柱島泊地備忘録   作:まちた

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五十話 撃【艦娘side・扶桑】

 海原鎮――柱島という墓場に捨てられた私達の前に現れた、あらゆる艦娘を沈めたとされる男。

 異動前に調べたところによれば、陛下の膝元である――今は総理といったか――軍令部の将官であったという。

 

 深海棲艦との長きに渡る戦争を指揮し、時には敵生息地として陥落したとさえ言われた難攻の海域をも智謀を以て攻略せし恐ろしい軍人。

 しかして実態は、将官達が無理であると首を横に振るような作戦を強行する男であったというのが、艦娘の間では通説だった。

 将官を脅し、すかし、弱みを握っては艦娘を方々へ送り込んで無茶をする……そうして沈められてしまった艦娘の数は知れず、かの墓場、柱島鎮守府を設立したのも彼であるという噂もある。

 

 捨て艦と呼ばれる特攻作戦の先陣を切った鎮守府である、と言われているが、実はそうでは無い。そもそも、柱島泊地とは呉鎮守府を守る要であり、警戒網の一部であるというだけの認識だった。

 軍令部の指示によって鎮守府が置かれたのだ。捨て艦作戦のためだけに。

 

 捨て艦作戦で使われた鎮守府があそこまで綺麗なはずがない。それは何故か?

 簡単だ。使われなかったからだ。

 

 艦娘は波頭の先に見える柱島の港へ逃げたかったことだろう。そこに逃げ込めば目覚めた命を無駄に捨てるような愚かしい行為に猶予が出来る。一日、ないし、数時間は生きていることを実感できる。

 実態は、一瞬たりとて止まる事を許さぬ死への突貫。柱島鎮守府は、あのレンガの建物は幾人もの艦娘を見送ってきたに違いない。

 

 それが分かった頃から、実際に海原鎮という男の声を、想いを耳にしてから、私の中で何かが変わった。

 

 講堂で話した彼が、夜に想いを通信に紡いだ彼が、そんな事をするのだろうか?

 

「……反応無しだな。このまま進むぞ」

 

 那智の声に艦隊の列がゆらりと進路へ傾く。

 提督の言いつけ通り、ついてきた妖精の持つ羅針盤の示す方向通りに右へ左へと進んでいく私達は、ソロモン諸島でいくつもの驚愕を味わった。

 

 まず――接敵。最初にして最大の驚愕は、間違いなくこれだ。

 接敵自体が驚くことでは無い。戦時下である今、海に出て深海棲艦に遭遇しない確率など良くて五分、悪くてもっと高いと言ってもよいだろう。

 問題は、その接敵が殆ど無いことだ。

 

 ソロモン諸島。通称、南方海域と呼ばれるこの場所は海軍から言わせれば敵の生息地であるはず。それは欠陥戦艦だのと小馬鹿にされる使い走りさえさせられない末端の私ですら知っている事実だが、この諸島の海域を堂々と航行しているにもかかわらず、提督から正式に作戦発令されてからの戦闘はたったの三回。

 

 二つ目は、その接敵について――全ての敵艦隊がこちらへ突っ込んでくる形での丁字有利。私達は驚きこそすれ、一斉に砲を向けて迎撃して相手に壊滅的打撃を与えられた。敵からしたらたまったものでは無かっただろう。通信を続け居場所を知らせている的のような私達を襲撃せんとやってきたというのに、まさに迎撃という形で先制砲撃をなす術もなく食らうのだから。

 

 そして三つ目――夕立や島風による追い込み戦法。

 私や山城、重巡の那智という火力に重点を置く艦娘のもとへ駆逐艦二隻の自由航行によって追い立てられる深海棲艦は、これまた、那智の正確無比な砲撃によって轟沈させられる。欠陥たる私や山城の副砲は射程こそ長いが正確さは無い。故に私達の砲撃はブラフ。どの砲弾が危険か、など深海棲艦が考えて判断しているかなんて分からないが、一斉に飛んで来たら動けなくなってしまうことなど、考えるまでもない。

 戦艦と重巡の一斉射撃。敵じゃなく、戦艦の私とてそんなものを食らえばひとたまりもないのだ。

 討ち漏らしも一切ない。一度だけ砲弾の雨を運よく切り抜けた深海棲艦がいたものの、神通によってあっけなく沈められていた。第二艦隊の航空支援も威力を遺憾なく発揮し、快進撃を続けていた。

 

 抜け目がないとしか形容出来ない。

 仔細を伝えずとも自然とそのような形をとって戦闘を行ってしまう。まさに艦隊、艦娘を知り尽くしている者にしか成し得ない離れ業の作戦。

 

 同じような戦闘が三度続いた。戦闘意欲の高いであろう那智はこれに気をよくして提督の命令に大人しく従い、初めこそ意味が分からないと怒鳴っていた羅針盤と妖精の示す道なき道を突き進んでいる。その先に勝利があると確信しているように。

 

「お姉様、お身体は大丈夫ですか?」

 

「えぇ、大丈夫よ。山城は――?」

 

「問題ありません。お姉様が無事なら」

 

「……そう」

 

 那智の後ろについて船速を調整しながら進む私の背にかかる声。

 

 山城は私を心配し過ぎるきらいがある。欠陥戦艦と言われ始めたのが私からだった故か、それとも、戦艦の姉妹であるが故か。あるいは、その両方かもしれない。

 同じ時に目覚め、同じ鎮守府へ配属され、同じ境遇からの理不尽な罵倒……ふと思い出すだけでも両手では足りないほどの痛苦にまみれた記憶には、いつも山城がいた。

 

 私が初めて欠陥だと言われたのは、軍令部から私を捨て艦作戦の中核に起用するか否かという話が出ている頃だったか。もっと昔からだったかもしれない。

 欠陥と呼ばれることに甘んじようと思ったのは、捨て艦作戦でも人の役に立って命を守れるのならばと形だけの演習に参加した時のことだった。

 

 演習用の砲弾を撃ち出した私は、その場で大きく揺れ、横転したのだ。

 

 一度ならず、何度も。

 その上、砲弾は的を大きくはずれ、結果は散々だった。

 

 まさに、欠陥戦艦。

 

 私の身体と、艤装のバランスの悪さから生まれる不安定な砲撃は的にさえ当たらないのだから、役に立つか立たないか以前の問題である。

 さらには同じことが山城にも起きた。姉妹艦である私達の構造は基本的に似ている。妹分の山城は多少の改良が加えられた過去を持っているからか、私のように大袈裟な横転はなかったが、副砲を連続で撃てばそれだけ横転の数は多くなった。

 

 ……そんな私達を起用して難攻不落の海域を突破し、運命を変えろなどという提督が少し怖くもある。本当に、大丈夫なのだろうか。

 

 いつしか、山城が口にした、不幸という言葉。

 

 いつのまにか私にもそれがうつり、二人揃っては全てを不幸だと呟くようになった。

 

 空はあんなに青いのに。

 雲はあんなに遠いのに。

 今日も風は気持ちよいのに。

 明日もきっと来るだろうに。

 

 私達は、不幸だ、と。

 

「扶桑さん。顔色が優れないようですが……」

 

 ふと、山城より後ろに控えていた神通から声がかかる。

 私は振り向かずに「大丈夫よ」とだけ伝えて前を見た。振り返ったところで、本当に顔色が悪いとバレては具合が悪い。

 

 理由は明白だった。

 

 私は、この作戦で一切の活躍をしていない。敵に砲撃を与えられてもいなければ、那智の砲撃を彩りさえもしていない。ただ、その場の空気に合わせて派手に音を立てているだけの欠陥品だ。

 

 なんて、情けない。

 

「――敵反応ありだ!」

 

 那智の声にハッとして視線を上げる。

 

「なッ……こんな数を相手にしろと言うのか……!?」

 

 続く声に、絶望する。

 

「接敵! 接敵! 夕立、島風、遊撃に回れ! 決して攻撃をもらうな!」

 

「ぽい!」

「おぅっ!」

 

「朧と漣は対空射撃! お前達も決して攻撃をもらうんじゃないぞ!」

 

「「はいっ」」

 

 那智の勇ましい声とは裏腹に、海域全体が瘴気に覆われるような感覚が艦隊を襲った。空は相も変わらず暗いまま、赤いまま。それらがより一層濃くなる。

 

「う、そ……こんな数……勝てるの……!?」

 

「山城さん、那智さんの後ろについてください! ……神通、いきます!」

 

 戦闘の始まりは、いつも突然だ。先程の戦闘だってそうだった。

 だが、今回は違う。今までは敵側は全て六隻編成。対してこちらは呉鎮守府の駆逐艦を二隻率いた八隻編成。後方には第二艦隊の航空支援もある。数の有利、位置の有利を持っていた。それが、どうして――

 

「――こちら第一艦隊! 聞こえるか! 接敵した……比べ物にならんぞこれは……。間違いなく本隊だ!」

 

『ザザッ……こちらあきつ丸。報告を』

 

「場所は提督の読み通り、ソロモン諸島P地点! 目視で輸送ワ級、それに駆逐ロ級の後期型が多数……少なくとも十隻はくだらん! 補給しながら諸島を周っていたのかもしれん……輸送も三隻。重巡ネ級と戦艦ル級が二隻ずつ! 軽空母もだ!」

 

『これはこれは……大歓迎でありますな……人型深海棲艦もお出ましとは……!』

 

「島風を追い回していた敵機はこの本隊の一部だったのかもしれん! このまま戦闘に突入するぞ!」

 

『本営、了解であります』

 

 通信に紛れるノイズの後、那智の雷鳴のような声が響き渡る。

 

「敵は右舷だ! しっかり狙えッ! 砲撃戦、用意!!」

 

「お姉様、那智さんの支援を!」

 

「え、えぇ、そうね……!」

 

 島風が機関をうならせ、波間を切り裂いて飛び出していく背中が見えた。

 夕立がその背に追いすがりながら、鋭く咆える。

 二隻の後ろには漣と朧が小さな単装砲を手にロ級達が近づきすぎないようにと牽制砲撃を行っているのが目に映った。器用に機銃さえ操作し、赤い点線が空へ続く。

 

 私の背に流れる汗が、とても冷たい。

 

 顔にかかる海水の匂いが、硝煙にかき消される。

 

「航空機の支援はM地点の警護にも回されている、あまり期待し過ぎるな!」

 

 あぁ、そうだ。あの島には女性がいたな、と那智の声にぼんやり思い出す。

 戦闘から意識を逃がすかのように考えれば、敵艦隊の砲撃の音が耳の中で鈍る気がした。

 

「朧が守り抜きます!」

 

「朧も、でしょ! さぁ、逃げられないよ! 漣はしつこいからっ!!」

 

 呉鎮守府の二隻が猛る。本来ならば救助対象だった小さな駆逐艦でもあんなに気張っているというのに、私は何をしているのだろうか。

 那智の横について副砲を放ちながら、ただ視界に多くの敵艦をとらえる。これだけの数がいても当たらない。どれだけ撃てど、当たらない。

 

 悲しいが、欠陥と呼ばれる所以は、どうしても私を離してくれない。

 

「山城、大丈夫? 砲戦よ」

 

「はい! お姉様!」

 

 心配されっぱなしの私の癖が出る。

 支援に手を掛けたのは山城が最初だったというのに、姉の体裁でも守りたいのか、こうして私は山城を心配するような言葉を口にすることで欠陥であることから目を背けようとするのだ。

 

 山城は優しい。私のこうした言葉を聞いて返事をしてくれる。いいや、何を言っても、彼女は私を受け入れ、不幸にすら甘んじてくれる。

 

 苦しい。

 

「扶桑! 何をしている、列を乱すな! 攻撃をもらいたいのかっ」

 

「ご、ごめんなさいっ」

 

 那智の声に慌てて態勢を整え、副砲を撃ち続ける。

 旗艦であるというのに、何をやっているんだ私は。

 

「夾叉だ! 波にのまれるなよ!」

 

「はいっ! 那智さん、左舷、もう一隻!」

 

「了解だ、山城、援護を頼む!」

 

 刻一刻と戦況は変化する。那智の砲撃は一分一厘とてぶれる事無く私達を囲む駆逐級の敵艦に降り注ぎ、朧や漣は直上に襲い来る敵機を近寄らせず、夕立と島風の遊撃も重巡や戦艦を的にさせんと高速航行を見せた。

 戦場の様相としては、数の不利はあっても優勢と言ってもいいだろう。

 

 私さえいなければ。

 

「――扶……――扶桑……――いっ……扶桑っ……聞いてい……!」

 

 私の副砲から立ち上がる煙が視界を遮った。同じくして、轟音が鼓膜を揺らし、周囲の音が歪む。

 

「――……桑――避……――……っ」

 

 この煙が晴れたら、もう一度砲撃を――

 

「――扶桑! 回避行動を取れぇぇぇッ!」

 

「えっ……ぁ」

 

 きゅん、という音が耳元で聞こえた。

 次の瞬間には、背後で水柱が高く上がり、衝撃で巻き起こった波が私を前へと押し出した。

 

「きゃぁぁっ!?」

 

「お姉様!」

「扶桑!」

 

 どしゃりと海水が私の目や鼻、口に入りこむ。前後不覚になりながら顔を起こそうと首を持ち上げるも、見えるのは真っ黒な水面ばかり。

 身体を捻って何とか顔を上げたが、艤装の重さに起き上がれない。

 

「ぐ、ぅっ……!」

 

「くそっ! 山城、扶桑の援護をしろ、私が前に出て時間を稼ぐ!」

 

「はい! お姉様、立てますか……!」

 

「ごめん、なさい……ごめんなさい……私……!」

 

 欠陥。

 

「損傷は……なさそうですね……どうぞ、お手を! 立て直しましょう!」

 

「……えぇ」

 

 欠陥だ、お前は。

 

「副砲、再装填! お姉様、ここは山城が時間を稼ぎます。態勢が整えば那智さんに続きましょう!」

 

「そう……ね……っ」

 

 人々に言われた声がリフレインする。

 頭の中をかき回すように跳ねる幻聴を振り払うように大きく首を振って、ぐっと身体を持ち上げた、その時だった。

 

「逃したっ……山城! 回避を!」

 

「えっ、あ!? お姉様! 早くこちらへ!」

 

 山城の元へ伸びる影が見えた。魚雷だ。

 まずい、と思った私の身体が再び倒れ込む。頭をもたげる魚雷がちょこんと海面に見えた時、私を掠めた砲弾が起こした波よりも強い衝撃が全身を走った。

 

「お姉様ぁぁぁあ!!」

 

「扶桑ぉおおお!!」

 

 右舷損傷。中破……いや、ギリギリ小破でとどまった。

 艤装が使えなくなるほどの損傷では無かったが、私の精神を大きく削り取るには十分な攻撃、と言えよう。

 

 過去をなぞっているかのような戦いだ。

 

「ぁ、がっ……!」

 

 痛みが精神を蝕む。

 苦しい。怖い。

 

 ただでさえ艦娘となって実戦の経験など殆ど無い私だ。演習の的にばかりされていた時は、演習用の砲弾にくわえて、同じ艦娘からの攻撃なのだからと手心だって加えられている。痛みなんて殆ど無かった。

 

 それがここに来て、深海棲艦の攻撃はどうだ。

 

 怨恨が込められているかのような攻撃はどれをとっても命を狩らんとした凶悪なものばかり。その上、おぞましい声が海域に響き渡り、陽の光さえも私達を見届けることは無い。

 

「通信! 通信! こちら第一艦隊! あきつ丸! 応答しろ!」

 

『――如何した!』

 

「扶桑が右舷からの敵魚雷により小破! 立て直しが難しいかもしれん! こちらは八隻だ……戦艦が抜けるのは痛いが、航行には問題ないだろう。一度下げるぞ!」

 

『戦艦が先に小破とは……!』

 

 通信はこういう時、嫌だな、と思う。鼓膜を揺らす目の前で起こる音は鈍るのに、通信は直接頭に響くのだから、はっきりと聞こえてしまうのだ。

 

 先に小破とは……と、あきつ丸から洩れた言葉が、私が欠陥である何よりの証左。

 戦艦としては、防御も、速力も劣る。強く勇ましい他の戦艦達と私は違う。

 

『ザッ……ザザッ……どうした』

 

『あっ、いえ、あ、その……! 魚雷により、第一艦隊旗艦、戦艦扶桑が小破。航行に問題無しとの事ですが、那智殿の判断により一度下げる、と』

 

『なに?』

 

 提督の声が聞こえた。

 

 ごめんなさい、提督。私はやはり、お役に立てそうにありません。

 

『扶桑が小破したか……で、那智がそう判断したと』

 

『は、はっ……!』

 

『分かった。戦線維持に問題は』

 

『八隻の編成ですので、維持に問題無いとのことであります。第二艦隊の航空支援も含めての判断であるかと』

 

『そうか』

 

 戦闘は続く。轟音も消えない。硝煙もけぶったまま、空も暗いまま。

 

『しかし……その、小破なのだろう?』

 

『そうで、ありますが……』

 

 提督の不思議そうな声。あなたも、やはり戦艦ならば何故そんな所で損傷など受けるのか、とお思いなのでしょうか。

 

『やはり過去とは違うな』

 

 声が響く。頭の中だけであるというのに、それはまるでうなばらへと響いているかのようだった。

 

『しょ、少佐殿、何を悠長に……』

 

『あきつ丸は知らんのか? 扶桑と言えば、陸奥の爆沈を傍で見ていた船だろう』

 

 つらつらと、ただ、つらつらと。

 

『彼女はあらゆる苦しみを知る戦艦だ。南方進出は陸奥の爆沈を秘匿するための出撃だったのではないかとも言われている。そのまま遠方へ置いていかれた、とな。長門との出撃もそうだが、扶桑はかつて南雲機動部隊と出撃しミッドウェー海戦にも参加していた戦艦でもある』

 

『……』

 

『今はどうだ? 陸奥は沈んでいない。長門は鎮守府にいるし、扶桑はこの作戦が終わったらみなを連れて戻って来る。未来は、違うのだ』

 

『少佐殿……』

 

 提督の声に、胸がじわりと疼く。

 帰りたいという熱がある。欠陥と呼ばれたくないという意思がある。

 

『それにな……欠陥戦艦などと呼ばれているらしいが、私はその理由を知っている』

 

『無茶な増築を繰り返した結果、扶桑は損傷が起きやすい。実際に沈む沈まないは別なのだ。それが何故か分かるか? あいつの火力の高さ故だ』

 

『火力の、高さ……?』

 

 戦闘を続けるみなには聞こえていないのだろうか。那智も、島風も夕立も、山城でさえ叫び続けながら、敵艦と睨み合っている。

 ただその中心でぽつりと膝をつく私だけが、提督の声を聞いているかのようだった。

 

『そうだ。東方、日の出づる大樹……私はそれを、勝利への名づけとは別に……大空を突き抜ける程の火力を現しているのであろうと考えている。あの美しい艦橋は、日を見るにはさぞや便利だったろう。扶桑の持つ火力を見届けるのにもな』

 

 帰りたい。

 

 その思いがじわりと広がる。

 恐怖からか、他の戦艦への羨望からか、自らへの諦めからか。

 

『長門型の装甲、伊勢、日向の航空技術、金剛型の高速機動、どれも素晴らしいものだ。我が日本の象徴とも言って良い、戦艦の代表、大和や武蔵もそうだが……』

 

 提督は、きっと私などに話しかけているのではないだろう。

 大本営と化した呉鎮守府で、他の佐官やあきつ丸と話しているだけ。

 しかし、それでも、その声は私に間違いなく届いていた。

 

『日本の威信をかけて生まれた扶桑が欠陥であるはずがなかろう。彼女は日本の誇りだ。その期待は大和型の戦艦を生んだ時と同等、いや、それ以上のものがあったはずだ。誰よりも、何よりも強く、決して敗北しないためにと生み出された扶桑の火力はな……――』

 

 途中から、私は無意識に立ち上がり、重たい艤装をぎしぎしと鳴らして動き始めていた。

 既に多くの駆逐艦や艦載機は墜ちており、奮戦が窺えたが、敵の戦艦や重巡は健在。

 

 人型の深海棲艦は知能も、その武装から生まれる火力も桁違いだ。

 下手に近寄ってはこちらが手痛いなどでは済まない被害を被るだろう。

 それらを警戒して、遊撃していた夕立達も上手く距離を取りながら周りから殲滅を図っている。那智も同調し、確実に主力を残しつつ数を減らさんと駆逐や軽空母を狙っていた。

 

 一撃を加えるのは、戦艦の役目。

 

 私が動いたことで、山城が息を吹き返したように戦線復帰し、砲撃を始める。

 

「お姉様! こちらは私が――!」

 

「……いいの、山城」

 

「お姉様……何を……!」

 

 私が海を往けば、無茶な増築を繰り返された艦橋が揺れたため、ゆらり、ゆらり、そう揶揄された。

 妹の山城も、同じように揶揄されたことだろう。私が情けないばかりに。

 

 姉としての、戦艦としての誇りを取り戻すには……どうすればいい。

 

 帰るには――

 

「私が、出るわ」

 

 ――あの鎮守府に帰るには、どうすればいい。

 

 那智から「扶桑! 無理をするな、残存している敵も多くは無い、あとは戦艦と重巡を確実に包囲して――」と何やら声が上がっていたが、ゆるゆると首を横に振ってみせる。

 

「お、ねぇ……さま……?」

 

「第一艦隊旗艦として、命令します。各員、私の後ろへ」

 

「何を馬鹿な事をッ……!? 盾にでもなるつもりか!」

 

 盾? そう言えば、柱島は盾、と呼ばれているのだったか。

 そういったあだ名も悪くは無いかもしれない。だが、私には似合わない。

 

「もう一度だけ、言います。 ――各員、私の後ろへ」

 

 私の艤装が、みしり、と鳴る。

 

「ッ……各員に伝達! 至急、旗艦の後ろへ回れ! 繰り返す! 各員――!」

 

 ギャリリリッ! と私に積まれた六基の主砲が、敵へと向いた。

 その音は荒々しく、搭乗している妖精達へも荒さが伝わったかのようだった。

 

『――! ――!』

 

 妖精達が艤装の中へ急いでと入りこむ。その理由は、言わずもがな。

 

「突破します……」

 

「な……っ」

 

 私の様相を見てか、全員が迅速に戦闘位置から離れ、私のはるか後方へと駆けた。

 深海棲艦達の目にはそれが逃げたように見えたのだろう。げっげっ、という不気味な笑い声を上げながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 

 弾薬が尽きたか、はたまた人型の主力に勝てぬと踏んだか、そう見えている。

 

「……ハッハッハ……アーッハッハッハ……!」

 

 戦艦ル級のものであろう笑い声が全員の鼓膜を引っ掻いた。

 深海棲艦と艦娘の相性は最悪だ。声を聞いただけで耳から血を流す者さえいる始末。今、私がそうであるように。

 

「ケッカン……カンムスガ……シズメ……シズメェッ……アハハ……!」

 

「えぇ、そうね……私は欠陥戦艦……欠陥などではないと、そう言ってくれた提督には悪いけれど……自分が、よくわかっているわ……」

 

 撃ったことなど殆ど無い主砲を、今、ここで。

 

「帰ったら、きっと怒られてしまうわね……」

 

 きっと私が盾になると考えた艦隊の面々は、背後から敵へ砲撃を加える。

 頭上を抜けていく砲弾の、なんと力強いことか。

 

 その雨はまたも確実に敵を捉えるが、人型の深海棲艦にとって損傷などあってないようなもの。欠陥の私とは違う。

 痛みなど感じていないかのように振舞い、ただ嗤い、沈めんと距離を詰めてくる。

 

「……もっと」

 

 私の呟き。

 

「……まだ、まだ」

 

 敵が、もう目の前に。

 

「……もう、すこし」

 

 だん、という轟音のあと、閃光が私と、第一艦隊の視界を覆った。

 

「やめ……っ!? 扶桑ォォオオオオッ!」

「いや、いやぁぁぁぁぁっ! お姉様あぁぁあ!」

「扶桑さっ……!」

「う、そ……扶桑、さん……どう、して……! 何で、避けなかったっぽい……!」

「っ……た、立て直して! 列を崩さず、扶桑さんの後ろから抜けないでください! 朧さん、漣さん、こちらへ! 爆風に巻き込まれますっ!」

 

 

 

 黒煙で前が見えない。

 

 

 

 

 

 痛みで、身体が軋む。

 

 

 

 

 

 それでも、倒れちゃいけない。

 

 

 

 

 私は両足にこれでもかと力を込め、歯を食いしばった。

 

 

 

 

 

『……――扶桑はな。自らの火力で船体が歪むのだ。欠陥などでは無い。あれは火力の高さを知らしめる証拠なだけだ』

 

 

 

 

 

 あぁ。分かったわ。私が、帰りたいと思った理由が。

 私は何も知らないの。何故そこまで信じられるのか。何がそこまであなたを突き動かすのか。

 そんなのずるいわ。だって私、殆ど、いいや、全く喋ってもいないのだもの。

 

 

 

 

 

『私の艦娘は、きっと……いや、絶対に――強いぞ』

 

 

 

 

 

 だから、あなたのもとへ帰りたいの。提督。

 

 

 

 

「主砲、副砲、一斉射!! てぇーーーーッ!!!」

 

 

 

 

 

 私の絶叫に揺れる大気。

 主砲から、副砲から上がる黒煙は先刻受けた深海棲艦の砲撃から立ち上ったものよりもはるかに多く、連続した轟音が波さえも退けた。

 

 比喩などではなく、私の立つ場所から円状に波が広がり、私の身体を大きく傾ける。衝撃から後ろへ倒れ込むような体勢になっても、私は叫び続けた。

 

 負けたくない。伊勢にも、日向にも、長門にも金剛にも大和にも。

 

 妹を不幸だと言わせる、私自身にも。

 

 

 

「ァ……ァアアァァアァアアァアアアッ!?」

「ゴオォァァアアァァアアアッ」

 

 

 

「まだ、まだァァァアアアアアアアアッ!」

 

 

 

 敵艦の絶叫さえもかき消すほどの大音響。

 黒煙が生まれ、続く砲撃にかき消され、また黒煙が生まれ、それを何度繰り返したことか。

 

 私の身体が完全に仰向けになり、ばしゃんと音を立てた時、艤装から伝わる衝撃と、力を込めた喉の痛みがやっと伝わるも、私は必死に残弾を撃ち続けた。

 

 倒れても、負けてなるものか、と。

 

 そうして、どれだけ経った頃か。

 私の砲身と艤装は音を立てて歪み、動きを止めた。

 

「かはっ……! はぁっ……はぁっ……は、ぁ……!!」

 

 だが、沈んでいない。

 情けなくぷかぷかと艤装に支えられるように海上に浮かんでいるだけだったが、私は越えられなかった過去ではなく、未来に浮いている。

 

「なっ……なななっ……!?」

 

 那智の声が、まだくぐもって聞こえた。

 

「せん、せんっ、戦艦の、火力、これが!? ハァァァァアアッ!?」

 

「空に、砲弾、が……雲が、吹き飛んで……」

 

 朧だったか、漣だったか、誰の声かも分からなかったが、なんだかすっきりとした気持ちに満たされていた。

 その気持ちを確固たるものにするように、神通の呆気にとられたような声が、じんじんと痛む耳に届く。

 

「敵、戦力……殲滅……いや……消、失……を、確認……しました……」

 

 私は未来で――

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁっ……帰りは曳航してもらわなきゃ、無理ね……ふ、ふふっ……! なんて不幸なの、かしら……」

 

 

 

 ――笑っていた。


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