『今日はもう休む。大淀は遠征部隊へ通達をしておいてくれ。それが終わり次第、お前も休め。間違いの無いように頼むぞ』
『っは、お任せください』
『……お前は頼りになる』
『そっ、そのような、あの、はい、頑張りますので……!』
山元大佐が帰った後のこと、提督は私が持ってきたタオルを受け取りながら、また海図を見つめた状態でそう仰った。
姿を消していた妖精たちも、いつのまにかまた提督の周りに集まっているのが不思議だった。
鎮守府の存続が危ぶまれる状況が重なったというのに提督は一切動じなかった。いいや、動じるどころか、遠征作戦にかこつけて大佐を追い返し、あまつさえ私を労り、お褒めの言葉を――
「おい、大淀! なにぼーっとしてんだ?」
「……っは! す、すみません、提督に言われたことの、えーと……整理を……」
「整理ぃ? ま、小難しいこと言われてんのかもしれねぇけどよ……オレにも分かりやすく頼むぜ?」
「天龍に分かりやすくとか、絵本にしなきゃダメなレベルだクマ」
「あぁっ!? そこまで馬鹿じゃねえよ!」
「ほんとクマ~?」
現在、私は軽巡寮に戻り提督から仰せつかった遠征作戦の概要を、遠征部隊の旗艦となる艦娘たちへ伝えている最中である。
天龍型軽巡洋艦一番艦、天龍――片目の眼帯が特徴的な艦娘は、がりがりと後頭部をかきながら私が持ってきた海図の写しに視線を落とす。
その天龍の横にいるのは、球磨型軽巡洋艦の一番艦、球磨である。彼女たちは非常に優秀ながらも、やはり欠陥品として前鎮守府から追い出された経歴を持つ。コミュニケーション能力に問題があるわけでもなければ、艦娘として能力的に劣るわけでもない。強いて言えば、個性は強いかもしれないが……それを理由に追い出されたとは考えにくい。
確か、天龍と球磨は同じ鎮守府からやってきたのだったか。
手元にない資料の記憶を探り、ちらりと二人を見やる。
軽巡寮の談話室で話をしているのは、もう一人。天龍と球磨の背後にある椅子に座り、足を組んで離れた位置から海図を見つめる艦娘――長良型軽巡洋艦二番艦、五十鈴。
「で? 提督は五十鈴たちに何をしてほしいわけ?」
単刀直入に問う五十鈴に、私はまた口を閉ざしてしまうのだった。
どう説明すべきか……任務自体は簡単な資材確保の遠征だが、提督が求められていることはそれに加えて何か、もう一つあるはず。
天龍や五十鈴と同じく海図に視線を落としたままに、私は唸った。
「うーん……任務は、遠征なのですが……」
「遠征かよぉ……」
「天龍、ただのおつかいじゃないクマ。これは任務クマ」
「分かってっけど、なぁぁ……遠征かぁぁ……」
「てーんーりゅー……?」
「な、そ、そんな目で見んなよ! 俺たちは艦娘だろ? 遠征なんかじゃなくて、やっぱ戦線に立ってこそっつうかよ……」
「世界水準とやらを超えた天龍には遠征は物足りないってことかしら?」
「ばっ、ちっげーよ! でもよぉ、五十鈴も戦線に立ちたいって思うだろ?」
「別に私は、任務ならそれに従うだけよ。まぁ? この五十鈴の提督なんだから、手堅く遠征任務から着手するのは悪くないと思うけれど。あの講堂での話……きっと提督は出世するわ。なんたってこの五十鈴の提督なんだもの――」
「《私たちの》提督です」
「お゛っ……大淀、目が怖いクマ……」
「……んんっ、失礼しました」
なんで私は五十鈴さんに噛みついているの……! 今はそんな場合じゃないでしょう、大淀……しっかりして……!
もう一度咳払いを挟み、私は海図を見ながら五十鈴、球磨、天龍に向かって欲しい海域に鉛筆で丸を書きこむ。それから、近海警備をする夕立たちが哨戒するであろうエリアにも丸をつけ、潜水艦隊が向かう海域にも印を書き込みつつ概要を説明した。改めて見ると、海図が埋まるほど手狭だ。
「資材を確保するため、明日、マルナナマルマルに提督より正式に遠征任務が発令されます。五十鈴さんと球磨さんは第二、第三艦隊の旗艦となり、駆逐艦を率いてこの海域にある資源を確保し、迅速に鎮守府へ帰還してください」
簡潔に伝えると、天龍が「俺は?」ともっともな質問。
「もちろん、天龍さんを呼んだのも、こちらの遠征作戦に参加してもらうからですよ。天龍さんは第二艦隊の五十鈴さんの帰投後、旗艦を移行して今度はこちらの海域へ向かってもらうことになります」
「俺が旗艦!? っしゃぁあ! 提督、分かってんなあ!」
「うるさいわよ天龍、もう夜なんだから」
「まぁまぁ、旗艦同士仲良くしようぜ、五十鈴!」
「あんたより先に私が旗艦になるんだけどね」
「それでも同じ旗艦だろ? へへっ、戦線に立つ前にゃ丁度良い運動に――」
「……話を続けますよ」
騒がしい通達になるなぁ、と胸中で息を吐きつつ、続ける。
「遠征目標が資材の確保なのはその通りなのですが、ただの遠征ではなく、これは大規模遠征作戦となります。艦隊の入れ替えを含めた五艦隊運用となりますので、しっかりとした連携が大前提なのを忘れないようにしてください」
「おう、心配すんなよ。俺たちは電探もあるしよ」
天龍が艤装の一部である耳のような電探を指先でこつこつと叩いて見せる。
私たち艦娘は、艤装を展開、装着することで艦娘としての能力を発揮できる存在だが、艤装が無ければただの頑強な少女……という訳でもない。正確には、常に私達は艤装の一部を身に着けて過ごしている。
天龍ならば耳のような電探。球磨の髪の毛の一部にしか見えないような、ぴよんと立ち上がるアレも電探らしい。そして、五十鈴のカチューシャもただの飾りではなく、ちゃんとした電探である。
私も艤装の一部が常に展開されている状態で、眼鏡は無線だったりする。広範囲の通信は出来ないが、柱島鎮守府の敷地内程度であればどこにいても私と話が出来るだろう。艤装を完全に展開すれば、海域を覆うレベルの通信が可能だ。
提督が私に任務の通達を頼んだのは、ただ手近にいたから、初めに会った艦娘だからついでに、という訳では無く、こういった艤装の機能が最大の理由であるように思う。
もちろん、それ以外の理由があるというのなら、それはそれで光栄の限りなんだけれど――
「大淀? お前、本当に大丈夫か? さっきからぼーっと……」
「着任初日から結構バタバタしてたっぽいクマ。しゃあなしクマ」
「頼むわよー大淀ー、大事な最初の任務なんだから」
「っは……す、すみません……」
い、いけない、いけない。任務の通達をしなきゃ……。
提督のことばかりを考えていたなんて知られたら、なんて揶揄われてしまうか分かったものじゃない。
私は誤魔化すように海図に記した丸印を線で結んで「えー、それで、ですね」と言葉を繋ごうとした。
羞恥を隠すためのこの行為こそ、提督の考えを掴む糸口になろうとは。
「うん? なんで繋いだのよ、その線」
五十鈴が首を傾げて椅子から降り、和室のような談話室の畳の上に海図を広げていた私たちのもとまでやってくると、一段高くなった座敷に腰をかけて海図を指さす。
天龍と球磨は座敷にあぐらをかいた状態で、五十鈴の細指が線をなぞるのを見ていた。
「いや、これは……」
「おー、柱島は面白いクマ。資源海域がうまいこと四角形だクマ」
「あ、れ……確かに、そう、ですね……?」
柱島を中心として、四角形の下が燃料、そうして、右辺、左辺に弾薬と鋼材。そこから少し上部に離れた頂点にボーキサイトと私の文字で記されているのが目に入る。
線でつなぐと、まるで柱島を囲むような図となっていたのだった。
「う、ん……? す、少し、待ってください……!」
「おう、いいけどよ……どした、大淀?」
「これ、資源海域……じゃ、無い――?」
「あぁ? どういう事だよそれ」
天龍の問いに私の頭が熱を帯びて回転していく。
線を引いたことによってすべてが繋がっている。いや、これは最初から、この鎮守府が立ち上げられた時から繋がっているのかもしれないと、私の言葉が追い付かないほどに想像が繋がっていくのが分かった。
提督は、やはり全てを知っていた――!?
「大淀、落ち着くクマ」
「ぇ、あっ……は、はい……」
「一つ一つ、順番に整理、クマ」
球磨が私の心を落ち着かせるような笑みを浮かべ、ぽん、と肩を叩いた。
球磨型軽巡洋艦の一番艦、多くの軽巡の姉とも呼ばれる球磨の声は、自然と私の耳から身体に溶け込んでいくような優しさがあった。
そのおかげか、私の頭の中に詰め込まれた数多の情報が距離を取ったような感覚と余裕が生まれる。
「……しかし、これは何処から、話したものでしょうか」
資源海域にしてはおかしい。これは資源海域などでは無く――海上の《資源貯蔵地》に見える。
四角形の左辺、鋼材があるとされる場所は私と提督が鎮守府に向かうために船に乗り込んだ岩国がある。
そして、弾薬があると予測される右側にはいくつかの島を挟んで、四国の松山。
下辺の燃料があるとされる場所には伊予市があり、そこから南西に向かって門のようにして伸びる海岸が続いていた。ここに燃料があるのは、妙としか言えない。そこから太平洋へ向かって出ていけるようにしているような……。
ボーキサイトがある四角形の上辺となる場所は、倉橋島、江田島を挟んで――呉がある。
山元大佐がこちらに来たタイミングもおかしい。初日に顔を見に来たことがおかしいというより、まるで敵地を視察しにきたかのような……い、いや、違う、ここは敵地などでは無い……。
あきつ丸が講堂で私たちに洩らしたように、山元大佐が艦娘反対派だとしても、百隻を超える艦娘が所属する鎮守府に数名の護衛のみでのこのことやってくるのもおかしい。アレの目的は提督を傘下として引き込もうとした行動では、無い……?
「あきつ丸さんは、ご存じ、ですよね」
途切れ途切れに言う私に、天龍が纏う雰囲気がガラリと変わった。先ほどまで姉らしい空気を出していた球磨は逆に不安そうな顔になり、五十鈴も同じ表情に。
「……ンだよ、あいつの話、マジだったのかよ」
「え……天龍さん、何か、あきつ丸さんから話を――?」
問えば、天龍は「少し前にこっちに来たんだよ」と前置いて話してくれた。
その時間は、提督が山元大佐と執務室で話していた時間だったように思う。
「元々陸軍の艦娘で、大本営に引き取られてたらしいじゃんか。色んなところをたらい回しにされた挙句、また大本営に戻されたって言ってたぜ」
「……」
あきつ丸は、出自を話したのか……。提督のお気持ちに触れたから、だけとは考えにくい。
「自分が空母だか巡洋艦だか分からねえって、笑ってたよ。龍驤が連れてきたんだけどよ、全員に挨拶してえって。ここにいるなら、全部話しておくべきだって」
「全部、とは――?」
「そのままの意味だったクマ。艦娘反対派から元帥に守ってもらえたこととか、その元帥に言われて、この鎮守府に来たこととか、クマよ」
「で、ではっ、提督が元帥とお知り合いであることも――!」
「それにはあきつ丸も吃驚したって笑ってたクマ。っていうかクマたちも驚いたクマよ……何者なんだクマ、アレ」
球磨は顎に手を当てて眉間にしわを寄せ、ぐーん、と不思議な声で唸った。
「私はそこまで詳しくは聞く気無かったけど、あきつ丸は義理を欠きたくないって言ってたわね。どんな義理なんだか知らないけど」
五十鈴がやれやれ、という風に首を横に振った。私の思考は一度クリアになったというのに、また深みへはまっていくような感覚に陥るのだった。
「あきつ丸が言うにはよ、ここ――呉鎮守府の盾なんだろ? 要は、結局俺たちは捨て駒ってことだ。もしかすると、提督がここに来たのも、逃げる準備期間、だったりしてな」
「……!」
私に電流が走る。視線は海図へ落ち、印が繋がれ四角形となったそれに息が詰まった。
「大淀が遠征だっつーから、心配し過ぎだったかと思ったのによぉ……」
天龍は眼帯の位置を直すようにもぞもぞと手を動かし、髪をさらりとかき上げる。それから、球磨を見て困ったような顔をしてみせた。
「あの提督が逃げるための時間を稼げってんなら、まぁ……少しでも俺たちに希望を見せてくれた礼として、喜んで盾になってやるけどな。もう、俺たちにゃそれくらいしか使い道は」
「提督はそんなこと――絶対にしませんッ!!」
「ぅおっ……!?」
「クマァッ!?」
「きゃっ!?」
「……あっ、すみませ――」
思わず絶叫した私の声に、三人が目を見開いてこちらを見ていた。
頭を下げようとした時、球磨の「天龍、今のはクマたちが悪いクマ」と小声で言うのが聞こえた。
「あー……悪ぃ、今の無し、な?」
宥めるように声を潜める天龍に申し訳なく、私は再び俯いて海図に視線を落とした。
目の前に広がる海図。私のつけた印に、四角に繋げられた線。呉が柱島を盾にしようとしているという言葉が何度も何度も頭の中で繰り返される。
提督は、そんな事しない。するはずがない。あの人は私に、夕立やゴーヤに、また飯を食おうと言ってくれたのだ。あれが嘘だなんて思いたくない。それだけは絶対に嫌だと胸が痛くなった。
口の中がどんどん乾き、唇を噛む。
「資材が無いから遠征っていうのは分かるけどよぉ、それにしても大艦隊を即時編成して明日の朝には作戦発令って、龍驤がバケモンだって言うのも何となく分かる気がしたぜ。彩雲まで開発してもらったらしいじゃんか。いいよなぁ……俺もどうせなら新しい主砲が欲しかったぜ」
「あ、はは……龍驤さん、自慢してたん、ですね」
「おう。すっげぇ自慢してた。な、五十鈴?」
「そうねぇ……うちの腕なら瀬戸内海くらいぜーんぶ見れるわ! とか言ってたわ」
「絶望的に似ってねぇクマ……」
「う、うっさいわね!」
本当に、逃げるために……私達を、囮にでもする、つもりだったのだろうか……。
わざわざ、開発して、近海警備をするからと龍驤を焚きつけて……。
「彩雲だったクマ? あれは、過剰戦力だと思ったクマ……」
「あはは、そうですね……工廠で見た時には、私も吃驚、で……――」
言いながら、五十鈴がやっていたように海図の線を指でなぞる私。
私の艦娘たる知識が無意識に彩雲の索敵範囲を目で追う。彩雲の航続距離を考えれば、確かに警備部隊や遠征部隊が散り散りになった海域を全て回ることも難しくないだろう。龍驤がどれほどの腕かは不明だが、少なくとも柱島近海、延いては呉や四国の沿岸部は確実に見られるはず。
これなら、提督が逃げている間に敵性存在が確認された場合にも安全に……
「彩雲を、近海警備に使うなんて、過剰戦力ですよね……です、よね……!?」
湖底の砂がかき乱されるようなざわめきが胸の内に生まれる。
提督の声が、言葉が、あの戦意に満ちた視線が思い出されて、私は両手で口元を覆い、海図を見つめて色を失った。
「大淀? あんた本当に大丈夫? 提督につきっきりだったろうし、何ならここで少し休憩する?」
「そうクマ、無理は良くないクマ。クマお姉ちゃんが美味しいお茶でも入れてやるクマ」
「おう球磨姉ちゃん、俺にも入れてくれよ」
「天龍も姉クマ。甘えるなら別の奴に甘えるんだクマ」
「んだよぉ……ケチくせえなぁ……」
「水雷戦隊を五艦隊……うち、一部隊は近海警備、入れ替え含めた四部隊は水雷戦隊で、全艦の武装指定なし……おかしい、遠征なら、ドラム缶でも、なんでも持たせるはず……!」
「お、おぅ……大淀の独り言すっげぇクマ……」
「やべえな、マジでお茶でも入れた方がいいぞ、これ」
「ま、あの提督の傍にずっといたなら、疲れそうなもんだけどね」
「山元大佐の訪問に何故驚かなかったのか……どうして、長門と私を連れて呉へ行くと言ったのか……呉方面への遠征隊は、長門と私の航行を邪魔しない、潜水艦隊……あぁ、こ、これは……!」
バラバラだった脳内のピースが、全て、ぴったりと、寸分の狂い無くはまり込んだ。
天龍たちが心配そうに私を見ているのに気づき、首を浅く振って見せて、一言。
「予想に過ぎませんが、提督に確認をさせてください」
「確認? 何だよ」
「今、提督に繋ぎます――」
私は無線付眼鏡のつるに指先を当て、執務室にある黒電話へと通信を試みる。
すると、あっさりと繋がった。まるで、提督が私を待っていたかのように。
『こちら柱島鎮守府、執務室』
凛とした提督の声が響く。
「夜分に申し訳ございません、提督。明日の遠征作戦についてですが――」
『あぁ、どうした』
「指定海域に艦隊を派遣後、資源はどのように鎮守府へ運びましょう」
間違いかもしれない。むしろ間違いである方が正しい。
私の予測が正しいとすれば、天才だの狂人だのでは表せない作戦となってしまう。
『あ、あぁ……あー、そうだな……〝艦娘に無理をさせたくない〟のでな、多くなくともいい。少しずつでも構わないから確実に確保して鎮守府に帰還するようにしてくれ。お前たちの補給もままならんのは申し訳ないが、こちらも出撃が困難にならないよう、編成を替えて反復出撃させるつもりだ』
言葉を選ぶような間を置く提督に、疑惑が解けていく。
「――それは、所属する艦娘をあげてでも、と?」
『……必要とあらば、私も尽力するつもりだ。遠征中は指示も出しづらくなるかもしれん。みなを頼りにしたいのだ』
私は瞬時に自分を恥じた。一瞬でも提督を疑った私を、一瞬でも絶望に諦めかけた私を。
やはり――あなたは――
「呉鎮守府への〝訪問〟の書類はどうなっているのでしょう」
『えぇっ!? あ、も、もう出来ているぞ。すまなかった、遅くなってしまって。確認にもう少し時間がかかるが……』
何をおっしゃるのか。山元大佐からすれば、即日に艦隊を組まれ、正式な文書を用意して提督が出向くなど予想さえもしていないはずだ。
全く、どこまでも恐ろしいお方だ。
どこまでも、頼りになるお方だ。
『明日の遠征に併せて書類の確認を頼みたい、の、だが……大淀に認めてもらえるかどうか……』
先程までの色を失った顔と心に赤みがさす。提督の声は私以外に、天龍たちにも聞こえていた。
「……この大淀、作戦成功に尽力致します。如何様にもお使いください」
『お、おぉ……そうか。すまないな、大淀がいるなら、安心できる』
「あっ、え、と、その、あ、えへっ……そんな、安心だなんて……」
「何照れてんだクマ。はよ切れクマ」
「作戦の説明されてねえんだけど、俺ら……」
「大丈夫なの、ほんっと……」
「ん、んんっ……それでは提督、作戦通達はこちらで確実にしておきますので、明日のためにゆっくりとお休みください。時間になったら、伺います」
『うむ。では、また明日に』
「はい、また明日――」
提督の声が完全に聞こえなくなるまで、私は身じろぎ一つさえせずに耳を澄ませた。
それから――ぷっつりと音が消えた後、三人に向き直る。
「明日はただの遠征作戦ではありません。訂正します」
「あぁ? 遠征じゃないって――」
「基本五艦隊、必要とあらば編成を何度も替えての波状出撃となります――」
「波状出撃って何だよ!?」
「滅茶苦茶クマぁ!」
「なんっ……はぁ、もうダメ、考えらんないわ。大淀、説明」
「もちろんです。私も半日以上提督といて、ようやく半分、理解出来たのですから。説明しなければ分からないでしょう」
私は脳内で鎮守府に来る前から今までの出来事を整理しつつ話す。
「提督の経歴はご存じかと思いますが――この鎮守府に着任されたのは、元帥のご命令であると思われます」
五十鈴が「そりゃ、命令は大概、元帥発令ってことになるはずでしょ?」と言う。それに対して天龍と球磨が言葉を返した。
「元帥発令ってのは建前クマ。各鎮守府の要望なんかを承認するのは確かに元帥だけど、発令自体は各鎮守府の提督だったりするのが普通クマ。五十鈴も知ってるクマ?」
「大淀が言いたいのは、そういうのすっ飛ばして元帥が直々にこの鎮守府に着任するよう指名したって事だろ」
「……うっそ」
五十鈴がぽかんと口を開いて私を見た。
「工廠で少し問題が起きたのですが、その時いらっしゃったあきつ丸さんは元帥の直属だったはずなのに、提督の存在を知らなかった様子でした。呉鎮守府の情報を持っていたのは、元帥がある程度まで調べたことを伝えていたためかと……私はそれを提督に伝えてもらえるようにしたのかと予想しましたが、実際は違ったようです」
「……クマたち、欠陥艦娘たちに伝えるため、クマか」
「……はい」
私たちは提督を嫌っているわけじゃない。講堂でのお言葉を受けて、心を揺さぶられたのだから。天龍さえ、希望をくれた提督ならば、もう一度くらい裏切られてもいいと言うほどに。
しかし元帥は提督から直接伝えられるのではなく、敢えて同じ欠陥品扱いされたあきつ丸を通すという形をとって現実を知らしめた。それは、ある意味――元帥なりの誠意なのかもしれない。
人間不信となってしまった私たちに対して、救いはあると教え、現実を教え、伝えて欲しいと頼む行為は、手のひらを返されたら自らを滅ぼすと同義。元帥はそれでも、あきつ丸に伝えた。
「提督は六年もの時間をかけて全てを掌握したのでしょう。資材が無くなった時も動揺さえしていませんでした……恐らく〝良い言い訳が出来た〟とでも思っていたのかもしれませんね。大規模遠征作戦と称して各所へ水雷戦隊を派遣するのも、ここに資源以外の《何か》があるからに違いありません。長年の勘……などと言っていましたが……私たちへの言い訳は、お下手のようで……ふふっ」
同時に提督は、先程『艦娘に無理をさせたくないのでな、多くなくともいい』と仰った。それは比喩でも隠語でも無く、直接的意味を持っているはず。
「艦娘に無理をさせるな、とおっしゃっていましたが……この鎮守府に来る前に最後だからと補給も入渠も済ませた私たちに、たかだか遠征が負担になるなど、有り得ますか?」
「……いや、そりゃねえな。異動前の規則で補給と入渠をしてすぐに動けるようにするってのを逆手に取った、ってわけか」
天龍は賢しい。すぐに気づいてくれたようだ。
「皆さんが向かう先には呉鎮守府に関連する《何か》が存在するはずです。恐らくは――呉鎮守府が秘匿している艦娘、という可能性もあります」
話している途中に、ごんごん、と談話室に響く重たいノックの音。
私たちが振り返ると、そこには長門が立っていた。気まずそうな顔をして。
「軽巡寮に戦艦など嫌だろうが、少し、いいだろうか」
「――何を言っているんですか長門さん。私たちは同じ鎮守府の艦娘ではないですか」
私に賛同し、天龍も球磨も、五十鈴もニッコリと笑みを向けた。
長門は思わぬ歓迎ムードに戸惑った様子でおずおずと室内へ足を踏み入れると、後ろ手に扉を閉めて言った。
「今しがた、提督から通達があった……呉鎮守府に行くから、同行しろと。詳しくは大淀に聞けばわかるからと言われたのだが……その、やはり私は……〝あそこに戻される〟のだろうか」
提督に強く当たっていたはずの長門は、怯えたように肩を震わせていた。
私は首を大きく横に振ってみせ、手招きする。
寄ってきた長門はちょこんと座敷に座ると、戦艦というのに軽巡の私たちよりも縮こまって上目遣いに言う。
「私が呉の鎮守府からここへ来たと、何故提督は知っているのだ? 人は艦娘になど興味無いのだろう……それに、山元大佐が、その、来たとも……」
「えぇ。その場には私が居ました。ですから言わせてもらいますが――提督は、山元大佐に宣戦布告したのですよ」
「えっ、あぁ……!? なんてことを……! あ、あいつは――大佐は艦娘反対派の中でも過激派と呼ばれているのだぞ!? 捨て艦作戦を率先して実行し、何人もの仲間を……ッ!」
「提督は、それもご存じでしょう。その上で、この作戦を考案なさったのです」
そして私は、表面上の作戦概要を話し、大規模遠征が行われることを伝えた。
次に、その裏に秘められた本当の作戦を話す。
「……長門さんに伺いますが、その捨て艦作戦で轟沈したとされる艦娘は、どのように報告されたのですか」
嫌なことを思い出させてしまうのは忍びないが、聞かねばならないのだと、長門の震える手を取る。
長門は私の手を握り、言った。
「深海棲艦の陽動にのせられたと見せかけるために、瀬戸内海に散り散りとなって沈んでしまったと……そ、それ、で……呉鎮守府に被害はゼロとなったが、幾人もの仲間が轟沈と報告を上げられた、はずだ……」
「その深海棲艦は、どのように攻めてきたのですか」
「それは……! し、知らない、のだ……私はその時、別の作戦で佐世保鎮守府の援護に行っていて、東シナ海にいたもので……帰った時には、もう……」
「おかしいですね」
きっぱりと言う。私の声に、長門が顔を上げて「何が……おかしいんだ……!」と歯を食いしばった。
「東シナ海からの深海棲艦侵攻はあり得ない話ではありません。というか、何度も事例があります。駆逐級や軽巡、重巡級が多数目撃されているのは有名な話ですから。その防衛のために佐世保があるのです。問題なのは、どうやって柱島泊地の存在する入り組んだ地形をぬって、呉鎮守府までやってこれたのか、ということです」
私は畳の上に置かれた海図を目で示した。
いくつもの島が点在し、海域を分断するような形で伸びる四国の地形が目立って見える。
仮に日本海側から侵攻したとしても、本土侵攻は敵にとって絶望的だろう。海軍が即座に動けずとも陸軍の大歓迎で足止めを食らってしまうはず。その間に、東西から艦娘を送り込まれ挟み撃ちされたらひとたまりも無いと分かるはずだからだ。深海棲艦の殆どは知能こそ低いが、決して馬鹿では無い。
「……!」
「この柱島泊地は四国、九州、本土の三つに囲まれた言わば完全なる自陣……そこに陽動の深海棲艦が来たとあれば、確かに大事件でしょう。佐世保から離脱も出来ないほどの猛攻を受けていたのですか?」
「いや、ちが……そんな、こと……あの時は、接敵も無い、哨戒で……何故、私は違和感を覚えなかったんだ……!」
「呉鎮守府のやり方が効いた一例、でしょうね」
圧倒的権力、圧倒的暴力で思考する力を奪い、行動そのものを制限する。
そして、違和感を覚えることさえできない程に自我を圧し潰す……最低なやり方だ。
呉鎮守府から離れた長門からやっと出てきた感情は、途方も無い怒りだった。しかし、その怒りは呉鎮守府の山元大佐の話題が出るだけで一瞬で消沈してしまう。何よりも、証拠となる感情の動きだった。
「な、ならば提督は……何をしようと言うのだ……!」
「提督の思考を全て理解出来ているわけではありませんが、海図にある通り、指定された場所に資源と称した《何か》があると仰っています。それを提督は、無理せず確保せよ、と」
「大佐は、あの時、何を……呉で沈んだ仲間は……陸奥は……!」
「……! な、長門さん、それ……!」
長門の口から語られたのは、呉鎮守府に所属していたらしい、ある艦娘の話。
「私が佐世保の援護作戦に派遣された時、陸奥は近海で起きた陽動の対応に指名され、駆逐艦を連れて行ったと聞いたんだ……だが、深海棲艦の陽動を制しきれず、そのまま……」
「あ、ぁ……あ、あはっ……」
「なっ! なにがおかしい、大淀ッ!」
思わず漏れた笑いに、私の手をばしんと離した長門に、すぐさま謝罪する。
「す、すみません、違うんです。ただ……ふふっ、だから、長門さんを指名したのだと、気づきまして」
「だから、私を指名した……?」
「えぇ……提督は、山元大佐に直接的に脅されたのです。銃まで向けられ、傘下になれと。ですが提督は逆に挨拶へ行くと言ったのですよ。私と、あなたを連れて」
「何故、そのようなことをする必要が……」
「私も何故、どうして、ばかりでしたよ。今も分からない事がいくつかありますが、一つ分かるのは、資材確保の遠征作戦に近海警備を含む大勢の艦娘を動員するなどおかしな話ということ。海は広しと言えど、彩雲を装備した空母まで持ち出して海を艦娘で埋めるような真似……」
「……」
長門は唖然と海図と私とを交互に見た。
「呉鎮守府は、何かを隠している……それが何であるのかは明日に分かりますが、これだけは言えます。これは大規模遠征作戦ではありません。艦娘に無理をさせたくない、という提督のお言葉に、長門さんの指名……山元大佐が柱島鎮守府まで足を運んで傘下になれと脅した理由で、繋がりました」
「これは恐らく――柱島鎮守府の総員による、長門型戦艦二番艦〝陸奥〟のサルベージ作戦です」
ちょっぴり長くなってしまいましたが。勘違いアクセルが全開、いや全壊です。