柱島泊地備忘録   作:まちた

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百話 提督と艦娘

 浮上したサラトガを曳航する道中に深海棲艦が出現してきた、などという報告もなく、彼女らは任務をつつがなく終えた。

 急場をしのぐためとは言え、柱島泊地近海に出現した深海棲艦の撃滅に際して大艦隊が組まれた事は日本に波紋を呼ぶ結果となった。

 

 それよりも前に様々な要因があったが、八代少将が呼び出した軽巡棲鬼を皮切りに、世界中を襲った大侵攻と匹敵する規模の深海棲艦が撃滅された事は日本海軍を以てしても隠し通せるわけもなく、ならば国民を安心させるべく大々的に報道してしまえ、と連日連夜メディアを賑わせた。これは、海軍情報部の忠野の仕業らしい。

 仕業、というのも、艦娘達からしての見方であり、当の本人はニュースや新聞が自分の名前一色になっている事など知りもしないだろう。何せ彼は、トラック泊地周辺海域と寄港中の宿毛湾泊地から帰還した艦娘達を港で迎えると安心で糸が切れたように倒れてしまい、そのまま呉の軍病院に再び搬送されてしまったからだ。

 

「おかえり」

 

 この一言を言うためだけに彼は艦娘が戻って来るまでの数時間、港に立ち続けていたと聞かされた作戦に従事した艦娘達は、彼が軍病院で目を覚ます二日後まで気が気じゃなかった。

 佐崎という軍医が柱島泊地に逐次彼の状態を連絡して命に別状はないから安心しろと言っても、なお艦娘がソワソワとするものだから、早く指揮に戻って欲しいとボヤいていたとは、佐崎と共に彼の傍についていた陸軍の法務士官松岡中将の言である。

 彼が目を覚ますまでは海軍元帥と陸軍大臣の命令によって呉鎮守府、及び軍病院の周辺は首相顔負けの厳重警戒が敷かれ、二日間は物々しい空気が呉を覆っていた。

 一般車両が近くを通りがかっただけで止められて身分証明をさせられたというのだから、市民からしたらいい迷惑のような気がしないでもないが、呉に住む人々は身分証明を快く受け入れて、軍病院にて眠る男を心配していたという。

 これに驚いた警備にあたっていた憲兵達は改めてかの偉業がどれだけ異質なものであるかを再認識したのだとか。

 

 彼は忠野の言いつけた通り、日本海軍において比類なき戦果を挙げた。

 これをきっかけに彼の名を知らぬ軍人はいなくなった。

 海軍情報部によって多少の改変が加えられているが、地獄を生き延び、それに巻き込まれてしまったアメリカの艦娘を救った、ということになっている。

 海軍で一番の大規模作戦の指揮を執った男――その指揮下で鬼神もかくやと奮戦し、途方もない数の深海棲艦を全て沈め切った艦娘の存在は、不安を煽れど、それを超える希望となった。

 

 水上打撃部隊第一艦隊、旗艦、金剛。以下、比叡、榛名、霧島、鳳翔、足柄。

 同上、第二艦隊、旗艦、北上。以下、大井、球磨、多摩、島風、時雨。

 

 空母機動部隊第三艦隊、旗艦、赤城。以下、加賀、飛龍、蒼龍、伊勢、日向。

 同上、第四艦隊、旗艦、川内。以下、摩耶、羽黒、陽炎、不知火、神風。

 

 物資輸送部隊、旗艦、長良。以下、五十鈴、暁、響、雷、電。

 

 決戦艦隊、旗艦、長門。以下、飛鷹、隼鷹、卯月、文月、皐月。

 

 先行哨戒班、旗艦、天龍、以下、龍田、吹雪、敷波。

 

 先遣隊、南方開放第一艦隊、旗艦、扶桑。以下、山城、那智、神通、夕立、綾波。

 

 柱島泊地連合艦隊、旗艦、大淀。

 

 数にして四十七名の艦娘を動員した作戦が絶望を生むわけもない。

 

 日本海軍所属、艦政本部の元本部長である楠木和哲少将は深海棲艦生息地の特定のためにトラック泊地近海を調査中、第二次大侵攻に巻き込まれ戦死。同行していた正規空母サラトガは大侵攻を阻止すべく合流した柱島泊地の各艦隊と奮戦し、生還。

 楠木少将の研究は新たに本部長となった忠野中将に引き継がれ、問題無く続行されている――という事になっている。

 

 情報部と兼任しているところから勘の良い者ならば不都合を闇に葬るための人事であると分かるあからさまなものだったが、それらを言葉無くして黙らせる事が出来たのもまた、海原鎮大将と、彼の艦娘が打ち立てた戦果が成せる荒業と言えよう。

 

 忠野中将のみならず井之上元帥も、そして各メディアと通ずる広報部の橘中将もこれを真実であるとした。

 そも、そうしなければならない()()()()()()ため、渦中の艦娘であった深海棲艦研究派遣員であった正規空母サラトガもこれに同意し、真実であるとした。

 

 図らずも彼女は日本海軍の闇に巻き込まれてしまったが、同時に、日本海軍に融通を利かせられる艦娘の一人としてアメリカもこれに納得した形となる。

 一時的にでも帰国させては情報を抜かれてしまう危険性が高いと忠野は見ていたようだが、彼女は一切を真実としてそれ以外は知らないと貫き通しているという。

 サラトガの身柄がアメリカで宙吊りになってしまうことも無かった。

 というのも、深海棲艦研究員として彼女を引き取った研究者がいたからだ。その者は南方海域で海原鎮に救われた女研究者――ソフィア・クルーズという。

 

 これではまるでマッチポンプではないか、とアメリカ側の政府が疑念を抱いたのは言うまでも無いが、日本側の政府もまた自国の軍を否定していてはやり取りもままならないために、海軍再編を以てそれを納得させるしかなかった。

 手のひらを返されないためにと戦力の派遣も辞さない構えを示し、日本政府は諸外国に対して綺麗な言葉をたて並べて海軍へそれを押し付けたのだった。

 しかし井之上元帥はこれを是とし、再編するにあたって嫌疑から軍規の違反が確定した軍人を尽く前線へ送った。もちろん、そこに善悪の感情など一切無い。

 

 海軍元帥の立場から言わせれば、二度と過ちを犯しませんと誓った軍人達に対して慈悲をかけたに等しい行為なのだ。ならば前線で戦い、生きて帰って来いという猶予である。その上で、戦地で起きた事象の全てに対して自身が責任を負うとした。

 情報部が闇に葬った凄惨な事件も、彼が背負うべきであるからして、甘い汁を吸うために艦娘はおろか国民を裏切った者達の手綱を握ったのである。

 一度でも噛みつかれたら最後、井之上自身が稀代の無能として晒し者になって未来永劫、国賊として語り継がれてしまうであろう事も承知の上で。

 

 かくして、日本政府にとっての海軍のイメージは損なわれたが、失墜を免れた。

 自国の軍人の一部が諸外国と軋轢を生むどころか戦争になりかねない研究を秘密裏に続け、その爆弾が国を崩壊へ導きかけたのだ。煮え湯を飲まされるどころの話では無い。一方でそれを抑え込める戦力がある事も確認できた故に、一切合切を呑み込むしかなかったのもまた事実。

 家族を失った楠木という男の自我が生んだ孤独を恐れる気持ちと、悲しくも賢しい完璧主義がもたらした一連の事件は、こうして幕を閉じたのだった。

 

 世の中とは上手く出来ているもので、それを有能な者達が回すのだから釈然とせずともやはり呑み込むほかない。決して日本政府が無能ではなく、事態があまりに大きすぎたのである。アメリカや日本、諸外国といった枠組みではなく――人類の存続にまで発展したのだから。

 

 海軍の再編成――艦政本部の体制の見直し――所属している艦娘達の教育機関、並びに再編に伴う人員募集――さらには艦娘のみならず再編するために入って来る新たな人材を教育する手法さえも大きく変わり、訓練校が日本各地につくられる計画まで持ち上がった。異例のスピードで変わっていく海軍に、国民は称賛半分、不安半分といったところである。

 

 

* * *

 

 

 さて、目下の大規模作戦は大戦果を挙げ成功に終わったが、海原というしがない男の物語はまだ終わっていない。むしろ、ここが最大の山場というべきであろう。

 呉の軍病院から退院するのに丸一週間かかった。

 入院中は回復に集中させるために面会謝絶となり、軍関係者も元帥の許可を得た将官以外は様子を窺う事も出来なかった。元帥はたったの一度だけ柱島泊地の艦娘代表としてやってきた軽巡洋艦大淀の面会を許可したが、彼女は病室のベッドに横たわる海原の顔を見てすぐに帰ったという。

 

 佐世保鎮守府所属の軽巡洋艦阿賀野の艤装爆発に巻き込まれ、その破片の除去に開腹手術までしたのだから一週間の絶対安静は当然たる結果だが、軍医曰く「手術後一日で指揮に復帰して数時間も潮風に晒されたまま直立不動だったのだから、気絶で済んでいる事がおかしい」との事。その軍医の横で訳知り顔の山元大佐は「自分ならば一か月は寝込む」と大きく頷いたとか。

 ところで、艤装が爆発してしまったという当の阿賀野はどうなったのかと言うと、事故の件もあり保護という形で大本営に引き取られる形となった。

 佐世保鎮守府に所属している艦娘には阿賀野は無事だと説明した上で八代少将の運営についての聴取を行うと同時に、広報部の橘が一時的に預かる事で佐世保鎮守府に広がる混乱の鎮静化を図っている最中である。

 

 閑話休題。

 

 軍病院から呉鎮守府を経由して、軍部の大人数を伴って帰って来た海原鎮は――たった今、柱島泊地にある中枢施設内の講堂に立っている。

 海原の後ろには井之上元帥のほか、ずらりと軍部の男達が白色の眩い礼装で背筋を伸ばして立っており、一歩前に立つ海原鎮もまた胸に多くの勲章を輝かせた軍服姿で立っていた。柱島泊地にて勲章の授与式の()()をとって、災禍の中心となった柱島泊地の艦娘達と彼の間に横たわる問題の解決に踏み出したのである。

 

 背後の堂々たる顔つきの軍人達とは裏腹に、海原の表情は曇っていた。

 

 講堂に集められた総勢百を超える艦娘達の視線は海原一人に向けられており、いつか着任した時と同じようでいて、全く違う状況に艦娘達は煩悶した。

 

「……帰ったら話すと言っておいて、倒れてしまう情けない姿を見せて、申し訳ない」

 

 頭を下げる事から始まった海原鎮の話に、講堂が耳鳴りのするほどの静寂に包まれた。建てられてから数度しか開けられていない窓越しに海の音が聞こえた。

 

「病室で目が覚めた後、元帥から連絡を受けた山元大佐から、私が倒れている間の話を聞かされた。柱島泊地の運営責任者でありながら多大なる迷惑をかけた事を、重ねて謝罪する」

 

 艦娘は誰一人として身じろぎもせず、口も開かずに傾聴する。

 その様子に尻込みしているような海原の表情は、一週間待ちぼうけを食らった艦娘達からしたらもどかしく、早く先をと雰囲気で促すに至る。

 醸される雰囲気を察した海原は、癖のように軍帽を目深に被ろうとつばに指をかけたが、つばを押し下げるような真似はせず、逆に顔が良く見えるくらいに押し上げた。

 

「ここに来ている大本営の者達は、私の事情を全て知っている者達だ。本来ならばお前達に一番に話さねばならなかったのに、順番が前後してしまった事も、改めて――」

 

 聞きたいのは謝罪じゃない、と声を遮ったのは――なんと戦艦陸奥だった。

 

「提督、話したい事はそれなの?」

 

 軍部の者達まで揃っている場で私語を口にする意味が分からないほど愚かな艦娘達では無いが、軍部の者は誰一人として咎めず、これは彼と彼女らにとって必要なのだとぐっと気持ちを落ち着けた。

 海原のすぐ背後にいた井之上元帥も、わざわざ時間をとって東京から柱島泊地まで足を運んだのだから、事の成り行きを見守るべきだと鋭い視線のまま、皆を見つめた。

 陸奥の言葉を受けて、海原は一瞬だけ視線を下げてから、もう一度彼女達を見る。

 

「……単刀直入に、結論から言おう。私は――」

 

 声を大にして言いかけた言葉が、海原の喉に詰まった。

 

「私は……――海原鎮であって、海原鎮では、ない」

 

「は? 何よそれ……」

「海原鎮やないて……別人っちゅうことか……?」

「紛らわしい言い方で分かんねえって」

 

 講堂がざわめくも、数秒して言葉の続きを待つように静まった。

 それを見計らって海原は言葉を紡ぐ。

 

「単純で、複雑な事だ。言っていて自分でも意味が分からんが……私は元々海軍に所属していた海原鎮という人物と同姓同名の、別人だ」

 

 艦娘達の声が重なり、まるで波の音のようだった。

 

「海軍に所属していた一人目の海原鎮は、太平洋上で保護された、お前達が軍艦として戦っていた頃の軍人だったらしい。信じられないだろうが――日本海軍大将、海原鎮は――私の祖父だった」

 

 少し代わろう、と言って重い足音を立てて井之上が海原の横に立った。

 腰の後ろへ回された手を前に持ってきたとき、数枚の紙があらわとなる。

 遠目には詳しい内容まで分かるわけもないが、一目でそれが彼女達が一度目の生を受けた時代のものであるのが分かった。

 

 艦娘達の先頭に立っていた大淀の目が見開かれる。

 無線付眼鏡に反射する光の中に見た書類は、いつか、見たことがあるものだ。

 いいや、見たことがあるというのもおかしな話か。それを彼女は、知っている。

 彼女はそのために建造され、それもまた、彼女のために建造されたもの――過去と未来を繋ぐ飛行機の計画書の一部であった。

 

「詳しい事は病院で海原が目を覚ました時にワシから話しておる。情報部の忠野が調べ上げてくれた……あの男の生きた証がこの世界にあるとは思わんかったが……」

 

 さらなるざわめき、だが声は止まらない。

 

「仮称二式高速水上偵察機――紫雲を駆る海原鎮飛曹長は、時代と世界を超えて海を守りに来た軍人だった。太平洋上で艦娘に保護された海原という軍人をワシが現代の軍人として戦場に駆り出したのだ。これは決して、妄言などでは無い。保護した艦娘、そしてあの男が指揮した艦娘達は多くの戦果を挙げたが、反対派や人権派といった内部抗争に巻き込まれた末に……亡くなった。海原の死後、あの男の旗下にあった艦娘は方々に異動し……捨て艦作戦にて、沈没しておる」

 

「そんな……元帥がいたのに、どうして……っ」

 

 また、艦娘達の中から声が上がる。

 

「――返す言葉も無い。内部抗争を鎮静化せねばならんこと、いつ侵攻してくるか分からん深海棲艦に対応せねばならんこと、日本政府とのやり取りや、陸軍大臣と協力しての外交……ワシは多くをこなそうとして、結果、かような失態を犯した。これについては後で言及するが……非難の的としてワシという存在を長に据え続け、時を見て前線に送った者達とともに座を降りる事となろう。老い先短いワシの死に価値は無い。時間が経つにつれ国民も多くを知る事になる……その時、ワシの首を吊るよりは、生きている間に声を受け止め、責任を負い、背を蹴られる事が……ここに居る海原の祖父である、飛曹長に出来る償いであると考えておる」

 

「……」

 

 静寂。それから、井之上に代わって再び海原が口を開いた。

 

「今、元帥が話したように……私は祖父と同じ、こことは違う世界から来た男だ。横須賀鎮守府の倉庫で保護された、軍人でも何でもない、ただの一般人だ。お前達の事を知っているのも、深海棲艦の事を知っているのも――私が生きていた世界では違う形で存在していたからなのだ。艦隊これくしょん――という名のゲームで、私はお前達が戦っているのをずっと見ていた。提督と呼ばれる艦これプレイヤーとして艦娘が戦っているのを、見ていた。だから知っていたんだ。海月姫が救えるかもしれないというのも、多くの深海棲艦が襲ってきたのに対処したのも、知識として頭にあったからこそ出来ただけに過ぎんのだ」

 

 ここまで言った海原は、軍帽をさっと脱いでからぴんと腕を伸ばし、深く頭を下げた。

 

「……お前達を騙すような真似をして……嘘を吐いて、本当に、すまなかった。こんな私に、お前達を指揮する資格など、ないだろう」

 

 数十秒の沈黙が講堂を支配した。

 その間に、艦娘達の中で互い違いに回っていた歯車が組み替えられていき――海原の過去の言動がどういったものであるのか、真意を掴むに至った。

 しかして不思議な事に、彼女らの中で歯車が組み替えられたというのに、相も変わらず、それは回り続けていた。

 

 変わらないのだ。何せ彼女らは海原鎮という男を、一人しか知らないのだから。

 ただ――

 

「ちょっち、聞いてええか?」

 

 艦娘達をかき分けて前に出た小柄な影。龍驤である。

 

「ああ。私に答えられることならば、なんでも」

 

 壇上に立つ海原が言えば、龍驤はしばし考えるような仕草をしてから、ぴっと人差し指を立てて言う。

 

「一般人て言うたな、司令官」

 

「ああ、そうだ。私は海軍の訓練を受けたことも無ければ、勉強したわけでもない……どこにでもいる会社員だった」

 

「はっはぁん……そか、そか。ほなちょい言わせて欲しいねんけどや」

 

「……うむ」

 

「こことは違う世界から来た、ただの会社員が、ゲームの知識だけでウチらを指揮した挙句、妖精にも命令するわ、山元大佐やら清水中佐やら、そこのお偉いさんを説き伏せてこの場を設けたっちゅうんやな。しかも司令官の前におったっちゅう同姓同名の軍人は司令官の祖父で? なんや、紫雲に乗ってたっちゅうんか」

 

「……そうだ」

 

 龍驤は、はぁ、と溜息を吐き出しながら額をぱちんと叩き、大淀を見た。

 大淀は目を潤ませて海原を見つめたまま動かずにいて、見れば、両手は震えていて、今にもへたり込んでしまいそうな雰囲気があった。

 龍驤が小声で「やって、秘書艦。どないや」と言ったのが決め手となり、大淀はついにその場に座り込んで制服の胸元を涙でしとどに濡らした。

 

 それを見た海原も泣きそうな顔になって、それでも涙を堪えながら頭を下げようとする。

 

「っ……本当に、すまな――」

 

「あーあー、ちょい待ちぃや司令官。勘違いしてんちゃうか」

 

 龍驤に続き、戦艦達の集まる中から長門の良く通る声が壇上の海原や軍人達を叩く。

 

「とんでもない男を連れて来てくれたな」

 

 長門の言葉に海原の顔色はどんどん悪くなっていき、軍帽を持つ手に力がこもった。

 それから、ぱさりと帽子を落とす事となる。

 

「世代を超えて私達を守ってくれるような男を、よく連れて来てくれたな」

 

 井之上は長門の言葉に目を丸くして、海原は下げかけた頭を上げて彼女達を見た。

 誰も言葉を紡がない中で、泣きながら震える声を上げたのは大淀だった。

 

「ひっ、ひぐっ……お、覚えているんです……私、覚えてるんですっ……!」

 

「大淀……」

 

 大淀は語った。軍人の名は分からずとも、自分から飛び立ち、優雅に空を舞い、私達を見守ってくれていた飛行機を忘れた事は一度たりともない事。

 その飛行機を駆るのは無理であると誰もが言っていたが、ただ一人、試験飛行した男が、その飛行機に乗る予定の者達へ「お前達ならば出来ると俺は信じている」と言っていたのを聞いていた事。

 言葉通りに紫雲に未帰還機は無く、無事に航空廠に還納された事。

 

 それらが、ここにいる、自分達の提督である海原と重なって見えた事。

 

「私、守らなきゃって、ずっと守らなきゃいけないんだって……ずっと、一人で戦ってるつもりに、なって……でも本当は、私が人々を守っている間に……提督達に守られてたんだって、気づいて……私ぃっ……!」

 

 大淀は覚束ない足取りで立ち上がると、一歩踏み出す。

 

「あなたが、会社員であったなんて……知りません……」

 

 もう一歩。

 

「別の世界から来たなんて話も、私に、とって、どうでも、いいんです……っ!」

 

 もう、一歩。

 

「私が……今の私達が知っている海原鎮は、あなただけなんですっ!」

 

 さらに一歩踏み出せば、壇上に立つ海原に手を伸ばせば届く距離となる。

 海原は壇上から降りて大淀の前に立った。正面から彼女の視線を受け、どんな事を言われようとも受け止めるという覚悟の決まった顔で、ああ、と返事をした。

 

「あなたが倒れた時、私がどれだけ怖かったか分かりますかっ!? 私だけじゃなく、ここにいる全員がどれだけ不安になったか――分かっているのですか!」

 

「……本当に、すまない。情けない限りだ」

 

「っ……!」

 

 違う。もっと、私が言いたい事はこんな表面上の事ではないと大淀の意識は心の奥深くまで潜り込む。

 

「私達の提督は――あなたしかいないんですっ!! 私達が聞きたいのは謝罪などではありませんっ!! もっと、言うべき事があるじゃないですかっ!!」

 

 海原は、小さな声で何度も「いや」「しかし」「私は」の三つを繰り返して、両手を虚空にさ迷わせる。

 壇上に立ったままの軍人達は目を伏せた状態で何も言わない。

 

「こ、これからも、私は、お前達の、指揮を執っても……お前達の傍にいても、いい、だろうか」

 

 不安げな声音に、大淀は涙を流しながら首を横に振る。

 海原はそれを見て絶望したような顔をして、そうだよな、と肩を落とした。

 

「そうじゃ、ないじゃないですか……提督……あなたは、私達が戻るまで、港で待ってくれていたじゃないですか……だから――今度は、私達に言わせてください。ね……?」

 

 あ、と口から空気が漏れたあと――海原は振り返って軍人達を見る。

 順々に軍人達が頷き、最後に、井之上がゆっくりと頷き言う。

 

「軍人にとって、これほどに大事な言葉は無い。ワシが言えた立場ではないが、会社員ではなく、日本海軍大将の海原鎮として――どうか、頼む」

 

 その核となる気持ちが海原の口から言葉となって紡がれた時――あの時のように、講堂が揺れた。

 

 

 

 

 

 

「……――ただいま」

 

 

「おかえりなさい、提督――」

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 あれから――長い時が過ぎた。

 

 第二次大侵攻という激動の年から数年が経っても落ち着きのない海軍は、新設された海兵訓練校の入校式が行われる日を迎えていた。

 入校式は各訓練校のある都道府県別に行われているが、日程は同じで、日本各地でお祭りムードである。

 

 訓練校が設立された当初は賛否両論の世の中は、入校式に合わせて一般人が出店で稼ごうとするくらいには強かなものだった。いつの世も商売だけは廃れないものである。

 それはさておき。

 場所は広島、呉。そこに一人の艦娘と、一人の新兵がいる。

 

 艦娘は白露型六番艦、五月雨といい、新兵の男は、相川栄一(あいかわえいいち)という。

 

 どうして提督でもない相川が艦娘を連れているのかと言うと、訓練校が設立されてから入校する際に行われる適性検査というものが原因である。

 日本海軍大将、海原という男と艦政本部の忠野中将が設立に大きくかかわっていると勉強したが、相川は詳しいところを良く分かってはいなかった。

 艦娘を指揮するためには特殊技能と言うものが必要になるのだと言われたが、それは軍機として明かされていない。

 入校前の適性検査については決して口外しないという誓約書を書かされた事と――妙な小人を見せられた衝撃だけは忘れられない。それが軍機である理由という事は確かだった。

 小人が見える、と驚愕にひっくり返ったところで、幻覚を見ているからと追い出されるものだとばかり考えていた相川はあれよあれよという間に艦娘と引き合わされ――今に至るというわけだ。

 適性検査に通った者には、初期艦娘、というものをあてがうのだとか。

 

 山元少将の運営する――海軍と言えば鬼の清水、閻魔の山元、の文言は有名だろう――広島の呉にある訓練校に入校する事となった相川以外にも、そこには多くの艦娘と新兵が二人一組で集まっていた。

 軍人と言えば男、という偏見のあった相川だったが、そこには艦娘ではない若い女性軍人の姿もちらほらと見受けられるのもまた衝撃であった。

 

「相川さぁん! 待ってくださいよぉ……! はぁ、はぁ……」

 

「おわ! ごめんごめん……緊張して早足になっちゃって……」

 

 そんな若き新兵、相川には夢がある。

 

「もぉ……これでは相川さんを護衛できません!」

 

「護衛って……ドジな五月雨に守られちゃ軍人なんて勤まらないよ」

 

「なぁっ!? 誰がドジですか!」

 

「五月雨も大本営で見た、ビシッとした大淀さんみたいな人だったら……」

 

「柱島艦隊のぉ!? や、あれは艦娘じゃないです。艦娘じゃない何かです。一緒にしないでくださいよぉ!」

 

「はぁ……」

 

「何の溜息ですかー!」

 

 それは、日本という国を守る立派な軍人となる事である。

 世論では、やれ艦娘の人権だの、やれ軍人は必要無いだのと言われるようになってきたが、深海棲艦の脅威は未だ世界中に潜んでいる。相川はいつしかヒーローのような軍人となって国を守るのだという青臭い夢がある。

 

 その第一歩が、この広島、呉にある訓練校には詰まっている――。

 

 齢にして二十代にもう少しで手が届く程度に若い相川は勤勉家だが、どこか夢想家でもあり、五月雨はそんな彼にピッタリだろうとは適性検査で出会った清水大佐曰く。鬼の清水大佐に出会った時は生きた心地がしなかったのは内緒である。

 訓練校へと足を踏み入れ、相川は五月雨と共に入校式へ間に合うようにと指定場所となっていた広場へ向かった。

 

「まず、入校おめでとう。諸君らはこれから二年という短い期間で海軍の軍人となるべく厳しい訓練と勉学に励んでもらい――……」

 

 お堅い軍人の演説を聞きながら、相川はぼーっとしていた。

 物々しい雰囲気が広場を包んでおり、自分とは縁のないお偉いさんでも様子見に来ているのだろうか、と頭の片隅で考えていると、隣に立つ五月雨に何度も肘でつつかれて、はっとして前を見た。

 ちら、と横目に五月雨を見ると、表情を緊張に強張らせているのが分かった。

 

 ははぁん、閻魔の山元少将でも来ているのか? と、相川が前を見ると――

 

「……さて。本日は柱島泊地より海原大将閣下が諸君らの入校を祝いに来てくださった」

 

「えっ」

 

 途端に周囲にざわめきが広がるも、曲がりなりにも訓練校に入校を果たす勤勉家ばかり。

 数秒しないうちに静かになった広場に、ごつん、と重々しい革靴の音が響いた。

 

 そこには――

 

「話は手短にしよう。ひとつ、君達に問いたい――」

 

 ――どこにでもいそうな男が一人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君達は――艦娘が好きか?」




これにて一応の完結です。
本作品を長らく読んでくださった皆様に感謝を申し上げるとともに、これからもまた本作品を思い出した時にでも読み返していただけると幸いです。

感想を下さった方々、多くの誤字脱字を修正してくださった方々、本当にありがとうございました。


追記:後日談も載せますので、今しばらくお待ちください……!

追記②:修正を完了しました。

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