提督から休憩してこいと言われて執務室を出てから、通信室に残っているであろうあきつ丸や通信先の大淀に事の顛末を伝えてしばらく。
真夜中であるにもかかわらず私達は情報の整理という名目で忙しなく手元を動かし、あきつ丸の持ってきていた資料にある軽空母鳳翔の元々の所属であった鎮守府――鹿屋基地について話し合っていた。
柱島鎮守府の通信からは、艦載機に搭乗する妖精の選定こそ命令されたものの出撃命令は出されておらず待機状態であった鳳翔の声が呉鎮守府の通信室内に響いていた。
防音設備もしっかりしていたため外部に音が漏れることは無いが、明確な記録として録音するには艦娘達の持つ通信方法のみでは信ぴょう性は薄くなるだろう、とは大淀曰く。
海軍の機密中の機密である終了した事件についての再捜査を艦娘が自ら行うなど軍規に反するどころか越権行為も甚だしい。だが、そうせねばならない理由がある。
闇に葬り去られてはならない真実があるのだと、私は自分に言い聞かせながら必死に資料に目を通した。
「――して。資料に残る証言が変わるはずもないのでありますが……やはり、鳳翔殿以外の艦娘は一様に《深海棲艦による襲撃があり、即時迎撃。しかし基地は攻撃を受けてしまい、それによって提督は死亡してしまった》と……んん、映像記録の一つでもあれば良いのでありますが、書面からは何とも……」
あきつ丸の言う通り、映像記録は無かった。画像に残されているものも、基地の被害状況を知らせるようなものばかりで、敵深海棲艦の砲弾によって破壊された施設や道、海岸沿いにある倉庫区画の写真ばかりだった。
痛々しく、それでいて攻撃の激しさが窺える建物の崩壊っぷりときたら、鹿屋基地に所属していた艦娘達に同情を禁じ得ない。
「この半壊具合からして、鳳翔さんのところの菅谷中佐が亡くなられたっていうのも、まあ……頷けちゃうかな」
ぽろりと口から零れた正直な感想。しかし私は次の瞬間にはっとして口を噤んだ。
何をやってるんだ私は……鳳翔とも通信が繋がっているというのに……!
それも残せるようにと録音もしてあるのに、なんで油断して――
『ですので、再調査は行われませんでした』
「あ……」
私の口から零れ落ちた言葉に、鳳翔の言葉が返ってくる。
思わず謝罪しそうになるも、私はぎゅっと口を噤んだままに資料を捲ることで意識を逸らした。
傷ついた同じ艦娘としてならば、彼女のことを気遣い、謝るべきなのだろう。
だが彼女はただの同じ艦娘ではない。同じ鎮守府に所属し、同じ提督のもとで戦う仲間なのだ。だからこそどれだけ残酷であろうとも一片の嘘さえ口にしない。
歪み、捻じれた現実を元通りにして前を向くには、避けられぬ痛みなのだと自分に言い聞かせる。
『――川内さんのような方がいて、安心ですね』
鳳翔の呟きに、ぴたりと手が止まった。
「……まあ、川内殿はお強い方でありますから」
あきつ丸が同調し、次に大淀の声。
『川内さんならではの強さなのでしょう』
どういう意味なのよ大淀? そんな事も聞けず、私は一つ咳払いをして言う。
「再調査が行われなかった理由は、違和感を覚えるほどもなく証言通りに見えたからでしょ。基地のあらゆる箇所が破壊されるほどの攻撃を受けて、それにほら、鳳翔さんの証言も記録に残ってる。菅谷中佐が亡くなった時の証言は違うけど……基地への攻撃は激しく、即時迎撃し撃退出来たのも皆の協力があったからって」
『どれだけの訓練を積んでいても、いざという時こそ分からないものです。訓練で反応出来ていたって、本物の深海棲艦の砲弾は演習と違って大きな被害をもたらします。当たれば痛いなどでは済まされません。それに――海上での砲弾ならば回避の選択も出来ますが、背後に守るべきものがあるとなれば、話は変わってきます』
一言一句、その通りだった。
私達艦娘の戦闘は、艦娘の名の通り海上が主である。
ならば砲弾が飛び交うのも海上であり、回避の選択は常にあるのが当然の道理。
傍に仲間がいたとすればともに砲弾を打ち落とすなんて曲芸のような選択だって可能だろう。もちろん可能であるかは別問題なのだけど。
傷ついた仲間を背にしていたのなら、回避の選択は消えていたかもしれないが、戦場において庇うことで戦力を倍失うことになるのならば、体力の多い方が回避を選び生き残ることで先を開くというのも、無い話ではない。
冷たいかもしれない。残酷だし、非道だし、仲間を見捨てることでもある。
しかし戦争を勝ち抜くためには、そんな狂気に満ちた選択さえ迫られる。
鳳翔は――鹿屋基地にいた艦娘達は、それを迫られた。
「襲撃の時刻は夜半……襲撃なのでありますから、おかしくはありませんな。北上してきた深海棲艦は防衛網をすり抜けており、既に基地近海まで迫っていたために即時迎撃という形のほか無かった、と……んー……」
鹿屋で鳳翔の指輪や中佐の写真を取り戻してきたあきつ丸は、かの基地を思い出しながら考えを巡らせているのか、親指で額をかきながら軍帽を何度も被りなおすような仕草を見せる。
敵は非情だ。待ってなどくれない。
あきつ丸が無意識に読み上げているであろうただの文字である記録群にさえ、その非情さ、狡猾さは現れている。
油断も隙もありはしないとはよく言ったものだ、とぼんやり思う。
『鹿屋基地の当時の被害状況については、証言や残されている画像記録に相違は無いでしょう。ですが、何かあるはずです。見落としが、どこかに』
「そうなのでありましょうが……自分らは大将閣下のような慧眼も頭脳も無いわけでありまして……い、いけませんな、弱気なことを……」
通信室に集まってから、さして何時間と経過していない。
が、少なくとも一時間程度。その間中ずっと紙に穴が開くほど目を通し、同じ話題を堂々巡り。
「もう一度聞きますが、証言の変更などは無かったのでありますよね? 自分がこれらを入手したのはそうでありますが、証言のすり合わせが可能であったのは鳳翔殿ただお一人……」
『皆、間違った事は言ってません。基地の執務室付近だって攻撃を受けていましたから。襲撃の激しさからしても、深海棲艦の砲撃による建物の崩壊に巻き込まれて亡くなったと思うでしょう』
「……うん?」
私は、ふと思う。
「鳳翔さん、私さ、空気とか読まないし、すっごく嫌な奴に聞こえると思うから、先に、謝っとくんだけどさ」
『そんな事ありません! 私は大丈夫ですから、どうぞ、気になることがあるなら』
「菅谷中佐は、鳳翔さんの前で、深海棲艦の襲撃じゃない理由で、亡くなったんだよね?」
『はい。公式の記録には錯乱して幻視した可能性が高いと書かれてしまいましたが……あれは確実に、人でした。人間です。誰かまでは、分かりませんけど……』
「だよね。うん、うん……じゃ、鳳翔さんの言う通りだとして、ってか、提督が動いてるんだからそうなんだろうけどさぁ……っとと、じゃなくて! 菅谷中佐は、どうやって亡くなったの?」
そうだ。どうやって亡くなったと処理されたのだ?
一人の軍人、それも中佐という階級の人間が死亡したとなればそれ相応の処理が必要になる。如何に杜撰な調査とて、そのあとにだって処理はまだ続いたはずだ。
基地の再建から周辺住民への説明、それから、菅谷中佐の葬儀。
ともすれば、中佐は葬儀の前に調査の名目で遺体を解剖されていてもおかしくはない。
いや、深海棲艦の襲撃によって死亡したのであれば、敵の情報に繋がる欠片でも残っているのではないかと解剖していなければおかしい。
私は知っている。戦争の残酷さを。
だからこそ、この醜く恐ろしい違和感が私に訴えかけてくる。
死した者の墓に潜り込み、水底よりも暗い闇に呑み込まれようとも、真実を追えと――。
『それは――』
「お願い、鳳翔さん。大事な事なんだ」
私がそう言うと、鳳翔さんはゆっくりと声を紡いだ。
『……襲撃があった夜、秘書艦であった私はすぐに菅谷さんの……す、菅谷提督の元へ向かいました。その間に、執務室からは放送が行われ、迎撃用の編成が伝えられて――』
* * *
ドン、という衝撃で目を覚ましたのを覚えている。
壁からぱらぱらと粉が落ち、窓が揺れ、一斉に艦娘達が起き出して基地は騒然とした。
地震とは違う、海上で、戦場でしか感じることのない独特の衝撃は艦娘達を瞬時に覚醒させた。
『今の――! ほ、鳳翔さん……!』
同室の艦娘の一人が私の顔を見る。
動かねば、と混乱をおさえつけて『皆を集めて港へ行ってください! 迎撃の準備を!』と半ば叫びながら言いつけ、走り出した。
彼の元へ行かなきゃ――彼の補佐を――!
執務室へ向けて駆け出した私の耳に、きぃんという音と、少しのノイズ、それから、彼の声がスピーカー越しに届く。
『緊急、緊急。これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない。現在、基地近海に深海棲艦の反応が見られた。各員は直ちに迎撃の準備をせよ。繰り返す、直ちに迎撃の準備をせよ。現在、哨戒中であった第三艦隊が交戦している。今から名を呼ばれた者は第三艦隊の支援を行うため工廠へ行き兵装を――』
順番に名前を呼ばれる。その中に私の名前は無かった。
当然だ。今は夜更けで、軽空母の私に夜間戦闘は不可能。
他の空母ならば他の艦娘をまとめることが出来るかもしれないが、その中でも私は秘書という任務を預かる身。
役に立たずとも指示を繋ぐ事は出来るはず、そう思って足を止めず走り続け、執務室へと向かった。
それから……それからは……あっという間だった。
菅谷提督の迅速な指示によって艦娘達は迷うことなど無かった。
交戦していた第三艦隊の支援を行うために工廠へ行き兵装を整え出撃する者、名を呼ばれずとも支援艦の即時交替が行えるようにと出撃準備をして近海へ出る者、各自が動いた。そんな中で、私だけが……不安で、彼の元へ走った。
私は、どこかに欠陥があるのだろう。
守るべき人が居なくなるかもしれない、そう考えるだけで不安になって、戦場よりも彼の傍を選んだのだから。
私が執務室へ駆けつけた時、ノックもせずに開けた扉の先にあった光景は――崩れ落ちる菅谷提督に、開け放たれた窓から飛び降りていく人影。
どしゃりという音に続く水音に、私の、叫び声。
『っぐ、ぅ……ほ、しょ……』
『菅谷、さん……い、いやぁぁあああああああッ!』
すぐに駆け寄った。地面に力なく倒れこむ彼の横にほとんど転ぶようにして縋り、出血が酷くなるかもと抱き起しこそしなかったが、両頬を手で包み、何度も名を呼んだ。
『菅谷さん! いやっ、なん、なんでっ、どうしてこんなっ……! 菅谷さん目を開けて! 開けて――開けてください! 目を閉じてはダメです!』
『ぅ、ぅぅ……ほ、うしょう、さん……すまない、君を、置いていく、など……』
『すぐに救護班を呼びますから! ですから! 目を閉じないで!! 喋らないでいいですから、目を閉じないでください! 起きてッ!』
『ごほっ……ぐっ……』
私の両手から命が零れ落ちていくようだった。
艦であった頃のように、一人になるまで見送るあの気持ちが蘇るみたいだった。
救護班を呼ばなければならないのに、何故彼の傍を動けなかったのか、私は今でも分からない。
『救護班を、よ、呼ばなきゃ……あ、あぁぁっ……早く……早く、菅谷さんが……!』
『も、無理、だ……こ、れは、助からない、だろう……』
『やめてくださいッ! そんな事、仰らないで……助かります、から……だから……いやぁっ……菅谷さん……やめて、やめてぇっ……!』
頬を包んでいた私の手に力がこもり、彼の首を持ち上げる。
少しでも、傍に、と。
私の膝にのせ、出来る限り楽であろう体勢を維持しようと慎重に動かすと、彼はほんの少しだけ苦悶の表情を和らげた。
しかし――
『んっ、ぐぅ……! こんな、ことになる、なら……もう少し、勲章をもらっておく、べきだったか……? ふふっ……げほっ! ごほっ!』
――彼の胸から、とめどなく血が流れ落ちる。
『こんな時に何を――!』
『勲章、を、ほら、多くぶらさげて、おけば、邪魔では、ある……が……げほっ、この傷も、防げた可能性が、ある、かもしれん、だろう? それに……鳳翔さんも、鼻高々で、いられる、か、と……』
こんな時まで、私の事など。
『私はただの兵器ですっ! 艦娘です! 私の事などどうでもいいですから……菅谷さんの傷を――!』
『聞き捨て、な、らんな……鳳翔、さん……君は、ただの、兵器なんかじゃない……生きて、いいんだ……もっと、自由に……』
そこからどんどんと彼の顔から血の気が失せ始めた。
同じく私の顔からも赤が引き、冷たい汗が噴き出す。
『だ、だめっ、目を閉じないで! 開けて! 開けてって言ってるんですッ! 菅谷さん! 寝てはダメッ!』
『く、そ……もっと、早く、渡せば、よか、った……鳳翔、さ……ん、これ……』
彼がごそごそと手を動かし、軍服のポケットから取り出したのは――
『なっ……! こんな、時、に……う、受け取れません! こんな! 菅谷さん! あな、あなたが、元気になってからですッ! 敵を退け、仕事が終わってから、いくらでも、いくらでも……受け取り、ますから……だから、目を、開けて……』
――指輪だった。
鹿屋基地に来てから、何度か好意を伝えられた事はあった。
しかし私は艦娘。そして彼は軍人だ。現を抜かすような暇など無い、なんて言い聞かせ、真顔であしらってきた。
私は艦娘ですから。
私は型落ちですから。
私より良い人がいるでしょう? 外に、いくらでも。
私は、艦の頃から、最後まで一人だったんですから。
だから、一人の方が性に合っているんです。
ほかに、なんて言ってあしらっただろうか。
『受け取って、くれ、るのか……は、ははっ、少しは、変わってくれた、か……』
『え――?』
『君、は、真面目過ぎ、る……そこが、魅力的、だったんだが……それでも、優しく、仲間思いのところに、惚れ込んだんだ……どうやら、女性を、見る目は、間違ってなかったらし……いな……鳳翔、さ……ん……良い、人を見つけ……しあわ、せ……に――』
彼は、それから
『菅谷、さん……? ねえ、何を、しているのですか……菅谷さん……』
目を閉じた。
『指示を、菅谷さん……菅谷提督っ、迎撃の指示を、出してください、それから、指輪の件を話ましょう……? お、起きて、菅谷さん……菅谷さん――』
窓から吹き込む冷たい風。
襲撃の余波により停電し、非常灯の薄明りだけが灯った執務室に、外から仲間の戦う声と、砲撃音が立て続けに響いた。
彼の手に握られた指輪はころりと床に落ち、私はそこで――
『どうして、私を』
孤独という恐怖を思い出した。
『置いて、行くの……菅谷さん……』
* * *
『――即時編成された迎撃支援艦隊の他、哨戒していた当時の第三艦隊と入れ替わり立ち替わりの、総力戦と言ってもおかしくない様相でした。菅谷提督の簡潔な指示のおかげでもあったのかもしれません。各自が迷うこと無く、ただ敵を殲滅するためだけに動いたこともあり、基地の全壊は免れましたが、逆に簡潔であったがために情報統制などなく、証言の一致こそあれ、一部違う証言をした私とすり合わせるような事も出来ず、といったところでしょうか』
淡々と話している鳳翔だったが、時折声が震えていたのを聞き逃さなかった私。
いいや、私以外にも、あきつ丸や大淀も気づいていただろう。だが、あえて口にはしなかった。流石に、そこまで野暮ではない。
「……なるほど、ね。じゃあ、その深海棲艦じゃなく、人間だっていう襲撃者は菅谷中佐をあっという間に、って感じだったわけか……だとすると、その痕跡を残すほど馬鹿でも無いだろうね」
資料を見る限り、襲撃を受けたという執務室も砲撃の跡が見てとれる。
馬鹿では無い、と言ったのは、鳳翔が菅谷中佐の死を見届けたのちに、その証拠を消し去るかのように砲撃が加えられたのであろうことに対してだ。
『彼を連れて執務室から逃れ、救護班へと引き継いだのですが、そこからは……見てません。救護班が言うように、襲撃による死亡、とされていることでしょう。私がいくら、
八方塞がりに見えるこの事件だが、提督はどこをどうやって糸口を見つけたというんだ? 私は深く眉間にしわを刻み、考え込んだ。
だが、分からない。柱島にもさして周辺拠点の状況を知るような情報のある記録なども残っていないというのに、提督はどうして動いているんだ、と頭を抱えてしまう。
鹿屋基地の見取り図、それから、当時の襲撃された建造物の被害状況、修復過程、襲撃されたのち救護された艦娘の修理状況などなど、何度確認したところで文字が変わるわけでもない。
二の足を踏むとはまさにこのこと。
提督の作戦に寄与するのだと意気込んだものの、大淀もあきつ丸も提督の真意が見えたと思った矢先、それがただの通過点であったことを思い知って意気消沈する寸前なのだから、私が同じ状態になるのも当然と言えば当然なのだが。
『救護班に引き渡した後は、そのまま処理が進められたという事ですよね……まあ、迎撃して損害を受けてしまった艦娘の治療や修理だってあるのですから、次に、またいつくるかも分からない襲撃を警戒して迅速に処理をしてしまうのも……』
「待った」
『はい?』
「川内殿、どうかいたしましたかな?」
『何か私の話に不備でも……?』
救護班に引き渡す。そこから迅速な処理。何も、おかしくない。
いいや、違う。
「包囲網を抜けた深海棲艦、それに、南方へ飛ばされた漣達……大淀さんの仮定の話はちょっと驚いたけど、仮定のまま話を進めれば――その深海棲艦は操作されていた可能性が高い、ってわけだよね」
天龍達から本土へ向かっていた陸軍を確保したと知らせたあと。
聞かされた大淀の驚くべき予測の数々。無茶苦茶も過ぎる話ではあったが、それらが過去から現在に向けて歪み一つなく整然と通ってきていることを考えれば虚構であるとも一刀両断できず、素足で冷たい海面をつつくような心持で話す。
『はい。深海棲艦を作り出す、なんていう技術がどのようなものかなどは説明できませんが……どれだけ突拍子が無かろうと、そう考えるとすべての辻褄が合うのは確かです。海軍へこんな事を正式に報告しようものならば、きっと病院送りか、解体でしょうが……あえて記録に残しているのは、提督ならば、簡単に切り捨てたりしないだろうという思いからですし』
「うん。私も、大淀さんと同じ気持ちだよ。でさ、迅速に処理されるのも、そりゃおかしい話じゃないんだけど――救護班って、艦娘?」
簡潔に問えば、大淀に代わり鳳翔の声。
『いえ、違います。工廠を任されていたのも人でしたし、ここの明石さんのように艦娘で工廠の一切を任されている柱島のケースの方が珍しい、というか、ここだけでしょう。艦娘の艤装修理に関しての人員も含めて、確か……』
やはり、と私は口角が上がりかける。
「――
『そ、そうです。艦政本部から派遣された人達で編制されて……というか、柱島を除く殆どの鎮守府がそうでは……?』
「うんうん、そうだよ。そりゃ、気づかないよねぇ……見落としちゃうよねぇ……」
私は資料をばらばらと捲り、当時の鹿屋基地にいた人員を再確認する。
すると――私の言う通り、鳳翔の言う通りに艦政本部からの派遣された軍人のみで構成されていた。
艦政本部――通称、
艦娘の艤装の修理や新兵器の開発、その他一切の技術的なものを任されている海軍の中枢の一部とも呼べる組織は、日本全国にある基地や鎮守府に支部を持つ。
必然――鹿屋基地にも。
「治療する技術も能力もある。艦娘の艤装を研究してる組織でもあるんだから、その威力だって知ってる。なら当然……その威力から被害を想定することだって難しい話じゃない。襲撃が起きたんだから、血まみれだろうが何だろうが違和感なんて覚えないし、鳳翔さんが菅谷中佐を運び込んで治療をお願いするのも、変な話どころか、当たり前の流れだよね」
ここまで言えば、分からない愚か者などこの場には存在しなかった。
『……今、同じ資料を見ているのならば、私が見ていることに間違いはありませんね、あきつ丸さん、川内さん』
大淀の声に返事する私達。
『本を正せば単純な事、とは、提督も簡単に口になさいますが……まったく、軍規に則ってと口酸っぱく言っていた理由がここに生きるとは――』
敵を逃さぬ証拠が、また一つ。
『あ、あのっ……大淀さん、私、やっぱり私が、何か不備を……!?』
『いいえ、不備どころか。真面目であればあるほど、この落とし穴に気づけないと言っても過言ではないでしょう。自らの持ち場を理解し、相手の持ち場を理解しているからこそ、無駄なく動く鳳翔さんだからこそ、ショックもあり気づけなかった……残念ながら、提督が編制した《艦娘保全部隊、暁》のお二人の目は、誤魔化せなかったようですが』
大淀の言葉に、あきつ丸がくつくつと喉を鳴らした。
「何を仰いますか。柱島の頭脳たる大淀殿も気づいているようではありませんか」
『いいえ、競うことでもありませんが……ここは、どれだけの暗闇であろうとも――その闇の中が戦場であった川内さんが、MVPかな、と』
「……当然の結果ね。いいのいいの、そんな褒めなくっても!」
私は冗談めかすべきじゃないと分かっていながら、それでも、権力闘争や暴力のためではなく、純粋に仲間のために軍規を正さんと動ける今が、幸福に思えて笑った。
その勢いのまま立ち上がり――手に持った資料をぽいと虚空へ放り投げる。
そして、私を包む幸福を邪魔する悪意に怒りを覚えながら、艤装の一部を顕現させ、忍者の持つクナイのような兵装を投げた。
ばさり、ばさり、と音を立てて地へ落ちかけた資料は艤装を出した私の余りある膂力から放たれるクナイの勢いに押され、どっ、という低い音を立てて壁に突き刺さる。
提督は実力を見せた。
文字通り荒唐無稽と思えるほどの突出した神懸かり的な作戦を全て成功させた。
呉鎮守府の不正摘発に始まり、同時並行して捨てられた艦娘を救い、息をつく間も無く、今度は南方へ放り出されてしまった艦娘さえ救い、もののついでだと言わんばかりに南方海域を開放せしめた。
そして――私達を攪乱しようと、否、恐らくは口封じのために放たれた《実行部隊》さえも、鎮守府に座したままに捕えてみせた。
提督が海図にペンを立てて笑ったあの表情に恐怖を覚えたのは、きっと私が、過去に権力闘争の道具として戦っていた自覚があったからだ。
地位を確立するために表を着飾り、その醜く汚れた裏側を隠す。私はその道具だったから、あの目が怖いと本能的に感じ取った。
だが提督は――彼は、作戦中の今、面倒をかけたな、なんて言葉をかけてくれた上に、私を信じて送り出した。
今度は――人々を、私達を守るために、と。
「――艦政本部長は《原則、海軍中将が就任す》って言う軍規を乱すのは、良くないよねぇ……? ま、これは手始め、ってところかな?」
クナイが突き刺さった先には、とある名前が――
【日本海軍少将、艦政本部長――楠木和哲】
――確りと記載されていた。
「あっ、あの、川内殿? ここ、呉鎮守府でありまして、壁の補修などは……」
「あっ……あぁぁっ!? ど、どうしよう! つ、つい勢いで……大淀さん何とかしてぇっ!」
『えっ、えっ!? 何をしたんですか川内さん! ただでさえ提督の作戦行動中であるというのに、問題を――!?』
『どうかしたんですか!? え、えと、その、川内さん、何かあれば私も一緒に提督に謝りますから、とにかく落ち着いて……!』
「うわぁぁああん! どうしよぉおおお! せっかく提督が信頼して任せてくれたのに、こんなしょうもないことでぇぇええ!」
「……自分も大将閣下に謝罪するでありますから、とりあえずは、その、壁に刺さったクナイを抜いていただいて……」
『くっ、クナイを壁に!? 何やってるんですか川内さん! あっ、これ記録に残ってるんですからね!! 通信統制以外に仕事を増やさないでください、まったく!』
「ごめぇぇんっ!!」
艦隊が帰還するまで、残り、数時間。