柱島泊地備忘録   作:まちた

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二十二話 大規模作戦④【提督side】

 執務室を出て数分。目的の人物はあまりにもあっさり見つかった。

 艦娘寮へ向かう途中でばったり出くわしたのだ。

 

「少佐殿ではありませんか」

 

 流れるような動作で敬礼をするあきつ丸に、俺は天に感謝しつつ近づく。

 

「少佐殿、上着はいかがなされたので? 暖かくなってきたとはいえ、夜の潮風はお身体に――」

 

「あきつ丸、執務室へ来てくれないか」

 

「は、はい……? なんでありましょう」

 

「お前にしか頼めないことがある」

 

「――なるほど? そういう事であらば」

 

 あきつ丸はきょとんとしていたが、何度も俺に噛みついてきていた頃とは打って変わって素直についてきてくれた。

 誰にも見つかってはならない極秘の任務なのだから、と周囲を警戒しつつあきつ丸を連れて執務室への道を戻る。

 

 

 執務室に到着すると、俺はソファーに投げだしていたタオルや椅子に掛けっぱなしの上着をさっと整理して、あきつ丸に座るよう示す。

 

「すまないな、休めと言った手前なのに」

 

「いえ、問題ありません。して……頼みたいこと、とは?」

 

 流石軍人、流石艦娘、清々しいまでの単刀直入である。

 正直なところ、あきつ丸は天からの救いに等しいが、それと同じくらい俺が頼みたい事は部下に対して情けないことである。簡潔に聞かれると言葉を濁したくなるのが切ないところだ。ちっぽけだが俺にもプライドというものがある。

 

 呉の提督が来た時点でそのちっぽけなプライドは妖精の指先よりも細切れとなって溜息にさらわれてしまったのだが、この際それは置いておこう。

 

「お前は元帥のもとから、こちらへ配属になったんだったな」

 

「……それが、何か」

 

 眉をひそめるあきつ丸。違うんだ、警戒しないでくれ。

 俺はただ助けを求めているだけなんだ……。

 

「いや、それについてどうこう、という訳では無い。勘違いしないでくれ。ただ、その……元帥の連絡先を、紛失してしまったようでな……お前ならば、覚えていたりしないか、と……」

 

 ちっぽけなプライドで――すみませんただの嘘です。嘘も方便という言葉もあるので許してください。本当に情けない提督で申し訳ございません。

 

 しかしその番号が無ければ俺は詰むのだ。前門の呉提督、後門の大淀なのだ。

 俺を救えるのは元帥の井之上さん――ひいては、その井之上さんと繋がっているあきつ丸だけ。少しの嘘くらい許して欲しい。

 きっとこんな状況になったことを正直に白状してしまえば、あきつ丸に「無能でありますなぁ!」と鼻で笑われた挙句に顔面を殴られる……いや、それは言い過ぎか……。

 

「大本営に直接連絡すればよろしいのではありませんか?」

 

「そ、それは……」

 

 誰がもっともなことを言えっつったんだよぉッ! しかしそれさえ知らない俺である。

 井之上さんが言うには艦娘反対派とやらが至る所にいるんだぞ! それはもう、古い中華屋の厨房に出てくる黒いアレみたいに! 言ってたっけ? 言ってたと思う。多分。

 口ごもる俺を不審げに見るあきつ丸。しかし、ふぅ、と溜息を吐いて軍帽をぐいぐいといじりながら、もう片方の手をポケットへ入れて、一枚の紙を取り出した。

 井之上さんが持たせたか、あきつ丸が自分でメモをした連絡先だろう。

 

「少佐殿のお立場は、ある程度わかっているつもりであります。確かに自分は元帥閣下の連絡先を知っておりますが、これはあくまでも閣下が自分個人に教えてくれたものであります。ここに来た艦娘らが過去を背負っているように、自分も方々を回された身……何かあれば、最後の手段にと託してくれたものであります」

 

「……」

 

「少佐殿を信じていないという訳ではありません。ですが……いえ、まだ、自分は少佐殿を見極めさせていただきたい――艦娘として」

 

 あきつ丸の言葉に、小さいとは言え嘘を吐いた自分が少し嫌いになった。

 井之上さんも言っていたはずなのに、どうしてそれを忘れていたのだと自己嫌悪が吐き気となって胸を焼く。

 

「……そうか。そうだな」

 

 言葉が見つからなかった。

 たったの半日で、どうして俺は忘れてしまっていたんだ。

 ここは《艦隊これくしょん》というゲームの世界じゃなく、紛うことなき現実であり、あらゆる共通点があったとしても、違う世界なのだ。

 俺の光であった艦娘たちはおらず、違う世界の同じ存在が〝闇〟に汚されてここにいるんだ。

 傷つき、疲弊し、人間不信となってまでも戦い続けようともがいている。

 

 そう考えた瞬間、俺は突き動かされるようにあきつ丸の前まで来て、勢いよく頭を下げる。

 

 正直に言うべきだったんだ。最初から。

 

 素人が鎮守府の運営など、提督など、そう言われるかもしれない。それを隠す行為こそ嘘も方便と言うのであって、俺のプライドを守るための嘘など魚の餌にもなりはしない。

 

「すまない。私は嘘をついていた。本当は、最初から元帥への連絡手段など無い……目が覚めて、気づけばここに送られただけの男だ。力も何もあったものじゃない。本当に力があるのならば、すぐにでもお前たちを癒し、世界を平和にしていただろうが……私はしがない、ただの一人の男だ」

 

「しょっ……少佐殿……」

 

 自分を支えてくれた艦娘になんという愚かなことをしているのか。

 今更になって実感がわいてきて反吐が出そうになる。

 それでも、今だけは許して欲しいと思っている自分の心が醜くて仕方がない。

 

「一度だけ元帥からこちらに連絡があった。これは、本当だ。そこで俺は現状を聞いて自分とすり合わせるべきだった。何から着手すべきか分からなかったというのは、言い訳に聞こえるかもしれないが、これも本当だ。だから、元帥からは重要なことだけを聞いた。細かなことは聞けなくてな」

 

「しかし、自分が勝手に話せるようなものでは……」

 

 あきつ丸がどんな表情をしているのかは見えなかったが、戸惑うように一歩下がった足元だけ見えた。

 

「それは承知している。だがお前しか頼れないのだ。元帥から何か言われるかもしれないのならば、全面的に私が悪いと言おう。必ず責任は取る」

 

「しかしっ、少佐殿……しかしぃ……」

 

 営業をしていた頃もこんなことがあったな、と思い出す。

 その時は上司が部下に向かって頭を下げるのではなく、俺の失態を先輩が一緒に行くからと頭を下げてもらっていたのだったか。あの時は本当にありがたく、頼りに見えたものだった。

 だが俺はどうだ。自分の仕事もままならず、艦娘に頭を下げるなど。

 

「頼む、あきつ丸。お前だけが、今は頼りなのだ」

 

「少佐殿とは言え、この鎮守府の……いくら提督殿でも、自分には……」

 

「それは分かった。分かっているんだが……」

 

 恥など捨てろ。元からそんなもの持っていないはずだろう、と俺は膝を曲げかける。

 

「どうか、私を助けてはくれないだろうか」

 

 情けない自分を許してくれと言うように、俺は土下座を――

 

「あっ、やっ、やめてください少佐殿っ! そのようなっ……うぅ……!」

 

 その時、執務室の扉が強く叩かれた。

 

「戦艦長門だ。入るぞ!」

 

 思わず顔を上げると、そこには長門と大淀が立っていたのだった。

 長門はあきつ丸の腕を掴んで引き寄せ、俺を睨みつける。

 

「何をしていた――提督」

 

 なんという所を見られてしまったんだ……それも、自ら鎮守府の規律維持を命じた相手に……!

 目を見開いて、どう説明しようか考えている間にも、長門はあきつ丸を心配するような声を上げる。

 

「あきつ丸、大丈夫か。何もされていないか」

 

「あ、ぁ、長門殿、いや、これは……自分は何も……」

 

「夜分に艦娘を呼び出したかと思えば、何だ……? まさか乱暴でも――」

 

 乱暴!? 俺の体型を見てものを言え!

 ただでさえ少しの運動もキツイというのに、乱暴などするはずもないだろうが!

 体力があってもせんわ!

 

 という具合に、自然と反論が浮かんでしまう脳を取り出して海水で洗ってしまいたい自己嫌悪に陥りつつ、言葉を選んで言う。

 

「ち、違う! そんなことをするわけ無いだろう!? 私はただ、あきつ丸に番号を聞こうと思っただけだ! やましいことなど何もない!」

 

「ば、番号……? 連絡先、のことか……?」

 

「そっそうだ。私はあきつ丸から連絡先を聞いて、明日の仕事のことを」

 

「仕事のことならば連絡先など必要あるまい。なのにわざわざ呼び出して、連絡先を……ふん、回りくどいだけで、やはり提督も他の者と変わらんのだな。少しは違うかもしれないと思ったが、見損なったぞ……ッ!」

 

 長門の鋭い視線が突き刺さり、また俺は自分の心が軋む音を聞いた。

 彼女らは基本的に人を信じていない。どうしてすぐ失念してしまうんだ俺は。

 講堂で挨拶をした時もそうだった。長門は言っていたじゃないか。自分達は守るべき対象に傷つけられたのだ、と。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、というのを、地で行っていてもおかしくない。何があったのかは知らない。想像も出来ない。だが、だからこそ同情してはいけない。

 そう考える理由があったことを考慮し、俺は傷つくことを覚悟して彼女らと接しなければならないのだ。プライドなどではなく、人として。艦娘という存在を知る一人の提督として。

 

「あー……くそ」

 

 自分を殴ってしまいたい衝動をおさえながら、椅子に座り、俺はゆっくりと事情を説明した。

 

「……明日の遠征の他に、呉に行く話をしたんだが、その際に必要となる書類について、元帥に伺いを立てようと思ったのだ」

 

「は……?」

 

 長門も、それについてきたらしい大淀もぽかんと口を半開きにして俺を見る。

 

「……私は頼れる人間が少ない。今は井之上さんしか頼れないと言っていい。それに明日の挨拶については提督同士の話なのだから、井之上さんに聞くべきだろうと判断したのだ……新任で右も左も分からないとは言え、あきつ丸を頼ろうとしたのは、その……情けない限りだ。すまない」

 

 あきつ丸を探すのに目印になるかな、なんてふざけた思考で被っていた軍帽を脱ぎ、デスクへ置く。なんだか、今の俺にこれを被る資格が無いような気がしたのだ。

 

「こ、ちら、も、す、すまな、かった……私の、早とちりだったようだ……」

 

 俺のあまりの情けなさにか、長門はそう言ってあきつ丸を離して咳払いをした。

 数秒か数十秒の重たい沈黙が、執務室を包む。

 

 それを払拭するように声を上げたのは、大淀だった。

 

「て、提督。明日の遠征と訪問についてなのですが、長門さんが質問がある、と」

 

 仕事の話ならば、いつまでもしょぼくれて顔を伏せているわけにもいかないな、と少しだけ首を持ち上げる。

 すると、長門は俺への憤りをおさえているかのような赤い顔で問うた。

 

「明日の遠征……それに、呉鎮守府への訪問……目的を、教えて欲しい」

 

 十分な説明も無く勝手に決めたのだから、長門の質問は当然。

 俺は出来る限り簡潔に、と言葉を紡ぐ。

 

「明日の遠征の目的は資材の確保だ。呉鎮守府へは……向こうの提督が正式に挨拶を受けると言うから、行くだけだ。挨拶を怠った私の失態への謝罪も含めての挨拶になるとは思うが」

 

「……それだけか?」

 

 それだけも何も……それ以外に目的は無いんだが……。

 

「それ以外に何がある。この鎮守府には現在、資材が一切ない状態なのだ。お前たちを出撃させることも出来なければ、数度の近海警備で仕事そのものが出来なくなってしまうだろう」

 

 と、至極真っ当に答える。

 すると大淀が異議を唱えた。

 

「明日の遠征は資材の確保との事ですが、ここ一帯は呉鎮守府や佐世保が頻繁に行き来する海路で、資源海域ではありません。もしも資源があるとすれば、それは呉か佐世保が途中補給するための海上資源貯蔵地で――」 

 

「……ふむ」

 

「――したがって、遠征の意図を理解しかねます。呉へ訪問するのは、もしや貯蔵地から資源を分けてもらうため、なのですか?」

 

「……」

 

 ここは、答えるべきか? 妖精が指示した場所を適当にお前たちに伝えただけだ、と。

 そんなことをすれば、それこそ人類にまた裏切られたと彼女たちは悲しんでしまう。俺は彼女たちに悲しんで欲しいわけではない。どういう意味であれ、どういうものであれ、彼女たちが泣いているところなど、俺は見たくないのだ。

 

「提督……お答えください」

 

 俺の限界はここまでなのかもしれない、と思った。

 残された選択肢は、全てを正直に話してしまうか、嘘を貫き通すかの二択。全てを正直に話せば、きっと大淀や長門、あきつ丸は海軍を支えている井之上さんに噛みつくことになるだろう。わがままだが、俺はそれも嫌だと思った。

 

 無理矢理に椅子へ座らされた格好となったが、提督になったこと自体が嫌というわけじゃない。それに関しては夢が叶ったと言ってもいい。

 

 でも、この世界で生きてきて、艦娘を大切に想い、魔の手から逃がそうとしてくれている井之上さんと俺は全く違う場所に立っているのだ。だから、それがすれ違いなどで壊されてはならないと、口を噤むしか出来なかった。

 

「明日は資源確保の遠征。大淀と長門を連れて呉へ訪問。以上だ」

 

 これでいい。

 きっと井之上さんならばもっとうまく立ち回ったのであろうが……ただの社畜である自分にはこれが限界なのかもしれない。着任して半日。何が、艦これプレイヤーか。

 

 その時、黒電話のベルが俺の思考を止めた。

 

「こちら柱島鎮守府、執務室」

 

『おぉ、海原。っくく、まだ生きておったか』

 

「井之上さん……!」

 

 まるで見計らっていたかのようなタイミングの電話に、思わず素の声が出てしまう。

 井之上さんの声は老人とは思えないほど明瞭で、受話器越しでも大きく聞こえた。

 

「良かった……あきつ丸から井之上さんの番号を聞こうと思ったんですが、個人的に教えてもらったものだからと……」

 

『おぉ、もうあきつ丸がそちらに到着したか! しかし、あきつ丸とそんな話が出来るような仲になったのか?』

 

 ちらりと大淀たちを見やる。そして、

 

「……いえ、私の力不足で。それで、井之上さんは何か用事が?」

 

 と言った。

 正直に話そうと思ったが、元帥の口から下手に漏れてはならないと、俺は三人に退室するようにと手を振った。

 出て行って、扉がぱたんとしまったのを確認して、再び口を開く。

 

「本当に、すみません……上手くいかないことばかりで……挨拶は出来たのですが……」

 

『気落ちするな。訓練も受けていない一国民の君が、一流の腕を持つ軍人と同じように指揮できるとは思っておらん。それにしても……挨拶をしたか……そうか……』

 

「はい。彼女たちは、人を信じられない、という様子で。食事をする時も、泣いている艦娘が多く……出来る限り、話を聞こうとは思ったのですが」

 

『食事を! 中々に気を遣える男じゃないか海原。ふふ、まぁ、それは置いておこう……して、海原。君は……彼女らを、どう思う』

 

「どう、って、そりゃあ、艦娘だなあ、と」

 

 率直な感想である。本物を見たのはもちろん初めて――当たり前だが――であり、口調や性格の全てを把握していない俺ですら、納得するほどに艦娘。

 しかし、井之上さんが聞きたかったのは別のことだったようで。

 

『違う、そういう意味ではない。彼女らを救う気は変わっておらんかと聞いとるんだ』

 

「変わりません」

 

 これだけは間違いなく、はっきりと言い切れる。

 艦娘を支えたい。出来る事ならば救いたい。その気持ちに嘘は無い。

 ただ……力が及ばないという、果ての見えない壁がある。

 

『そうか、そうか……それを聞けただけで安心だ。君に任せて間違いじゃなかったと胸を張れる日も遠くないやもしれんなぁ』

 

 出来るだろうか。もう、出来ない気がしているような。

 ほんの数時間前に、連絡は難しいと言っていたはずなのに、こうして夜になって電話をかけてくるあたり、井之上さんがどれだけ艦娘を、国を大事に考えているかが窺えて、出来ませんなどとは口に出来なかった。

 

 正直に白状して逃げ出すことは簡単だ。俺の理性は逃げろと言っている。

 だが、本能はそうは言っていない。

 

「……そう言っていただける日が来るよう、善処します。それはそうと、井之上さん、ひとつお願いが」

 

 何のための軍服か。何のための鎮守府か。

 国のため、艦娘のため、平和のための全てではないか。

 

 くだらない仕事に命を賭して、限界を超えたことに気づかず死んだのだ。

 ならば今度は、自らの意思で限界を超えて、彼女らのために前へ進むべきなのだ。

 

『お願いか。君に〝無茶をさせている〟手前、融通をきかせねばワシの沽券にかかわる。何でも言ってくれ』

 

「俺……あ、いや、私が」

 

『っくっく、気にするな。楽に話してくれ』

 

 頭がいっぱいで思わず言葉遣いが悪くなり、すぐさま訂正するも、井之上さんは笑って許してくれた。かっこいい老人である。

 そんな人に現状を伝えるのが忍びない。

 

「俺が至らないばかりに……まだ初日ではありますが、俺を疑っている艦娘がいるかもしれません。大淀やあきつ丸もそうですが、長門まで……」

 

『それは……ふむぅ、困ったな……』

 

「すみません。力不足で……」

 

『何を、やめないか。そんなこと言わんでくれ。横須賀から無理に運び出し、君に汚名まで被せて少佐にしてしまったのは全てワシの不徳の致すところ……どうか、謝らんでくれ』

 

 なんて出来た人なんだ井之上さん……前世は仏か……?

 俺の情けなさに拍車がかかる……本当に申し訳ない……。

 

「でも……!」

 

『海原。君のお願いとは、艦娘たちに君は悪くないとワシから伝えることか? 難しいことでは無いが、そうすると君の立場も――』

 

 悪くなるかもしれない。そう言いたいのだろう。

 だが、この際、俺の立場などどうでもいいのだ。仕事が出来ないと陰で蔑まれてもいい。提督らしい威厳を保ったまま、道化を演じて世界一の馬鹿になったってかまわない。それで艦娘を救えるのなら喜んでやってやろう。井之上さんが助かるというのなら、いくら怒られたっていい。

 

「俺の立場は、この際、もう、いいかな、って……でも、彼女たちはとても真面目で、本気で海を守りたいという気持ちが強いんです。井之上さんが言っていた通り、俺が、思ってた、通りで……それで、どうにか仕事をさせてやりたいんです。明日、呉鎮守府に挨拶へ行くついでに資材確保の遠征を実施しようと思っています。井之上さんには、呉鎮守府に俺が挨拶に訪問する許可をもらいたく――」

 

『呉だと!? 海原、何を言っているのか分かっているのか! あそこは艦娘反対派の山元が街をも牛耳っておるんだぞ! のこのこと顔を出しに行こうものなら、君まで巻き込まれてしまう!』

 

 あの人、艦娘反対派の人だったのかよ……。

 確かに突然拳銃を向けて怒鳴り散らしたりするやべぇ人ではあったけど、最後には機嫌をなおして帰ってくれたし、俺の失態も許してくれたから、ちょっと感情的になりやすい人なのかな? くらいにしか思ってなかった……。

 体育会系は色々な意味で熱い人だし、あれくらいが普通なのかと――いや、偏見だな……。

 

「あ、あぁ……そのこと、なんですが……今日、というか、少しまえまで、その呉の人が、ここに来てまして……」

 

 たった数時間前の出来事である。なんて濃い一日なんだ。前世を全部足しても足りないくら濃い。

 中濃ソースに醤油をいれ――それはいいか。

 呉の提督の名前を今やっと知って「ふぅん、山元っていうんだ……」などと考えながら言葉を続ける。

 

「山元、さんは……正式な挨拶を慎んで受けると言ってました。ですから、明日にでも長門と大淀を連れて行きたいんです。俺を巻き込みたくないっていうのなら、もう遅いんじゃないかなと……」

 

『遊びじゃ、無いんだぞ、海原……!』

 

 耳が痛い。井之上さんの言う通りである。

 

「……はい」

 

 だが、この鎮守府に来た時点で引き返す道など存在しないのも事実。

 ならば進むしかないのだ。前へ、前へと。

 

『やめろ。でなければ、援助はしないと言ったら、どうする』

 

 それは困る。

 ならば、援助無しでもやりますと言うしかない。

 ここで「じゃあ無しで」という程、愚かなつもりはない。

 援助がもらえないのならば、社畜の頃よりももっと働いて、彼女たちが安心して仕事ができるように環境を整えるまでだ。

 その彼女たちが命を賭す仕事をしているのだから、俺も同じく、命を賭して。

 

「彼女たちは俺を信じていないでしょう。きっと、長くなります。何年か、何十年か……乗りかかった船ですから、死ぬまで面倒を見るつもりです」

 

 早速ひもじい思いをさせてしまっているあたり、俺らしい。と考えてしまって、自然と乾いた笑い声が出てしまう。

 そんな無礼も井之上さんは気にせずに、俺を慰めるように言う。

 

『……我が海軍の将官がみな、君のような男であればいいとこれほどに思った日は無い。だが、君が言う道は険しいぞ。呉に行けば、話は方々を駆けるだろう。君はそれでいいのか』

 

「ははは、ただの挨拶で井之上さんも大袈裟な。任せてください、こういうのは得意なつもりですから」

 

 本当に、心の底から情けないが、俺はそこらの人より怒鳴られてきたつもりだ。この世界に来てからは拳銃まで向けられたし、なんならお目覚めおはようパンチで鼻血が出た。もう怖いものなど存在しない。

 あるとすればこの後に待っているであろう大淀たちの説教くらいだ。

 

『まったく、地獄に足を踏み入れるのに躊躇いもせんとは。本当に、おかしなやつだ。ところで、海原……君は本当に、艦娘が好きか? この国が好きか?』

 

 地獄から地獄に転生しただけである。特に問題は無い。

 しかも今度の地獄には艦娘がいるのだから、むしろ極楽まである。賽の河原ならぬ深海棲艦の潜む海でいくらも書類を積み上げ続けようじゃないか。

 

 なんたって俺は――この世界に来る前から――

 

 

「愛してますとも。提督ですから」

 

 

 ――ずっと、艦隊指揮してきたのだから。

 

『明日、呉鎮守府への訪問だったな……ワシも許可しよう。向こうも正式に受けると言うのだから、他が口を挟むこともあるまい。報告は、そうだな……あきつ丸に頼んでおくといい。だがワシからも一つ』

 

 井之上さんの声に、重々しく返事する。

 

『……無理はするな。前に言ったように、ワシも出来ることは限られる。君はワシよりももっと動きづらいかもしれん。直接の援助も多少なら出来るかもしれんが、資材の融通だのは他の鎮守府も関わる所だ。君だけに目をかけていると知られては反対派の動きはさらに過激になるだろう』

 

 ありもしない仕事を作って押し付けてきたり、また突然訪問してきて怒ったりするのかもしれない。なんて過激なやつらだ。

 艦娘を傷つけて仕事を増やして……まだ会社にいたお局さんの方が話が出来るレベルじゃないか。悪魔め……ッ!

 

 井之上さんの気苦労は絶えないことだろう。

 

「……はい」

 

『頼んだワシが言えた義理ではないが、よく考え、身を守ってくれ。頼むぞ』

 

 ちょっと前言撤回したくなってきたかも……工廠で二式大艇でも開発してもらって、乗って飛んでいきたいかも……。

 

 い、いや、男なら一度はいた唾を呑むような真似はしない!

 

「承知……しました……」

 

 でも井之上さんに助けてもらわないと無理かも……。

 

『それと』

 

「はい?」

 

『しっかり飯を食えよ。君は痩せ過ぎだ』

 

 おじいちゃん……。俺は一生井之上さんの部下でもいいかもしれないと本気で思うのだった。

 この後、きっと井之上さんは俺のフォローのために色々と動いてくれるのだろう。夜にもなって老体に鞭を打たせるような形になってしまった……今度お会いする時は初手土下座、いや土下寝して忠誠を誓い心臓を捧げなければならないかもしれない。

 

「……っははは。井之上さんも、ご無理なさらず」

 

『くっくっく、老人とはいえ元帥にかける言葉では無かろうが、馬鹿者め。……ではな、海原。しっかり頼む』

 

 馬鹿者め、という言葉がこれほど頼もしく、そして優しく聞こえたことは無い。

 俺は姿勢を正して、心から敬い、受話器を持ったままに頭を下げた。

 

「……はい。それでは、失礼します」

 

 そして、通話が切れた音を聞いて受話器を戻すと、今度は大淀たちになんと説明して謝ろうか、と考え始め――る前に、執務室の扉がノックされたのと殆ど同時に開かれる。

 

「提督ッ! すま、なかったッ……私は、とんでもない愚か者だ……ッ!」

 

「えっ、えっえっ、なっ……ま、待て、長門、どうした、えっ」

 

 何が起こってるんだ? なんで長門は泣いて……

 

「ひっ、う、ひぐっ……申し訳ありません、てい、とくっ……あの、私っ……」

 

「大淀まで!? な、泣くな! 頼む、あっ、そ、そうだ! お、おおお茶を入れる! 温まるぞ? な? 間宮のところ行くか? 伊良湖でもいいぞ! だから泣くな、本当にすまなかった、明日の任務の事だったな? ちゃんと井之上さんに許可をもらったから問題ない。だから、あー、うーん……!」

 

 間宮と伊良湖はまだ起きてるか!? っていうか食堂はまだ使えるか!? 就業時間的に問題無いか!? これで残業させられたとか言われたら、間宮と伊良湖の残業代を計算しなければならないし、この世界の残業代を知らないから間接的に大淀の仕事が増えてしまうことになりかね――って違う! 落ち着け! 俺ェッ!

 

 問題はどうして長門たちが泣いているのか、という事だろうが!

 

 考えるよりも先に、長門の腕が俺に迫り、ぐん、と抗えないような力強さで引き寄せられる。

 

「ひぇっ……おわっ!?」

 

「提督は、我々を想って、その作戦を考案したのだろう」

 

「えっ、あっはい」

 

 すみません井之上さん。海原鎮、ここに殉職するかもしれません。

 長門型の装甲によってぺちゃんこになってしまうかもしれません……ッ!

 

 どうか俺の亡骸は工廠の妖精たちにいたずらされてしまわないよう、海に、還してくださ――あっ……やぁらかい……。

 

「……礼を言う。もう、憂いは無い。提督が見つけ出した砂粒一つ、必ずや我らがものにして見せる。大丈夫……私はあなたと共にある」

 

 うん? と俺は自分よりも上にある長門の顔を見たあと、とりあえずこの状況をどうにかしてくれそうな大淀とあきつ丸を見る。

 

「このあきつ丸――如何様にもお使いください、少佐殿!」

 

 あっだめだこの揚陸艦、俺の意図が通じてねえや。

 

 いや待てよ……も、もしや……もう、井之上さんが手を回した……!?

 なんという恐ろしい手腕……海軍の元帥は伊達ではないと言うことか……ッ!

 電話を切って数秒で解決したとでも言うのか。軍人というのはそんなに対応が早いのか!? 安い、早い、美味いのご飯屋さんでも数分かかると言うのに。

 

「わ、わかった、そうだな。明日の仕事、頑張らないとな? とにかく、少しお茶でも飲もう。だから泣くな、頼むから。私も頑張るから」

 

 まずはお茶をお入れして、長門と大淀とあきつ丸を泣き止ませねば。

 ただでさえ大淀には情けない奴として見られているかもしれないのだ。

 

 お茶はどこで入れたらいいだろうか、と部屋を見回す俺に対して、長門は優しい目をして呟いた。

 

 

 

 

「……ふふっ。大淀の気持ちが、今なら少し分かる気がするよ」

 

 あっはい。すみません本当に情けない提督で……。


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