柱島泊地備忘録   作:まちた

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三十四話 鳳翔【提督side】

 社畜に重要なものとは一体何か――それは、全てをルーティン化する事である。

 過酷極まると予測される柱島鎮守府での仕事をこなすためには、自らの行動を限界までルーティン化する事によってあらゆる状況に即座に対応できる余裕が必要だ。

 

 まずは早朝。俺は基本的に用意された部屋では寝ない。執務室こそ我が聖域。この執務室にいれば電話対応――井之上さん以外からかかってきたことはないが――も然ることながら、艦娘が困った際には俺を探したりせず一直線に執務室へ来れば済む。あえて行動範囲を制限することによって不測の事態を減らすのである。範囲が広ければ広い程に艦娘と遭遇しやすくなってしまうため、接触があれば何らかのアクション、アクシデントが起こることは必然。ならば必然を排除すればいいのだ。イエス、社畜知識。

 

 エチケットとして一日一回の風呂は当然。しかし部屋に備え付けられているらしいシャワーを浴びに戻ると同じ鎮守府とて聖域たる執務室から遠く離れてしまう。それはいただけない。ならばどうするべきか?

 

 そう、入渠施設を利用すればいいのだ。

 

 この鎮守府に着任したての頃……と言ってもまだ着任したてだが。そんな時に風呂に入ろうとウロチョロしている所を伊良湖に救われた事がある。疲れているから湯船に浸かりたいなどという我儘を受け入れ、神聖なる艦娘の入渠施設の利用をすすめてくれたのだ。天使が現世に降臨したかと思った。

 

 しかしてその入渠施設を利用するにあたり、艦娘と鉢合わせになったりするのでは? という幸運……じゃなかった、懸念が生じる。

 結論から言って、鉢合わせない。何故ならば俺は夜に風呂に入ったりせず、皆が寝静まっている早朝も早朝に入渠施設を使うからだ。はじめこそ早朝五時くらいに利用していたが、今や利用時間は四時前である。ちなみに就寝時間はまばらだが、大体が一一時前後なので五時間くらいは眠れる。素晴らしい。

 

 早朝と言えば俺の他に起きている艦娘が二人だけ、例外的に存在する。

 

 間宮と伊良湖だ。

 

 この柱島鎮守府の生命線を握っていると言っても過言ではない二人の艦娘は、美味しい食事を提供するためならばと殆ど俺と同じ時刻に行動を開始している。

 百人近くもの食事を用意しなければならないのだから、仕込みも大変であろうに、二人はニコニコと笑顔で料理をする。食の守護天使である。ちなみに、俺は諸事情により一度だけ食事を残してしまったことがあるのだが、それもあって二人に頭が上がらない。今では残さないようにか監視されている気さえする。もう残しませんすみませんでした。

 

 ……話を戻そう。

 風呂を上がれば、既に俺の食事は食堂にて用意されているので、それをさらっといただき、すぐさま執務室に戻る。五時から六時は艦娘が起きぬけてくる時間であり、その時間帯までフラフラしていようものならば捕まってしまう可能性がある。

 

 いや、捕まってしまうというのは悪い意味では無いのだろうと思う。

 非番である軽巡や重巡、戦艦や空母なんていう艦娘は自分で判断し、各自適当に過ごしているのだが、駆逐艦はそうでもない様子で手持無沙汰に俺のもとへやってくるのだ。何をすればいいのか。非番じゃなくてもいいから役目をくれ、と。健気オブ健気だが、休むと言うことも立派な仕事なのだと言うと《仕事》という単語に反応してしまうのか混乱してしまう様子があった。

 

 呉での一件から俺は学んだ。口できちんと言ってあげなければ分からないのは誰だってそうだ、と。お好み焼き屋でアオサをぶっかけられて学んだ。

 

 なので、一見して幼子にしか見えない駆逐艦たちに相応しい非番の過ごし方を教えた。そのターゲットとなったのは島風である。

 彼女は暗かった。俺の知っている島風は『おっそーい!』と連呼してマッハ五くらいで突っ走るオーパーツ艦娘だったのだが、柱島にいる島風は、それはもう暗かった。初めて出会った頃の夕立よりもだ。

 

 歩く艦娘ペディアこと大淀によれば、彼女は前鎮守府でも周りの艦娘と馴染めなかったとか。

 たかだかそれだけで欠陥扱いされるなんてどんな指揮官だと物申したいところだが、詳しく聞くと戦闘も単独先行が目立ってダメ。戦果も挙げられず和を乱す。それは軍において欠陥と呼ばれて仕方のないものであるとか。厳しい。厳しいぞ海軍。いや、軍だから厳しいのは当然だが、とは言え! とは言えだよ! 駆逐艦だぞ……? まだ子どもにしか見えないような駆逐艦に対して和を乱すから、はい、さようなら、なんてただの仲間外れじゃねえか……。

 

 俺は過去、社畜をしている頃にデスクで一人ぼそぼそとカロリーなメイトを死んだ目をして食べていることを思い出して居ても立っても居られなくなり、島風を筆頭として駆逐艦たちを遊ばせた。それはもう疲れてお昼寝しなきゃダメなくらいに遊ばせた。

 

 これぞ朝の第二ルーティンである。

 まぁ、その前に少しばかり執務を挟んだりしているが、それはさておき。

 

 駆逐艦を遊ばせることによって非番の日に過ごし方を迷っている艦娘の殆どが『好きに過ごして良いのだ』ということを学び、各々が読書をしたり、はたまた食堂で談笑をしたりと自由になった。

 ブラックな環境が改善されていくことの、なんと気持ちの良いことか……あ、俺? 俺はブラックのままだよ。

 

 第三ルーティン――秘書艦の監視から逃れるため、真面目に執務をこなす。

 

 これだ。これが問題だ。大問題だ。

 

 大淀が俺の仕事を手伝うという名目で発案したらしい秘書艦制度というものは、俺の想像とは全くの別物であった。

 艦隊これくしょんでの秘書艦とは、メインメニュー……母港画面にて立ち絵が表示される艦娘を指す。主に第一艦隊の旗艦が秘書艦と呼ばれ、様々なボイスを聞かせてくれる可愛い機能である。

 俺はその認識で、せいぜい俺の仕事をちょっと手伝ってくれたりするのかな? と期待して大淀の提案を快く了承した。やっと俺の艦これが始まるんですね、と。

 

 実態は――大淀と日替わりでもう一人を加えた俺の監視である。

 

 大淀は固定で目を光らせて俺の仕事を監視し、もう一人は日替わりで大淀と何やら話しながら俺の仕事を監視している。

 

 いや、ま、ままま、な? 俺だって大淀を悪く言いたいわけじゃない。

 本格的な鎮守府運営に向けての三日目や四日目なんていうのは長門や川内、あきつ丸と言った大淀の管理下にいる(であろう)艦娘という、俺を素人社畜野郎と知っている者をあてがうという慈悲を見せてくれたし、時折お茶をいれて俺を休憩させてくれる。ほんの少しだけ。

 

 執務中にはむつまる率いる妖精たちもよく手伝ってくれている。

 ちょくちょく机の上にのって『まもる。こんぺいとう食べたい』などとのたまってくれやがるものの、むつまる達がいなければ軍務が務まるわけもないので間宮達に頭をさげて金平糖を作ってくれないかと無茶ぶりする羽目になったりと散々であるが。でも許す。可愛いから。俺は素直なのだ。

 

 無論、執務の間に完全無言で俺を監視しているわけでもない。

 大淀は凄いのだ。大淀のみで監視を続けることも出来たのであろうが、それでは俺の精神が完全にぶっ壊れてしまうと踏んでか日替わりで様々な艦娘を連れてくるという発想――そう、世間話である。

 

 執務に集中しつつも日替わりでやってくる艦娘の話を聞いたりして疲れを紛らわせる。艦娘と世間話が出来て俺もハッピー、大淀も俺が仕事を続けてくれるからハッピー。流石大淀、連合艦隊旗艦は伊達じゃない。

 

 

 ――長くなったが、ここまでが俺の朝から昼のルーティンだ。

 

 もう一度言おう……朝から、昼『までの』ルーティンだ。

 

 社畜の戦いは、まだまだ終わらないのである。

 

 

* * *

 

 

「終わらないので、ある……」

 

『どうしたのまもる? 手が止まってるよー』

 

「あっはい」

 

 現時刻、午前七時過ぎ。風呂やら朝食やらを済ませた俺はすぐさま執務室へ戻ってきて、むつまる達が運んでくる書類に目を通しながら辟易していた。

 

「今日のー……えー……朝の演習はー……」

 

『真面目にやって』

 

「ウィッス! 朝の演習は潜水艦隊、イムヤ、以下、伊五十八、伊八――!」

 

『静かにやって』

 

「……」

 

 ふざけているわけじゃないのに怒られた。つらい。

 とは言え、こうなるのも仕方がないじゃないかと愚痴りたくなってしまうのも事実。

 呉鎮守府が機能こそすれど万全とは言い難い今、柱島鎮守府は総動員で二つの警備範囲を網羅しなければならない。柱島泊地だけならばまだしも、呉まで足を延ばそうものならば相応の資材支出が発生する。艦これには無い状況に俺の胃腸と脳が悲鳴を上げている。

 

 色々と勝手が違うのだ。ここは。

 最たるものが、演習である。

 艦これでは演習という経験値ウマウマ機能があり、艦娘それぞれに存在する練度というものを効率よく上げる事が可能である。

 艦娘の練度とは文字通り彼女達の強さに直結する数値的なもの、と理解しているのだが、この世界にもそれは存在していた。書類に記されているだけではあるものの、数値が出てくれたらこちらのものだと思った俺が愚かだったと悔いている。

 

 練度を上げる方法は主に三つある。一つは海域攻略をし、直接、深海棲艦と戦闘を行うこと。敵を倒せば経験値を得る、至極自然な事だ。

 もう一つは遠征。練習航海なんていう任務をこなせば微量ながらも経験値を得る事ができ、建造されたての低練度である艦娘をぐんと成長させることが出来る。

 そして最後が、演習だ。別のプレイヤーが育てた艦娘と戦わせることによって経験値を得ることができる。この演習というもので得られる経験値が、海域攻略や遠征などとは比にならない程に多いのだ。毎日欠かさず行えば、建造したて、またはドロップしたての艦娘とて一か月程度で高い練度に引き上げられる。

 ただし演習には制限があり、三時と十五時という二つの更新時刻によって戦えるプレイヤー入れ替えがあり、一日で最大十戦が限度だ。

 

 演習は艦娘を育てる上で重要――だからこそ、呉の体育会系、山元大佐に縋ってやろうと思っていたのだが、結果はご覧の通りである。

 

 しかし社畜、ただの馬鹿では無い。

 

 ここは艦これの世界ながらも現実……じゃあ自分のとこで無限に演習したらいいじゃん! と、天才的な発想から演習予定を組み、毎日実施することにした。

 

 そして現在、そのおかげで俺は自分の首を自分で締めることとなった。はい。馬鹿でした。すみません。

 

「流石に資材消費が多いか……やっぱ夜戦演習とか削るかぁ? いや、でも川内が可哀そうだしな……夜戦したいって騒がれても困る……」

 

 呉の一件ののち、予定していなかった仕事をこなしてくれた川内から褒美が欲しいと言われ、与えたのが夜戦演習だった。褒美に戦いたいとか戦闘狂か? と言いかけたが呑み込んだことは内緒。

 

 しかしながらやはり現実。ゲームであった艦これとの違い、俺の知識との違いはあまりにも非情だった。

 

 演習にも損害が発生するのだ。

 

 艦これの演習が経験値ウマウマ機能と呼ばれている所以はそこだった。海域攻略などと違い、一部遠征を除いて大破しようが母港に戻れば元通りとなる。

 しかしここでは違う。演習用として存在している弾薬だのを使おうと、艦娘に軽微の損傷が発生するのだ。そうすると入渠しなければならないので資材の消費が発生する。しかも、損傷が発生するということは、一歩間違えば大怪我だって負う可能性があるということ。流石に轟沈とまではいかないかもしれないが、可能性は捨てきれない。細心の注意を払うので俺の胃腸が死ぬ。

 かといって演習を減らして適当な運営をしようものならば大淀から何を言われるか分かったものではない。

 

 まぁ……艦娘が強くなり、そして艦娘らしくあるためにも演習は必要だと俺も思うので、どれだけつらかろうが仕事はこなすのだが。

 艦娘が第一優先、俺の身体は二の次です。提督だからね、仕方ないね。

 

『まもる、だいじょうぶ? ちょっと休む?』

 

 デスクで書類を書きながらうんうんと唸る俺のもとへやってくるむつまる。クソが、ふざけやがって。

 

「……お前たちに必要なことだからな。問題ないさ」

 

 優しくしやがってくそが。くそ……いっぱい好き……。

 社畜は褒められることと心配されることに慣れていないのである。いっぱい頑張る。

 

『じゃあがんばって! はい、これ!』

 

 優しくしてくれたかと思ったらすぐさま追加の書類を差し出された。飴と鞭の差というか、温度差が凄い、風邪ひくわこんなん。

 しかし表情には出さず、やったるわい! と威厳スイッチ連打で対応する。

 

「うむ……。では、続けようか」

 

 と、そんな時、執務室の扉がノックされた。

 壁掛け時計を見れば時刻は七時半を指しており、俺は姿勢を正して低い声で「入れ」と言う。

 

「失礼します――本日もよろしくお願いします、提督」

 

「よろしくお願いいたします。本日の補佐を担当します、鳳翔です」

 

 早いよ……大淀さん、早い……。

 

「……うむ。よろしく頼む」

 

 今しがた頭を悩ませている演習は、艦娘達にも余裕を持ってもらいたいが故に朝の九時からにしている。言うなれば、始業はこの時刻ですよ、と目安になればと設定したのだが……。

 秘書艦としてやってくる大淀たちは大体、朝の七時半には執務室へやってくる。そうまでしなくても俺はちゃんと仕事するから、と言えたらどれだけ楽な事か。素人とバレている今、そんな事を言おうものならば『よーく狙って。てーッ』と吹き飛ばされてしまうかもしれない。

 

 今日の秘書艦は鳳翔かぁ……と書類からちらりと見て、すぐに視線を下げる。

 あまりじろじろと見ては失礼だからな。

 

 ……ごめん嘘。間近で見られて緊張しているだけである。

 

 軽空母鳳翔――艦これの立ち絵でも小柄だった記憶があるが、目の前にやってきた実物は、本当に、今にも消えてなくなってしまいそうな儚さを感じる。初日はもっと怖かった気がするが、どうしてか、今はとても弱弱しいというか。

 

「本日の――」

 

 空母のお艦こと鳳翔の事をもっと考えさせろよ!! とは言わない。

 きっとこれは大淀がきちんと仕事をしているか確認するための一手だ。しかし、社畜をなめてもらっては困る。さっきまで胃腸が変な音を立てるくらい考えてたから仕事は完璧なのだ。

 

「今日の演習は潜水艦隊が最初だったな。従来の演習用魚雷では実戦的では無いとの意見もあったので明石に改良してもらったものを用意してある。既に妖精によって配備されているが、報告書とは別に使用感を聞きたいとのことだ。朝の演習後、入渠前にでも明石に報告しておくようイムヤ達に伝達を頼む」

 

 数度行われた演習での報告書から、俺はこれくらいならば問題無いだろう、というラインを探りつつ口を開き、書類をさっと渡す。

 何故だか知らないが、呉の一件から艦娘たちが妙に張り切っているというか、怖いというか、演習に参加する日になると修羅かな? という気迫を撒き散らしながら行動するのだ。

 報告書もびっしりと書かれているので、要望に応えるために必死である。

 

「っは。了解しました」

 

 よっしゃぁ! 大淀から質問も何も飛んでこないということは、及第点ということだぁ! ひゅぅ!

 

「あ、あのっ、私は……」

 

 さぁて! 続き続きぃ! と仕事に戻ろうとした矢先、鳳翔の声に俺はぎぎぎ、と音を立てそうな動きで顔を上げた。

 鳳翔の傍にいる大淀を横目に見れば、俺の渡した書類をじっと見つめながら眼鏡を光らせている。

 

 抜かった――これは罠だったのだ――!

 

 及第点だという風に見せての二重トラップ……完全に意表を突いての監視……!

 

 まさか鳳翔に『提督は実は素人の無能なのできっちり監視してください』なんてことは言うはずも無かろうが、何も知らない鳳翔は龍驤と並ぶ古参も古参――いわば母なる存在――竣工時期もそうだが、同人誌にそう書いてあった気がする。多分。

 そんな鳳翔からの視点も交えての二重監視、完全に油断していたっ……!

 

「今日が初めての秘書業務だったか、すまない。では……そうだな……」

 

 把握しているぞ? しかし仕事は俺がやっているからぁ……的な雰囲気をたっぷりに、俺は大淀の策を超える。

 

「ある程度は済んでいるのでな。次の仕事はあきつ丸の報告を受けることなんだが、それまでに鳳翔の話でも聞かせてもらおうか」

 

「えっ……えぇっ!?」

 

 フハハハ! どうだ、鳳翔、大淀ォッ! 仕事は済んでいるし次の予定も把握している! その上で俺は堂々とサボって世間話で時間を潰してやるぜぇ!

 俺の瞬時の対応、あまりの臨機応変さに鳳翔も驚きを隠せずに声を上げた様子だった。空母の母、お艦と呼ばれた歴戦の鳳翔とて、提督たる俺にはかなうまい……。

 

「ですが、まだ、その、書類などが……」

 

 困ったような顔で言う鳳翔だが、大人の余裕スイッチ(新登場)でさらりと流す。

 

「これは気にするな。私の仕事はお前たちの話を聞いて運営を改善し続けることだ。ということは、鳳翔の仕事は私に気に入らないことを正直に話すこととなる。何か異論はあるか?」

 

 これも仕事の一部ですから、という感じで言うと、鳳翔は小さな手をこまねいて言う。

 

「て、提督に異論など! 滅相も、ありません、が……でも、お話なんて、何のお話をすれば……」

 

「気負う事は無い。気に入らないことが無ければそれに越したことは無いのだからな。戦場に立つお前たちには我慢ばかりを強いているのだから、鎮守府の中でくらい少しは我儘を言っても構わん、というだけのことだ。過日の作戦においては右も左も分からない私を支えてくれたお前たちへの褒賞も兼ねている、遠慮はいらんぞ」

 

 これは嘘では無い。呉での一件は場当たりも場当たりだったため、殆ど大淀たちの行動でどうにかなったと俺は思っている。というか事実そうである。

 車両を借りた時も憲兵に頼ったし、船を借りた時なんて大淀が全部やってくれたので裏で何をしたのかなんて一切知らないのだ。ほんっとうに無能ですみませんでした。

 

 それに艦娘を支えることこそが俺の仕事だ。未だ勝手がわからないとは言え、井之上さんの声を聞き、気持ちを聞き、そうして艦娘を目の前にして俺は心の底から艦娘を好いていたのだと自覚した。

 彼女達が健やかに、幸せに過ごすためならば、この社畜代表……粉骨砕身する所存であります! と俺の心のあきつ丸もそう言っている。

 

 遠慮はしなくていいんだぞ、と示すために笑みを向けてみるも、鳳翔は首を横に振るばかり。

 まぁいくら優しい鳳翔とておっさんの笑顔はいらないよな。そうだよな。悲しい。

 

「お前たちが鎮守府に待機しているという事実こそ、私を安心させていたのだ。それも立派な任務だから、何でもいいので話を聞かせてくれないか? もちろん、話したくないのであれば無理強いはしない」

 

「うぅ……」

 

 いや、そんなに困らないでも……と俺が考えあぐねていると、鳳翔が大淀に視線を投げたのが見えた。

 しかし大淀はふいと視線を逸らすだけ。き、厳しい……仲間にも厳しい……なんて恐ろしい奴だ……!

 

「提督はただでさえお忙しい身ですし、私も困ったことは何もありませんから、お気遣いだけいただきます」

 

「ふむ。しかしだな……」

 

 やっとの事で鳳翔の口から紡がれたのは、やはり遠慮の言葉であった。良く言えば奥ゆかしいが、欲が無さすぎるというのも上司としては困りものである。褒美を与えたいのに要らないと突っぱねられては、どうやって労えばいいのか分からない。

 

『まもる、おなかへったぁ』

 

「あっ? えぇ……」

 

『おーなーかーへったー! ねーえー!』

 

 そんな時、俺の目の前に流星が如く現れた妖精むつまる。今日は大淀のようなコスプレではなく、何故か駆逐艦時津風のような恰好をしていた。お前ほんといつ着替えてんだ。

 

『まもるー、まもるぅー! まもるってばー! ねぇー! 聞こえてないのー? ぅおーい!』

 

 俺は仕事中なの! ふん、シカトかましてやるわ! と思っていたのだが、あまりのうるささに一瞬で心が折れた俺。

 

「なっ……わ、わかった、わかったから、落ち着け……まったく」

 

 でも黙らせる材料は用意してある。どんなトラブルにも即対応……社畜の嗜みである。

 俺は伊良湖に土下座をかます勢いで作ってくれとお願いしたお菓子を取り出し、一つだけ持たせてやる。

 

「提督……そちらは……?」

 

「うん? あぁ、これは金平糖だ。伊良湖に用意してもらったのだがな、妖精たちが好んで食べるので、仕事を手伝ってもらう駄賃がわりだ」

 

「駄賃……」

 

 鳳翔がぽかんとした顔で俺とむつまるを見る。物でつるとは何事か! と考えているに違いないのだが、仕方がない。こいつらいないと俺が仕事出来ないんで……大目に見てくれ……。

 

『えー……一個だけぇ……? もう一つくらい欲しいなー?』

 

「ダメだ。それは朝食分、残りは昼にな」

 

『ケチー! まもるがお風呂で残り湯かもって頭からお湯かぶってるの言いふらしてやるー!』

 

 お前なんで俺の秘密のルーティンを知ってんだよ!? や、やめ――

 

『そうだそうだー! 毎日お着替え持って行ってあげてるのにー! けちんぼー!』

 

『いつも新品の下着を用意してるのにぃ! もう一個ちょうだぁーい! わー!』

 

 ――着替えまで用意してくれてたのかよ!? いやほんとすみませんでしたありがとうございます……。って違う! やめろ! 今は大淀たちも来てるんだから本当にやめろ!

 

「やめないか! 今は大淀も鳳翔も来て――」

 

『大淀さんに密告してやるぅー!』

 

 ぐわぁぁああ! 密告はやめてくれぇぇええ! じゃなくて目の前にいるからもうアウトじゃねえかよ!

 ちらりと二人を窺えば、大淀は聞こえていないフリをしてくれているのか、はたまた聞いていて俺へ必殺技を放つための怒りゲージを溜めているのか定かでは無い。鳳翔は完全に呆れ顔をしていた。

 もうだめだ、終わった……俺の提督業は、これにて終了となるのだ……。

 

 わかったよ……最後、だもんな……金平糖くらい、くれてやるよ……。

 

「あー……わかった。その代わり、一人一つだ。いいな? それを食べたら、仕事を手伝ってくれ。約束出来るな?」

 

『わーい! ありがとうまもるー!』

 

 でも仕事は手伝ってね……。死ぬかもしれないというのに仕事は忘れない。悲しいね。

 嬉しそうに金平糖を抱えたまま、器用に仕事を再開した妖精たちを見届け、改めて鳳翔に向き直る。

 

「ふぅ。失礼した。それで、だ。気遣いだけとは言わず、鳳翔もなにか……」

 

「ふっ……ふふ、ふふふっ」

 

「むっ、な、なんだ鳳翔。何がおかしい」

 

「いえ、すみません。でも、ふふふっ、てっきり、提督はとても、厳しいお方なのかと」

 

「そのようなことは、無いと思うが……」

 

「はい。今のでよくわかりました。ふふっ」

 

 あ、だめだこれ。完全に鳳翔にもバレている。

 厳しいお方というのは、あれだろう? 仕事をきっかりこなす軍人らしい人かと思っていたけど、実態は妖精にさえ勝てないクソ雑魚提督だと、そういう、な? ああ、また一人、俺を無能だと知る艦娘が増えてしまった……。

 

 頭を抱えそうになってしまう俺の耳に、二人の会話が飛び込んでくる。

 

「機密性の保持。同僚とさえ話題に出さない秘書艦制度……これは、提督のお考えを酌んで、大淀さんが制定したのですね?」

 

「……流石、空母の母、ですね」

 

 大淀、お前……まさか……!

 俺が無能っぷりを隠せないと踏んで、混乱が起きないように、一人一人に知らしめるための策だったのか、これ……?

 お前は柱島鎮守府の諸葛孔明か……?

 

 自分で言っていて悲しくなるが、確かにそうすれば俺が艦娘に嘘をつき続けるという事態は避けられる。一方で無能と知って俺に反発する艦娘も出るかもしれないからこそ、一人一人に時間を設けて、無能だが害は無いと見せるために……なんという策士なんだこいつは……。

 二重、三重と張られた完璧なる作戦じゃないか――!

 

 おののいている俺の意識は、再びノックされた執務室の扉へと向けられる。

 いかん、これ以上俺を無能と知る艦娘が増えては流石の大淀も対応しきれないのでは――

 

「おはようございます、少佐殿。っと……既に到着しているとは。おはようございます、大淀殿、鳳翔殿」

 

 ――なんだあきつ丸か。既に俺を無能と知っている艦娘だったので問題無し。(大あり)

 あきつ丸は大淀と鳳翔を一瞬見ただけで、すぐに俺を見てつらつらと話し始める。

 

「空母各員は訓練場にて確認しました。駆逐各員は現在食堂にて朝食を……軽巡、重巡は演習参加艦以外、全員が自室にいる模様であります。戦艦各員は空母と同じく、訓練場を使用中であります」

 

「……うむ」

 

 あきつ丸もあきつ丸で俺の素性をばらさないようにか、こうして毎日艦娘達がどこにいるか、何をしているかを報告してくれる。実はちょっぴりこれが楽しみでもあったりするのだ。

 日々を過ごす艦娘達に異常があればあきつ丸の報告からも分かるし、何ならあきつ丸は井之上さんと直通しているので問題がおきても解決しやすい。反面、あきつ丸の目にも余るような無能に成り下がったら井之上さんから怒られてしまう可能性が非常に高いという諸刃の剣である。でも今日も可愛いから許す。

 

「さ、て……少佐殿。鳳翔殿は何と?」

 

「あ、いや、特に、問題は無いとのことだ」

 

 あきつ丸可愛いなあと見つめていて話を聞き逃すところだった。あぶねえ。

 褒美も欲しがらないし問題も無いって言ってるし、まあ今日の所は仕事でも手伝ってもらおっかなー? なんて考えていると、あきつ丸の目が細められ、鳳翔へと向く。

 

「で、ありますか。ならば良いのでありますが……鳳翔殿、本当に、何もないので?」

 

「はい。何もありませんよ。この鎮守府で粉骨砕身し、戦争に勝利すべく前進あるのみです」

 

「……ほう」

 

 真面目か! 戦争を勝利に導く、と聞こえはいいが重苦しい言葉を紡ぐ鳳翔。

 その時、あきつ丸が俺を見た。多分、少佐殿もこれくらい真面目にしてほしいであります……といったところか。ごめんなさい。

 

 そんな中で、あきつ丸が動いた。

 持ってきていた鞄の中から、何やら小さなメモ用紙を取り出したのだ。いや、メモ用紙かどうかも定かではない。それは古びているようで、くしゃくしゃになったものを手で伸ばしたような紙切れだ。

 何らかの伝達事項でも書かれているのか? と俺が様子を見守っていると、鳳翔が声を上げた。

 

「そ、それはっ……何故、あきつ丸さんが……!」

 

「確かにこれを入手したのは自分でありますが。自分はこれが一体どういう意味を持つもので、何が記されているものなのか、知りません。少佐殿に誓って中身も見ておりません。ですが、鳳翔殿はこれを何か知っている様子でありますなぁ……?」

 

「……っ」

 

 え? 何それ? あきつ丸が知らないことを俺が知ってるわけないだろ? 何だよそれ?

 もしかするとあれか? こう、女の子同士が手紙とかメモとかを回し読みする的なやつか? ならなおさら分かんねえよ!

 

 分からないことは分かるやつに任せる。前に学んだね? ということで、俺は書類仕事を再開する。別に雰囲気が怖かったからとかじゃない。本当に違う。マジでマジで。

 

「何も、無いというのは、う、嘘です……! 提督……どうしてあれを、ご存じなのですか……!」

 

「私は何も知らん」

 

 知ってたらちゃんと話に参加してるよ。分かんないから仕事してるんだよ。ごめんね。

 しかし声からして何だか艦娘同士での不和でもあるような気がして、こういう時はどうすればいいんだと考えながらペンを置き、とりあえず、立場的に出来る事をと考えて声を発した。

 

「鳳翔にとって大事なものなのか?」

 

「……はい」

 

 じゃあ返してあげなよぉ! と、心で叫び、現実では静かに。

 

「そうか……あきつ丸」

 

「っは。では、鳳翔殿……もう二度と、なくさぬよう」

 

 ただの落とし物かよ! めっちゃドキドキしたわ!

 良かった、仲の悪い艦娘はいなかったんだね……と安堵した矢先、鳳翔がぽろぽろと泣き始めた。

 えぇっ!? そんなに大事なものだったなら俺にも言えよぉ! 一緒に探すじゃんそれくらいよぉ!

 

「あ、ぁ……あぁっ……どうし、て、提督、どうして、これを、あきつ丸さん、どうして、どこで、知って……」

 

 いや俺は知らないです、とは言わない。俺は賢いので。

 

 鳳翔は無くしたものが見つかって相当に嬉しいのか、しばし泣き続けた。

 それから、あきつ丸がもう一つ、小さな箱を取り出して鳳翔の前に置く。

 静かに開かれたその中身は、指輪だった。

 

 俺も指輪を見て何も察せないほど愚かでは無い。きっとあれは、鳳翔にとって本当に大切なもので、もしかすると……いや、これ以上の想像は野暮か。

 この鎮守府にきた艦娘はそれぞれ過去を抱えている。理由は様々だが、捨てられたという事実とともに。

 提督として、男として、俺が出来ることはただ一つ。黙って見守る事だけである。

 

 人はこれをヘタレと呼びます。すみません。

 

「……鳳翔殿。もう、大丈夫であります」

 

 あきつ丸の声に、俺は誰ともなしに頷く。

 

「途方もない道でありましょうが、我々は同じ釜の飯を食った仲間であります。たとえ綱渡りになろうと、身を削ごうとも、仲間の幸福のために戦うことに厭いはありません。故に、どうか……心を捨てぬよう、信念と復讐を違えぬよう、お願い申し上げる」

 

 大袈裟にも思えたが、それだけ大事なものなのは間違いない。

 まぁ元気出せよ! と言えたらどれだけ楽な事か。しかし、無くしたものを相談さえ出来ないほどに内気な性格の持ち主だったというのには驚きを隠せなかった。龍驤と一緒にいる時はもう少し覇気があったが、今や見る影もなく縮こまっているじゃないか。

 不憫に思えたが、同情するのも失礼に思えた。俺は艦娘と対等でいたいのだ。ならば俺が出来ることは何か――仕事にかこつけてでも、元気を出してもらう事である。

 

 幸いにも褒美に何が欲しいかを聞けていない。今がチャンスかと声を上げた。

 

「鳳翔。何か、したいことはあるか?」

 

 何でもいいぞ! 俺が出来ることならな!

 

「したい、こ、と……」

 

「何でもいい。したい事があれば、尽力しよう。私にできることであれば、何でも言え」

 

 何でもいいんだぞ? いやほんと、何なら俺に出来なくても井之上さんとかにお願いしたらどうにかできるかもしれないしな? 今更俺が他力本願なんて全員知ってんだろ? な?

 

「少佐殿……お言葉ですが――」

 

「なんだ」

 

「……いえ、失礼しました」

 

 本当になんだよ……井之上さんを頼ろうとした事が一瞬でバレたか……?

 それでも俺は頼っていくぜ! 屑って呼んでくれよな!

 

「もし……全てを巻き込んでも、成したいと言ったら……してくださるのですか……」

 

「何をだ」

 

 巻き込む……? あー、どういう事だ……?

 全てを巻き込んでも、成したい……皆に協力して欲しいということか? 問題無いと思うが……。

 俺が問い返した瞬間のことだった。鳳翔から出たとは思えない大声が耳を劈く。

 

「っ……何故そのような目が出来るのですっ!」

 

「エェッ!? 鳳翔、落ち着――」

 

 目つきで怒られたのとか初めてなんですけどぉ!? あ、いや、初めてでもないな……。

 社畜時代に上司に目つきが気に入らないとかで怒られた記憶が……違う、そんな場合じゃない。

 

「このようなことをして! 私に、この、私にまだ選択を迫るのですか! 今度は何を失えというのですか! この身を海に沈めろとでも言うのですか!」

 

「なっ……」

 

 ただのヒステリー、などでは無い勢いの物言いに、思わず目を見開く。

 

「あの人は……あの人は私に生きて良いと教えてくれたのです! だからこうして、心を殺してでも生きようと、している、のに――」

 

 

 

「――誰が沈めなどと言った!!」

 

 

 俺は勢いよくデスクを叩いて立ち上がり、鳳翔の前――イテッ腰打った――まで来ると、その両肩を掴んで言った。

 

 沈む? 沈むだと? ふざけたことを抜かすな。

 それは全ての艦娘に対する冒涜であり、全ての提督に対する冒涜でもある。例えどれだけのストレスが溜まっていようとも決して物にあたってはいけないのと同じように、艦娘をおいそれと沈めるなど愚の骨頂。許されざる行為だ。

 一部、艦娘を沈めてでもという提督だっているかもしれない。もしかすると鳳翔の居たところが、そうだったのかもしれない。だとしても、俺の鎮守府では許さない。俺の艦娘である間、絶対に沈むなど許さない。

 呉で学んだと言ったな、あれは嘘だ。

 俺の感情は須臾にして沸騰し、続けて怒鳴り散らしそうになるも、すんでのところで持ちこたえ、涙を流す鳳翔に問う。

 

「鳳翔、泣いてもいい、だが聞け!」

 

「やっ……!」

 

「聞け!」

 

 身をよじって逃げたがる鳳翔を押さえるのは気が引けたが、こうもストレスをためているのだとしたら上司としても、提督としても、男としても話を聞かざるを得ない。

 この時の俺は、ただ純粋に力になってやりたいと思った。だからこそ、感情を抑えられたのかもしれない。

 

「お前は何を求めているんだ? 泣くほどに難しいことを求めているのか? 沈んでしまいそうなほどに困難なことなのか?」

 

「提督……どうして……私を、追い詰めるのですか……」

 

 女性は、難しい。

 女性と接する機会が極端に少なかった人生を悔やむも、今それを悔いても仕方がないだろうと理性に殴られる。今必要とされることは、如何に自分が無能であろうとも、誠実に、ただ彼女を支え、守ることを明言して、力になってやると言ってやる事じゃないか? と考えた。

 

「追い詰めてなどいない! 私はお前の力になりたいのだ! 望みがあれば、それを叶えるために尽力する、ただそれだけだ! それがどうして沈む沈まないの話になる? 難しい話ではないだろう!?」

 

 だが、鳳翔は子どもが駄々をこねるかのように目を逸らすばかりで、俺は、ああ、もしかすると俺の行動もまた、独りよがりなのかもしれないと思い、手を離した。

 デスクから散らばってしまった書類を拾うべく背を向けてかがみこみながらも、お艦だの何だのと呼ばれている鳳翔の、等身大の姿を見て自分を殴りつけたくなった。

 井之上さんからも言われていたじゃないかと、本気で殴ってしまいたくなった。

 

 傷ついている――そう、どんな形であれ、彼女たちは傷ついている。

 

 だから、どうすればいいかを考え、接し、支えなければならない。忘れていたわけじゃない。だが、俺は本当に艦娘を最優先出来ていたか? 答えは否である。

 仕事が多いから、環境に馴染めないから、そんなことは理由にならない。

 提督にあるまじき失態とも呼べる現状に、溜息を吐き出しそうになる。

 

「……世界で初めて、最初から空母として設計され、世界で一番最初に竣工した。覚えているか、鳳翔」

 

 鳳翔は、俺が艦これをゲームとして楽しんでいた頃、建造で手に入れた軽空母でもある。

 かつて初心者の壁とも呼ばれた沖ノ島海域――通称、二-四と呼ばれる場所を突破できずにいた俺を勝利に導いてくれた艦娘だ。空母を手に入れるために建造した時にやってきたのが鳳翔だった。

 少ない艦娘、少ない資材、少ない知識で楽しんでいた俺だったが、海域を突破出来ない歯がゆさはどうしてもあった。ならば建造を続ければいいじゃないかとも思ったが、その時の俺はどうしてか、今ある艦隊でクリアしたいともがいていた。

 

 性能は劣っていると言うしかないものの、低燃費で運用できる特異的空母だった彼女はクリアするために試行回数を増やしていた状態の鎮守府に大きく貢献し、見事、突破へと導いてくれた。

 

 道中大破しようとも、鳳翔は言うのだ。

 

『このまま沈む訳には参りませんっ!』

 

 折れず、強く、そして高らかに。彼女の言葉が、声が、どれだけ俺に気合を入れてくれたことか。

 

「人々はお前の小さな身体に、全てを詰め込んだ。希望を、夢を、想いを。そうしてそれらを一身に背負い、役割を終えてたった一人で、静かに解体されただろう」

 

 いつしか俺は鳳翔という艦が気になって調べたりもした。艦娘の事をよく調べるようになったきっかけは、間違いなく彼女だ。

 彼女は戦争を生き抜き、全てを見届け、解体された。誰一人置いていかないぞと、寄り添ったままに最後を迎えた。

 

 それが今や、自分のしたいことも言えず、俺を励ますような声も上げず、ただ、泣いている。

 なんてもどかしいんだと思いつつも、やっぱり俺は情けなく、他人のせいにしてしまうように言ってしまう。

 

「そんな、昔のこと、など……」

 

「みなを守り、誰一人おいていかれぬようにと、お前はずっと戦い続けただろう。たった一人となってもだ」

 

 言ってから少しだけ胸が痛んだ。

 

「なのに……お前は、私を置いていくつもりか」

 

「ていと、く……?」

 

「私を置いて、一人で沈もうと、そう言うのだな」

 

「っ……私はっ、私にはっ……!」

 

 いや違う、こんな事が言いたいんじゃない。

 どれだけ情けなかろうが、どれだけ他力本願だろうが、艦娘を一番に考えることこそ、提督じゃないのか。

 

 艦娘に救われた俺は、どれだけ恰好悪くても、彼女達を支えたい。

 

 無能であっても。無力であっても。

 

 大淀やあきつ丸という、俺が無能と知ってなお支えてくれる艦娘もいるのだからと、言葉を紡いだ。

 

「私は無力だ。そして無能だ。だが、お前たちを支えるためならばなんだってするつもりだ。私の力不足が故にお前が沈みたいなどと言ったのならば……私は、どうすればいい」

 

「っ……! ち、違っ……私はそんな意味で言ったのでは――!」

 

「一蓮托生なのだ。お前も、私も。お前の望みは私の望みであり、仕事であり、全てだ。だから、教えてくれないか。鳳翔、お前が何を求めているのか」

 

 俺がこの世界に来てから、道はたった一つしか無いのだと言わんばかりに、鳳翔を見つめた。

 

「……考えさせ……て……いや、考えても、仕方がない、のでしょうね」

 

 聞かせて欲しかった。その、心の内を。

 

「誰も、いなくなって欲しくないのです……誰一人も、欠けて欲しくないのです……それが、それだけが、私の望みです。何があっても、守り通してくださると、ここで言えますか、提督」

 

 ――うん?

 

「――……そんなの、当たり前だが……?」

 

「え……?」

 

 えー、っと……ちょっと待てよ? うーんと、なるほどなるほど……。

 これはー……あれだな? 振出しに戻る、というやつだな……?

 守り通して欲しいし誰一人欠けて欲しくない。まあ、当然だな?

 

 って――そんなの! 当たり前なんだよ! オォンッ!?

 

 俺がどれだけのヘタレ提督だと思ってんだ!? お、おま、お前……鳳翔が道中大破するたびに半泣きになりながら即時撤退して、その日は攻略中止にしてずっと母港画面で謝ってたレベルの俺だぞ? あぁ!?

 

 ……カームダウンね俺。

 

 鳳翔の考えはよく分かった。俺が無力、無能だから何も出来んだろうと、そういう事だ。

 

 俺をなめるなよッ! 無能が故の他力本願スキルの高さは、策士大淀さえも動かすほどの情けなさに達しているのだッ! 鳳翔の願いをかなえることなど大淀にとっては造作も無いはず!

 

「私の仕事はお前たちを守ることなのだから、当然だろう……? 誰かが欠けるなど有り得んが……。い、いやいや、いや、な? 鳳翔、私はな? お前に褒美を与えようと、そういう話をしているのだ。別に当たり前の事を求められても困るだろう。無論、私が無能であってお前たちに不安を与えているのは承知している。しかしだ、私の力不足が故にお前が自分から沈みたいなどと言われては私とて立つ瀬が無いではないか。せめて私が提督らしくあらんために、何かを与えさせてくれと言っているだけだ」

 

 ああ、そうさ。全力で頼らせてもらうぜェッ! 大淀ォッ!

 

 と、ちらりと大淀を見やれば、こちらも見ずに溜息を吐いていた。やっべぇ……怖い……。

 

「……こ、ここには私だけでなく、大淀もいる。あきつ丸も、その他にも大勢いる。お前は一人じゃないのだ。私もな。私に出来ないことでも、全員に頭を下げてでも望みは叶えてやる。だから……」

 

 でも頼っちゃう……自分でも吐き気がするほどダサいが、許してくれ……。

 

「……罪なお人ですね、提督」

 

 いやごめんて……本当にごめんて……そんな、罪とか言わないでよ……俺だって仕事めっちゃ頑張ってるんだよ……。

 

「全てを知っていてもなお、あなたは私に沈むなと、そう仰るのでしょう」

 

「えっ、あっ、お、ぉぉん……そう、だが……? え……?」

 

「わかりました」

 

 鳳翔は手に持った紙切れや指輪を机に置いて言った。

 

「でも、私はこの人の事を忘れたりなどできません」

 

 いや誰。知らないよ。覚えてていいよ。

 

「忘れなくてもいいと思うが……」

 

「……男として、こう、そういうのは嫌、なのでは?」

 

「な、なんで男としての話になるのだ。お前が忘れたくないものを忘れろなど、そんな無茶な話があるか。お前の大切なものを守るのも、私の仕事だ」

 

 これは嘘では無い。艦娘が大切に思っているものを守るのは立派な提督の仕事である。

 

「し、しご、となんて、酷い言い方をする人、ですね……」

 

 だと言うのに、何故か再び泣き始めた鳳翔。なんっでだよぉぉぉ!?

 ア、あれか? さっき男としてどうこうって、いや分からんが、それか? どれ!?

 

 俺は錯乱しながらしどろもどろに言葉を紡ぐ。

 

「え!? あっ、いや、うーん……! し、仕事だから守りたいという意味もあるし! わ、私個人としても守るべきだからと! そういう意味で! な!? す、すすすすまない。別に仕事だからしかたなくということではなくだな……!」

 

 やっべえ大淀助けてぇ! と顔を向けると、目が合う。

 仕事もっと頑張るから! 何でもするから助けて! と。

 助けてくれるかと思いきや、大淀は盛大な溜息を吐き出した。

 

「あっ、まっ……もちろん仕事もきちんとするつもりだぞ!? 大淀の負担は極力少なくするつもりだ!」

 

「提督……私が言いたいのはそういう事では無く……はぁ、もういいです」

 

 あっ、ア艦これ。俺怒られるわ。完璧に怒られる流れだわこれ。

 大淀の目は汚物でも見るかのように細められ、さらには、目を合わせることさえ煩わしいと言わんばかりに逸らされる。

 俺は完全に蚊帳の外となった。死にたい。

 

「解決の方向へむかえそうですね?」

 

 何が解決するの? とは聞けなかった。怖くて。

 

「……はい。少しずつでも、前に、進めそうです。今度はちゃんと目を開いて」

 

「それは良かった」

 

 だが、話がまとまりそうな雰囲気を感じ取れる。じゃあ仕事に戻るか、と現実逃避しかけた俺の耳に、鳳翔から飛び出す地獄の言葉。

 

「ところで――制裁は、大淀さんになるのでしょうか?」

 

 あっ……これ、マジ……本当に死んだかもしれない……。

 仕事に戻ろうと椅子に座った俺の眼前で繰り広げられる死刑宣告。

 大淀は俺をちらちらと見ながら

 

「せっ、せいさっ……ま、まぁ? そうですね? わ、私は常任秘書で、常に提督のお傍にいなければならないですから?」

 

 躾みたいな意味で制裁を食らわされるの俺……?

 あきつ丸を見れば、心底おかしそうにくつくつと笑っている。やっぱりこいつは悪魔だ。

 

「今後とも、よろしくお願いします、提督……いえ、この場合は、あなた、でしょうか?」

 

「ほ、鳳翔? え、いやっ、ま、いま制裁と……?」

 

 鳳翔に至ってはとうとう他人行儀になってしまった。もう提督としては見れないという意味に違いない。

 

「? はい。大淀さんが、提督の制裁、では……?」

 

 制裁を食らってやり直せと、そう言いたいんだな!? そうなんだな!?

 でも落ち着け、いくら俺が手が遅い社畜だったとしても評価出来ない点が無いわけじゃないだろう!?

 

 呉の一件だって――! アオサぶっかけられて山元大佐に八つ当たりしただけだな……。

 そうだ、この鎮守府の運営――! も、妖精たちに手伝ってもらってばっかだな……。

 

 うん。だめだ良いとこ見当たらねえや。

 

 し、しかしだ! この艦娘達の機嫌を損ねてしまえば人類滅亡の危機……もう遅い気もしないことも無いが、制裁一つで済むのなら、この海原鎮、身を差し出し……やっぱ怖えよぉ!

 

「まっ!? えっ、待て、大淀、す、すまない、待ってくれ、私に至らないところがあったのならば直接言ってくれたら直すから、落ち着いてくれ。制裁などと……」

 

 情けなく狼狽している俺に、大淀はあきつ丸や鳳翔とニッコリ笑いあって言う。

 

「提督……これから一人一人に褒美を与えると、そう認識しておりますが……私にも、いただけるのですよね?」

 

「それはもちろんだ!」

 

 来た! 一縷の望みが――

 

「では……制裁で」

 

「ぐっ、ぬぅぅ……」

 

 無かったわ。そんなもん。

 しかし策士大淀とて俺がいなくなれば鎮守府運営も危うくなってしまう。井之上さんと繋がっているあきつ丸もそれを理解しているはずなので、死んだりはしないだろう。

 

 いいとも。受けて立ってやろうじゃないか。艦娘の制裁? 我々の業界ではご褒美です。

 俺は胸中で気合を入れつつ、提督の証たる軍帽を深く被りなおす。

 

 ッラァァ! ッシャァァアイ! かかってこいやぁ!!

 

 

 

 

 

「手加減はしてくれ……」

 

 ごめんやっぱ怖いから優しくして。仕事めっちゃ頑張るから。マジ頑張るから。


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