柱島泊地備忘録   作:まちた

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三十八話 隔靴【提督side】

「や、だっ……放して……!」

 

「潮! 落ち着いて!」

 

「嫌! もう、嫌ぁ……っ! 返してっ……私達の仲間を返してよぉっ……」

 

 俺の目の前で泣きじゃくる少女。

 綾波型駆逐艦十番艦『潮』は、同じく綾波型の姉妹と呼べる八番艦の『曙』に押さえ込まれながらも首をいやいやと横に振り続ける。

 

「話を聞きなさいな潮! この人は――」

 

「返してッ! 漣ちゃんは、朧ちゃんはどこに行ったの!? 海軍の人なら、提督の貴方なら知ってるんでしょう! 返してよ……私達の、仲間なの!」

 

 呉鎮守府、もう一軒の艦娘寮となっているらしい平屋の軒先で、俺は頬を押さえ立ち尽くしていた。

 ただ可愛い艦娘を見て、適当に話でもして時間を潰し、仕事の事を忘れようとしていただけの俺の眼前にある現実は、あまりにも残酷であった。

 口の中に広がる生ぬるく鉄臭い味が、現実だと思い出させるようだった。

 

「どういう事だ、那珂」

 

 俺の問いに、呉鎮守府所属である那珂は困ったような、同時に悲しそうな顔をしながら潮と曙が取っ組み合う様を見つめて言う。

 

「どうにも、出来ない事だったんだよ……私達は、艦娘だから……」

 

 的を射ているようで答えになっていない言葉に、俺は続けてこう問うた。

 

「これの原因は何だ。山元か? それとも、新しく来た清水という男か?」

 

 那珂は潮達から俺へ視線をやると、俺の両目を交互に見つめるように小刻みに瞳を動かして迷うような素振りを見せた。

 言ってもいいのか。否、言うべきじゃない。そんな逡巡をしているのであろうことは馬鹿な俺にさえ伝わってきた。それほどに、那珂の胸中の不安は表出している。

 

「呉鎮守府の、事だからさ……海原さんも分かるでしょ? ほ、ほら、機密事項、みたいな」

 

「私の問いに答える気は無いのだな」

 

「っ……それよりも、うちの潮ちゃんがごめんなさい。医務室まで、案内するから――」

 

 別に苛立っていたわけでは無い。誰しも答えたくないものの一つや二つを抱えている。俺だってそうだ。だから、ただ単純に答えたくないのならばそれでもいいという意味で手を振って言葉を切った。

 

 どうしてこうなったのか――それは、俺が足取り軽く艦娘寮に来たのが原因で――。

 

 

* * *

 

 

「確かこっちに那珂がいた寮があった気がするんだが……」

 

『まもる、こっちー!』

 

「うぉ!? お前らはいつもいつも突然現れるな! そっちかぁ? って、そっちは前に行った寮とは逆方向じゃ――」

 

『いいから! はやくはやくー!』

 

「っく……羅針盤を持って俺を誘導するとは……プレイヤー心を擽りやがって……!」

 

 あきつ丸達と別れて数分のこと。

 前に来た時に山元大佐に案内されて行った軽巡寮へ足を運んでいた俺は、どこからかふわふわと飛んできた妖精に声を掛けられ、サボるという目的が達されるならばいいかと考えもなくついていく。

 羅針盤を持っている妖精についていく、という行為が海を進む艦娘と同じ感じがして少年心というかわくわくするような冒険心を擽られてしまって、俺は言われるがままだった。

 

 仕事を放り出して遊ぶ解放感ときたらもう、言い表せないほどの快感である。

 あきつ丸達に許可をもらったから憂いも無い。ルンルン気分だ。

 

『まもる、なんで笑ってるの?』

 

 先導する妖精が浮遊したまま振り返り聞く。

 何で笑ってるって、そら楽しいからだよ。仕事しなくていいんだぞ!? この瞬間だけな!

 

「妖精に導かれるというのは初めてでな。心が、こう、なんというか……分かるだろう?」

 

 松岡隊長に分かるだろう? と聞かれた時はブチギレそうになったが、いざ自分が同じことを口にすると何故そう言ったのかが分かる気がした。論理的に説明なんて出来ないが、感覚は一緒だろう。

 そうだね、違うね。すみませんでした。

 

『楽しいの?』

 

「楽しい、か……いや、少し違うな」

 

 楽しいのは間違いないが、ただ楽しいだけでは無い。

 期待感が胸を膨らませ、これから新たな艦娘に会えるかもしれないという興奮がさらに俺の足取りを軽くする。まるで風が背中を押しているようだった。

 妖精が導いてくれていることも相まって、自分が必要とされているような気がするのも要因の一つだったのかもしれない。

 

 一応、あきつ丸の許可が得られてサボってはいるが、名目上は【視察】であることを忘れたわけじゃない。突然現れた妖精も、もしかすると妖精ネットワークみたいなもので柱島にいる大淀から視察のことを受け仕事を遂行させようとしている可能性もあるので、言葉は取り繕う。

 

「嬉しいのだ。こういう場で言うべきではないが……仕事としてでも、艦娘やお前たち妖精に必要とされていると感じられると、嬉しくもなる」

 

『まもる……』

 

 歩きながら自然とポケットに手を突っ込んだ時、指先にころんとした感触を感じて、それを取り出す。

 柱島で妖精にあげていた金平糖だった。

 俺はそれを目の前の妖精へ一つ手渡しながら、歩を進める。

 

「根を詰めすぎるな。仕事はするし、私が出来る事はなんだってする。ほら」

 

 まあ食えよ、と金平糖を手渡すと、妖精はそれを受け取ってぴたりと空中で静止した。

 思わず俺も立ち止まり、きょとんとして妖精を見る。

 

「どうした?」

 

『ぁ……あ、あのねっ! まもる、あのねっ!』

 

 何かを伝えようとしている妖精の姿が、一番初めに出会った妖精であるむつ丸と重なって見えて、ほっこりと微笑んでしまう。

 

「焦らなくてもいい、ゆっくり話せ」

 

 手のひらを上に向けて出せば、妖精はそこにちょこんと着地して金平糖を抱えたままにうーんうーん、と一生懸命に言葉を組み立てた。

 

『助けて欲しいの! うしおちゃん! あ、あとあと、あけぼのちゃんも……みんな! いっぱい!』

 

「助けて欲しいって……それだけじゃ良く分からんが、困っているのか?」

 

『うん! うん! 困ってるの! えーと、えーっと……! 行っちゃったの! あやなみがたの子が! 遠くに……うーん……!』

 

「遠くに行ったって……遠征か? まぁ、遠征なら任務か何かだろうが……」

 

 綾波型と言えば、艦これで最初に選べる艦娘、通称《最初の五人》と呼ばれる中にも含まれている。吹雪型の一番艦と五番艦、吹雪と叢雲。暁型四番艦の電。白露型六番艦の五月雨。そして――綾波型九番艦、漣。

 

 ちなみに俺が最初に選んだのは……まあそれはいいか。

 

 妖精を落ち着かせるようにどうどうと口に出し、ゆっくり話せと促す。

 

『提督じゃない人だった! 提督じゃないの! あの人は違う!』

 

「提督じゃない人? 清水の事か?」

 

『その人も提督じゃないけど……違う人! あの、大きな人じゃない!』

 

「大きな人……」

 

 執務室で一言挨拶を交わした程度でしかない《清水》という男。階級は中佐だったろうか。俺の上司にあたる人物となるが、大きな人じゃない言われて頭を捻ってしまう。

 俺に比べて筋骨隆々。ザ・軍人! という風貌の男だった。前任である山元大佐に至っては清水よりも大きかった気がするし、もっと言えば威圧感が違う。俺が部屋に入って怖気づかなかったのは山元よりも見た目が細いように思えたからだ。それでも俺の事を持ち上げてサバ折り出来そうなレベルのデカさではあるが。

 それに銃を向けてきたりもしなかった。あいつは良い奴だ。多分な。

 

 ならば妖精は一体誰の事を指しているのだろうかと考えてみるも、山元、清水、あとは松岡くらいしか思い浮かばず。

 

「名前は? 清水中佐でもなくて、山元大佐でもないと来たら、あとは松岡くらいしか――」

 

『うーっ……! どっちも違う!』

 

「おっ、おぉう……ごめん……」

 

 上手く伝えられないのが歯痒いようで、妖精は手のひらの上で地団駄を踏む。

 くすぐったいだけだからやめてくれ。マジで場違いに笑いそうになるから。

 

「分かった。分かったから落ち着け、くす――」

 

『あっ! そう! くすのきぃ! まもる、すごい! すごい!』

 

「えっ、あっ、くすのき? 誰だそいつ……そいつがどうしたって?」

 

 案外、しょうもないことで一歩進めてしまうというのは世の常である。偶然とも、奇跡とも呼べる。

 俺の一言が引き金となり、妖精は俺の手のひらに羅針盤をぽんと投げ出すと、ふわりと浮かんで人差し指を引っ張る。

 

『くすのきが! しみずにめーれーしてた! うえにあがりたいなら言うこときけって!』

 

「あー……くすのきって奴が上にあがりたいなら言う事を聞けって? 命令して……それで、綾波型の子が困ってると?」

 

『そう!』

 

「なるほど分からん」

 

『なぁんでぇ!? もぉーっ!』

 

 俺の指を引っ張りながら頬を膨らませて怒る妖精。可愛い。

 ――じゃなかった。妖精の話を聞くに、艦娘にとってあまりよろしくない事が起こっているらしい。

 

 一つ分かるとすれば、相当に切羽詰まっているという事。

 

 仕事が増えすぎたり、予期せぬトラブルが起きたりした時に人は焦って言葉足らずになることがままある。社畜時代にはこれが毎日のように起こっていた。要領を得ない話で簡単な仕事が非常に複雑となって伝わるのだ。

 たった数枚の資料を二部コピーして欲しい、会議に必要だったのに足りなくなってしまった! なんて簡単な仕事さえ、自分が出来ないからと人に頼む際、慌てふためき全く違う仕事となってしまう。

 

『重役会議に必要だった資料を用意していたはずなんだけど、足りなかった! 会議まではあと一時間しかないんだが、先に会議室のセッティングをしておかなければならないから、代わりに資料をコピーしておいてくれ。資料はデスクの上に予備がある』

 

『私も別の仕事で手一杯だから、人に頼もう。あぁ、時間が無いんだった! 君、君、重役会議に必要な資料が足りないらしいから、コピーしておいてくれ! データは机にあるらしい! あと一時間しかないから早く持って行って!』

 

『わかりました! でもこちらも仕事が……あっ、いい所に! 君、重役会議に使う資料が無いらしいんだけど、机にあるから持って行ってあげて! もう残り三十分しかない!』

 

『重役会議に使うデータか何かが机にあるらしいんだけど、もう時間無いから持って行って』

 

 たった数人挟まってしまうだけで『資料をコピーする』という仕事が『データか何かを持っていく』という仕事に変わってしまう。冗談のように見えて、日常的に起こる現象だ。

 どれだけ単純な情報であれ、伝える人を増やすごとに変形してしまう。故に人は言葉以外の方法をいくつも生み出した。音声だったり、映像だったり、はたまたメモであったり。噛み砕けばこれこそ難しく思えるかもしれないが、組織において逃れられないものである。

 

 社畜に求められる能力、それは――情報の補完だ。

 何が足りないのかを求め、明らかにし、自身がすべき職務を明確な形にして遂行する能力だ。

 

 基本的に上司からの情報っていうのはあてにならないのだ。悲しいことに。

 朝のニュースでやってる占いくらいあてにならない。

 俺の情報補完能力もあてにならなかったりする。泣ける。

 

「妖精よ、お前は私をどこに連れて行きたいんだ? そこに行けば何か分かるか?」

 

『うしおちゃんのとこ! 全部分かるから! はぁやぁくぅ!』

 

「痛い痛い、指抜けちゃうそれ、待って、ぽきって、変な音してるから、待って待って、行くから!」

 

『うーっ』

 

 そうして引っ張られること数分。辿り着いたのは俺が前に山元大佐に案内されてきた軽巡寮では無かった。軽巡寮、という看板も無い。

 しかし軽巡寮と同じような民家らしい――平屋だが――見た目をしており、中からは女性らしき声も聞こえる。

 妖精がやっと俺の指を離して、玄関先に飛び表札を示した。そこには、駆逐、とあるだけ。

 

「駆逐艦寮か……潮と曙……あぁ、ここにいるという事だな?」

 

『そう!』

 

「そうかそうか。確かウチにも潮と曙はいたが、まだ話してないなぁ……」

 

 ピーンポーン、という音が俺の思考を止める。

 

「えっ」

 

 はーい、と返事が聞こえ、ぱたぱたと軽い足音が近づいてくる。

 驚いて妖精を見ると、いつの間にかインターホンを押した様子で、対応しろ、みたいなジェスチャーをしてくる始末。

 いや、おま、待て! 心の準備させろ! 急だな!?

 

「はい。お待たせしま……――」

 

「むっ……」

 

 急いで威厳スイッチオンにして足を揃え、軍帽をセット。急いで被ったのでつばに指がかかったままになってしまったが良し。間に合った。

 がらがら、と引き戸になっている玄関が開かれて、出てきたのは今しがた妖精が話していた潮だった。

 成人男性の平均より少し高いくらいの俺より小さな身体に似つかわしくないそれはそれは重そうな――いかん、煩悩はいかん。

 

「あなたは――」

 

「柱島泊地の海原少佐だ。前にもここに来たのだが、今回は、あー……」

 

 言い訳を考えろ俺……不自然じゃない言い訳を……!

 

「山元大佐に代わり、呉鎮守府が正常に運営されているかを視察に来た次第だ。何か変わりは無いか?」

 

「提督の……? 今度は……誰を……」

 

「今度は誰を? 何の話だ?」

 

 潮は俺を見上げていたが、顔を伏せて両手を握りしめ、肩を震わせはじめる。

 その背後からどたどたともう一つ足音が聞こえてきて、そちらへ視線をやろうとした時のことだった。

 

 ぱん、と乾いた音。そして頬に走る痛み。一瞬だけ視界が白くなり、ぐいんと横へ向く顔。

 

「っ痛……え……?」

 

「潮! 待ちなさ――あぁっ!?」

 

 艦娘は凄いと思った。

 何故かって? ほんの中学生くらいの見た目の少女から繰り出された平手とは思えないダメージだったからだよ。首は痛いし頬も痛いし、口の中に広がる血の味に脳内は大混乱だ。

 仕事をサボって呉鎮守府に遊びに来たら駆逐艦に平手打ちされるとか、誰が予想できようか。

 

 完全に天罰です。大淀さんすみませんでした。

 

 痛みに顔を顰めつつも、落ちかけた軍帽を被りなおしながら前を向く。

 ばたばたとした足音の正体は、曙だった。

 

 曙は顔を真っ青にして潮の肩を引っ掴んで後ろへ押しのけながら前に出てきて、俺に手を伸ばす。

 

「だっ、大丈夫ですか!? 潮、あんたなんて事……!」

 

「構わん、大丈夫だ。妖精から救援要請を受けたのだが、何か問題があったのか?」

 

「よ、妖精から……!? どういう事ですか」

 

 俺の知っている艦これに出てくる潮と曙と性格入れ替わってない? というくらいに曙は慌てているし、潮はふうふうと歯の隙間から息を吐き出しながら俺を睨みつけている。

 ただサボりに来ただけなのに……なんでこんな事になるんだ……。

 

 視線でインターホンの横で固まっている妖精を示せば、曙はちらりとそちらを見やり、また俺を見た。

 

「妖精が、見えるんですか……?」

 

 口を半開きにしながら言う曙に、当然だろうと頷く。

 

「提督なのだから見えるだろう。それで、問題はなんだ? 潮は大丈夫か?」

 

 俺を睨み続ける潮さんをどうにかしてくれぼのぼの。誰かが押さえなきゃもう一発くらい平手打ちされそうな勢いが――

 

「返して! 私の仲間を!」

 

「っ」

 

 ――また殴られた。めっちゃ痛い。

 しかし俺の心は折れない。これが山元やら松岡だったら泣いて謝っていたかもしれないが、相手は艦娘である。セーフです。ありがとうございます。でももう殴らないでください。

 

 痛みに呻きそうになるのを咳払いで誤魔化す俺。女の子に殴られた程度じゃへこたれないぜと見せつけるように胸を張り、また軍帽の位置を直す。

 

「や、やめなさい潮!」

 

 曙が大声を上げて潮を羽交い絞めにし、潮は瞳を潤ませたまま必死に抵抗しながら俺につかみかかろうとする。

 俺はもう一発殴られるのが怖くてその場で固まっていた。条件反射かもしれない。

 

「ちょっと! 何してるの!」

 

 今度は誰だ!? と辺りを見回すと、離れた所から那珂が走ってくるのが見えた。

 数日ぶりの那珂との再会だというのに、俺はどうして艦娘の前で恰好悪いところばかりしか見せられないのか。別に那珂に恰好良いところを見せても仕方がないのだが。

 

「海原さん!?」

 

 俺の名前を憶えていてくれたらしい。那珂ちゃんマジ那珂ちゃん。ファンになります。

 

 

* * *

 

 

 そういえば柱島泊地にも医務室ってあるんだろうか。あるか、そりゃ。

 俺は那珂に案内された医務室で赤くなった頬を氷嚢で冷やしながらそんな事を考えていた。

 

「ごめんなさい、海原さん……潮ちゃん、ずっとあんな感じで……清水中佐には会わないように止めてたんだけど……」

 

 俺の訪問は予想外だった、と。それもそうだ。突然やってきたんだから。

 

「ふむ。確かに海軍の者だと分かった瞬間に血相を変えていたな。理由は話せないか?」

 

「……うん」

 

「私に手伝えることはあるか?」

 

「……無いよ」

 

 どういう状況であるか聞こうとしてもこれである。

 那珂は申し訳なさそうに俺の前に座って顔を伏せるだけで、何も話してはくれない。

 

 だが重大な何かが起こっているであろう事は分かる。

 温厚で柔和な潮があれだけ激昂し、このクソ提督! と罵ってくるのがデフォルトの曙が提督である俺に敬語を使うレベルだ。艦これプレイヤーなら誰しもが大事件だと勘づくだろう。

 

「――……り、なの……」

 

「うん?」

 

 那珂の小さな声。

 俺が顔を上げてどうしたと問えば、那珂はまた小さな声で俯いて言う。

 

「無理、なの……皆、信じられない……」

 

「信じられないとは、また随分だな。私じゃなければ山元に伝えるか?」

 

「え……? でき、るの……?」

 

 出来るか否かで言えば出来る。なんたって俺には元帥直通電話を持つあきつ丸がいるのだ。

 私用で使おうものならばあきつ丸にも井之上さんにも怒られてしまいそうだが、呉鎮守府の艦娘の用事だから大丈夫だろう。恐らく。

 俺はこの呉鎮守府の提督じゃないから、那珂はきっと自分の提督じゃなければ信じられないのだ。山元め……呉も宇品もめちゃくそにしておきながらもここまで那珂に信頼されているとは、許せん……。

 

「でっでもっ! 提督は出向じゃ無いんでしょ!? 清水中佐が、軍規違反で、って……!」

 

 那珂の言葉に目を見開き、何故それをと言いかけるも――がらりと開かれた医務室の扉の音に那珂が反応したことでギリギリ呑み込む。

 座っていた椅子をきいと回転させて扉の方を見れば、そこにはあきつ丸と川内、松岡がいた。

 

 あぁ……もう公認のサボり時間が終わったのか……。潮に殴られて終わったんだが……。

 

「少佐殿、どうなされたのでありますか!?」

 

「提督っ!?」

 

「閣下!?」

 

 あきつ丸と川内が駆け寄ってくる。そんで松岡お前どうした。閣下て。

 頭でも打ったから医務室来たのか?

 

「何でもない。足を滑らせて顔を打ってしまってな」

 

 潮に殴られたとか言えない。恥ずかしいし情けない。

 俺の言い訳に驚いたような顔をする那珂。やめろ見るな。言い訳させろ。

 

「少佐殿が足を滑らせるなど……」「足を、滑らせたのだ。いいな?」「……そう、仰るのであらば……」

 

 釈然としないあきつ丸だったが、那珂と俺を見て察したように口を噤む。

 ごめんねほんとサボろうとして。罰が当たったよ。真面目に仕事するね。

 

「それで……松岡。いいか」

 

「っは」

 

「……どうしたお前。大丈夫か」

 

 思わず素で聞いてしまう。

 

「問題ありません、閣下」

 

 問題しかないように思えるんだが。

 松岡は椅子に座るでもなく、直立不動のまま俺を見る。

 

 ま、まぁ、いいか……それよりもだ!

 

「那珂が清水中佐より山元が軍規違反を起こしたと聞いているようなのだが……」

 

 確かに山元は悪い事をしたが、最後は井之上さんにも謝ってたし、街の人に返せるものは返した。幸いなことに陸奥達も無事だった。

 だから許せとまでは言わないまでも、那珂にだって謝っていたから俺はあえて大っぴらに悪いことをしたから山元は連れて行かれたんだ! などとは言わなかった。

 中途半端な偽善。自己満足だと言われたらそれまでだが、山元大佐を自身の提督と慕っている艦娘に対して他人から真実を伝えられるなど悲しい事があろうものか。

 

 これは独善だ。だが、上司である井之上さんからきちんと許しを得て、この鎮守府に戻ってきた時に本人の口から改めて伝えられるべきだと俺は思っている。

 

 誰しも失敗くらいする。失態もさらす。

 だからどうしたというのか。俺だって仕事のミスくらいする。

 必要なのは、失敗しないための深い深い《後悔》だ。切り替える前にどん底まで落ち込む時間だ。

 どうして失敗したのか。どうして失敗に至る行動を起こしてしまったのか。切り替えが早ければ早いほどに振り返る時間は少なくなり、同じ轍を踏む羽目になる。しかしながら切り替えが遅すぎてもいけない。ここが難しい。社畜レベルが試されるところである。

 

「っは。山元大佐は軍規――」

 

「おかしいな。山元大佐は、えー……本部に研修へ出向しているはずなのだが」

 

 空気読め松岡ァッ! と目で訴える。

 すると、

 

「! っは。仰るとおりであります、閣下。現在、山元大佐は元帥閣下の下で『研修』を受けているかと」

 

 と敬礼しながら『研修』と強調して答えた。

 松岡お前、本当に頭打ってないよな……? と若干心配しつつも、那珂に向き直る俺。

 

「恐らく、清水中佐に伝達ミスがあったのかもしれんな? さて、それで……那珂。私に言えない事であれば、ここにいるあきつ丸に伝えるといい。私や松岡が邪魔であれば、席をはずそう」

 

「邪魔なんかじゃ! で、も……いや、でもぉ……っ」

 

 あきつ丸と川内を見て顔を伏せ、顔を上げて今度は俺と松岡を見て、顔を伏せ、那珂はあうあうと狼狽していたが、十数秒ほどして、意を決したように言った。

 

「あきつ丸、さん達、だけで……お願いします……」

 

「……承知した。松岡、出るぞ」

 

「っは」

 

 頬を冷やしていた氷嚢を那珂に渡して立ち上がると、俺はさっさと医務室を出た。

 艦娘同士の問題は、艦娘同士が話しやすいのは当然。那珂は俺や松岡には伝えられないと言うのだから、あえて問いただす必要も無い。

 医務室を出てすぐ、松岡が俺に言う。

 

「よろしいのですか」

 

「構わんとも。女性同士のデリケートな問題かもしれん。それと……なんだ、その喋り方は」

 

「これは……いえ、お気になさらず。自分の立場を弁えただけであります」

 

 であります口調はあきつ丸の特権だって言ってんだろうが!? おぉんっ!?

 水滴の残る頬を拭い、問題が解決すればいいが、と考えつつ溜息を吐いた時、松岡がまた問う。

 

「本当に、よろしいのですか」

 

「しつこいぞ。艦娘同士でなければ話せないと那珂が言ったのだ。男が首を突っ込むものではない」

 

「いえ、そのことでは無く」

 

「え? あ、すまん。なんのことだ?」

 

「清水中佐は元帥閣下より鹿屋基地からの出向でこちらに来ております。私は陸軍大臣より方面隊としてこちらへの異動となりました。陸と海で睨み合わせる形は牽制にはなりますが……」

 

 いやほんとなんのことだ? 何で陸軍大臣の話がここで出てくるんだよ。

 山元大佐がいないから清水中佐に一時的に仕事を引き継いでるだけだろうが。それくらい分かってらい!

 

「問題があるのか?」

 

「もっ……問題と言いますか、これでは調査も……」

 

「調査? そんなものは聞いていないが」

 

「聞いていない……? それは――」

 

「お前の仕事の話か? 必要ならば手伝うが」

 

「海原閣下……悠長に構えている暇は無いのです。それは閣下が一番ご存じではありませんか」

 

「えっ……えぇ……」

 

 こんなところで油売ってる暇ねえだろって事かよ……松岡にも怒られた……。

 潮にひっぱたかれて折れかけていた心を、やっとこさ立て直すぞってところでお前……悪魔か……。

 

 しょんぼりとしながら下を向く俺。

 どうすんだこの空気……と思っていると、医務室から川内が出てきた。

 

「早いな川内。もう話はいいのか?」

 

 お前だけが俺の心のよりどころだぞ夜戦忍者……。

 

「うん、もう大丈夫。所属は違っても、一応、私の妹分だしさ」

 

「あ、あぁ、那珂か……そうだな。それで?」

 

「入って、提督。松岡さんも」

 

 改めて医務室に入ると、那珂が潤んだ瞳で俺を見ていた。

 あきつ丸に視線をやるも、井之上さんに電話をかけた様子は無い。

 

「海原、さん……あのっ」

 

「なんだ?」

 

 那珂は立ち上がり、頭を下げる。

 

「漣ちゃんと朧ちゃんを、助けてあげてくださいっ!」

 

「……ふむ」

 

 助けるって……妖精が言っていた事か……?

 いやしかし、潮と曙と……あぁ、嫌な予感がする……。

 

「潮と曙、その他は構わんのか?」

 

「海原さん……それ……」

 

 仕事が増える気がするので、違うよな? と期待を込めて那珂を見つめ、続ける。

 

「清水が命令されていたらしいな。()()()()とやらに。それと関係があるのか?」

 

「なっ、なんでそれを――! 海原さん、どうして――!」

 

「あぁ……なるほどな……」

 

 妖精が言っていたのは、やはり仕事の事だったらしい。

 書類仕事が山のように増えたり、あれもこれもと命令されたりするのかな……と、どんどん表情が暗くなる俺。

 

「た、助けて……提督が帰ってくる前に、私達……皆、バラバラになっちゃう……!」

 

「うん?」

 

「清水中佐に、バラバラにされちゃう……助けて、海原さん!」

 

 切なる声に、心臓がぎゅっと痛んだ。

 あきつ丸と川内の会話が耳に入ると、その痛みはさらに強くなる。

 

「上手く取り入って反対派の力を維持しようという魂胆でしょうな。元帥殿が何の疑いも無く清水中佐を送り込んで憲兵隊の監視も許可したとあれば、今後も艦娘が南方へ送られ続け形だけの戦争が続きましょう」

 

「じゃあ、清水中佐は反対派で――」

 

 川内からこぼれ出た単語に、声を挟み込む。

 

「あきつ丸。川内。清水中佐が、なんと……?」

 

 俺の声に二人の肩が大袈裟なくらい跳ねた。松岡と那珂は何故か姿勢を正す。

 

「は、はっ! 清水中佐は、その……これは、憶測でありますので!」

 

「そ、そうそう! まだ確定したわけじゃないから! 私達でもっと調べて……」

 

「反対派と、言ったか?」

 

「うぐっ、ぅ……」

 

 あきつ丸の呻き声。

 

 艦娘反対派――ここに来るまでに井之上さんからも聞いた言葉。

 艦娘を兵器としてしか見ておらず、あまつさえ危害を加えるという派閥。

 

 俺の問いにあきつ丸も川内も口を噤んだまま、俺を見つめる。

 何で答えてくれないんだ、と今度は那珂に目を向ける。

 

「……那珂。正直に答えてくれ。何があった」

 

 那珂は沈黙した。

 そして――

 

「ふ、ぐっ……ぐすっ……」

 

 涙を流し――

 

「て、提督、は、もう、戻らない、って……どうせ、死ぬだろう、って……」

 

 たった数日の間に起きたことを語った。

 

「その代わりに、俺が、使って、やるって、ひぐっ……お前たちを、有効に、つ、つか、ぐすっ……使って、上に、行くんだって……」

 

 現実は、変えられたと思っても、簡単にはいかない。

 油断しているとすぐにこうなる。仕事を片付けたと思ったら、また増える。

 

 俺は仕事が嫌いだ。ずっと楽をして生きていたい。

 

 だが、今回は――

 

「もういい。よく言ってくれたな、那珂」

 

 ――無性に仕事がしたい気分である。

 

「松岡。ここ数日の運営状況を知りたいのだが、その権限はあるか」

 

「っは。陸軍大臣、並びに海軍元帥より許可を得ております! しかし、鎮守府の提督による閲覧許可が必要であります!」

 

「そうか。では、艦娘の運用について機密となりうる事項はどうだ? 例えば、視察に来た別の拠点の提督が閲覧を求めた場合、などだ」

 

「緊急時であれば可能でありますが――」

 

「結構。今が緊急時だ」

 

「か、閣下、緊急とは……――」

 

 俺は那珂を指し、松岡に言う。

 

「戦場に立つべき艦娘が泣いている。戦意維持に問題ありとして、運営状況を確認し正常であるか判断する。私と、お前とでだ。異論は」

 

「っは! 異論ありません!」

 

 俺は那珂を安心させるためにぽんと頭に手を置き、少し屈んで視線を合わせた。

 

「潮と曙にも伝えてくれるか? 私が何が起きているのか教えて欲しいと言っていた、と。これから私は執務室に行く」

 

「海原、さ、ん……っ……提督は、提督は……!」

 

「戻ってくるさ。お前たちと演習する約束もしてある。それに――資材も借りたままだ」

 

 ふふん、と笑ってみせると、那珂のガラス玉のような瞳からこぼれていた涙が一気に増えた。

 

「う、ぅぅっ……うあぁぁぁっ!」

 

 その姿にぎょっとした俺の横を風が通り過ぎる。川内だった。

 川内は那珂を正面から強く抱きしめた。

 

「ごめん……那珂。気づいてやれなくて、ごめん。でも、もう大丈夫だから。絶対に、大丈夫」

 

「せっ、ん、だいちゃ……うぅ……」

 

「提督が助けてくれるから。大丈夫」

 

 泣きじゃくる那珂を抱きしめたまま、川内が俺を見た。

 俺? 強く頷き返したとも。泣いている艦娘がいるならば、まもる、動きます。

 

 

 

 さて……まずは状況を知らなきゃな……。(振出しに戻る)


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