柱島泊地備忘録   作:まちた

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九十六話 心【艦娘side】

 大淀は全身を海水でずぶ濡れにしながら、無線付眼鏡がずり落ちないように片手で支え、最大戦速での航行を続けていた。

 その背後から空母機動部隊、第三艦隊の面々が単縦陣で追随しており、さらに背後には第四艦隊の面々が追いすがる。

 

 吹雪達哨戒班と呉の補給艦隊と別れて数時間。

 戦況は決してこちらに傾いているとは言えなかった。

 

「海月姫と空母棲姫、さらに艦載機を発艦させてます!」

 

 羽黒の金切声に全員の動きが連動して揺れる。

 

「羽黒、もっと下がれ、近づき過ぎだ! 降って来た敵機にぶつかっちまうぞ!」

「は、はいぃっ!」

 

 摩耶に怒鳴り飛ばされながらも対空砲火を続け、一機ずつ確実に撃墜していくも、空を舞う地獄の蠅のような敵機は減っている気がしなかった。

 残骸が雨のように降るのを回避し続ける二人。

 

 殿を務める第四艦隊の重巡摩耶と羽黒は駆逐艦陽炎達と共に恐ろしい羽音を響かせる艦載機を撃墜するのに精いっぱいで、視界の端にちらつく真っ白な深海棲艦の姿に足が震えてしまうのも堪えられず、ただ大声で猛る事によって恐怖していると考えないようにして、自分に課された役割を果たすべく戦う。

 

 戦場の司令塔である大淀は何度も首を回して振り返りながら全員の位置を把握し続けており、都度、通信で一人一人に呼びかけて互いの立ち位置を微調整させていた。

 聞くだけではなんてことのない行為であるそれは、実際、深海棲艦という存在と艦娘という存在がこの世界に出現してから一度として実行されたことのないものであり、たった一つの呼びかけが如何に重要であるのかを知らしめるのに十分な効果を発揮していた。

 柱島泊地の大淀は間違いなく偉業を成している。だが本人にその意識は無い。

 必死さが生み出した偉業、とでも言うべきか。

 

 ――ここまで、被弾ゼロなのである。

 

 現在まで、都合数時間に及ぶ戦闘において連合艦隊を二艦隊、さらには空母機動部隊と物資輸送部隊の位置をリアルタイムに微調整し続けているのだから、彼女の頭は提督が生きていたという喜びや、重傷をおしての指揮で無理をしてほしくない、などという気遣いが出来る余裕は無かった。

 

 回避に重きを置いて、出来る限り損傷せず攻撃をせねば。

 しかしながら、それは相手を一方的に攻撃出来るという意味に直結しておらず。

 提督に言われたように空母機動部隊は制空権の確保一辺倒。水上打撃部隊は切り離された海月姫と空母棲姫以外の深海棲艦との砲雷撃戦に集中しているが、やはり、互いに攻撃を食らわないようにするのに必死であり挟叉ばかりの拮抗状態であった。

 

 赤黒い海、暗い空。

 ここにきて結界に見られる異常は極致へと達しており、それらは艦娘達からおぞましくも悲しい、慚愧の記憶を引き上げる。

 

「もう、雷撃処分なんてさせません……あの五分間を繰り返すわけにはいきません――!」

「誰かを残して沈むわけにはいかないわ。今度こそ……今度こそ、私は……!」

 

 一航戦の二人の頬に流れるのが汗であるのか、海水であるのか、それとも別の何かなのかは分からなかったが、一航戦のみならず、二航戦や、伊勢、日向に至るまで全員が結界の内部に充満する黒煙に、かつての戦場を思い出しているのは明々白々であった。

 

 油断など一瞬たりともあろうはずがない。

 

 神経は限界まで研ぎ澄まされ、大艦隊が航行することによって蹴り上げられた水飛沫の一滴すらも虚空に止まっているように目に映るほど、時間の流れが遅く感じられる。

 トラック泊地東側の海域――エメラルドブルーの美しい場所であるそこは、本来ならば浅瀬の底を目視できるくらいに透明度が高い。

 重油と鉄に濁っていたのは過去の話で、長い年月をかけて自然に浄化されたはずの海は、再び、火薬と油、鉄の匂いに埋め尽くされ、海面から数センチ下も見えないほど濁った。

 

 鼻をつく死を彷彿とさせる黒い煙そのものが一筋のぼるような感覚は、砲撃をするたびに、艦載機を発艦させるたびに、魚雷を発射するたびに、もう一筋、もう一筋と増えて脳髄へと黒い手を伸ばす。

 提督の指示という希望の詰まった脳を覆う薄い膜を掴み、握りつぶそうとしているみたいで、全員気づいていないが、泣きながら戦っていた。

 赤城、加賀、飛龍、蒼龍、伊勢、日向、川内、摩耶、羽黒、陽炎、不知火、神風――空母機動部隊だけではない。水上打撃部隊、物資輸送部隊も全員が泣き叫びながら戦っているのである。

 

 相対する深海棲艦、空母棲姫や戦艦棲姫達は反対に大声で笑っており、これを地獄と呼ぶのならば百人が百人納得する光景だった。

 

 その中でも唯一、涙を堪えて指示を出しているのは大淀のみである。

 

 では全員が冷静では無いか? と問われたら、いいや、冷静だと答えるだろう。

 大淀が下がれと言えば返事をして戦速を落とすだろうし、上を見ろと言えば摩耶も羽黒も艦載機が来たのかと警戒するし迎撃もする。

 水上打撃部隊が逃した駆逐艦や軽巡、重巡が空母達めがけて突貫してきても伊勢や日向は落ち着いて撃沈するだろう。それくらいに冷静だが、しかし、泣き声なのか怒声なのか分からないくらいに絶叫しながら戦っている。

 

 故の、異様。

 

《ザッ……ザザッ……こちら柱島泊地。艦隊旗艦、長門! 出撃する!》

 

「――柱島泊地より長門さんが出撃しました! 到着まで戦況維持を!」

 

 大淀が泊地より通信を受けて、間髪容れずに全艦娘へ伝達する。

 深海棲艦の猛攻を避ける動きはさらに激しさを増し、挟叉の数も増え、砲撃の轟音が海域を埋め尽くした。

 

 何度目になろうか、一航戦と二航戦が艦載機を発艦し尽くし、今度は制空維持のために妖精と共鳴を始める。脳内にはいくつもの視界が現れ、およそ人間には処理しきれない大量の情報が流れ込む。

 一機は敵と並んで飛び、機銃を撃ちあう。一機は特攻してきた敵機を翻弄し、一機は海月姫の動きを阻害すべく当たりもしない攻撃を海面へとばらまく。一機は空母棲姫の発艦を抑えるべく発艦軌道上を低空飛行し、一機はその二隻の深海棲艦が狙いを定めて味方の航空機を撃墜しないようにと的となる。

 

 それらを、何時間続けただろうか。

 鎮守府で過ごしていたのならば、きっと気にもならない時間だったかもしれない。

 

 訓練を終え、昼食をとり、期せずして自分のもとへ舞い降りたつかの間の平和という時間を過ごす数時間はあまりにも短く感じるのに――ここではたったの一秒が、永遠に思えた。

 回避運動を、右舷に敵艦あり、砲撃を開始して、左舷に敵機、撃墜を、声声が飛び交い、通信の音声となって全員の精神をすんでのところで繋ぎ止める。

 

 戦場に終わりは見えなかった。

 

 長門が来れば何か変わるかもしれない、なんていう希望的観測すらもない。

 あるのは、ただ、戦わねばならないという意識のみ。

 

 なんのために戦うのか。人のためだ。日本という国のためだ。

 

 だが――

 

「随分と粘るじゃないか艦娘。海原はよほど教育熱心だったと見える」

 

 日本と人々を守るべき軍服を纏っている男の言葉に、全員の動きが鈍った。

 ――日本海軍少将、楠木。その男は艦娘達の前に、深海棲艦と共に現れた。

 

 飛龍達が偵察機にて発見した数時間前から、楠木は全てに対して敵意を剝き出しにしていたのが分かった。艦載機からの視界越しというのにもかかわらず飛龍も蒼龍も震えあがるくらいに、彼は全てを憎んでいるように見えた。

 

 人類に仇なす存在、深海棲艦という存在と並ぶほどの憎悪――その理由など、柱島の艦娘達は知る由も無い。

 

 かの大淀でさえ、楠木という男が艦娘達が虐げられる原因を作ったのだと予想できても、発端や動機は欠片も分からない。

 彼が何を憎み、何を恨み、何を以て敵に与しているのか。

 

「提督の名を――あなたなんかが呼ばないで――っ!」

 

 伊勢が空母棲姫に向かって砲撃するも、意思を持った敵機に阻まれる。

 まるで生きた盾だ。

 

 伊勢に共鳴したように日向が叫び、さらに砲撃しようとも、同じく敵機が飛び込んできて身を挺して空母棲姫を守り、互いに一進一退。完全なる膠着状態である。

 

 楠木の乗った護衛艦を中心にして、前方空母機動部隊側に深海海月姫、空母棲姫。

 護衛艦の後方に戦艦棲姫、駆逐古姫、重巡ネ級、駆逐艦や軽巡洋艦多数。

 

 二分された連合艦隊は敵艦隊を囲んでいる有利な状態であるはずなのに――どうして――。

 大淀はぐっと唇を噛んだ。

 

 提督に言われたように敵を二分割すれば、優勢になると思い込んでいた。

 水上打撃部隊も空母機動部隊に輸送部隊を気にせずに砲雷撃戦に集中できるようになったのだから必ず数を確実に減らしていけると思った矢先の事、軽巡棲鬼と同じく、戦艦棲姫と駆逐古姫が深海棲艦を呼び出し始めたのである。

 さらには今までに見たことも体験したことも無い馬鹿げた火力で自陣の駆逐艦や軽巡洋艦を巻き込みながら砲撃を加えてくるものだから、さしもの金剛型戦艦の四人も攻めの姿勢になりきれずにいた。

 艤装と呼んでもよいのか分からない腹の底から体温を奪うような恐怖を与える巨大な存在の手のひらの上に優雅に佇み、氷の如き微笑みを浮かべて死をまき散らす戦艦棲姫。

 憎悪という憎悪を全て片腕に集約したような艤装から砲撃はおろか雷撃をも放つ駆逐古姫。

 

 意思と呼べるかもわからない行動を取る深海棲艦達。

 

 先刻、軽巡棲鬼から受けた攻撃で小破となれど健在たる四人の火力は、たった二隻と雑兵の存在によっておさえこまれている。

 

「諦めてもいいぞ」

 

 冷たい男の声は轟音によってかき消されてもおかしくないくらいに普通の音量なのに、全員の耳にはっきりと届いていた。

 諦めてたまるか。誰かから叫喚の声が上がると、楠木は鼻で笑いながら、流麗な仕草で右手をすっと横に伸ばした。

 

 すると――先ほどまでの猛攻が嘘のように止まった。

 

 空を飛ぶ敵機も、何もかもが時間を止められたように静止し、轟音など初めから無かったと言わんばかりに、波の音だけがその場に残される。

 

「は、ぁ……!? なんっ……だ、これ……」

 

 摩耶が空を見上げて目を丸くする。

 羽黒は理解の及ばない事象を目の当たりにして、歯をガチガチと鳴らした。

 

 急停止してしまった敵機に空母達の艦載機が慌てたように回避運動を取る。

 

 金剛の「What the……!?」という声を押し退け、楠木はゆらゆらと海上に浮かぶ深海棲艦達を見渡しながら言った。

 

「……貴様らは何のために戦っているんだ?」

 

 単純明快な楠木の問いに答えられる者はおらず、戦意を失ったわけではない水上打撃部隊の面々が、今が好機と砲撃するも――途端に時が動き出したようにして空から飛来した敵機がそれを防いだ。

 何度砲撃しようとも同じで、減った分だけ、空母棲姫の艤装から敵機がわらわらと蠅のように湧いて出る。

 

 驚くべき事象しかないその空間に、さらに悪夢のような光景が広がった。

 

 護衛艦の甲板上にいた楠木が、海へ飛び出したのである。

 

 それだけにあらず、楠木は海面に衝突するわけでもなければ、ばしゃんと音を立てて沈むわけでもなく――海上に立ったのだ。ごくわずかな、ぱちゃんという水たまりでも踏んだかのような音を立てて。

 

「彼女らの声を聞いたことがあるか?」

 

 海軍指定の革靴が海面を踏みしめているという意味不明の状況に、誰も声を上げられない。

 楠木はその場でくるりと半身を翻して、左右に割れた連合艦隊の艦娘の顔を一人ずつ確認しながら、同じ言葉を吐いた。

 

「――彼女らの声を、聞いたことがあるか?」

 

 軍帽の下から覗く真っ黒な瞳が、ある一点で停止。その先には、大淀がいた。

 楠木はゆっくりとした動きで大淀へ向かって歩みながら言う。

 

「艦娘と深海棲艦が現れてから、俺はずっとお前達がどんな存在であるのかを研究してきた。かつての大戦で活躍した軍艦を名乗るお前達艦娘は、どうして現れたのだろうか? とな」

 

「……っ」

 

 大淀が一歩後退ると、赤城と加賀の声が響いた。

 

「大淀さん! 耳を貸してはなりません!」

「迎撃用意を! 大淀さん――大淀さんっ――!」

 

 今が攻撃のチャンスだと分かっているのに、大淀に声をかける一航戦も、二航戦も、戦艦伊勢や日向も動けずにいた。

 明らかに人ではない――海上に立つ人など存在するわけもない。なのに、誰も楠木を攻撃出来ない。

 

 当然だった。有り得なくとも、彼女らは楠木を人として認識してしまっている。

 人として認識していながら、どうしても脳裏に焼き付いて振り払えない感覚が、さらに身動きを取れないようにしている。

 

 海原に感じた艦娘に対する暖かさと対極にある身の毛がよだつ寒さを感じた時、それが自分達とにらみ合う深海棲艦が抱えるものと同じであると気づいた。

 

「お前達だけでなく、深海棲艦についても俺は諸外国と協力して研究し続けた。深海棲艦とお前達艦娘について面白い研究データがあるのを知っているか?」

 

 ぱしゃん、ぱしゃん、と大淀に近づいていく楠木は空母棲姫とすれ違う寸前、左手を伸ばして空母棲姫の艤装を撫でた。

 すると、ぎし、と重たい音を立て――小破とも呼べなかったが、艦娘達の奮闘で傷をつけたはずの箇所が修復されていく。

 

 とんでもない事が起きている――頭では分かっていても、やはり誰も声に出せず。

 空母棲姫はにっこりと楠木を見やるが、楠木は鼻を鳴らすだけだった。

 

「――艦娘も深海棲艦も、海から生まれる。お前達は白い海水に鉄やボーキサイトなどが溶け込んだものから建造されるんだ。不思議だよなあ。人間ではないお前達がどのように生まれても、そういうものとしか受け取れんところもあるが」

 

 ある一定の距離離れている艦娘と深海棲艦の間に線は引かれていないが、明らかに境界線としての空間があった。

 その手前にいた海月姫のところまで歩んだ楠木は、彼女に両手を伸ばす。

 

 海月姫は楠木から伸ばされた両手に、同じように手を伸ばし――そっと握った。

 

「艦娘は広大な海のどこであれ発見される可能性がある。海外の女研究者はドロップ……と言っていたな。落ちるのに浮上して見つかるなどちゃんちゃらおかしい話だ。っは、まるでゲームのようで笑ったのを覚えているよ。深海棲艦も同様に、広大な海のどこにだって出現する。我々海軍を含む人類が目撃している深海棲艦など、極々一部に過ぎんということだ。お前達のように、深海棲艦は想像もできないほど多く存在している」

 

「ア、ァ……トテモ、サムイ、ノ……ツメタイ……ノ……」

 

 海月姫が楠木の両手を自分の頬に持っていきながら何かを言っていたが、楠木は構わず饒舌に話し続けた。ただ、愛おしそうに海月姫と見つめあいながら。

 その黒い瞳には彼女が映っているはずなのに、楠木には何も見えていないように感じられたのは、大淀だけではなかっただろう。

 

「艦娘と深海棲艦は互いに逆の行動を取る。一方は人類を襲い、一方は人類を守護する。俺は一つの仮説を立てた。もしやお前達と深海棲艦は同一の存在ではないのか、とな」

 

 戦場に立ち講義でもしているかのような物言い。

 楠木の独壇場だった。

 

「仮説から導かれるのはもっと単純な結論だ」

 

 それを口にするな。誰もがそう思えど――

 

「お前達は……――同じ存在だ」

 

 

* * *

 

 

「違う……同じわけが無いでショ……!」

 

 楠木の背後から金剛の絞りだすような声が聞こえた。

 そのすぐ横では、榛名が表情を絶望に染めていた。

 

「深海棲艦、と……共鳴、しているのですか……彼は……!?」

 

 榛名の声に比叡が「そんなバカな事――!」と反射的に漏らすも、霧島が眼鏡を押し上げながら額に流れる汗もそのままに呟く言葉に押し込められる。

 

「ありえない話、と思いたいですが……実際に、目の前で、起こっています……否定の材料は、ありません……提督にお声をかけていただいた私達と似たような事と真逆の事が起こっている可能性は、あります」

 

 波間に届く声に楠木がその場から動く事は無かったが、ざん、と一人の艦娘が自らの存在を限界まで希薄にして迫ったのに対して目を動かす。

 

 数多の敵艦に反応すらさせず肉薄したのは、川内だった。

 

 川内はクナイのような艤装を片手に海を駆け抜ける風よりも速く楠木に迫った。

 多くの敵艦の凄まじい猛攻を回避し切った島風が目を見張るほどの速度。

 

 彼はもう人間ではない。捕縛せよと大淀が井之上元帥から命令されたのは今よりも少し前の事だったが、捕縛して本土に連れ帰るなど考えられないほどに、彼から立ち上る気配は禍々しく惨烈なものだった。故に川内の判断を間違いだと止める者は一人もいなかったものの、楠木という者もまた、守るべき人でもあった。いや、ある、という思考が決断を鈍らせた。

 川内の特徴的な強さはそこにあった。慎重な行動をする彼女だが、決断したあとの動きに迷いは無い。

 迷いのない動きには反射でしか対応できない。だからこそ、川内型軽巡洋艦のネームシップたる彼女は単独で無類の強さを誇っている。

 

 クナイを持つ力の込められた右腕が楠木の背後に迫った。

 多くの艦載機を操っていた空母棲姫の高度かつ人知を超える思考速度を以てしても反応を許さぬ速さ、希薄さ。

 闇夜にあらずとも空間そのものに溶け込む川内は忍者と比喩するに相応しいものだったが――クナイの切っ先が軍服を突き通し、楠木の肌へ到達した時、あらぬ音が響く。

 

 ガツン――ッ!

 

 およそ、人の肌が出す音ではなかった。

 

「――深海棲艦も艦娘も、その原動力は科学などでは証明しきれないものだった」

 

「え、嘘、刺さらない……! なん、っで……――ゲホッ……!?」

 

 楠木は振り返りざまに鬱陶しそうに腕を振りぬいただけだった。

 その腕は川内の腕どころか上半身を巻き込み、弾き飛ばす。

 

 ばしゃん、と海面に数度バウンドしながら飛んでいった川内を受け止めるべく陽炎達、駆逐艦の三人が駆けた。

 三人がかりで受け止めても衝撃を殺しきれず、川内を受け止めた格好で後方へと滑るように飛んだ。

 

「川内さん! くぅっ……!」

「不知火、踏ん張って!」

「分かっています……!」

「二人とも、背中を失礼しますっ――!」

 

 陽炎と不知火が二人がかりで川内を受け止め、その二人の背を神風が支えたが、ざあざあと波をかき分けて後方へ。

 停止したのは、楠木から見て一番後ろに位置する大淀の目の前だった。

 

「お、ぇぁ……ゲホッ……かはっ……!」

 

 大淀の唇が青くなり、震える。

 攻撃とも呼べない楠木の一振りを受けた川内の艤装は音を立てて歪み、さらには咳き込み、えずきながら胃の中をぶちまけた。損害として見れば、中破であろうか。

 艤装を除き外傷という外傷は見受けられないのに、たったの一撃で川内を戦線に復帰させるのは危険であると知らしめるほどの様相。

 

「燃料や鉄、ボーキサイトを艤装に取り込み、物理法則を尽く嘲笑うような能力を発揮する……人類が手出しできないはずだ。たかだか中高生にしか見えない少女達は、か弱いように見えて、艤装を展開した瞬間に生半可な兵器を受け付けない鋼鉄の軍艦と化すのだから、当然と言えば当然。たった二本の足で超重量を支え、海をスケートリンクのように滑り、駆け、時には海面を蹴って跳躍までしてみせる始末だ。我が日本に多く艦娘が見られることもまた不思議だが……お前達は抑止力としても素晴らしい効果を発揮した。お陰で防衛外交は捗った。だからこそ研究に没頭出来た」

 

 これはその礼だ、と楠木は言った。

 川内への一撃を目にして攻撃に転じようなどと愚かな行動を起こす者などおらず、圧倒的武力、強制力を前に、忌々しい声を聞かされ続ける。

 

 大淀を含む全艦娘の通信は作戦海域にいる者に限れば問題無かったが、遠い柱島泊地や、そこから出撃したであろう長門へは繋がらなかった。

 結界がさらに強度を増しているのは言わずもがな。

 虚しいノイズ音だけが聞こえ、提督や長門に呼びかけても返答は無い。

 

《大淀さん……一時離脱すべきです……! 深海棲艦どころか、楠木少将までもが……おかしい……!》

 

 通信越しの声は水上打撃艦隊の鳳翔のものだった。

 視線だけで遠くに見える鳳翔をとらえた大淀はその提案を呑み込めずに苦し気な声を返す。

 

《分かっています。分かっていますが……》

 

 ここで離脱してしまう事は不可能ではないが、離脱すれば敵艦隊は北上し、本土へ向かうだろう。

 それらの足止めに空母の艦載機を利用しようにも、物資を補給し続けたところで完全な足止めは不可能。空母機動部隊が制空権を維持し、水上打撃部隊が湧き続ける深海棲艦を殲滅しながら戦艦棲姫や駆逐古姫を小突いているからこそ、この場での足止めが成立しているのだ。

 拮抗し、膠着しているこの状態からどちらかが動いてしまえば、確実に被害を受けるのはこちら側である。

 本土への侵攻阻止に加え、分断した敵艦隊の戦力を削ぐ事に集中していてもなお、気を抜けば一瞬にして均衡が崩れるほどの不利な状況。

 

 大艦隊を以てして、未確認深海棲艦がたったの三隻を中心にして戦力を押し返しているのだから、離脱という選択を安易に取るべきではない。

 

 だが離脱せねば、楠木の空気に呑まれてしまうかもしれない。

 

《本土へ向かわせてはいけません。一海里でも譲れば、今の空母機動部隊と水上打撃部隊が全力を出しても、再び足止めする事は困難になるでしょう》

 

《っ……》

 

 提案した鳳翔も、理解していた。

 熟練した妖精が搭乗している艦載機を操り、状況を俯瞰していたからこそ、より深く理解していた。一航戦と二航戦、そして自分、五名の航空戦力で拮抗なのだから理解出来ないわけがない。

 

「海外にも艦娘が存在しているが、日本と比べるべくもない。お前達の存在は図らずも世界に多くの効果をもたらした。国のパワーバランスを変え、経済を回し、人々の心を良くも悪くも動かした。俺も、心を動かされた一人だ」

 

 頬に添えられた海月姫の手の上に自らの手を重ねて大切そうに撫でながら、楠木は目を閉じる。

 

「艦娘は希望だ。では深海棲艦はどうだ? 人類に仇なす絶望か?」

 

 目を閉じたままの楠木に変化が現れる。

 真っ白な軍服に前触れなくぽつぽつとした模様が現れ始めたのだ。背に血管のように根のようなものが伸びはじめ、軍帽まで到達すると、ぱき、と音を立てて硬化する。

 模様だと思っていたそれが()()()()で、背に伸びた血管のようなものが根の形をした()()()であると気づくのに、海を駆け続ける艦娘達に時間は必要なかった。

 

 人だったものが、人でない何かに変化していく。深く、深く、どこまでも冷たく、戻れないところまで。

 

「俺が言ったように、艦娘も深海棲艦も同じ存在なのだ。ならば――深海棲艦もまた、希望だ。どのような姿であっても、希望だ」

 

 ぴしりと一際大きな音が鳴った。

 

「彼女らは終わらせるために蘇ったのだよ。貴様ら艦娘と同じ想いが形となったのだ」

 

 その音の正体を正面から見ていた空母機動部隊と、司令塔の大淀は今度こそ、絶望した。

 

「アァ、モウ……アナタ、ハ……ヒカリヲ……」

 

 深海海月姫の声をかき消す戦艦棲姫と空母棲姫の声が、絶望を色濃くしていく。

 

「アッハッハッハッハ! ソウ! ソウヨォ! ダカラ――シズメニキタノヨォ――!」

 

「ナンドデモ……ナンドデモ……シズメテアゲル……!」

 

 荒い海風が楠木の軍帽を押し上げた時――その顔が半分以上、真っ黒な仮面のようなもので覆われているのが見えた。

 くしくもそれは――深海海月姫の半面を覆っている黒い焦げた痕のようだった。

 

 ぎぎ、と妙な音を立てて楠木が動き、右腕をすっと上げ――進め、という風に振り下ろされる。

 その動きに連動し――時が動き出したように戦場へ轟音が戻った。

 

「――っ!? 全艦回避運動を再開! 全艦回避運動を再開! 捕縛は中止です! 目標を深海棲艦の殲滅へ移行します!」

 

 大淀の咄嗟の判断に各自が急発進する。

 倒れ込んでいた川内も咳き込みながら立ち上がり、空母機動部隊へ近づこうとする敵機へ牽制の砲撃を放ちながら移動を開始。

 

 海域全体がさらに赤く染まり、空気すらも血煙で構成されているかのようだった。

 そこに、深海海月姫の恐ろしい悲鳴と、楠木の声が響いた。

 

「ア、ァアアァアアアァァアアア――! イズレ、キサマラモ……コノ、ホノオニ…ヤカレテ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺ノ希望ヲ砕カセハセンゾ艦娘ドモ――全テ、シズメテヤル――」





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