同じモノだ。

 

 嗚呼、そうか。

 

 その世界に居る“シラカミフブキ”が

 

 あまりにも綺麗な笑顔で笑うから

 

 あまりにも楽しそうに暮らしているから

 

 

 “わたし”は……自由な彼女達が○○○ましくて仕方なかったのか。

 

 

 ふるふるとかぶりを振って。

 

 凍てつくような風と雪を纏って。

 

 せめてこの騒動を終わらせる為にミヤコへ飛んだ。

 

 せめて……ミオと笑い合えるこの暮らしだけは続けたいから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 戦闘は終わっていた。

 確かに終わっていたんだ。

 

 遠目にもよく見える自分の翡翠の瞳は、神社の入り口から見える光景をしっかりと映していた。

 眼を見開いて、頭の中が真っ白になって、ドクリと心の臓が大きく跳ねた。

 

 地に伏し、大地に流れている黒髪。

 背中に突き刺さっている刀。

 抑え込んでいる白に紅交じりの鬼は、あの子の首筋に顔をうずめていた。

 ピクリ、ピクリと脈打つように跳ねるあの子の身体から、イワレが抜けていくのが見て取れる。

 

 どうして、身体が動かないんだ。

 どうして、すぐにでもあれを止められないんだ。

 どうして、あの子を救わないといけないのに。

 

 尻尾が疼く。

 ズクリ、ズクリと尻尾がなぜか脈打っていた。

 脚が、身体が、脳髄が動かない。

 

 胸の奥が引き裂かれるような痛みに歯を噛みしめて、荒くなる息に胸を抑える。

 

 つぷり、と首筋から抜かれた牙に赤い血が垂れていた。

 ぶちり、と其処で“わたし”の中のナニカが切れた。

 

 神木からイワレが流れてくる。

 ああ、でもどうしてかな……いつもと違う。

 流れてくるイワレは、“わたし”の心を冷やしていく。冷たく、冷たく在れと。

 ニンゲンの想念を集めたイワレは、カミのチカラの源だ。

 このイワレの元の想念はなんだろう。

 いつもは守護を望まれている自分達が、感じることのなかった想念かもしれない。

 

 尻尾が―――疼く。

 

「……イヤな気配はしてたんだ。これはダメ。ダメだよ。“こんなモノ”を放っておいたら、ミオちゃんも余の一族もこのミヤコに住む人間様も大変なことになる」

 

 大きな殺気が冷気と共に流れていた。かまわない。子供達を喰らおうとするアヤカシとお前は変わらないのだから。

 

「安心しろよ……死ぬことはない。ただしばらくおまえたちの言うイワレの流れを断ち切っただけで」

 

 寒かった。凍えそうだった。冷たくて、暖かさなど欠片もなかった。

 こんな怒りもあるのか。

 

「余がこいつのイワレって奴を頂いただけだぞ……“シラカミ”」

 

 こちらを睨め上げながら紡がれた言の葉と共に、鬼の少女は胸元から取り出した透明な勾玉に口づけを一つ。

 少女の身体からその勾玉へとイワレが流れていく。勾玉はそれに伴って色を変えていった。

 

 黒と赤が混ざったその色は……わたしの大切なミオのイロ。

 

 

「ねぇ」

 

 

 無機質な声が出た。

 感情がまったく動かない。唯々静かに、心の中で蒼い炎が燃えている。

 

「なんでかなぁ……」

 

 鬼の少女はミオの傍から離れるも、突き立てた刀を抜くことはなく……もう一つの刀を構えた。

 

 指先を宙へ、五芒星の魔法陣が現れる。祝詞も紡がずに現れた其処に手を入れて―――スラリ、と刀身の蒼い刀を引き抜いた。

 自分のイワレを千年以上浴びてきた刀は、いつも通りに想いに応えてくれる。

 

 翡翠の瞳で紅をまっすぐに射抜く。

 暁を思わせる美しい瞳は、緊張と高揚と自信に溢れていた。

 

「ずっと続くと思ってたのに……どうしてかなぁ」

 

 刀を一振り。

 大地が凍り付いて行く。中空に出現させるつららは百を超えさせて。

 春の季節だったとしても、もう此処は冬の夜へと。

 ミオに目をやって泣きそうになった。助けようと動けずにいた最低な自分への嫌悪に吐き気がした。

 グッと堪えて大きく吐息を吐き出した。

 

 期待していたのかもしれない。

 きっとそうだ。

 自分もミオも。

 

 停滞と諦観に支配され、ニンゲンと過ごす年月に心が軋んでいっていたから。

 それを壊してくれる存在を潜在意識で望んだんだ。

 だからわたしはイワレと潜在意識の矛盾から感情の制御が曖昧になっていた。

 

 その結果がこれ。

 

 大切な大切な家族が傷つくことを許して。

 居場所が壊されかけて初めて気づくなんて……否、思い出すなんて。

 

 失うのは……こんなに恐ろしいことだったのだ。

 

「わたしたちのセカイを壊すって言うのなら」

 

 表情はもう動かない

 冷徹で残酷な感情を。期待なんてしない。この翡翠が映す確率事象に、例外のセカイの理など必要ない。

 翡翠が揺れる。

 静かな怒りだった。相手への――世界への――そして、自分への。

 じわり、と白に黒が滲んで尻尾が揺れた。

 

「……許さない」

 

 ぽつりと零した一言と共に、雪と氷と風が吹き荒れる。

 散ることのない桜の花びらが、ひらり、と一枚舞い落ちていた。

 吸い込んだイワレは嘗てない程に大きいから、神木の止められていた時間が動き始めたのかもしれない。

 

 夜天よりの淡い輝きが照らす雪月花に、鬼の少女がクスリと笑った。

 

「許さなくていいよ。だって余はお前達の日常を奪いにきたんだから」

 

 彼女の刀に炎が灯る。そうか……彼女のチカラもミオと同じ炎なのか。

 懐にしまい込んだミオのイロの勾玉とは別に、彼女は一つの勾玉を取り出した。

 

 紫水晶に雷が渦巻いている一つは紐づけられていて、ソレを彼女は首から下げた。

 

「とりあえず余一人のチカラで戦ってあげるよ、シラカミ。シオンちゃんとの友情ぱわぁってやつを見せるのは……お前の中にいるナニカを引きずり出してからだ」

 

 何を言っているんだろう、と思った。

 尻尾が疼いた。わたしに何かを訴えかけるように。

 

 もう喋りたくない。これ以上話すことなどない。

 ミオのチカラを取り戻して、それから彼女には帰って貰う。

 そうして明日のお昼には、ゆっくりとミオとお茶を飲んで過ごすんだ。

 

 

―――本当にそれでいいのか、お前?

 

 

 頭に響いた“あたしの声”は、何処か楽し気に嗤っていた気がした。

 

 

 初めの桜の花びらが地に落ちるのを合図に、わたしと鬼の少女が動いたのは同時だった。

 

 降り注ぎ始めた花びらが、まるで雪のようだった。

 




読んでいただきありがとうございます。


フブキちゃんの過去話と能力。
先代のシラカミは伝承にあるような九尾の狐の能力である転生持ち。
観測者としてのシラカミ。たらればの可能性を観れるけれど遠くの未来視は出来ない。
ミオしゃとお嬢が観たノイズよりもはっきりとしたモノが見えてます。

フブキちゃんがミオしゃを助けに動けなかったのには理由があったり。

シオンちゃんとお嬢の二期生友情パワー見たいよなぁ


四月にオルタの新情報来ると関係者の方が呟いてたのでめっちゃ楽しみですね

ではまた
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。