俺は今――危機に瀕している。
場所は呉鎮守府執務室から移り、現在は通信室。
艦これのアニメでしか見たことのない、何に使うかも分からない機械が所狭しと詰め込まれた一室にて、俺を柱島鎮守府の提督に任命した張本人である井之上元帥と、呉鎮守府の提督である山元、そして諸事情により山元に代わり一時的に呉鎮守府を運営する予定だった清水の三人で海図を囲んで睨んでいる状態だ。
その他には、川内があきつ丸と一緒になって手際よく機械を弄っている。
作戦遂行に清水は必要なのでいてもらわなければ困るが、それだけでは不安なので通りすがりに医務室で那珂といちゃついていた――ただ話してただけかもしれない――山元を捕まえて「仕事を見届けろ」と連れてきたのだ。俺がもしも変な事して責任を負うことになったら少しくらい庇ってくれるかもしれないという打算的な意味合いが強かったが、大丈夫だろ。な?
って、いや……なんだこれ。
なんだよこれェッ! 艦これェッ!
お、落ち着け、カームダウンねテートクゥ……俺の心の金剛がティータイムをすすめてくれるが、そんな余裕があるはずもなく。
俺はただ、サボりに来ただけのはずだった。
それで……えーと、それで、なんだ?(大混乱)
仕事ぶりを見たがる井之上さんがいる以上、仕事をしないという選択肢は消えてしまったわけで……俺は補給艦がいるというので艦娘達の住んでいる寮に顔を出して「出撃を頼みたい」とお願いし、後は清水に投げようと――してない。してないよ。ごめんなさいちょっとしてたかもしれない。
そうして、俺の緊張に強張った顔を見た呉鎮守府所属であるらしい――まあ寮にいたのだから所属なのは間違いないんだが――神威と速吸という、艦これ初級者、よくて中級者の俺にとってレアもレアな艦娘を動かす運びとなった。
断られたらどうしようという危惧もあったものの、それが杞憂であったことは僥倖とも呼べよう。やっぱり艦娘は優しい。
井之上さんが来る前に出撃させていたのも非常にプラスな行動だ。
補給艦の二隻のみを出撃させ、第一艦隊が切り開いた航路を進んでもらう。もちろん、万が一に備えて航空支援が出来るように柱島にいる第二艦隊は一番最後の出撃となる。
鎮守府からの航空支援だけではなく出撃までさせるという無茶はブラック企業さながらだが、無能な俺に免じて許してほしい。
それに、井之上さんは――見ず知らずの俺に艦娘を預けるほどに追い詰められていたのだ。世界が生んだ偶然か、俺は艦娘という存在を知っており、かつ、この世界の人間ではない。
それを知っていた井之上さんは俺と同じ名を持つ男に寄せた期待や希望を一瞬でも俺に寄せてくれていたというわけだ。
こうなれば――俺も黙っている訳にはいかない。
どれだけ怖かろうが、どれだけの目に遭おうが、艦娘を支え、井之上さんに報いねばならない。
艦娘を酷使するということに繋がってしまうのは全て俺の責任とし、全力を尽くすしかない。
「清水、これをどう見る」
海図の上には世界的ゲームとも呼べるテ〇リスの凸みたいな形をした赤色と青色のブロックが点々と置かれており、室内の中央に置かれたテーブルには海図のほか、山元が差し出した過去の出撃報告書などが散乱していた。妖精が海図の上を歩き、凸を見て唸っている。
井之上さんの重苦しい言葉を受けた清水は神妙な面持ちで直列に並んでいる青色の凸をゆっくりと動かし、その後、赤色の凸を先頭の青い凸を取り囲むように動かした。
妖精は清水を見上げた後、山元、そして俺を順に見て頷く。
「海原閣下の第一艦隊――島風の先行がここまでとは予想外でしたので……捜索に割かれる時間にもよりますが、長引けば……」
「……で、あろうな」
清水の言葉に井之上さんは浅く頷き、鋭い視線で俺を見た。
いや、すみませんほんと。でも違うんです。その作戦を考えたのは俺なんですけど、そうなんですけど、違うんです。大体は清水が悪いんです! 信じて下さぁいぃ! と、俺の心の阿武隈が叫ぶ。
本当に叫べたらどれだけ楽なことか。
俺の仕事ぶりを見たいと言った井之上さんがいる手前、下手な発言をすれば俺の首が飛ぶどころか清水や山元まで巻き込まれかねん。
今出来ることは情けない顔を晒さないように全力のポーカーフェイスを維持しつつ――
「問題無い」
――と、何の根拠もなく言い切るだけである。
いや、根拠が無いのは言い過ぎか。
清水が駆逐艦をたった二隻のみで派遣した理由など欠片ほども興味は無いが、俺が出来る事をするしかない。
那珂が泣いていた。潮も泣いていた。曙なんて「クソ提督!」と言ってくれもしない。そりゃ俺は呉の提督じゃないから言われたら言われたで困るんだけども。言って欲しい。
「先行させている島風との通信を確立し、救助対象を確保する。ただそれだけの仕事だ」
自分で言ってて既に情けなさが限界突破している。当たり前の事しか言えないんだもの。
そりゃ救助対象を確保するって仕事だから当然だろう、と言い返されたらどうしようかと心臓がバクバクと音を立てたが、幸いにも井之上さんは「ほう」と息を洩らしただけだった。もしかしたら溜息だったのかもしれない。ごめんね。
俺の発言を受けてか、あきつ丸と川内は機械群を次々に弄り倒し、必死になって通信を試みてくれた。
本当に出来た艦娘達である。俺はと言えば頭真っ白である。
「しかし海原閣下……島風のここまでの先行は前代未聞……ほ、本当にこの速度で先行していらっしゃるので……?」
不安そうな清水の声に重なる、山元の唸り声。
「うむ」
俺は生返事。
この速度で先行してるかどうかって、分からないよ。君らが動かしてるじゃんその凸をさあ。
それに全力の艦娘がどれくらいの速度なのかなど分からない。艦これでいうマップのマスとマスを移動するくらいの速度にしか見えない俺には、凸の動き方が不可思議には見えず。
一方で、島風には先に行って二人見つけておいてね! 見つけたら帰っておいで! くらいの感覚で伝えたつもりなのだが、海図を見るに明らかな先行であることは確かに否めない。凸の位置を見れば随分と後方、日本寄りに二艦隊。呉から一艦隊。
柱島にいるのは航空支援出来ればラッキー程度に考え、ゲーム同様、決戦支援艦隊なんてあったよなあという記憶をたよりに即時結成した第二艦隊が控えている。しかしながら、それがどのように作用するかも不明だ。海上警備に問題無く艦載機を使用できたと報告書にもあったから……という薄い根拠しかない。
どんな敵が出てくるかも分からないために水上艦を確実に落とせるようにと一航戦と五航戦を駆逐艦たちとともに編成したし、大淀を通し、鳳翔という正妻空母……じゃねえ軽空母に熟練した妖精を選定もさせた。
一航戦と五航戦がどれだけの実力を持っているか分からずとも、熟練した搭乗員がいればと考えたのだ。
艦これでは艦載機に《熟練度》というものがある。これが高いものと低いものとでは雲泥の差が出るのだ。
制空権を確保するのに通常の艦載機と熟練度が最大まで上がったものでは、数字で言えば二十二も変わる。きっと提督諸兄らならば「わかる」と頷くに違いない。
そしてその熟練度というものを上げるには艦載機を実戦に投入することが必要なのだが、その繋がりで鳳翔は非常に有用な艦娘だったのだ。
スロットに偏りが無く、優れたコストパフォーマンスで熟練度を満遍なく上げられる艦娘と言えば鳳翔が真っ先に挙がるほど。
実際には妖精が操縦するらしい艦載機。そこに搭乗する妖精をスーパー軽空母、またはお艦こと鳳翔が選んで間違えるはずがない。俺は艦娘を無条件に信用します。
先行させた第一艦隊も艦これで言えば普遍的な編成だ。様子見をしている暇は無いものの、敵に後れを取るわけにもいかない。少ない艦隊で出撃するよりも、資材消費を考えず出来る限り大勢で行けばという素人思考なのも否めないが。数は力とは歴史が証明してきたのも事実である。
この世界での常套手段や普遍的戦略なんてものは知らないため、知識や記憶が勢いよく叩き出したような艦隊が井之上さん達の目にどう映っているかも分からない。
分からないことだらけで嫌になる……助けて大淀……。
「少佐殿、補給部隊との通信が確立したであります」
あきつ丸の声に「よくやった。そのまま続けてくれ。連携を密にしろ」と返す。大淀がこの場にいないのが悔やまれる。いたら全力で頼るのに。自業自得なんですけどね。
「ここまでの大艦隊を即時編成し、たったの数十分で出撃させるなど……」
清水から零れた言葉に海図から顔を上げたのは俺だけじゃなく、山元や井之上さんもだった。
「南方海域への攻略も兼ねていらっしゃるのでしょうが、海原閣下と言えど朧と漣の救助を並行するのは、無茶であるとしか」
山元が一瞬だけ清水を見やると、清水はびくりと震えてすぐさま顔を伏せた。
おいやめてやれよぉ……確かに清水も悪いけどさぁ……お前だって那珂ちゃん泣かせたじゃん……。
那珂ちゃんだけに。
「無茶、か。仕事に無茶じゃない事があるのか?」
俺の言葉に山元と清水が口を閉じる。
話題を逸らして助けてあげよう。二人とも上司、というか階級的に俺が一番下っ端になるしな。社長……じゃねえや、井之上元帥もいるから喧嘩なんてしないだろうが、心証を悪くする必要は無い。
俺は柱島の皆なら大丈夫だろの精神で言葉を紡ぎ続けた。二人とも喧嘩はダメよ、と。
「人のみならず、物事というものは不条理なものだろう。それを様々な解釈を以て理解し、道理であると決めつけているに過ぎん。無理が通れば道理が引っ込むとは、我々にとって皮肉にも当てはまることではないか。それに私の部下はみなが思うより優秀だ。私が保証しよう」
残業代が出ないのは異常なこと。法律違反だというのに見つからなければ罪じゃないのだからと横行しているような現代だぞ? 連続勤務がどれだけ続こうが、指先一つで勤務時間が改ざんされるような世の中だぞ? 滅茶苦茶だが、それが現実だ。
部下が優秀であれば優秀であるほど、ブラックな企業は漆黒に染まるのだ……悲しいけど、現実なのよね……これ……。
俺も自然とブラックな職場を作り出してしまっているのが申し訳なさすぎるところである。
支えるつもりが艦娘を方々に出撃させて自分は鎮守府で座っているだけなのがいたたまれない。
いかん、現実が切なすぎて逃避しかけてしまった。
今は那珂や潮の涙に嘘をついてしまわないように仕事に専念せねば。
すっかり黙り込んだ山元と清水をそのままに、俺はあきつ丸に再び声をかける。
「大淀に繋いでくれ。時間との勝負だ」
「っは。既に繋がっているでありますよ。して、少佐殿――第一艦隊の方が騒がしいようですが」
「どうした」
えっえっ、まさかもう俺の作戦(と言っていいかどうか分からない)が破綻した?
流石に早過ぎない?
失礼、と一言置いて海図の上にある凸を妖精達によけてもらい、それを持ってあきつ丸のもとへ。
「先行する島風殿との通信が不安定のようであります。那智殿が指示を、と」
那智と言えば、出撃前にすっげえ怒られたな……そりゃ島風一人を先に行かせろっていうんだから当然っちゃ当然だが、ここで俺が妙な事を言えばまた怒られてしまうだろう。
何なら俺が喋っただけで「貴様ァッ!」と初対面だった頃の山元よろしく怒鳴ってくる可能性もある。
だが、指示をしないわけにもいかんしなぁ……。
「島風との通信を続けさせろ。航路の途中での問題は大淀に繋げ」
柱島鎮守府の黒幕――じゃなかった――ブレインたる大淀に任せれば大概の事は何とかなる。俺は学んだんだ。
あきつ丸は短く返事をすると、また機械にかかりっきりとなる。
というかその並んでる機械ってなんなの?
「海原」
「はっ」
井之上さんに声を掛けられ驚いた俺は「はい」と言い切れず変な返事をしてしまう。
それを気にするでもなく、井之上さんはしかめっ面ながらも口元だけ歪ませた恐ろしい顔で俺を見つめて言った。
「ここを一時的に大本営にしようと、そういうわけか」
「……はっ?」
どういうこと……?
俺の疑問符に答えてくれるわけもなく、井之上さんは「こいつめ」と溜息を吐き出して用意されていたパイプ椅子の一つに腰をどっかりと落とした。
「山元がワシの移送で戻るというのに喜んでおったのは、これが目的だったか」
「……」
ちょ、っと話が見えてこないですね……。
「井之上元帥、それは、どういう事でしょう」
清水がおずおずと問えば、山元は先に合点がいったように「まさか」と俺を見る。こっち見るんじゃねえ。どう言う事か説明しろ!
「空母も戦艦も引っ張り出して南方へ艦隊派遣など、大規模作戦そのものじゃろうが……一つの鎮守府で艦隊を動かすならまだしも、呉と柱島――近しいとは言え二つの拠点からとあらば必然的にワシの許可が必要になる」
「で、では、海原閣下は……まさか……」
井之上さんの言葉に清水は青ざめた顔を俺に向けてきた。
もう少し詳しく教えてくれるっぽい? まもる、難しいお話分からないっぽい……。
「私には分かりかねる」
正直に言うと、井之上さんは「っくく」と笑いながら言う。
「ワシさえも利用してやろうと、そういう事か……海原」
「いえ、そのような事は。私には井之上元帥が何を仰っているのか分からないのですが……」
俺がただの社畜だと分かっている井之上さんの真意が分からず胸中で呻いていたが、逡巡しているうちにはっとした。
お前は責任者であるワシがいるから無茶してもまぁ大丈夫だろ、とそういう……?
井之上さん……なんて……あなたはなんて……!
「そうしてくださるのであれば、私としては安心して指揮を執れます」
天才かよぉ! 確認の意味を込めて申し訳なさげに笑いかけると、井之上さんは目を見開いていた。お前マジかよみたいな意味かもしれなかったが、清水を抜いて俺の正体を知っている人ばかりなのだから体裁を保つ必要も無い。
清水にさえバレなきゃいいんでしょ? へーきへーき!
ともあれ、呉鎮守府の二隻を救助したいという気持ちに一切の嘘は無い。
俺にあるのは艦これの知識であって戦争の知識じゃない。
ここは大先輩である井之上さん達、そしてあきつ丸達、柱島や呉、皆の力が必要なのだ。
仲間を救うのに仲間を頼る。怒られる事があれば全部俺が被る。完璧な布陣である。
土下座? 余裕!
謝罪? バッチ来いよ!
艦娘が笑顔なら世界は平和なんだ! 艦娘が笑ってりゃ提督は幸せなんだい!
艦娘の損失は世界の損失と言うじゃないか! 言うよね?
暴走しかける自分を落ち着けるように咳払いを一つして、俺は井之上さんを見下ろさないようにと静かに椅子に座り、海図を握りしめたまま正面から言う。
「私に出来る事は多くありません。ですが、使えるものは使わせていただきたいのです。我々を救わんと奔走する艦娘を救うのに、我々が無理をせずして顔向けできましょうか」
この気持ちも、本当だ。
人々の為に海を駆ける彼女達のために、提督は存在しているのだから。
「――じっとこらえてゆくことが、男の修行、か」
井之上さんはぽつりと何かを呟く。
聞き取れず、聞き返そうとした俺よりも先に言葉が続いた。
「海原よ。ここを大本営とするならば、お前はどうする。柱島を前線として呉から兵站を伸ばすまでは分かるが、島風を突貫させる意味はどこにある」
「それにつきましては……いくつも理由がありますが……あー……」
島風を先に行かせた理由など、速いから、以外にない。
それを言ってしまえばどうなることか。だが、ここで嘘をつくほど俺も馬鹿じゃない。そのまま言っても馬鹿なのは承知の上だ。
意味を成さない威厳スイッチ全開で、艦これ知識をフルに使ってまともな事が言えたらいいのだが、通用しそうもない。
「……島風は、速いのです」
「は、はぁ?」
「艦艇の頃より高速を誇っていた島風ですが、艦娘である今、彼女の速さは目を見張るものがあります。タービンを改良し、新型の高温高圧缶を載せるよう柱島鎮守府に所属している工作艦に要請し、それを実行しました」
「海原、お前は艦娘の事をどれだけ知っているというんじゃ。それに兵装の開発など……」
「知っております。全員と話をしたわけではありませんが、私は――彼女達を見ておりました」
これも嘘じゃない。
俺は彼女達を知っている。俺がいた世界では、数万、いや数十万という提督が、彼女達を見ていた。深海棲艦に勝つために、あらゆる兵装を開発し、時に涙し、時に腹をたて、時に不満をもらしながら戦った。
俺は確かに彼女達と――戦っていたんだ。
「一辺倒な知識ではありますが、今は違います」
ネットで得た知識ばかりの俺だが、今は彼女達と意思疎通が出来る。
怒られてばかりだけどね……。
「彼女達と話が出来ます。彼女達と飯を食えます」
「……」
クリック一つじゃなく、今は声を掛けてやれる。
「彼女達に、帰ってこいと言えます。故に、先行させました」
俺の考えは言葉の通りだ。島風が危ないと判断すれば、敵前逃亡になろうが帰ってこいと言える。そうならないために支援できる艦隊も用意したし、清水の案を採用し途中補給できるようにと過剰とも言える戦力を投入した。《艦隊これくしょん》じゃ有り得ない。
二隻を迎えに行って、深海棲艦がいれば倒して戻る、ただそれだけだ。
「――少佐殿、島風殿と通信が繋がりそうであります!」
井之上さんが何かを言う前に、あきつ丸の歓喜したような大声が通信室に響いた。
「よくやった。島風に繋げてくれ」
無理な仕事任せてごめんね、と一言くらい謝らねばという考えが浮かんで、より一層情けない顔をしそうになるが、これも威厳スイッチで誤魔化し、あきつ丸を宥めるように声を掛ける。
「あきつ丸、出来る限り落ち着いて声をかけるのだ。戦場に立っている島風を安心させてやってくれ」
安心させるのは本来提督の仕事では? という問いは無しでお願いしたいところである。
そもそも俺が井之上さん達の前で落ち着けてないからあきつ丸に任せたいわけではない。
違うからな。
* * *
「……やっと繋がったであります。島風殿、状況は?」
暫く自分を落ち着けるようにして片耳に手を当てて通信を聴いているような恰好で静止していたあきつ丸が口を開いた。
椅子から立ち上がり、機械を弄り続けていたあきつ丸と川内に歩み寄る。
あきつ丸が多数の機械のうち一つのボリュームのつまみのようなものに指をかけて俺を見たため、なんとなしに頷いた瞬間、通信室に様々な音が一斉に響いた。
「っ!?」
両足が竦む。その場から動けない情けなさマックスの俺。
山元と清水の驚いたような声と、井之上さんが動いたのか、がたん、という椅子の音が続けざまに聞こえた。
『こちら第一艦隊扶桑! 島風より通信が……二隻を確保! 繰り返す! 島風が二隻を確保! 現在、残燃料の限り撤退させています! 第二艦隊の航空支援も間に合いました! これより、後続の補給艦隊に二隻を引き渡し、戦闘海域へ突入する前に補給を――!』
「ふむ」と安心してへたり込みそうになるのを堪えつつポーカーフェイスで言う俺。
島風のみならず、他の艦娘達との通信も繋がっているようだった。
「なんと……!」と目を見開く清水と山元。
「ほぅ……!」と言いながら力を込めて握った拳を嬉しそうに机に叩き下ろす井之上さん。怖い。
俺は轟音により真っ白になった頭のまま、必死に思考した。
もっと冷静に状況を見て指示を飛ばさなければならないというのは百も承知。だが俺に出来ることは責任を取ることだけ。悲しい。
「少佐殿、ご指示を」
あきつ丸と川内、四つの目が俺を見る。
しかし、逃げろ、以外の指示が思い浮かばない。なんて、格好悪い……。
「航空支援もほどほどにして二隻の撤退を最優先させろ。撃滅は可能であればの話だが、撤退の時間を考えれば道中の敵を蹴散らせただけでも十分だ」
既に時刻は夕方から夜へと移り変わるところである。
夜になってしまえば完全に空母は戦力外となってしまうため、このギリギリの時間で一撃でも与えられたらそれでいい。
「っは」
俺の頭には自然と南方海域のマップが浮かんでおり、どうしてか、空襲マスがあったな、という記憶が離れないのであった。それゆえの航空支援艦隊だ。
あきつ丸の短い返事のあと、艦娘達がとる複雑かつ奇妙な通信はどんな理屈で繋がっているのだろうと考えながら、片手に握りしめたままくしゃくしゃになってしまった海図を広げて呻く俺。
「二隻を即時撤退させた、か……流石島風、判断も、といったところだな」
現実でそれが起こるかどうかはさておき、制空権を奪われるのだけは避けたい、という提督的本能がそうさせたと言えばいいだろうか。
どんどんとゲームをしていた頃の思考が俺を包み、冷静になっていく。
『あのっ、多数の深海棲艦に、囲まれて……先に二人に逃げてもらって、私が、時間を稼ぐから……それで……』
俺の中に蓄積された知識は決して俺一人のものじゃない。
何十万という提督が積み重ねてきた、結晶そのもの。ここで冷静さを欠いて指示を出そうものならば、俺は井之上さん達のみならず、世の提督全てから笑われてしまう。
ある一つの機械のスピーカーから洩れた島風の声に、俺はあきつ丸を見る。
すると、あきつ丸は機械類に埋もれるようにしておかれていたマイク付きヘッドフォンのようなものを俺にさっと手渡した。それを迷いなく装着し、俺は――
「……――ふむ」
もしもし、の代わりとでも言わんと零れる言葉。威厳スイッチが切れる気配は無い。
『っ……て、提督!?』
はい、あなたの提督、海原鎮でございます。
「二隻の確保がここまで早いとは、恐れ入った。島風、深海棲艦に囲まれていると言ったな」
率直に問えば、島風は切羽詰まった声で返事する。
戦場に立っていないために現実感が薄いものの、俺にとって現実など島風の声一つで理解するに足るものだった。
自分で出した指示であるが、幼さの残る彼女が文字通り必死になって二隻を救った事実は揺ぎ無い。それ以上に敵を倒せなどと、俺はとてもじゃないが指示出来なかった。
火力を捨てて速力に特化させた島風を戦場に置くなど愚の骨頂。導かれる答えは一つ。
「そうか……ならば……――そのまま逃げ続けろ。お前の速さならば攻撃も回避出来るだろう」
『え……ぁ……どう、して……』
どうしてもこうしても。お前が傷つかないためにだよと喉まで出かかったが、なんとか言葉を変換して返す。
「燃料の残りに気をつけろ。第一艦隊が到着したら周辺を一掃し、補給をしてから改めて作戦の継続を判断する。第二艦隊の航空部隊の方がそちらに到着するのが早いかもしれん。何か質問はあるか」
艦娘の性質として《戦いたい》という意志があるのかもしれない。
海を平和にしようとしているのだから納得できる性質でもあるが、それは彼女達が生還する事が大前提だ。火力の無い島風が敵をどうして撃滅できようか。それ無理ゲーだよ。攻撃出来ないんだから。
『ここで、沈んじゃうかもしれないのに! 逃げろなんて! 何で……!』
そしてどうして柱島の艦娘はこうも沈みたがるのか……。沈ませるわけねえだろ! 俺の艦娘なのに!
「沈めないために艦隊を組み、お前を選んだのだ」
『分かんない……分かんないよそんなのっ……!』
分かってよぉ……頼むよぉ……。
仕事に疲れてぶっ倒れそうな俺を無理矢理連れ出して『提督! かけっこしようよー!』とか言ってほしいんだよぉ……。
ヘッドフォンから続々と入りこむ音声は非常にやかましく、誰が何をしているかさえ分からない。
「問題無い。お前はただ――速く走れ」
ちょっとだけ俺の欲望というか願望が出てしまったが、これでいい。沈まないためにはどうすればいいか? 簡単だ、逃げればいい。
速力特化の島風の回避率は数字にせずとも理解出来る。だって速いもん!
『なんで……なんで……なんで……っ! 私は、フィリピンで沈んだんだ……そしてまた、あのくらい、さむいばしょに――!』
ぶつぶつと呟く島風の声に、うん? と海図を見る。
俺の行動を察してか、妖精が一人がふわふわと飛んできて海図のある場所を示した。
先程まで凸が置かれていた場所よりも下方、南方海域にほど近い位置を示す妖精に、俺は首を傾げてしまう。
「フィリピンはもう過ぎただろう? お前は今、その先にいる」
頼むぞ島風。お前がしっかりしなきゃ俺はどうにもしてやれん。
好きなだけかけっこしてもいいからとにかく生きて帰れ……頼む……。
「障害物も無い海洋だ。お前の速さを存分に発揮できる。島風――走れ」
俺の想いが通じたか、一拍おいて島風の声が鼓膜を揺らした。
『うん……任せて! スピードなら誰にも負けません! 速きこと、島風の如し、です!』
……やっぱり走るの好きなんだなあ。
場違いにほっこりする俺だったが、島風が走り出したのかノイズで声が消えたと思った矢先に、別の声が俺の意識を叩き揺らした。
『接敵! 空母一隻……重巡と軽巡一隻、駆逐三隻です! 砲撃戦を開始します!』
扶桑の声に交じり、山城や那智の怒号が聞こえはじめる。
現実であるというのに、その実感が薄いような、それでも現実であるという恐怖が実感を濃くするような、得も言われぬ恐ろしい感覚がまとわりつく。
時間にしてたった数十秒という短い間。砲撃音であろう轟音、怒号が通信室に響き続ける。
そのうちから、柱島にいるであろう大淀が第二艦隊として控えていた空母たちに向かって発艦を促す声が交じりだす。
『こちら大淀! 二隻の撤退を最優先に、第二艦隊は戦闘行動半径より突出しないよう注意を――』
『こちら赤城。了解です。ただ一つ、気になることが……』
『気になる事ですか?』
『えぇ……制空権も確保し、道中の深海棲艦も第一艦隊が確実に撃滅しているのですが……晴れないんです』
赤城の声に、あきつ丸と川内がそろそろとした動きで振り返り俺を見る。
その視線を受けて「どうした」と問うも、二人は口ごもったまま言葉を紡がないでちらちらと井之上さんや山元達を見ていた。
『晴れない……ですか……? そんな、まさか……』
大淀の不安そうな声に、川内が噛みしめた歯の隙間から漏らすように言った。
「……結界だ」
不定期更新ながら、読んでくださる方々がいて嬉しい限りです……!
誤字報告などもありがとうございます。まもるが土下座してお礼します。