柱島泊地備忘録   作:まちた

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三十五話 散策【提督side】

「お、落ち着け俺……落ち着け……猶予期間だ、あれは、猶予期間を与えると、そういう事だ……」

 

 大淀が部屋を出て行った後、俺は犬みたいに執務室をぐるぐると歩き回り心を落ち着けようとしていた。

 

 覚悟を決めて制裁を受けると言った矢先、立てと言われて完全に死を予感した俺を待っていたのは――意図の読めない行動だった。

 大淀が俺の胸板へ頭を近づけてきた瞬間、咄嗟に『あ、これ頭突きされるやつだ』と身構えたのだが、強い衝撃が来ることは無く、ただ甘えるような……。

 

 いいいいいやいやいや! 甘えるって……あの大淀が甘えるって! 無いだろ!

 俺に甘えるような要素があるか? 断言できる! 無い!

 

 自分で言っておきながら情けないが、仕事は遅いし、軍人として素人だという隠し事さえも一日程度でバレてしまうくらいにはアホだ。井之上さんにも怒られっぱなしだし山元大佐にも八つ当たりするようなクズだぞ!? 社畜な上にクズとかもう救いようがないではないか……それに対して甘えられたのかな? なんて都合がいいにも程があるぞ海原ァッ……!

 

 でも大淀、いい匂いし――

 

 ガツン! と音とともに、俺の足先に激痛が走る。

 

「イッタ!?」

 

『あ、ごめんまもる。本落としちゃった』

 

「なんで今落とすんだよ!」

 

 妖精が落としたという本を拾い上げ、デスクに投げ置く。仕事に使うようなものかと思ったが、それは明らかに仕事とは無関係のもので、本棚にあったものでは無いように見えて溜息を吐き出した。

 

「どっから持ってきたんだそれは……いたた……」

 

『さぁ……?』

 

「さぁ、ってお前……はぁ、もういい……」

 

『まもるが変なこと考えてそうだったからつい』

 

「わざとじゃねえか!」

 

 クソッ、ちょっと大淀の香りを思い出しただけでこれかよ……ッ!

 まぁ、香りも何も、入渠施設に備え付けられたシャンプーの香りだったので俺も同じようなものなのだが、それはさておき。

 

 心も落ち着けたところで(落ち着いてはいない)昼食にでも行こうかと執務室の扉へ顔を向けるが、どうせ今行っても大混雑しているのは明らかだ。艦娘たちに囲まれて食事をするのは非常に魅力的ではあるものの、鳳翔を泣かせてしまったことから空母勢とは顔を合わせづらい。

 泣きはらした鳳翔の目を見て俺の仕業と知れば、艦上爆撃機を差し向けてくるのは必至。見つかった途端に徹底的に撃滅されてしまう。せっかく優しくなった龍驤までもが『空母の皆ぁ! お仕事お仕事ぉ!』と号令をかけようものなら、俺はアイアンボトムサウンドに沈んでしまうだろう。

 

 社畜の思考は解決策を導き出すのに時間を要さない。

 

「はぁ、もういい。仕事を――って言っても、あとは報告書待ちだしな……」

 

 柱島鎮守府にてこなさなければならない仕事を羅列すれば、それはもう多くの仕事が挙げられるはずなのだが、実働しているのは俺のうっすい記憶の中にある艦これにおけるデイリー任務くらい。

 

 演習はシフトを組んでいるため俺の仕事は特に無し!

 訓練風景でも見学して改善点を見つけ出したりするのも提督の仕事なのだろうが、素人の俺が見たところでどこをどう改善すべきかなんて分からないのでノータッチ。

 艦娘が海を駆ける姿を見たくはないのか? と問われたら見たいと答えるが、俺がいたら訓練の邪魔にしかならないのは考えずとも分かる。悲しいが艦娘の邪魔になりたいわけでは無いので我慢しているというのが実際のところだ。

 

 開発は明石と夕張に工廠を任せっぱなしなので、これも仕事は特に無し!

 妖精と意思疎通を図りつつ奮闘しているようだが、開発なんてものは必ず成功するものでないのは提督の俺が一番知っているので資材を使い過ぎないようにだけ言いつけ、自由にしてもらっている。

 一日に三回の開発を頼んでいるが、単装砲や機銃など、ちまちまと装備の拡充も進んでいる様子なので問題無しだ。

 

 遠征――これについては完全に仕事無し!

 先日は例外的に深海棲艦が出現したらしいが、それ以降は一切目撃した報告もあがっておらず、平和そのものである。そもそも深海棲艦が出現した場所も柱島から随分と離れたところであったため、現実感が薄く警戒も形だけではあるが、こういう所で慢心すると痛い目を見るかもしれない、と範囲は広げている。

 それと、補給用資源海域とやらが四国付近にあるらしく、警備艦隊はそこで補給を行い、それとは別に微量の資材を持ち帰ってもらうようにしてある。微々たる資材だが、塵も積もればというやつだ。

 

 以上の事から、俺が執務室にこもってやっている仕事と言えば艦娘から送られてくる申請書の決裁だの、井之上さんに送るための報告書の修正だのと細々としたものばかり。井之上さんに送るのは大淀がやってくれているので、実質デスクに座って書き物をしているだけである。まぁ、量は眩暈がするくらい多いので暇ではないが……時間を作ろうと思えば作れる。

 

 そして今、俺は時間を作ろうとしている――それは何故か――

 

「……今日くらいサボるか」

 

 これは言葉のあやだ。違う。サボるのではなく、その、こう……アレだ。

 

『まもる……? 今、サボ――』

 

 妖精たちがじとりとした目を向けてくる。

 俺はすぐさまデスクに戻って引き出しを開け、金平糖を取り出してそっと置く。

 

「視察をしてくる。言い間違えた。視察だ。いいな? ついでに散策的な、な?」

 

『なぁんだ! しさつかー!』

『まもるがお仕事サボるなんて、ありえないもんね!』

 

「はっはっは俺がサボるなんてはっはっはありえるわけはっはっは! まぁ金平糖でも食えよ!」

 

『わーい! あめだー!』

 

「……」

 

 っふ……妖精なんてチョロいもんよ……。

 サボると決まればさっさと執務室から出て身を隠せる場所を探さなきゃな。万が一サボっている事が大淀にバレてしまっては凄惨な未来が訪れる。

 

 うん……? 待てよ……。

 

「視察……そうか、視察か! 天才か俺は……!」

 

 天才的社畜頭脳を持つ俺が導き出した解答(いいわけ)とは――視察。

 そうだ、視察に出かけると言えばこの鎮守府を一時的に離れることが出来るため大淀の目を気にせずにのびのびと過ごせる!

 少しばかり強引な手かもしれないが、視察には俺一人で行くと言えばいい。あーだこーだと理由をつけられたとしても、提督の仕事だからという雰囲気で誤魔化せ……ると思う! 多分! 恐らく!

 

 ならさっさと行くぜ俺は! 空母の誰かに呼び止められても仕事があるからって言えば大丈夫だろ! と、俺のデスクの上で金平糖の破片を豪快に撒き散らしながらぼりぼりしている妖精たちに向かって言いつける。

 

「ん、んんっ……私はしばらく留守にするが、きちんと職務をこなしておくように。無理のない範囲でな」

 

『どこ行くのー?』

 

「お、おーん……それはぁ……」

 

『お手伝いはいるー?』

 

「いやっ! それには及ばん。ありがとうな。前に呉に出かけたろう? その後が気になってな。街の様子を見ておきたいのだ」

 

『まもるは優しいねぇ』

 

「ははは、そんなことは無い」

 

『働き者だねぇ』

 

「ははは」

 

『見習わなきゃね! みんなでお仕事頑張るから、気を付けて行ってきてね!』

 

「はは……は……。う、うむ。では、また後でな」

 

 いかん。これ以上この場所にいると良心の呵責に苛まれてしまう。

 まだ苛まれてないみたいな言い方だが、ちょっとくらいは心が痛んでいる。

 

 しかしながら、ここに来て数日、俺の個人的な時間というものなんて殆どと言っていいほど存在していない。一日とは言わないまでも、ほんの半日、いや数時間でもいいから確保したいと考えるのは罪なことだろうか? あっはい罪ですよね知ってます。でも少し休ませてください。お願いしますほんと……。

 

 軍帽を被って妖精と目を合わせないようにしつつ、俺は執務室を出て食堂へ向かった。

 何故かって? 一応、大淀に一言だけ言っておこうと思って……。

 

 別にビビってるわけじゃない。

 

 ビビッてねえよ!!

 

 

* * *

 

 

 食堂に近づくにつれて黄色い声が耳に届き始め、否が応でも心臓がバクバクと鳴りはじめる。

 大丈夫、問題無い。ただ視察に行くと伝えて、さっと食事を済ませて出るだけだ。それが終われば数時間の至福の時が待っている。小難しい事を考えなくともいい幸福の時間が――。

 

 俺は食堂に到着すると、扉を静かに開ける。すると、方々から艦娘たちの明るい声が飛び込んでくる。

 

「あら、提督」

 

 カウンターから聞こえた間宮の声に返事をして、本日の日替わりメニューらしいカレーを受け取りつつ、大淀の姿を探す。

 

「提督、どなたかお探しですか?」

 

「大淀を、少しな。仕事のことで話がある」

 

「大淀さんでしたらあちらに」

 

「うむ、ありがとう」

 

 間宮が指した方向には大淀の他、明石や一航戦の姿があった。身体が強張るも、ぐっと気合を入れる。

 そちらへ歩めば、大淀は俺を気遣ってか座れるように席を空けてくれた。優しい。

 こんな優しい一面を持つ艦娘に対して、視察をすると嘘をついてサボりに出かけるのか……? と、俺の良心が語り掛けてくる。

 

 だが良心よ――エリート社畜の俺とて体力は無限ではない。まして精神力なんて底をつきそうなのだ。体力ならば寝れば回復出来るかもしれないが、精神力はどうにもならないではないか。

 身から出た錆とは言え、大淀には嘘がバレた状態で共犯者として提督業を続けさせてもらっている。井之上さんからのお願いもあってまさに四面楚歌なのだ。

 

「お疲れ様です、提督」と赤城が会釈する。

「お疲れ様です」と加賀。

「おっつかれさまでーす!」と明石は機嫌良さそうに笑みを浮かべる。可愛い。好き。

 

「うむ。お前たちも、ご苦労」

 

 労ってくれる赤城や加賀、明石の声にまた罪悪感が募る。

 やっぱり……仕事をしよう。逃げるなんてもってのほかだ。俺は提督で、彼女らは艦娘。二つの存在が揃えばやる事はただ一つじゃないか。そのために俺はいるのだから。

 彼女達を癒し、支え、身を粉にして働く。良いじゃないか、何が苦痛か!

 

 彼女達の顔を見てみろ、海を駆け、人類を救おうと奮起している勇ましさといったらもう、間近でそれを見られるなんて幸せ以外――

 

「提督。お話があります」

「か、加賀さん、今は――」

 

 加賀の低い声に心臓が止まりそうになる。加賀の横では、赤城が真っ青な顔をしており……あれナニコレ怒ってる?

 

「先程、食堂に来る前に鳳翔さんとすれ違ったのですが、何かあったのですか」

 

「……ああ。ちょっとな」

 

 あーこれダメだ。怒ってるわ。完全に怒ってるわ。鳳翔さんとすれ違ったのですが何かあったのですか? だと? 無けりゃ言わないだろそんな事よぉ! あったのを知ってて、敢えて俺の口から言わせようとしてるのは明らかなんだよなぁッ!

 大淀がせっかく猶予期間をくれたと言うのに、青鬼につかまってしまうとは……!

 

 ここは食堂。艦娘の大半がいるこの場所で言い訳の一つでもかましてみろ、瞬きする前に蜂の巣になる。

 変な気を起こしてサボろうなんて言うんじゃなかったぁぁぁ……ぐぁぁぁ……と、後悔しようとも時すでに遅し。加賀の視線は鋭さを増すばかりで、物理的にそろそろ刺さるんじゃね? というくらいの威圧を発し始める。

 俺は声が震えないよう小さく、かつ、言い訳をしないように素直に白状するしかなかった。

 

「私の仕事が至らんばかりに、鳳翔にも大淀にも迷惑をかけてばかりだ。お前たちにも迷惑をかけるかもしれんが、どうか大目に見てくれ」

 

「……それで、鳳翔さんが目を赤くしてしまうなんて、考えられません」

 

 正直に話したのに! なんっでだよぉぉおおおっ!

 目を赤くしてしまうなんて考えられないって、ほら、もう分かってんじゃん! 鳳翔が泣いちゃったこと知ってんじゃん! それで詰めてくるとか加賀、おま、お前! ほんと鬼だな!

 お前の事今度から『一航戦の急に歌う方』って呼ぶからな!

 

 もちろん口に出すわけも無く、しゅんとしながら「それも私が至らん故だ」と言って必死にカレーを口に運んだ。そうしなきゃ恐怖でぶっ倒れてしまいそうだったからだ。艦これでは『鎧袖一触よ』というのが口癖だった記憶があるが、眼前で俺を睨みつける加賀は本当に修羅そのものである。

 鳳翔と言えば元一航戦であり、空母の母とはプレイヤーならば周知の事実だが、それはこの世界でも変わらないのだろう。一航戦を継いだ赤城や加賀ともなれば内にある感情は俺の想像以上であることは明白。

 

 仕事の雰囲気を全面に押し出し、今こそ強引に押し切るしか――

 

「提督。のちほど工廠にて開発に成功した連装砲を確認しに行くのですが、ご一緒に確認されますか?」

 

 ――大淀の声が割って入る。加賀が口を噤んだのを見逃さず、俺は大淀に返答した。

 チャンスは今しかない……この好機を逃すな……ッ!

 

「ほう、連装砲の開発が……いや、大淀と明石なら間違いないだろう。後で報告書を確認しておく。私はすることがあるのでな」

 

「すること、ですか?」

 

 よし、話題の転換は成功だ。

 本当に大淀、お前ってやつは俺の頭の中でも覗いているのか? 素晴らしいタイミングでの助け船だ……艦娘だけに。

 ここでばっちりと考えてきた言い訳――じゃなかった、仕事を伝えて速やかに離脱。これしかない。

 未だ俺の頬に突き刺さるような加賀や赤城の視線が怖くて震えそうになるが、何とか口を開く。

 

「ああ。少し散策――……く、呉の様子を見てこようと思っている」

 

 ごめんやっぱ一航戦が怖すぎる。口が震えて正直に言いそうになった。というか殆ど正直に言ってしまった。

 助けて大淀ォッ! 少しだけ休憩させてくれたら仕事頑張るからぁ! お願いだよ……。

 

「何か、手伝えることはありますか」

 

 縋るように大淀を見た。ここで怒られたら、素直に仕事に戻ろうと声を紡ぐ。

 

「大淀は鎮守府を頼む」

 

「……っは」

 

 ……あれ? えっ、いいの? あれ……聞き間違えじゃないよな……?

 今、俺は大淀に仕事を丸投げしたつもりなのだが、それを了承した……?

 

 確認を込めて「決裁が必要なものは私のデスクに置いておいてくれ。いいな?」と言えば、力強く「了解しました」と確りと返してくれた。

 

 や、やった……やったぞ……ついに休憩のお許しが出た! しかも秘書艦である、大淀から!

 

 今度から大淀の言うことは全部聞いてあげよう。海にダイブしろと言われたら喜んで飛び込んであげよう。やっぱ社畜の扱い分かってんなぁ大淀もぉ! フゥー!

 

「赤城と加賀は非番だろう? ゆっくりと休むように」

 

 俺は喜びに小躍りしそうな気持ちを抑え込みつつ残りのカレーを食べ、立ち上がる。

 きっと大淀が許してくれた時間はそう長くない。その時間内にどれだけ羽を伸ばせるかが勝負だ。

 呉に行くことを許してくれたのだから言う通り呉で羽を伸ばそう。そうしよう。

 

 既に俺の脳内は何をして過ごそうかを考え始めており、赤城や加賀を筆頭とする空母勢から怒られるかもしれない、などという危惧は失せているのだった。

 

 カウンターへ行って食器を返す時、間宮に代わり伊良湖が食器を受け取りに小走りにやってきて「……お気をつけて。待っていますから……私」と俺を見つめてきたが、早めに帰って仕事しろよという事だろうと「無論だ。私の帰る場所は、お前たちのいる場所だからな」なんて上機嫌に返して食堂を出た。

 

 

* * *

 

 

 ――そして現在、柱島鎮守府正門に立つ俺。

 振り返れば、そこには重苦しい雰囲気を漂わせる鎮守府がある。

 

 数時間だけだが……あばよ、鎮守府……あばよ、激務……俺はこれから薔薇色の散策へ出かけ――

 

「提督」

 

「あっはい」

 

 ――いつの間に俺の正面に回り込んだのか、声に顔を向ければ、そこには鳳翔の姿があった。

 い、いかん、せっかく鬼門であった食堂を切り抜けたというのに、真のボスが現れてしまうとは……! いや、真のボスは失礼か……泣かせたの俺だしな……。

 

「どちらへ向かうのですか」

 

「呉に視察だ。先日の件もあるので街の様子が気になったのだ」

 

「……本当に、それだけでしょうか」

 

 ……空母の母、と呼ばれるだけはある。

 彼女は俺が全力でサボろうとしているのを嗅ぎ付けてやってきたのだ。

 

 鳳翔は艦これでも真面目で、メリハリのしっかりとした艦娘だった。現実でそうであってもおかしなことは無い。

 だが考えて欲しい。提督の補佐をするための秘書だからといって使い潰すのは違うじゃないか。せめて生かさず殺さず、苦痛は最小限に仕事をさせるのが上司の役目ってもんだろぉ!?

 まあ上司は俺なんだけども。

 

「それだけだ。視察には私一人で十分だから、鳳翔は鎮守府に待機しておくように」

 

「護衛もつけずに視察など有り得ません。せめて――」

 

「護衛が必要な仕事では無い。いいか? 私は、ただの視察に行くだけだ」

 

 言ってくると思ったぜ! 社畜を何年やってきたと思ってやがる!

 

「では、せめて呉までお送りします」

 

「それも必要な――」

 

 必要ないと答えそうになり、口を開いたまま止まる俺。

 そうだ。船じゃないと呉に行けないじゃん。しかも運転出来ないじゃん。

 

 思わず額をおさえて唸り、呉の港までなら、と渋々了承せざるを得なかった。

 

「――港までだ。後は鎮守府に戻って待機、いいな」

 

「……はい」

 

 鳳翔がじっと俺を見つめてくるものだから、視線を逸らして歩きはじめる。

 もう少しの我慢だ、呉につくまでの……。

 

 

 前に呉に行った時と同じように船に乗り込み、鳳翔に自然な流れで「運転を頼む」と言って、離れ行く鎮守府を眺める。

 ああ……これなら大淀の方が良かったかもしれない………気まずいなんてもんじゃねぇぞ……。

 船内に響くのはごうんごうんという船のエンジン音と、波を切る音ばかりで、いたたまれず気分は落ち込む一方だった。

 

 鳳翔が船室にいるお陰である意味一人の時間は確保できているが――なんて考えている矢先に、鳳翔が船室から顔を出して「自動操舵装置がありました」と報告をしてくる。お前は大淀か。違うね、鳳翔だね。

 艦娘というのは見ただけで船を操れるのか? と素朴な疑問が浮かんで口にする。

 

「お前たちは、やはり船に詳しいのだな」

 

「え? いえ、そのような事は……基本的な事は、理解していますが……」

 

「ほう。それでも十分に凄いではないか」

 

「勉強しましたからね」

 

「勉強? 自分で?」

 

「はい、そうですけど……?」

 

 不思議そうな顔でこちらを見てくる鳳翔に、はっとして咳払いをし、当たり前だよな! そら勉強くらいするよなぁ! と曖昧な笑みを浮かべる。

 すると鳳翔は俺の意味不明な笑みを見て不機嫌になったように、むっとしてみせた。

 

「何がおかしいんですか」

 

 今日の俺は油断し過ぎじゃないか……? 地雷を踏み抜きすぎである。

 慌てて片手を振り、もう片方の手で軍帽で目元を隠すようにしながら謝罪する。すみません調子に乗って。

 

「すまない。鳳翔は、やはり勤勉なのだと感心したまでだ」

 

「勤勉、なのでしょうか……。提督は、そうではないと?」

 

「鳳翔ほど勤勉では無いな。っと……上官の私が言ってはならんか。忘れてくれ」

 

 軍帽の下からちらりと鳳翔を見やれば、海を眺めており、その横顔のなんとも様になること。

 俺はふとサボるための言い訳だの、激務への愚痴だの、全てを忘れてしまって口を開いた。

 

「海は好きか、鳳翔」

 

「はい……それと、空も」

 

「空も、か。空母らしい――」

 

「別に空母だから、という意味で好きなのではなく……よく、眺めていたものですから」

 

 尻すぼみになった声が気になり、続きを促すように「ふむ」と相槌を打つ。

 しかし鳳翔から続く言葉は無かった。ただ、海と空を交互に見つめる横顔だけがそこにあり、俺はその無言の時間が気まずいような、このままでも良いような不思議な感覚を抱き、波の音に耳を傾けた。

 

 そこから数分、また鳳翔が口を開く。

 

「詳しくは聞かないのですね」

 

 えっ。何を聞けばいいの。

 きょとんとして鳳翔に顔を向けたが、やはり遠い向こう側を眺めたまま。

 

 俺も倣うように水平線を見つめて言った。

 

「こういう時、なんと言えばいいか分からん。だから、黙っていた」

 

 マジでごめん鳳翔。俺は馬鹿だから説明されなきゃ理解出来ないんだ。

 説明されても分からないかもしれない。

 

「お優しいですね、提督」

 

「……そうでもない」

 

 い、嫌味か……? お前は会話すらまともに出来ないのかって意味か……?

 じゃあ話してやらぁ! 好きなだけなぁ!

 まともな会話をするなんて殆ど無い社畜が喋ったら、どれだけ悲しいことになるかその身を以て味わえよぉ……!

 

 これを開き直りと言います。

 

「会話という会話をしたのは久しぶりなのだ。私は口下手だから自分勝手に喋る事しかできん。大淀もそうだが……龍驤や他の艦娘と話した時も、何を話せばいいかなんて考えで頭がいっぱいで、結局、仕事の話ばかりになってしまう。気の利いた言葉の一つくらい言ってやれたら良いが、私には土台無理な話だ」

 

「意外です……提督が、そんな」

 

「なにが意外なものか。見て分かるだろう。私には仕事しかない」

 

「だからあの時も、仕事だから、と言ったのですか?」

 

「……」

 

 そして地雷を踏み抜いていく。ここまで来たら清々しい。

 女心なんて分かんないよ……もうやめて……社畜いじめはよくないよ……。

 

「仕事しかしてこなかった私は、それでしか応えられないと思ったのだ……」

 

 だから許してください、と鳳翔を見れば、ふと目が合う。

 鳳翔はぐっと息を詰まらせたような声を上げた――かと思えば、目を逸らされる。

 

 そ、そんな、もっと俺に優しくしろヨォッ!? なぁぁっ!

 

「提督には、仕事しかない……だから、仕事だと言った、と……」

 

「……そうなる」

 

「そうですか」

 

 また無言の間。俺の心はボロボロだった。

 そこから呉に到着するまでの時間、会話は無かった。ただ海を眺め、呉に近づいてきたからと停泊するために立ち上がった鳳翔の背を見送り、呟く。

 

「サボるとか考えるんじゃなかったな……」

 

 どう考えても罰が当たりました。本当にありがとうございました。

 

 ともあれ、呉に到着したのだから少しでも気晴らしをしようかと停泊した船から降りた俺。

 船の上に残った鳳翔に振り返り、軍帽を脱いで片手を上げる。

 

「手間をかけたな。帰ってゆっくり休んでくれ。夜までには戻る」

 

「はい。お気をつけて……あっ」

 

 やっぱりついていきます! なんて言い出したらどうしようかと思ったが、杞憂だった。

 

「行ってくる」

 

 耐えた……耐えきったぞ! ここからは気晴らしだァッ! と、鳳翔を背に歩き始めた俺の眼前に――

 

 

 

「提督、早過ぎだって……ギリギリ追いつけたからいいけどさぁ」

 

「今に始まったことでは無いでありましょう? では少佐殿、参りましょうか。手始めに街を回られますかな?」

 

「えっ」

 

 あきつ丸と川内がいた。

 いや……なんで?

 

 俺の背後で港を発った船に視線をやりながら、あきつ丸がニヤリと笑みを浮かべて言った。

 

「少佐殿を押し切って呉まで見送りとは、鳳翔殿も中々豪胆でありますな」

 

「そ、そう、そうだな……?」

 

 俺の脳内は大混乱である。ここまで先手を打たれているなど誰が予想できようか。

 大淀が大人しく送り出してくれた理由が、今、理解出来た。

 

 こいつらをお目付け役に動かしていたからかぁぁっ……!

 

「あきつ丸、このことは大淀に――」

 

 チクるのはやめてお願いします――と言う前に、あきつ丸は無情に言う。

 

「ご心配なく。既に大淀殿には通達済みでありますよ。少佐殿も過保護でありますなぁ」

 

 

 もう、俺の未来は無い……。


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