柱島泊地備忘録   作:まちた

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九十九話 真心【大淀side・サラトガside】

 長門が戦線に加わったことにより、流れは大きく変わった。

 良い方か悪い方か、どちらとも言い難い方向へ。

 

【オチロ……!】

 

 空母棲姫から放たれる艦載機と呼んでよいのかすら分からない球形の飛行物体は、金属質な外殻からは想像もできない生々しい口を開き、目と思しき部分を光らせてキィキィと鳴きながら黒く煙る空を舞う。

 また、それとは別に鋭利な形状をした敵機は自壊を厭わず特攻し、一航戦や二航戦の艦載機と衝突して爆炎を噴き上げた。衝突の寸前に妖精が艦載機から脱出してふわふわと落下傘で海上へ落ちていくのを、すかさず別の艦載機が引っ掛けるように助け、一航戦達のもとへ送り返す。

 空母達はその場で補給をしながら、海上にある飛行基地と化して発艦し続けるも、深海棲艦の放つ敵機を徐々にしか押し返せない。

 

 それでも押し返しているとも言えようが、相手はたったの二隻なのだ。

 

 楠木少将は心臓を握りつぶされてから戦艦棲姫に突き放されたのだが、沈むわけでもなければ、ぼうっと佇み空を見上げて「全部、完璧ダッタノニ……ドウシテ、オレハ……独リニ……」と言い続けるばかりで、地獄となった海域に取り残されている。

 示し合わせたわけでもないのに、深海棲艦と艦娘がぶつかり合う戦場で楠木少将の周りだけがぽっかりと空間を作っており、時折横切る駆逐級深海棲艦とぶつかっては膝をついてしまうが、立ち上がって、また空を見上げる。

 

 大淀の目には、それがあまりにも虚しく、悲しく見えた。

 

 大淀以外の艦娘は戦闘に集中しており、誰一人として彼を見ている者はいない。

 

 その彼女でさえ、通信を統制し続けながらやっとのことで繋がった柱島泊地の通信室へ戦場の音声を届けるので精一杯で、視界の端にちらつく楠木少将を認識はしている、という程度。

 

「こちら大淀――長門さんの到着を確認しています! 現在、深海海月姫の損傷は中破! このまま戦線を維持すれば撃破出来る可能性は高いです――! しかし、物資消費も相当で、合流した艦隊の分を含めると……!」

 

《――こちら柱島。大淀、決して油断するな。敵を一塊にせず空母は切り離し続けろ。海月姫は長門に引き付けるんだ。長門の艦隊は別途物資を持たせてある、お前は空母機動部隊と水上打撃部隊の消耗だけを気にしていれば問題無いだろう》

 

「……了解!」

 

 戦闘の最中、長門から聞いた言葉に大淀は不安を抱いていた。

 全てを知っているような口ぶり、そして提督が長門達に伝えたらしい、彼女の口から聞かされた――深海海月姫の救出という新たな任務。

 

「提督は海月姫を正規空母サラトガだと知っていたんだ! 彼女を助けられると言ったんだ! 私ならば――!」

 

 大淀が戦場に来て、楠木少将を前にして、名を聞いてやっとのことで辿り着いた答え。

 提督はとうの昔に通り過ぎていた――ここまで来ては神算鬼謀などという文言では表現しきれない。

 さらに物資の消費速度まで見越していたように、一切の無駄がない。

 

 大淀の予測では、このままいけば物資が底をつく前に――勝てる。

 

 しかしそれこそが、大淀の不安だった。

 勝利への道筋が見えてきた戦場。地獄でありながらも、自分達に全てが傾いているかのような流れに違和感を覚えずにはいられなかった。楠木少将の捕縛も二の次でいいと長門に言っていたというのだから、軍部を説得したらしい提督の本気というものがここに体現されているのだとひしひしと感じる。

 

 ではどうして不安なのか――前にも感じたように、戦場として完成され過ぎているのだ。

 それが嫌であるとか、恐怖を感じているわけではないが、この場にいる自分を含めた全員が一つでも予想から外れるような動きをすれば何もかもが壊れてしまうような危うさを感じてしまう。

 勝利への一歩を踏み出したい気持ちと同じくらいに、この一歩が正しいのかと自らを疑う心が大きくなる。

 

「っ……――水上打撃部隊へ告ぐ! 戦艦棲……い、いや、駆逐古姫、を……」

 

 どちらを先に倒すべきだ。

 

「大淀さぁん! どっちぃ!? あっ……ぶない――!」

 

 島風が一瞬だけ動きを緩めて大淀に問うた瞬間、敵の砲撃が彼女の付近へと落ちて水柱を上げる。

 速力のある彼女は水柱から即座に距離を取って相手へ牽制の魚雷を放った。

 

 島風のみならず、今度は時雨が「戦艦からかい!?」と問う。大淀は返事をしようとしたが、迷いが生じて「せんっ……かん、か……うぅ……っ」と瞳が戦艦棲姫と駆逐古姫を追う。火力で言わば戦艦棲姫を先に叩くべきだが、駆逐古姫の素早い動きと、戦艦棲姫には及ばずとも駆逐と呼ぶには高すぎる火力と、隙を生じさせぬ雷装からの攻撃は無視できない。

 火力で押し切るならば小破であろうとも金剛型の四人で一気に叩くべきだ。徐々に削っていては空母機動部隊の物資が先に尽きてしまう。金剛型を戦艦棲姫にぶつけたとして、駆逐古姫と湧き続ける深海棲艦を水上打撃部隊の第二艦隊に任せるべきか? いいや、火力が間に合っていない。

 北上、大井、球磨、多摩の軽巡洋艦の四人がかりならば駆逐古姫を安全かつ一方的に攻撃出来るが、そうすると島風と時雨が多くの深海棲艦を相手にしなければならなくなり、島風ならば回避に重点を置いて隙を探れば良いが、時雨の速力では避けきれないだろう。乱戦になっているからこそ、彼女は戦えているのだ。それに、やはり火力が足りない。

 

 空母機動部隊の第四艦隊を引っ張って水上打撃部隊に加えるか? とも考えた。

 目だけで確認しながら数秒、数十秒、果ては数十分後まで予測するも、空母が危険に晒されてしまうと思考が止まる。

 空母機動部隊についている伊勢と日向は空母棲姫がゆらりと不気味に動いて近づこうとするのを牽制しているし、第四艦隊の摩耶と羽黒、陽炎と不知火、神風は敵機を撃墜していて川内は中破。制空維持に貢献している第四艦隊を水上打撃部隊へ割いてはせっかく優勢に傾いている制空を奪われてしまうだろう。

 

 手札がない。

 

 かと言って水上打撃部隊のジリ貧が続けば金剛型四人の小破もあって損害が拡大しかねない。

 新戦力たる長門が海月姫を引き受けてくれたが故の航空優勢。長門が連れて来た駆逐艦の文月、卯月、皐月も十二センチ単装砲以外は長門の物資しか積まれていないため、長門の補助は出来ても戦力として投入するには危険すぎる。

 せめて戦艦棲姫と駆逐古姫だけならば――たらればが頭を埋めていく。

 

 手札が、ない。

 

 提督が送り込んだ長門達を加えてこの戦線であるというのに、完璧にしか見えないのに、勝利への道は見えているのに、どうしてギリギリなんだ……?

 提督が落ち着いているのは、どうしてなんだ……?

 

《――大淀、焦るな》

 

「提督……っ!」

 

 大淀は無意識にどうすればよいのか考えている内容を口にしていた。

 通信越しに聞いていた提督からの低い声にハッとして眼鏡のつるへ指をあてながら返事するも、焦燥感は募るばかり。

 

《……勝負は一瞬だ。ほんの一瞬なんだ》

 

「勝負は、一瞬……」

 

《たった数秒かもしれん。お前ならば必ず出来る。そう、私が――》

 

 保証する、と大淀の頭に浮かんだ言葉は、塗り替えられた。

 

《――信じている》

 

 大淀は目を見開き、戦場の様相と真逆に、思考の海が凪いだのを感じた。

 この戦場を聞いていて、提督はきっと知っていて、それでいて信じていると?

 

 私達の性能を見て勝てると思っているのかもしれない。もしくは、これだけの大艦隊をぶつけているのだから勝てるというどうしようもない、前提督のような考えをしているのかもしれない。

 そんな邪な思考から、冷静な思考まで、あらゆる考えがまっさらになって、海色に溶けて消えてしまった。

 

「……水上打撃部隊に告ぐ! 攻撃を中止し、回避運動を!」

 

「はぁ!? 何言ってるのよ大淀さん! 正気なの!?」

 

 大井の声に「正気です!」と返した大淀は、通信越しの提督と山元大佐の会話を耳にしながら、目を細めた。

 

《閣下、本当に大丈夫でありましょうか……!》

《どこに問題があるんだ? 大淀は連合艦隊旗艦だぞ、任せておけばいい》

 

 周囲には投げやりに聞こえるかもしれないが、大淀には――自ら踏み出せと聞こえた。

 故に大淀は地獄の底みたいな戦場で息を殺し、自分の言う通りに動いてくれる水上打撃部隊に感謝しながら、ざあざあと後退して戦場全体を見渡す。

 

 轟音と黒煙の支配する海を見て――まだ、まだ、と光を探すように目を忙しなく動かした。

 

 右舷前方に駆逐艦、左舷には軽巡洋艦、数えるまでも無く一目で劣勢と分かる数だが、もれなく全員が眼前の敵を撃ち沈めるのに意識を持っていかれているため、大淀に砲撃は飛んでこなかった。

 大淀の凪いだ思考から徐々に波が生まれる。

 

 大淀型軽巡洋艦一番艦――彼女は不穏を察知する能力に長けていた。

 かつての戦争では補給もままならない状態で空襲を回避した。

 時に爆弾を二発、至近弾を受けたりもしたが、全て不発だった豪運もあった。

 

 今、ここで――()()()を超える戦果を挙げる――。

 

 回避に専念する第一、第二艦隊に向かって「第一艦隊は梯形陣を! 第二艦隊は警戒陣のまま第一艦隊の砲撃範囲から抜けて周囲の深海棲艦を引き離してください! 空母機動部隊の皆さんは艦上戦闘機の発艦を続けて――! 伊勢さん、日向さんは航空隊の前へ!」と大淀が怒鳴った。

 

 何故通信ではなく声で? そんな疑問を投げかける刹那の時間すらなく、全員が連動する。

 戦艦棲姫と駆逐古姫が水上打撃部隊の動きに反応し、大淀を横目に見てにやりと笑った。

 

 そうやって誘導するつもりか。ならばこちらは逆の逆を突いて、お前を襲ってやろう。

 ぎしり、と戦艦棲姫の恐ろしい姿をした艤装の砲身が大淀に向き、駆逐古姫がゆっくりと動きを合わせる。

 

 水上打撃部隊はその時になってやっと大淀の策に気づき、同じくして空母機動部隊の面々も大淀が何を待っているのかに気づき、凄まじい鉄の嵐の中であるというのに、笑みを浮かべる。

 深海棲艦達はその笑みに怒りを露わにして猛った。

 

 そして、時が来る。

 

【シズミナサイ!】

 

 戦艦棲姫の絶叫。

 

【ヒノ……カタマリトナッテ……シズンデシマエ……!】

 

 空母棲姫の怨嗟。

 

【ナンデサ……ナンデ アキラメナイノヨォ……!?】

 

 駆逐古姫が艦娘達の希望に光る瞳に戸惑う。

 それから――砲撃音が止んだ。

 

【ナッ……!?】

 

 それは非常に単純な事だった。周囲に湧き続ける深海棲艦も、戦艦棲姫も空母棲姫も、駆逐古姫も、隙が生まれたのならば最大火力を以て撃滅しようとする。ともすれば、激しい砲雷撃戦、繰り返される発艦に装填という行為が間に挟まる。苛烈極まる戦場であるからこそ、轟音に紛れて互いが無意識に行っていたそこに――大淀は勝機を見出したのである。

 彼女は、あえて相手に対して一斉に装填させる隙を作ったのだ。

 それに気づいて回避に専念していた艦娘達は既にいつでも反撃が出来るようにと、回避しながらに装填を済ませていたのだった。

 

「そう――これが本当の大淀型の力よ!」

 

 戦艦棲姫の背後で、じゃりん、という音がした。金剛型の四人の砲身が向いたのだと知るのに、振り返る必要は無かった。

 空母棲姫の真横で、がこん、という重苦しい音がした。伊勢と日向の突き刺さるような戦意が向いたのだと知るのに、やはり動く必要は無かった。

 駆逐古姫の周囲で、艤装が稼働する多くの音が響いた。火力の心許ない、我が装甲を貫けないはずの軽巡洋艦や駆逐艦に油断してしまったのだと気づいた時には、もう自らに残された道は無かった。

 

 切り離されて戦闘を行っていた海月姫さえも、長門達によってあっという間に追い詰められ――提督の言う通り、まさに一瞬で互いの運命が決まった。

 大淀が十五.五センチ三連装砲を構える。

 

 

 

「全砲門――よーく狙って――」

 

 

 

【ナンドデモ……クリカエス……カワラナイ…カギリ……!】

【ダメナノネ……】

【ク、ソ……艦娘ドモメ……!】

 

 

 

「てぇえええええええっ――!」

 

 

 

 真昼のような光が、辺りを包んだ。

 

 

* * *

 

 

「コレデ……コレデ、イイノカモシレナイ……ワタシハコレデ……ホントウニ、ネムリニ……」

 

 長門から放たれた砲撃に倒れながら、私は日本の艦娘達が何かを叫んでいるのを聞いていた。

 肌を焼いていた得体の知れない青い炎や、引き攣るような半面の感覚が溶けだしていくような心地良さに安堵しつつ、一抹の悲しみを重りにして暗い暗い水底へ沈んでいく。

 私の周囲で、多くの深海棲艦が同じように沈んでいくのが見えた。

 

 苦しそうに藻掻きながら沈んでいく空母棲姫と呼ばれた深海棲艦や、巨大な手に全身を委ねたまま眠るように沈んでいく戦艦棲姫。

 片腕の艤装がばらばらに砕けて、その破片を追うようにして沈んでいく駆逐古姫をぼうっと眺め、海面を見上げた。

 

「コノ、ヒカリ……」

 

 過去の記憶が掘り起こされた私は、どうして長門がやって来て、私を沈めたのか理解した。

 いいや、理解したつもりになっただけかもしれない。人々を守るために、国を守るために最後の最後まで身を捧げた長門のことだから、私が過去に泥を塗る前に沈めてくれたのかもしれないと考えた。

 

 しかし、そうすると、最後の砲撃の轟音に紛れて聞こえた言葉が引っかかる。

 

「目を覚ませ」

 

 彼女は確かに、私に向かってそう言った。目を覚ませなんて言いながら撃つなんて、酷い人だわ。

 おかしく感じてしまった私は脱力した笑みを浮かべながら、どんどんと沈んでいく。

 

 計算し尽くされたような完璧な布陣だった。眼鏡をかけたあの艦娘が考え出したのか、元々そういう作戦だったのか、今となってはもう分からない。

 互いの砲撃が当たらない位置、維持され続けた制空権。最後の一撃を放つ、あの一瞬まで保たれた緊張。

 艦載機の残弾までも数えていたのかと疑うくらいにぴたりと止んだ音に感動すら覚えた。

 あんなに静かになる戦場があったのか、と。

 

「……デモ」

 

 もう少し、艦娘でいたかった。そんな思いが去来する。

 脳裏をかすめる艦娘になってからの記憶は美しくもあり醜くもあった。

 

 ()()()はどうしているだろう? ゆるゆると首を回して姿を探せば――私と同じように沈んでいく彼の姿が遠くに見えた。ああ、あんなに離れていたのね……そう考えながらも、私の手は伸びてくれずに、ゆらゆらと揺れるばかり。あれだけの砲撃なのだから、巻き込まれていて当然だ。

 人々を救おうと研究していた彼はどうしてああなってしまったのだろう。

 

 私が、愛してしまったからいけなかったのだろうか。

 

 艦娘が人を愛したから、世界が怒って私と彼を引き裂いたのだろうか。

 

 それとも――私は最初から愛されていなかったから、こうなったのだろうか。

 

 まとまりのない想いの形がぶつかり合っては消えていく。

 

 出会った頃の彼は機械的で、ただ艦娘と深海棲艦を研究し、人類の存続を考えていた。

 私も仕事と割り切ってパイプ役に徹していたが、ひたむきに仕事に打ち込む彼の姿が素敵だと思ったのが、始まりだったか。そこから母国と日本のパイプ役というよりは、彼の補佐として付きっきりになって、それから……それから、どうしたっけ。

 

 約束を、した気がする。

 

 あれは確か、深海棲艦の通信方法を探る研究の際に出来上がった受信機の説明をしている最中で、私がたわいない言葉を発したのが最初だった。

 

 静かで綺麗な海を見てみたいんです。

 いつも海の上を走っていたけれど、今は足があるから――今度は歩いてみたいの。

 

 彼は私に、渚を歩きたいのか? と問うた。渚の意味が分からなかった私は、受信機の説明をしていた最中だったのに辞書を探し出して調べたりして。

 

 いつか歩けるようになる。深海棲艦のいなくなった世界で、好きなだけ歩けばいい。

 

 私はそう言った彼の微笑みに心を奪われたんだ。

 

 なら、その時はあなたと歩きたいわ、と言ったんだ、私は。

 

 はっきりと思い出した時、一抹の悲しみが膨れて、重みを増し、水底へ沈んでいく速度が上がった。

 ぐ、っと全身にかかる力が、私の中に残っていた空気を全て押し出していく。綺麗な水の泡が上へ上へと昇って行くのを見つめ、全身の真っ白な肌が剥がれていくのを見つめ、これが終わるという感覚なんだと目を閉じた。

 

【サラ……サラ……】

 

「声……?」

 

 一度閉じた重たい瞼を持ち上げて辺りを見ると、沈みながらもこちらへやってこようと身を捩る彼が見えた。

 私は――

 

「……ごめん、なさい」

 

 ――動けないまま、声を紡ぐ。

 海の中なのに、苦しいのに、どうして声が出せているのかなんて考えもしなかった。

 ただ、彼を壊してしまったのは私かもしれないと、謝っていた。

 

【オレヲ……オイテ、イカナイデクレ……サラ……オレガ、スベテ……カン、ペキニ……】

 

「あなたは……最後まで、真面目なのね……」

 

 二度と悪夢を繰り返さないための研究だと言っていたのに。やっぱり、全部私が……そう考えると体がさらに重くなって、沈んでいく。

 

「ねえ、あなた」

 

【サラ……――】

 

 彼の姿が近づいて来て、もう少しで手が届きそうな距離だった。

 

「私のこと……愛してる……――?」

 

【アア……アイシ、テル……サラ……】

 

 嗚呼、これで少しは、私の心も――

 

【オマエガ、イレバ……シンカイ、セイカンモ……ゼンブ、ゼンブ、シズメラレ……】

 

「ぁ……な、た……」

 

 彼の手が私に届く前に、光の消えそうな暗い海中にあり得ない音を聞いた。

 けたたましいエンジンの音――風を切るプロペラが回る音――。

 

 私どころか、彼も驚いたように音のした方を見た。それは、深海からだった。

 

 どうして深海から音が聞こえて来たのかを考えるよりも前に、真っ白な手がいくつも伸びてきているのが見えて、死んだ身であるというのに恐怖した。あれらは私を捕まえようとしているんだと本能で理解したのだ。

 

 そんな真っ白な手を振り切るように、ぶわりと割って飛び出したのは――飛行機だった。

 

 深海から飛び上がって来た飛行機は優雅に泳ぐように真っ白な手の追随を回避しながら、空母棲姫や戦艦棲姫を横切り、駆逐古姫の真下を通ってこちらに迫って来る。

 

「あれは……!」

 

 私の声よりも速く迫った飛行機は、下部にある一本の脚のようなものを私のすぐ横にいた彼の身体にがつんとぶつけて飛び去って行くも、反転してまた迫って来る。

 その上さらに機体の上下を反転させており、がたがたと上部のコックピットが開かれようとしているのが見えた。

 

【マ、テ……マッテクレ……! オレハ、マダ……!】

 

 機体をぶつけられた衝撃で離れて沈んでいく彼を見た後、私は混乱しながらまた飛行機を見た。

 がしゃん、と海中に音を反響させながら開かれたコックピットから日本人らしき男が顔を出して、片腕を伸ばしたまま迫る。

 

 激しく回るプロペラに、古そうな機体のエンジンの発するチカチカとした光に続いて、海面からうっすらとしか届いていなかったはずの陽光が強くなっていくのを感じた。

 

「な、なに……が……何が、起きて……どうして、飛行機が……」

 

 私が空母だから、こんな夢を見ているのだろうか。

 これは走馬灯の一部が見せた幻なのだろうか。

 

 陽光が私の視界を奪っていく。

 飛行機から手を伸ばす男の顔すらも逆光で見えなくなっていくのが、いつか沈んだあの時みたいで、私は――

 

「この、光……私……」

 

 ――また、沈むのか。

 今度こそはっきりと、沈みゆく現実に恐怖を覚えた。

 彼からも愛されていなかったと認識した上での恐怖は孤独を伴ってより色濃く私を襲うようだった。

 けれど、

 

《ザッ……ザーッ……ザザッ……こちら長門! 提督! 海中から反応がある! 何かが浮上しているようだ!》

 

《警戒を解くな。何が起きても対応できるように構えておいてくれ》

 

《了解……!》

 

 声が聞こえて、いや、違う、ただの声じゃない。

 これは、通信だ。

 

 私の身体は沈んでいる途中で止まり、眩い光の中から手が伸びて来て、私は無我夢中でその手を掴んでいた。

 諦めていたつもりだったのに、本心では生きたかったのだろう。

 生きたところでどうすればいいのかも分からないのに、それでも私は、飛行機から伸びて来た手を掴んでいた。

 

 

「私だって……サラだって、まだ……――!」

 

 

 

「――よく言った。孫によろしく伝えてくれ」

 

 

 

「ぇ、あ……!?」

 

 

 力強く私の手を掴んだ男、もとい飛行機はぐんぐんと海面に近づいて――。

 

 

* * *

 

 

「ぷぁっ……! ゲホッ、ゲホゲホッ、カハッ……!」

 

 息が、苦しい。

 

「浮上を確認! 浮上を確認しました! 曳航の準備を! 物資補給部隊の皆さん、お願いします! 摩耶さん、深海棲艦の残骸が邪魔にならないように一緒に航路を確保していただけますか!」

「あ、ああ! ははっ、本当に助かりやがった……すげえなおい……どうなってんだよ、ほんっとによぉ!」

 

 身体が熱くて、潮の香りが、胸いっぱいに広がっていて。

 

「ハァ……ハァ……ケホッ……こ、こは……私、どうして、ここに……」

 

 耳に残る飛行機のエンジン音が、周りの声を鈍くしていた。

 ばしゃりと目の前で膝をついて私の肩を掴む、長い黒髪の艦娘と目が合う。

 

「聞こえるか? 分かるか!? 私だ……!」

 

「あ、なた……は……」

 

「どこか痛いところは無いか!? すまない、一度、沈めなければならないと聞いて……やむなく……だが良かった……もう大丈夫だ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「Nagato……?」

 

「ああ、そうだ! 私が長門だ! 艦娘になってからは初めて会うな、サラトガ!」

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