柱島泊地備忘録   作:まちた

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三十四話 三策【艦娘side】

 鳳翔も落ち着き、執務を再開して数刻した頃のこと。

 

『では、自分はまだ任務が残っております故。少佐殿、のちほど報告書を』

 

 そう言い残したあきつ丸は既におらず、執務室に残っているのは提督と私と鳳翔の三名となっていた。

 ちらっと時計を見れば既に昼も回ろうかという時間だったので、私は手を止めて提督に言う。

 

「提督、昼食は如何なさいましょう」

 

 提督は鳳翔の問題を解決したからかやる気に満ちた様子で、普段以上の速度で執務を進めており、私が声を掛けても気づかない。もう一度「提督、あの」と呼びかけると、鳳翔も同じように声を出した。二人して声を掛けてやっと顔を上げ、ああ、と短く呟く提督。

 

「どうした」

 

「もうお昼ですので、昼食をと……」

 

 私が時計を指して言うと、提督は目だけを動かして、

 

「ふむ……私はもう少し執務を続けよう。大淀と鳳翔は休憩しなさい」

 

 と、また顔を伏せ、手を動かし始める。

 私は鳳翔と顔を見合わせた。それも何とも言えない顔で。

 

 仕事に精を出すのは私達艦娘としても頼りになる人だと胸も張れるし鼻も高々なのだが、流石に昼食くらいは……言葉にせずとも、鳳翔も同じことを考えていたらしい。

 

「でしたら、こちらにお持ちいたしましょうか?」

 

 本当ならば休憩もかねて食堂に行ってもらいたいところだが、提督の執務の重要性が分からないわけでもない。このお方の双肩には国民と国の未来がかかっているのだから。とは言えど提督とて一人の人間なのだから限界くらいは存在するはず。遅くまで執務されているのは見ていて知っているし、提督とて睡眠をとる事も知っている。

 しかし、提督が眠っているのを見たのはたったの一度だけだ。作戦立案から実行まで日をまたいで行動なされた後、気絶するように眠られたあの時のみ。

 

 本当にこの人はどれだけ働き者なのか……。

 

 流石の提督も食事を疎かにはしないだろうとも思える一方で、もしかするとお国のためだと我慢のひとつやふたつ辞さないかもしれないとも思える。

 ここは一つ鳳翔にもう一声かけてもらおうと同調する。

 

「鳳翔さんの言う通り、ここで食事をとられるのでしたらお持ちします」

 

 提督は顔を上げないまま、かりり、と何かを書き上げて――ふと、ペンを置く。

 

「……少し考え事がしたい」

 

「考え事、ですか?」

 

 小首をかしげた鳳翔に、提督はゆっくりと頷いてみせた。

 中規模――いや、大規模と呼んで差し支えない作戦を終え数日しか経っていないというのに、もしやまた何か……と思考を回転させるも、私には分からなかった。

 

 呉の山元大佐の問題行動は誰がどう見ても完膚なきまでに是正された。強引な手であったとは言え、理にかなった方法で問題を解決したのに、まだ考え事とは。一体何が彼をここまで突き動かしているのか不思議で仕方がない、という感情だけが頭の中に渦巻く。

 

「どうすれば問題を解決できるのか、考えたい」

 

 今しがた書いていた書類に指をコツコツと当てて言う提督に、鳳翔は「でも……提督のお身体の事もありますし……」と困り顔で言う。

 これについては鳳翔に全面的に同意し、私も提督に「そうですよ」と言う。

 

 目深に被っていた軍帽を脱ぎデスクに置き、引き出しから金平糖を取り出した提督は、一つそれを手に取って口に放り込んだ。

 それから、甘い匂いを嗅ぎつけたかのように飛んできた妖精たちに一つ一つ手渡しながら、慈愛に満ちた表情で声を紡ぐ。

 

「お前たちに見合うような男になるために、精進せねばならんからな」

 

 徐々にギアを上げていた思考が、ふと、真っ白になる。

 それと同じくして、顔が熱を持つような感覚。

 

 提督、いきなり何を――そう口にも出せず、私は硬直した。

 鳳翔も同じようにしてぴたりと動きを止めた。違うのは、複雑な表情となった事か。

 

「提督、それは……その……」

 

「ままならんな、まったく」

 

 鳳翔の言葉の先は無く、ふう、と息を吐き出した提督。

 私の顔から熱がゆっくりと引いていく。代わりに、胸が締め付けられるような痛みに襲われた。その原因が何であるのかは分からないものの、私は下を向いてしまった。

 

「二人で休憩に行ってきなさい」

 

 提督の声に、鳳翔は困り顔のまま返事をして立ち上がる。

 私は無言で立ち上がり、鳳翔の顔を見ることも、提督の顔を見ることも出来ないままに扉へ歩もうとした。その時、提督に呼び止められる。

 

「大淀、少しいいか」

 

「……っは」

 

 私は提督のデスクの前まで来ると、何とか視線を持ち上げた。

 背後では失礼しますと鳳翔の声。

 

 ぱたん、と扉が閉まった後――提督は私を見て、あー、と前置いて頬をかきながら言った。

 

「その、だな……えー……て、手加減は頼むぞ、本当に、本当に」

 

「はい……?」

 

「いや、だから、手加減をしてくれという話だ。情けないかもしれんが……お、男に二言は無い。好きにしろ」

 

 私はその時、艦娘として生きてきて一番間抜けな顔をしていたことだろう。

 ぽかんと口が無意識に半開きとなり、どういう事かと数十秒提督を見つめてしまう。

 

「お、大淀……? す、するなら早く頼む……この後の仕事もあるし、私だって人に見られるのは、その……な?」

 

 察してくれと言わんばかりに視線を逸らされてしまい、私はさらに混乱した。

 人に見られるのは? この後の仕事に支障が出るかもしれないこと、というのはニュアンスで伝わるが……考えるのよ大淀、きっとこれは――と、思考を再始動させて回転させる瞬間、提督のか細い声に、また、思考が音を立てて止まった。

 

「せ、正妻の話だ。私の立場で部下のお前にこういう事をさせるのは本来ならばあってはならないが、私の至らなさ故のことだろう」

 

「え、あっ……」

 

「……痕に残らん程度で頼む」

 

「あ、痕に残らない程度って……? あ、いやっ! わ、わたっ……私、あのっ! そんな……!」

 

 唐突過ぎる提督のお言葉に完全に頭の中が空っぽになり、何を求めていらっしゃるのかを理解した。いや、求めているのではなく、提督はきっと私の心情を察して鳳翔を先に退室させたのだろうが、それでも今……今!? ここで!?

 

 知識にはあるが経験なんて無いし、こ、こういう時どうすればいいの……!?

 

 失われた熱が一気に戻り、目の前がチカチカした。

 先刻とは違う胸の痛み。かつて戦闘で感じた鼓動とは違う、胸の高鳴り。

 

 ちらりと提督の顔を窺えば、覚悟を決めたような顔をされていて、混乱はさらに加速した。

 今にも頭を掻きむしってしまいたいくらいに前後不覚に陥り、足元の感覚さえ分からなくなる。私は今しっかり立てているのだろうか?

 

 まるで足先から頭長にかけて冷たい風に撫でられるような初めての感覚に、何度も声を出そうとするも、あ、とか、え、などとしか紡げず。

 

「提督、その」

 

「う、うむ……」

 

「……立って、いただけますか」

 

 理由も無く目頭が熱くなっていく。泣きたいわけでも無いのに、視界が揺らいでいる。

 頭の中は真っ白なのに、様々な事が過る。それを捕まえられず、ぼんやりと、しかして確かに考える。

 

 今は戦時中だ。こんな事をしている場合じゃない。

 

 これくらいはいいじゃないか。今までどれだけ酷使されてきたと思っているんだ。

 

 いいや、違う。酷使されてきたからこそ、当たり前の事を当たり前にする提督に惹かれていると錯覚しているだけだ。

 

 それこそ違う。私は確かにこのお方に未来を感じたんだ。希望を見たんだ。

 

 たかだか一つの作戦を成功させただけで? 呉の不正はいずれ発覚して正されていたかもしれない。それが一足早まった程度で心を固めたとでも?

 

 この人は違う。本当に、違うの。艦娘を想って、艦娘の為に、そして国のためにと自分を犠牲にしてくれる人。何も厭わずに前に立ち、両手を広げて守ってくれる人だから、私はこの人と海を守りたいと思ったんだ。

 

 馬鹿なことを。妄信して手痛い経験をしたのに学ばないとは。

 

 でも、信じてみたいじゃないか。

 

 ぐるぐるとした考えは一向にまとまる気配は無く。

 

「……来い」

 

 立ち上がり、私の前までやってきた提督の声に、身体が引き寄せられる。

 それから――とすんと、提督の胸に頭を預けた。

 

「おっ……お、よど……? あれ……?」

 

 提督は先見の明のあるお方だ。きっと、私の感情の動きなど容易く見抜いていらっしゃっただろう。だが、それに対して私は、逆の事をしてみたくなった。

 現実を見れば今すべき事じゃない。私だって分かっています、と。

 

「この先は……その……もう少しだけ、我慢、します……」

 

「お、おぉ……?」

 

「け、決して! その! か、軽い、艦娘、では……無いので……」

 

「う、うむ……そうか」

 

 ただ、もう少しだけこのままでいたい、と、私は暫し目を閉じ、提督の音を聞いていた。

 そして、鼓膜に届く早鐘を打つ心臓の音に、提督も緊張するのだな、なんて。

 

「こういう艦娘は、お嫌いですか」

 

「何を馬鹿な。嫌いなわけあるか」

 

 即答した提督に思わず頬が緩み、ああ、もしかすると、人はこういう感情を幸福と呼んでいるのかもしれない、と思った。

 

「……で、では、大淀。休憩を取ってきなさい。私も後で食堂に向かう」

 

「っ……そ、そう、そうですね! 申し訳ありません、いつまでも、こんな……あ、あはは……はは……!」

 

 急に現実に戻され、ばっと音がするほどの勢いで離れた私は、提督の顔をまたちらりと見た。

 先程と変わらない表情の中に、気まずそうな色。

 

 長くは見られず、恥ずかしさのあまりに頭を下げ、退室しようと背を向ける。

 

 扉まで早足で来たものの、もう一度だけ、と振り返り、一言。

 

「……あの」

 

「どうした」

 

「あ、ありがとうございました。申し訳ありません、我儘を」

 

「我儘? 何のことだ」

 

 素知らぬフリをしてくれる提督の優しさに胸がいっぱいになり、嬉しさを抑えきれず「そういうところですよ、提督」と微笑みを浮かべた。

 鳳翔の言う通り――罪な人だ。

 

 

* * *

 

 

「……ど……よど――」

 

「……」

 

「――大淀ってば!」

 

「はっはい!? な、なんですか急に耳元で!」

 

「何度も呼んでたっての! どうしたのさ、調子悪い?」

 

「い、いえ、別に……」

 

 食堂で昼食をとっている間、なんだか全身が綿毛にでも包まれているような感覚がぬぐえず、ぼんやりとしていたため、隣に座る明石の声に気づけなかったようだ。

 明石の大声に周りの艦娘達も私を見つめており、咳払いをして食事を再開する。

 

「さっきからぼーっとしてさぁ、まさか提督に怒られた?」

 

「怒られていませんよ。仕事をしていただけですから」

 

「なら、いいけどぉ……っていうか、これ、ちゃんと提督に届けてよね」

 

「どれですか?」

 

「やっぱり話聞いてなかったじゃん!」

 

「す、すみませんっ」

 

 明石は呆れ顔をしてテーブルを顎で示しながら、本日の昼のメニューであるカレーをスプーンに山盛りにして口に運び、ふんふんふん、と喋ろうとする。

 

「せ、せめて食べてから……」

 

「おおおふぉふぁふぃいふぇふぁふぁっふぁんふゃん!」

 

「な、なんです? え?」

 

「ん、ぐ……大淀が! 聞いてなかったんじゃん!」

 

「あ、あー、すみません……」

 

「ほんと、今日の大淀おかしいよ? 後で工廠で見ようか?」

 

「い、いえいえ! それにはおよびません! 大丈夫ですから!」

 

 これですね、と言葉を繋ぎつつテーブルに置かれたものを見れば、演習用弾薬の使用報告書と、演習用魚雷についての所見だった。

 こういう時、司令塔という役割を持つ艦娘としてありがたいのは思考の切り替えが利く事だ。書類を手に取った瞬間に目が文字を追い、内容が脳髄に叩きこまれていく。

 

「なーんかさー」

 

「……」

 

「私が見てきた大淀の中でも、いっちばん変な大淀かも」

 

「……」

 

「仕事はきっちりこなすし、作戦中は完璧に通信制御するのに」

 

「……」

 

「提督の事になったら一気にポンコツに――」

 

「げふっ!? ごほっ、げほげほっ……だ、誰がポンコツですか!」

 

「あれれぇ? 図星かなぁこりゃー?」

 

「だ、誰が、そっそんな、ポンコツとは失礼ですね! そんな事よりもです! 報告書は後で提督に渡しておきますが……開発報告書が見当たりませんよ!」

 

「あれっ? うっそ、工廠に忘れてきたかも……その中に挟まったりしてない?」

 

 言われた通りに書類をバサバサと捲るも、日課として命ぜられた開発の報告書は見当たらず。ありませんと返せば、明石は目をそらしてカレーを頬張り、もごもごと聞き取りにくい声で「後で探しとくね」などという始末。

 

「この私をポンコツ呼ばわりする明石は、私以上のポンコツですねぇ?」

 

「そ、そんなことないもん! ちゃんと開発出来たんだからぁ!」

 

「へぇー……それはそれは……」

 

「本当なんだからね!? 大淀の調子見るついでに見せてあげようじゃないの!」

 

「私の調子は構いませんけど……それで、何が開発出来たんです?」

 

「報告書に――! ……忘れたんだった。連装砲よ、連装砲。戦艦のね!」

 

「あら……明石にしてはまともな……」

 

「私の開発を何だと思ってるの!?」

 

 軽口を叩き合いながらも、長門と陸奥の協力によって開発したらしい連装砲の話を聞き、素直に凄いじゃないかと口にした。

 元々の装備があるとは言え、資材から作ることは明石や夕張のほか、妖精と連携が取れていなければ出来ない事である。長門や陸奥といった前線に立つ艦娘の細かな指摘などもあったのだろうが、結果が出たことは喜ばしい限りだ。

 

 昼食を終えたら工廠に足を運んでみようか、と考えていると、私と明石の正面に影が落ち、そちらを向く。

 

「こんにちは、お二人とも」

「失礼するわ」

 

「赤城さん、加賀さん……どうぞ。うるさいのが横にいますが」

 

「ちょっと大淀!?」

 

 既に食事を終えたらしい一航戦の二人だった。食後のデザートか、二人は美味しそうな瑞々しい果実の輝くあんみつをテーブルに置いて座った。

 

「いつもお疲れ様です、大淀さん。今日のお仕事はどうですか」

 

「滞りなく。提督が仕事を滞らせるわけもないんですけど……」

 

「ふふっ、ですよね」

 

 赤城は嫋やかな笑みを浮かべてあんみつに載ったさくらんぼをちょいと摘み上げ、口に入れて咀嚼する。それから口元を隠して種を出し、それをお盆の隅へ。

 

「ご法度だと分かっていますが、少し気になったことがありまして」

 

「どうしました?」

 

 赤城が問おうとしている事を察するも、食事を続けながら表情を変えず、報告書に視線を流しつつ返す。

 赤城も加賀も落ち着いた風を装っているが、加賀の目つきはどこか鋭い。

 

「――鳳翔さんの事です」

 

「それがなにか?」

 

「あなたは知っているでしょう。一緒にいたのだから」

 

 加賀の声に、白々しく「何かあったんです?」と重ねて返す。赤城の表情は揺らがなかったが、加賀の視線は一層鋭く細められた。

 

「あくまで守秘義務を貫き通すつもりね」

 

「普通に業務を遂行していただけなのですが……」

 

「それが通用するとでも? 私達一航戦の師である鳳翔さんを――」

 

 それは低く、鋭く、重い声だった。

 

 同じ前鎮守府の所属であった私にでさえ問いたださねば気が済まないというほどに慕われている鳳翔の存在は、一航戦にとって大きなものであるのは理解している。裏を返せば、私だから問いただされているとも受け取れる。お前が信じてと言うから、私達も信じたのに――と。

 

 だが続く言葉が紡がれることは無く、容赦のない声で分断される。

 

 その声の主は、龍驤だった。

 

「何噛みついとんねん」

 

「龍驤さん……!」

 

 加賀が顔をそちらに向けたのと同時に、私の耳に明石の戸惑うような声が鼓膜を揺らす。

 通りすがっただけの様子の龍驤は、片手に持った湯飲みをぷらぷらと揺らしながら赤城と加賀を交互に見て、最後に私に視線を向けて言った。

 

「喧嘩ならよそでしぃや。そも、喧嘩なんてしよ思たら規律違反や言うて止められるかもしらんけど」

 

「しかしっ」

 

「戦艦と重巡を相手にしても止まらんっちゅうならウチもほっといたるわ。悪いことは言わんから、やめとき」

 

「……」

 

 助かった……と胸中で安堵し、目を伏せて溜息を吐く。

 幸いにも食堂が騒がしいおかげで周りの艦娘は気づいていない様子だった。

 

 龍驤は短いやり取りで一航戦を黙らせ、去り際に私に言った。

 

「貸しやで。あー……あとやぁ、ウチは鳳翔から『何も』聞いとらん。そういうこっちゃ」

 

「……了解しました」

 

 ほな、と手を振ってカウンターに湯飲みを置き、食堂をあとにした龍驤の背を見送り、正面に向き直る。

 加賀は納得のいかないといった顔であんみつを食べ、赤城はスプーンで皿の中をゆっくりとかき混ぜながら声を落とした。

 

「龍驤さんが聞いていない、ということは……私達の出る幕では無いという事ですね」

 

 執務室でのやり取りは、扉に耳をぴったりとくっつけてでもいない限り廊下にまで響くなんてことは無いはず。

 鳳翔とて泣きはらした目のまま歩き回るなどという愚行をするはずもないが、もし鳳翔を見かけて私に理由を問いただしに来たのだとしたら、話してあげたい気もする。だが守秘義務を怠ることは鳳翔の心に土足で踏み入ることと同義。

 

 大っぴらに動かれはしないだろうが、どうしたものか……。

 

 そんな時、食堂の扉がからからと開かれ、間宮の「あら、提督」という声に振り返る。

 食堂にいた艦娘のそれぞれから挨拶を投げられつつ、提督はうむうむと頷きを返してカウンターで昼食を受け取り、室内を見回して――私たちの座る席を見つけて歩み寄ってきた。

 はっとして明石をぐいぐいと押してスペースを作り、どうぞ、と言えば、提督はすんなりと私の横に座り、スプーンを手に取った。

 

「お疲れ様です、提督」

「お疲れ様です」

「おっつかれさまでーす!」

 

「うむ。お前たちも、ご苦労」

 

 いただきます、と厳かに言って食事を始めた提督を見た瞬間、先刻の執務室での出来事を思い出しかけるも、さっと視線を逸らすことで何とか抑え込み、適当な話題でもと口を開きかけ――

 

「提督。お話があります」

「か、加賀さん、今は――」

 

 加賀の声。赤城が慌てて止めに入るも、勢いが衰えるはずも無かった。

 私は制止さえ出来ずに声を失い、しまった、としか考えられずにいた。

 

「先程、食堂に来る前に鳳翔さんとすれ違ったのですが、何かあったのですか」

 

「……ああ。ちょっとな」

 

 守秘義務を知っていて、ここまで、というラインを決められるのは鎮守府において提督以外にいない。故に提督の「ちょっとな」という言葉こそが答えになる。

 加賀はその先を求めるような気配を漂わせるものの、継がれた言葉に閉口せざるを得なかった。

 

「私の仕事が至らんばかりに、鳳翔にも大淀にも迷惑をかけてばかりだ。お前たちにも迷惑をかけるかもしれんが、どうか大目に見てくれ」

 

「そ……――」

 

 加賀はしばし言葉を呑み込むべきか、はたまたそのまま出すべきか逡巡するように固まっていた。しかしやはり我慢ならない、というように、静かにこう零した。

 

「……それで、鳳翔さんが目を赤くしてしまうなんて、考えられません」

 

 理性とせめぎあった結果だろう。その声は潜められてはいるものの、出来る限り冷静にあろうと聞こえた。

 

「それも私が至らん故だ」

 

 提督は加賀から発せられる圧にも表情を変えず、カレーを口に運ぶ。

 得も言われぬ空気が流れ続けては周りの意識がこちらに向いてしまうと、私は口を開いた。何でもないような雰囲気で、出来る限り変わらぬ声音で。

 

「提督。のちほど工廠にて開発に成功した連装砲を確認しに行くのですが、ご一緒に確認されますか?」

 

「ほう、連装砲の開発が……いや、大淀と明石なら間違いないだろう。後で報告書を確認しておく。私はすることがあるのでな」

 

「すること、ですか?」

 

 よし、話題の転換は成功だ。

 しかし、あれだけの執務をこなしておいて、まだすることがあるとは……。

 

「ああ。少し散策――……く、呉の様子を見てこようと思っている」

 

 散策に呉に行く……? まあ、提督ほど働いていれば今日を休日にしても構わないだろうが、何故突然、そんなことを言うのか。

 

 その目を見た時、呼吸が止まる。

 

 提督の目には光がある――しかし、それは希望の光では無いように見えた。

 私はその目を知っている、記憶に新しい、鮮烈な第一印象となったあの目。

 

 怒りに燃える目だ。

 

「何か、手伝えることはありますか」

 

 浮ついた心は無く、力強く問う。提督は私に顔を向け、しっかりと瞳を見つめて言った。

 

「大淀は鎮守府を頼む」

 

「……っは」

 

 私に鎮守府を一任するまでに重要な事……!?

 しかし、呉に今更何をしに――散策など――いや、待って、大淀。

 

 考えるのよ。提督は何も用意せず、何も残さずに任務を下すようなお方じゃない。

 

「決裁が必要なものは私のデスクに置いておいてくれ。いいな?」

 

「了解しました」

 

「赤城と加賀は非番だろう? ゆっくりと休むように」

 

 赤城と加賀の短い返事を聞くと、提督は手早く食事を済ませ、食器をカウンターへ返すと、あっという間に食堂を出て行ってしまうのだった。

 早食いも然ることながら、短いやり取りしかなく、私以外の三人はきょとんとするばかり。

 

 恐らく、一航戦の二人は話題にされたくないから逃げ出したのだと思い込んでいることだろう。

 

 この程度で逃げ出すほどに提督が弱いわけが無いのだが……それにしても、あそこまで急ぐ理由は何なのか。それを知るためにも、仕事をこなす前に一度執務室へ戻った方がいいのかもしれない、と私は残りのカレーをかきこみ、席を立った。

 

「あっ、ちょっ、大淀! 工廠は!?」

 

 明石に呼び止められたが、後で向かいます、と言って食堂を出る。

 

 

* * *

 

 

 小走りで執務室に戻り、ノックする。

 しかし返事は無く、既に提督は鎮守府を出たようだった。

 

 早い。早すぎる……!

 

 失礼します、と扉を開いて身体を滑り込ませると――そこには、あきつ丸と川内がいた。

 

「お、やっと来た」

 

「今日の昼食は美味でしたな、大淀殿」

 

「二人とも、何を――」

 

 室内の中央に立っていた二人は、道を開くように動き、提督のデスクを指した。

 デスクの上には幾人かの妖精が金平糖を抱えて座っている以外に、仕事をしている時には無かった本が一冊置いてあるのが見えた。

 二人に誘われるがままに開かれた本を見れば――妖精の一人が、ちょんちょん、と小さな手で一節を示した。

 

 本を持ち上げ、背面を見て、示された一節を見て、もう一度背面を見る。

 

「次の任務であります。大淀殿は何と伺っておりますかな?」

 

「鎮守府を……任せた、と……」

 

 やはり、提督はヒントを残していらっしゃった。

 

「さっすが秘書艦って感じじゃーん?」

 

「……その名に見合う働きが出来れば良いですが」

 

 私は眼鏡を指で押し上げ、本を閉じてデスクへ戻し、二人に向き直る。

 

「先程の食堂でのお言葉を聞き間違えてしまう程度には、明石の言う通りポンコツなのかもしれませんね」

 

「明石殿が大淀殿をポンコツと? あっはっは! それはそれは、柱島の第二の頭脳となろう大淀殿を捕まえて随分な物言いですなぁ!」

 

 あきつ丸の笑い声に、私は自嘲気味な笑みを返して確認の意を込めて言葉を紡いだ。

 置かれた本は――とある古典だ。

 

「――散策、ではなく、孫子の【策に三策なかるべからず】の三策とは……あの人も分かりにくいことを……」

 

 そう言った私に、川内が手を頭の後ろに組みながら、ふーん、と鼻息を洩らしつつ言う。

 

「食堂で、ねぇ……答えがここにあるって知って走って来たみたいだったし、やっぱ提督の考えが一番に読めるってのは大淀じゃないかなって思うけどなあ?」

 

「提督がヒントを残してくれたのですよ。私に向かって書類はデスクに置いておけなんて、あんな当たり前な事を言うはずがありませんから……はぁ、私もまだまだです」

 

「でも、もう分かったみたいじゃん」

 

「ま、まぁ……提督のお考えの全て、とまではいきませんけど……繋がりましたよ」

 

「さて、鎮守府を一任された大淀殿はどう見ておられるのですかな?」

 

 あきつ丸が両手を腰に当てて私を見る。

 瞬間的に思考はトップギアへ。全てが繋がっているとしたら、どこからが始まりなのかを考える。

 

 三策――という事は、三つの策があるはずだ。提督自身が動かれたという事は、それは既に一つ、または二つ目の策が終わったということ。提督はこの鎮守府における頂点であり、提督が動くという事は最終手段に等しい。呉の提督を是正した作戦も、それだけならば提督は動かずに済んだはずだ。恐らくは元帥閣下と共に裏から手を回し、静かに、誰にも悟られずに事を終わらせていたに違いない。

 資材と称して神風、松風、陸奥、そして龍田の四隻を一気に救うという切羽詰まった状況であったために動かざるを得なかったのだ。無論それは成功したが、いつも必ず成功するわけではないのは提督も重々承知であるはず。

 

 その証拠に提督はまた腰を上げて動いている。呉へ行く、と残して。

 

 呉では何があった――? 山元大佐の不正は何だった――?

 

 資材の横領、町民からの不当搾取、虚偽の轟沈報告……不正は全て正され……

 

「……て、ない……」

 

「大淀?」

 

「不正はまだ、全て正されていない……?」

 

「ほう、それはどういう」

 

 私は再び提督のデスクを見る。まだ、何か残っているはずだと。

 本だけ? 違う。いいや、違う。孫子の三策に、呉に残った不正、そこに至るための、確たる――

 

『?』

 

 妖精が私の目の前までふわりと飛んできて、心配そうな顔をして、持っていた金平糖を差し出してくれた。

 険しい顔をしていたのかもしれない、と妖精に「すみません、大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」と人差し指を伸ばし、ちょんと突く。

 すると妖精は持っていた金平糖をぐいと前に突き出し、私に握らせた。

 

「これは、妖精さんの大切な食事では――……!」

 

 金平糖――妖精に金平糖をあげるのに、何故わざわざ提督が配る必要がある――?

 伊良湖に頼んで作ってもらったのならば、妖精だって伊良湖の所へ行けばいくらでも貰えると分かるはずなのに、どうして?

 作ってもらったというのは『体裁』であり、恐らくこれは呉で貰った食料品の中に交ざっていたものだろう。お菓子の一部をもらい受けることを艦娘に知られては申し訳ないと考えた提督が伊良湖に頼み込んだのは『作ったことにしてくれ』ということ。少なくとも、金平糖は一日二日で出来るものでは無かったはず。

 

 握らされた金平糖を見れば角は均等で、手軽にさっと作られたものでないことは一目瞭然。

 

 これぞ、残された最後のヒント――全く、手の込んだ事をなさる提督だ――!

 

「……川内さん、あきつ丸さん、金平糖ってなんだかご存じですか?」

 

「金平糖って何って、飴でしょ?」

 

「ですな。妖精が金平糖を好むというのは初めて知りましたが……てっきり、お菓子ならば何でも食べるものかと思っていたでありますよ」

 

「そう、それです、あきつ丸さん」

 

「うん? それ、というのは……」

 

「金平糖とは、その昔、ポルトガルから伝来したものだと言われています。皇室の引き出物としても用いられる高級菓子で、今では手軽に購入できるものらしいですが……長期の保存も可能な事から、縁起物でもあったと記憶しています」

 

 ここまで話すと、あきつ丸は眉をひそめて、続きを促すように瞬きする。

 

「縁起物として様々な意味を持ちますが、今では【永遠の愛】なんていう洒落た意味も持つようです。もう、ここまでで十分ですね?」

 

 川内があきつ丸を見る。その視線に気づいたあきつ丸は、川内に説明するように、間違っていないかと自問自答するように言う。

 

「艦娘を守るために独自部隊を組み、まして自分に裁量まで与えた意味がここで活きてくるとは思いもしなかったでありますが……カウンセリングを行うのならばと自らの意思で艦娘の来歴を辿りその他の不正を探るのに専念していた自分を超えてくるとは、恐ろしいばかりであります……」

 

「あきつ丸の言ってるのって、もしかして鳳翔さんのこと? それなら、私らが調べたじゃん。鳳翔さんがいたところの提督は……――」

 

「深海棲艦の襲撃により死亡。鳳翔殿以外の艦娘は全員『襲撃された』と証言している記録もありましたな。死亡は間違いなく、深海棲艦の襲撃も間違いないでしょう。でなければ鳳翔殿がこの柱島に来るはずもありません」

 

「じゃあ……」

 

 あきつ丸の言葉を継ぎ、私は口を開く。

 

「どちらも嘘では無いとしたら、話は繋がります」

 

「はっはぁん……敢えて記録に残すことで、追加調査を免れた、ってわけね」

 

「鳳翔さんと未来の約束を交わしたであろう前提督との関係を見れば、他の艦娘が襲撃に対応し、提督の傍にいて真実を見た鳳翔さんとの証言が食い違ってしまうのも無理はありません。鳳翔さんは妄言により戦意に問題ありとして柱島に異動が決定した際、真実を訴え続けるという選択肢を失ったのでしょう――生きても良いという約束が故に」

 

 鳳翔の言葉を思い出し、私は強く奥歯を噛みしめた。

 

 

『あの人は……あの人は私に生きて良いと教えてくれたのです! だからこうして、心を殺してでも生きようと、している、のに――』

 

 

 私の中に芽吹こうとしていた嫉妬の種は刹那の内に枯れた。

 その代わりに芽吹くのは――使命感と、仲間をよくも、という怒り。

 

 あきつ丸が鳳翔に向けていた復讐と信念を違えるなという言葉が無ければ、私は怒りに任せて出撃し、暴れていたかもしれないと考えた。それほどに、やはり私は艦娘で、鳳翔を含め、仲間を大切に思っているのだとも考える。

 

「んでもさ、大淀はここでお留守番でしょ? 私とあきつ丸で呉に向かって提督のサポートって感じかな」

 

「ですね。先ほど食堂で赤城さんと加賀さんに詰められましたから。私は鳳翔さんのケアと、一航戦を宥める仕事……といった所でしょう」

 

「それでは、大淀殿には逐次報告をすることに致しましょう。さ、どこから手をつけたものでありましょうかねぇ……」

 

 盛大に溜息を吐き出しつつ、提督のデスクで金平糖を分け合いながら食べる妖精を見つめるあきつ丸だったが、ああ、と声を上げる。

 

「……少佐殿は自分にもヒントを残していたわけでありますか。本当に、化け物でありますな」

 

 うん? とそちらを見れば、あきつ丸は軍帽のつばを指で挟み、言った。

 

「呉の不正はまだ残っていると、その当てはどこかと考えるまでも無かったであります。金平糖の話で、自分も繋がりました――金平糖とは(おか)での甘味、その代名詞でありますよ」

 

 あきつ丸の言葉に、川内が手を打った。

 

 

 

 

 

「陸……あぁ、陸軍管轄の憲兵隊――!」


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