柱島泊地備忘録   作:まちた

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二十九話 訪問【提督side】

「食事も出来たし、シミまで落としてもらえるとは。良い人だったな――」

 

 宇品で食事を済ませた俺と大淀たちは、呉に向けてのんびりと移動を開始していた。徒歩のみという訳にも行かず、バス、電車を乗り継いで、だが。

 幸いにも電車通勤が主だった俺は見知らぬ土地でも宇品から呉までの移動に迷うことはなさそうだった。

 

 ――先刻は、お好み焼き屋のお婆ちゃん店主から様々な話を聞きながらの食事となったが、この世界に来てからまだ一日しか経っていない……いや、感覚的に一日と経っていないのに随分と濃い内容の現実を知らされたのだった。

 無礼のお詫びにと俺の軍服についたシミをお婆ちゃんならではの知恵で落としつつ――大根おろしであっという間だった――聞いた話は、あまりに悲しかった。

 

『お婆ちゃん、全部取っていったって言うのは、具体的にはどんなものか、わかりますか?』

 

 前世の癖か、ご高齢の方にはゆっくり大きな声で、という妙な常識が顔を出した喋り方をして問えば、店主は俺の変わりように驚いた表情をした。

 調理場でごそごそと材料を混ぜながら、俺の注文した豚玉を準備して言うのだった。

 

『全部は全部よ、ほんまに、全部……飯、金、それから、使えそうな奴は、なぁんでも……ウチの子もねぇ……』

 

『ウチの子、とは……』

 

『孫がね、憲兵隊に連れて行かれよったんよ。息子は東京に出とって何にもしてやれんかった。でも悪いこたぁしとりゃあせんのよ? ただ、お国の為に働けぇ言うて。孫が最後にここに来たんは――もう、一昨年になるかいね』

 

『……赤い紙を持って、でしょうか』

 

『よぉ知っとりんさる。そらぁ軍人さんじゃけぇ知っとるか』

 

 ひゃひゃ、と力なく笑うお婆ちゃんの顔は、しばらくは忘れられないかもしれない。

 ここに来てようやく、俺は《艦隊これくしょん》の世界が戦争の中にあるのだと自覚し、その戦争は自らが営んできた生活と掠りもしない夢物語であり、忘れ去られるべきではないのに忘れられそうになっている歴史の一部であると知る。

 

 艦これの事なら、艦艇(ふね)の事なら俺はある程度知っている。調べることによって副次的に得られた知識もあったが殆ど興味は無く、ただ〝過去にそうあった事実〟としてなんとなしに頭にあるだけだ。

 

 ただ、憤りだけが胸にあった。義憤を感ずると言えば聞こえはいいが、俺の中にあるそれは義憤などでは無く、子どもじみたしょうもない、我儘や癇癪に似たものであった。

 ――これは、そう、自分のイメージしていた煌びやかな世界で、あってはならないといったような極めて自分勝手なものだ。

 転生者と言えばチートな力を持っており、どのような絶望的な状況でも覆せるのだろう。気に入らない奴がいればねじ伏せ、気に入らない場所があれば消せばいい。しかしながら俺にはそんな力など無く、社畜生活で培った無駄な処世術と、半ば形骸化してしまった知識と、それらに準ずる死んだ仮面だけである。

 

 今や威厳スイッチなどと言って保身のために使っているそれが、俺の唯一の武器であり、この世界と俺とを繋ぐ術であった。

 艦娘という存在無くして、その仮面が役に立たないというあたりも、俺の矮小さを実感させられるようで、どうにも心が軋むのだった。

 

「……呉の鎮守府に挨拶に行くのが、もっと億劫になってしまったな」

 

 俺の洩らした愚痴に対して、大淀と長門が困ったような、気まずいような顔をしてみせた。

 

「呉の実態のみならず、憲兵隊の実態をも知ることになってしまいましたね、提督」

 

 大淀の言葉に、長門は「……少し、良いだろうか」と俯いて口を開く。

 

「どうした、長門」

 

 お好み焼き屋でもそうだったが、長門はどうにも感情的な面が強い。俺の作戦――いや、妖精と俺の作戦についておもうところがあって口を開いても途中で自ら納得して黙り込んだり、微笑んだりと。情緒不安定なのも、もしやこの世界にいる艦娘反対派とやらのせいじゃないのかと考えれば考えるほどに、心の軋みはひどくなる。

 

「山元大佐は、一部の憲兵と繋がっている。今まで……黙っていて、すまなかった」

 

「そうか」

 

 返事をすることしか出来なかった俺は、はっとして後ろを歩く二人に振り返った。

 

「本当に、すまなかっ――」

 

「長門、すまない。いらん気を遣わせたな。例えお前が知っていたからと言って何故言わなかったなどとは思わん。その、なんだ」

 

 こういう時、社畜の経験というものは活きない。

 社畜は互いに慰めあってギリギリを生きていると思われがちだが、実際はそうではなく、関わりを希薄にすることで自己を保っているのだ。故に、人を慰めるという術を知らない。

 ……まぁ、俺はそれが鎮守府に来て顕著に出てしまっているのは、言わずもがな。

 

 泣いている艦娘たちに茶を配って謝り倒すとか、今考えるだけでぶっ飛んだアホだ。でも知らないんだから仕方がないよね。無知は罪なんかじゃないやい! 許せ!

 

 俺は皺が刻まれているか怪しい脳みそから何とか言葉を振り絞った。

 

「女は秘密がある方が魅力的と言うだろう。例えお前たちがいくつ秘密を持っていたとしても、気にはなるが、聞いたりはせん。安心してくれ。それに私にだって秘密くらいある」

 

 転生者でーっす! チーッス! とは言えないので、適当に濁す。

 

「……実は運動が苦手、とかな」

 

「ご冗談を」

 

 すかさず突っ込んできた大淀にぽかんとする俺。長門は顔を上げて目を丸くすると、俺を見てくすりと笑った。

 

「――TPOをわきまえて口説いてくれ、提督。まぁ……礼は言っておこう」

 

「う、うむ……」

 

 口説いてねえよ! っていうか何で笑いやがったんだこの超弩級戦艦がァッ……!

 なんだ? 運動出来ない軍人はありえないってか!? そうだね、有り得ないね。だって俺は軍人だけど軍人じゃないからね。全部海軍が悪い。井之上さんは許す。

 

 

 それにしても助かった。手ぶらというわけでは無いが金のことを考えていなかった俺は、これまた考えなしに飯が食いたいと本能のままにお好み焼き屋に入ったのだが、食事中に気づき「あ、やっべ……これ無銭飲食じゃね……?」と冷や汗をかきながらどう大淀と長門におごってもらおうかと考えていたのだ。それが、手持無沙汰に手を突っ込んだポケットに数万あったのだ。社会人として褒められることじゃないが、俺は癖で現金をそのままポケットに突っ込む癖がある。

 いつもいつも上司にそれでスマートじゃないだの乞食みたいだのと散々言われたものだが、今はそれが俺を救った。流石俺である。それで、再び海を渡るなどせずに陸地を移動しようと思いついたわけだ。時間稼ぎじゃない。違うぞ。本当だぞ。

 

 宇品通りから手近な駅に行って切符を買い、電車に乗り込んで数十分。大淀たちは電車に乗ったことが無いらしく、ずっとそわそわとしていたり、陸地を走る電車から見える景色に小声で「長門さん――!」「なんと……!」と興奮しているようだった。可愛い。やはり艦娘は何処まで行っても正義なのであった。

 

 途中で唐突に「提督、天龍たち支援艦隊にもう一隻追加してもよろしいでしょうか? 資材の件で」と言われた時は面食らったが、艦娘同士で通信でもしているのだろうと適当に「必要ならば構わん」と言って聞き流した。それ以外にも問題は山積みなのだ。

 

 そうして電車を降り、今度は構内の簡易地図で現在地を確認して、街を歩く。

 お好み焼き屋で話を聞いてからは、通行人たちの視線が刺さるようでいたたまれなかった――が、ここで社畜の技が光る。

 

「大淀、長門、少し手伝ってくれないか」

 

「手伝う、とは……それは、そのぉ……?」

「我々に出来ることならば、構わんが」

 

 大淀と長門を連れ、呉鎮守府に向かう道から逸れて、商店街へ。

 

「提督、何を?」

 

「聞き取り調査だ。呉鎮守府がどんな物品を持って行ったのかを調べたい」

 

「なるほど……整合性を取るために、聞き取りを行うのですね。承知しました」

 

「うむ。難しいことは聞かなくともいい。何を呉鎮守府へ持っていかれたか……いや、もしかすると、寄付という形をとっているかもしれんな」

 

「寄付……何故、そのような……」

 

 大淀の問いに、俺はすらすらと答えてみせた。

 会社員時代――接待という名目で経費をきることが難しい場合などによく使われた手段である。ありもしない商品を買い上げた領収書を切ったり、先方の駐車料金が妙に高くなったり……まぁ、その分で浮いたお金を、自分たちが豪遊するために使うのである。完全な横領なのだが、不思議なことに商品名や駐車料金と名がついているだけでそれは合法的な経費となる。要するに、証拠さえあれば問題無いのだ。金はこれに使いました、という。

 

 呉鎮守府がそうしていると確定していないものの、お好み焼き屋のお婆ちゃんの口から孫が憲兵になったという言葉を聞いて、俺は真っ先にそれを思い浮かべた。

 出向、出張――自ら名乗り出て会社のために遠方へ飛ぶ。これもまた社畜にはあるあるなのだ。

 悲しいかな、俺も出張という名目で取引先の会社のやったこともない業務を手伝わされた記憶がある。業務を半年、それも短期で引っ越すわけでも無く、半年の間はビジネスホテルを転々として過ごしたのだ。その間にも家賃は出て行くという出費も重なって金は貯まらないわ、むしろどんどん財布は寒く――あれ、おかしいな、目から汗が……。

 

「お国の為に必要だと海軍が人やモノを引っ張っていくなどと、なりふり構わん恰好で動くとは思えん、という勘だ。人なら有り得るかもしれん。私も紅紙を持たされて柱島に来たのだからな。しかしモノだぞ? 食料は買えばいい。その他の物品も大本営に掛け合えばある程度の融通は利くだろう。艦娘の布団が無い。私が使う机も椅子も無い。艦隊運営に支障が出てしまったらどうするんだと向こうに言えば、最低限度は支給されるはずだ」

 

「しかし、人手が足りないのは確かです。提督になれる者、なれない者と選別するのにも一度は徴兵され、訓練の必要だって――」

 

「ならば聞くが大淀、何故人が足りない? どこに人員が必要なのだ?」

 

「それは……」

 

 商店街の入り口のアーチの下で、遠目に人だかりが出来ているのが視界に入った。

 

「軍の規律維持のためには憲兵が必要なのも、そうですし……他にも、深海棲艦によって被災した街の復興にも人手は欠かせません」

 

 もっともな事を言った大淀だったが、その目にはうっすらと疑念が見えた。

 それでいい、むしろ、それが必要なのだ、と俺は「それだ」と言って頷いた。

 

「狭い檻に入れられて同じ作業をさせ続けると、生き物は思考能力を失う。私もそうだった」

 

 長門が「昔の話、か……」と呟いたので、そちらに顔を向けて目で頷く。

 俺が素人という事は既にバレているのだ。故に隠し事をせず、俺がどのような環境で働いており、どのような仕事をしてきたか――それが如何に軍隊と似ていて、劣悪な環境であったかを語った。

 

「私の居た場所もこうだった……誰もがそれをおかしいと思いながらも受け入れ、いつしか当然なのだと思い込み、内臓を壊しながら戦った。月月火水木金金とはよく言ったものだ」

 

「内臓を、壊しながら――ッ!?」

 

 長門が一歩後退り、自分の腹部を押さえる。

 

「大義名分など誰もが抱えるものだ。それが無ければ人はついてこない。当然だ、私もそれは否定しない。だがな、その下で働く雑兵はどうなる? 生き残っても、最後の最後まで絞られ、最終的には使い捨てられる……この街の人々と何が違うのだろうな? 従軍していないだけで、その荷だけを背負わされるということがどれだけ異常なことか分からんか?」

 

「被災から復興するのに大勢集めたとして、一昨年から帰っていない老店主の孫はどうしているのだろうな? 本当に憲兵として働いているのか? 被災地の復興に危険が無いとは言わんが、前線に立つお前たちがいるのだから直接的被害を被るなど考えにくい。ならば手紙の一つくらい寄越すだろう。 もしも手紙を寄こせないというのなら、その理由があるはずだ。そうは思わんか?」

 

 一息に語ったため、肩で息をしてしまう。

 

 大淀にも長門にも、仕事はしてほしい。主に俺を助けてもらうために。その他は頑張ります。

 しかし、ただただつらい環境に彼女ら艦娘を放り出したいわけでは無い。そうならないためならば、俺は過去の記憶をいくらでも掘り起こそうじゃないか。

 昼飯が毎日エナジードリンク一本だったり、晩飯がインスタントラーメンだった十年近い記憶を。

 いわれも無い仕事のミスを押し付けられて罵詈雑言で胃腸を壊し、出社と同時にトイレに駆け込んで吐き散らかしてからが始業であった生活も、なんでも教えてやる。

 

 恥も外聞もあったものじゃない。街を、国を守る艦娘を前に街に圧をかけ財を奪うなど――艦娘に対する冒涜じゃないか。許さんぞ山元ォッ……! お前の罪を数えろッ!(正しい用法)

 俺がお好み焼き屋でお好み焼きにされかけたのも全部山元が悪いッ! 責任転嫁? そうだよ! くっそぉ、仕事したくないが艦娘の為には動いてやりたい……このジレンマ――クッソォァアァァア……!

 

「て、提督、あの……ッ」

 

「常識を非常識に、非常識を常識に変える――これがどういう意味か分かるか?」

 

「常識を、非常識に……?」

 

 大淀が両手を胸の前まで持ち上げ、考え込みながら手をもむ。

 

「私たちに、関係すること、でしょうか」

 

 そう窺う声に、俺は「半分正解だ」と前置いた。

 

「お前たちにも、街の人々にも、私にも当てはまる事だ。生活を脅かす深海棲艦という非常識が常態化し常識となり、互いの生活を互いで営むという常識は、災禍を退けるために非常識となる――勝利のために、都合が悪い人間に堂々と石を投げられるようになる。甚だ、おかしい話だ。これでは洗脳と変わらん。正義を掲げているのならば、守るべき対象にも石を投げられるのだからな」

 

「あっ……」

 

 大淀も長門も気づいたように口を半開きにした。

 

「これは誰の仕事だ? 何を成すための仕事だ? 己に問い、己で戦い、平和を成す――それは街の人々や国民の仕事などでは無い! 我・々・の! わ・た・し・の・仕事だッ! 他人の仕事でお前たちが蔑まれるなど、我慢ならん! あの山元という男のせいでみなが肩身の狭い思いをしている現状が気に入らん!」

 

 平和を守るのは艦娘の仕事だ。その艦娘を守るのは提督の仕事であり、街の人々は守られるべき対象だ。だからと言って上下が存在するわけでもない。彼女たちの戦いは国の平和に直結しているのだから、その対価が発生しても何らおかしなことはないだろう。その隙間で甘い汁だけを吸う輩がいるのが、俺は気に入らないのだ。

 それに気づけたとき、須臾にして怒りが爆発した。

 

「お前たちが何をした!? あの老店主が何をした!? 街の人々が悪事を働いていて、その制裁でもしているのか!?」

 

「提督、お、落ち着いてくださいっ……!」

 

 ぶつけどころのない怒りは、大淀の制止でみるみるうちにしぼみ、消えてしまう。

 冷静になった時には――遠くに見えていた人だかりは、人数を増やし、俺たちを囲んでいた。

 

「ぉ、ぁ……も、申し訳ない……す、すぐに出て――」

 

 大淀と長門の腕を取り、慌てて逃げ出そうとした時、人だかりの中から、一人の青年が前に出た。

 

「待ってください! 待って、ください……軍人さん……!」

 

「な、なにかね。往来でうるさくしてしまったのは謝るから、どうか見逃してくれないか」

 

「ち、違うんです!」

 

 何が違うんだよ! 冷静になったらすごいやべえ奴だって自覚したから許して! これ以上油売ってたら山元さんにさらに怒られそうだしやっぱ権力には勝てそうにねえや! 悪いな皆!

 社畜の技、手のひら返しである。すみません。

 

「一緒にいる方って、艦娘ですよね。あの、ちょっと前に、憲兵さんの制服を着た女性と、オレンジ色の服の女性が聞き取りをしてるって、話しかけてきて……あ、あなたの部下ではないのかな、と」

 

「う、うむ……?」

 

 憲兵の制服と、オレンジ色の服……俺は記憶にある艦娘カタログをざらざらと探り――

 

「あきつ丸と、川内、か……? いやしかし、二人は鎮守府の規律維持のための別動隊で……」

 

 もごもごと言うと、大淀が「二人は、既に呉鎮守府にて待機中です」と淡々と耳打ちしてくる。

 

 そうか、二人は呉鎮守府に――いやなんで!? あきつ丸が川内と組んで柱島で待機してる艦娘を重巡たちと協力して取りまとめておくって話したよなぁ!? なのに、何で呉にいるんだよ! というかいるなら連絡しろよ!

 

 あれか? 元帥の連絡先を教えてないから、別に自分の連絡先だって教えなくていいでありましょう? みたいなことか!? おっさんだからか? そうか、おっさんだからだな!?

 俺が笑顔の眩しいイケメンだったら出会い頭に連絡先を教えてくれただろうになァッ! クッソァッ! 可愛い顔して「であります」なんて堅苦しい口調でよォッ! 好き!

 

 ……カームダウン。カームダウンね。俺の心の金剛が怒りの荒波を鎮める。

 

「んんっ……失礼した。ならばすぐに呉に向かう。聞き取りは中止……いや、既にあきつ丸がしているのだったな」

 

 どうやって先回りして俺の仕事を取ってんだあいつら……恐ろしい……。

 

「軍人さん」

 

「アッハイ」

 

 青年の有無を言わせぬ圧に屈する俺。きっとうるさくした頭のおかしい軍人は粛清対象にされるのだ……っく……殺せ……!

 

「……ありがとうございます」

 

「へ……?」

 

 青年が頭を下げたのを皮切りに、周囲の人々が口々に言う。

 

「頼むよ! あの人にゃあもう耐えられんのよ! あんたぁが言っとることがほんまなんなら、助けてぇや!」

「はぁぁ……! とんと見ん、本物の軍人さんじゃね、どうか、どうかお国を頼むで……!」

「憲兵の女の人にはちゃんと話したけん、その人に聞いてぇや! それでも足りんのんなら、あんたが来てくれりゃぁいっくらでも話ちゃるけん!」

 

 一気に喋んないで。分かんない分かんない。聞き取れないから。自分、聖徳太子じゃないのであります。

 大淀と長門が目を剥いて人々と俺を交互に見ている。いや止めて。

 

「……承知した。善処する」

 

 善処する。便利な言葉である。出来なくても善処はしたからって言えるもんね。

 ……分かっている。数時間前に井之上さんに啖呵を切って、ここでも感情的に怒鳴って、お前ニワトリよりも記憶力ないんじゃねえのと。出来ないのに大口叩いて社畜時代の鬱憤を晴らすなよと、そう言いたいのだろう。俺もそう思います。大変申し訳ございません。

 俺がチートを使えたのなら、「何度でもやり直す……保身のためなら……!」と最低な時間遡行をしていただろう。

 

 現実逃避に出来る限り時間をかけて宇品で飯を食おうとしたら、天罰が下って面倒ごとが二重三重に積み重なって地獄を見てしまった。

 もう俺はダメかもしれないが、艦娘に見捨てられる方が俺的に再起不能案件なので、艦娘に囲まれながら体育会系に怒られに行こうと決意する。

 

「みなの言葉、しかと聞いたぞ」

 

 聞いただけである。ごめんね。ごめんね……。

 俺は大淀と長門に目配せし、早歩きで商店街から逃げ出した。あ、いや、移動を開始した。

 

 

* * *

 

 

「お、提督ー! こっちこっちー!」

 

「首尾は上々であります、少佐殿」

 

 呉鎮守府に近づくにつれ、人通りは一気に無くなり、廃墟でも歩いているような気分になった。

 そうこうして歩いていると、呉鎮守府から少しばかり離れた道の途中であきつ丸と川内の姿が。

 

 本当にこいつらいたんだけど……俺の言いつけた仕事してないんだけど……。

 

 そりゃあ、俺は素人だから、ちゃんと仕事出来ないかもしれないよ。それでも、一応、一応な、上司なんだぜ、俺……? そんな堂々と仕事を放り出して、俺のところに来るなんて……どんだけ信用されてないんだ……傷つく……。

 

「あきつ丸、川内、ご苦労だった」

 

 でも労っちゃう……艦娘大好きだから……。男は色々と正直だから……。

 

「少佐殿、お荷物は……?」

 

 あきつ丸は俺を見て、次に大淀、長門を見て首を傾げた。

 荷物など、書類一枚をポッケに入れているだけである。

 もちろん、くしゃくしゃにならないよう綺麗に三つ折りにして上着に入れている。ミリタリー映画とかドラマで、軍人が重要書類を内ポケットから取り出して相手に渡しているのを見たのだ。完璧な対応である。

 

「これだけだ」

 

 格好良く内ポケットから書類を取り出す。井之上さんが許可すると言ったので訪問用の書類ではない。俺が持ってきたのは、演習の申し込み書類である。かくも怪しさ満点の山元大佐とて、艦娘を指揮する提督の一人。ならば提督同士、艦娘を見せ合い……あ、いや、艦娘の装備を知りたいが故に妖精と作成したものだ。

 嘘じゃないぞ。他にはどんな可愛い艦娘がいるんだろうなんて考えていないぞ。

 俺は純粋な気持ちで、呉鎮守府に所属している艦娘がどんなに可愛い装備をしているか――うんだめだ煩悩が消えねえ。

 

「そちらは――」

 

「演習の申し込みをしようと思ってな。無論、出来る出来ないはあまり気にしていない。話題の一つ、としてだ」

 

「……っくく、そうでありますか。さて少佐殿、川内殿と集めましたものは、こちらに。ここに移動しながらまとめましたので見づらいところもありましょうが、ご容赦を」

 

「うむ……そうか」

 

 あきつ丸から質の良い革製のバッグを受け取る。何が入っているかと開いて見れば――

 

「五日市、宇品、呉と街を急いで回りまして収集してまいりました情報であります。地域別、物品別……口頭で伺ったものばかりですので、正確性は察していただきたい。それと、呉鎮守府内部にあった資材の備蓄記録と、遠征記録、登録された艦娘の記録と、直近で轟沈と報告されている艦娘たちの記録、ほかには――」

 

 一枚目から早速分からん。飛ばして二枚目三枚目と見ても分からん。細かい数値が並んでいた備蓄状況だけは何故だかあっさりと理解出来たが、そのページだけ数秒眺めて、あとはぱらぱらと見て書類を鞄に突っ込む。

 

「ふむ、分かった」

 

「えっ、えぇっ!? も、もう、把握したので、ありますか……!?」

 

「よく集めてくれた。あとは私についてきてくれ」

 

 ごめんあきつ丸、川内……途中で分からないところが絶対出てくるというか九割九分九厘分かんねえから、助けを求めると思う……艦娘パワーでどうにか助けてくれ……。

 

「では――行こうか」

 

 ぐるりと艦娘を見回し、俺は呉鎮守府へと歩を進める。

 

 威厳スイッチは常にオン――! 俺の背後には柱島鎮守府四天王(命名)がいるのだ、何を恐れることがある――!

 

 柱島鎮守府のスーパーブレイン、任務娘の大淀。俺の分からない言葉をいっぱい使う!

 殴り合いなら任せとけ、伊達ではない装甲で情緒さえもぶち壊す超弩級戦艦の長門!

 艦隊の規律維持のみならず、仕事をしなけりゃ直接消してやれるぞ! 元帥閣下の秘密兵器あきつ丸!

 そう言えばお前静かだな……夜戦忍者になる予定(?)の川内!

 

 ――頼りになりそうで微妙なメンツだなぁぁこれぇぇッ! あーあー!

 

 

 

 四人の艦娘を連れ、俺は呉鎮守府へと足を踏み入れた。

 そこで待ち構えていたのは――駆逐艦が二人。怯えたような顔で、俺を見ていた。

 

「な、長門さんまで……ほ、本当に来たっ……お、おおお待ち、しておりまし、た……山元司令官から案内を仰せつかっています、か、かみ、かぜ、です……」

 

「同じく、松風、だ……です」

 

 可愛い。しかし怯えないで欲しい。おっさんはただ仕事をしに来ただけなのである。

 呉鎮守府の正門で待っていた駆逐艦の二人を見て、大淀と長門が何故か俺をあきれ顔で見た。

 

「な、なんだ、二人とも……」

 

 思わずそう言うと、大淀は「いえ……こうも都合よく進むと、提督が分からなくなりそうだなあと思っただけです」と洩らし、長門は「う、む……その、提督、宇品でも言ったが、せめて我々とは情報共有をしてほしい。最低限でもだ。頼むぞ?」と同じく呆れ顔。

 

 川内に至っては「もう山元大佐、詰んでるよねぇ、これ……」と顔面蒼白にしているし、あきつ丸は「敵に回したのが間違いでありましたな。ま、自分らは知っていたのでありますが、現実となると、不気味ですなぁ」と笑っていた。なにわろとんねん! オォッ!?

 

 い、いかん、俺の心の龍驤さえも暴れ出しそうだ……!

 

 分かってる。仕事が出来ない奴だからって笑うのはいい。艦娘に笑われる、そんな人生もおおいにアリだ。だが……人前ではやめてください、お願いしますッ……!

 

 おっさんにだって自尊心があるんだぞ! ちっきしょうガッ……!

 

 このままではもっと情けない目にあわされかねん、と、俺は案内を仰せつかったと言った神風と松風に対し軍帽を脱ぎ、挨拶をした。

 一応ね、恰好くらいね。威厳スイッチ全開だからね。

 

「――ご苦労。肩の力を抜け。私は仕事をしに来ただけだ。心配することは無い」

 

 そう言うと、神風たちはきょとんとして俺を見上げた。

 それに対し、長門は二人の前までやってきて片膝をつくと、周囲にひとけが無いのを確認して、こう言うのだった。

 

「生きていたのだな……良かった。もう、何も問題は無いぞ、神風、松風」

 

「ひっ……な、長門、さん……あっ、あの、陸奥さんが……!」

 

「……ふふ、今に見ていろ。驚くぞ」

 

 

 

 ――なぁに脅してんだよ長門ォオオオオッ!? 挨拶しにくくなるだろうがこんにゃろおお!


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