柱島泊地備忘録   作:まちた

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四十三話 自浄②【提督side】

 元帥からの連絡内容は、俺にとって、いや、呉鎮守府にとって一番の朗報だった。

 先日の一件で井之上さんが海軍に働きかけたのか、山元大佐が呉に戻ってくるというのだ。

 

 艦娘反対派――その中核であったらしい山元は国民をも巻き込んでいた事実があるため、処分するにも厄介であるとの事。処分を見送りにして再び呉鎮守府に据える事で派閥の動きを緩和しようと考えているようだが、俺に複雑怪奇な政治だのは分からない。

 軽率に信用し過ぎなのかもしれないが、俺には井之上さんが悪いことを企んで山元大佐を呉に戻してやろうと考えているなどとは思えず、ただ――

 

「山元が戻ってくるんですか!? あぁ……良かった……!」

 

『なっ、よ、良かっただと!?』

 

 ――と、仕事がこれ以上増えるのを阻止出来たと喜ぶにとどまるのだった。

 井之上さんには呆れられたっぽいが、仕事が増えれば俺の胃腸が冗談抜きでストレスにより爆発四散しかねない。勘弁して。

 

 山元大佐は軍規により……という展開にもならずに済んだだけでも御の字なのに、井之上さんはこれから山元を連れて呉へ戻ってくるとまで言った。仕事ができる人間はやはり何もかも完璧である。俺が苦しんでいるのをどっかで見てたんじゃないかと勘繰ってしまうくらいのタイミングだ。

 

 しかしながら、そんな井之上さんにも予想外の事があった。

 

 ――清水中佐だ。

 

 鹿屋基地から出向となり山元大佐の穴を埋める形で呉鎮守府の運営を任された男は、井之上さんの信用に足る人間だったらしい。艦娘を上手く運用して九州南部の防衛を担う素晴らしい男だと言わしめる人物とのことだが、そんな男も今や電話を片手にデスクに海図を広げる俺の前で力なくぐったりとしているだけ。

 

 一瞬、井之上さんに電話を代われと言われて清水中佐に渡した時は任務を妨害しただのと言われてしまったものの、松岡にガンマンかな? という素早さで取り出した拳銃を向けられ「貴様ァ!」と怒鳴られていた。もちろん止めた。やめてマジで。

 

 海図を見ながら状況を伝え、とにかく漣達を連れ戻したい一心で言い訳をこねくりまわし呉港の使用許可をもらった俺の頭は、生きてきた中で一番働いていたように思う。

 因みに二番目は職場がブラック過ぎて部署の半分が辞めた時である。あの時の仕事量と言ったらもう……それはいいか。

 

 そうして、井之上さんとの会話を終えた俺は現在、さらに詳しい状況を把握するために妖精の協力のもと、ペンの尻を何度も額にコツコツと当てながらどのようにして二隻を迎えに行くか考えた。

 

「二人の速さなら、ここ……既に半日……追いつくのに、どう見積もっても……半分は掛かるとして……いや、しかし……」

 

 ぶつぶつと独り言が漏れる。

 

 妖精たちが印をつけてくれた日本より遙か南にある島周辺は、明らかに艦これで言う所の南方海域――五の一から五の四と呼ばれる全てのマップを重ねたかのような複雑さだった。印を線で繋いでみればより複雑になり……なんだこれ変な事するんじゃなかった。

 

『もう! まもる! せっかく描いたのにぃ! 色を! ちゃんと! 変えて!』

 

「……うむ」

 

 怒られた……。

 幸いにも水性ペンだったらしく、妖精が取り出した米粒みたいなハンカチでこすれば簡単に消えてくれた。ほんとすみませんいらんことしました……。

 そんな様子を見ていたあきつ丸が俺に寄ってきて、スッと数本のペンを差し出してくる。

 

「少佐殿、こちらを」

 

「助かる」

 

 やっぱり艦娘がいないと何にも出来ねえんだなぁ……と情けなさに打ちひしがれそうになるも、いやいや、挫けている場合では無いとペンを妖精達に渡して、もう一度描くよう促す。

 すると、妖精達は色違いのペンを用いて南方海域にある島々の周辺に印をつけ、線を引く。

 

 俺の口から、やはり、と言葉が漏れる。

 どう見たって四つのマップが重ねられたようになっている海図の印に戸惑いを禁じ得ない。

 

 緑色のペンで示されるのは、南方海域前面。

 濃い黄色のペンで示されるのは、珊瑚諸島沖。

 赤色のペンで示されるのは、サブ島沖海域。

 黒色のペンで示されるのは、サーモン海域。

 

 漣達が呉鎮守府を発って半日という事は、俺が鳳翔とともに呉鎮守府に向かっていた頃には既に日本を離れていたという事でもある。何故その時に気づけなかったのだと歯噛みするも、どうにもならない。

 出来る事は常に最悪を想定して、そんな状況にならないように仕事を進めるのみ。

 

 俺の考えている事が伝わっているように、妖精が呉鎮守府から一本の線を引き始める。それはゆっくりと四国の左側を通過し、九州の南部をも越え、奄美から大きく東の海域の途中で止まった。

 

「予想か」

 

『うん。まもるが進めば、二人も進む』

 

 当然極まる妖精の言葉。妖精がペンを止めた所を現在地として、ここからすぐさま迎えに行ったとしても追いつける確証は無い。合流できる地点は予想を超えた場所になるだろう。

 呉鎮守府からの出撃はこの時点で無しだ。少しでも距離を縮めて追いかけなければならない上に、俺は呉鎮守府に所属している艦娘の全てを把握しているわけでは無い。足の速い艦娘がいたとしても、相手は忌まわしき数学の動く点Pのようなもの。なまじ追いつけたと仮定して、連れ戻すのにも危険が伴うとも考えるべきだろう。

 海図上での距離は手のひらに収まる程度なのに、俺も見たことのない艦娘の全速力をもってしても、足りないかもしれない。

 

 妖精が印をつけている南方海域までの距離は漣達である印から見て相当あるが、常に進み続けている二隻とは別に《追跡する艦娘》を考慮すれば、最悪はそちらに到達すると考えた方が良いだろう。

 

 これが艦隊これくしょんならば。これが、ゲームならば。

 頭の隅に浮かぶ、だったら良かったのに、という蛇の尾のような言葉。

 

 艦これならクリック一つだ。出撃も、遠征も、何もかも。

 艦娘を選択し、装備を選択し、肘をついてぼうっとしながら画面を眺めてマップを選び、マンスリー任務の傍らに海域に艦娘を出すだけ。

 後は野となれ山となれ。艦娘が深海棲艦と戦っているのを眺め、ボイスを聞き、可愛いなあ、恰好良いなあと思うだけだ。

 

 でもこれは違う。紛うこと無き現実で、頬に残る熱も痛みも本物だ。

 俺の采配一つで、艦娘は海に出る。

 

 その重さが、心臓を握るように感じられた。

 

「少佐、殿……?」

 

 ペンを握りしめ、海図を睨みつける俺の手に重なる白く柔らかな手。

 温かく、生きている手が、俺の思考を止めた。

 

「……なんだ」

 

 俺の手に触れたのは、あきつ丸だった。

 不安そうに俺を見上げており、潤んだ両目が俺を捉える。

 

「自分に、出来ることがあれば……な、何でもするであります……! どうか、ご指示を……!」

 

 彼女は、艦娘は、俺の光だ。

 死んでいた俺を照らし続けていた希望だ。それがどうして泣きそうな顔で、不安そうな顔で俺を見ているんだ。

 

 癇癪が生み出した興奮剤と、現実が心臓を握る恐怖と、頬に残る痛みと、重ねられた手の熱さが頭の中でマーブル模様を描く。

 

 あきつ丸の目を見つめていた俺の目が、ゆっくりと清水へと向く。

 

「……来い、清水中佐」

 

「ひっ」

 

「早くしろッ!」

 

 座っていた椅子から転がり落ちるようにして俺に駆け寄ってきた清水中佐に海図を示し、俺は言葉を紡ぐ。

 

「遠征先は南方、としか聞いていないためこれは私の予測だが、最悪を想定して話す。聞け」

 

「なっ、なに、を……」

 

「しゃんとせんかッ! 作戦を練る! 漣達を連れ戻すのだ!」

 

「ひぃっ」

 

 ひぃっ! じゃねえよ! 泣きてえのは俺だよ!

 何でこんな怖い思いしなきゃいけねえんだよてめえのせいでよぉおおお!

 

 八つ当たり? 癇癪? 上等上等ぉっ! 他力本願のクソ野郎と呼ばれたって俺は艦娘を優先させてもらう! てめぇの事なんか知ったことか!

 

 俺の頭に浮かぶのは、この世界で、柱島の執務室で井之上さんに向かって宣言した言葉だった。

 

 艦娘は好きか? えぇ、愛していますとも。提督ですから。

 

 たったそれだけだ。否、それだけでいいと何度も何度も言い聞かせる。自分を鼓舞するよう、叱咤するように。

 

「清水中佐は南方の何処へ漣達を向かわせた!」

 

「うぅ……ぐっ……!」

 

「あぁ……お前という奴は……ッ!」

 

 俺が問うても口を開こうとしない清水中佐に苛立ち、ペンをデスクに放り投げて清水中佐の両肩を掴み、強引に俺と向き合わせる。

 

「お前がどのような思惑をもって指示をしたかはどうでも良い! 反対派? それも結構! 認められん事と仕事とは別だ! その上で問う――お前は仲間を見捨てて何を救えると考えているのだ!」

 

「国民、を……わ、私は、軍人で……!」

 

「ならば無用な危険を呼び寄せるような真似はするな! どこに向かったか言え! 泣き言ならば任務が終わった後に井之上さんにでも聞いてもらえ! 私は知らん!」

 

「っ……」

 

 俺と清水中佐の視線が交錯する。

 そして、清水中佐は恐る恐る海図へ手を伸ばし、一点を指した。

 

「――パラオを過ぎたあたり……ニューギニア……?」

 

「も、もう、どうせ私は処刑される……終わりだ……」

 

 パラオとニューギニアの中間地点である海域を指している清水中佐。

 諦めたように唇を震わせる清水中佐の肩を揺すり、俺は詳しく問う。

 

「何故そこに向かわせているんだ。どうせ死ぬなら全て吐いてからにしろ!」

 

「ひぐっ……」

 

 無論、そんなことをさせるつもりなど毛頭無い。

 ここには数時間後に井之上さんが来るのだ。後で土下座でも何でもしてやっからともかく仕事を手伝えってお前さぁ! と、口には出さないが、強く肩を握る。

 

「女子の一人も救えないで何が軍人か! 国民を守りたいのならば、先ずはお前に従った艦娘を救うんだ!」

 

「あ、あんな、あんな! 何を考えているかも分からない化け物を救うなんて……面倒をする、くらいなら……!」

 

「お前が一番面倒だこの馬鹿者ッ!」

 

 落ち着いて俺。本音洩れてる洩れてる。口からまろび出てる。

 清水中佐も混乱しているだろうが、一番大混乱しているのは俺なんだぞ。

 

 仕事をサボるためにやってきた呉鎮守府で仕事に逃げなければならない状況になり、しまいには仕事から逃げられない状態になるなど、これを地獄と呼ばずしてなんと呼ぼうか。そうだね、仕事だね。

 

「し、深海棲艦、は、知能がある……我々人間と対等……いや、それ以上に……そんな相手に目的も分からず、蹂躙されるだけなのだぞ……!」

 

「……」

 

 落ち着け。カームダウン……カームダウンね、俺……。

 清水中佐の言葉は、個人の見解だ。一つの意見で、一つの見方に過ぎない。深海棲艦が脅威であり恐れているのは伝わっている。ああ、そうだ、怖いだろう。実際に見たことのない俺だって柱島の執務室で写真を見ただけでビビったさ。

 あんなどでかい相手が襲ってくるって考えただけで怖いよな? 当然だ。

 

 目的が分からないという言葉にも同意だ。俺も分からん。

 ゲームでさえ明確な設定を持たない敵だったんだ。

 怨念だの残留思念が形を成したものだのと言われているが、実際の所は《正体不明の強大な敵》くらいだ。

 

 ただただ人類を滅ぼさんとする存在なのだろう。

 

 しかしだ。俺達には艦娘がいるだろう? 何度人間に裏切られたって、無茶な命令だって聞いてくれる深海棲艦と対を成す存在がいるじゃないか。な?

 

「深海棲艦はただ、人類を襲う……圧倒的な知能で……圧倒的な、力で……!」

 

「……っ」

 

 ふぅぅ……大丈夫、大丈夫よまもる……大丈夫……落ち着いて……。

 俺の心の妖精(等身大美少女)が宥めるように微笑む。

 話を聞かないくらいに怖い、そういう事だ。一種の錯乱みたいなものだろう。

 

 俺なんて常に錯乱してるようなもんだから大丈夫だ。艦娘でも見て落ち着いていこうぜ。

 

「さ、逆らわなければいいんだ……! 資源を差し出し、遠くへ追いやればいい……ほんの少しの間でも、私達は、助かる……!」

 

「――」

 

 そっと清水中佐の両肩から手を離す俺。

 海図の上の妖精達に向き直り、俺は人差し指で順番に頭を撫で、そっと手のひらでデスクの端へと妖精を集めた。妖精たちは不思議そうな顔で俺を見上げていたが、大丈夫だという風にポケットから金平糖の余りを取り出し、ころんと目の前に置く。

 近くにいるあきつ丸にも微笑みかけ、ちょいちょい、と松岡の傍へ行くよう促す。

 

「は、ははっ……し、知っているか、海原……深海棲艦には、艦娘と、そっくりな奴らもいるんだ……ただの深海棲艦なんかじゃ無い……あいつらには、誰も勝てない……!」

 

「お前の示した海域……南方には、その深海棲艦がいるのだな」

 

「あぁ、そうだ……! あれこそ、化け物だ……まるで漫画みたいだ、質の悪い、冗談みたいな存在さ……長い尾を振り回して、何もかもを壊し――」

 

「そうか。そうかあ……」

 

 ぽんぽん、と清水中佐の背を叩き、頷く俺。

 南方海域、長い尾を振り回す深海棲艦。俺の記憶が蘇る。

 

「確かに化け物だな。勝てる見込みなど無いのではないかと、私も最初は目を疑った。育てに育てた艦娘達があっけなく大破に追い込まれ、撤退を余儀なくされ、何度泣きを見たか分からん」

 

「う、みはら……お前、知って……」

 

「駆逐二隻、軽巡一隻、そして戦艦二隻に囲まれた、異形の戦艦……思い出しただけで頭痛がする」

 

「ぁ……なに、え……?」

 

 そして俺は、またも最低な事をした。

 

「うみは――がぁっ……!?」

 

 至近距離で、俺は清水中佐の顔面に拳を振り抜いたのだ。

 

「もう一度聞くぞ清水。この海域……付近に、何がある?」

 

 目を白黒させて俺をみる清水中佐を見下ろしながら、海図を持って広げて見せながら問えば、清水は金魚のように口をパクパクさせた。

 

「あっ、あぅ……ぁ……そ、こを抜けた場所に、深海棲艦の資源海域が、あって……そこに艦娘を、定期的に、送っていれば、本土には、しゅ、襲撃して、来ないと……楠木少将が……」

 

 出たな、くすのきとやら。それに、少将と言ったか?

 後でうちの空母の群れに放り込んで龍驤にお仕事お仕事ぉ! してもらうからな。海のスナイパーことイムヤに撃ち抜かせた後、島風に括り付けて海上を駆け抜けさせ、戻ってきたところを長門型の装甲で押しつぶし――違う! そんな場合じゃねえ!

 

「艦娘を贄に自らは安寧を、か。軍人が聞いて呆れる。我々の目的を忘れたようだな」

 

「ぁぐっ……」

 

 海図をデスクに置き、清水中佐の前にしゃがみ込んで胸倉を掴むと、数秒睨みつける。

 そして、突き放してから、脱ぎ捨てたままだった軍帽を拾いにソファまで歩むと、それをぐっと被った。

 

「も、く……てき……」

 

「我々の目的はなんだ。言ってみろ」

 

「国の、安全を、守り……深海棲艦を、げきめ、つ……」

 

「そうだ。それに必要なものはなんだ」

 

「深海棲艦を、撃滅できる力……国を守る、力……」

 

「分かっているならば迷うな。我々提督が惑えば艦娘は何処へ進めばいい。艦娘が挫ければ我々はどうすればいい。欠けてはならんのだ、どちらも」

 

「……――っ」

 

「立て、清水ッ! 死地がどうしたッ! 絶望がどうしたッ! 脳みそが煮沸するまで考え、己の身体が砕けるまで戦えッ!」

 

 我が社の社訓である。もう辞めたけども。

 ただの会社では間違っているとしか思えない社訓だったが、この戦地では、これほどにない正解だと思った。だから俺は怒鳴りつけた。

 

 仕事が終わらなきゃ間宮の飯も食えないんだぞ。いい加減にしろ清水。

 

 お前に言い聞かせている間にもどんどんと漣達は先へ進んでいるんだと言えば、清水はよろよろと立ち上がって、頭から落ちた軍帽を拾い上げ、俺の正面に立った。

 

「うみは……貴殿の、教義か……」

 

 教義? 主張……ではあるが、半分は仕事を終わらせたいのと、もう半分は艦娘を救いたいだけだ。

 いや、八割以上、艦娘だろうか。

 

「そんな大層なものでは無い」

 

「死に戦にも胸を張れと、そう、言いたいのか……貴殿は……」

 

「違う」

 

「……?」

 

 死に戦かもしれない、と考える程、俺に知識があって勝てる勝てないを判断できるわけじゃない。

 俺にあるのは艦これの知識と社畜の知恵のみ。あとは艦娘が好きというだけ。

 難しい話じゃないだろう? と俺は清水の胸をどんと叩く。

 

「難しい話ではない」

 

「ならば、どういう……」

 

 あきつ丸や川内、那珂がいる手前、口に出すと情けない事を、俺は堂々と言った。那珂は違うが、既にあきつ丸や川内には俺が無能社畜ってバレてるしな。でぇじょうぶだ。へーきへーき。

 

 

「――恰好をつけたいだろう、男ならば」

 

「……っ」

 

 

 ここにいる艦娘の前じゃ、もうアウトだけどな! と自嘲気味に笑って見せると、清水中佐は俺に殴られた頬に手を当てて振り返り、あきつ丸達を見た。

 そして……

 

「……深海棲艦は通信を傍受している可能性があります。過去に一度、軍内で大艦隊を組み航行した際、すぐに感知されました」

 

「ほう……?」

 

 机にぐしゃりと放ったままになっていた海図をがさがさと広げた清水中佐の横につき、話の続きを聞く。

 

「海原しょう……んんっ、閣下もご存じの通り、数年前、閣下の開放したこの南方海域付近に飛行場を設営する計画が立てられましたよね」

 

 これは……恐らく、井之上さんが言っていた《海原鎮》の事だろうと、頷く。

 

「艦娘の艦載機を飛ばすための飛行場を設営するにあたって、開放された海域の各所に泊地を設けるという計画が同時に立ち上がった所……その計画を阻止するかのように設営地や泊地が攻撃された……。閣下は付近の海域だけでもと大型の泊地を目標とし、後方兵站線を分断……結果的に基地の設営には成功しましたが、一部、大きく損害が」

 

 清水は転がっていたペンを取って、海図に線を引く。丁度パラオとトラックの中間に印をつけたあと、下に矢印を引いた。

 

「敵は西方、ベンガル湾からだったと記録にありますが……私が知っているのはここまでです。後は、閣下がよくご存じかと思われますが」

 

「西方……ベンガル湾……」

 

 清水が目測、ここだ、と示した位置にはインドやミャンマーがある。

 その付近の海域は何だったかと額にしわを寄せて考えていると、ぱっと浮かんだ。

 

「ここは……」

 

 西方海域――艦これで言う《カレー洋》だ。

 俺は清水中佐が握るペンを上から持ち、ここだ、と動かした。

 位置はベンガル湾とインド洋の間にぽつりとある、小さな島だ。

 

「セイロン島? 閣下、なぜここを……」

 

「西方からの空襲、飛行場や泊地の設営にベンガル湾に寄った場所ではなくそれより少し下のインド洋から直接来たのではないか?」

 

「ベンガル湾ならば……あっ、いや……!?」

 

 清水は海図へ顔を寄せ、図にある縞模様を測ったり、島の周囲にペンで印をつけてみたりしながらどんどんと息を荒くする。

 

「空襲、適地……! この立地であれば遠方への攻撃も可能です、閣下! これに、閣下は……!」

 

「南方海域だけではなく、西方の海域にも敵は存在するかもしれん。それこそ……容易に空襲を可能とするものが」

 

「す、すぐに戦力を――!」

 

 デスクの上に備え付けられた電話へ手を伸ばした清水中佐の腕を掴み、待て、と言う俺。

 何故ですかと声を張った中佐だが、数秒もしないうちに、あ、と腕を引っ込めた。

 

「馬鹿者が、まずはお前の尻拭いからだ」

 

「……っは」

 

 何百、何千、それこそ何万と巡り巡った仮想の海戦。

 何百万という提督たちが積み上げた至宝とも呼べる記録の数々、その一片が俺の記憶にはある。

 

 まずは救うべき艦娘を優先する。可愛いが失われる事は、世界の損失なのだ。

 

「あきつ丸! すぐに大淀に繋げてくれ!」

 

「っ――少佐殿は何処まで我々を読んでいらっしゃるんですか、全く」

 

 首を傾げる俺。艦娘は読むものじゃなく愛でるものでは……。

 あきつ丸は懐から携帯電話を取り出し、何やらゴソゴソと自分の額に近づけて唸っている。なんだそれ可愛い。

 ……いやだから、そんな場合じゃないんだった。

 

 海図に向き直り、清水中佐と早口で会話を続ける。

 

「清水中佐、柱島から私の艦隊を出撃させる。水上打撃艦隊と、後方に航空支援の艦隊だ。時間差で出撃させれば――」

 

「通信の制御が完璧であれば、同時に襲われるという心配は無いかと思われます」

 

「結構。では通信は私の所にいる大淀に任せるとする。兎にも角にも、今は漣と朧の救出だ。通信を切っているのであれば発見は困難かもしれんが……――」

 

「……通信を切れと命じたのは、先の通り、深海棲艦に傍受される恐れがあるから、です」

 

 唐突な清水の呟きに、俺は思わず、なんだ、こいつはやっぱり、と口角が上がった。

 

「清水……お前も提督なのだな」

 

「いえっ、私は……!」

 

 深海棲艦への贄ならば、清水は通信を繋げた状態にして見つけやすいようにさせたはずだ。

 それこそが、答えじゃないか。

 

 葛藤の末に口から出たのが艦娘への嫌悪でも、一方では、守らねばならないという軍人の心があったんじゃないか。

 

「いいや、お前はやはり提督だった。安心したぞ。それで、通信が出来なければどうやって発見すれば良いと思う」

 

「……深海棲艦と同じく、艦娘も通信の傍受が可能です。もし、二隻が傍受を試みているようであれば――」

 

「こちらからの通信を受けることは可能である、という事だな。よし、それも含めて大淀に伝えておこう」

 

「し、しかし閣下! それでは閣下の艦隊が危険に――!」

 

 馬鹿めと言って差し上げますわ。うちの大淀さんは凄いんだぞ。多分な。

 仕事の監視に二重三重のトラップを仕掛けるくらいには頭の切れる柱島鎮守府のブレインなのだ、そんなヘマはしない。

 

「なに、心配はいらん。我が鎮守府自慢の頭脳だ」

 

「っ……! 閣下、万が一を考え呉鎮守府に所属している艦娘を動かせるよう、許可を――」

 

「それも取ってある。何か考えがあるのか?」

 

「私の、意見、で……っく……しかし、もしもの事があれば……鹿屋の先達に、申し訳が……!」

 

 あきつ丸と松岡がぴくりと動いた。二人を横目に俺は考える。

 清水中佐の胸中ではどのような不安が渦巻いているのだろうか。

 俺にそれを知る術は無いが、ここは知恵を寄り合わせねば切り抜けられないと、背を強く叩く。

 

「考え続けるのが我々の仕事だ! 言え!」

 

「……――! 呉鎮守府には補給艦が二隻所属しているようです! 補給艦隊を組み、閣下の第一艦隊、第二艦隊の支援に回せば継続戦闘、即時離脱、両方可能かと愚考致します!」

 

 なるほど、と俺は何度も清水中佐の背を叩く。

 艦これの知識しかない俺だけでは、複雑な作戦など考えられない。あったとしても、それは既存の《攻略》に過ぎないのだ。

 

 曲がりなりにも現実で戦って来たであろう清水中佐の考えは、採用するに充分。

 

「採用だ! 全責任は私が持つ、全力で作戦にあたれ、いいなッ!」

 

「はッ!!」

 

 事は性急。清水達と会話している間にも刻一刻と時間は過ぎていく。

 

「少佐殿、こちらを。大淀殿と繋がっております」

 

 あきつ丸が携帯電話を俺に手渡してくる。

 耳に当てろ、というジェスチャーをするので、その通りにすると――

 

「これでいいのか? 大淀、聞こえるか? 私だ」

 

 大淀も携帯電話持ってんのかぁい! 番号くらい教えろよマジで……!

 あ、いや、待て……携帯電話を使っているような素振りは一度も見たことが無い。

 もしかして通信か? いやいやいや、そんな事、今はどうでもいい。

 

《ザッ……て、てて提督!》

 

 大淀の声に胸をなでおろす俺。どうしてか、安心できる状況でも無いと言うのに、もう大丈夫だと根拠もない温かさが身体に満ちた。

 同じく、艦娘を癒さねば、守らねばという初心が俺の思考をクリアにした。

 

「至急出撃してほしい。庶務は後回しで構わん」

 

 大淀達にはこれから先も多くの迷惑をかけることになる。その代わりになることなど何もないが、俺の身であればいくらでも差し出そうじゃないか。安い頭を地面にこすりつけて土下座とかな!

 仕事を監視されるのも許しちゃう! 怒られるのも制裁を食らうのも甘んじて受けよう! 大体が俺の無能のせいだしな! ほんっとうに申し訳ございません大淀先輩。

 

《出撃ですか!?》

 

 またこいつ何言ってんだ突然、という大淀の声。俺もそう思います。全部悪いのは清水です。後で詫び入れさせますんでぇっ……!

 

「そうだ。呉鎮守府に所属している駆逐艦、漣と朧の救援に向かってもらいたい。フィリピン海を南下中との事だ。このまま行けば数時間後にはパラオ泊地の付近に到達し、周辺の深海棲艦に発見されかねん」

 

 電話を耳と肩に挟み、清水と並んでいくつもの印がついてごちゃついた海図にペンを指しつつ、確認の意を込めてとんとん、と示す俺。

 清水は何度も頷き、小声で「出撃時刻にもよりますが、南方海域に同時に到達する可能性を考慮した方がよいかもしれません。パラオやトラック周辺海域での討ち漏らしが日本に北上しており――ラバウル基地でも確認されていますので、敗残の敵かと」と言う。

 

 その言葉を受けつつ、俺は大淀に続ける。

 

「南方から深海棲艦の北上が何度も確認されているとの情報をこちらで得た。パラオやトラックで抑えきれなかったものが日本に向かってきているらしいが、ラバウル基地で敗走した残存勢力との見解もあるため、大本を叩く」

 

《たっ……!? どれだけの戦力を割くおつもりですか!》

 

 通信を傍受される可能性……清水の言葉を思い出しながら、俺は出来る限り少数を分散させるべく言葉を紡ぐ。少なすぎても、多すぎてもいけない。

 ならば艦これよろしく――六隻一艦隊だ。

 

 しかし、足並みを揃えてのんびり向かえる状況でも無い今、無茶さえも作戦に組み込まなければ。

 責任を取ると言ったのはどこの誰でも無く俺自身だ。啖呵を切ったからには、人を信じた艦娘を、俺が信じなければなるまい。

 

「呉鎮守府に所属している艦娘にも私が指示を出すが、そう多くは無い。練度の高い戦艦を二隻、駆逐艦を二隻、重巡、軽巡を一隻ずつの合計六隻の艦隊を組みたい。編成は――」

 

 それでも一瞬迷った。本当にこれでいいのだろうかと。

 艦これの海域攻略の時とは違う、全身から脂汗が噴き出すような緊張が室内に走る。

 

 信じるだけでは救われない。気合だけでは切り抜けられない。

 艦娘の練度、技術、信頼、覚悟、全てを詰め込んでも足りるかどうか不安が残る。

 

 俺はちらりと海図の端を歩く妖精達を見た。

 そのうちの一人と目が合い、俺は小声で「……信じるぞ」と呟いた。

 

『――しょうがないなあ、まもるはー!』

 

 金平糖の欠片を胸に抱いて笑った妖精の顔を見て、俺は――

 

「第一艦隊として旗艦を戦艦扶桑、以下、戦艦山城、重巡那智、軽巡神通、駆逐夕立、島風を編成してくれ。作戦概要は呉鎮守府所属の漣、朧の救援と敵戦力の撃滅だが、足の速い島風を先に向かわせてほしい」

 

 ――最速の艦娘を選択する。

 

「明石に柱島鎮守府にある資材を全て使い込んででも早急に高温高圧缶の開発とタービンの改良を行うように伝えるのだ。島風に搭載し、全速力で二隻に合流してもらいたい」

 

《ま、待ってください提督! 二つの開発を明石に……それも、すぐに出撃って、そんな……!》

 

 大淀の不安が伝わるようだった。しかし、成さねばならない。

 戦争ならば多くを失うのが常だろう。軍人ならば然るべきものだと受け止められるのだろう。

 

 だが俺は軍人以前に、ただの無能で、元社畜なのだ。失うなんて考えたくない。

 

「第一艦隊の後方支援とし、第二艦隊も編成する。旗艦は空母赤城、以下、加賀、翔鶴、瑞鶴、駆逐時雨、綾波を編成してくれ。第二艦隊の出撃のタイミングは第一艦隊が出撃したあと、追ってこちらから指示する」

 

 全身が熱い。考え過ぎて熱が出るというのを本当に実感する日が来るとは思いもしなかった。

 会社員の頃に忙殺されて感じるのは冷たさだった。指先から全身にかけて熱が奪われていくような感覚とは真逆の今、浮かされたように口が回る。

 

《了解しました……至急通達します。一時間いただけますか》

 

「一時間か、分かった。漣と朧との通信が繋がらないらしいので、島風が二隻を発見出来なかった際は……深海棲艦の撃滅に移行してもらいたい。島風は単独で戦闘せず、第一艦隊と合流を待つように伝えてくれ」

 

 組織となれば通達までに時間を要するのは理解していたつもりだが、今は一分一秒さえ惜しい。大淀を急かす時間すらも。

 

 壁に掛けられた時計を見ると、時刻は既に夕方を過ぎようとしている頃だった。

 そこから一時間、西日も消え失せる夜に出撃することになる。

 

 俺は考え得る装備を大淀に伝えた後にあきつ丸に携帯電話を返し、眩暈を感じながら清水に言う。

 

「元帥がこちらに到着するのは作戦中になるだろうが、お前は決して席を外すな。どんな些細な異変も見逃すなよ清水」

 

「っは」

 

「それと松岡。呉港を使用するのに騒がしくなる可能性がある。周辺住民への説明を頼めるか」

 

 騒音で苦情なんて来たら困るからな。

 こんな時にもかかわらずしょうもない事まで考えてしまうあたり、情けないが。

 

「っは! 部下に通達し、すぐに」

 

 松岡は部屋を出る一瞬、清水を見やる。

 清水は松岡が言わんとした事を理解したかのように、床に転がったままになっている拳銃を拾い上げてくるりと回し、銃身の方を持って松岡へ差し出した。

 

「――作戦が終わってから、引き金を引いていただきたい。海原閣下との作戦を完遂すれば、如何様にも処分を受ける」

 

「殊勝な心掛けだ、その白い軍服が赤く染まらん事を祈っていろ」

 

 ふん、と鼻息を残し出て行った松岡の背を見送り、清水にどうしてそんな事を言った、などとは問わず。

 

「何より先に仕事だ。一にも二にも仕事だ」

 

「……っは」

 

 社畜チック――というか、もう社畜としか言えない言葉を清水に届けて、海図をペンで叩いた。

 

「清水。所属の艦娘……その補給艦がどこにいるか分かるか」

 

「艦娘寮にいるかと思います。すぐにこちらに――」

 

「お前はここに居ろ、私が行く。妖精達の相手を頼む」

 

「よ、妖精? いや、しかし私にはそんなものなど見え――!」

 

 言うが早いか、あきつ丸について来いと言って部屋を出る寸前に、清水の悲鳴が聞こえた。

 

 

 

 

「――な、なっ……こ、これ、小さい……人……!?」




とても長くなったので前後半と分けましたが、感想にもいくつか見られる艦娘爆速説について少しだけ。

自分の描写力の至らなさより距離を考えたらそこまで移動できんやろがい! と当然のご指摘をいただいております。
該当描写をいくつか修正したく思いますので、お許しいただければと思います。

艦これ知識どころか距離感も無い作者ですが、決してジェットを搭載したり、クリック&ドラッグで艦娘をブラウザ上で移動させたりなどの艦娘に害が及ぶような危険行為はしておりませんので、安心して読んでいただければ幸いです。

修正には多少の時間がかかりますが、ご了承ください……。

追記:一時的にいくつか修正しております。

艦娘爆速説についてです。いただいている感想を拝見し、修正箇所を調べた所、最初の作戦から全てを修正しなければならない可能性が出てまいりました。そこで、後付けにはなりますが修正した方が良いか、爆速説が良いかを選んでいただければなと思います。(これに統一となります)

  • はっやーい! 艦娘だもん!《艦娘爆速説》
  • 物理法則を考えて下さい提督《船速準拠説》

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