柱島泊地備忘録   作:まちた

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五十一話 檄【提督side】

「南方海域――開放であります――!」

 

 あきつ丸の声が通信室に響く。彼女の横にいた川内が頭からヘッドフォンをむしり取りながらあきつ丸に抱きつく光景を、俺は帽子のつばの向こうに見ていた。

 俺の背後では山元と清水が「たったの……一日、で……」と呟いている。

 

 この場で静かにたたずんでいるのは、俺と井之上さんの二人だけだ。

 

「開放……か」

 

 井之上さんの呟きに、俺は背を向けたまま俯き、軍帽を目深に被った。

 

「えぇ」

 

 短い俺の言葉に、井之上さんが笑う。しゃがれていて、掠れたような老人特有の重みのある声。

 

「くっくっ……そうか。再び、暁が望めるのか、あの地は」

 

「……っは」

 

 またも短い俺の返答。

 それも、そのはず。

 

「海原。よくやった」

 

「――当然です」

 

 当然です。その一言に全てが詰まっている。

 

 ……だって南方海域って過去に制圧してたんだろぉおおお!? じゃあ開放出来て当然じゃん! いや、違う! 開放じゃない! 再開放、だ! 再開放!? はぁ!?

 

 同姓同名の男が開放してたって言ったじゃぁぁん!

 

「一度開放された海域に、艦娘が出張っただけに過ぎません」

 

 これだ。これに尽きる。

 海を駆ける艦娘は練度が一の時でさえ敵の駆逐艦を撃沈出来る強さを持っているのだ。それも駆逐艦の練度一だぞ。

 そんなもの、他の鎮守府で酷使されていたような練度の高そうな艦娘が揃いも揃って出撃したら開放出来るわ!

 

 初期装備だったのが唯一の不安要素だったが、あの悪夢のような海域で完全な夜戦となる前に終わったという事が何よりの証明になる。

 彼女達は強い――そして、優秀であるのだと――。

 

 あれ? これ俺いる? いらないよね?

 

 まぁ待て。一応な、提督という立場だからな。逃げ出したりはしなかったさ。

 慎重になり過ぎて戦力過多だろって艦娘を投入したくらいだ。

 

 ……そうだね。ビビり過ぎだね。

 

 火力自慢の戦艦を二隻も引っ張ってきて、そこに夕立や島風という高性能な艦娘を編成した上、水雷戦隊の華とも呼ぶべき神通に、勝って兜の何とやらでおなじみの那智戦隊(個人)のゴリゴリ脳筋第一艦隊。

 

 支援艦隊には赤城、加賀という航空戦ならこいつら出してりゃとりあえずは大丈夫だろ! という初心者丸出しの一航戦に、後輩ポジションでおなじみの五航戦、随伴艦には鬼と呼ばれる綾波に、時雨の二隻。隙という隙が無い。あるわけが無い。

 

 しかも、だ。情けなさが限界突破している要因の一つでもあるが、本来ならば救出すべき艦娘だった朧や漣という駆逐艦二隻までも第一艦隊に加わっているのだ。負けるわけが無かった。継続戦闘? 補給艦だって二隻も出したよ。

 

 海図の見方すら分からなかった俺には妖精達がついて、艦これの攻略マップよろしく印までつけてもらった。分かりやすくな。

 

 過保護か! はい。過保護です。

 

 井之上さんには悪いと思いつつも、俺がここで出来るのはヤバくなったら山元と清水から何らかの指示を仰ぐ事と、全ての責任を負うことのみだった。

 無論、作戦の立案から実行は俺の力だけではなく、事実として清水の見立てがあったからこそ。それを実行しろと言ったのは間違いなく俺だから責任を負うのに迷いはない。

 でも、でもだよ。よくよく考えたら清水も言ってたじゃん。過去に基地を建てようとした所に打撃を食らったって。そこに艦娘を突っ込めば打撃を食らう事までは予想出来るが、過去に海域を制圧したからこそ基地を建てようとしてたわけで……なら一度打撃を受けただけで完全に撤退して手付かずだったとは考えにくい。

 俺の記憶が正しければ、あの近く――距離はあるが――には多数の基地がある。

 

 この世界における基地や泊地、鎮守府がどれだけあるかは知らないものの、もしも艦隊これくしょんの通りだとすれば、ソロモン諸島の近辺にはラバウル基地、ブイン基地、ショートランド泊地という三つもの拠点がある。

 

 艦これには戦果ボーダー、というものがあり、各鎮守府、各基地によってその傾向が異なるのだが……その中でもラバウル基地は戦果の高いユーザーが多かった。

 この世界では恐らく、俺が考えているよりも何段階も上の戦果に違いない。だってあの被弾しまくる事で有名な扶桑が小破で済んでいるのだ……! まぁ扶桑の被弾率については俺の偏見ではあるけども。

 

 はい、ここでもう一つ導き出される答えです。

 

「全ては、みなの努力が成した結果でしょう」

 

 そうだね。皆の頑張りのお陰で俺が助かっただけだね。

 

「海原……」

 

 井之上さんが「全く、お前という男は」と言いながら煙草を取り出し、火を灯して深く煙を吸い込み、ふわりと吐き出す音。

 本当にすみません井之上さん……俺、ここで「扶桑は凄いんだぞ」みたいな世間話しかしてなかった気がします……というかマジでそれしかしてません……。

 

 恰好つけて「ソロモン諸島周辺に潜む深海棲艦を撃滅せよ!」とか言った手前、ビビり散らかしておろおろするわけにもいかなかったから気を紛らわせていただけなんです……ほんっと無能ですみませんでした……。

 

「……それよりも、艦娘を労ってやってはくれないでしょうか」

 

 殆ど無い威厳の拠り所はそこしかなかった。

 海図を握りしめて突っ立ったままだった俺は、新聞紙のようにそれを畳み、振り返って清水に手渡しながら軍帽を脱いだ。

 

 いつからもぐりこんでいたのか、帽子の中から妖精が一人こんにちはしてきたことで情けなさにダサさがプラスされてしまう。ダサプラス妖精編である。攻略対象はいない。いたとしても、むつまるくらい。

 

 うっせぇよ! クソァッ!

 

「私など、この場において通信を聞いていただけに過ぎません。前線に出て戦ったのは艦娘です。彼女達がいたからこそ、助かったのです」

 

 主に俺の立場が。

 

「お前の言いたい事はわかっておる」

 

 井之上さんが苦笑しながら煙草を挟んだ片手を振って座るよう促してくるので、正面の椅子に腰を下ろす。

 

「ここで口にすべきでは無い事を承知で言わせていただきます」

 

 俺はそう前置きしてから言った。

 

「本当ならば……私は彼女達を戦地になど送りたくありません」

 

「……」

 

 しん、と静寂に包まれる通信室には、各々の息遣いだけが満ちた。

 井之上さんは静かに煙草を吸いながら、続けろ、という風に咳払いをする。

 

「私の作戦は正直、危険であったと言わざるを得ません。この成功も、決して私の指揮のお陰などではありません。彼女達が努力し、二隻を救い、海域を再開放したのです。私がしていた事など……本当に……」

 

「海原」

 

「……はい」

 

「もういい。言いたい事はわかっておるとも」

 

 ――全てを知っている井之上さんに嘘はつきたくなかった。だから正直に話した。しかし井之上さんは俺の言葉を聞いてもなお、厳めしい雰囲気に似つかわしくない微笑みを浮かべて「これからも、彼女らを頼むぞ」と言った。

 

「で、では……私は、仕事を続けても……――!」

 

「当然だ、と返しておこうか」

 

 またもしゃがれ声で笑った井之上さんに、俺は思わず立ち上がり、勢いよく振り返る。振り返った先には、襟を正したあきつ丸と川内。

 今だけは、許して欲しい。

 

「お前達……!」

 

 違うから。これセクハラじゃないからな。マジマジ、本当に。

 

 胸中では茶化していたものの、込み上げてきた嬉しさを抑えきれずに一歩、二歩と小走りに近寄り、小柄な二人を両腕で捕まえて抱き寄せてしまう。

 

「よかった……これで……!」

 

 仕事を失わず、艦娘を失わずに済む――!

 ぜーんぶ艦娘のお陰である。あと他の基地の皆さんのお陰でもあるかもしれない。サンキュー先人たち!

 

 現実を受け止めているようで、夢うつつの中を漂うかのような世界でやっと両足を地につけた感覚が俺を包んだ。

 

「ぁ、わ、わわっ! ちょ、提督……皆いるのに……!」

 

「少佐殿ぉっ!? は、はふん……っ」

 

 二人が俺の腕の中で身体をよじって逃れようとしたので、素直に離す。

 俺はヘタレなので。

 

 嫌われたくないのでぇ!!

 

「くっくっ……はっはっは! 作戦も戦果も二の次で、目先の女子を守る事が軍人か!」

 

 井之上さんどころか、清水や山元にも生温かい目で見られて笑われる俺。切ない。

 だが女子を守る事が軍人か、と言われて黙っている俺では無い。

 

「彼女達だから守りたいのです」

 

 提督だから艦娘を守る。これね。大事ね。全プレイヤーが胸に持つ思いだからね。

 

「なっ……もう! 提督! 作戦はまだ終わってないでしょ!」

「そっそうでありますよ少佐殿! ま、全く! 全く全く! けしかりませんな!」

 

「す、すまない……その、こちらの話で勝手に盛り上がってしまったな……」

 

 怒られた……不幸だわ……。

 俺の心の山城がしょんぼりである。

 

 しかし二人の叱責に冷静になった頭で考えれば、俺が仕事をこなさねば提督という地位に座り続ける事が難しいかもしれないという話は、井之上さん、山元、俺の三人の間でしか話されていないこと。知るわけもないのだから、至極当たり前の反応だと思う。

 調子乗ってすんませんっした。

 

 情けない姿に顔を真っ赤にして怒る二人をこれ以上激怒させないように、と俺は落としてしまった帽子を拾い上げて被る。

 

 そういやソロモン諸島のどっかで人を見つけたって言ってなかったっけ?

 あ、いやいや忘れてないよ。大丈夫。

 

 俺は咳払いを一つ。

 

「……んんっ。では、各艦隊が帰投する前に……続きを」

 

 続きというのは、赤城達が発見したらしい人について。

 あきつ丸から通信を代わられたかと思えばめっちゃくちゃ早口の英語でまくし立てられて良く分からなかったから、井之上さん達いるから大丈夫っしょの精神でノープロブレムとだけ言って清水に投げちゃったわけだが……。

 

「――ソフィア、という人物について、調べがつきました」

 

 清水がいつから弄っていたのか分からないノートパソコンを半回転させ、ディスプレイを井之上さんに見せる。

 

「ソフィア・クルーズ。記録からすれば、現在は三十二歳……アメリカの深海棲艦研究者であり、二年前に輸送船でニュージーランドへ移動中に深海棲艦に襲撃され、死亡した、と通信で話した通りの内容が。アメリカの研究所では主に深海棲艦、特に人型と呼ばれるものについて研究をしていたようです」

 

 死んだ……? いや、でも英語めっちゃ元気に話してたじゃん……。

 それに人型の深海棲艦って。頭痛くなるわ。ダイソンと小鬼とか思い出すわ。

 いざとなったらもう一度扶桑に吹き飛ばしてもらおう。

 

「多数の研究者が死亡した事故でありますが、その……全員が、遺体となって発見されたと報道もあり……何故、今になって……」

 

「生きているが」

 

 俺の余計な一言に、山元が、ぐ、と声を詰まらせる。

 ごめん。黙ってます。

 呉に来たばかりの頃に神風と松風にも同じ事をやっていたことを思い出してまたしょんぼりしかけてしまう。

 

「……知っているのだな。山元」

 

 井之上さんから発される声に、重々しく頷いた山元。

 知ってんのかよ! じゃあお前に任せるわもう! ぜーんぶお前らと艦娘の皆が仕事してるだけじゃん!

 俺突っ立ってるだけじゃん! 俺の決意とか覚悟とか、艦娘を守るために戦争に参加する事になっても……! とかいう奮い立たせた心とか返せよ!

 

 しかしながら癇癪やらストレスやらで山元や清水をぶん殴った俺がそんな事言えるわけもない。

 

 俺に出来る事は、また胸中にじんわりと広がる子どもじみた癇癪を抑え込みながら顔を顰めたままあきつ丸と川内の頭を撫でることのみ。

 艦娘が俺の心の癒しだよぉ……。

 

 赤くなっていた二人は、今度は泣きそうになって俺を見上げる。そら自分の上司にセクハラ三昧されてるんだもんな。大丈夫だ、心配するな。帰ったらいくらでも殴られてやるから。死なない程度に頼むな。

 

「問うまでも無いが……アメリカとの共同研究に関わっているのは、楠木少将だ。あやつが南方海域の防衛線を維持しながらラバウル、ブインと行き来しながら深海棲艦の研究に協力しているのは、何故だ?」

 

 井之上さんの言葉に、山元は静かに答える。

 

「研究のため拡大される経済水域に伴う資金を防衛費へと回すためであると、聞き及んでおります……」

 

「それは表向きだ。きょうび、学童とて知っておる」

 

「っ……はい。その他には……深海棲艦の、研究を進め、より、効率的に、敵生息地を、特定、し……我が軍のみならず、全世界と情報共有し、危機を脱する、ため……」

 

 なんか……怒られてる、っぽい?

 庇ってあげたいのだが俺の知らない話だ。首を突っ込めずにいると、帽子の中がうぞうぞと動いた。

 

 怖いよ。何なんだよ。

 

『まもるー! おとしものがあったって!』

 

「声がこもっていて良く聞こえんが」

 

「もっ……申し訳ありません……!」

 

 あ、ごめんごめん! 山元じゃないの! 妖精だから!

 俺が訂正する前に、帽子の中で妖精が話し続ける。

 

『島をとんでた子たちが拾ってかえってきてます! 窓! あけて!』

 

「……ふむ?」

 

 妖精にも逆らわない。艦娘と一緒に仕事してくれてたからね。一番下っ端は俺だからね。

 妖精の言う通りに俺はあきつ丸達から手を離して、近くにある窓に歩んでいくと、かたん、と開く。観音開きの窓から吹き込む風は冷たく、夜が来たのを知らせるようだった。雲一つない綺麗な夜空だな、と現実逃避してしまいそうになる。

 

 そのうち、ひゅーん、という風を切る音とともに、エンジン音のようなものが聞こえてきた。

 

 何かが見えるな、と目を細めていると、こちらに向かってきている艦載機が――艦載機ぃ!?

 

「……」

 

 おおおお落ち着け! ここで叫ぶな俺! 冷静に、冷静にだ!

 ただでさえ役立たずで突っ立てただけでも井之上さんが仏心で仕事を任せてくれたのだ。ここで狼狽えては今度こそ「ふむ、シベリア送りだ」と言われかねん!

 ……言い過ぎか。

 

 って違う!

 

 窓から迎え入れるように半身を翻せば、艦載機は迷うことなく窓から音を立てて入りこみ、通信室の天井付近をぐるぐると旋回する。

 機体の下部には、ひらひらと何かが括り付けてあった。

 突然の来訪に清水や山元はその場で上を見上げて転げてしまうも、井之上さんは動じず。流石である。

 

 艦載機は徐々に速度を落とすと、机に見事に着地。

 

 場違いにも艦載機の着艦ならぬ着机を目にした俺は感動していた。かっこいい。

 

「見事だな」

 

 という俺の感想。やべっ、と意味も無く「時間通りだ」と付け加えた。

 何が時間通りなのかは分からないが、艦載機が着陸したのがかっこよかったからです、なんて言おうものなら清水にノートパソコンで頭をぶっ叩かれるかもしれなかったからだ。しないだろうが。

 

「これは……階級章……?」

 

 清水の呟きに、離れた位置からでも良く見えるそれを観察してみる。

 俺の着ている軍服にもついているもので、マークこそ違うものの、同じものであることは確かだった。俺のものは黄色地に黒い線が一本入ったものだ。そこに桜のマークが一つだけついている。

 艦載機が脚に括り付けて持ってきたものも、桜のマークが一つ。

 違いは黄色地に黒い線が入っていないくらい。

 

 ……俺が落としたんじゃないよな?

 

 と、不安がっていると、井之上さんは艦載機から丁寧に階級章を外してから、俺をじろりと睨んだ。

 

「海原……お前……」

 

「……」

 

 ま、まままマテ……俺のか!? いや違うだろ! だってついてる! ほら!

 示すように視線を動かして自分の階級章を見る――ふりをして顔を伏せた。

 井之上さんの顔が怖かったからなどではない。

 

「……ここにある通りである、としか言えません」

 

 俺のついてるし……という風に言えば、井之上さんは椅子をぎしりと鳴らして立ち上がり、階級章を握りしめたまま震える声で言った。

 

「清水……山元、両名に告ぐ……これより先は一級の機密であることを承知しろ」

 

「「はっ……!」」

 

「各所より送付される報告書に虚偽があることもある、など……ワシとて承知しておる。基地の運営、鎮守府の運営……気苦労も多かろう。戦果を偽らねば大本営送付分の資材ではままならんことも、分かっておるつもりだ。軍規上は戦果を譲る、譲らないなど……あってはならんという記載も無い」

 

「「……」」

 

「その上で……もう一度、聞く」

 

 しばしの間。俺も黙り込む。

 

「各所より、いいや……南方海域の基地から送付されている報告書に()()()()の虚偽は、あるか」

 

「「……」」

 

 二人は黙り込んだまま、じっと下を向いていた。

 虚偽報告……俺が知るのは、山元が陸奥達が轟沈したとするもの。それ以外にも、資材云々で虚偽はあったが、それ以外にも虚偽が横行しているのか?

 

 いいや、そんなことはあり得ない。虚偽にまみれた報告書を見れば上層部は判断を誤ってしまう。そのために監査があったりするのだが、この際それはいいとして……。

 

 井之上さんは軍帽に手をかけた状態で背を向けたまま問い続ける。

 

「無言は否定と受け取りたいのじゃが……違うのだな」

 

「わ、私が、知る限りでは――南方より上ってくる深海棲艦の撃沈数の差異が、いくつか……」

 

 山元が声を発したことを皮切りに、清水も震えた声を上げた。

 

「鹿屋にお、おき、おきましても……鹿屋基地、並びに、宿毛湾の撃沈数に差異がある事を、認識して、おりました」

 

「……それで」

 

 井之上さんの促しに、清水が言葉を紡ぎ続ける。

 

「ブイン基地に駐在しておられます、く、楠木少将より、防衛線維持のため、資材の融通が必要で、あると……! 輸送船の護衛を含め、アメリカとの共同研究には不可欠だと聞いて、おりました……! 戦果の代わりは、あると……」

 

「清水中佐……()()の示した輸送船の事故について、知っている事は」

 

「ありません……」

 

「で、あるか。ならばよし。さしずめ地位に踊らされたか。前任の()()()()についても、何か知っているのだな」

 

「……仰る通りで、あります」

 

 青い顔をした清水は、俺を見た後、山元を見る。

 目の合った山元は、清水に続き言った。

 

「当該基地に憲兵隊の派遣を命令したのは、自分であります。ブインの治安維持のために別途人員が必要であると要請を受け、いくらかの異動を」

 

「……そうか」

 

 山元は清水と違い、声は震えていなかった。

 

「異動の殆どは宿毛湾からであります。輸送船の行き来に寄港した際に機密情報の漏洩阻止のため、海軍以外の手は入れたくない、と」

 

「もう、よい」

 

「その他……」

 

「もうよいと言っておるのだ。山元大佐。この件は一度大本営に持ち帰る。二隻の救助に際してもブインやショートランドに協力を要請せず強行した理由も分かった。……なぁ、海原」

 

「っは?」

 

 えっ、何で俺? 思わず間抜けな返事をしてしまった。

 

 井之上さんは妖精の持ち帰った階級章を手のひらの上に置いて見つめたまま話す。

 

「ここまで読んでおったか。いやはや、あっぱれ、見事、堂々と褒賞を与えられんことをここまで悔やんだことは今までに無い。まこと、将官の慧眼よ。だが――」

 

 こちらに振り向き、井之上さんは……悲しそうな表情を見せた。

 

「――柱島で、お前は何を見た? さして、報告書も何もない更地と言ってもよい柱島泊地に、お前は何を感じて動いたのだ?」

 

 何故悲しんでいるのか分からなかったが、どうしてもそれが気に食わなかった。癇癪やストレスなどとは違う不快感が俺を襲う。

 胃が痛むことは無かったが、代わりに胸が痛んだ。老人の悲しむ顔はどうしてこうも心を締め付けるのか。

 

 ここでもやはり、その表情に嘘をつけなかった俺は、正直に言う。

 

「何も無ければ、誰も悲しんだりしません。私の柱島泊地の艦娘が泣いておりました。この呉鎮守府の艦娘もです。街の人が泣いておりました。宇品にあるお好み焼き屋に、立ち寄ったのですが……ただ偶然立ち寄った食事処を営む方でさえ、悲しんでおられたのです。泣いている者の為に動く事が、おかしいことでしょうか」

 

「そこは……まさか……!」

 

 そう言えば、お好み焼き屋にいたアオサをぶっかけてきたお婆ちゃんは井之上さんを知っている様子だったな、と思い出す。

 

「井之上さんのことも、よくご存じの様子でした。しかしただの偶然です。その偶然が、私を動かしたのです」

 

 これが真実である。

 井之上さんに伝えたことが全てだ。その発端が山元に挨拶を忘れてただけだとか、仕事をサボりに来ただけであるとかいうのは措いといて。

 

「……艦娘のためならば、どのような事であれ仕事を致しましょう。井之上さんの助けになるのならば、私は不眠不休で戦いましょう。それに、山元や清水にも、同じ心があるはずです」

 

 なんか怒られてるが、これで心を入れ替えて一生懸命働くだろ? な!?

 

 そんな想いを込めて二人に近寄り、腕を掴んで立ち上がらせる。頼むから井之上さんを泣かせるな。艦娘泣かせた次は老人いじめとかマジで笑えんからな!

 

「上司を泣かせる馬鹿がどこにいる。そうだろうが。山元、清水」

 

 俺の言葉に、二人は――

 

「うっ……ぐぅぁ……! ふぐぅぅぅっ……」

「ぐぅぅ……!」

 

 ――いや何でお前らも泣くんだよぉおおおおおお!?

 一番泣きてえのは俺だよ! 馬鹿! このバーカ! お前らなんて戦艦の装甲にぷちゅんって押しつぶされた上に潜水艦にオリョクルに連れて行かれてしまえ! この野郎がぁッ!

 

「泣くなッ! 今泣きたいのはお前達では無い! 仕事を全うするのだ! これから!」

 

 俺は仕事をしながら泣いちゃうかもしれないが。

 

「海原……我が軍は、まだ、生きているのだろうか……なぁ……」

 

 井之上さんが俺を見る。

 

「生きております。ここに」

 

 皆死んでないよ! 井之上さんまで幻覚を見始めたのか!? ピンピンしてるだろここによぉ!

 

「誰も死んでなどおりません。誰一人として。ですから……」

 

 こういう時に恰好良く何かを言ってあげたいのだが、俺には何も思い浮かばない。

 きっと土下座をかませば艦娘だって協力してくれるはず。艦娘は正義の味方なのだ。俺はこれから先も頼りまくるぜ!

 

 だからこそ、最後まで自分に正直に。

 

 

 

 

 

「……仕事をしましょう」

 

 

 

 

 

 社畜だからね。仕方がないね。

 おっかしいなぁ……サボりに来たはずなのに何で俺こんなに仕事してんだ……?


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