柱島泊地備忘録   作:まちた

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二十話 大規模作戦②【艦娘side】

「陸奥のサルベージ作戦、だと……なにを、馬鹿なことを……本日付で着任したあの男が、何故そんなことをする必要があるッ!」

 

「……それは、分かりません」

 

 長門の言葉に返す答えは無い。私は提督では無いから、と無責任なことを言うつもりは無いが、事実、私だって提督がどうしてこのような作戦を考案したのか見当もつかないのだ。

 せいぜい出来るのは予想、予測であり、大抵のことならば全体を通して見れば理解できる範疇である。提督を除けば。

 視野の広さはそれぞれだから、私に提督の見ているものは分からないわ、と長門に答えられたら、どれほど楽なことか。

 

「仮に、大淀の言が正しいとして、提督がそれを考えていたとしても……我々は欠陥品なのだぞ……」

 

「……」

 

 黙ってしまうも、提督の一挙手一投足を思い出しながら何とか言葉を紡がねばと考えた。

 提督と出会った時から、ここに来るまでの間のお言葉を思い出す――いいや、短すぎる。たかだか半日しか無かったのだ。それだけでは情報が足りなすぎる。

 

 少しでも多くの情報を集めて長門を説得出来れば、と私が室内を見回した時、またもドアが開く音。今度は、ノック無しだった。

 入ってきたのは川内型軽巡洋艦の一番艦、川内だった。見るに一人のようで、姉妹艦である那珂や神通はつれていない様子だ。

 用事でもあるのだろうか? と私が「どうされました?」と声を掛ければ、川内は「んー、探検?」と返答する。

 

 夜の鎮守府を探検とは……ああ、見回っていたのか。

 

「もう遅いですから、あまり騒がないようにお願いしますね」

 

 と言えば、川内は軽巡寮に来ている長門を見て「そっちのが声響いてたけど……」と苦笑して言った。

 

「っ……す、すまなかった」

 

「んーん、別に平気。まだフタマルサンマルだし、皆寝てない……っていうか、眠れないだろうしさ。あ、そうだ大淀。さっきあきつ丸が提督に呼び出されてるの見たけど、何か知ってる?」

 

「あきつ丸さんが?」

 

「うん。急いでたみたいだけど……その様子じゃ知らないか」

 

「……何かあったのでしょうか」

 

「さぁ? んじゃ、私はもう少し探検してくるね」

 

 そう言ってさっさと部屋をあとにする川内を見送る私たち。

 何か呼び出されるようなことをしたのだろうか。工廠での龍驤との一悶着を咎めに――? 寛容な提督のことだから、それは無いように思えるが、別の用事があったのだろうか。

 そう思いながら「ふぅん……」と海図へ向きなおろうとした私の視界に、天龍がまたも頭をがりがりかいているのが映る。

 海図にある島々を指さしながら「なぁ、なんでこれシマシマの模様してんだ?」と球磨に問うていた。艦娘ならば海図の見方ぐらい知っておいてほしいのだが……。

 

「天龍……それ艦娘としてやっべぇクマ……」

 

「ぐっ、しゃぁねえだろ! 海は分かっても陸は分かんねえよ……」

 

「艦娘っぽい理由をつけてもダメだクマ。はぁ……陸のシマシマは、高低差だクマ。海のほうにも線が引かれてるクマ?」

 

「海のは水深だろ。それくらい分かるって」

 

「じゃあなんで陸が分かんねえんだクマ!? 全く同じ表記クマ!」

 

「へぇ、そうなのか」

 

「真面目に聞けクマ~!」

 

 ……龍田の苦労が想像出来てしまう。姉よりもしっかりしているイメージの強い天龍型二番艦の龍田は、球磨や天龍と同じ鎮守府から来たと資料にあった気がするが、前の鎮守府でも同じような感じで過ごしていたのだろうか、と少し呆れた。

 

「その調子でいくと、いつか提督に叱られるわよ。海図の見方くらい――」

 

 五十鈴が溜息を吐き出しながら言うと、長門は悲しそうな、懐かしそうな顔をしながらそっと海図に手を伸ばし、天龍に言う。

 

「この〝Sh〟や〝Cs〟という表記は、分かるか?」

 

 話しかけられたのが意外だったようで、天龍は面食らったように一瞬黙ったが、すぐに長門の指先に視線を向けて「わかんねえ」と言った。

 

「分かんねえ、じゃねえクマ……長門、助けてクマ……」

 

 多分、球磨なりに会話に交じり長門の胸の内にあるざわめき、不安のおさまらない心を鎮めようとしているのかもしれない。私と同じように考えているのか、五十鈴と目が合い、言葉なく目で頷き合う。

 

「海図の大まかな見方は私も知っているが、実は、私も昔、陸奥に教えてもらったのだ。底質……海底に積もっているものを現しているらしい。Csは荒い砂が積もっている場所で、こっちのShは貝殻が積もっているという意味らしい」

 

「へぇ……あ、あぁ! 錨を入れるのに、ってことか!」

 

「何だ天龍、のみ込みが早いじゃないか」

 

「へっへ、あったり前だろ? なんたって俺は世界水準を軽く超えてっからなあ!」

 

「世界水準を超えてるなら海図の見方くらい知っとけクマ。長門の説明が分かりやすいだけクマ」

 

「っせぇなぁ! 今知ったんだからいいだろ! な!」

 

 束の間の会話。分かりやすいのは大事なことだ、と考えた瞬間、ぴんときた。

 

「長門さん」

 

「……ん」

 

 長門は私の声に目だけを向けてくる。それから、入室してきた時と同じような、バツの悪そうな表情をして言った。

 

「大淀、感情的になって、すまなかった。私もいっぱいいっぱいで――」

 

「いえ、いいんです。それで、長門さんが気になる作戦のことですが……私たちは提督について呉鎮守府に行かなければならないのですから、分からないことを分からないままにしておくのは、良くありません。せめて納得したい……それは私も長門さんと同じですから。行きましょう」

 

「行く……? 明日の作戦に異議を唱えて拒否するなどしないつもりだが」

 

「違います。これから、提督のところに行って聞きましょう。何故、明日なのか。呉鎮守府に、何をしにいくつもりなのか」

 

 私の提案に、球磨も天龍も五十鈴も、首を縦に振った。

 

「いいんじゃない? 質問にも答えられない提督じゃないでしょうし」

「そうクマ。もし怒られたら、クマお姉ちゃんも一緒に謝ってやるクマ。意外と情に厚いお姉ちゃんなんだクマ」

「んだな。講堂の提督見たろ? 聞いたくらいでグチグチ言うタマじゃねえって」

「多摩って言ったクマ?」

「そうそう、そういうタマじゃ……ん? あ、いや、球磨の言うタマじゃねえと思うけど……?」

「?」

「いや首を傾げて私を見ないでよ……」

 

 天龍たちの掛け合いを見た長門は、幾分か心が楽になったようにうっすらと微笑みを浮かべ「……そう、だな」と呟いた。

 

「……監視の役目も与えられているのだ。夜間警備と言う名目で顔を見に行くついでに、と言っておけばいいだろう」

 

「っふふ、長門さんは真面目ですね」

 

「大淀に言われると変な感じがするが……」

 

「大淀が真面目認定するとか、長門すげえクマ」

「俺も真面目だぜ」

「はいはい、あんたたちと一緒にいたら無駄話ばっかりなんだから。ほら、大淀も長門も、行くならさっさと行ってきなさいな」

 

 五十鈴に手を振られた天龍と球磨は、ぶーぶーと何やら言っていたが、私と長門はそうと決まればと立ち上がり、行ってくると一言残して部屋を出るのだった。

 

 

* * *

 

 

 執務室へ向かう途中、私はあきつ丸が提督に呼び出された理由を考えていた。

 長門は気になることがあれば聞けばいい、という単純明快な答えに行きついてからというもの、質問ばかりが頭に浮かんでいる様子で、私に話す。

 

「提督はそもそも大将だったのだろう? 脱走、脱柵……いずれにせよ、六年も姿を消していたのに降格処分で済んでいるのも本当に妙な話だ」

 

「私たち艦娘の知らない技術の秘匿、海軍内の抗争、理由はいくつも重なっていそうですが、元帥直々の指名で鎮守府に着任されたお方ですから、やはり捨てるなど愚策も愚策、と言わしめる人材なのかと。長門さんも、講堂での演説は聞いたじゃないですか」

 

「まぁ、確かに……今までの提督とはどこか違う印象を受けたな。我々艦娘を見ても動じないどころか、慈しむような……」

 

「そ、そう! そうなんです! 提督は私たちを本当に優しい目で見るんですよ……あの、愛おしそうな目で見つめられたら、なんと言いますか、こう……!」

 

「おっ、おぉ……そ、うだな……とりあえず、落ち着け大淀……」

 

「すっ……すみません……」

 

 長門に言われてから、顔が熱くなるのが分かってしまった私は下を向いてしまう。ずっと近くにいたからか、提督の雰囲気にのまれっぱなしだった私は、あのお方の話になるとどうにも抑えが利かない。

 言葉に表すとすれば、提督に備わっているのは圧倒的なカリスマだ。

 超自然的、超人間的、非日常的な性質が備わっているように思う。何を前にしても物怖じせず、欠陥品と呼ばれた艦娘を一言で従え、それでいて支配するのではなく、手を取って本質を問い続ける姿は、近くにいればいるほどに濃く感じられるもの。

 いつか長門にも味わってもらえれば……と考えているうちに、私たちはあっという間に執務室の近くまで来ていたのだった。

 

 廊下は既に消灯されており薄暗く、執務室の扉から洩れる明かりが見える。

 私たちにもう休めと言っておきながら、自分は仕事をしているなんて、と頭に浮かんだ。

 

「……緊張してしまうな」

 

「私もです」

 

 執務室の扉の前までやってきたものの、ノックしようとする手がどうしても伸びない。眼前にある木製扉が、あまりに大きく見えた。

 

『……し、自分が勝手に話せるような……』

 

『それは承知してい……が、お前しか……』

 

『しかしっ、少佐殿……しかしぃ……』

 

『頼む、あきつ丸……けが……頼り……』

 

 扉の向こうから話し声が耳に届いた。提督と、あきつ丸の声だ。

 長門と私は自然と顔を見合わせ、そのまま――じっと耳を澄ませてしまう。

 

『いくら少佐殿でも、自分には……』

 

『それは分かった。分かっているんだが……どうか、私を助けてはくれないだろうか』

 

『あっ、やっ、やめてください少佐殿っ! そのようなっ……うぅ……!』

 

 な、何をしているの……!?

 私は大袈裟なくらい戸惑った表情をしていたことだろう。長門は眉間に深くしわを寄せて、ゆるゆると首を振った。それから――ゴンゴン、と強めのノックをする。

 

「なっ、長門さ――!」

 

「戦艦長門だ。入るぞ!」

 

 扉を大きく開いた長門は、室内を見てぽかんとした。

 その横からこっそり顔を覗かせた私も、だ。

 

 提督は椅子に座っておらず、デスクの横まで出てきており、そこで深く腰を曲げてあきつ丸に頭を下げているような恰好だった。

 対してあきつ丸は小さなメモ帳程度の大きさをした紙を一枚持っており、困ったような八の字眉をしている。

 

「何をしていた――提督」

 

「なっ、長門……それに、大淀も……!?」

 

 長門はずかずかと足を踏み入れ、あきつ丸の腕を取って提督から離すように引っ張る。戦艦の力で引っ張られたあきつ丸は抗うことも出来ず、腕に抱かれるような恰好で長門に倒れ込んだ。

 

「あきつ丸、大丈夫か。何もされていないか」

 

「あ、ぁ、長門殿、いや、これは……自分は何も……」

 

 顔を赤らめて目を泳がせるあきつ丸を見て、長門は提督をキッと睨みつけて低く声を上げた。

 

「夜分に艦娘を呼び出したかと思えば、何だ……? まさか乱暴でも――」

 

「ち、違う! そんなことをするわけ無いだろう!? 私はただ、あきつ丸に番号を聞こうと思っただけだ! やましいことなど何もない!」

 

「ば、番号……? 連絡先、のことか……?」

 

「そっそうだ。私はあきつ丸から連絡先を聞いて、明日の仕事のことを」

 

「仕事のことならば連絡先など必要あるまい。なのにわざわざ呼び出して、連絡先を……ふん、回りくどいだけで、やはり提督も他の者と変わらんのだな。少しは違うかもしれないと思ったが、見損なったぞ……ッ!」

 

 なんということか。提督がわざわざあきつ丸を呼び出し、連絡先を……?

 提督は「あー……くそ」と小声を洩らし、デスクに戻って腰を下ろした。

 

「……明日の遠征の他に、呉に行く話をしたんだが、その際に必要となる書類について、元帥に伺いを立てようと思ったのだ」

 

「は……?」

 

 長門はまたも口を半開きにし、提督と、あきつ丸を交互に見る。

 

「……私は頼れる人間が少ない。今は井之上さんしか頼れないと言っていい。それに明日の挨拶については提督同士の話なのだから、井之上さんに聞くべきだろうと判断したのだ……新任で右も左も分からないとは言え、あきつ丸を頼ろうとしたのは、その……情けない限りだ。すまない」

 

 提督はそう白状すると、軍帽を脱いでデスクの上に置き、大きく息を吐き出した。

 要するに――早とちりである。

 長門はそうっとあきつ丸から腕を離すと、あきつ丸の両肩の埃を払うようにぽんぽんと叩き、しわを伸ばすよう指先で形を整え――

 

「こ、ちら、も、す、すまな、かった……私の、早とちりだったようだ……」

 

 顔を真っ赤にして固まってしまうのだった。

 微妙な空気が室内を満たす。数十秒の沈黙に、全員の心はちくちくと痛んだことだろう。

 しかしこのまま失礼しましたと帰るわけにもいかず、本題を、と私の理性が口を動かした。

 

「て、提督。明日の遠征と訪問についてなのですが、長門さんが質問がある、と」

 

 提督は伏せていた顔をちらと上げる。

 

「明日の遠征……それに、呉鎮守府への訪問……目的を、教えて欲しい」

 

 顔色はまだ幾分か赤いままの長門だったが、目は真剣そのものだった。

 机を見れば、提督はまだ海図を広げたままだったようで、ペンが転がっているのを見るにあきつ丸を呼び出す前もずっと作戦を考えていたように思える。

 

「明日の遠征の目的は資材の確保だ。呉鎮守府へは……向こうの提督が正式に挨拶を受けると言うから、行くだけだ。挨拶を怠った私の失態への謝罪も含めての挨拶になるとは思うが」

 

「……それだけか?」

 

「それ以外に何がある。この鎮守府には現在、資材が一切ない状態なのだ。お前たちを出撃させることも出来なければ、数度の近海警備で仕事そのものが出来なくなってしまうだろう」

 

 長門が私を見る。それを見たあきつ丸や提督もこちらを見た。

 予想が間違っていた……? と不安になり、私は提督に歩み寄って海図を指して言う。

 

「明日の遠征は資材の確保との事ですが、ここ一帯は呉鎮守府や佐世保が頻繁に行き来する海路で、資源海域ではありません。もしも資源があるとすれば、それは呉か佐世保が途中補給するための海上資源貯蔵地で――」

 

「……ふむ」

 

「――したがって、遠征の意図を理解しかねます。呉へ訪問するのは、もしや貯蔵地から資源を分けてもらうため、なのですか?」

 

 問えば、提督はじっと私を見つめ、黙り込む。

 

「……」

 

「提督……お答えください」

 

 ダメ押しに言う。だが、提督は――

 

「明日は資源確保の遠征。大淀と長門を連れて呉へ訪問。以上だ」

 

 ――短く、それだけを言ってまた押し黙ったのだった。

 全身から力が抜けそうになる。

 

 ただ、それだけ? たったそれだけなのを、私は勘繰りすぎただけだと言うの……?

 情けないやら、しょうもないやら、様々な感情が入り乱れて身体の内側から力を奪っていく。

 

 その時、黒電話からけたたましい音が鳴り響いた。

 驚いて身体が跳ねた私たちだったが、提督は反射的に受話器を上げて耳に当てる。

 

「こちら柱島鎮守府、執務室」

 

『おぉ、海原。っくく、まだ生きておったか』

 

「井之上さん……!」

 

 受話器から洩れる声に、私も長門も、あきつ丸も、脊髄反射で気を付けの姿勢になった。

 

「良かった……あきつ丸から井之上さんの番号を聞こうと思ったんですが、個人的に教えてもらったものだからと……」

 

『おぉ、もうあきつ丸がそちらに到着したか! しかし、あきつ丸とそんな話が出来るような仲になったのか?』

 

 提督はちらりと私たちを見たあと、困ったような顔で言った。

 

「……いえ、私の力不足で。それで、井之上さんは何か用事が?」

 

 話しながら、提督は片手をこちらに振って出て行くよう示す。

 それはそうか、と私は長門さんの背をちょんとついて、扉に目を向けた。

 長門さんはまだ話は終わっていないという雰囲気をたっぷりに、後ろ髪を引かれるような顔で先に部屋を出た。あきつ丸と私も提督に頭を下げ、一旦退室する。

 

 

 部屋の外で――やはり私たちは、耳を澄ましてしまっていて。

 

「い、いいのでありましょうか。提督殿と元帥殿のお話を盗み聞きするような真似――」

 

「仕方がないだろう。質問をはぐらかされて、タイミングも悪く電話まで来てしまったのだから……しかし、提督と元帥が通じているのは、嘘では無かったようだな」

 

 あきつ丸は長門の言葉に頷いて、不思議そうに言う。

 

「元帥殿を名で呼び……それに、親しそうでありましたな。大淀殿、あの電話を盗聴など出来たりしないので?」

 

「盗聴……!? さ、流石にそれは、軍規以前の問題で――」

 

「なぁに、長門殿も何やら気になっていたから大淀殿をともなってやって来たのでありましょう? どうせ自分らは欠陥品と呼ばれた艦娘。ここでいくつか規範を違えたところで咎められることを恐れることもありますまい。盗み聞きしはじめたのは大淀殿でありますしな」

 

「確かに……大淀、頼む」

 

 確かに。じゃないんですけど……!?

 しかも私じゃなくて長門さんから盗み聞きしはじめ……うぅ……!

 うー、うー、と葛藤する私の胸中。

 提督は決して悪い事をしているわけじゃない。ならばわざわざ疑ってかかり、探りをいれるような真似はしたくない。しかし一方で、ただの遠征と訪問であり、他の意味は無いと言い切った提督が『貯蔵地から資材を分けてもらうためか?』と問うた時に黙り込んだあの表情も気になる。着々と進んでいく状況を放っておけば、分からずじまいで終わってしまうのも事実。

 私は、意を決して無線付眼鏡に手を添えた。

 

「れ、連帯責任ですからね……!」

 

 と言うと、長門とあきつ丸は重々しく頷いた。

 

「死なばもろとも、であります。自分らは同期の桜――見捨てたりしないでありますよ」

「あぁ。この長門も、背を向けたりはせん」

 

 それ死んじゃうやつじゃ……い、いや、今はいい。

 柱島鎮守府の執務室に用意されている調度品や事務用品等は全て古いもので統一されており、高度な技術が無くとも現代ならば容易く傍受出来てしまう代物だった。

 しかし、裏を返せばそれは現代の技術とかけ離れた骨董品とも呼べるものであり、使われている技術は今とくらべて単純なもの。そうと知っていなければ決して盗聴などは出来ない、裏をかくようなものばかりなのも気がかりだ。

 

「……っと、もう、少し、でしょうか」

 

「出来れば、我々にもつなげてくれ」

 

「はい……あっ、声が――!」

 

 艤装を操作しているうちに、提督と老人の声が私達の中へ響くように聞こえた。

 

《ザザッ……――それにしても……挨拶を……》

 

《はい。彼女たちは、人を信じられない、という様子で。食事をする時も、泣いている艦娘が多く……ザッ――》

 

 ノイズがだんだんと無くなっていくと、明瞭に二人の会話が聞き取れた。

 

《海原。君は……彼女らを、どう思う》

 

《どう、って、そりゃあ、艦娘だなあ、と》

 

《違う、そういう意味ではない。彼女らを救う気は変わっておらんかと聞いとるんだ》

 

《変わりません》

 

 即答した提督の声に、ぐっと胸が詰まった。

 長門やあきつ丸も険しい顔をして、耳を澄ましている。

 

《そうか、そうか……それを聞けただけで安心だ。君に任せて間違いじゃなかったと胸を張れる日も遠くないやもしれんなぁ》

 

《……そう言っていただける日が来るよう、善処します。それはそうと、井之上さん、ひとつお願いが》

 

 元大将とは言え、少佐と海軍省元帥の会話とは思えなかった。ずっとずっと昔から知り合いかのような軽い口振りに、お二人のリラックスした声。

 

「元帥殿があんな風に話すのは、自分も聞いた事が無いでありますよ」

「そうなのか。では、本当に提督は元帥と……」

 

 長門とあきつ丸が話しながら、表情を少し和らげる。

 

《お願いか。君に〝無茶をさせている〟手前、融通をきかせねばワシの沽券にかかわる。何でも言ってくれ》

 

「無茶をさせている……? それに、元帥が何でも言ってくれなど……!」

 

 思わず声を上げた私に、あきつ丸の手のひらが私の口を塞いだ。

 咄嗟の出来事に、何度も瞬きをする長門。

 

 だが、三人とも考えていることは一緒だろう。海軍省――現在、日本を襲う脅威である〝深海棲艦〟に対抗する唯一の手段である私たち艦娘を管理、運用する組織の頂点である元帥ともあろう人が、離れ小島である柱島鎮守府に着任したばかりの少佐に対してああまで親身になるはずがない。元々大将であったということを抜きにしても、距離が近すぎる。

 社長と平社員、という関係よりもずっと遠いはずの二人。立っている場所は全然違うはずなのに、あれではまるで――裏と表で戦う戦友のような。

 

《俺……あ、いや、私が》

 

《っくっく、気にするな。楽に話してくれ》

 

《俺が至らないばかりに……まだ初日ではありますが、俺を疑っている艦娘がいるかもしれません。大淀やあきつ丸もそうですが、長門まで……》

 

《それは……ふむぅ、困ったな……》

 

《すみません。力不足で……》

 

《何を、やめないか。そんなこと言わんでくれ。横須賀から無理に運び出し、君に汚名まで被せて少佐にしてしまったのは全てワシの不徳の致すところ……どうか、謝らんでくれ》

 

《でも……!》

 

《海原。君のお願いとは、艦娘たちに君は悪くないとワシから伝えることか? 難しいことでは無いが、そうすると君の立場も――》

 

《俺の立場は、この際、もう、いいかな、って……でも、彼女たちはとても真面目で、本気で海を守りたいという気持ちが強いんです。井之上さんが言っていた通り、俺が、思ってた、通りで……それで、どうにか仕事をさせてやりたいんです。明日、呉鎮守府に挨拶へ行くついでに資材確保の遠征を実施しようと思っています。井之上さんには、呉鎮守府に俺が挨拶に訪問する許可をもらいたく――》

 

 聞きながら、やはり聞くべきじゃなかったんだと後悔し始めたのは、私ではなく長門のようだった。

 提督から出た言葉は、間違いなく私たちを考えてのものばかりで……否、私たちのことしか考えていない発言だった。自分の作戦を疑われている。だが、彼女らは海を守りたがっている。仕事をしたがっている。

 自分はどうなってもいいから、どうか、と懇願する言葉ばかり。

 

 と、私たちの身体がまたも跳ね上がる。元帥の大声で。

 

《呉だと!? 海原、何を言っているのか分かっているのか! あそこは艦娘反対派の山元が街をも牛耳っておるんだぞ! のこのこと顔を出しに行こうものなら、君まで巻き込まれてしまう!》

 

《あ、あぁ……そのこと、なんですが……今日、というか、少しまえまで、その呉の人が、ここに来てまして……》

 

《なっ……――!》

 

 長門とあきつ丸が私を見たので、間違いないという意味で頷いた。

 

《山元、さんは……正式な挨拶を慎んで受けると言ってました。ですから、明日にでも長門と大淀を連れて行きたいんです。俺を巻き込みたくないっていうのなら、もう遅いんじゃないかなと……》

 

《遊びじゃ、無いんだぞ、海原……!》

 

《……はい》

 

《やめろ。でなければ、援助はしないと言ったら、どうする》

 

 元帥が慎重になるのは当然だろう。艦娘反対派は今や裏で何をしているかさえ定かじゃない。私たち艦娘をないがしろにするだけでは飽き足らず、私利私欲を満たすためだけに動いている輩もいるほどなのだから。

 私は、提督の本心を耳にして、作戦が決行されなくともいいとさえ思ってしまう。

 

 長門は私の気持ちを代弁するように、ドアに手を添え、音をたてないように額をくっつけた状態で呟いていた。

 

「そう、か……本当に、提督は……」

 

「長門さん……」

「長門殿……」

 

「何故、言わないんだ……大淀や私を連れて行くのだ、隠さなくてもいいはずだ……なのに、どうして……ッ!」

 

《彼女たちは俺を信じていないでしょう。きっと、長くなります。何年か、何十年か……乗りかかった船ですから、死ぬまで面倒を見るつもりです》

 

 ははは、と提督の乾いた笑い声。

 今、提督は、私たちを……死ぬまで、面倒を見ると……?

 

 横を見れば、扉に額をくっつけた状態の長門の目から、ぽろぽろと宝石のようにきれいな水滴がいくつも落ちていくのが見えた。

 そして、あきつ丸の頬にも一筋の光が。私も、どうしてか、視界がぼやける。

 

《……我が海軍の将官がみな、君のような男であればいいとこれほどに思った日は無い。だが、君が言う道は険しいぞ。呉に行けば、話は方々を駆けるだろう。君はそれでいいのか》

 

 最後通告と同義の言葉。それも元帥の口から出れば、重みは想像を絶する。

 

《ははは、ただの挨拶で井之上さんも大袈裟な。任せてください、こういうのは得意なつもりですから》

 

《まったく、地獄に足を踏み入れるのに躊躇いもせんとは。本当に、おかしなやつだ。ところで、海原……君は本当に、艦娘が好きか? この国が好きか?》

 

 元帥の諦めたような声音。

 投げられた問いに、提督はまた、一拍も置かずに即答するのだった。

 

 

 

《愛してますとも。提督ですから》

 

 

 

 もう、だめだと思った。

 

 私はその場で両膝を折り、へたり込んでしまう。

 あきつ丸は直立不動で涙を流し、長門は強く拳を握りしめ、扉の向こうにいる提督に向かって、か細く、今にも消え入りそうな声で「てい、とく……提督っ……私は、あなたに何という、無礼を……ッ」と悔いていた。

 

 もう、疑う余地は無い。

 あの人は艦娘に何も伝えないまま、自分だけで戦うつもりだったのだ。

 

 もしも危険が迫れば、提督は私たちを逃がすために、あえて方々に散らせるような遠征形態をとったのかもしれないとさえ思う。

 そうすれば、鎮守府に残された艦娘たちもどの航路が安全なのか言われずとも連携を取って逃げるだろう、と。

 

《明日、呉鎮守府への訪問だったな……ワシも許可しよう。向こうも正式に受けると言うのだから、他が口を挟むこともあるまい。報告は、そうだな……あきつ丸に頼んでおくといい。だがワシからも一つ》

 

《はい》

 

《……無理はするな。前に言ったように、ワシも出来ることは限られる。君はワシよりももっと動きづらいかもしれん。直接の援助も多少なら出来るかもしれんが、資材の融通だのは他の鎮守府も関わる所だ。君だけに目をかけていると知られては反対派の動きはさらに過激になるだろう》

 

《……はい》

 

《頼んだワシが言えた義理ではないが、よく考え、身を守ってくれ。頼むぞ》

 

《承知……しました……》

 

《それと》

 

《はい?》

 

《しっかり飯を食えよ。君は痩せ過ぎだ》

 

《……っははは。井之上さんも、ご無理なさらず》

 

《くっくっく、老人とはいえ元帥にかける言葉では無かろうが、馬鹿者め。……ではな、海原。しっかり頼む》

 

《……はい。それでは、失礼します》

 

 そして、ぷっつりと音が消えた。

 

 眼鏡から手を離した私の耳に、今度は長門がドアを叩く音が聞こえる。

 慌てて目元を拭って立ち上がると、長門は返事も待たずに扉を開けて室内へ滑り込んだ。

 そして――

 

「提督ッ! すま、なかったッ……私は、とんでもない愚か者だ……ッ!」

 

「えっ、えっえっ、なっ……ま、待て、長門、どうした、えっ」

 

 長門はその場で腰を九十度にまげて頭を下げ、続いて入室したあきつ丸も軍帽を脱ぎ、同じように深く腰を曲げ頭を下げた。

 私は、といえば、拭っても拭っても止まらない涙をおさえるのに必死で、言葉を紡ぐことさえ困難となってしまっているのだった。

 

「ひっ、う、ひぐっ……申し訳ありません、てい、とくっ……あの、私っ……」

 

「大淀まで!? な、泣くな! 頼む、あっ、そ、そうだ! お、おおお茶を入れる! 温まるぞ? な? 間宮のところ行くか? 伊良湖でもいいぞ! だから泣くな、本当にすまなかった、明日の任務の事だったな? ちゃんと井之上さんに許可をもらったから問題ない。だから、あー、うーん……!」

 

 自らを地獄に落とすのを厭わないというのに、艦娘の私たちが泣いただけでなんという狼狽っぷりか。

 長門はゆっくりと頭を上げ、涙を拭わないままに提督に近づき――両肩を強くつかんで、抱きしめた。

 

「ひぇっ……おわっ!?」

 

「提督は、我々を想って、その作戦を考案したのだろう」

 

「えっ、あっはい」

 

「……礼を言う。もう、憂いは無い。提督が見つけ出した砂粒一つ、必ずや我らがものにして見せる。大丈夫……私はあなたと共にある」

 

 ぎゅう、と強く抱きしめられた提督は、目を白黒させて私とあきつ丸を見た。

 彼は、元帥に言ったように――まだ信じてもらえていないと思い込んでいるに違いない。

 形は悪かったが、話を聞いたあきつ丸と長門から迷いは感じられなかった。

 

「このあきつ丸――如何様にもお使いください、少佐殿!」

 

 声を張り上げたあきつ丸に倣い、私も敬礼する。

 提督はやはり目の前の光景が信じられないようで、困った顔で長門から離れ、応接用のソファに座るよう促しながら言う。

 

「わ、わかった、そうだな。明日の仕事、頑張らないとな? とにかく、少しお茶でも飲もう。だから泣くな、頼むから。私も頑張るから」

 

 長門はそんな提督を見て愛おしそうに言うのだった。

 

 

 

「……ふふっ。大淀の気持ちが、今なら少し分かる気がするよ」


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