柱島泊地備忘録   作:まちた

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五十六話 保革【清水side】

 現時刻――マルゴーフタヒト。

 空は白み始め、呉鎮守府沿岸が騒がしくなりはじめた。

 

 執務室で二時間にも及ぶ……いいや、たったの二時間で海軍省の内部を大きく動かした仕事が終わりを告げた。

 

「大本営より、大将閣下のご就任の通達を確認しました。これを以て、任務完了です――」

 

 ぴっ、と通話を切り携帯電話から顔を上げると、自分の横にいた山元大佐と、目の前にいる井之上元帥が重く頷く。

 それから自分は、現階級へ就任した、正確には、復帰した海原大将へと顔を向けた。

 

「これで、正式に海軍省大将閣下であります」

 

 そう伝えるも、海原大将は海図の上に肘をついて、組んだ手の上に額を乗せたままの恰好で返事もしない。

 中佐である自分や山元大佐ならまだしも、元帥閣下を差し置いて応接ソファでなく呉鎮守府の提督の椅子にどっかりと腰を下ろしたまま堂々としている姿には、一種の狂気を感じざるを得ない。

 国の中枢を担う元帥閣下と肩を並べようとも、曲がりなりにも部下だろう、と思ってしまうのだが、それを言い出せない要因がいくつもあってか、私はただその姿を見つめることしか出来なかったのだった。

 

 もう艦隊が帰還する。海原大将の艦娘達が柱島へ到着したと連絡を受けてからだいぶ時間も経過している。

 松岡という憲兵隊長が騒がしくなるやもしれんと周辺住民が混乱せぬよう部下を引き連れて海岸へと向かったのも、少し前の話だ。

 

 

 ――恐ろしい男。

 それが、私が嘘偽りなく感じた海原鎮という男に対しての印象だ。

 

 ――徹頭徹尾、軍人。

 それが、ここ数時間のうちに感じた海原大将という存在に対しての印象。

 

 

 元帥閣下の命により大本営へ少佐階級から大将へと復帰させよと辞令があったと連絡を取りながら処理をしていた際に、少なからず大将閣下の働きを知る事となった。

 無論、出会う前から様々な任務の舵を取り深海棲艦という恐ろしい存在を容易く退けた経歴の持ち主であることは知っていたが、ここにきてそれが眉唾などではないと実感して逆らう気も失せたというのが、平たい感想になろうか。

 

 この男は全てを知っている。その上で、艦娘という存在を認められず軍人の意地とやらで必死に戦い、結局、根負けして延命措置に逃げ出した私や山元大佐を守らんとして部下の前であるというのにもかかわらず土下座までした。

 どれほどの屈辱であろうか。それは私も想像さえ出来ない。

 

 命が惜しい。しかし、勝ちたい。だが、怖い。

 

 それらから生まれた複雑な感情は弾丸となって放たれたが、凶弾は大将閣下の頬を掠めただけに終わった。

 大将閣下は私にこう言った。

 

 潮の平手の方がよっぽどだったな、と。

 

 艦娘にさえ手をあげられ、感情の濁流と生死の狭間にいる今、私なら大将閣下のような行動を取れただろうか?

 答えは考えずとも、否である。

 

 戦場という狂気の舞台で、彼は未だに一人で戦っている。

 

 故に、故に――

 

「……大将閣下は、もう、全てをご存じなのですよね」

 

「中佐、何だ突然」

 

 山元大佐の声に目を向けるも、ただ視線だけでこれだけは問わせてくれと訴え、再び大将閣下に視線を戻す。

 

「……」

 

 大将閣下からのお声は、無い。

 

「鹿屋を預かる私がどのような立場であったのか。楠木少将が何をなさろうとしているのか、全て、ご存じなのでしょう?」

 

「……うむ」

 

 たったの一言だったが、あぁ、それならば良いのです、と私は満足気に懐へと手を入れた。

 かさり、と指先に触れる感覚。それを取り出してテーブルへと置けば、今度は元帥が目を見開いてその()()に手を伸ばした。

 

「これは……」

 

「鹿屋の前任、菅谷中佐の手紙です」

 

「何故、清水中佐が持っておる」

 

「……先輩に、もしもの時は、と渡されておりました」

 

 捨てよう。もう、逃げよう。そう思っていたのに捨てられなかったものだ。

 中身がなんであるのかは、私も知らない。

 

 もしかすると軍人らしく遺言であるかもしれないし、そうでないかもしれない。

 

 だが、まだ私が前を向いて戦っていた頃に、お前ならばと手渡されたものだった。

 菅谷中佐が、鹿屋基地に勤めてしばらくしてから、だったろうか。

 

 菅谷中佐と私は、元々同じ階級では無かった。

 先輩が亡くなられて、そのポストへと自分が納まったに過ぎない。

 

 厳しい訓練の課される一等時代よりも前から、日本を守ろう、人々のために戦おうと言い合っていた仲間だった。

 

 そんな菅谷中佐が鹿屋の配属となり艦娘という得体の知れない存在を任された時から、色々な話を聞かされたものだ。

 艦娘というからどんなものかと思えば、自分達と変わらん存在だったよと。

 

 やはり女子は甘味が好きなのか、与えれば花が咲いたように笑って喜ぶんだ。

 幼い姿ながらに海上で恐ろしい敵と戦う駆逐艦だが、戦闘を終えて戻れば、人の子と変わらない無邪気さで遊びまわるのだ。

 軽巡や重巡の艦娘は、少し背伸びしたがりが多い。色恋の話となれば黄色い声をあげて騒ぎ出すものだから食堂は毎日かしましいぞ。

 

 私は、艦娘が好きだ。

 彼女らとともに戦える事を、嬉しく思うよ。

 

 そう語った菅谷中佐の姿を思い出しながら、私は大将閣下へ向けて言う。

 

「今更になって嘘は申しません。私は楠木少将の提案だという事で、鹿屋の提督というポストへ納まり、そして少将の使いを通して受けた命令として深海棲艦の撃破数を偽った報告書を提出し、包囲網から発される警報も楠木少将の遂行する任務上避けられないものであるという不審な言葉も呑み込み、見逃してまいりました」

 

「……うむ、うむ」

 

 大将閣下の相槌に、元帥閣下の重たい息遣い。

 山元大佐は膝に肘をついて、手で口を覆って顔をしかめていた。

 

「私の優柔不断によって、国民を脅威に晒した処罰は、大将閣下の受けるべき罰ではありません。大将閣下のお心遣いを無駄にするような真似をお許しください。それでも……それでは、鹿屋の先達に……菅谷先輩に、申し訳が立たんのです」

 

「……」

 

 分かってくれたか、と息を吐き出した私だったが、突然――がたりと音を立てて大将閣下が立ち上がった。

 

「ね――ッ」

 

「っ!?」

 

 空気が揺れる? いいや、違う。

 大将閣下の丹田で練り上げられた気迫が固体化して部屋中を打ったかのような大声だった。

 

「眠たい事を言うなッ!!」

 

「ひっ――!」

 

 数秒、空白の時間。

 それから大将閣下は周りをゆっくりと見回し、静かに腰を下ろした。

 

「……失礼した。寝ぼけていたようだ」

 

 何を言うかと思えば、寝ぼけていた、だと?

 それは自分の考えも、既に起こした行動も覆されることは許せないという事か?

 

 じわじわと痛む両耳に意識を持っていかれまともな思考が出来ないのは私だけでなく、大佐や元帥閣下も同じようだった。

 大将閣下は元帥閣下の持つ手紙に気づいたようで、ぴくりと動いてそれを問うた。

 

「井之上元帥。それは、あぁ、えー……手紙だったでしょうか」

 

「あ、あぁ、そうだ。菅谷中佐の遺した……」

 

「ふむ。であれば、私が受け取りましょう。よろしいですか?」

 

「それはもちろんだが……。いや、海原、眠たい事など、今やワシが言えた立場でもないのじゃが、清水中佐の想いも分からんでは無い。お前の誠実さが、こいつを正したんじゃ。相応の罰を受けねば気が済まんという男の気持ちも、分かってやってはくれんか」

 

「え? なんの話です?」

 

「……海原、お前の気持ちも分かる。あれだけの覚悟を見せたのだからな。じゃが恥にはならん。それどころかむしろ、お前のあの行為によって、こやつは全てを正直に話して仕事を全うしようとしておる」

 

 情けない……まるで父親から叱責を受けた子どもが、祖父に庇ってもらっているようではないか。

 その情けなさを加速させるように目頭が熱くなり息が詰まる。

 

 こんな気持ちになったのは、何十年ぶりだか。

 

「いえ、ですから、井之上元帥、私は――」

 

「わぁかっておる。お前の作戦は見事成功し、無事に山元や清水も手元へ戻って来た。それだけで良い」

 

 既に私は口を挟めず、ただ事の成り行きを静観するのみ。

 

「それだけで良いって……それは、まあ、私の仕事は漣と朧を連れ戻す事でしたから……」

 

「うむ、うむ。それは成された。これ以上にワシがお前に望む事は無いとも。なあ、清水中佐」

 

「っ……はっ」

 

 何とかそれだけを返事して、顔を伏せてしまう。

 そうだ。これ以上、大将閣下のお手を煩わせる事こそが、本当に失態に繋がりかねない。

 

 恥を忍んだ大将閣下を眼前に見ただろう。

 ならば私のすべきことは何だ。考えろ、考えろ……!

 

「では……これ以降、私の仕事は柱島の艦娘達を支えること、という……その、元々の仕事へ戻ってもよろしい、と?」

 

「……問題が無ければ、じゃが」

 

 しばしの沈黙に顔を上げると、元帥閣下が私を見ていた。

 見つめあっていたが、大将閣下へ視線を移せば、彼もまた、私を見ていた。

 

 元帥と大将という海軍において中枢も中枢、いや、その頂点に座す二人は、私だけでなく、山元大佐も見つめていた。

 

「……――僭越ながら、私に出来る事ならば、いえ、どのような事でも、遂行いたします」

 

 震えた声だったが、はっきりとそう言い放った私に、山元大佐が肯定を示してくれた。

 

「であるならば、清水中佐の上席である自分が動かない理由もありません。元帥閣下と大将閣下のご命令とあらば火の玉となって降り注ぎましょう」

 

 山元大佐……! と顔を向けると、海軍特有と言うべきか、軍特有と言うべきか、理性的かつ、そのうちでも抑えられなかった感情を、ばしんと背を叩く事で表現する大佐。

 

「……無能が動いても仕方が無い。私は大人しく持ち場へ戻らせてもらうとしよう」

 

 どこまでも厳しいお方である。無能ならば動くななど。

 海上自衛隊の時代から思い返しても海原鎮という男ほど厳しい軍人は見たことが無い。

 

 だが言い換えればそれは――大将閣下が、私を部下として認めてくださる第一歩。

 

「本作戦は大淀やあきつ丸、川内が統括している。気になる事があれば彼女らに聞け。いいな? 間違っても、逆らうな」

 

「っは!」

「そのように」

 

 勢いよく立ち上がって敬礼する私と山元大佐。

 

 そして丁度――扉が開き、名の出た二人の艦娘が顔を出した。

 

「大将閣下。柱島を経由し補給を終えた艦隊が、到着したであります」

「継続戦闘は可能だけど、流石に連戦ってなると艤装が危ないかも……どうする?」

 

「ふむ。では迎えに行こうか。継続戦闘は無しだ。漣と朧を工廠へ連れていき回復させることを優先し……そうだ、大佐。工廠を借りるぞ。うちの艦娘の修理もしたい」

 

 律儀な人だ。ここで山元大佐が断るわけもないのに。

 もちろん、山元大佐はと言えば――

 

「っは。我が呉鎮守府は大将閣下のお預かりする一部に変わりありません。ご随意にお使いください!」

 

 ――と、敬礼を崩さないままに声を上げるのだった。

 

「結構。迷惑ばかりかけてすまんな……」

 

「な、何を迷惑など……っ! それは自分達のセリフです。これ以降、大将閣下の厳命通りに任務を遂行致します!」

 

 艦娘を任されて日は浅くないであろうが、大将閣下が現在預かる柱島に着任してから数か月とも経っていない。

 あきつ丸と川内という艦娘が私と大佐を見て驚愕の表情をするのも無理は無かろう。

 

 ただでさえ各方面から飛ばされた艦娘だ。信頼関係もままならない状態で任務の連続。そして少佐という階級を無視するかのような不正摘発に、特進とくれば、心中は如何ばかりか。

 

 ……無駄なことを考えている場合ではない。

 今後の任務、その中核となろう()()()はこの艦娘達との連携が肝となる。

 

 鹿屋の艦娘達には悪いが、彼女らに形式的に挨拶した時よりも緊張しながら、私は山元大佐に負けぬくらいに声を上げた。海軍式、というやつだ。

 

「現鹿屋基地所属、清水昭義(しみず あきよし)中佐であります! 今後の作戦に従事し、粉骨砕身する所存であります!」

 

「並びに、現呉鎮守府所属、山元勲(やまもと いさお)大佐であります! 如何様にもご命令ください!」

 

 私と大佐の言葉を受けた二人の艦娘は――綺麗な答礼を見せる。

 

「柱島鎮守府所属、揚陸艦あきつ丸であります。今後のご連絡は御二方に回せばよろしいか?」

 

「「はっ!!」」

 

「了解であります。では、そのように」

 

「柱島鎮守府所属、軽巡洋艦川内型一番艦、川内。夜戦なら任せておいて」

 

「せっ、川内殿、きちんと答礼いただきたい……! あとで大将閣下にご報告する時、一緒に謝らないでありますよ……!?」

 

「うぐっ、そ、それは困るって……! あ、あー。よろしくおねがいしまーす!」

 

「なっ……んていう、適当な……」

 

 ……どうやら杞憂だったようだ。

 私と大佐はおろか、元帥閣下の目の前であるというのに、大将閣下が傍にいるからか肩の力が抜けるような二人のやり取りは、堂々としていて、それでいて――頼もしくもある。

 

 そうだ。先輩も言っていたじゃないか。

 

 彼女ら艦娘はただの女子ではない――自分達のために再び立ち上がった仲間であるのだと。

 

 

* * *

 

 

 港へ向かうと、そこには総勢十名以上もの艦娘がずらりと整列して待機していた。

 元帥閣下と大将閣下を先頭にぞろぞろと迎えに行けば、艦娘は一糸乱れぬ敬礼をし、その後、大将閣下の「楽にしろ」という言葉で姿勢を解いた。

 

 港には既に松岡隊長や他の憲兵の姿が無いところを見るに……――確保された陸軍所属の不審な者達は連れていかれたと見て間違いないだろう。

 

「――全員、ご苦労だった。突然の無茶な任務を無事に成功させてくれて、心から喜ばしく思う」

 

 軍帽を脱いだ大将閣下はそう言った後――静かに、腰を曲げて頭を下げた。

 

「「「っな……――!」」」」

 

 艦娘一同が驚く。私も大佐も、元帥閣下も驚いて声を失った。

 

「本来ならば非番であった者まで引っ張りだしてしまったのは、自分の実力不足が故だ。本当に、申し訳なかった」

 

「な、ま、待ってください提督! そんな、私、そのような――!」

 

 声を上げたのは、巨大な艤装を背負ったままの戦艦。扶桑、と言ったか。

 彼女の制服であろう、コスプレのような巫女服が如きそれは煤や海水でボロボロになっており、言っては悪いが、目に毒で視線のやり場に困る恰好だった。

 

 それでも目を逸らせないのは、痛々しい姿をする原因となったのが自分であるというのが一因だろう。

 それ以外にも、彼女の戦果についても、決して捨て置けるものではない功績であるからこそ。

 

 南方海域、ソロモン諸島を周回して接敵した彼女ら艦娘は見事に敵を撃破して進み続けた。

 その中でも、絶望的な数の深海棲艦を全力で吹き飛ばしたのが、この第一艦隊旗艦である、扶桑なのだ。

 

 国名を背負う戦艦の雄々しい姿から目を逸らすなど、ありえない。

 

 女子相手に雄々しいというのも失礼なのかもしれないが。

 

「扶桑にも、無理をさせたな。だが、助かった」

 

「わ、私っ、そのっ」

 

「ああ、分かっている。呉鎮守府の工廠を使えるようにしておいた。すぐにでも入渠を――」

 

「違うんです、私、欠陥戦艦で、あのぉっ……」

 

「何を言うか。欠陥などでは無い。お前は素晴らしい戦艦で――」

 

「――聞いてください、提督!」

 

 どうやら何か言いたい事があるような扶桑は、大将閣下の言葉を遮り、私達がいることも忘れたように、熱に浮かされたが如く口にする。

 

「私……私、不幸だと、言い続けていたんです。私のような戦艦は役に立てないだろう、って」

 

「だから、お前は欠陥などでは――」

 

「違うんです!」

 

「……」

 

 大将閣下の声が、扶桑の声によって掻き消える。

 

「……提督が、通信でお声をかけてくださったから、戦えたんです」

 

 あぁ、彼女の事を自慢げに話していたな、と思い出し、綻びかける口元。

 今の口ぶりからするに、大将閣下はどうやら――彼女たちに信頼されている、という自覚は無いらしい。

 

 おべっかに近いくらいに褒めちぎるのも嘘ではなかろうが、それでも足りぬほどに、大将閣下は彼女らを信頼している。

 

 故の作戦への謝罪。故の、恥を捨てた土下座――私と大佐への叱責。

 

 間接的にとは言え、()()()()()()()()()()()()()と示した大将閣下は、あきつ丸や川内といった艦娘に情報を伝えているのだろう。

 私と大佐はその情報を基に……私達を飼っていた元の飼い主の手を噛んでこいと、そう示したのだ。

 

 先達の手紙を受け取った後に任せてきたのだから、私は、どのような恐怖に遭おうとも、死を前にしようとも、一歩も引くわけにはいかない。

 

「提督の元へ、帰りたかったから、戦えたんです……私も、お仕事ができるんだって」

 

「仕事……あぁ、そう、そうだな。仕事が、出来るんだな、扶桑は」

 

「はいっ!」

 

「……今後とも頼むぞ扶桑。それに、お前達も」

 

「「「はい!!」」」

 

 大将閣下の言葉に、艦娘全員の返事が響く。

 

 そこからはまた、忙しなく動くこととなった。

 

 

「これを以て、作戦を完了とする。皆、よく頑張ったな」

 

 

* * *

 

 

 帰還した大将閣下の艦娘の修理には、わざわざ柱島から出張ってきたらしい明石という工作艦が就く事になった。

 人の手に任せるよりも確実だろう、とは大将閣下曰く。日が昇った早朝から修理が始まり、昼前には明石の驚異的な手腕により完了し、すぐに柱島へ帰還が可能となった。

 

 それと、深海棲艦研究者、ソフィア・クルーズは一度柱島で検査を受けて食事をしてから、数刻遅れて呉鎮守府へと到着した。

 休ませることが先決であり、大将閣下のお膝元である柱島がこの日本中のどこよりも安全であろうが、またいつ楠木少将の襲撃に遭うかも不明の今、万全を期して憂いなく戦えた方が良いだろうと大淀という艦娘の判断で呉鎮守府へ移送されたとのこと。

 あきつ丸と川内は柱島鎮守府と密な連携を見せた。

 大将閣下の下へ来る前は欠陥だのと言われていた、とは到底信じられない働きである。

 

 ここまでで、もう寝ずに丸一日と経過しただろうか。軍人とは言え少しばかり眠気が襲ってきている。

 

 元帥閣下は大本営に戻り、急ぎ調査を続けると言って止める間も無く呉を発った。

 先日までは更迭され収容されていた山元大佐は、あんまりにあっさりと呉鎮守府に戻され、その上で任せたとまで言われたものだから興奮に混乱も合わさり、胸中は混迷の極みのことだろう。

 

 菅谷中佐を裏切るような真似をして後方に引っ込み、それでもひそひそと上席を狙っていた自分もまた、改心こそしたが大佐とともに大役を任されて混乱甚だしいのだけれども。

 

 しばし艦娘の様子を見てくる、と言って大佐と私にソフィア・クルーズを任せた大将閣下は、漣達を連れて艦娘寮へと向かっていった。

 

 そして私と大佐は、大将閣下が残してくれたあきつ丸と川内とともに、執務室でソフィア・クルーズという女性と対面していた――。

 

 

 

『初めまして。通信で少しお話ししましたね。日本海軍に所属している、シミズと申します』

 

『えぇ。数時間ぶりになるかしら。初めまして。今回は助けてくれて、ありがとう。では、その隣の方が、コマンダー・ウミハラかしら?』

 

 服を洗濯してもらったのだろう。ところどころに補修の見られる白衣に既に汚れは無く、汚くも無いしボロついてはいないものの、不思議な恰好の彼女。

 海外らしい日本人とは違う金髪に青い目、救助されるまで食事もまともではなかったのか、少し肌がかさついた彼女ではあったが、海外女優のような美しい人だった。

 

『いえ、この隣にいる男は、この呉鎮守府を預かるコマンダー・ウミハラの部下で、ヤマモト、と申します。コマンダーはまだ仕事が残っておりまして、代わりに私達が事情聴取を――お辛いことを話していただくかもしれませんが、どうかご容赦ください』

 

『いいのよ。生きて帰れただけでも我儘なんて言わないわ。でも、後でコマンダー・ウミハラにもお礼を言わせてちょうだい。それくらいなら構わないでしょう?』

 

『それはもちろんです。拙い私の英語を聞きながら喋るのは苦痛かもしれませんが、それもご容赦くださいね』

 

『あら、そんな事ないわ? とっても上手よ。小難しい話ばかりする私の元上司と話すよりずっと楽だわ』

 

 元上司、という言葉に一瞬黙り込んでしまう私に、ソフィアは続ける。

 

『どうやら、本当に元上司になっちゃっているみたいね』

 

『……はい。あなたは深海棲艦を研究するために移動する途中での事故で、死亡したことになっています。現在は日本海軍のアドミラルであるイノウエという者が、日本政府へ働きかけている最中です。そう遠くなく、アメリカ政府へ救出成功と、生存報告がなされるでしょう。その点はどうかご安心を』

 

『そうだわ……! 両親に、生きていると伝えてもらえるのよね!? で、電話……出来れば、私が直接――!』

 

 彼女の気持ちはもっともだ。生き残れたのだから、両親へ電話で生きていることを伝えたいことはなんらおかしい事じゃない。

 だが……おいそれと連絡を取らせる事は、難しい。

 

 私が横を見れば、山元大佐が困り顔で首を横に振った。

 

「すまんな。私も英語を話すことが得意ならば事情を伝えたのだが、中佐に頼ってしまって」

 

「いえ、それは全然……大佐が代わりに記録を取ってくれておりますので。それで、やはり連絡は……」

 

「うむ、我々の一存では、まだ無理だろう。先に彼女のご両親に連絡をして少将に漏れんとも限らんからな……ここは悪者となろうが、我慢いただこう」

 

「です、よね……」

 

 部屋の隅に控えていたあきつ丸から「フォローは致しますが、自分らは英語など話せないでありますよ?」との声。

 同じ女性だからフォローしてもらえるのは願ってもないが、言語の壁は大きい。

 

『……ミズ・ソフィア。日本海軍としては、まだ連絡を取らせるわけにはいかないのです。事情をお話しすることも出来ない身を、お許しください』

 

 素直に言って軍帽を取り頭を下げると、彼女は何か言いたげな表情をしていたものの『まぁ、そうよね』と肩を落とした。

 彼女も深海棲艦という存在を知り、研究していた者なのだから、日本でなくとも海軍とは関係が深いだろう。ともすれば、連絡を取れない理由だって察しがついているのかもしれない。

 

『話を戻し、事情聴取をさせてください。ミズ・ソフィアはアメリカの研究機関からどちらへ移動のご予定だったのですか?』

 

『ニュージーランドよ。そこにある研究所に異動になったの』

 

『なるほど。では、元々働いていた研究機関では、深海棲艦の生態の研究を――?』

 

『えぇ。ステイツを襲って倒された深海棲艦のサンプルが持ち込まれては、それを解剖する毎日ね。そういえば、ステイツでも私は死んだことに?』

 

『こちらを』

 

 私はテーブルに置かれたノートパソコンを開き、いくつかの記事を表示させて彼女へ見せた。日本記事を機械的に翻訳したページ以外にも、海外ニュースのサイトにもちらほらと過去の事故が掲載されていたのだった。

 ただし、大々的、ではない。

 

『研究者の数十名が事故にあったところで、世界は興味なし、なのね』

 

『――それが、そうでも無い、というのが我々の見解です』

 

「おい、清水中佐……!」

 

「詳しくは話しません。大将閣下に叱られてしまいます。ですが、彼女に何ら希望が残されていないのは、悲しいではないですか」

 

「それはそうだが……っ! はぁ、大将閣下に魅せられ過ぎだ、お前も」

 

「ははっ、お前も、という言葉で理解しておきましょう」

 

「全く。だが、慎重にだ。いくら喋れなくとも何を話しているかは分かっているぞ、中佐」

 

「もちろんですとも。記録に残しても問題無い程度に話します」

 

『二人とも、日本語で話されちゃ分からないわ』

 

 ソフィアの声に『失礼』と返して、私は話した。

 

『深海棲艦研究者は日本において軍事的な機関に所属しているものであり、アメリカのように民間、軍事問わず多く存在しているわけではありません。その中でも大きな事故である本件、多くの研究者が失われたこの事故について不審に思うような記事を出しているのは……アメリカや日本の圧力がかかっていない、誤解を恐れず言うと、()()()()です』

 

『それは……?』

 

 私はソフィアに向けていたパソコンをこちらに引っ張り戻してから操作し、いくつかのニュース記事を辿るようにクリック音を鳴らした。

 

 そして、ニュース記事とは別のページを表示させ、彼女に見せる。

 

『どこかの新聞社が出しているようなものではなく、個人やフリーの記者達で運営されているニュースサイトの記事だけが、事故を報道していたのです』

 

『なんで――私達は世界の脅威に対抗するために研究をしていたのよ!? それが、どうして、リーカーの記事だけだなんて……!』

 

 この事実に気づいたのは、残念ながら私や大佐では無い。

 

『言われなければ気づかないでしょう。しかし、私やヤマモトはこの記事にある、あなたを襲った事件に関連のあるかもしれない任務に従事しています。その任務のトップこそ、コマンダー・ウミハラなのです』

 

 話せるのはここまでだ、と言葉を切って示せば、ソフィアは椅子へ身体を預けるようにして力を抜き、息を吐き出した。

 

『はぁ……ステイツでも、機密、機密、機密。日本に来ても、機密、機密……機密ばかりなのね。私の人権はどこにいってしまったのかしら』

 

『……それは、申し訳ありません。何分、我々も仕事でして』

 

『私だって仕事だったわよ! 妙なクリーチャーを生臭いのを我慢しながら何度も解剖して! 何度も運んで! 今度は異国で仕事をしろって放り出されたかと思えば深海棲艦に襲われて……!』

 

 海外映画のようなヒステリックだったが、その理由も止められるものではなく、黙って聞くしか出来なかった。

 

『それで、今度は、何よ……今度は何に巻き込まれたのよ……』

 

 それも、伝えられない。

 日本海軍の上層部の仕業かもしれないなどと、言えるはずもない。

 

 ぽろぽろと泣き始めてしまった彼女に何がしてあげられるだろうか、と考え、茶の一つでも出して落ち着いてもらおうかと立ち上がりかけた時のことだった。

 執務室の扉がこつこつと叩かれる。

 

 あきつ丸の「誰でありましょうか」と問う声に、返事はない。

 だが、こつこつ、と扉を叩く音は止まらない。

 

 不審に思いながらも身構えて扉を開いたあきつ丸と川内から「えっ!?」と声が上がった。

 

 間もなく、私と山元大佐からも同じ声が上がる。

 

「あ、あれは……大将閣下の、妖精……!?」

 

「どうして、ここに……」

 

 いつの間にか私にも見えるようになった、話にしか聞くことのなかった妖精という存在がふわふわと室内へ飛んでくる。

 その腕には、金平糖が一つ抱えられていた。

 

 妖精はゆっくりとした速度でソフィアの前まで金平糖を抱えて持ってくると、差し出された手のひらの上にとすりと着地する。

 

『この子……島でも、似たような子が……!』

 

『艦娘と同じ、我々と戦ってくれている存在なのは、ご存じであると思います。我々はそのまま妖精、と呼んでいますが……どうして、今……』

 

 何とか説明してみようと口を開くも、説明すら出来ない私。

 妖精は金平糖を持ち上げ、ソフィアに示している。

 

『これ? これは、何……? 私にくれるの?』

 

「――! ――!」

 

 何かを訴えている妖精だが、声は聞こえない。

 しかし、どこか元気を出してと言っているようにも見えた。

 

『それは、日本のお菓子で、コンペイトウ、というキャンディです。おそらくは、コマンダー・ウミハラが持たせたものかと』

 

 私の言葉に、ソフィアは涙に濡れた目を細め、そう、と言って妖精から金平糖を受け取って、口に含んだ。

 

『女の子にお菓子、なんて……男の子の考えそうな事ね。でも、少し落ち着いたわ』

 

 ありがとう、と妖精を指先で撫でるソフィアに、しばしの沈黙が室内を包んだ。

 

 それから――

 

『そうだ……そうだわ! 両親に連絡を取れないなら、その、少し時間が必要でも、海軍はどうかしら! 私と仲良くしてくれたフリートガールがいるの! もしも変わらずに海軍で働いているのなら、彼女がいるはずだわ! 彼女に生きていると伝えてほしいの!』

 

 勢いに押され、どうどう、という恰好で『落ち着いてください。確認を取ってみますから』と言って名を聞けば――彼女から、日本の外では聞かぬ名はいないであろう、艦娘の名前が飛び出すのだった。

 

 

 

 

 

『ステイツが誇る戦艦、アイオワよ。名前くらいは知っているんじゃない?』

 

 

 

 

 

 彼女と私は仲が良かったんだから、と彼女は笑った。

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