南方、トラック泊地周辺海域へと長門達が向かうほんの少し前。
柱島泊地の中枢施設にある通信室から飛んできた通信に呼び出された六名が港に集結し、出撃準備を整えながら待機している時の事だった。
艦隊旗艦となった長門の表情は暗く、今にも泣きだしてしまいそうなくらいに瞳を波のように揺らしていた。
展開された艤装を点検しながら何でもない風を装ってはいるものの、その表情に気づけないほど艦隊の仲間の目は節穴ではない。
艦隊決戦の場に全力の一撃を叩き込むための補給物資を妖精の開発したドラム缶に詰め込み、艤装へ積み込む卯月達を手伝いながら、飛鷹が長門へと声をかけた。
「帰って来てからずっとその顔ね。提督は無事だったし指揮にも戻った――まだ他に不安があるの?」
「いいや、不安などないさ」
「へぇ。なら、いいけど。私はそう何度も聞いてあげないからね」
「う、む……」
突き放しているようで、話すなら今だぞと誘導する物言いは飛鷹の癖のようなものだった。そうする事で言葉を引き出しやすくなる、また、相手も今しかないならと固く閉じた口を緩める。しばしばそれで本当に話さなくなる者もいたりしたが、飛鷹の言葉を継ぐ隼鷹の声が、確実に言葉を引き出す決め手を担うのだった。
「仄暗い気持ちで戦いたくない――とか言ってた奴の顔じゃないねぇ。長門、あんたの不安はこいつらにだって伝わるんだよ? あんたは旗艦なんだ。気になる事があんならぱっぱと言っちゃいな。提督が来るまでは待機なんだしさ。酒はないけど話は聞いてあげっから」
「……」
隼鷹が示すこいつら、とは、駆逐艦の三人の事である。
補給物資を積み終わり、ほい完了、と言って隼鷹が卯月と文月、皐月の頭を順々にぽんと撫でれば、彼女達は気まずそうな顔で長門を見上げた。
彼女らとて艦娘で――如何に年端もいかぬ幼子の姿をしていようとも軍艦の端くれであり、これから戦地へ向かう仲間。
隼鷹の言葉通り不安を伝播させ彼女らの戦意を削ぐような真似をしたくない長門の心理を上手くついた優しい言葉だった。
艦隊旗艦――世界に誇るビッグセブン――長門の背に圧し掛かる名前が無用な不安や心配をまき散らすなどあってはならない。プライドが許さない。
プライドに相対する行為である心情の吐露をここでするべきなのかも、分からない。なにせ長門は旗艦なのだ。常に強気で前を向いていなければならない事など言うまでもない。それこそが長門の在り方だからだ。
「……ヘリで柱島に戻る途中、提督の傷が開いてしまって、処置されるのを見たんだ」
そんな言葉から始まった長門の話は、決戦前の静けさに覆われた柱島泊地の施設や港に漂う空気に滲んでいく。
「それを見て――多くの人々が倒れて、消えていくあの頃を思い出した。どうしようもない傷で、もう生きられない事を悟って、それでも戦って……最後の一瞬まで絶対に諦めてなるものかと猛る軍人を、思い出したんだ。懐かしかった。悲しいくらいに、遠い過去の事なのに、それがまた繰り返されるのかと……私は自分の無力を呪いたくなった」
その光景を想像してしまった文月と皐月が、制服のスカートの裾をぎゅっと握りしめて俯いた。飛鷹は展開前の飛行甲板となる巻物を背負いなおすと文月達へと近寄り、頭に手を添える。隼鷹は卯月の頭頂に跳ねる髪を指でくるくると弄りながら「ああ」と相槌を打った。
「提督がな、話すべきことがあると言ったんだ。この戦いが終わったら……作戦が終わったら話したいと。その上で私達に決めて欲しい事があるらしい」
「決めて欲しいこと?」
それってなぁに? と問う卯月を見て、長門は分からないと首を横に振った。
「分かっているのは、軍部を納得させたらしい事と、私達が受け入れるか否か、という話である事くらいで……詳しいところは分からん。だが……だがっ……」
そこまで話したところで、途端に我慢ならなくなったように長門の瞳からぽろぽろと涙が零れた。駆逐艦のようにしゃくりを上げて泣く様に、さしもの飛鷹と隼鷹もぎょっとして長門へ駆け寄り、その背をさすって言葉を促した。
「うえっ!? お、おいおい長門、泣くなって、なぁ」
「出撃前にあなたが泣いてどうするのよ……ほら、どうしたの、続きは?」
「ていっ……とくは、ずっと、私達と一緒にいたいと、言ってくれたんだ……できる事なら、ずっと一緒にいたいと……痛みに苦しんでいるのに、でも、話してくれない事が……私はっ……!」
嫌だった。たったそれだけの事が戦艦長門の心をこれほどに揺さぶっているのに、大した驚きはなかった。海原鎮という男が艦娘の心の奥深くまで浸透している証拠に過ぎず、良いか悪いかで判断すべき事柄でもなかったからだ。
いずれにしろ、出撃前に全て吐き出してもらって、最低限戦えるようになってもらわねばならない。飛鷹と隼鷹の思惑は一致しており、二の句を促すよう話を繋げていく。
「軍部を納得させた事で、出来る事なら一緒に居たい……作戦が終わったら全部話す――まあ、そういうこったろうなあ」
隼鷹が後頭部をがりがりとかきながら言えば、飛鷹は眉間に皺を寄せた。
「――十中八九、楠木少将についてでしょうね。軍部を納得させるだけの材料を揃えたって事は、二つに一つ……山元大佐や清水中佐のように籍を残して提督の部下に据えるか……さようなら、か」
長門は何度も目元を拭い、なお落ちてくる涙を疎ましそうにしながら、うう、と唸って頷いた。どうやら飛鷹達と同じ結論に達していたらしい。
「あの人は、私達のためとなれば、きっと鬼にだってなる人だ……憲兵隊の一部が南方で発見された時の話だって聞いた……隊長である松岡に処理をさせようとしたけれど出来ず、ならば自分がすると言いだして……明石に止められ、思いとどまったと……だが今度の相手は楠木少将本人だ。提督とて万策を考えただろうが、あれは、全て、悟っているような……表情で……」
そうして、軍議において幹部達を説き伏せた上で、覚悟を決めて鎮守府へ戻った――出現している深海棲艦達がありありと状況を物語っている。さようなら、を選んだのだと。
この程度の事、わからいでか。話の一部を聞いただけでも予想できる帰結であると飛鷹は大きなため息を吐いた。隼鷹も同じく。
駆逐艦達は不安そうなまま目を丸くしていたが、心のどこかではやはり、提督が苦しんでいて、長門が悲しんでいて、その理由が自分達がまったく関知しない遠いどこかで起きているという理不尽な現実そのものであり、複雑な戦争という現象であると分かっているために、戦うことに否定の意はない様子だった。
完全にかかわりがないと言えば嘘になる。捨て艦作戦が海軍に蔓延ったのは間違いなく楠木という男の所業であるのだから。
自分達は艦娘――命令を下されたのならば出撃しないわけにはいかない、それを知っていて事を起こしたのだから。
しかし今はそれを拒否できる環境にある。きっと出撃したくないと言えば、提督は他の人員を見繕って出撃拒否した艦娘を休ませるなりするだろう。
あってはならないが、あって然るべき――今、そんな場所に自分達はいる。
その上で、国と、人を考え続ける彼のためならば私達は刃となる意思がある。
「提督に手を汚してほしくない。そんな甘ちゃんみたいな考えを口にするつもりは、ないでしょうね」
飛鷹の厳しい言葉に、長門は頷く。
口にするつもりはない、でも心ではそう思っている。飛鷹達にも分かり切ったことだったが、こうして否定し、考えそのものさえも持っていないかのように振る舞うことで戦意がどうか失われないようにと窮余の一策を講じるしかなかった。
どうあがいても、これは戦争である。
超常が大海原を跋扈し、己が存在に火薬を詰め込んでぶつけ合う戦争である。
「うーちゃんも頑張るっぴょん! だから、長門さん……い、一緒に頑張るっぴょん! ね?」
お調子者で自由奔放な性格を有することで知られる卯月に気遣われた長門はうっすらと笑みを浮かべて返事する。
卯月に続いて文月と皐月も同様に長門を励ました。
「あたし、難しい話とかよく分からないけど……司令官のために頑張るから! 長門さんのお手伝いもいっぱいするからさ!」
「ボクもだよ!」
駆逐艦に励まされて情けなくねえのかよ、と冗談めかす隼鷹に、長門は涙を拭って今度こそ笑った。そうだな、と口にした長門の目元から新たな水滴は流れなかった。
出来る事を全力でやるしかない。かの戦争を繰り返さないために、私は全力で戦うのだ。長門が、ぐっと拳を握りしめた時――港に、ざりざりと革靴が地面を擦る音が響いた。
全員が振り返ると、そこには軍服に身を包み、覚悟を決めた顔の提督がいた。
「揃っているな――かなりの数を出撃させているが、現場は拮抗状態から抜け出せないようだ。指揮を執る大淀から通信が入らないところから、制空権の維持と雑兵で手が塞がっていると予測している」
淡々とした声、作戦指揮を執るに相応しい冷静な態度。
背後から駆けて来た山元大佐が提督に向かって「宿毛湾から第一艦隊と哨戒班の入港を確認したと連絡がありました! 宿毛湾にある修復施設で対応が可能であるとの事でしたが――如何いたしましょう」と声をかければ、提督は短く「修復を優先しろ。完了次第、鎮守府に帰還させてくれ」と返答する。
山元大佐は小気味よい返事をして戻って行く。それを横目に見送った提督は艦娘達へと顔を向けた。
「……あー」
冷静で冷淡な声のままだったが、提督が艦娘達を見て口ごもった事で全員の表情が硬くなる。
作戦の遂行に困難が生じる予想をしているのか、それとも、この大規模戦闘を惹起した八代少将の事か、楠木少将の事か。どれも当てはまる状況に全員が喉を鳴らす。
「楠木の捕縛など二の次でいいが、この作戦において長門は必要不可欠な存在だ。私は長門の一撃が戦場を覆すと考えている――だから、全力でみなを助けてやってほしい。その長門を現場まで安全に送り届けるため、飛鷹と隼鷹には道中で深海棲艦が出現した場合、二人で処理をしてもらう事になる。無茶を強いるが、どうか頼んだぞ」
戦艦の一撃が戦場を覆す――違和感が残らないはずもない。
既に金剛型の四人がいるのに、もう一人が戦線に加わっても、優勢になれど覆すなど――長門本人が一番に理解しており、どうしてと問わずにはいられなかった。
「提督、どうして、私なんだ」
「……理由は多くある」
提督はそれだけで黙り込んでしまい、軍帽のつばを指で挟んで目元を隠すように深く被った。
「聞かせては、くれないのか……?」
「これは作戦終了後に、私が話したいといった事に関連する――だから、話の前後が無ければ理解出来んだろう」
「それでも――っ」
私はあなたの口から聞きたいのだ、という長門の懇願に、提督はさらに俯いた。
迷っているのは自分達だけではない。提督だって軍議で多くの幹部を納得させてきたのに、その上でさらに艦娘まで納得させろと迫られているようなもの――ただでさえ大怪我をおして戻って来た彼を追い詰めたいわけではないが、聞かずにはいられないというジレンマが彼女達を気まずくさせた。
「……一部だけ、話そう。だが一部だ。長門、お前は病室で、俺を信じると言ってくれたな。だから俺もお前達を信じて話す。続きはお前達が帰って来てから話すと、約束しよう」
生還前提の約束を否定する者などおらず。艦娘達は黙り込む。
「私はお前達を知っている。それはここに来たばかりの時にも言ったが――私は、深海棲艦の事も、知っているのだ」
「どういうこと……?」
長門や飛鷹達は黙っていたが、皐月が純粋に問うてしまう。
その続きは作戦が終わらねば聞けないのではと思っていたが、提督は皐月の目にやられたという風に息を吐き出して言った。
「……艦娘の事も、深海棲艦の事も知っているのは――私は全てを見ていたからだ。だがここでは勝手が違う。しかし知識があるのと無いのとでは雲泥の差が生じる。私はそれを以て軍部の者達から信用を得て、お前達の指揮を頼まれた。長門も、飛鷹も、隼鷹も……皐月も卯月も文月も、昔は軍艦だった、違うか?」
「そりゃ、そうだけど……」
隼鷹が戸惑った声を上げる。
「私はかつて、歴史をなぞっていた。深海海月姫というのも、空母棲姫と戦艦棲姫というのも、駆逐古姫というのも私の記憶にあり、知識にある存在だ。その中でも深海海月姫については長門に深く関係しているからこそ、お前を選んだんだ」
「私が、関係して、る……?」
「――クロスロード作戦を覚えているか」
「……」
長門はぽかんとしていた。何を言っているのか分からない、という顔でもなく、何故それを知っているのか、という顔でもない。ただただぽかんとしていた。
それがどういった意味なのかを考えても、長門の頭の中にはまばゆい光ばかりが思い出されて要領を得ない。
「長門、酒匂、プリンツ・オイゲン、サラトガ……その他多くの軍艦を標的とした核実験があっただろう。深海海月姫は――そのクロスロード作戦に参加していた、正規空母サラトガの可能性が高い」
「ぇ……?」
* * *
なんで提督がそんな事を知ってるんだよ!
隼鷹ならばそれくらい言うかもしれないという飛鷹の不安は杞憂に終わった。
彼女は長門と同じような表情をしていたからだ。
飛鷹とて問いたい気持ちでいっぱいだった。しかし前置かれた「帰ったら全てを話す」という提督の言葉を無下にも出来ずに、胸中に濃い靄がかかる。
全てをここで話さなくとも、何故、未確認の深海棲艦たる深海海月姫を海外の艦娘、正規空母サラトガと見ているのかは聞いてもいいだろうと口を開く飛鷹。
「どうして、深海棲艦がサラトガなの……? サラトガって、確か――」
飛鷹の声に隼鷹の声が重なる。
「アメリカから日本に来た艦娘だったろ。艦政本部の本部長と一緒に深海棲艦の研究をしてるはずだ」
らしいな。
そう言った提督は手袋に包まれた左手で顎を撫で、右手をポケットに突っ込みながら話した。
「深海棲艦についてはいくつも説がある。過去の怨念とやらが表出した形が深海棲艦であると言う者もいたし……怨念にとりつかれた艦娘であるという説も、それらを複合した説もある」
「えっ……!? ま、待ってくれ提督! わ、私達艦娘が深海棲艦と同じ存在だと言いたいのか!?」
長門が思わず声を荒げるも、提督は動じることなく言葉を紡いだ。
「ありえない話ではない。しかし私にとって重要なのはそこじゃない」
「重要だろう! わ、私達が、深海棲艦と同じなど――!」
既に艤装を展開して海に浮いている状態の長門は、ざざ、と岸壁へ寄って提督を見上げる。
提督は痛みに一瞬だけ呻きながらも、その場にしゃがみ込んで片膝をつき、長門へ目線を合わせるように顔を向けた。
「重要では、無いのだ。これは私の見解だが、どうか聞いてくれんか」
覚悟を決めた顔のままで、あんまりに優しい声音で言われては長門もさらに声を荒げるなど無粋な真似はできず、形になった言葉を口から吐き出せないままに、でも、いや、と分解されたような言葉にしてぽつぽつと言った。
飛鷹達も駆逐艦の三人も衝撃的過ぎる提督の言葉に硬直したまま、続く言葉を待った。
「人は争うものだ。時には非道な方法で傷つけあい、多くの理屈を並べて言うのだ。これが私の正義だと。そして、相手も同じ事をする。争っている時、相手に向かってこう言うのだ――お前は敵だ、と」
「それは……っ」
「なにも高尚な正義を説くために話しているのではない。何度も言うが、これは、海原鎮という男の考えに過ぎん。深海棲艦は人を襲い、傷つける。故に倒すべき存在である。ああ、その通りだ。異論はない。同意だ。私は今や柱島泊地を任された提督であり、日本海軍の大将という立場にある――ならば部下であるお前達を守る義務があり、人を守らねばならない責務がある。だから、艦娘だ、深海棲艦だ、というのはあまり重要ではないのだ。有り体に言うならば、これが私の仕事なのだ。もっと言えば……日本を守ろうというお前達を守るのが、私の仕事だ」
「ぅ、く……でもっ……!」
「長門。考えて見てくれ――私には、お前達の知識と、深海棲艦の知識があるのだぞ。そんな私には、お前達のような頼れる部下がいる」
提督は手袋を外してポケットにねじ込むと、長門の顔へ両手を伸ばして頬を包んだ。
「深海海月姫を――サラトガを、救える可能性があると言うことなのだ」
「――!」
全員の表情に変化が現れた。
驚愕だけにあらず、そこには疑念と――希望があった。
「クロスロード作戦に参加した艦という繋がりから、長門の一撃であれば深海海月姫を撃破出来る可能性は高いと見ている。私らしく言えば、長門は特効艦だな」
「えっ」
長門の口から空気が漏れる。
「とっ――特攻!? 待ちなよ提督、流石に聞き捨てならないよ特攻なんざ!」
隼鷹がざばざばと乱暴な足取りで港へ近寄れば、提督はしまったという顔で長門の頬から手を離して両手を振る。
「待て待て! 勘違いさせてしまったな! とっこう、などと言えばお前達ならばそう受け取ってしまうと考えられたのに……配慮が足りなかった、すまない。私の言うとっこうは、攻撃とは書かん! 特別な効果をもたらす艦と書いて、特効艦だ!」
説明するから、と軍帽を被りなおした提督は、片膝をついたまま全員を見回して話した。
「紛らわしい言い回しですまないが、特効艦とは知識にあるものでな。クロスロード作戦の標的となった軍艦である長門とサラトガには深い繋がりがある。単純にそれだけで凄まじい効果があって攻撃が通りやすい……という知識だったが、今は少し違う考え方をしているのだ」
提督は再びポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。
――妖精である。指につままれ、ぷらんとした状態の妖精は恰好とは裏腹に凛々しい顔つきをしていた。
それが場違いに面白くて毒気が抜かれてしまった面々は、余計な事を考えず、提督の話を聞いてみるべきだろうと心を落ち着けていく。
ぱっと手放された妖精はどこからか手品のように羅針盤を取り出して、駆逐艦達のもとへ飛ぶ。
「深海棲艦と艦娘が同じ存在であるかもしれないのも、ここからきているのだが……恨みか、憎悪か……私には想像し得ないナニカに囚われているものが深海棲艦で、それらから解き放たれた姿が艦娘であると見ている。だから、クロスロード作戦に参加したお前とサラトガの深い関係に意味があり、彼女を救えるのではないかと考えているのだ――もちろん、それ以外の理由もある」
長門が見つめれば、提督は嚙みしめるように言った。
「私の心を救い、地獄のような闇から解き放ってくれたお前達の事を――信じているからだ」
飛鷹が「なによ、それ」と言って、隼鷹が「かーっ、なんだよそりゃよ」と飛鷹に同調する。その顔は、暗いようには見えなかった。
一方で駆逐艦達は、虐げられていた頃とは真逆の言葉に目を輝かせ、感情を受け止めるのに精一杯の様子で互いに顔を見合わせて何度も頷きあっていた。
長門は――
「……信じて、くれるのか」
――今度は涙などではなく、眩い光で瞳を揺らしていた。
「当然だ。お前達の言うことなら空が落ちてくると言っても信じるだろうな」
はは、と笑った提督は気恥ずかしそうに帽子を目深に被ろうとしたが、長門は手を伸ばして提督の腕を掴み、両手を包むように握って大きく息を吸い込んだ。
「提督の話も、信じるよ。帰ったら聞かせてくれるのだろう? その、全てを」
「……ああ、きっと驚くぞ。荒唐無稽なんてものじゃない、嘘も甚だしいと皆に怒られるかもしれん。もしかすると、嫌われてしまうかもな。だが、絶対に話すと約束する。お前達には、嘘なんて吐きたくないからな」
「――そんな事はないさ。きっと、皆……」
受け入れてくれるに決まってる。
しかし長門はそこまで口にせずに顔を伏せて数秒、よし、と声に出して提督の手を離した。
「歴史を見てきた、か……なら、私の事を何でも知っている、というのか、提督は」
「何でもじゃないさ。分からない事の方が多い。だからこれからたくさん教えてくれ。俺の知らないお前達を。歴史を塗り替えるお前達を」
「……なら、一つここで歴史を塗り替えよう」
長門は岸壁からある程度まで離れると、ざ、と優雅に、それでいて雄々しく振り返った。
傾きかけた陽光に水飛沫を輝かせながら、鈍色の艤装を照り返し、腕を組んで提督を真正面から見つめる。
塗り替えるとは、作戦を成功させるという意味だろうか? と考えていた提督だったが、そんな事は大前提だと言わんばかりの長門の表情に、不思議そうな顔を向けた。
「私と陸奥はかつて、無為な時間をここ柱島で過ごすことが多かった。伊勢達や、扶桑達も同じ、無為な時間を多く過ごした。そんな私達は柱島艦隊と言って揶揄されたりもしたんだ。知っているだろう?」
「長門……お前、それ……」
提督が腹部を押さえて立ち上がり、目を見開く。
「扶桑や伊勢達に続いて――今度は私が出るのだ。この長門をよく見ていてくれよ、提督」
ああ、ああ、と頷く提督は力強く言った。
「柱島艦隊、旗艦長門! 本作戦海域にて目標、深海海月姫を――救出せよ!」
長門が長い黒髪を揺らして背を向けるのに続き、飛鷹と隼鷹がばさりと袴を潮風に翻して背を向ける。
駆逐艦卯月が元気よく「頑張るっぴょん!」と言えば、文月と皐月が「うーちゃんは締まらないなぁ」と笑い、同じように背を向けた。
柱島艦隊の背中は――海原鎮の目にどう映っているのか。
「――戦艦長門、出撃するぞ! 続け!」
そうして彼女らは、海を往く。