柱島泊地備忘録   作:まちた

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二十七話 資材【艦娘side・球磨】

「こぉれ……どうするクマァ……? 異変があれば通信をって大淀は言ってたけど、この状況は異変って言っていいんじゃないクマ……? もっかい通信するクマ……?」

 

 柱島鎮守府所属、大規模遠征作戦第三艦隊旗艦、軽巡洋艦球磨。

 

 彼女は今、駆逐艦三隻を連れて柱島から東部にある中島沖の海域を航行していた。

 提督の指令にあった通り羅針盤を携えた妖精に従い進んでいるものの、先刻から同じ場所をぐるぐると回らされている状態で進む気配は一向に無い。

 波が少し高く感じられる程度で異常も特に無く、快晴の光が眩しい、気持ちの良い日であるくらいだ。

 

 妖精に何故回るのかと問うても返答は無い。彼女たちは妖精と共鳴は出来ても、細やかな意思疎通というものが出来ないからだ。

 

「妖精さん……この羅針盤壊れてねえクマ? 大丈夫クマ?」

 

 と球磨が聞くと、妖精は羅針盤を見て、球磨を見て、ぐっと親指を立てるだけ。

 

「うーん……こりゃ困ったクマ」

 

「くまったくまった」

 

 横から茶々を入れたのは、第三艦隊随伴である白露型駆逐艦一番艦、白露である。

 

「冗談言ってる場合じゃないクマ。燃料だって積んであるものしか無いんだから、帰りの事も気にしなきゃいけないクマ。このまま資材が見つからずに燃料切れなんか起こした日には提督に怒られちゃうかもしれんクマ」

 

「しかしこの場所を指示して妖精を連れさせたのは司令です。不知火たちに落ち度は無いかと」

 

 自らを名で呼ぶ不知火は妖精を肩に乗せて、指先でちょいちょいと弄りながら海上を進む。球磨の持つ羅針盤に従い進むも、ある程度行ったら右へ、またある程度行ったら右へ、右へ。そうして最終的には、先程と同じ場所へ戻ってくるばかり。

 かと思えば、今度は左へ、左へ、また左へ。そうして、振出しに戻る。

 

 これを何度か続けた頃か、球磨は海上でぴたりと止まった。

 

「あぁ……大淀にもっかい通信するクマ……」

 

「球磨さん、ちょっと、羅針盤見て、ほら」

 

「クマ?」

 

 随伴艦陽炎に言われて羅針盤に視線を落とす。すると、ゆらゆらと進行方向を示していた羅針盤の針は凍り付いたかのように動きを止めており――

 

「おっ! これでやっと進め――」

 

 ――刹那、その場でぐるぐると高速回転をし始めた。

 

「クマァ!? こ、こここ壊しちゃったクマ!? やべぇクマ!」

 

 球磨は壊したと勘違いしたどころか、まるで壊してしまった罪を他に擦り付けるかのように陽炎へ羅針盤を押し付け、あわあわとその場から後退する。

 

「ちょっと、球磨さん!?」

 

「くくくくクマは持ってただけクマ! ひぇぇ……」

 

「なに比叡さんみたいな声上げてるんですか! ちょっと!」

 

「球磨は球磨クマ! 比叡じゃないクマ!」

 

「そういう事じゃなくて! って、こんな事してる場合じゃないのに……!」

 

 陽炎が羅針盤を握りしめて逡巡を見せた時、ふと、球磨の顔から色が失せる。

 

「……」

 

「球磨さん? まさか言い訳でも考えてるんじゃ――」

 

「――待てクマ。いきなり敵艦の気配がし始めたクマ」

 

「えっ」

 

 クマクマ言い続けていたというのに、締まらない語尾をそのままに瞬時に雰囲気をまったく別のものへ変えた球磨は「単縦陣、球磨が先頭になるクマ。陽炎、白露、不知火の順で立て直せクマ」と早口で言う。

 

「はっはい!」

 

「了解!」

 

「了解です」

 

 球磨の頭頂部で寝ぐせのように潮風に揺られていた前髪が、ぴんと立つ。

 彼女のそれは電探であり、敵艦を察知するのに優れた性能を発揮するのは、言わずもがな、彼女たち全員が知っていた。

 

「……おかしい、ちょっと待ってろクマ」

 

 球磨の〝おかしい〟という感覚は間違っていなかった。ここは瀬戸内海、いわば完全に日本の領海であり、敵艦の入る隙は無いはずなのである。仮に敵艦が入り込める余地があるとしても、それは九州南部側からの進入か、四国東部側からの進入しか出来ないはずであり、必ず警戒網に引っかかるはずなのだ。

 

 そのまま片耳に手を当て、どうして、どうやって、という胸中に浮かぶ疑問を押し殺しながら通信を始める。

 

《こちら第三艦隊。未確認の艦を察知クマ――規模はおそらく、六……いや、七隻と予測。少なくとも民間船舶じゃなさそうクマ》

 

 じじ、じじ、と数秒のノイズが艦隊全員の頭に響く。それから、全艦隊の通信を制御していた大淀の声が返ってきた。

 

《こちら大淀。第二艦隊の五十鈴さんが六隻編成の敵艦を撃沈しております。残存勢力の可能性がありますので、警戒してください》

 

《了解クマ。これより戦闘警戒に移行する》

 

 ぷつりと通信を切り、球磨は振り返って視線だけで陽炎たちに合図し、陽炎に向かって投げた羅針盤を再度要求するため腕を伸ばした。

 陽炎は羅針盤を球磨に差し出しながら「まだ、回ってますね……」と訝し気に言う。羅針盤に引っ付いている妖精は回り続ける針を見たあと、妖精サイズの双眼鏡を取り出して周囲をぐるりと見まわした。

 

「五十鈴たちも接敵したと言っていたクマ……もしかしたら、球磨たちのとこが大当たりってところかもしれんクマ」

 

 そう言うと、呼応するように腰と背の艤装が動き、十四センチ単装砲と魚雷発射管が稼働し始める。

 ごうん、ごうん、という重低音が辺りに響くのと同じくして、陽炎たちも兵装を稼働させて周囲を警戒した。

 

 相変わらず羅針盤の針は高速で回転し続けており、妖精も険しい顔で羅針盤を覗き込んでいる。

 進むも戻るも出来ない状態で、羅針盤を参考にせよという指令が確かなのか疑いたくなってしまったのであろう不知火がぽつりと言った。

 

「羅針盤に従うなら、動くなという事でしょうが……これでは、不知火たちは良い的ですよ」

 

「ならそこで縮こまって黙ってろクマ」

 

「くっ球磨さん、妹に、そんな――!」

 

 唐突に球磨の口から飛び出した冷たい声に陽炎が声を挟むも、球磨は至極真剣だという顔で顔を横に向け、視線を後ろに投げて続ける。

 

「遠征っていうのは〝建前〟だって、球磨、教えたクマ? 球磨たちは〝資材〟を探してるんだクマ。提督が頑なに遠征だって言い張ってる理由くらい、考えろクマ」

 

「っ……でも……!」

 

 陽炎と不知火は顔を伏せて黙り込み、白露は困ったような表情で全員を見る。

 

「……っち。これなら提督か大淀の口から説明してもらった方が良かったクマ。球磨お姉ちゃんが説明してあげるのは今回だけクマ」

 

 はぁ、と一息吐き出した球磨が人差し指をぴんと立てた時のこと、

 

《こちら龍驤! 球磨ァ、聞こえるかぁ!?》

 

「聞こえてるクマ。どうしたクマ」

 

 きーんとするような声が全員の頭に響いた。龍驤からの通信ということは、何か発見したのかもしれない、と全員に緊張が走る。

 

《上見えるか? 今彩雲があんたらの直上におるはずやけど》

 

「上ぇ? い、や……何も見えんクマ……」

 

《さよか……ほなら五十鈴はハズレで、球磨が当たりっちゅうこっちゃな。っしゃぁ! 今回は先に見つけたったでぇ!》

 

「……ほーん……電探に引っかかってるのに何も見えない理由がやっとわかったクマ」

 

 球磨がニヤリと不敵な笑みを浮かべ、龍驤との通信を繋げたままに言葉を濁しつつ話す。

 

《お、なんや球磨、やったことあるんかいな?》

 

「ったり前クマ。どんだけ前の所で使いつぶされてきたと思ってるクマ。それなのに報告書も情報も見ないで、適当なことを書くなとか殴られて……ムカついてきたクマァッ!」

 

《っははははは! そらしゃあないわ! 普通のモンが、はぁ、さよですかってのみ込めるかいな、こないな無茶苦茶なもんを》

 

「それでも腹立つクマァ! 龍驤は言ったら分かるクマ!? っていうか知ってるクマ!?」

 

《知ってるもなにも、九七式使って昔に痛い目見たっちゅうねん……ま、今は司令官が開発してくれた彩雲があるしぃ? 見つかる前に見つけたったけどなぁ!》

 

「っはん! ならさっさと方向を教えるクマ。全部蹴散らして――」

 

《ドアホ。あんたらは〝資材〟を確保して一旦帰投や。こら五十鈴がハズレやから天龍たちに引き継ぎやな》

 

「ンナァァァッ! こぉんな消化不良で終わってたまるかクマー!?」

 

《あーあー、文句はウチやのうて司令官か大淀に言うてや》

 

「言えるかクマ! 球磨の電探引っこ抜かれて怒られるクマ!」

 

《はは、かもしれへんな。まぁ、冗談言うてわろてくれるくらいやろけど……頼むで球磨。あんたは長門と会うて、顔、見たんやろ》

 

「……ん。分かってるクマ。それじゃ、また後で――あ、天龍たちは準備出来てるクマ?」

 

《確保報告があり次第、即出撃可能にしてあるで。そっちの離脱と同時に出すつもりやさかい……きっちり逃げや。中島見えるやろ? そのまま北北西にある小さい島の手前や。スピード勝負やで》

 

「了解クマッ」

 

 会話が終わるのと同時に球磨が「第三艦隊、前進クマ!」と声を張り上げると、羅針盤の針がぴたりと止まり、まさに向かう場所である北北西を示した。

 

「ちょ、ちょっと球磨さん! どういう事なんですか! 説明は!?」

 

 ざぁ、と水飛沫を派手に上げて進む中で問いを投げる陽炎。

 

「提督は全部知った上で計画を立ててたんだと思うクマ! 詳しいところは知らんから提督に聞けばいいクマ!」

 

 と返し、頭頂部の電探を手でぐいぐいと弄り続ける。

 

「艦娘反対派に捨てられた球磨たちなら知ってて当然のこと……あいつらは球磨たちの事をなーんとも思ってねぇクマ。深海棲艦の拠点を探すのに建造されたての艦娘を突っ込むのは当たり前。使えなくなったら解体するのも当たり前。そのくせ、戦況報告は自分たちが聞きたいことしか耳にしないときたもんだクマ。そんな中で沈みたくなくて、海上を漂流し続ける艦娘を、艦娘反対派が何て呼んでるか知ってるクマ?」

 

「し、……――」

 

 陽炎と白露の声が同時に響くも、途中で顔が曇り、ぐっ、と声を詰まらせる。

 不知火は意味が分かって、沈痛な面持ちで口を噤んだ。

 球磨は、まだ言葉を続ける。

 

「そう、そうクマ! あいつらは生きたい、沈みたくないだけの艦娘を〝資材〟と呼ぶんだクマ! 適当な艦娘を仕向けて、仲間同士で攻撃させて、文字通り微量の資材に変えて深海棲艦を撃破したことにして持ち帰るんだクマ! まだ言わないとわかんねえクマ!? えぇ!?」

 

 球磨は説明してやると言っていたが、そこには冷めることのない怒りがあった。

 陽炎も白露も不知火も、怒りに震えているようにみえて、その実、過去を思い出して足がすくんでしまいそうになっている。それでも前に進めているのは、内に秘められた沈みたくないという心というより――

 

「提督は――呉鎮守府が艦娘を資材にしようと計画してたところに転がり込んだに違いないクマ! 元帥閣下と話してたのも、きっとこのこと……それでも提督は、クマたちのために戦うって言ったんだクマ!」

 

 ――海原鎮という提督の、六年にも及ぶ歳月をかけて練り上げられた計画の中核たる心。

 

 昨夜、大淀の通信で聞かされた提督の想い。

 

 陽炎が言う前に、不知火が顔を上げる前に、白露が口を開く前に、球磨はこれから何が起こるか分からないというのに、怒りの込められた声を塗りつぶすような、希望に輝く瞳で前を見据えて叫んだ。

 

「球磨たちは平和のために戦ってんだクマ! 提督も、そのために戦ってんだクマ! 邪魔するなんて許さんクマ! これでもまだ帰りたいと思うか、駆逐艦!」

 

「~~~っ……陽炎型駆逐艦一番艦、陽炎、進みます!」

「同じく二番艦、不知火……進みます……!」

「白露型駆逐艦一番艦、白露、あたしが一番に進むんだから!」

 

 第三艦隊は、全速力で航行を始める――。

 

 

* * *

 

 

 球磨たちが進む先。先ほどまでは何も変わらぬ景色が続く快晴だったというのに、北北西へ進むにつれて波はどんどんと高く、荒れ始める。雲も見えないというのに光は薄暗くなり、辺りには赤黒い霧。

 中島は見えるというのに、穏やかな波など消え失せ、視界のずっと向こうにある島が蜃気楼のように揺れる。

 

「ひっさびさの〝結界〟クマ……っちぃ、視界が……!」

 

「球磨さん! 結界って!?」

 

 白露が辺りのおどろおどろしい空気に惑いながら聞くと「いいから周りをしっかり見とけクマ!」と怒鳴りつつも答える。

 

「お前らは初体験なんだクマ? 深海棲艦特有の妙な能力……奴らがどこからでも湧いて出てくる理由がこれクマ。大規模戦闘に参加した艦娘なら大体が味わってるけど、戦闘中の錯乱による幻視とか言って取り合ってもらえんクマ!」

 

「じゃあ、それって報告も多いはずじゃ――」

 

「それを握りつぶしてんのが反対派クマ。幻視で指揮官がいなけりゃまともに戦闘も出来ないって言って完全管理体制を敷く……あとは独裁クマ」

 

 深海棲艦の生み出す結界は確かに幻視と言われて仕方がない非現実な光景を生み出す。見えていたはずの仲間を見失ってしまったり、敵艦の威圧が何倍にも膨れ上がったように感じたり、海の底から自分の名を呼ぶような声が聞こえたりもする。

 それによって戦意が低下する可能性は、確かに否めない。恐怖に塗りつぶされて動けなくなってしまった艦娘を、球磨は多く見てきた。

 

 報告を上げて対策を練ってもらいたくとも取り合ってもらえない光景も、然り。

 

「酷い……っ」

 

「現実なんてこんなもんクマ。悪く言うつもりは無いけど提督もそう思ってておかしくないくらいには、艦娘が戦闘中に見る幻視として通説になっちまってるクマ」

 

 球磨の声に、不知火が「報告はすべきじゃ、無いんでしょうか」と疑問を呈す。

 暫く考え込んだ球磨だったが、ぽつりと「やめとくほうが、無難クマ」と洩らした。

 

 もしも結界という怪奇現象を信じてもらえず、通説となっている幻視を見ていると判断されてしまったら、出撃そのものが取りやめとなって帰投を命じられるかもしれない。そうすれば、提督の計画も水の泡となり、自分たちが出撃した理由も無意味となる。それだけは避けなければならなかった。

 少なくとも、戦艦長門が妹を失ったと言って見せた悲痛な表情を目の当たりにした球磨にとっては。

 

 そして――

 

「っ! 左舷に敵艦だクマ!」

 

 ――接敵。

 球磨の声に陽炎たちが砲を構えたが、制止される。

 

「威嚇でも砲撃は避けるんだクマ! ここで無駄に弾薬を使ったら資材を守れんクマ! 進めっ、進むクマァァッ!」

 

「っ……了解! 不知火、白露、遅れないで!」

 

「「了解!」」

 

 敵深海棲艦は球磨たちにすぐさま気づき、砲撃を始めた。恐ろしい爆音が響き渡り、近くにいくつもの砲弾が落ち、水飛沫を上げる。

 

 砲弾は多いものの、明らかに戦闘した後に見えた。

 

 遠目から見て、駆逐艦が五隻に、軽巡が一隻の六隻編成。

 

 戦闘に慣れているとは言え、当たればタダでは済まない凶弾が付近に絶え間なく落ち続けるのは恐怖を煽るもの。陽炎たちの足が震え、体勢が崩れかけるたびに球磨の怒号が飛んだ。

 

「陣形を崩すなクマ! 周囲捜索! 早く!」

 

 視界に入るのは赤黒い瘴気、暗い光、高い波に、海、海、海。視界の端から飛び込んでくる砲弾、影、ちらつく敵深海棲艦。

 

「っく、ぅぅうう……!」

 

 陽炎は唇を血が出る程に噛み、血眼になって辺りに何かないか探し続ける。

 その刹那、白露から声が上がった。

 

「あ、っ……あれ! あれぇ! みんな、艦娘! あれぇっ!」

 

「流石白露、一番に見つけたクマ!」

 

 進行方向より少し西側辺りに黒煙が見えた。そこに、大きな影が一つ。

 しかしその影はゆっくりとゆっくりと小さくなっており、まるで海にのまれていくかのように見えた。

 

「あ、れは不味いクマァッ……! 全員急げクマ!」

 

 第三艦隊が砲弾の雨を潜り抜けて到達した時、明らかに人の身体をした影は、もうその殆どを海にのみ込まれており、海面から見えるのは突き出た片腕のみ。

 傷だらけで、しかし明らかな人の手。艦娘の手であった。

 

「間に合わな――ッ」

 

 陣形を崩してしまいつつも全員が手を伸ばす――球磨の手がすり抜ける――陽炎の手が届かず、白露の手は行き過ぎて掠め――

 

「ックソ! クマァァァッ!」

「と、どけぇぇぇッ!」

「いっけぇぇえ!」

 

「――ダメッ……!」

 

 不知火の手が、指先を掠めるも、無情な、とぽん、という音を残して手が消える。

 

「あっ……あぁぁ……!」

 

 全員が絶望した。見つけたのに。急いだのに。手が触れたのに。

 いくつもの感情が赤黒い瘴気に染められ、胸中に生まれそうになった時だった。

 

 

『――――!』

 

 

 不知火の肩から飛び出した妖精が身体を光らせ、海に飛び込んだ。

 何が起こったのか脳が処理しきる前に、海面がまばゆく光り出し――

 

「――……~~っげほ! ガハッ……ぅ、う……ゲホッゲホッ! な、にが……」

 

 一人の艦娘が、海面へ急速浮上した。

 

「不知火、今の……なん、……」

 

 浮上した艦娘を球磨が抱き寄せる。そして、損傷の度合いを確認している間に、陽炎と白露が目を見開いて不知火を見た。

 

「んな事ぁ後クマ! 艦隊反転、撤退開始しろクマ!」

 

 球磨は抱き寄せた艦娘に「頑張るクマ! 立って、ここから離脱クマ!」と絶え間なく声を掛け続けながら撤退を開始する。それについて陽炎たちも敵艦から目を離さずに戦速を上げ始めた。

 

「いっ、今の! 妖精さんは、なにを!?」

 

 海面から浮上した艦娘にくっついていた妖精は、しばらくするとぐったりとした様子で不知火の肩に飛んでくると、ぺしょりとうつ伏せに寄りかかる恰好となった。全身が光ってなどおらず、ただの妖精に戻っている。

 海上を進む揺れに落とされないようにと不知火は妖精をつまみ上げて制服のポケットにそっと入れ「今は、ここに!」と言う。

 

「ひゃぁー! 提督の言う通りになったクマ! さぁさぁ、後はあいつらが球磨たちを追ってくるのをつかず離れず、クマ!」

 

 球磨は全速力で海域を離脱しつつ、前髪をぴんと立て――

 

「球磨たちはしっかり仕事したクマ! あとは提督たちが仕事するだけクマ!」

 

《こちら第三艦隊球磨だクマ! 目標確保! 繰り返す、目標の資材を確保! ほれ、喋れるクマ? 伝えるクマ! 今!》

 

「なん、で、通信、が聞こえ、て……私、沈んだんじゃ……ない……?」

 

《沈んでないクマ! 生きてるクマ! お前の姉ちゃんもいるクマ!》

 

 呼びかける声が通信から聞こえた時、その艦娘の暗い目に光が宿った。

 

《――こちら戦艦長門だ! 聞こえるか! もう、大丈夫だ! よく、生きてたな……良かった……!》

 

「なが、と……?」

 

 球磨にもたれかかる艦娘の艤装が、ぎし、ぎい、と音を立てる。

 

 後方から敵艦が迫り、球磨たち第三艦隊を撃沈せんと絶え間ない砲撃を繰り出し、硝煙のつんとした匂いで潮の香りをかき消した。

 

《資材の損傷は相当クマ! 提督がくれた〝応急修理要員〟を使用して何とか航行を続行中――離脱もギリギリかもしれんクマ……砲撃許可を!》

 

《ザッ……ザ……こちら大淀、砲撃を許可します。何としても柱島鎮守府へ離脱してください。援護艦隊にもう一隻編成するよう、提督からも許可がおりました》

 

 砲撃許可がおりたと球磨が怒鳴ると、陽炎たちは器用に身体を反転させて敵艦隊に向かって轟轟と音を立て、砲弾を放った。

 撃沈させるための砲撃というより、牽制のための砲撃。当たる当たらないは関係無く、敵艦隊の進行を少しでも止めることが目的のものだった。

 

「中々やるじゃないかクマ!」

 

 陽炎たちの砲撃は敵艦に当たってはいないが、それは確実に狙って行われた砲撃なのが球磨にも分かった。陽炎、不知火の連携もさることながら、白露の砲撃も寸分の狂い無く敵の目の前に砲弾が落とされており、敵深海棲艦も戦速をあげることをためらっている。

 

「一応、戦闘経験は豊富なつもりなんで――!」

 

「諸先輩方の指導のお陰です」

 

 陽炎と不知火が交互に砲撃を続け、片方が装填すれば片方が砲撃を、と断続的な轟音を立てる。

 白露は陽炎たちの砲撃にリズムをつけるよう、間隔を保って正確に砲を放ちつつ、隙を生まんと六十一センチの魚雷をも放って見せた。

 

 深海棲艦の群れは馬鹿では無い。白露の放った魚雷の進路から離れるよう進路を変える――そこにまた、陽炎たちの砲撃がくわえられる。

 

 右へ、左へ、翻弄されているのを自覚した深海棲艦たちは怨嗟の咆哮を上げた。

 

「オォオォォオオォ……ッ! アァァアァアァアァアァァァ……」

 

「っくぁ……なんって声……!」

「不快ですっ……」

「耳いたーい!」

 

「耐えろクマ! くそっ……戦えれば楽出来るのに、制限されるってのはきついクマ……! すまん、もう少しだけ我慢してくれクマ!」

 

 球磨は必死に、肩に寄りかかる艦娘――長門型戦艦二番艦、陸奥に語り掛ける。

 

 まだ、柱島鎮守府は見えない。上を見れば、龍驤の飛ばしている彩雲が道案内をするように飛行しているのが見えた。

 

 深海棲艦たちが生み出す結界内では様々なものが歪んで見える。しかし、球磨たちの直上を飛行する彩雲の機影ははっきりと見えた。その意味が分かった瞬間――結界を抜け始めているのに気づく。

 

「もう少しで波も落ち着く――気張れクマァァッ!」

 

「「「はいッ!」」」

 

 球磨は軽巡洋艦である。肩には陸奥。超弩級戦艦の重みが、びきりとした嫌な痛みを生む。

 無茶な航行であることは球磨でなくとも、陽炎たちも、向こう側で声を吐き出し続ける深海棲艦も理解していた。故に、追う事をやめない。距離が縮まなくとも、さして遠くないうちに足を止めてしまうだろうと狡猾な考えで追跡してくる。

 

 また、球磨の肩に痛みが走る。

 

「ぐぁっ……!」

 

 横から、耳を打つか細く弱い声。

 

「わ、たしのこと、は……おいて、行っていい、から……逃げ……」

 

「ざっけんじゃねえクマッ!」

 

「っ……」

 

 必死の形相で航行を続けながら、砲撃を続ける陽炎たちの轟音にも負けない声で球磨は陸奥に向かって言う。

 

「お前の姉ちゃんが待ってんだクマ! そのために球磨たちもここまで来たんだクマ! 戦艦のお前が、駆逐艦の前でなっさけねえ事言ってんじゃねえクマッ!」

 

 陸奥は、痛む身体をおして首をひねり、後方で敵艦を食い止め続ける陽炎たちを見た。超弩級戦艦の彼女にとって陽炎たちの背はあまりに小さく、脆そうで、今にも自らが立てる波にのまれてしまいそうなくらい頼りなく見えた。

 

 それなのに――どこまでも、気高く見えた。

 

「ごめ、なさっ……がん、ばるから……わたし、も……っ」

 

 陸奥は両足に力を込め、浮力を安定させようと身体をよじる。

 

「それでいいクマ! それに――世界水準を超えた仲間が来たみたいクマ――!」

 

 どれだけ航行を続けたのか分からなかった陸奥の朦朧とした意識と視界。その前方からこちらに向かってくる影を見た。

 声が、鼓膜を強く揺らす。

 

「五十鈴が帰投する前に旗艦移行なんて、ラッキーだなぁ、オイ!」

 

「ほっ、ほんとうに見つけちゃったのです……!?」

 

「さっすが私たちの司令官ね! 雷たちも頑張らなきゃ!」

 

「レディーの強さ、見せちゃうんだから!」

 

「……不死鳥の名は伊達じゃないってところも、見せないとね」

 

 陸奥はぼんやりとした頭の中で、いつから、ああいった頼もしい声を聞かなくなったのだったか、なんて考えた。

 戦地へ、死地へ向かうというのに、どこまでも強く生きようとする気迫が、身体の内に力を生み出す。

 

「よぉ球磨! こっからはオレたちに任せな!」

 

「頼んだクマッ! 入渠ドックはどうなってるクマ!?」

 

「鎮守府前に明石が待機済みだ、ほら、急げ!」

 

「戦場にいる時だけは頼りになるクマ……ッ!」

 

「おぉい!? オレはいつでも頼りになるだろ!」

 

 軽い掛け合いをし、影とすれ違う。

 球磨たちが通り過ぎた後、後方から聞こえるのは敵艦の声と助太刀に現れた旗艦の声が――

 

 

 

 

「――うっしゃぁ! 天龍、水雷戦隊、出撃するぜ!」


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