柱島泊地備忘録   作:まちた

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九十五話 真②【提督side】

 起き上がれると言えど先ほどまでベッドに座ったままだったため足に力が入らず。

 さらには術後たったの一晩ということもあって、腹にまかれた包帯が赤く滲む。

 俺が屋上へと向かうのについて来ていた医師達に腹の傷が開いたのかと問えば、見てみなければ分からないが、開きかけているのは確実であると言われて舌打ちをした。

 

 そりゃそうだ、と他人事のように考えてしまうも、ずるずると足を引っ張るようにして進みながら俺はスマホに向かって指示を出す。

 

「山元、聞こえるか」

 

《っは! 閣下、先ほど長門から待機命令が出たと聞きましたが――》

 

 軍部と話すのに退室させたのをそう伝えたのかと察し、待機は取り消しだと言って俺は話し続ける。

 

「これから柱島に戻り艦隊の指揮を執る。新たに長門を旗艦とした艦隊を編成し出撃させようと考えているのだが、お前には私の指揮の補佐を頼みたい。一緒に指揮を執ってくれるか」

 

《新たに艦隊を出撃させるぅっ!? それに、も、戻るなど、閣下は腹を噴き飛ばされたのですよ! 病院でならばまだしも――》

 

 エレベーターに乗り込み、屋上へ向かう。エレベーターの扉が開くと、バラバラという大きな音が建物内からでも聞こえて来て、スマホもその音声を拾った様子で山元の語気は一層強くなった。

 

《ヘリの音……! お考え直しください! 閣下の指揮であれば病室からでも問題はありません! 海原閣下!》

 

「いいや、私は柱島に戻る」

 

《閣下! ちょ、聞いておられますか! お身体を優先して――》

 

 松岡と長門に背を支えられた状態で、病衣の上に軍服を羽織っているというちぐはぐな恰好をした俺はそのままヘリに近づいていく。

 俺の姿を認めたパイロットが、コックピットから後ろを見れば、後部座席に乗っていたであろう憲兵が中から扉を開いて大声を上げた。

 

「松岡中将閣下! このまま柱島泊地へ向かえばよろしいのですね!」

「ああ、そうだ! こちらの海軍大将閣下をお運びするんだ! 機体を大きく揺らすなよ!」

「また難しい事を仰る! 了解しました! 大将閣下、足元にご注意を!」

 

 俺は片手を上げて礼を示した。

 

「面倒をかける!」

 

 大声を上げたことで腹がずきんとした痛みを訴え、顔をしかめてしまう。

 それを見かねた医師の一人が同乗を申し出た。

 

「閣下の治療を担当しました、佐崎(ささき)と申します! 自分も同行してよろしいか!」

「こちらは構わん!」

 

 ヘリの搭乗者が頷いて手を振って搭乗を促したところ、佐崎と名乗った医師は俺を見たので、頷いて、先に乗り込めと顎をしゃくった。

 

《閣下、お戻りください! 閣下のお身体に万が一があっては――》

 

 しきりに戻れと言うスマホ――もとい山元の声。

 ぷつりとした感覚が腹に走ったが、痛みをおして医師に続くようにヘリに乗り込んでから、俺は鋭く怒鳴った。

 

「柱島に戻ると言ってるんだ!」

 

《そのような無茶、いくら閣下であれ許すわけにはいきません!》

 

「ええい、うるさいッ! しつこいぞ山元ッ! 艦娘が戦っているのに腹が痛いからと言って寝込んでいられるかッ! 私は提督だぞッ! 彼女らを指揮せねばならんのだッ!」

 

 ヘリのメインローターの轟音をかき消すほどの大声に、ついぞ山元も制止を諦めたようで、ぼふぼふとした音をたて――恐らく溜息かもしれない――間おいて言った。

 

《……閣下が新たに編成する艦隊が進む航路に、深海棲艦は多く出現するでしょうか》

 

「可能性はあるが、長門の速力を考慮すれば水上で殴り合わせるなど時間の無駄だ! 軽空母を二隻と駆逐艦三隻で艦隊を編成し、軽空母に深海棲艦を牽制させながら進ませる! 私と長門がそちらに戻ったら、すぐに出撃させるぞ!」

 

《選定の方は――》

 

「戻り次第すぐに選定する! 執務室に練度順にまとめてある資料がある! お前は艦娘達が出撃できるように準備の通達を!」

 

《……了解!》

 

 俺、長門、佐崎と松岡がヘリに乗り込むと、ばたんと扉が閉じられる。

 続いて先に搭乗していた憲兵らしき男からヘッドフォンのようなものを渡された。

 

 ヘリ内部にはモーター音が響き渡っており、普通に会話できるような空間ではないためかとすぐに理解してそれを装着する。コックピットのパイロットであろうくぐもった声が「離陸します」と言ったのが聞こえた。

 多用途ヘリはあっという間に地上から離れ、空高く飛び上がる。

 

 人生で初めて乗ったよヘリ……と感動しかけたのだが、そう言えば意識が無い時もヘリで運ばれたのだろうかと場違いに松岡へ問うた。

 

「私が倒れた時も陸軍のヘリで運ばれたのか?」

 

「はい? そうですが……」

 

 くぐもった音声でのやり取りも新鮮かつ現実味がないものだったが――これから戦場にいる艦娘達の指揮を執るという緊迫した状況も重なっているというのに、俺は落ち着いた気持ちで言った。

 

「二回目であるというのに新鮮なのは、得をした気分だな」

 

「か、閣下……全く、あなたというお人は……」

 

 松岡の呆れた声。すみません。でも新鮮だったので……。

 痛みを誤魔化すための気丈な言葉でもあったが、長門の「て、提督、血が……」という声に意識を引っ張られ、視線を下げる。

 軍服に赤色がぽつぽつと滲みだしているのに気づくと、痛みはさらに激しくなった。

 佐崎が、失礼、と言って軍服のボタンを外し、病衣をはだけさせて包帯を取りながら、持ってきていたらしい鞄から茶色い瓶やガーゼを取り出して処置を始める。

 

 取り去られた包帯の下には――傷など無かったまっさらな社畜の肌に、見ただけでぞっとしてしまうほど痛々しい火傷に変色したガーゼがいくつも張り付いており、嗅いだことのない生臭さがヘリの中に漂った。

 

「うっ……!? なんて酷い……」

 

 長門が瞳が揺れるほど涙を溜めて俺を見たが、死ぬかもしれないという危機感など俺にはなく、それこそ自分の身体の事なのだから如何な大怪我であろうと医師までいるので心配は無いと、彼女に笑ってみせた。

 

「傷は男の勲章と言うだろう。勲章にしては少し痛々し……いっ……!?」

 

「閣下、張り付いたガーゼを剥がしますよ」

 

 佐崎さん、剥がす前に言ってくださいよォッ……!

 ばり、と音を立てて乱暴に剝がされたガーゼを地面へ投げ落としつつ、佐崎は鮮やかな手つきで消毒をしていく。それがもう、痛いこと痛いこと。

 俺は長門の前で情けない声を出すわけにはいかんと必死に歯を食いしばった。

 

 社畜でもぉ……頑張れますんでぇっ……んんんんんッ! 痛いデース!!

 

「っ……ぐ、ぅぅ……!」

 

 歯を食いしばっても隙間から押し出されてしまう呻き声に、長門がさらに泣きそうになりながら俺を呼ぶ。

 

「てっ、提督! 提督! 大丈夫か!?」

 

 まもるは大丈夫……じゃないかもしれないです……痛い……涙出そう……。

 俺は声を出さぬよう耐えているが、心のまもるは大号泣である。

 

 必死さから無意識に、現実となった艦娘への想いや意地が言葉となった。

 

「お前達の痛みに、比べれば……こんなもの……どうってことないとも……!」

 

 虐げられて柱島へやって来た艦娘達の顔が頭に浮かぶ。

 長門と山元は和解こそしたが、彼女だって妹や仲間を失う寸前だったのだ。

 

 その痛みに比べれば俺の傷など取るに足らな――

 

「閣下、動いたことで傷口が開きかけています。緊急ですのでここで縫い直しますよ」

 

「ぐぅぅッ……!?」

 

 あああああ嘘!? いや嘘じゃないけど! 嘘じゃないけど待ってそれ、くの字に曲がってる針見たことあるよテレビのドラマで! 縫う時に使う――いたたたたたッ!?

 

 佐崎の容赦ない攻撃(治療行為)に歯を食いしばり過ぎたのか、口の中に鉄の味が広がる。

 そ、そうだ、目を逸らすから酷い想像をしてしまって痛みが激しくなるのかもしれない!

 

 俺はあえて治療されている腹部をちらりと見た。

 阿賀野の艤装が爆発した際に破片が飛び散ったのか、ところどころに痛々しいくぼみが出来上がっており、一番大きな破片が刺さったのであろう横腹には小指の先から第一関節程度の縫い痕があった。

 細い糸が皮膚を掴んでいるのが見えた途端、俺は後悔する。

 

 痛いものはどう足掻いても痛いのである。阿賀野だけに。

 

「力を抜いてください閣下――はい、いきます」

 

 阿賀野だけ、にぃいいいいんんんんんダメだ痛すぎるゥッ!

 

「っ……! ふぅ……ふぅ……ッ!」

 

 荒くなる呼吸を続けることしばらく、外の景色はビルなどの建物が見えない真っ青な海へと変わっていた。

 

 俺はここで握りしめていたスマホに向かって声を発する。

 大淀達の状況を確認するためが九割で、一割は痛みから逃れるためだ。

 

「んん、ぐぅぅ……! 大淀、聞こえるかっ……!」

 

《こちら大淀! 聞こえます提督!》

 

「もうすぐで柱島に戻る……そうしたら、長門をそちらに送るから、それまで何とか凌ぐんだ……いけそうか……!?」

 

《は、はい! 了解しました! 現在は水上打撃部隊、空母機動部隊ともに敵艦隊と拮抗――制空権の維持も何とか……! しかし、水上打撃部隊の方は出現した人型深海棲艦の三隻の攻撃を回避する一方で……物資の消費もかなり激しい状態です!》

 

「回避の一方、か……いや、待てよ……?」

 

 画像に映っていた深海棲艦達は間違いなく()()()()()()()()、それに()()()()だった。

 連合艦隊を二艦隊で拮抗する力を持つらしい現実の深海棲艦とは言え、そこには楠木もいたはずだ。

 もしかすると深海棲艦は楠木を盾に戦っており、二艦隊ともに攻撃に転じられないという状況かもしれないと予想して問えば、大淀は戸惑うような声音で返事した。

 

「作戦海域には楠木がいるのだろう、それで攻撃が出来ず制空維持と回避の一辺倒になっているのか?」

 

 ぷつ、ぷつ、と肌を刺される痛みに耐えながら大淀の声を待つのだが――帰って来たのは――

 

《いえ、それが――ザッ……ザザーッ……》

 

「大淀? どうした、応答しろ大淀、おい――」

 

《ザリリッ……ザーッ……バカナコトダ……オロカナコトサ……》

 

「この、声……ッ!?」

 

 長門の顔色が青を通り越して血の気を失い、真っ白になる。

 

「深海海月姫の声か……はは、懐かしい相手だ……ッ!」

 

「提督、懐かしい相手って……――」

 

 長門がこちらを見ていたが、視界のうちにあるだけで俺は視線を合わせないまま、口元だけ笑っていて、眉根にしわを寄せた状態で大淀に呼びかけ続ける。

 

「大淀! 応答しろ! 大淀!」

 

《ザッ……す、すみません、通信の維持が……! ザザッ……回避運動を! 全艦! 回避運動をとってください! 敵の艦載機が来ます!》

 

 ヘッドフォンをしている状態にもかかわらず俺の手の中で震えるほどの大音量を発するスマホから、戦場の激しさが伝わる。

 治療中であることも忘れて無我夢中になって考えた。どうすれば彼女らを安全に勝利に導けるのかを。

 これは戦いだ。安全に勝利することなんて土台無理な話で、しかし提督として、指揮を執る者として、どう危険を排除するかを現場におらずして考え出さねばならない。

 

「大淀、敵艦隊を分断しろ! お前は空母機動部隊について航空機を吐き出す深海棲艦を水上打撃部隊から切り離すんだ! 水上打撃部隊は残った深海棲艦の撃滅に集中しろ!」

 

《は、はいっ! 水上打撃部隊に告ぐ――水上打撃部隊に告ぐ――》

 

 大淀が指示を伝え始めたのを聞き届けたのと同じくして佐崎の手が止まる。

 

「これで、処置はいいでしょう」

 

 額に浮かんだ汗を袖で拭った佐崎はさらに鞄を漁り始める。

 俺は力が抜けて、スマホを持っていた腕をぱたりと座席に投げだした。

 消毒をしてから新しい包帯に巻き替えたあと、佐崎が鎮痛剤を新たに打ったのであろうか和らいだ痛みにぐったりとしながらヘッドフォンの位置を直しつつ、されど残滓のように疼く痛みから意識を逸らし脱力した声を出した。

 

「ふぅぅ……なあ、長門……」

 

「ああ、ああ……! 聞いているぞ提督……!」

 

 俺の横に来て手を握ってくれる長門に対して、何故手を握るんだとも問えないで俺は続ける。

 

「帰ったら、皆に、話したい事が、あるんだ……話したい、じゃないな……話すべきことがある」

 

「それって――」

 

 長門がその先を求めているのは分かったが、まだ話すべきではない。

 深海棲艦と大艦隊が戦闘しており、新たな深海棲艦も確認されているのだ。

 まずは、それを片付けてからである。社畜の心得、出来る事から順番に。

 

「作戦が終わったら話す。その上で、お前達に……選んでもらいたい。それを受け入れるかどうかは、お前達が決めるべきなのだからな」

 

 呼吸が落ち着いてきたところで、妖精が軍服のポケットから飛び出した。むつまるだ。

 むつまるは機内をくるくると回った後に、長門の頭の艤装にぴたりとくっついた。

 

「よ、妖精……? どうしたんだ、急に……」

 

「はは……私の気持ちが伝わったのかもしれんな」

 

「……」

 

 長門の瞳が落ちたのではないかと見紛うほど大きな水滴が落ちた。

 

「どうした、何が悲しい。泣くな、長門」

 

「し、かしっ……ていっ、とく……どうして、今、話してくれないのだ……そんなに、苦しんでいるのにっ……」

 

 しゃくり上げて子どものように泣く長門に縋られても、今話しては艦娘達に動揺を与えるだけだ。

 一方で、隠し通してこの先やっていけるはずも無いと分かっているために、俺はこうして前もって言っているのだと長門に伝える。

 

「このままでは、いかん……だから、話すべきだと私が考えているだけだ。軍部の者達は私を信じ、お前達を頼むと言ってくれた。だからこそ、お前達にも伝えなければいかんのだ」

 

「ぐすっ……う、ぐっ……提督……い、いなくなるなんて、言わないだろう……? 違うよな……っ?」

 

 言いたくないとも。出来る事ならばずっと長門や、大勢の艦娘に囲まれて幸せに暮らした――んんっ、しっかりと仕事を続けたいと考えている。

 

「ああ、出来る事ならば、ずっと一緒に居たいよ……私は、お前達とともに……」

 

 やっと痛みが消えた、と一息吐き出そうと目を閉じた瞬間――

 

「提督……?」

 

 うん? と言ったつもりが、身体中に力を込めてから脱力したおかげで声にならず、ふう、という吐息になって出て行く。

 

「う、そ……い、いやだっ! 提督ッ! 提督ッ!!」

 

「なっ、なんだなんだ、どうした……!?」

 

 びくりと身体が跳ねてしまい、目を見開く俺。

 何故か目の前で俺と同じように身体を跳ねさせて驚く長門。

 

「ぇ、あ……あれ……? 提督、大丈夫、か……?」

 

「だ、大丈夫も何も、治療していたのを見ただろう……大きな声を出すな突然……」

 

 ヘッドフォンしてるから直に耳に届くんですよ長門さん、頼みますよ。

 まったく、といった風に座り直し、俺は柱島鎮守府に戻ってからどのようにどのような指示を出して深海棲艦を撃滅すべきかに思考を回そうと上を向きながら目を細めた。

 すると、ぬうっと長門の手が俺の顔に伸びて来て――ばしん、と、顔を手で挟まれてしまう。

 

 痛ァいッ!? な、長門お前ェッ!? とうとう無能を極めた俺に反抗するつもり――

 

「いっ……!」

 

「紛らわしいことをするな! 馬鹿者っ!」

 

「エェッ!?」

 

 ――急に怒られた……。

 

 松岡や佐崎は何故か俺達を見て呆れ顔をしており、長門はこちらを睨み、睨まれている俺は半泣きである。

 そんな騒がしさを抱えたまま、俺達はやっとのことで柱島泊地へと到着した。

 

 

 スマホを握りしめたまま俺はパイロットたちをヘリに残して柱島泊地の中枢施設へ足を踏み入れた。俺の帰還に柱島泊地に残っていた艦娘達がばたばたと足音を立てて大挙したので、俺は「心配をかけたな」と言って片手を振る。

 

「山元大佐から聞きました。本当に大丈夫ですか提督……!」

「軍服に血が滲んで……っ」

 

 先頭を走って来たのは間宮と伊良湖だった。

 俺は軍服の血をぱんぱんと叩いて「処置をしてもらった時についただけだ。心配はいらん」と強がりを言い、山元の姿を探す。

 すると、俺の行動を見て艦娘達の中から一歩前に出て来た龍驤が鋭い視線で親指を立てて中枢施設の執務室を指し示した。

 

「山元大佐は執務室におるで。誰が指名されても出撃する準備も出来とる――どないな事言うても指揮を執るっちゅうんやろ、司令官」

 

「……当然だ。私はお前達の提督だからな」

 

「ほんっま……このアホッ!」

 

「えぇっ……!?」

 

 また怒られた……仕事頑張ろうとしてるんだから怒らないでよ……。

 しょんぼりしてしまいそうになるのをポーカーフェイスで堪えつつ、病衣のままでは恰好もつかんと伊良湖達に指示を出す。

 

「伊良湖、すまんが着替えを頼めるか。それから間宮は松岡と佐崎に飲み物の一つでも出してやってくれ。松岡達は食堂で待機だ。各自も通達があるまで待機していてくれ。いいな?」

 

「っは、了解しました!」

「執務室におられるのでしたら、身体に異常が出た際にはすぐにお呼びを。お願いしますよ」

 

「――……うむ」

 

 

* * *

 

 

 執務室に到着し、その執務室のさらに奥にある小さな給湯室で伊良湖から持ってきてもらった新しい軍服に着替えた俺は、そう言えば山元も俺の出自を知っていながらも、井之上さんと同じような認識なのだろうかと艦娘達へ指示する前にさらりと問う。

 

 執務室の椅子に座ることなく、反対側に立った状態で海図の上を歩く妖精の間を縫うようにしてペンを動かす山元の表情は真剣そのものだった。

 

「山元、そう言えばお前は私の出自を聞いていたな」

 

 山元は俺の声に顔を上げてぽかんとした。

 

「は、はっ……井之上元帥と、はい、それは、お伺いしましたが……?」

 

「では、私がこの世界の軍人ではないと知っているな」

 

「閣下、艦娘達に聞かれては困るでしょう、何もここで聞かずとも――……」

 

「軍部に全てを話した」

 

「はっ!?」

 

 海図の上を走っていたペンに力が入り、それらに引きずられて海図や資料がばさばさと机から落ちていく。真剣だった山元の表情は、今度は驚愕の表情へと変貌する。

 しかし、これでもう隠し事はないぞという意味で伝えたかった俺は、言葉を紡ぎ続けた。

 

 呉鎮守府に出張っていた時も一日戻らなかっただけだったのに懐かしく感じる執務室の匂いは、病室から一晩経って戻ってもやはり懐かしく感じられて、俺はがらんどうの胸の内が埋まっていくような安心感を覚えつつ、いつのまにか着慣れてしまった軍服の袖のシワを伸ばすように撫でる。

 俺の様子を見つめていた山元は手に持っていたペンすらも取り落とした。

 

「この作戦が完了次第、彼女らにも話すつもりだ。彼女らの誠実さ、真摯さ、底抜けの優しさをお前は知っているだろう。それに嘘をつき続ける事など……私には出来そうにない」

 

「し、しかし閣下……ッ!」

 

 社畜をしていた頃の果敢無げな残像がいつまでたっても消えない俺。

 この世界に来てから右も左も分からないまま怒涛のように過ぎた短い時間を生きた軍人としての俺。

 祖父と過ごした泡のような夢の記憶――全てが噛み合った今、それらを歪めるわけにはいかないと、俺の中にある本能のようなものが混ざり合い訴えていた。

 

「井之上元帥はどうやら、俺を別世界からやってきた軍人であると思っていたらしい……ただの一般人、ただの会社員であった俺をだぞ? ふふ、面白い勘違いもあったものだ」

 

「ぇ……あ……会社、員……?」

 

「そう、俺は別世界から来た、会社員だった男だ。だが軍部にいた彼らは超常の存在である艦娘を受け入れているのだから、今更になって別世界から来た俺を受け入れることなど、人命と比べれば是非も無いと言っていた。忠野と橘という男を知っているか?」

 

「忠野中将と、橘中将が……そ、それは情報部の忠野中将と、広報部の橘中将で間違いない、のですか……!?」

 

「ああ、忠野は情報部がどうこうと言っていたな。間違いないだろう。それで、どうだ山元――この小生意気な元会社員である俺が艦娘の指揮を執るなどとのたまっている現実を、お前ならばどう受け止める。戦場を生きた私の祖父……海原鎮と違う、この私をどう見る」

 

 これでもしも山元が納得できないと憤慨したり、冗談だと受け止めるようであれば、それはそれで仕方が無い。出来る事ならば長門が南方へ向かう道中の指揮の補佐もお願いしたかったところだが。

 

「せ、せめて作戦が終わってからお伝えいただきたかったのですが……」

 

「……それは、どういう意味だ」

 

「受け止めきれないという意味です! 考える暇も与えていただけないなど、閣下はどうして、そう……あぁ、もう……! それに、海原鎮が祖父って……んー……!」

 

 ごめん山元ぉ……でも伝えなきゃいけないって思ってぇ……まもるも素直に話したんですけどぉ……。

 床に散らばった状態の資料や海図を拾い上げながら「お前も仲間なのだから、嘘はいかんと思ってな」と実直に口にすれば、山元もしゃがみ込んで資料を集めながら溜息を吐いた。

 

「はぁぁ……どう、受け止めるか、でありますか」

 

「うむ」

 

「――……軍人の立場など、あってないようなものであると、自分は考えております。前までは、軍とは選ばれた者で構成されていて、軍人は誰よりも偉く、誰よりも強いものであると思い込んでいました」

 

「ほう」

 

 上下逆さになってしまった資料を直しながら相槌を打つ。

 

「防衛大学を出て士官を目指す者もいれば、一般の企業に勤めていたのを辞めて自衛隊……海軍に転身する者もいるのですから、出自など些細な問題……いや、問題ですらないと、今になって改めて思うのです。必要とされるものは、戦場の知識や、知恵、前を向き続ける精神力や気力であります。その知識が極めて重要なのですが――閣下は艦娘の事をよくご存じでいらっしゃる」

 

「……知識ならばあるぞ。私がいた世界には艦娘も深海棲艦も実体としては無かったが、実存としてはあった。それも、ゲームとしてな」

 

「ゲーム、ですか……?」

 

「っはは、忠野と同じような反応をするのだな、山元」

 

 山元は俺の言葉に忠野の反応を想像したのか、口元をへの字に歪めながら拾い上げた海図を机に置く。

 

「そう。ゲームだ。私は提督と呼ばれるプレイヤーとしてそのゲームを狂ったようにプレイしていた。海を駆けて深海棲艦を打ち倒し、人類を守る存在である艦娘に惚れ、何千何万回と戦い続けた――彼女らと一緒に。それが気づけば現実となってここにある。それらの知識と運だけで、私はここまでやって来た。厳しい訓練や頭痛がするような難しい勉強など一切しておらんのに、お前と同じ場所に立っている俺を、お前はどう思う」

 

「……自分が――」

 

 資料を全て拾い集め机に置いたあと、山元は執務室の机に視線を落としてからしばし逡巡の様子を見せ、それから俺をまっすぐに見た。

 

「自分が初めて閣下にお会いした時――銃を向けましたね。我が鎮守府の傘下になれ、と言って」

 

「……あったなあ」

 

「閣下は私を恐れるどころか、この机の引き出しから紅紙を取り出して見せ、言いましたね。くだらん仕事ではない、と」

 

 命乞いのために井之上さんに全てなすりつけようとしていただけなのだが、とは言えず。

 何ならビビり過ぎてちょっと出そうだったよ。何がとは言わんが。

 

「その通りです。くだらん仕事ではないのです。しかし、誰しもが立ち上がり成す事の出来る仕事でもあるのです。勝てぬからと背を見せて逃げることにあらず、我々に必要なのは閣下のような狂人だ」

 

 ……うん?

 

「心臓が止まっても指揮を執るのだと目を覚ますような狂人でなければ、超常の存在が跋扈する海という戦場を駆ける艦娘の指揮など務まりません。ですので、仰る事が真実であると受け止めたとしても、自分は海原鎮という男を、閣下と呼び続けるでしょう。私を殴り飛ばし、私のために土下座をした元会社員の男を」

 

 み、認めてくれてる……よね、これね、多分ね。

 うん、だよね。狂人とか言われてるけど大丈夫だよね。忠野にも言われたよそれ。

 

 失礼な奴らだな! お前だって筋肉達磨だろうが! 筋肉狂人が!

 

 しかし、俺の口から出た言葉は礼だった。何に対するものかは分からない。

 ただ礼を言いたかったのだ。

 

「――ありがとう、山元」

 

「やめてくださいよ気持ちが悪い」

 

「……お前なあ」

 

 ほんとこいつ。絶対に曙にチクる。那珂ちゃんに泣かされろ。那珂ちゃんだけに。

 

 ――海軍は、生きているのだろうか。

 呉で悲しい顔をして俺に問いかけた井之上さんに、次に会った時は「生きています」と胸を張って言い切れると、俺は抑えきれず笑みをこぼした。

 それも一瞬で、すぐに戦場で戦う彼女らの指揮をせねばと気持ちを切り替える。

 

 艦娘の練度がずらずらと書かれた資料を見て刹那の判断を下した俺は、手の甲で書類をぱんと叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし……長門を旗艦とし、軽空母の飛鷹、隼鷹、駆逐艦の卯月、文月、皐月で艦隊を組む。南方トラック泊地の東側海域までの道中に深海棲艦が出現した場合は軽空母の艦載機で蹴散らして進ませるぞ。駆逐艦には物資を持たせて作戦海域に到達する前に補給させ、長門の最大火力を敵陣へ叩き込む――そこからが勝負だ」

 

「っは! すぐに通達してまいります!」


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