「あ゛ー……終わらん……仕事が終わらん……」
大規模遠征作戦前夜――俺は――
『てーとく、こっちにもしるしー。まるかいてー』
『このしょるいはひつようね。あしたもっていきなさい』
『ていとく、おなかへった』
『あれぇ? これ、まえのてーとくさんがかきわすれたやつだ。こっちにはさいんをください』
『しょくりょうもしんせいしましょう』
「わかった……わかったから休ませてくれ、少しでいい……」
『こんなしごとでへばってるわけ? だらしないったら!』
『これもぜんぶ、みんなのためです。がんばって!』
『ひろしまのみんながおくってくれたじょーほうをかくにんしてください』
「ぐぬぅぅ……っ!」
――妖精という上司(?)にこき使われていた。言い方が悪いか……いやでも事実だしな。
『おんなのこを泣かせたんですから、しごとくらいしてください』
「アッハイ」
しかも妖精はどこからか俺の失態を見ていたらしく、大淀や長門、あきつ丸を泣かせてしまったことを知っていたのだった。
そりゃあ、悪いことをしたとは思う。端的に言えば俺は艦娘に対して嘘をつき続けているのだし、井之上さんの人の好さにおされて死ぬまで面倒見るとまで啖呵を切ったわけだから、この業は文字通り、一生背負っていくつもりだ。
艦娘に嘘をつき続けることに抵抗は無いのかと言われたら、もちろんある。だから、俺は贖罪にもならないが死ぬ気で仕事をして、彼女たちを支えるつもりがある。
贖罪に食材申請だってしちゃうのだ。いやごめんて。疲れてるんだって。
でも大淀たちにお茶もいれてあげたし、部屋まで送ってあげたし、何なら困ったことがあれば何でも相談しろってちゃんと言ったし。
「私だって一生懸命に仕事をしているつもりなのだが……」
『あきつ丸さんにしごとをおしつけて――』
「あ、あれはあきつ丸が仕事が欲しいというから、鎮守府の規律維持を担う別動隊として仕事を与えたのだ! 別に適当に仕事を振ったわけでは無いぞ!?」
『サボり魔……?』
こいつらァッ……! い、いかん、これでは仕事が一切進まんではないか。
「ん゛ん゛っ……決裁、決裁な……確かに食材の申請は必要だな……間宮と伊良湖は食を担っているんだから、迷惑はかけられん……」
現在、執務室は妖精で溢れており、その妖精たちが俺を補佐するようにキャビネットや本棚から書類を持ってきたり、引き出しからいつの間にか用意されていた俺の名の判子を持ってきたりと大忙しである。
目の前にはアニメでしか見たことの無かったような束の書類が積み重ねられ――これ現実でも見てたわ。というか毎日会社で見てたわ。悲しい。
『てーとくさん。おちゃをどーぞ』
「あ、あぁ……ありがとう。すまないな」
妖精さん……神か……? いや、妖精だね。
こういう具合に、時折、俺を労わるようにしてお茶を持ってきてくれたり、執務室の空気を入れ替えるように窓を開けて涼しい風を入れてくれたりするものだから、俺も逆らうに逆らえないわけだ。こいつらには社畜を扱う能力がある。悔しい。
しかし、大淀たちには悪いことをしてしまったというか、バレてしまったというか……。不可思議な早業で大淀たちを納得させた海軍元帥、井之上さんの手腕が一番恐ろしいが、それでも艦娘全員にバレていないというだけでありがたい。
仕事に打ち込み、真面目な姿勢を見せて大淀たちには贖罪としたいものである。
『てーとくさん、あしたのえんせいですが』
「うん? あぁ、どうした」
『みんなのそうびにわたしたちをつけてください』
「それは構わんが……」
どうしてだ? と問う前に、妖精は安心したように笑い、わらわらと俺のもとへ集まってくる。
「う、ぉ……なんだなんだ!?」
『まもるてーとくはさいこーだー!』
『わたしたちのてーとくー!』
『きゃー! うみにでられるー!』
『これで、みんなとたたかえるね!』
『わーっしょい! わーっしょい!』
「おぉ、な、なんだ……ふ、ふふ、悪い気はしないな。なに、任せておけ、私がお前たちの提督である限り、不自由はさせ――」
『調子に乗ってないで仕事してください』
「あっすみません」
おいなんだこの眼鏡をかけた大淀みたいな妖精は……ってむつまるじゃねえか。流暢に喋ってたし怖かったぞ。おい。なんだ。くそ。怖い。本物の大淀は俺に優しいのに……いやそうでもないな。
しっしっ、と大淀妖精に散らされていく妖精たちを横目に、俺は眼前の書類と格闘を再開する。
一枚一枚丁寧に見るも、近海で深海棲艦が目撃されたが撃退済み、と書かれているものばかりでさして危険は感じられない。その他は、先程も言ったような鎮守府運営に必要な食材申請だったり、事務用品の申請であったりと、艦隊これくしょんがゲームから現実になったらこういう仕事が多いのだろうなと想像できるものばかり。
その中で一つ気になる書類を見つけた俺は、判子を捺す手を止めてじっと文面を見た。
「四国南部、フィリピン海と東シナ海における、深海棲艦の特性調査の結果……?」
書類にはいくつかの写真がクリップで添付されており、見ればまさに艦隊これくしょんで見た深海棲艦の姿が写っていた。現代でモノクロ写真というのが不思議だったが、それよりも――横倒れに浮いているような深海棲艦の傍にぽつぽつと見える船の大きさが、あまりにも小さい事が気になる。
写真通りの大きさならば、そこに写っているものは少なくとも想像しうる限り鯨のように巨大なものであることになる。
四国南部って、そこまで遠く無いじゃないか……と手元の海図と見比べてみたりしつつ、こいつらも撃退済みなのかな、とまた写真に視線をうつした。
自然と、俺の口から知識が零れ落ちる。
「これ、ロ級、だよな……」
他の写真を、と俺の手が動く。
「ハ級に、輸送ワ級まで写真があるのか……現実味が無いな、ほんっと……」
全てが、巨大。人間を一口で何十人と呑み込めそうなくらいだ。
艦隊これくしょんに出てきた時の深海棲艦は、ボスキャラ以外殆ど立ち絵などゲーム内に登場しないものだから、別角度から見られるというだけで変な感じである。
俺はそっと写真をクリップから外し、引き出しの中にしまい込む。
別に凄いレアっぽいから欲しかったわけでは無い。仮に欲しかったからと言って引き出しにしまったとしても、ここは職場であって、そのデスクにしまっただけなのだから窃盗だとかそんなことにはならないだろう。大丈夫。多分。恐らく。きっと。メイビー。
『うぇ……てーとくさん、そんな趣味が……』
「違う! ちょっと欲しかっただけだ! レアっぽいだろう!」
『もとからちんじゅふのものはてーとくさんのものですから、さっさとしごとをさいかいしてください』
「ウィッス」
また怒られた……もう開発でぬいぐるみ作るの許可してやらんからな……。
と、こういう具合に仕事を続けさせられること数時間。
突然、俺の鼓膜がびりびりと揺れる。鎮守府全体にラッパの音が鳴り響いた。
「うぉっ!? なんだぁ!? き、起床ラッパか……!?」
『そういんおこーし!』
『てーとくさんはおしごとをつづけててください』
「あ、え? はい」
『みんなをおこしにいくぞー!』
『とつげきぃ!』
部屋に散らばっていた妖精の半分が器用にドアを開き、ぴゅーんと飛んで出て行った。
ぽかんと見つめていたが、仕事を続けろと言われたので、気にせずに続けることにした。また怒られてはかなわん。
『おしごと、ほかにもあるんですけど……』
「まだあるのか……」
俺の前に、またもや初めて見る妖精がおずおずと、自分の身体よりも大きな書類を引きずってきた。見た目は、小さくなった重巡洋艦羽黒のようだ。
『ごめんなさい、てーとくさんにばかり……』
可愛い。
「構わん。提督としての仕事なのだから当然のことだろう。また決裁か?」
『おねがいします……』
「うむ」
羽黒妖精から受け取った書類に目を通――
『みんなのお菓子をしんせい、してほしくて……』
「……うむ」
――なんだか申し訳なさそうなのが可哀そうだったので、判子を捺しておいた。
ぬいぐるみを欲しがるのも、妖精なりの娯楽なのかもしれない。許してあげよう。
* * *
こんこん、とノックの音。入れと声を掛ければ、そこにはまだ少し目元を赤くした大淀が制服をきちっと着こなして立っていた。
「大淀か。おはよう」
「おはようございます提督。って、休んでいないのですか……?」
「気にするな。仕事が終わっていないだけだ」
というか終わらないだけだ。
時計をちらりと見れば、時間は既に六時を過ぎており、遠くから艦娘たちの声がちらほらと聞こえてきていた。
最後にあきつ丸を送ったのが二十二時かそこらだったと考えて、俺はきっかり八時間労働していたらしい。大淀が俺を迎えに来て鎮守府にやってきた時から考えれば、十五時間はとうに超えている。社畜の俺にはスタンダードな勤務時間だ。むしろ前よりは短めかもしれない。泣ける。
「い、いけません提督、作戦発令まで時間はありますから、少しでも――!」
「お前たちのために必要なのだ」
「提督……」
嫌味に聞こえてしまわなかっただろうかと、俺は書類から顔を上げて大淀を見て笑って見せた。
自分社畜だったんで! 全然問題ありません! まだ戦えます!
そのまま言ったらドン引きされるので、威厳スイッチの自動翻訳をかけておく。
「お前たちの役に立てる時がきたのだと考えると、眠る間も惜しかったのだ」
「っ……ぉ、お茶! お茶を入れてきます! 失礼しますっ!」
俺の顔を見た大淀はばっと顔を背けて、小走りで部屋を出て行った。
おっさんの笑顔はそんなに気持ち悪いですか、そうですか。
クソォッ……もっと優しくしろよぉ……労われよぉッ……!
泣きそうになりながら、俺は執務室の壁掛け時計をちらりと見て、妖精たちが持ってきてバラバラになった書類の整理を始める。もうそろそろまとめておかなければ作戦発令に間に合わなくなってしまう。万が一遅れて「すまん、遅れてしまった」という状況にでもなれば、講堂に集まった艦娘達から一斉射を食らって俺は塵さえ残らないかもしれない。そんな未来は、認めない――!
「ふぅ……海図、は、必要だな。あとは……そうだ、遠征名簿か。とりあえず適当に……」
執務室にパソコンが無かったので、夜を徹して出撃用の艦隊編成書類を手書きで作成したのである。ひな形はないものかと妖精にも探してもらったのだが、見つからなかったので自分で作るしかなかったのだ。まぁ、一度作って書式として覚えてしまえば、後はずっと使えるので面倒なのは今日だけだと考えれば安いもの。
遠征した後に艦娘が書いてくるであろう報告書のひな形も作りたかったが、流石に手が回らなかったので、あとで大淀を頼ろうと思っているのは内緒だ。
大淀がお茶を手に戻ってきた頃には、整理も殆ど終わっていた。
「お待たせしました提督。朝食はいかがなさいましょう?」
お茶をデスクに置いての問いに、俺は首を横に振る。
「いや、もう少しで発令の時間だ。食事は後で構わん」
「……っは。了解しました」
硬いなぁ大淀……やっぱりあれか……俺が仕事出来ない奴だとバレてしまったが故か……。
井之上さんのフォローもあってか、周りに言いふらすようなことはしないだろうが、大淀の俺への評価は地に落ちていることだろう。
少しでも仕事で挽回せねばと思うが、今日……呉鎮守府に謝罪と挨拶回りだもんなぁぁぁ……いやだなぁ……。
あーあー! 思い出したらすっげぇ気落ちしてきたー!
呉の提督は情の厚い体育会系らしい感じが見受けられたが、一日経てば気が変わることだってある。下手をしたら怒りが再燃していて、挨拶と同時に昨日のことを責められるかもしれない。というか、責めてくるに違いない。
俺が出来ることはただ一つ……最大限時間をかけて現実から逃げるこ――じゃなかった。落ち着いて、ゆっくりと、ゆっっくり堂々と呉へ向かい、誠心誠意謝罪することだ。
よし、大丈夫だ、俺はまだ戦えるぞ。心は大破しているけども。
「……もうすぐで時間だな。講堂へ向かう」
「っは」
大淀を連れ、執務室を出た俺は、講堂へ向かって遠征作戦を発令すべく足を動かした。
――講堂での遠征作戦発令は、拍子抜けも拍子抜けだった。旗艦だけを集めた理由を問われたりしたが「朝から大勢の艦娘に囲まれたら俺の胃が大破するだろう」という本音を威厳スイッチで適当に翻訳して、さっさと出撃してもらうことに成功したのだ。
あんなに噛みついてきた龍驤も何も言わず承諾してくれたし、何なら船に乗って出発した俺に向かって帰ったら何が食べたいかまで聞いてきた。井之上さん凄い。一生ついていきますと心の中で土下座でお礼を言いながら、やはり適当に「お前たちの食べたいものでいい」と伝えてしまったのだが。
昨日は焼き魚定食だったし、それ以外なら何でも良かったのが本音である。嫌いな食べ物とか特にないしな。
大淀のみならず、長門やあきつ丸を泣かせた挙句に、妖精にこきつかわれて、その上で呉鎮守府に謝罪訪問に行かなければならないという問題に問題を重ねた状況に置かれた俺だが、それよりも何よりも、この先が問題だった。
出来る限り呉鎮守府に行く時間を遅らせたい一心でゆっくり行けと命令したのが悪かったのか、はたまた大淀や長門の話を適当に聞き流したのが悪かったのか、それとも勤務時間中にもかかわらず前世では出来なかった旅行気分で広島の宇品に降りてお好み焼きを食べようとしたのが悪かったのか……。
「鎮守府の場所ぉ……!? 軍人が――あんたらが街をわやくそにしよるのに、今度はおちょくりにきよったんか――わかっとんね!?」
呉鎮守府の場所って知らないなあ、と思い出した俺は、目に入ったお好み焼き屋で食事をしながら店主に道を聞こうとしたところ、突然アオサをぶちまけられたのだった。完全に天罰である。本当にすみませんでした。
「見てみんさいや……見たじゃろうが、街が、死んでいくのを……」
店主らしいお婆ちゃんが言うには、宇品は死んでいるらしい。いや人居たじゃん、と言い返しそうになるのを堪えつつ、宇品港で降りて大淀たちと歩いてきた道のりを思い出しながら言う。確かに、何となく人通りは少なかったように感じる。地方の衰退とか、そういう話だろうか。
「……お話なら聞けますが」
例えアオサをぶちまけられ、広島と言えばお好み焼きだろ! お好み焼きを食べよう! とミーハーな選択をした洗礼であったとしても、こういう無茶苦茶な場面には慣れっ子である。
昔、仕事が多すぎて期限ぎりぎりに書類を提出したら上司に熱々のコーヒーをぶっかけられた事があるが、それにくらべればアオサ程度、爽やかな香りを感じられるほどだ。もしかしたら店主は俺にアオサをぶちまけて「あんたがお好み焼きになるんだよ!」と言いたかったのかもしれない。
俺は何を言ってるんだ。完全に疲れ切ってるじゃないか。
まずは話を聞かねば、とお婆ちゃんの表情を窺う。
大淀が心配してくれたが、別に怪我をさせられた訳では無いからと制す。
「な、なんね……その目は何なんかね! うちらがどれだけ苦しい思いしよるか分かっとんかね!」
うーん……クレーマー、と断じるには理由が分からん……苦しんでいるとは何を指しているのか。
しかしここは社畜の俺、まずは頭を下げて「失礼しました」と謝っておく。
社畜の掟は、一に謝り、二に謝り、三に土下座し、四に徹夜である。
仕事をし続けることは掟でも何でもなく、社畜にとっては呼吸なのだ。
この程度では……この海原、まだ、沈まんぞ……ッ!
俺には大淀と長門という連合艦隊旗艦たちがいる! お好み焼き屋のお婆ちゃんのクレームなど恐れるに足らず!
「そんな安い頭を下げて欲しい訳じゃないんよこっちは! あんたらが深海のなんたら言うのと戦うのに必要じゃあ言うて、うちらから全部、全部持っていきよんじゃろうが! あんたらが……!」
安い頭っていうなよ……ふさふさだぞ俺は……。
しかし、やはり頭を下げることによって場は繋げた。お婆ちゃんの口から二の句を継げればこちらのものである。
問題点を喋って欲しくば問うのではなく、待つのである。これも社畜の――もういいか。
「それは、呉鎮守府が何かを必要としていたというお話でしょうか」
お婆ちゃんの口から紡がれたのは、鎮守府運営に際して呉鎮守府から何らかの要求をされたというものだった。
確かに海軍は国のため、国民のために戦っているのだから協力体制があって不思議ではない。だがそれは、相手から差し出されたら断る理由が無いということであって、決して要求し奪うことではない。
ここで俺は、おや、と思い始める。
「そうじゃ……。あんたは、どこの人ね」
「昨日付で柱島鎮守府の提督を拝任いたしました、海原鎮、と申します。呉鎮守府とは別の管轄となりますが、艦娘の管理と鎮守府の運営を任されております」
「呉の人じゃ、ないんか……」
「えぇ。これから部下と食事をして、呉鎮守府に向かおうかと話していたところなのです。あの、それで……」
お婆ちゃんの表情はまだ硬い。ならば、少しでも話題を変えて、一度リセットをかけてから聞くべきか――
「……注文、いいですかね……豚玉を一つと、あと……ほら、お前たちも頼みなさい」
「提督、あ、あの……? 今、店主さんが……」
大淀が戸惑った顔で言う。
そりゃそうか。アオサぶちまけられて怒鳴られてるのに注文しているのだから、傍から見ればやべぇ奴である。
だがな大淀……俺は、呉鎮守府に行って怒られたら、きっと食欲が失せる……だから今のうちに少しでも食べておきたいんだよ……。
こんなことなら朝飯食ってくればよかったよ……。
「なに、呉の提督に挨拶に行くのに比べれば、こんなこと、どうという事はない」
いかん本音が思いっきり出た。
「呉の提督に、挨拶って、あんたぁ……何もんね……? また、うちらから何か取っていくつもりなんね……?」
お婆ちゃんが目を丸くして俺を見る。取る? そりゃ取らないとダメじゃん。ここご飯屋さんじゃん。
「取るとは、注文です、よね……? あの、豚玉を……」
「あんたら軍人は、街に来たら好き放題しょおるじゃろうが! 何を今更、そんなっ……!」
あっ、だめだ話題逸らせねえしご飯も出してくれそうにねえ。
しかしお婆ちゃんの言葉は聞き捨てならなかった。全ての軍人がおかしい、との口振りは何かがあったことを思わせる。それが分からないほど俺も馬鹿では無い。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、というところか、呉鎮守府の提督が何かやっているのかもしれない。柱島鎮守府に来た時を思い出せば、有り得ない話でもない気がする。
俺は軍人では無いので軍の常識も理解も無いが、あるものは寄越せ、勝つために必要なのだ、なんてテンプレートな悪役みたいなことを要求しているのならば、同じ軍に所属している――ひいては、同じ職場の者が起こした問題なのだから、一応、俺にも頭を下げなければならない義務が発生する。
たとえそれが関係の無いことだったとしても、同じ職場の上司として井之上さんがいるのだ。俺は井之上さんの顔に泥を塗るような真似をしたくはない。
出来る限り丁寧に、誠意を込め、先程のような「とりあえず下げとくか」というものではなく、きちんと背筋を伸ばした後に、頭を下げた。
「店主さん、私はまだここに来て一日と経っておりませんので、よく知らないのです。軍人としても礼儀がなっておらず、呉の上司に怒られたばかりでして……それに、常識知らずでもあります。なので、出来る限り気を付けてはいるのですが……」
「そりゃ、あんたぁ……ほ、ほいでも、謝らんけんね。あんたら軍人がしとることをよぉよぉ考えんさいや。それとも言わんと分からんね?」
「申し訳ありません。本当に無知で、情けない限りです。ですが、上役から仕事を受けた者として、対応させていただきたく思っております」
俺は仮の看板とて鎮守府を背負う社畜……じゃなく、軍人の端くれ。
きちんと対応策を練らねばいけない。
お……待てよ……? あれ、これ……街から不安の声が上がってます、的にオブラートに包んで話題として持っていけば、叱責を回避できるのでは……?
はぁぁぁ……俺は社畜ではなく、天才だったか……。(社畜)
「上役……て、あんた……」
「海軍省元帥閣下、井之上より柱島と艦娘を任されたのです。ですから、多少は融通も利くかと。どうか、お話を聞かせていただけますか」
井之上さんごめんな。名前、使わせてもらいます……人類が滅ぶ前に、俺が滅ぶのを回避させてください……。
海軍を取りまとめている人物から指名を受けて仕事をしていることが伝わるだけでいい。クレーム然り、文句がある者というのは解決してほしいのと同時に、上の者に向けて愚痴を言いたい節があったりするものなのだ。
「元帥が……あんた、井之上さんを知っとるんね!? ねぇ!」
「は、はぁ、私をここに送ったのは井之上さんですから……。店主さんもご存じだったんですね。ははは、あの方には迷惑かけてばっかりで、頭が上がらないんですよ……あ、今のは内緒で、どうか」
井之上さんパワー凄い。こんなお好み焼き屋のお婆ちゃんですら知ってるとかやはり偉い人だったのか……俺は声しか知らないが。すみません態度を改めます。
「内緒で、て、ほんまに、あんたぁ井之上さんとこの人じゃったんね……そうね……」
さぁ、ここからが本番だ。頭も下げた、井之上さんの名前も出して俺を通せば話が伝わることも匂わせた。これでスムーズにことが運べば、呉の提督の叱責回避のための話題が一つや二つ貰える。
と考えている俺にまたもや天罰が下る。
お婆ちゃんが突然、よよよ、と泣き始めたのである。
艦娘に次いで今度はお婆ちゃんまで泣かせたとあれば、今度こそ俺の未来は無い。いやもう泣いているから未来など無いのかもしれない。
「てっ、店主さん!? あの、ちょ、あっ、あー! すみません! ほんと失礼をしたのなら謝ります、あー! 何で泣くんですか!? えぁー!? 困る! ちょっと店主さん、あー! 待って!」
慌てて、手近にあったお手拭きを手に取ってお婆ちゃんに渡そうとする俺。
「……提督も落ち着いてください」
ここに来てようやく口を開いたかと思えば俺に呆れた声を上げる大淀。
お、おっま……お前ぇッ! さっきまで助けてくれなかったじゃねえかよォッ!
「おっ大淀、お前、さっきから黙って見てたじゃないか……! お、お前も、長門もとにかく頭を下げろ! すまん、後で文句は聞くから一緒に謝ってくれ……!」
こうなったら一緒に頭を下げさせてやる。いや下げてください。後で何でも言う事聞きますんで助けて下さい。
なんて一心で大淀の背に手を回して頭を下げさせる。ついでに横でぽかんとしている長門の頭も下げさせる。
連合艦隊旗艦の二人と、社畜の俺の謝罪で何とか許してお婆ちゃん……!
もう俺には後が無いんだよ! 呉鎮守府で怒られている間にも、資材確認を怠った俺の尻ぬぐいの為に四艦隊も艦娘が遠征に出てるんだ、これ以上失態を重ねたら今度こそ龍驤の「お仕事お仕事~!」というツッコミ右ストレートで心臓を抉りだされてしまう。
「呉の軍人……山元、言うたかね……あの男が呉と宇品、五日市の港の街全部から防衛のために、ちゅうて色んなもんを持っていきよるんよ。漁港も、店も、なんもかんも……一度、深海なんたらっちゅうバケモンに襲われて、確かに助けられたんはある。でもそっからはいっぺんも無い。ほいでも、ずっとずっと、持っていかれ続けとる」
お婆ちゃんが掠れた声で話し始めたことに顔を上げる。希望が見えたぁ……!
でも、おかしい。呉の鎮守府が何故、街から色々なものを持って行っているんだ……? 物資調達の一環……にしてもおかしい。新規に立ち上げられたわけでもないのだからある程度の備蓄はあるだろうし、深海なんたら……深海棲艦のことだろうが、それに対応できないほど困窮しているとは考えにくい。
「深海の……あー、深海棲艦……なる、ほど……これは私も動くべき、いや、しかし……」
「あんたも軍人なんじゃろ!? なら、お願いじゃけえ街のために、人のために動いてつかあさいや! もう、持って行かせられるもんは無いけど、そいでも……ッ!」
お、おぉう……なんという食いつき。
街のために、人のために動いてくれ――そりゃあ、助けてくれと言われて助けないわけがない。助けますとも。でも俺だけじゃ無理です。
「店主さん。ここにいる部下、見たことはありますか。テレビとかでも、なんでも」
はいここでご覧いただきますのは私の自慢の部下です。
昨日泣かせたばかりで一緒にいるだけで若干気まずい二人ですが、仕事を与えて気を紛らわせてあげれば何とかなるかなとご紹介いたします。
最低なのは承知の上で、俺はさらりと二人を巻き込むのだった。
「よぉ、知らんのじゃけど……艦娘、言うて、深海のなんたらと戦ってくれとる娘ぉらじゃろう? それが、なんね」
「――戦艦長門。あの、戦艦陸奥の姉です。隣のこの部下は、軽巡洋艦大淀。かの大戦における連合艦隊の旗艦たちでは、ご不満でしょうか」
「……てっ……い、とく……?」
えっ、という顔をしている長門が視界の端に映る。
ごめんな長門……俺はお前たちのためならば粉骨砕身で頑張るつもりだ。お前たちを死ぬまで面倒見てやるとも言った。嘘じゃない。
だが俺の面倒も見てくれ。すまん……。
「長門に、大淀……! はぁぁ、この、べっぴんさんが、あの大きい艦って言うんね……!」
お婆ちゃんが長門と大淀を交互に見て、はぁぁ、と息を吐く。
そう言えば、お婆ちゃんが正確に何歳なのかは分からないものの、実物の長門や大淀を見たことがあってもおかしくないな、と考えた。
それがこんな美人になって世に戻れば、驚くのも当然である。
「私は艦娘たちと共に安寧を掴むため、着任致しました。明日、美味い飯を食うためならば、明日、また変わらず日の目を見るためならば、如何なる苦労も厭いません。ですから、どうか海軍に……我々に、見切りをつけないでいただきたい」
これは、本音だ。
艦娘たちには幸せになって欲しい。美味しい飯も食いたい。明日も変わらず生きていたいし、そのためなら苦労くらいいくらだってする。
だから、軍人だからと言って見切りはつけて欲しくない。井之上さんのような素晴らしい人もいるのだ。
目まぐるしく進む時間が、一瞬だけ止まったような錯覚に陥る。
お婆ちゃんは優しい笑みを浮かべ、俺に――
「では、この作戦は、たったの一日で……い、いや、数時間で組まれて、今朝方に発令されたとでもいうつもりか……?」
「長門? どうした?」
今いい感じで話がまとまりそうだったよな? 長門? おい?
「この作戦を、あなたは数時間で組み、発令したのかと聞いているんだ!」
何で今怒るんだよそれをヨォオオオオッ! 空気読めよ超弩級戦艦さんよォォオオッ!
強く両肩を掴まれ、前後に揺すられる俺の中の怒りは瞬時に失せ、その倍以上も大きな恐怖に襲われる。
そうだ。こいつは戦艦だ。このまま両肩を握りつぶされてもおかしくない! あ、謝れ……すぐに謝れ、俺……!
長門の怒りは遅効性なのかもしれない。
既に発令された作戦に対して今更怒るという事は、意見の一つや二つあったのかもしれないが……もう遅いんだよなぁぁ……!
しかしながら、このまま前後に揺らされ続けては俺の脳みそが頭の中でとろけて無くなってしまいかねん。
お婆ちゃんさえ驚いて長門の腕をぺちぺち叩いて止めようとしてくれている。優しい。アオサかけてきたのは許す。
「ひぇっ!? そ、そうだ……! い、いやすまん! すまなかった! もう少しきちんと作戦会議などを開くべきだったな!? し、ししししかし長門、聞け! 落ち着いて聞けよ!? 時間が無かったのだ! 動けない現状を打開するのに時間はかけられんだろう!? ならば、すぐさま実行に移すしか方法は無かったのだ! そ、それはもちろん? 他から〝借りてくる〟ことも考えた、一瞬だけ考えたのは確かだ! でも、でもだ! 新任の私に貸してくれるような鎮守府は無いだろう! ならばお前たちを頼るしかないと思ったまでだ! すみませんッッッッ!」
言い訳のオンパレードである。情けない。
時間が無かったのは大淀が良く分かっているだろう。時間が無かったが故の作戦なのだ。他の鎮守府から資材を借りることも出来ただろうが、新任の俺に資材を融通してくれるようなところがあるはずも無い。最初から甘えさせてくださいなど言ったら、それこそ井之上さんに面目が立たないではないか。
だから艦娘を頼ったんです……すみません……すみませんッ……!
「お、落ち着きんさい! うちも悪いことしたんは謝るけぇ、部下のあんたが上司を詰めてどうするんね!」
「っ……取り乱して、申し訳ない。少し、込み入った事情があって……しかし、今、解決、した……」
お婆ちゃんはお好み焼き屋さんを営む前は調教師をしていたのかもしれない。長門が一瞬で黙った。
あ、いや、失礼過ぎるな……。
「提督のお気持ち、分かりましたか、長門さん」
いじめかな?
「……ふ、ふふふっ……そうか、また、早とちりか……しかし、提督よ」
「あっはい」
「……我々を信頼してくれていること、感謝する。だが、あなたのレベルには到底合わせられない。そこに行くまでには時間がかかるだろう。だから……少しは、手加減を頼む」
えぇ……そんな、人前でいきなり、言わなくてもいいじゃないか……。
そりゃあお前たちは俺が使えない男と知っているかもしれないが、部下が上司を咎めるなんて、それも、人前で、えぇ……。
「えっ? あ……はい……気を付けるようにする……うむ……」
呉鎮守府に行く前に叱責されるとか、予想してないよ……。
「代わりと言ってはなんだが……この戦艦長門の力、必ず提督に見せてやる。店主、あなたにもだ」
ちょっとまてお婆ちゃんは関係ないだろう!?
俺は慌てて長門を落ち着かせるべく、長門にも頭を下げるのだった。
「長門、本当にすまない、あの、私も頑張るから。凄く頑張るから、な? とりあえずは、飯を食って落ち着かないか?」
俺の職場は、やはりブラックなのかもしれない。