柱島泊地備忘録   作:まちた

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九十七話 心②【艦娘side】

「俺は固定観念にとらわれていたのだ」

 

 まるで深海棲艦の発する声のように歪んでいた楠木の声音が、先ほどまでの人間らしいものに戻ったのもつかの間、悲鳴と轟音を取り戻した戦場はさらに激しさを増していた。

 砲雷撃戦も航空戦も、互いの全てを吐き出すような戦場は楠木という存在だけを浮き彫りにして海を凄惨な地獄へ変貌させていく。

 

「艦娘とは、深海棲艦とは……そんな事を考え続けていたおかげで、艦娘は艦娘で、深海棲艦は深海棲艦などという簡単で惨たらしい観念が俺の思考を鈍らせ続けた」

 

 しかし、先ほどの戦闘とは違いが一つあった。

 それは楠木が深海海月姫の傍にいて、海月姫が新たな艦載機を発艦させていない事だ。それでも空母棲姫から吐き出され続ける敵機の数が多いため楽になったとは言い切れない。だが空母機動部隊の艦載機は制空権の維持という一辺倒から変わり始めていた。

 徐々に、ゆっくりと、しかしながら確実に敵機を撃墜していきながら黒い空を自機で埋めていく。

 

 楠木はそんな事は些事であるとでも言わんばかりに、海月姫と手を取り合ったまま、見つめあったままにつらつらと話し続けていた。

 轟音の中で届くはずも無い声が艦娘達の精神を蝕むようで、互いに「耳を貸すな! 聞かなくていい!」と言い合い続ける事で戦線を維持する。

 

 それでも、耳に届く声はどうしようもなく――

 

「艦娘であろうが深海棲艦であろうが、彼女は彼女に違いないんだ。そうだろう? なあ、サラ」

 

 ――絶望的な現実を突きつける。

 

「サラ――!? し、深海棲艦に名前が……!?」

 

「聞くなってんだろうが不知火! 耳を貸すんじゃねえ!」

 

「で、でも摩耶さん! 楠木少将は確かに、海月姫をサラと――」

 

「あたし達には関係無い! 知るべきでもない! 沈みたくなきゃとにかく戦うしかないんだ! わかってんだろ不知火も!」

 

 摩耶の怒声に不知火の表情が曇るも、言い分に反論はなかった。

 深海棲艦、艦娘、どちらも海から生まれる――それを事実であると理解しているから、楠木が言うように――もしかしたら、自分達は……そう考えた瞬間は一度も無かったかと問われたのならば、不知火どころか艦娘達は無いと否定できない。

 支離滅裂で狂ったような楠木少将の言葉は、狂っているようで真理を突いていると思わざるを得ない。

 

 楠木が海に立った時に語った言葉が心を侵蝕している。

 

 本質そのものを鷲掴みする言葉は連合艦隊の動きを鈍らせ、優勢に傾けさせる速度を奪っていくようだった。

 

「ァ……アア……アナ、タ……ワタシ、ハ……チガウ……チガウ、ノ……」

 

「違う? 何が違うんだ……君はサラだ。どんな姿になっても、俺が愛したサラなんだ。違わないさ」

 

「イヤ……イヤ、ァ……アツイ……アツイィッ……!」

 

「あぁ、そうだな。渚を歩くんだ。静かな海を、一緒に歩こう」

 

 言葉が噛み合っていない。明らかに異様な光景を目にした面々は、とてもじゃないが戦闘に集中できず、通信越しに怒鳴りあう。

 

「何なんですか、あれは……深海棲艦を名前で呼んだり、会話しているのに噛み合って無かったり……!」

 

 神風は嫌悪や恐怖といった感情に表情を強張らせて言った。

 

 その間にも、駆逐古姫の放った魚雷が航跡を伴って、神風へ迫る。

 紙一重でそれを回避しながら海面に向けて砲撃をばら撒けば、魚雷が他の艦娘へ衝突する前に水柱となって消えた。

 互いが互いを守りながら確実に前進しようと藻掻く。

 ほんの刹那、水柱が視界を遮り、神風はぬらりと現れた軽巡級深海棲艦への反応が遅れた。逸早く気づいた北上が、自分よりも神風の近くにいた大井へ滑り込んで腕を叩く事で危険を知らせ、大井は叩かれたのとほぼ同時に駆け出し、水柱に視界を失っている神風へ迫る。

 完璧な立ち位置の切り替わりに敵艦の動きに迷いが生まれ、その迷いに対して北上は容赦なく魚雷を叩き込む。

 油断を誘い、仲間を救う完璧な連携――北上と大井だからこそ実現した戦術。

 

 大井は背後から神風の腕を取り力いっぱいに横方向へ引っ張りながら魚雷を放つ。

 すると、水飛沫が収まって姿があらわとなった軽巡級深海棲艦へとタイムラグ無く衝突し、轟音と黒煙を噴き上げた。

 

「ッ……すみません、大井さん!」

 

「お礼は北上さんに! 次が来るわ!」

 

「はいっ!」

 

 神風が移動しながら北上を探し目を動かせば、丁度視線がかち合った北上が頷く。

 さぁ、まだまだ弾薬はある。さらに攻撃を――そんな神風の気合が、消失しかけた。

 

 否、神風だけではなく、全艦隊が瞬きの間だけ止まってしまった。

 

 結界の中では幻視する。

 多くの軍人、提督に言われ続けていたものを、彼女達は初めてその通りであると手のひらを返したくなってしまった。

 

 海月姫が――燃え上っている。

 

 一見して損傷は無い。だが、楠木少将と手を取り合う彼女は確かに青い炎に包まれており、楠木の軍服も、楠木自身も燃えている。

 燃え上っているのにもかかわらず二人が焼け落ちるといった事は無く、非現実的な、意味不明な、説明のつかない現象がそこにはあった。

 

 サラ、と呼ばれた海月姫は黒い涙のようなものを瞳から流し続け苦しそうな声を発しているが、楠木はどこまでも優しい笑みを浮かべ、焦げに覆われた半面の瞳を青く光らせて語り続けていた。

 

「俺は全てを失ったが……それでも、サラがいる。君がいればそれでいいと気づいたんだ。例えどんな困難があっても、それを受け入れて進めば良いのだと気づいたんだ。馬鹿げた戦争も、進まない研究も全て無意味であると気づいたんだ。俺は一人じゃなくなったんだ」

 

「ヤメ、テ……モウ、オワリニ、シマショウ……ワタシタチハ、コンナ、コト……シタインジャナイ、デショウ……? オネガイ、ダカラ……」

 

「ああ、分かっている。俺がお前を救う。お前を守ってみせる。どんな姿になったとしても、誰にもお前を奪わせたりしな――」

 

 ガァン! という轟音に、黒煙が楠木と海月姫を襲う。

 それは大淀の放った砲弾で、しかし二人に傷をつける事は出来なかった。

 

 だが、意識は――逸らせた。

 

「貴様ァ……何ヲ……――!」

 

 ぎらりと瞳を光らせた楠木が大淀を見た。

 大淀はがちがちと奥歯を鳴らすほどに震えながら、十五.五センチ三連装砲を構えたままの状態で言う。

 

「そ、その、その深海棲艦は……深海棲艦では、無いのですね……! どこかで、み、みみ、見たことが、あると、思っていました……変わり果てた、姿、ですが……!」

 

「ナニィ……? 大淀、貴様ハ大本営ノ差シ金カァ……?」

 

 空母機動部隊の面々が大淀へ敵意が向いていると察知し、輪形陣を組む。

 それは本来ならば空母を守るための陣形であったが、大淀を中心にして十二隻の空母機動部隊が二重の障壁となり、どのような攻撃が来るかも分からないままに防御せねばと体勢を低く構えた。

 

「いいえ、わ、わた……私は、柱島泊地所属、常任秘書艦です……前の所属は、舞鶴鎮守府――楠木少将の傘下、金森提督の部下でした……!」

 

「カナモリ……あぁ、あの豚か……豚に飼われていた艦娘が、何を知っているというんだ」

 

「楠木少将――あなたはとても、賢い人です……自らに矛先が向かないようにする事も容易で、あらゆる人脈を駆使し、海軍を欺き続けてきたことは、想像に難くありません……その上で、数名に情報を握らせる事で、信頼させ、あえて自分より立場が上の金森提督へ公表されては手痛い情報さえ与えて、それを、確固たるものとした……違いますか……!」

 

「――ほう。存外、頭の切れる艦娘モいたモノだなぁ……? それに、手癖モ悪いときたものダ……ドコでその情報ヲ得タ……?」

 

「手癖が悪いなど……職務として、あの人の仕事の殆どを肩代わりしていたから知り得ただけです。都合よく舞鶴の防衛する日本海側に深海棲艦がやってきては、一定の戦果となるなどおかしな話で――数字を与えるために、あなたが指示したことに過ぎなかったというだけの話……」

 

「自信満々にしてハ、随分と薄い根拠ではナイか。どこに俺が関与シタという決定的なものがあルノダ? エェ?」

 

 空母機動部隊の二重の盾のうち、蒼龍が大淀に向かって声を上げた。

 

「どういう事よ大淀さん!?」

 

「提督が遂行してきた多くの任務……それを辿るうちに、私は深海棲艦が操られている、もしくは、作り上げられているのかもしれないと、荒唐無稽な仮説を立てていました。最悪なことに、深海棲艦を操っているという予測は的中しましたが……どうやら、もう一つの方は外れたようです」

 

 蒼龍の声にほんの少しだけ落ち着きを取り戻した様子の大淀は、まだ手が震えてはいたが、歯を鳴らすほどもなくなったようで、ぐっと唾を呑み込みながら空いている方の手で眼鏡を押し上げた。

 レンズのふちについた海水がぽつりと落ちていく。

 

「もう一つって……深海棲艦を、作り上げるって方……?」

 

 飛龍が深海棲艦を睨みつけたまま言えば、大淀は肯定の返事をする。

 

「……深海棲艦のようになっている彼女が動かぬ証拠でしょう。違いますか、楠木少将。それに、アメリカ海軍所属、深海棲艦研究派遣員の――Lexington級二番艦、正規空母――サラトガさん」

 

「正規空母……サラ、トガ……!?」

 

 前を見ていた飛龍と蒼龍が思わず振り返る。

 大淀はじっと楠木少将と海月姫を見つめており、二人もまた大淀へ視線を向けていた。

 

「捨て艦作戦が敢行され始めた頃、捨て艦となった艦娘には新兵装が配備されましたよね。深海棲艦の生息位置を特定するためのものであったか、通信方法を解析するものであったと記憶しています。生き残った艦娘達の中で、噂が流れ始めた――声が聞こえると」

 

「……」

 

 大淀は油断を見せず、じり、じり、と自分の位置を調整するように動き、その大淀の動きに呼応して空母機動部隊も移動する。

 空にはやはり絶え間なく炸裂音が鳴り響き、艦載機同士の熾烈なドッグファイトが繰り広げられていた。

 

 警戒しながら、艦載機で制空を維持しながら極限へ達していく緊張に、空母達の顔色が悪くなっていく。

 疲労の色が濃くなるものの、どうしても膠着状態は解けず、このまま徐々に艦隊が瓦解してしまうのではないかという危機感が芽生えそうになっていた。

 

「結界の中では海は荒れ狂い、空は淀み、赤く、暗くなる……そこで声が聞こえるなどと報告をあげれば、確かに妄言と一蹴されてしまうでしょう――あなたは、それを利用して研究の裏に……派遣員であった艦娘のサラトガさんを、秘匿した。違いますか。恐らくは、声に共鳴したのです……楠木少将が仰るように、私達と深海棲艦が同一の存在であるとするなら、共鳴する可能性はある。一緒……なんて、考えたくないですが」

 

「……八十点、とイッタところカ」

 

「高得点をいただけるのですね……及第点でしょうか」

 

 強気に言う大淀だったが、その場から動けないまま。

 楠木は、海月姫――サラトガ――の両手をぱっと離して、青い炎に焼かれながら、身体中からギシギシと異音をさせて海上を歩いた。

 

「あア。そうダ。俺は確かニ深海棲艦と艦娘について研究を続けル中デ、声の存在を知ッタ。サラと共ニ、その声の正体を解明シテ……そんナ事ヲ考えたのは、一瞬だったよ。声を聞いてしまったサラは苦しんだ。海の向こうから声ガ聞こえるとイッテ、艤装の展開スらも満足に行えなくなった。共鳴したのかもシレンな。妖精と艦娘が共鳴するようニ。声を聞いたカラ……サラは、こうなった……!」

 

 お前達のせいで。そう怒鳴って、楠木は近くにいた駆逐級深海棲艦の巨大な身体と思しき側部を蹴り上げた。

 すると、ぎぃ、と気持ちの悪い声とも音ともつかぬ高音を上げて、深海棲艦は逃げるように離れていく。

 

 楠木が話し始めてからも空では戦闘が続けられていたが、海上にはまたも嘘のような落ち着きが広がっており、艦娘だけが戦々恐々としていた。

 

「絶望シたよ……修復液に浸けても治らないナド、艦娘がますます理解できなくナッた……」

 

 ジジ、ジジジ、と通信を支配し続けるノイズ音。

 楠木の声は、空間に、通信に、脳内に直接浸透していくようで、殊更に恐怖を煽るものだった。

 これも策略のうちか、はたまた楠木の無意識の行動かは、分からない。

 

「だが、俺ハ彼女を失いたくなかった……彼女以外、どこの誰が傷つこうが、関係ナイ……彼女さえ、失われなけれバ……俺も、サラも、立場ガあって、成立する関係なんダ……どこにも、救いなどないんだ……。艦娘に戻れないナラバ、受け入れられない……深海棲艦になったのなら、沈めラレる……だカら、こうして……――」

 

 っは、と笑い声が楠木の声を遮った。

 その声の主は――軽巡洋艦、北上。

 

「なーんか、どっかの誰かに似てるくらい熱い人だなーって思ったら……っはは、あんた提督に似てるんだ」

 

「き、北上さんっ……!?」

 

 大井が驚いて名を呼ぶも、北上は呆れたような顔で言葉を吐き捨てた。

 

「ナニ……?」

 

「必死さが似てるんだよ。提督にそっくり。でも――提督とあんたには大きな違いがある。提督はね――あんたと違って、まっすぐに見つめてくれる人だよ。見つめたうえで、私達の事を考えてくれる人。自分の事を捨ててでもね」

 

「オマエガ……俺ノ、何ヲシッテイルと言うンダ……艦娘風情ガ――!」

 

 楠木が右腕を振り上げた瞬間、全員の身体が強張った。また始まる、と。

 しかし、その腕が振り下ろされることは無かった。

 

 海月姫が動き、その腕を掴んだのだ。

 

「ナニヲ、してイルンダ……サラ……?」

 

 空母棲姫や戦艦棲姫、駆逐古姫が目を細めてその行動を見つめていた。

 一体何が起こっているのか、理解している者はこの場において一人としていなかったのに、理屈ではないものが事を起こしているのだけは胸の中心にある()()()が知っていた。

 

 兵器だと言われ続け、人と違うと言われ続けていた彼女らであるからこそ、それはより鮮明だった。

 

 海原鎮という男に、持っていると気づかされたものだ。

 

「あんた気づいてないの? 海月姫……いや、サラトガさん、泣いてるじゃんか」

 

「ァ……?」

 

 腕を掴まれた楠木が海月姫を見た時、まさに今、正気に戻ったと言わんばかりの反応を見せた。

 海月姫に腕を掴まれたまま、二人で燃え盛ったまま、言葉にならない声を上げて後退ろうとする楠木だったが、腕は離れず、力強くしっかりと掴まれたまま。

 

「ヤメ、やめテくれ、サラ……どうして、俺ヲ……!」

 

「ヤット、ワタシヲ、ミタ……」

 

「ヒッ……!? ぐ、ぅあ……!」

 

「モウ、オワリニ……シマショウ……」

 

 海月姫の手に込められた力がどんどん強くなり、楠木の腕にぽつぽつと付着していたフジツボが割れたような、ぱきん、という音が響く。

 しかし立て続けに起きた次の光景に、今度は海月姫が目を見開いた。

 

 ぐしゃん、という耳を覆いたくなるような痛々しい音。

 

 楠木の背から伸びる白い腕。

 

 胸を突き抜けた腕が、鼓動を続ける()()()()()()を掴んでいた。

 

 その後ろにいたのは――戦艦棲姫だった。

 

「ェ……ァ……?」

 

 楠木が状況を理解出来ずに海月姫を見る。

 海月姫は楠木と、その背後にいる戦艦棲姫を見て硬直しており、周囲の艦娘もまた、固まっていた。

 

「え、何……嘘……少将に、攻撃、した……!?」

 

 艦娘のうち、誰が言ったのかは分からないが、全員が同じことを考えており、攻撃にも防御にも転じられず。

 ぞわりと身を震わせる()()の深海棲艦の声が――海へ響く。

 

【タノシカッタァ……?】

 

 口が裂けるような満面の笑みを浮かべた戦艦棲姫の行動を皮切りに、空母棲姫がニコニコとして楠木へ近づいて来て、戦艦棲姫と同様に背後から手を伸ばして、頬に触れる。

 

【アッハ……アッハハ……ワタシタチヲ操レテ、嬉シカッタネェ? タノシカッタネェ? ソレデェ……愛ノ告白ハ、モウオワリィ……?】

 

「キサ、マ……ラ……ッ!?」

 

【カンムスガー! シンカイセイカンガー! アッハハハハ! ナァニイッテルノォ……ワタシタチノコトヲ、イーッパイベンキョウシテェ……ワカッタツモリデイルノネェ……? 本気デ操レルッテェ?】

 

「ガフッ……!」

 

 楠木の口の端から真っ黒な液体が流れる。

 戦艦棲姫の声も、空母棲姫の声も聴き分け出来ないほどに同一で、おぞましく、底冷えするような恐怖があった。

 海月姫とも違う。あたりを埋め尽くす深海棲艦の発する高音とも違う。

 

 楠木から立ち上っていた憎悪よりも濃く、純粋な――狂気。

 

【ワタシタチハ、ケッコウ、タノシメタワァ……。カンムスタチモ、ケッコウシズメラレタシィ……ネェ?】

 

【エエ、ソウネ――デモ――】

 

 駆逐古姫がゆらゆらと楠木へ近づき、巨大な口のようになっている艤装で楠木の片足を噛んだ。めき、という音を立てて楠木の片足はあっけなくちぎれ、ばしゃりと海面に浮かぶ。

 楠木から叫び声が上がった瞬間に空母棲姫に口元を押さえられる。

 

()()()()()()()()()()ナンテ――興味ナイ】

 

「ア、ガアアアアアァァアアアアァアッ!? ヒッ、ヒィッ……ヒィッ……! ア、足がっ……――ムグッ!?」

 

【シィー……シィー……イタイノハ、ミーンナ、イッショヨ……ワタシモ、アナタモ、イタイノ……アナタハ……イタイノガイヤデ、逃ゲタ……ソウデショウ?】

 

「ムゥゥウウウッ!? ムーッ!!」

 

【アァンッ、ダメヨ。アナタハモウ、コッチガワナンダカラ。一人ガイヤダッタンデショウ……? コンナ子ヨリ、モーットタクサン、素敵ナ子ガイルワ……アナタハヒトリジャナイ……】

 

 空母棲姫の声に、楠木が血を流し、涙――それは黒かったが――を浮かべながら目を向ける。

 背中から心臓を掴まれた状態で混乱しているのもあったのだろうが、一人じゃない、という希望のようにも聞こえる言葉が吐かれた時、空母棲姫が手を少しだけずらして隙間を作った瞬間、楠木は縋るような声で言う。

 

「ひ、一人じゃ、ナイ、のか……!? 俺は、一人ジャ……!」

 

「アナ、タ……?」

 

 やっと目が合った――たった一瞬だけでも互いに本当の意味で見つめあった二人の間に亀裂が走る。

 再び逸らされてしまった楠木の目に、もう海月姫は映っていなかった。

 

【ソウヨォ……モウヒトリジャナイノ……】

 

「お前達が、俺と、一緒にイテクレルの、か……?」

 

【……】

 

 空母棲姫と戦艦棲姫が背後からニッコリと笑う。

 そして、

 

【――馬鹿ナ人】

 

 ぐしゃりと、心臓を握りつぶした。

 

「ぁ……」

 

 楠木の目から、青い光が失われていく。

 だが意識は失われていないようで、どうして、どうして、と壊れたラジオのように繰り返しながら虚空を見つめ、力無く海月姫から離れ、空母棲姫と戦艦棲姫に抱き留められる。

 

【コウイウ人、ダァイスキナノ……トテモ、愚カデ、全テヲ見テイルヨウデ、ナーンニモ見エテイナイ人】

 

 くすくす、と空母棲姫が笑う。

 

【暫クハ、タノシメソウネ……チャーント、連レテ帰ッテアゲルワ】

 

 ニコニコと戦艦棲姫が言う。

 

 海面に浮かぶ片足を拾い上げて、壊れた玩具でも眺めるみたいに振りながら駆逐古姫が誰ともなしに問うた。

 

【ヤッパリ、私達ガ全部壊スシカナイノ?】

 

 それに対して空母棲姫と戦艦棲姫が呟く。

 

【ソウネェ……】

【ホネノ無イ艦娘ヲシズメルナンテ、ツマラナイケド】

 

 戦闘海域となったトラック泊地東側にいる艦娘は、この瞬間に理解した。

 

「狂ってる……狂ってやがる、こいつら……!」

 

 摩耶が歯の隙間から押し出すように言い、全員が頷き――絶対にここで沈むわけにはいかないと兵装を構えた途端の事だった。

 

 

 

「主砲一斉射! て――ッ!!」

 

 

 

 水上打撃部隊の背後、方角にして日本側の空から砲弾が降った。

 回避行動すら許さない刹那の時間、それは空母棲姫と戦艦棲姫、楠木と海月姫の頭上へと飛来し――衝突。

 

 轟音、爆音。

 黒煙と炎が大きく花開き、空へ昇る。

 

「なっ――長門さん! 長門さんの艦隊が到着しました!! 全艦、戦闘を再開してください!」

 

 

* * *

 

 

 大淀が叫喚し、全員の時が三度動き出す。

 長距離砲撃だったのか、長門の姿はまだ見えず遠くにいる様子だったが、長門の声が聞こえたという事は――通信が確立できる距離にあるという事。

 

 一筋の希望の光が差し込めば、そこは暗闇とは呼べなくなる。

 

 空母機動部隊の面々の顔色は悪い状態ながらも生気を取り戻し、狂気の戦場を終わらせるべく弓を構えた。

 

「蒼龍、行くよっ!」

「おっけーおっけー……! 全艦載機、発進!」

 

「慢心してはダメ。全力で参りましょう! 加賀さん!」

「鎧袖一触よ。心配いらないわ」

 

 一航戦と二航戦が動き出せば、その師たる立場の鳳翔も視線を鋭くして声を上げた。

 

「風向き、よし――航空部隊、発艦!」

 

 空母達の動きに連動し、水上打撃部隊も一斉に海面を駆けた。

 この狂気に呑み込まれてはならない。今こそが反撃に転じる勝機であるのだと。

 

 空を埋め尽くす敵機と自機が交錯する中、新たなる艦載機の姿が交ざった。

 ヒトガタのような紙切れが切り裂くように飛んできて、火花を散らしながら航空機へと姿を変える。

 

 陰陽型の特徴であるそれが――飛鷹と隼鷹の艦載機であると察した鳳翔の口元に、笑み。

 

《ザザッ――ザーッ……――こちら旗艦長門! 聞こえるか、大淀!》

 

《はいっ……はい、聞こえます、長門さんっ……!》

 

 安心したような、大淀の震える声。

 通信越しの長門はすぐに追いつけると言い、もう少し踏ん張ってくれと勇ましい声を届けた。

 

《遅れて悪かったな……空母棲姫と戦艦棲姫、駆逐古姫だったか……それと、深海海月姫はどうだ!》

 

《い、今確認を――!》

 

 小破に持っていくのさえ辛かった恐るべき装甲を持つ四隻へ視線を向けた大淀は、今度は別の驚愕に口をぽかん開いたまま固まってしまった。

 

《……海月姫が中破、して、ます――!》

 

《よし! 提督の言う通りだったな……!》

 

《長門さん、提督が何か仰っていたのですか!?》

 

《あぁ。勘違いさせるような物言いだったが、大淀の反応からして本当のようだ……どうやら私は、この戦場における()()()らしい!》

 

《特攻、艦……!?》

 

 大淀が顔を青くする前に、長門は違うと何度も口にした。

 

《違う違う! 大淀、違うぞ! ははは、私も勘違いしたクチだがな! 提督が言うは海月姫に特別な効果をもたらす艦娘であるという事だ! 特別な効果で、特効艦だ!》

 

《どうして、そんな事を提督が……知って……》

 

《私も気になるところだが――帰ったら全てを話すと言っていたし、ここに来るまでにきっちり約束してくれた! 約束したのだから、信じて戦うしかないだろう!》

 

 整えようとしている思考が乱れ、それでも整えようとして、やはり乱れ。

 大淀の脳内がぐしゃぐしゃになっていくのと比例して、戦場は激しさを増していく。

 

《ともかく、今はこの戦場に勝利を刻むのだ! 待ちに待った艦隊決戦だぞ大淀! 胸が熱いな!》

 

 通信から聞こえる長門の声は、何を根拠に持っているのか、どこまでも明るかった。

 ただ戦い、勝利し、人々を守るという艦娘の本分を体現するかのような声に、大淀の思考は、難しい事は鎮守府に帰ったら提督を問いただせばいいかと、どうしようもなく、あんまりな結論へ辿り着く。あの人がいれば、きっと大丈夫。

 

 しかしそれは、大淀の震えを完全に止めた。

 

 

 

 

 

 

《全艦に告ぐ――全艦に告ぐ――反撃を開始してください!》

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