柱島泊地備忘録   作:まちた

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五十八話 覚悟【艦娘side・明石】

「ソフィアさんは大丈夫でしょうか……いくら緊急であるとは言え、殆ど休まずにこちらに移動させたのは良い判断だったのかどうか……」

 

 第一艦隊の中でも一番の損傷具合であった扶桑の艤装を修理する私は、浸水箇所が無いかを確認するために妖精と協力して艤装の周りをのそのそと這いまわりながら目をじっと細めていた。

 

 そんな中でかけられた赤城の声に顔を上げないままに返事する。

 

「それについては私も同意見ですねぇ。柱島から私まで引っ張り出したんですよ? まだ工廠の整理も残ってるっていうのに――」

 

「それだけ切迫している状況であった、と言う事でしょう。最低限、食事の時間はありましたし、身綺麗にする時間も設けられたのですから問題は無いかと」

 

 私のぼやきに、加賀の抑揚のない声が入り込む。

 

 一航戦の二人は支援艦隊であったためか損傷という損傷も見られず、修理の必要は無いと判断したものの、艤装の細かな確認はする、と約束して順番を最後に回している。

 修理をするならば我先にと混雑するのがどこの鎮守府でも見られる光景だったが、柱島の面々は私がやりやすいように順番を決めても文句は言わなかった。

 

 この後にまた出撃があるかもしれないのに、という私の考えを見透かしたのか「大丈夫ですよ。提督が継続戦闘は無しとおっしゃっていたようですから」と言ったのは神通である。

 

 柱島に着任して日が浅くとも、演習や遠征に際する補給などで必ず顔を合わせる。私は提督よりも多く艦娘達と過ごしているために、殆どの艦娘と会話をしたことがあるのだ。未だ会話していないのは、大体が数の多い駆逐艦程度。それも一部くらいだ。

 

 それはさておき。

 

 神通の言葉の通りに受け取るならば今現在、差し迫った作戦は全て終了したという事で、一息入れられる。

 艦娘が一息入れている時こそ、私の仕事時である。

 

「ま、提督が問題無いっていうなら、いいんですけど」

 

 ふん、と鼻を鳴らして妖精にレンチを持ってきてとお願いしていると、工廠のところどころで休んでいる艦娘のうちの一人、瑞鶴の呟きが耳に入る。

 

「……おかしい」

 

 え? と殆どの艦娘が声を上げた。私もそうだ。

 

 何がおかしいんだ? と問う前に、瑞鶴は私達全員を見回しながら今度はより大きな声で言った。

 

「おかしいと思わない? ここの鎮守府の駆逐艦を救出するっていう名目は分かるけど、違和感、無いの?」

 

「違和感って?」

 

 瑞鶴に聞き返したのは島風だ。

 

「駆逐の。別にあんたの事を疑うとかどうこう考えてるってわけじゃなくて……あれだけの深海棲艦に追われて、艦載機にまで追い回されたの、今までに経験したことある?」

 

 作戦中の話であろう。その作戦が遂行されている間の事は私の関与しないところだ。

 私と妖精が製作したタービンがたった一度の出撃で焼き付きを起こしていたことから、想像だにしない数の深海棲艦に追い回されたのであろう。

 

 扶桑、その次に機関に悲鳴を上げさせながら帰って来た島風、その順番で修理すると言っていたために、島風は私のすぐそばで足を投げ出して座っていた。

 

 島風のリボンがまるで生きているように跳ね、それから、しゅん、とへたる。

 

「……うーん、無い、わけじゃないよ。島風はいつも先頭を走らされてたから」

 

 前の鎮守府のことを指していることは全員に伝わっていた。

 だからあえてそれに言及せず、瑞鶴と島風の会話に聞き入る。

 

「あー……ちょっと聞き方悪かったな……。じゃ、こう聞けばいい? 逃げろって言われたの、おかしくない?」

 

「それはっ! ……変、だと思った……かも」

 

「でしょう!? 敵前逃亡なんて普通なら解体よ! 解体! それなのに、逃げ回ってろなんて……それに撃滅しろって言ってこんな大艦隊で南方海域に作戦概要もあやふやなまま出撃させてさぁ!」

 

「う、うぅん……」

 

 島風はどう言葉を返したものかと考え唸るが、続く声は無い。

 かくいう私も、この作戦については瑞鶴と完全に同意見――とまでいかずとも、理解できなくは無かった。

 

 呉鎮守府から南方へ発った駆逐艦の救出。

 危険の伴う海域のために編成された打撃艦隊、支援艦隊、補給艦隊。

 それが大本営発布の何日にもわたって考え出された計画であったのなら、瑞鶴の言う違和感とやらは無かっただろう。

 

 違和感の正体とは――つまり――

 

「……あの提督は、何かあるわ。絶対に!」

 

 ――ということだ。

 

「何か、とは具体的にどんなことなのかしら」

 

 加賀が腕を組んで目を細めて問う。

 すると瑞鶴は先程よりも大きな声で、殆ど怒鳴るように言った。

 

「おかしいでしょ普通に考えて! 南方海域って言えば開放されたのにまた奪い返されたくらいの激戦区よ!? いくら大艦隊を組んだからって即日即決で突っ込ませるなんてどこの命知らずがするのよ! 加賀さんだっておかしいって思ってる癖に!」

 

 加賀と瑞鶴、大枠で言えば一航戦と五航戦はどうにも、どこの鎮守府で見ても仲が悪い。

 柱島で言えば加賀と瑞鶴。あるところでは赤城と翔鶴、はたまた、赤城も加賀も瑞鶴も翔鶴も、全員が孤立して仲違いしているパターンも見たことがある。

 

 私から見れば加賀と瑞鶴だけ仲が悪い程度可愛いものだったが、その言い合いが()()()()()()()()()()()()の話だ。

 

 やり玉に挙がっているのが提督である故に、私も言いたい事があったものの口を挟むのは憚られた。

 

「提督の作戦は成功したわ?」

 

「それは私達のおかげでしょうが!」

 

「確かに戦場に立ったのは私達です。しかし、作戦を考えたのは提督よ」

 

「はぁ? じゃあ、何? 加賀さんはどんな危険な命令でも聞くってわけ!? これじゃ……」

 

「どんな危険な命令でも聞くなんて言っていないわ。本当におかしな作戦ならば提督に意見具申すればいいだけ。五航戦はそんな事も考えられないのかしら」

 

「っ……! そういう事じゃないわよっ! ただ使い潰されるだけじゃなく、やっと役に立てると思ったのに、こんな――!」

 

「瑞鶴、落ち着いて……!」

 

 見ていて我慢できなくなったのか、瑞鶴に駆け寄ったのは翔鶴だ。

 彼女は今にも噛みつく勢いの妹分を抑えるために後ろから服を引っ張り、加賀から距離を離そうとした。

 加賀はその場で腕を組んだまま瑞鶴を睨みつけ、その横にいた赤城は顎に手を当てて考え込むように斜め下へ視線を投げるばかり。

 

「やっと役に立てると思ったのに――何?」

 

「~~~っ! 仕組まれてたみたいだって言ってんの!! 全部言わなきゃわかんないわけ!? 駆逐艦の救出だけじゃなく、あの女の人も、島に残ってた深海棲艦の集積した資材も、途中で寄った島だって……おかしいじゃん! 何であっさり船が出てくるのよ!? 資材を運ぶのに現地の人と話したのは提督じゃなくて、ここの代理になってたらしい提督で、元々はそいつが漣や朧を送り込んだんでしょう?」

 

 疑問を曲げることなくまっすぐに投げかける瑞鶴に、流石の加賀も違和感が無かったわけではないのか、一瞬だけ言葉を詰まらせた。

 

「……確かに、穴のない作戦であったかと問われたら、疑問が残ります。南方海域が激戦区であったことも、理解しているつもりです。その再攻略のために私達が選ばれたのも、きっと何か理由が――」

 

 ザザッ、ザリリ、と通信のノイズが走る。

 

 刹那、全員の顔が強張るも――通信から聞こえてきた声に、一瞬の安堵。だがしかし、心臓は別の意味で跳ねた。

 

『作戦通信を切ってからお話いただけると助かるのですが、何か問題でも?』

 

 柱島鎮守府、通信統制艦――大淀の声だった。

 

 通信統制艦とは、柱島にいる艦娘達が勝手に呼び始めた名だが、その一分の隙も無い完璧な通信統制と作戦統率の手腕は提督が常任の秘書艦として置いておくのに納得のいく艦娘だった。

 

 演習こそ決められた各艦隊がそれぞれで通信を行いながら近海で戦闘訓練を行うため出る幕は無いものの、遠征、哨戒、と実戦の可能性のある場面で必ず大淀は通信を繋げている。

 この作戦の間中も、然り。

 

「大淀さん――ね、ねぇ! 教えてよ! この作戦、おかしいと思わなかったの!?」

 

 未だ熱の冷めぬ瑞鶴は通信であるというのに工廠内に響く声で言う。

 

 大淀はまるでまだ私の作戦は終わっていないのだと言わんばかりの声の低さと冷静さで瑞鶴に声を返した。

 

『いいえ、おかしくはありません。ですが、それを伝える暇が無かったのは確かです。提督は呉鎮守府での不正摘発の時点で、本作戦への布石としていたようですから』

 

「え――? それ、って、どういう……」

 

『会話を盗み聞きしていたわけではありませんが、通信が繋がったままで言い合っていたものですから、大体は把握しています。その上で言いますが――全て、提督の手中です』

 

 大淀の声に工廠が静まり返った。

 瑞鶴達が言い合っていても手を止めなかった私だったが、思わず、動きが止まる。

 

「手中……? い、意味が分からないわよ。手中なんて言ったら、まるでこうなる事まで予測した上で、流れをなぞるだけみたいな……」

 

『瑞鶴さんの言葉を、そのままお返ししましょう。おかしいとは思わないんですか?』

 

「お、おかしいわよ! 聞いてたんなら分かるでしょ! 島風に逃げろとか、二隻を救出するだけだったはずが南方海域の深海棲艦を撃破しろとかぁ! 扶桑さんにだって本来なら攻略できないかもしれないなんて、あんな事を言っておいて――!」

 

「……! ま、待ちなさい、五航戦」

 

「なによ!? 文句なら後にしてっ!」

 

「違う、違うのよ。わ、私も今、分かったわ……」

 

 加賀が顔を青くして瑞鶴に向かって首を横に振る。

 続けて赤城も気づいたかのように「あっ」と声を上げ、「いや、でも、しかし……」とまた黙り込む。

 

 それから――歯の隙間から毒でも吐くような息をしていた瑞鶴が、噛みしめる力を弱めた。

 

「全部知ってなきゃ、予定通りに、行かないじゃない……」

 

『その通りです。無論のこと、戦場では予定通りにいかない事も考慮に入れて行動しなければいけませんが、提督の突拍子もない奇策とも思える戦略は、ある意味では王道と言っても良いでしょう。もう一度言いますが――おかしいとは、思いませんか? これは本当に、二隻の救出と、海域攻略が主眼の作戦だったのでしょうか?』

 

「おか、しい……おかしいじゃんそれ……! 本命は二隻の救出じゃなく、南方海域の攻略でもなかったってわけ!?」

 

『その通りです。提督は危険度からして二隻の救出を最優先事項としましたが、瑞鶴さんは提督が着任した初日をもうお忘れなのですか?』

 

 思い出される柱島鎮守府、講堂での演説。

 

 いいや、演説なんてものじゃない。あれは、今になって思えば、心情の吐露だった。

 

 

【私はずっとお前たちに救われてきたんだ。どんなに辛い時も、どんなに苦しい時も、私にはお前たちがいた】

 

【今度はどうやら、私の番らしい】

 

 

 どうしてか、修理の手を止めていた私の顔に淡い熱が走る。

 理由は分からなかったが、工廠を頼むと言った提督の顔を思い出してしまい、ああ、そうだ、任されたのだから全力で取り組まねばと、目元を拭った。

 

 拭った理由は、その、汗だ。工廠は熱がこもりやすいから。

 

 大淀達の会話を片耳に、工廠には再び私の作業する音と、妖精達が艤装に歪みは無いか叩いて確認する甲高い音が響き始める。

 

『その証拠に、提督は二隻の安全が確認出来てから戦線に加え、南方海域の攻略へ移行しました。その後に、提督は帰還前に、なんとおっしゃいましたか?』

 

「……救出された女性を、最優先に、って」

 

『――疑問は解消されたでしょうか?』

 

「……」

 

 瑞鶴はしばらく沈黙したが、じゃあ、とまた声を上げる。

 

「救出された女性はどうなのよ!? あれは予定のうちなの? それとも、予定外?」

 

『それについては、私も分かりません。決定的な証拠となるものはありませんから。ですが……私個人としては、予定のうち、かと』

 

「あぁもう、なんなの、滅茶苦茶じゃない……っ!」

 

『……否定はしません』

 

 瑞鶴はがりがりと頭を掻きむしって歯ぎしりした。

 無茶苦茶、その通りだ。

 

 本来ならば大艦隊を組んで南方海域を再攻略するだけの作戦――だけ、というのも変だけど――のはずが、予定が二度も狂わされたことになる。

 呉鎮守府の二隻、艦隊が発見した遭難者の存在は作戦を根底から覆してもおかしくない不協和音。

 

 二隻が戦闘可能か否かを現場からの通信のみで判断し、その上で予定の艦隊に加えて戦力とし、発見された遭難者に危険の及ばない航路を見出し、艦娘へ理解できるよう、視覚的に羅針盤という妖精の操る道具で伝達して最小限の損傷で南方海域を再開放した。

 あとは帰還するだけ……と言う所で、明らかに不審な海軍と名乗っておきながら手のひらを返して実は陸軍だとのたまう輩まで天龍が捕まえたというではないか。

 

 たったの一日で、どれほどの事が起きたことやら。

 

 呉鎮守府で轟沈扱いとされてしまった艦娘達を救出した事を無理矢理に偶然だと片付けてしまう事は可能だったかもしれないが、こうなればもう偶然という一言では片付けられなくなってしまう。

 

 私の番だ、と言った提督は、根本(海軍省)から解決を図っているのだ。

 

 そう、一連の出来事の全てに偶然など無い。

 

 腐敗極まる海軍省という環から外れることによって、外部からその仕組みを完全に把握し、最小限の被害となるように計画されていたものであることに、他ならない。

 

 その結果、海原鎮という男は――悪魔的な不確定要素さえも座したままに退けてみせたのだ。

 

 これではもう、大袈裟でもなんでもなく、軍神そのものである。

 

 艦娘達が軍艦であった頃。巨大な鉄塊であった頃に彼の存在があれば、間違いなく未来は全く違ったものになっていたはずだ。それほどの戦果なのである。

 

 彼は人だろう。艦娘が泣いただけで狼狽してしまうくらいの初々しさがあるものの、決して不義は許さず、だが、地獄へ叩き落すわけでもない。どこまでも優しく、強く、そして頼もしい人間だ。

 

『もっとも、詳しい話を聞きたいのならば、あきつ丸さんや川内さんがそちらにいらっしゃるでしょうから、ご自由に……。ただし、一つだけ。提督は私達を信頼して、この強硬にも思える作戦を遂行しました。ここまでは成功していますが、それは皆さんの献身的な働きがあってこそ、でもあります。しかし、それは作戦が存在しているから動けた、ということでもあると理解してください。よく考え、提督を見ていれば、きっと分かるはずです』

 

 見ていれば分かる。そんなこと、言われずとも。

 

 だから、私はきっと――仲間が戦えるように、腕を振るおうと――彼に見合う艦娘になろうと――

 

「ん、んんっ! げほっげほっ」

 

「明石さん?」

 

「ご、ごめんね、ちょっと埃が舞っちゃったみたいで、あ、あはは……」

 

 って……な、なに考えてるのよ私は! 明石! 修理に集中して!

 

 頭に浮かぶ提督の顔を振り払い、道具箱をひっかきまわすことで意識を逸らす。

 

『さて! 作戦は終了していますから、そちらでしっかりと体を休めてくださいね。詳しい話は、また後ほど……。そうだ、報告書をまとめるのは誰になるんですか?』

 

 切り替えるように手を打つ音が通信越しに聞こえ、大淀がそう問えば、全員が顔を見合わせた。

 

「第一艦隊の旗艦なんだから、扶桑さんじゃないの?」

 

 と瑞鶴。そこに翔鶴が服を引っ張った格好のままに返す。

 

「殆どが艤装のみの損傷とは言っても、私達の中で一番損傷があったのは扶桑さんですから……代わりに私が出しておきましょうか……?」

 

 すると、加賀が冷静に言った。

 

「私達は支援艦隊だったでしょう。第一艦隊の報告書は、第一艦隊が出さなければ意味が無いわ。支援艦隊の報告書は……まぁ、私が出しておきます」

 

 瑞鶴と言い合って空気を悪くしてしまったお詫び、とでも言うような申し出に、瑞鶴が「それなら私が出しとくわよ。その……なんか、空気、悪く、その」とモゴモゴ言うものの、加賀は「五航戦が書くよりは私の方が確実です」と返され、一瞬だけかっと熱が上がりかける。

 

 しかし、加賀の表情が柔らかかったためか、瑞鶴は「あっそ」とだけ。

 

「じゃあじゃあ、第一艦隊の報告書は島風が書くよ! 任せて!」

 

 島風の提案に反対の声は無く。

 

「……大淀さん、ありがとうございます」

 

 なんて赤城が小声で言ったのだが、それは通信を通して全員に聞こえており――大淀は『何のことでしょう? ふふ、では、また柱島で』と言って通信を切った。

 

「ね、加賀さん」

 

「なに」

 

「大淀さんってさ……ちょっと、提督に似てきた?」

 

「……気に食わないけれど、同じことを考えていたわ」

 

「っくく、ね。やっぱりそうだよね」

 

「えぇ、まったく」

 

 私も、とは誰も言わなかった。

 

 ただ、全員が微笑みを浮かべていた。

 

 

* * *

 

 

 そんな工廠の雰囲気が一変したのは、修理という修理も長引かず割とあっさり終わったね、なんて皆で話し合いながら休憩をしている時のことだった。

 

 工廠に提督がやってきたのだ。それも――後ろに点々と赤い足跡をつけながら。

 

「修理の様子はどうだ」

 

 入室して開口一番に言った提督に全員が立ち上がって最敬礼すると、提督は少しだけ疲れたような表情で答礼する。

 

 提督がはたから見ても分かるくらいに疲れた表情をしていたのは初めてのことだったために、全員が不安そうな雰囲気を醸し出す。

 

「修理は終わりましたよ。後は入渠組だけですかねー。損傷も言うほどひどくなかったですから」

 

 私がそう言うと、提督は「そうか」と疲れた表情の中に安堵の色を見せた。

 

「心配だったんですか?」

 

 なんて冗談めいて言ってみれば、提督は当然だろうと言いながらそのまま工廠内部へ。

 

「少し、休ませてくれ」

 

「え? そりゃあ、お好きにすればいいですけど……大丈夫ですか提督? 何か――」

 

 ありましたか? など、聞かずとも分かる。あったに決まっている。

 

「あー、いや……何も、無かった。心配をかけてすまんな」

 

 言葉を濁す提督に全員が声をかけあぐねてしまい、先ほどまでの柔らかな空気は霧散してしまう。

 

 それどころか、提督を追うようにして工廠の扉が開かれ――両手を真っ赤に染め上げた憲兵と、その部下達がぞろぞろと列を成してやってきたことで、空気が澱む。

 

 全員が完全に硬直し、否でも提督に何かがあったのだと分からせた。

 

「修理の最中、失礼する」

 

 列の先頭にいた男――明らかに、隊長だ――は私や他の艦娘へ形だけの敬礼をしたかと思えば、提督のもとへ一直線に歩んでいき、今度は直立不動の最敬礼。

 

「――全て吐き出したと思われますが、如何いたしましょう、閣下」

 

 全て吐き出した? 何を?

 

 その疑問は、先刻の大淀の言葉から思考が勝手に回りだし、解を示す。

 

 大方、天龍の捕まえた不埒な輩を指しているのであろうことはこの場にいる者全員が理解していることだろう。

 しかしながら提督は驚いた表情で固まり、憲兵たちを見た後に、私達を見回す。

 

 まるで、見せたくなかった、というような顔で。

 

 提督はわなわなと震えながら立ち上がり「松岡……何故、そのままの恰好で来た……! ここには艦娘がいるのだぞ……!」と恐ろしいほど低い声を吐いて、憲兵隊長、松岡の前に立つ。

 

「っ!? し、しし失礼いたしました! 情報を最優先に――」

 

「私は掃除をしろと言ったのだ! 最初に私がすると言っただろうに……お前が任せろというから任せたのだぞ……ッ!」

 

 明らかな激怒。

 提督が怒鳴っているのを見たことがある艦娘はここにはおらず、ただ、唖然としていた。

 

 ……いや、少し、嘘をついた。

 

 島風は驚き過ぎたのか目に涙をためて下を向いてしまっているし、赤城や加賀は口を一文字に結んで前を向いているものの、額からとめどなく冷や汗を流している。

 視線を移せば、翔鶴や瑞鶴も同じように前を向いているものの、小刻みに足を震わせていた。少し離れた私から見ても分かるくらいに。

 神通に至っては、ただでさえ白い肌が死人のように色を失っている。

 

 怒鳴られ慣れている私であっても、質の違う提督の激昂に目が泳いでしまう。

 

「た、大変、申し訳も、ございません……! 少しでも多くの情報をと……!」

 

「情報、情報と……そんなものはいらんッ! もういい――私が掃除する――!」

 

 意味が分からないほど、私達は愚かでは無い。

 

 ここにいる人間よりも長く、戦争を味わっている。その自負がある。

 

 だからだろう。艦娘となった今、自分達を支えると言った人物が手を汚そうとしていることを理解した上で、身体が動いた。

 

 松岡を押し退けて進んだ提督が私の横を通り過ぎる瞬間、腕を掴んでいた。

 

「っ……ど、どうした、明石」

 

 先ほどまで喉が潰れるのではないかというくらいに怒鳴っていたのに、この人は出来る限り優しい声を出す。

 

 それは心があるということに他ならない。

 

 怒りに染まる心を、どうしてか、止めなければと思った。

 

 本音の底の底にある私の気持ちを恥ずかし気も無く言わせてもらうなら――彼に、そんな事をしてほしくなかった。

 

 ただの我儘だ。戦争には不要なものだ。

 

 冷静に、冷徹に、怒りというマグマを氷の蓋で隠すことこそが戦争であるのを知っていながら、彼にはそうあって欲しくないと思った。

 

 自分達、艦娘の方が戦争の経験がここにいる人達の誰よりも長いと思えど、提督だけは、もっともっと、引き返せない場所にいるように思えてしまって、私の腕で引き戻せるならと、思ってしまった。

 

「ぁ……そ、の……」

 

 言葉が紡げない。だが、私が動いたことによって、他の艦娘も動き出した。

 戦闘の際に感じることがあると言われている艦娘の共鳴が――戦闘でもなんでもない、ただ一人の男を引き留めることのためだけに、覚醒した。

 

 驚きはしなかった。

 

 赤城や加賀、瑞鶴、翔鶴、神通、島風、きっと今は入渠しているであろう者の気持ちが同じ海水となって、溶けあい、体一つで揺蕩うような感覚。

 

「提督! 行っちゃダメっ!」

 

 島風が堪え切れなかった涙を流しながら言う。

 

「提督……勝手な事を言って、ごめんなさい。後でどんな処罰でも受けます……ですから、行かないでください」

 

 赤城の静かな声に、加賀も同調。

 

「なんで提督さんが行かなきゃいけないのさ……も、もう、いいじゃん……ねぇ……! 作戦も、終わったじゃん……! 成功したじゃんか……!」

 

 先ほどまで提督の事を滅茶苦茶だのおかしいだのと言っていた瑞鶴が、両手を握りしめたままに、視線を合わせられずとも、心をまっすぐに伝える。

 翔鶴や神通は走って工廠の入り口に行き、両手を広げた。

 

「い、いい、行かせません……提督、あなたを行かせるわけには、いきません……二水戦の名にかけて、あなたにそのような真似は、させません……!」

 

「っ……」

 

「お、お前達――!?」

 

 憲兵を押し退ける恰好で固まった提督だったが、それでも、ぐい、と一歩前に進み出てきて言った。

 

「……私はただ、掃除をするだけだ。無能でも出来る簡単な仕事だ。行かせてくれ」

 

 誰にでも出来るだろう。あぁ、その通りだ。

 

 戦争には誰にでもそれをさせる狂気がある。

 そしてあなたは、その災禍の中心で生きてきた。

 

 それは――私達も同じだ――だから――!

 

「私達の前で、そんなことさせませんよ、提督……!」

 

 汚いかもしれないが、提督がそんなことをするくらいなら、私達の知らない、別の人間がやればいい。そんな考えまで浮かんでしまうくらいに必死だった。

 

 

 提督は――

 

「……わ、私は……お前達の役に立てる……まだ、出来るから……頼む……」

 

 ――その場で小さく呟いた。

 

 嗚呼、あなたは……自らの心を滅ぼしてまで……その身を血の海に浸してまでも、私達の事を想ってくださるのですね。

 

 もう我慢できず、ただ泣きながら、腕を引き寄せ、油で汚れているにもかかわらず、私は提督を抱きしめてしまった。

 首筋に額を埋め、何度も言う。

 

「やめて……やめてください……お願いです……なんでも、します……開発だって、我慢しろっていうなら、我慢しますから……ね……? だから、そんなこと、しないでほしいんです……」

 

 本能に突き動かされた私の感情が伝播し、ゆっくりと、しかし確かな足取りで皆がやって来て、両腕で提督を包んだ。

 

「そ、こまで……お前達……」

 

 提督の掠れた声。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「松岡……掃除は、もう、いい……皆、少し休もう……少しでいい、休もう」

 

 激戦という激戦をくぐり抜けてきた兵士のように、疲れ果てた提督の声が、工廠に溶けて消えた。

 それから、提督は力が抜けたように項垂れたのだった。


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