柱島泊地備忘録   作:まちた

27 / 106
二十五話 作戦決行③【艦娘side・長門】

 私は戦艦である。

 眼前に迫るありとあらゆる危機を全て薙ぎ払い、平和を担う存在である。

 

『仕事だ。貴様らにはこれから立ち上げられる鎮守府周辺を視察してもらう。報告は適当で構わん』

 

 私は戦艦である。

 数多の戦場を乗り越え、然る日の光を受けても平和を願い海上に立ち続けた存在である。

 

『長門、貴様は佐世保に行け。支援要請が入っている。お前が戻る頃には全部終わっているだろう。全部な』

 

 私は戦艦である。

 そんな私をもとにした、妹がいた。

 

『提督……どういう、ことだ……陸奥は……一緒に出た、神風たちはどうした……』

 

 私は、戦艦である。

 

『――轟沈だ。屋代島の北方にて通信が途絶えた。詳細は確認中だ。深海棲艦にやられたのかもな』

 

『ま、待て、そんな……おかしいだろう! 戦艦と駆逐艦で構成された艦隊が、深海棲艦にやられただと!? ありえるはずがない……ッ!』

 

『何をもってありえんと言っているんだ貴様は。面倒な艦娘だ』

 

『な、んで、提督……銃を……私に向ける……?』

 

『貴様らは簡単には死にはせんだろうが。今更銃を向けられて何を怯える。これは――しつけだ、役立たずめ』

 

『――ッ』

 

 私は、戦艦である。

 

 大切な仲間と妹を救えなかった、戦艦である。

 

 

* * *

 

 

 広島――宇品港。

 

 私たちが到着したのは、昼もそろそろかという頃だった。

 昼食をとろうと言った提督について、私と大淀が「その前に軍服の汚れを落とすのが先だ」と話している最中のこと、

 

「……ままならんな、仕事というのは」

 

 提督が、そんな事を言う。

 

「どうかされたのですか?」

 

 大淀の問いに、軍服の汚れを指で擦ってどうにか薄まらないかと視線を落としていた私を挟んで、提督は今日何度目かの溜息を吐いた。

 

「お前たちだから言うが、やりたくない仕事というのもあるのだ。気落ちもしてしまう」

 

 出会った頃より、挨拶を交わした頃よりも、たったの一日で距離感が変わった提督の様子が嬉しいようで、恥ずかしいような不思議な気持ちになる。出来る限り、顔には出さないように努めた。

 

「長門、もういいぞ。シミを落とすだけなら、クリーニング屋にでも寄ろう。少し無理を言うが、頼めばやってもらえんことも無いかもしれん」

 

「そ、そうか? 提督がそう言うのなら――まぁ……」

 

 いつまでも提督に引っ付いているのも悪いか、と離れて、私たちは歩き出した。

 白の眩しい軍服の男に、艦娘が二人も歩けば、自然と人目を引いてしまう。通行人が私たちを見るも、提督はさして気にしていない様子で堂々と街を歩いていた。

 時間も昼を回ろうという頃なのに、通行人はまばらだったが。

 大淀もその様子に思うところがあったようで、私に、つん、と肘を当てて小声で話しかけてくる。

 

「……提督は気にならないのでしょうか」

 

「さぁな。講堂で百人の艦娘に囲まれて表情を変えなかった男だ。並の胆力じゃあるまいし、この程度で動じるまでもない、といったところじゃないか?」

 

「私は、少し居心地が……」

 

「っふ……私もだ」

 

 提督は訪問に行くというのに鞄の一つも持たず、護身用の銃さえ携えず、まるで街を散策するような気軽さで歩を進めていく。

 そうして、一軒の店に到着した。何の変哲も無いお好み焼き屋だったが、提督はその店の前で立ち止まって看板を見つめ、私たちに振り返って「お好み焼きとかどうだ。広島といえば、なんて俗ではあるが」と言う。

 

「私は、どちらでも」

「うむ。提督の食べたいものでいいぞ」

 

 二人して答えれば、提督は「なら決まりだな」と言ってあっさりと扉を開いた。

 

 

 店は――店主らしき女性以外誰もおらず、昼時とは思えない静けさだった。

 店内に設置された古いテレビからニュースが流れている音と、店主であろう老齢の女性が煙草を吹かしている息遣いだけ。

 

「すみませーん、三人いけますか?」

 

 ワントーン高い提督の声でぎょっとして視線を向けてしまう私。大淀も同じことを思ったようで、私たちの視線がかち合った。

 

「似合わないですね」

「驚いた、本当に」

 

 こそこそと言い合う私たちに、提督は「似合わないとは何だ。失礼な」と笑って、カウンター席に座った。

 

「……注文は」

 

 店主は面倒そうな、というよりは、嫌そうな顔で言った。提督を上から下までまじまじと見て、今度は私と大淀を見て、煙草の煙を吐き出す。

 それもそうか。ここは広島。それも呉鎮守府も近いとあらば提督が嫌というよりは、艦娘である私たちが嫌という方が大きいのかもしれない。あるいは、両方。

 

 そんなことを考えている時、私と大淀は、息が止まった。

 

「あの、伺いたいんですけども。呉鎮守府の場所ってご存じです?」

 

「あ……?」

 

 提督の言葉に心臓が飛び跳ね、提督を挟むようにして座っていた私たちの動きがぴたりと止まる。

 店主の顔を上目に見れば、みるみるうちに真っ赤になって、怒鳴り声をあげた。

 

「鎮守府の場所ぉ……!? 軍人が――あんたらが街をめちゃくちゃにしよるのに、今度はおちょくりにきよったんか――わかっとんね!?」

 

 店主は突如、カウンター裏にあった調味料を提督に向かってぶちまけ、わなわなと唇を震わせながら提督を睨みつける。

 私は、老齢の女性店主を見て、あぁ、この店主の親か、祖父母ともなれば、私たちが艦娘ではなく、艦である頃を知っているんだろうなと考えた。それよりも先に提督に危害を加えたことに動かねばならないというのに、私も大淀もあまりに突然の出来事で身動きが出来なかった。

 

「見てみんさいや……見たじゃろうが、街が、死んでいくのを……」

 

「……お話なら聞けますが」

 

 話なら聞くとはどういうことだ、と提督の横顔を見れば、軍帽を脱ぎ、上着を脱ぎ、ワイシャツ一枚の姿となって調味料――アオサ、だろう――を手で払い、店主を見つめていた。その目は――

 

「提督、お、落ち着いてくださッ――」

 

「大淀、いい。問題無い」

 

「……」

 

 ――怒りと悲しみが入り交じった、形容しがたい色を灯していた。

 

「な、なんね……その目は何なんかね! うちらがどれだけ苦しい思いしょおるか分かっとんか!」

 

 金切り声を上げ続ける店主に対し、提督は「失礼がありましたら、申し訳ございません」と頭を下げた。

 

「そんな安い頭を下げて欲しい訳じゃないんよこっちは! あんたらが深海のなんたら言うのと戦うのに必要じゃあ言うて、うちらから全部、全部持っていきよんじゃろうが! あんたらが……!」

 

 私は、はっとして店内でニュースを垂れ流し続けるテレビを見た。

 普段は情報統制され、戦意維持の為にと見ることが殆どなかった現実がそこにあった。

 

『――戦線維持のために莫大な予算案が組まれ――現在、海軍省、陸軍省の防衛費は――』

 

 思い出す。何故、こんなにも当たり前のことを忘れていたのか。

 戦争での被害をなくすためなら、私が苦しむのは当然のことであると思い込んでいた。

 

 違う。違ったのだ。

 

 私が苦しんでいる時は――国民も、苦しんでいる――。

 

 私は戦艦長門。 平和のために、苦しみを薙ぎ払うためにいたのに。

 

「それは、呉鎮守府が何かを必要としていたというお話でしょうか」

 

 提督は至極冷静に問う。店主のしわが深く刻まれた目尻が水気を帯び、半世紀以上は生き延びたであろう黒い目が揺れる。

 

「そうじゃ……。あんたは、どこの人ね」

 

 提督の声に冷静さを幾分か取り戻した様子の店主は、そう問うた。

 

「昨日付で柱島鎮守府の提督を拝任いたしました、海原鎮、と申します。呉鎮守府とは別の管轄となりますが、艦娘の管理と鎮守府の運営を任されております」

 

 すらりと言い切った提督に、店主は目を見開いて「呉の人じゃ、ないんか……」と力が抜けたように、すとん、と座り込んだ。

 

「えぇ。これから部下と食事をして、呉鎮守府に向かおうかと話していたところなのです。あの、それで……」

 

 提督は申し訳なさそうに、店主に言う。

 

「……注文、いいですかね……豚玉を一つと、あと……ほら、お前たちも頼みなさい」

 

「提督、あ、あの……? 今、店主さんが……」

 

 大淀が戸惑った様子で言う。私は言葉を紡げなかった。

 このタイミングで注文をするなど、胆力どうこう、という問題じゃない。

 軍人に向かって暴言を吐いた挙句、調味料をぶっかけるなど、しょっぴかれてもおかしくないというのに、何故そのように飄々と座り続けていられるのか。

 

「なに、呉の提督に挨拶に行くのに比べれば、こんなこと、どうという事はない」

 

 店主は提督の言葉に「呉の提督に、挨拶って、あんたぁ……何もんね……? また、うちらから何か取っていくつもりなんね……?」と混乱甚だしい様子。

 

「取るとは、注文です、よね……? あの、豚玉を……」

 

「あんたら軍人は、街に来たら好き放題しょおるじゃろうが! 何を今更、そんなっ……!」

 

 大淀は何かに気づいた様子で、しかし口を挟めず、眼鏡にそっとふれて私に通信を飛ばしてきた。

 

《長門さん、これは提督の策かもしれません》

 

《つ、通信って……すま、ない、声に出さずに通信は、慣れていないもので》

 

《問題ありません。長門さんは前線で声を上げることの方が多かったでしょうから》

 

 こういう時、柱島鎮守府の艦娘の経歴をそれとなく知っている大淀の配慮はありがたいの一言に尽きる。と言っても、こういう配慮をする必要が無いというのが一番なのだが、それを今言っても仕方がないか、と視線だけで伝える。

 

《呉鎮守府の近くになれば、公に情報を集めることも難しくなると踏んで、あえて離れた宇品に上陸したのかもしれません。山元大佐が提督の着任初日を狙ってきたのも、恐らくは迅速に取り込まねばならない理由があったから――》

 

《それが、これだと?》

 

《これだけだと……そう、お思いですか?》

 

 提督を挟んで、向こう側から私を見る大淀の瞳が、提督の瞳に宿っている怒りとは対照的に、輝いて見えた。

 

《この大規模遠征作戦の主目的をお忘れでは無いですよね、長門さん》

 

《そ、れは……だが、もう、陸奥は……仲間は……》

 

《……実は私、器用なんです。いくつものことを、いっぺんに出来るくらい》

 

 唐突の告白に眉をひそめて見れば、大淀はまた眼鏡をいじりながら、ちらちらとテレビに視線を投げつつ通信を飛ばし続ける。

 

《先程、あきつ丸さんから任務に問題無しと通信が来ていました》

 

《あきつ丸から……? あいつは何も任務を受けていないはずだろう? 今頃は鎮守府で待機して――》

 

《えぇ、鎮守府で待機していますよ。呉の、ですが》

 

《ま、待て、大淀、ちょっと、混乱してきた。一体いま、何が起こってるというのだ……》

 

 言われて気づくのは、大淀の瞳がせわしなく動き続けているということくらいで、大淀の艤装の一部であるアンテナが、目立たないよう、腰の部分からほんの少しだけ顔を覗かせているのが見える程度。

 

《艤装を完全に展開してしまうのは無理なので、今は、提督のお邪魔にならないように各艦隊との通信を繋げている電波塔になっている状態、と言えば伝わりますか?》

 

《遠征艦隊に、動きが……?》

 

《――今、繋げます。長門さん、どうか提督のお邪魔にならないよう、お静かに》

 

《大淀、待てっ、何をッ――》

 

 刹那、私の目の前にいる提督と店主の会話と、大淀から流れ込む遠征艦隊の通信音声が脳みそを叩き揺らした。

 

「店主さん、私はまだここに来て一日と経っておりませんので、よく知らないのです。軍人としても礼儀がなっておらず、呉の上司に怒られたばかりでして……それに、常識知らずでもあります。なので、出来る限り気を付けてはいるのですが……」

 

「そりゃ、あんたぁ……ほ、ほいでも、謝らんけんね。あんたら軍人がしとることをよぉよぉ考えんさいや。それとも言わんと分からんね?」

 

《こちら第一艦隊、夕立っぽい! 鎮守府近海、横島沖に艦娘の艤装のかけらっぽいのが浮かんでたの、見つけたっぽい!》

《夕立の姉貴、ぽいぽい言ってちゃ大淀さんに伝わんネェって! それ欠片っぽい、じゃなくて欠片なンだよ! あー、大淀さん、潮の流れから言って屋代あたりから流れてきたのかもしれねェ。大きさからして、駆逐や軽巡、じゃァねえな》

 

「申し訳ありません。本当に無知で、情けない限りです。ですが、上役から仕事を受けた者として、対応させていただきたく思っております」

 

「上役……て、あんた……」

 

「海軍省元帥閣下、井之上より柱島と艦娘を任されたのです。ですから、多少は融通も利くかと。どうか、お話を聞かせていただけますか」

 

《こちら第三艦隊クマ! 妖精の羅針盤がおかしいクマ! おんなじ所ぐるぐる回らされてへとへとクマ……通信がおかしかったのも、球磨たちのいる海域がおかしいせいかもしれないクマ! えー、場所、ここ、場所は……クマ~……》

《ここは中島東部方面よ、球磨さん》

《さっすが陽炎、お姉ちゃんレベルたけえクマ! それで、さっきから不知火は何してんだクマ……》

《妖精さんと遊んでおりましたが、不知火に落ち度でも?》

《落ち度しか無ぇクマ……白露も真面目にしろクマァ! 羅針盤ぐるっぐるで球磨たち迷子かもしれんクマ~!》

《いや、中島が見えてるんですから帰れますって……》

 

 整理が、追い付かない。

 

「元帥が……あんた、井之上さんを知っとるんね!? ねぇ!」

 

「は、はぁ、私をここに送ったのは井之上さんですから……。店主さんもご存じだったんですね。ははは、あの方には迷惑かけてばっかりで、頭が上がらないんですよ……あ、今のは内緒で、どうか」

 

《第二艦隊五十鈴、事後報告で悪いんだけど――深海棲艦と接敵したわ。駆逐ロ級後期型、駆逐ハ級が各二隻。輸送ワ級が二隻の計六隻ね。いきなり出てきたから通信する暇も無かったわよ……ったく。報告書にも書くつもりだけど、大分と四国の間で戦闘を行ったわ》

《こちら大淀、通信は開けたままにしていたようですね。きちんと戦闘を聞いておりましたので、問題ありません》

《あ、そ。もっと骨のあるやつかと思って本気出したかったんだけど……》

《五十鈴さんの戦ってるとこ、スケッチしたかったァァァッ……! すっごかったね、ね!? 清霜、戦艦じゃなくても、軽巡もありかもよ!?》

《んーん、清霜は戦艦になる。朝霜も一緒だもんね?》

《一緒にすんじゃねぇよ!? っつか、無理だろ! はぁ……とりあえず疲れたから、一息いれようぜぇ……?》

《っふふ。第二艦隊の皆さん、お疲れ様です。こちらも提督が順調に〝任務〟を遂行しておりますので、引き続き資材の確保をお願いします》

《あのさぁ大淀、資材の確保って……はぁ、まぁいいわ。提督が言うんだから、そういう言い方も必要なんだろうし》

 

「内緒で、て、ほんまに、あんたぁ井之上さんとこの人じゃったんね……そうね……」

 

「てっ、店主さん!? あの、ちょ、あっ、あー! すみません! ほんと失礼をしたのなら謝ります、あー! 何で泣くんですか!? えぁー!? 困る! ちょっと店主さん、あー! 待って!」

 

《こちら後方支援龍驤。だぁぁぁっもう! 五十鈴の、アレ、あれ何なんやホンマにぃっ! 八幡浜の方で煙あがっとる思て急いで彩雲飛ばしたら、あっちゅうまに終わっとるやんけ! 大淀ォッ! なんか報告あったんか!?》

《先程、敵艦隊と交戦したと報告がありました。もう、終わった様子ですが》

《んなこたぁ分かっとねん! っかぁぁ……彩雲持たしてもろたのに、見つけられへんかったなんて提督になんて報告したらええんや……》

《龍驤さん。五十鈴さんの報告によれば、大分と四国の間と言っていました。八幡浜の方面とは、四国よりですよね?》

《あー、そや。そっから五十鈴らは南下するみたいやが、ええんか? 〝荷物〟が増えとるで》

《問題ありません。補給艦の出現が確認できたということは……そういうことでしょうから》

《あ、そぉ……スパルタやなくて、これ……大規模戦闘になりかねんっちゅうか、もう足先突っ込んどるっちゅうか……提督は何してんねや》

《現在、広島の宇品にて情報の収集を行っています。のちに、呉へ》

《うっわぁぁ……あかん、呉の提督がカワイソになってきたわ……こんな詰め方されたら、どうにもでけへんやんけ……。ま、司令官を敵に回したんが間違いやったな》

《それは、まぁ……んんっ、まだこちらも任務中ですので、変わりがあれば、また》

《あいよ。五十鈴らは燃料ギリギリまで行って戻ってくる、っちゅう感じやな》

《はい。逐次、そちらでも連携をお願いします》

《天龍にも声かけとくわ。兵装は……ま、五十鈴が蹴散らして帰るやろし、とりまそのまんまやな》

《念のため、空母や重巡の皆さんも動けるように――》

《アホぬかせ。鳳翔もおるんや、手ぇ叩いた瞬間に出撃可能やっちゅうねん》

《……ふふ、了解しました。では》

 

「……提督も落ち着いてください」

 

「おっ大淀、お前、さっきから黙って見てたじゃないか……! お、お前も、長門もとにかく頭を下げろ! すまん、後で文句は聞くから一緒に謝ってくれ……!」

 

 情報が整理出来たのは、提督が大淀と私の背に手を回して頭を下げさせてからだった。

 老齢の女性と言えど、涙を見てうろたえる提督の声に呆れながら、私は大淀に答え合わせをするように問うた。

 

《……第一から第三艦隊は遠征と言う名目のサルベージ、とは聞いていたが……資源が敵補給艦からとは聞いていないぞ》

 

《敵から物資を奪えなど大っぴらに言うはずがないじゃないですか。提督を見れば分かるはずですが》

 

《それにしてもだ! しかも、夕立が艤装の一部を発見したという事は、間違いなく艦娘の誰かが付近にいるという事で……球磨についている妖精の羅針盤が狂っているというのは、深海棲艦と関係があるように思える》

 

《えぇ、十中八九、そうでしょう》

 

 深海棲艦――我々艦娘の対極にいる敵。

 かの存在は不可解な瘴気をともなって海上に出現する。深海棲艦の出現した海は荒れ狂い、時には天候さえ変える程だ。日の光は薄暗くなり、赤黒く荒れた海上での戦闘は困難を極める。

 それと同時に、様々な機器に異常をもたらす存在でもある。妖精の持つ羅針盤と言う技術さえ狂わせるのだから、人々の持つ電子機器等は一切役に立たないのは明々白々。

 

 私は提督が講堂で遠征作戦を発令した時に会っただけで、執務室に迎えに行っていないので、その間にどのような話があったのかなど一切知らない。

 提督には悪いが、秘密主義なのか完璧主義なのか、事情を伝えずというのは少しだけ嫌な気持ちになる。信用しろ、という風に振舞っておきながら、まるで自分は私たちを信用していないような……。

 

《信用していないのは提督ではないか……と言いたそうな顔ですね、長門さん?》

 

 頭を下げた状態でちらりと見られ、ぐっと喉が詰まった。

 

「呉の軍人……山元、言うたかね……あの男が呉と宇品、五日市の港の街全部から防衛のために、ちゅうて色んなもんを持っていきよるんよ。漁港も、店も、なんもかんも……一度、深海なんたらっちゅうバケモンに襲われて、確かに助けられたんはある。でもそっからはいっぺんも無い。ほいでも、ずっとずっと、持っていかれ続けとる」

 

「深海の……あー、深海棲艦……なる、ほど……これは私も動くべき、いや、しかし……」

 

「あんたも軍人なんじゃろ!? なら、お願いじゃけえ街のために、人のために動いてつかあさいや! もう、持って行かせられるもんは無いけど、そいでも……ッ!」

 

《そうでは無いか! 私は提督を信用している、信じようとしている! なのに作戦を明確に伝えず、今も、一人で任務をこなそうとして――!》

 

「店主さん。ここにいる部下、見たことはありますか。テレビとかでも、なんでも」

 

「よぉ、知らんのじゃけど……艦娘、言うて、深海のなんたらと戦ってくれとる娘ぉらじゃろう? それが、なんね」

 

《これでは、もう私は、何も守れないではないか――ッ!》

 

「――戦艦長門。あの、戦艦陸奥の姉です。隣のこの部下は、軽巡洋艦大淀。かの大戦における連合艦隊の旗艦たちでは、ご不満でしょうか」

 

「……てっ……い、とく……?」

 

「長門に、大淀……! はぁぁ、この、べっぴんさんが、あの大きい艦って言うんね……!」

 

 通信していたのも忘れ、声に出てしまった。

 頭を上げてそちらを見れば、大淀は店主をまっすぐに見つめていて、提督は私の肩を力強く掴み、熱のこもった声で語る。

 

「私は艦娘たちと共に安寧を掴むため、着任致しました。明日、美味い飯を食うためならば、明日、また変わらず日の目を見るためならば、如何なる苦労も厭いません。ですから、どうか海軍に……我々に、見切りをつけないでいただきたい」

 

 再び頭を深く下げた。

 

《長門さん――提督は、軍人です。私たちも、艦娘であると同時に軍人なのです。艦娘を信用していないから話さずに任務を一人で遂行しているのではありません》

 

 大淀は提督とともに頭を下げたまま、私に通信を続ける。

 

《提督は、私たちに全幅の信頼を置いてくださっているから、実働部隊を放ったのですよ。まぁ、作戦の綿密さに対して情報が少なすぎるのは、良くないことですが……。提督の作戦は細かすぎて、説明するのに時間がかかり過ぎます。それを読み解くのにも時間がかかるというのも考えものですけれど、私たちならば読み解き、実行できると口を閉ざして限界まで機密性を高めていることこそが、信頼の現れではないでしょうか》

 

 通信を挟んで問うべきであるというのに、私は無意識に声に出して問うていた。

 

「では、この作戦は、たったの一日で……い、いや、数時間で組まれて、今朝方に発令されたとでもいうつもりか……?」

 

 遠征作戦に見せかけた陸奥のサルベージ。

 

 接敵した事実から読み解けるのは、近海における深海棲艦の出現予測が出来ていたということ。そして、それを市民に気づかれないうちに迅速に処理し、同時に補給艦から物資を調達――作戦発令の時に提督が持っていたのは、海図の他に、方々から集められたであろう記録の束だったはず。

 

 呉鎮守府への訪問と銘打った、軍規違反の調査、摘発。

 

 二つ、いや三つ……? 四つ、だ……陸奥のサルベージに、敵掃討の出撃に、資材確保遠征に、海軍内における規律違反の摘発を、同時に……。

 

 それも、初対面の艦娘百隻余りを完全に把握した、上で……――!?

 

 龍驤の〝呉の提督が可哀そうになる〟というのは、市民に知られていないにもかかわらず、大規模に艦娘を導入されて逃げ道さえ塞がれている現状への言葉だ。

 通常兵装の艦娘ならば、なりふり構わずに逃げられたかもしれない。しかし前日に『新装備を開発している』と圧をかけ、実際に全遠征部隊には妖精という存在がついている。

 

「長門? どうした?」

 

 提督の声が鼓膜を揺らす。

 私は提督の手を払い、逆に両肩を掴んだ。

 

「この作戦を、あなたは数時間で組み、発令したのかと聞いているんだ!」

 

「ひぇっ!? そ、そうだ……! い、いやすまん! すまなかった! もう少しきちんと作戦会議などを開くべきだったな!? し、ししししかし長門、聞け! 落ち着いて聞けよ!? 時間が無かったのだ! 動けない現状を打開するのに時間はかけられんだろう!? ならば、すぐさま実行に移すしか方法は無かったのだ! そ、それはもちろん? 他から〝借りてくる〟ことも考えた、一瞬だけ考えたのは確かだ! でも、でもだ! 新任の私に貸してくれるような鎮守府は無いだろう! ならばお前たちを頼るしかないと思ったまでだ! すみませんッッッッ!」

 

 一気にまくしたてた提督。

 その両肩を強く掴み続けている私を止めるように、店主がカウンターの向こうから枯れ枝のような腕を伸ばして、私の腕を叩く。私にとって、叩くと言うより、撫でるに近いか弱さに感じられた。

 

「お、落ち着きんさい! うちも悪いことしたんは謝るけぇ、部下のあんたが上司を詰めてどうするんね!」

 

 店主に顔を向け、あ、と声を洩らして手を離すも……別に店主が心配しているような意味で肩を掴んだのではないと伝える力も無く、申し訳ない、と呟く。

 やっと二の句をつげたのは、数秒後のことだった。

 

「取り乱して、申し訳ない。少し、込み入った事情があって……しかし、今、解決、した……」

 

 口を挟まなかった大淀が、通信ではなく、今度は声に出して言った。

 

「提督のお気持ち、分かりましたか、長門さん」

 

「……ふ、ふふふっ……そうか、また、早とちりか……しかし、提督よ」

 

「あっはい」

 

 この人になら、素直に言ってもいいかもしれない。

 いいや、素直に言うべきだ。この人は私たちを――死ぬまで面倒見ると、愛していると言ったのだから。

 

「……我々を信頼してくれていること、感謝する。だが、あなたのレベルには到底合わせられない。そこに行くまでには時間がかかるだろう。だから……少しは、手加減を頼む」

 

「えっ? あ……はい……気を付けるようにする……うむ……」

 

 この人もまた、距離をはかるのが苦手なのだろうと思った。

 私たちに対して多大な期待を寄せてくれていたのだろうが、まだ、私にはその力は無い。思考の極致には、届かない。

 

 だが、私にも、他の者にも――艦娘という唯一の意義がある。

 

「代わりと言ってはなんだが……この戦艦長門の力、必ず提督に見せてやる。店主、あなたにもだ」

 

 店主は私をじいっと見つめ――ほうね、と独特な方言の返事をした。薄く笑みを浮かべて。

 提督は――

 

「長門、本当にすまない、あの、私も頑張るから。凄く頑張るから、な? とりあえずは、飯を食って落ち着かないか?」

 

 ――相変わらず女性に弱く、初々しい反応を見せるのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。