柱島泊地備忘録   作:まちた

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三話 想い【艦娘side】

 心優しい気遣いの提案に思わず涙を流してしまった私だが、提督に背を擦られて数分、やっと涙が収まった。

 

「お見苦しい所を、申し訳ありません」

 

「気にするな」

 

 そう答えられた提督は柔らかく笑った後に船上を見回した。

 どうしたのだろうと同じようにして見回している時、はたと気づく。

 

 そうか、食事をしようとおっしゃられたのだから、食べ物か、と。

 

「しょ、少々お待ちください! すぐに何か食べられるものを――!」

 

 慌てて立ち上がった私は、操舵室に何か無かっただろうかと駆け出そうとする。

 しかし、提督は「ちょっと待て」と言う。

 

 提督を見れば、妖精と何やら話している様子だった。

 残念ながら私を含む艦娘は妖精との意思疎通が難しい。姿こそ見えるものの、声は聞こえないために身振り手振りでのやり取りばかりだ。それも、妖精を従えて戦場に出る事の少なかった私はそれが顕著だった。

 話の内容は、提督のお言葉を酌んで予測するしかできない。

 

「……ふむ。そうか……じゃあ……釣り……」

 

 釣り……? 確かに私達が乗っているのは漁船だから、無理な話ではないかもしれないが……道具の使い方が分からないし、道具が残っているのかもわからない。

 魚を釣ろうにも餌さえ無いのだから、食事云々の前の問題の気もするが……。

 

「……それもそうか……よし。そうしよう」

 

 話がついた様子で、妖精は提督から離れて私の横を通り過ぎ、操舵室へと向かっていった。

 かと思えば、一分もしないうちに両手に羅針盤のようなものを抱えて戻ってきたのだった。

 

「大淀、これが何か分かるか?」

 

 妖精から羅針盤を受け取った提督は、それを私に見せるように掲げる。

 

「羅針盤、でしょうか」

 

 言ってから、しまった、と口を閉じる。

 出会い頭に冗談を言ったのかと口にした言葉に憤慨した提督を思い出し、すぐさま失礼しましたと訂正に走る。

 

「ただの羅針盤、では、無いのですよね……妖精が持ってきたのならば、何らかの能力が……?」

 

 恐る恐る言うと、提督は頷き話す。

 隣で妖精が提督を真似るように口をパクパクと動かしているのがなんとも可愛らしく目が滑るが、堪えつつ。

 

「これは艦娘の航路を決定するための道具で……戦わねばならない者と的確に接敵するためのもの……だ。その他にも? 向かうべき場所を指示してくれる」

 

 歯切れの悪い言葉に、違和感を覚える。

 そんな便利な道具があるはずがない。

 そんなものがあったら、深海棲艦の集まる場所を艦娘単体で偵察して、確実に叩けてしまうではないか。

 

 私が所属していた鎮守府でも、羅針盤という道具は使用した事が無かった。

 指揮官である提督が艦娘を通して通信し、右へ行け、左へ向かえなどと海図と照らし合わせながら連携して偵察していたのだ。

 

 艦政本部のみならず、大本営ではもっぱら敵深海棲艦の拠点の捜査に力を入れており、神出鬼没な深海棲艦の拠点発見は常々絶望視されていた。

 そのことから、どこの鎮守府でも同じような戦略がなされた。

 

 ――捨て艦戦略と名付けられた手法である。

 

 捨て艦戦略には大きく分けて二つあり、一つは敵棲地を探るために送り出されるもの。

 もう一つは、運よく発見できた拠点に攻め入るために艦娘を特攻させ航路を開くというものだ。

 

 前者の戦略の場合、広域を捜索するために軽空母や水母などが利用される事が多く、私がいた前鎮守府ではその作戦を遂行し続けたために在籍する空母の殆どを失う結果となった。

 

 後者の場合はさらに酷いものだった。敵拠点までの海路にはやはり多くの深海棲艦が出現する。そのため、進軍は困難を極める。

 そして持ち上がった新たな戦略として、建造される数の多い駆逐艦がターゲットとなった。

 建造されて間もない駆逐艦を海へ駆り出し、轟沈を前提に限界まで進軍させるのだ。

 その後ろにも蟻の行列のように駆逐艦隊を編成し、前が沈めばその後ろを持ってくる……と言った具合に。

 

 もしも、今しがた提督が持つ羅針盤があれば――確実に敵拠点を索敵出来れば、もっと違った結果があったのではないかと思わずにはいられなかった。

 そうすれば、もっと……。

 

「……ど……大淀? 大丈夫か?」

 

「はっ……! し、失礼しました。その、羅針盤というものを、初めて目にしまして……」

 

 提督は不思議そうな顔で羅針盤と妖精、そして私を交互に見てから息を吐き出す。

 そうして、言葉を続けた。

 

「大淀はこれから向かう場所が分かるか?」

 

「柱島泊地でしょうか? それでしたら、およその海域まで行けばすぐに。そこまで到達しましたら、哨戒中の艦隊にも遭遇するかもしれません」

 

「およそ、かぁ」

 

 またも、私はしまったと自責の念に駆られる。

 どうしてこうも曖昧な物言いをしてしまうのだと、思い切り自分を殴りつけたくなる。

 たられば、かも、は戦争で最も忌避されねばならないはずなのに、と。

 

 提督の声に頭を何度目とも分からず頭を下げそうになる私だったが、優しい声がそれを制した。

 

「そういう事が無いようにするための道具……だ、そうだ、これは」

 

 まるで人から聞いたかのような言い方をする提督に、不敬ながらも不信を抱く。

 誰も知らない道具を妖精とともに取り出したのもそうだし、何より提督自身も知らなかったかのような口調ではないか。

 私は、本当に、ほんっとうに不敬を承知で問うた。

 

「提督は、ご存じだったのですか……?」

 

 唇が乾き、舌が口の中で無意識に動く。

 提督は一瞬眉をひそめたが――今度は滑らかに、そして知らなかったような、ではなく、思い出すようにして話し始めた。

 

「俺が知っているのは妖精の操る羅針盤だからな。実際に手に取って見るのは初めてだ」

 

「よ、妖精が操る羅針盤……!?」

 

 妖精が道具に宿り能力を向上させるということは知っている。しかしながら、妖精自身が道具を扱うなど聞いたことも無い!

 工廠での建造作業や、開発などで妖精が道具や私達艦娘を造るのに一役買っているのは知っているが、扱うとなれば話は全く違ってくるではないか……!

 

 前鎮守府で道具を扱った妖精がいたか……? いない。いなかったはずだ。

 

 あったとすれば、それこそ特殊な妖精で――例に挙げれば空母の操る戦闘機などに搭乗する妖精のみ。

 艦娘の手元から離れて遠方を索敵、または爆撃する空母から放たれる戦闘機には妖精がもっとも宿りやすいとされており、妖精のいない戦闘機は複雑な行動は不可能らしい。

 単純な飛行や旋回のみで、索敵などはもってのほかである、と。

 

 提督は知っていると言った。しかし、そんなものは前鎮守府にも、大本営にいた頃にも知らされていない。であれば、艦政本部が秘匿していたのか……?

 いやいやいや、秘匿する理由が無いではないか。羅針盤を使えば確実な海域攻略が可能となるのだから、周知しなかったとしても、大本営が指定した鎮守府などで使えばあからさまに戦果を上げられるはず。

 

 そこまで思考して、私は一つの予測に辿り着く。

 

 失踪していた提督――発見されたにもかかわらず異例の降格――妖精の見える素質――。

 

 

 提督は、もしや大本営の秘密を知って――暗殺されかけたのでは――?

 

 そうすれば、私が見ていた資料に残っている不気味な戦果のみの記録や、提督をじかに見た者がいない理由も説明がつく。辻褄があってしまう。

 

 妖精の見える提督なのだ。そのような素質を持つ者は少ない故に、大本営もおおいに重用していた事だろう。その証拠こそ元の階級が物語っている。

 そんな提督ならば、大本営よりも妖精に通じていて不思議ではない。

 とすると、提督は今のように、妖精から艦娘を指揮するために羅針盤を託された過去があるのかもしれない。

 それを用いて海域を攻略し、戦果を打ち立てていくうちに、大本営が不審に思った――と。

 

 私と出会った時、あれは誰だと問われたのにも、説明がつく。

 怒りを宿した瞳にも。見限ったというお言葉にも。

 

 艦娘を酷使し、いたずらに轟沈させるばかりか妖精のもたらしたものさえも私欲に利用しかねない一部の軍部から、彼は守ったのだ。技術を――ひいては、私達艦娘を。

 

 そこまで考え至って、ぐ、と喉が詰まる。

 だめだ。泣いちゃだめだ。私は光栄に思わなければならないのだ。

 

 涙が零れそうになるのを必死になって堪え、提督を見る。

 

「提督。そちらの羅針盤を、どのように使うのでしょうか」

 

 意を決した問いに、提督はしれっと答えた。

 

「鎮守府に行くんだろう? なら、さっさと進もうと思ってな」

 

 進もうと思って? 失踪から戻ったあなたは技術こそ守れたかもしれない。

 しかし、その道の先は地獄など生ぬるい、修羅の道。

 

 呉鎮守府の監視下にあり、大本営からも監視されるだろう。提督を連れてきた名も知らぬ軍部の、あの者も監視者の一人かもしれない。それでもあなたは、提督として進もうとおっしゃるのですか?

 

 その問いの全ては言葉にできなかった。ただ、一言だけ何とか紡げたのは――

 

「よろしいの、でしょうか」

 

 妄信を失った私にあるのは、人類への不信。そして、裏切りから生まれた落胆。

 それをほんの一瞬でも救ってくれた提督は、艦娘にとって、少なくとも私にとって十分な役目を果たしてくれた。私が守った人々のうち、提督のような方がいたのだと知れただけで満足さえ感じている。

 

 艦娘の指揮を。海を守ってほしい。

 自らの前言を覆すような不安の言葉を、提督は容易く呑み込んだ。

 

「行かなきゃだめだろう。腹も減ったし、な?」

 

 気丈に笑って見せた提督に、私の理性が音を立てて崩れた。

 長年の逃走生活にやせこけたのであろうお身体。くぼんだ目元に目立つ隈――血色の悪い唇の全てさえ、勇ましく見える。

 

 この御仁こそ――本物の軍人だ――!

 

「どこまでも、御伴します――提督――!」

 

 身体が勝手に敬礼の恰好をとる。

 すると、提督は困ったような顔で笑って、私を気遣うように茶化して見せた。

 

「そんなに腹が減ったのか? まあ、俺もだけどな」

 

 艦娘として目覚めた時よりも鮮烈に。

 人類を守らねばという妄信を超えて、強烈に。

 

 私は、この人と共にあろうと誓った。修羅へと続く暁の水平線を背に笑う彼を見て、深く、強く。


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